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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第二章
115/139

110




「お前が上様の御目にかなった小姓か」


威圧感を漂わせた男がりょうの前に立ちはだかった。長廊下に他の小姓と待機していたりょうは、ぽかーんと呆けたままだったが、隣りにいた小姓に強制的に頭を押さえ付けれたものだから、床に思いっきり額を打ち付けた。


「良い。面を上げよ。名は何と申す」

「"りょう"にございまする」

「りょうか……」


値踏みするように、慶喜は上から下まで眺めた。何の変哲もない太り気味の子供である。


「何処の生まれか」

「江戸にございまする」

「勝とはどういう関係だ」

「息子にございまする」

「ほう…勝の息子か。それにしては似ておらぬな」

「ありがたき幸せ」

「」


慶喜は一瞬言葉を詰まらせたものの、直ぐに気を取り直した。


「上様はまだ若年であらせられる。余計なことを吹き込み、混乱させるようなことは慎むように」

「何のことかわかりかねまする」

「勝が送り込んだのであろう。大方の予想がつくわ」

「それは父上に聞いて頂ければと思いまする」

「あの狸が本性を出すわけがなかろう」

「ならば上様に直々に訴えれば宜しいかと」

「なんだと?」

「不要とあれば、いつでもご辞退申し上げまする」


りょうは深々と頭を下げた。

そこへーー


「ならんぞ!りょう」

「う、上様」


ズカズカとやって来たのは家茂である。いつもの柔和な笑みは消え、悲しげな、それでいて怒りを含んだ表情だった。


「りょうを予から離すことなど許さぬ」


強い眼差しを受けて慶喜は怯む。

普段我儘も小言も言わぬ家茂が、感情を露わにしたのだ。そのような家茂は初めてであった。


「りょう、参るぞ」

「御意にございまする」



慶喜は半ば茫然としたまま暫くその場から動けなかった。


◇◇◇◇◇◇◇



雨が降りしきる中、"攘夷祈願"の為の賀茂行幸が開始された。


これは天皇が攘夷決行を祈願する為のもので、裏では長州藩が糸を引くある種の演出である。


煌びやかな輿の中には天皇が、その周囲には家茂を始めとする幕閣の面々、諸侯、更に天皇の従者や警備の者が付従している。つまり天皇の臣下が将軍であることを示していた。


陣羽織で騎乗する家茂は、 雨に打たれながらも一切気にすることもなく、涼しげに進む。その馬を引くのはりょうだった。逆に幕府関係者などは苦虫を噛み潰したような表情をしている。彼らにとってこの行幸は、恥をかかされた茶番劇のようなものだったのだ。



「ヒンヒン」

「彼氏募集中でござるか」

「ヒンヒン」

「ロバの親友ならおりまするが」

「ヒンヒン」

「承知致した」

「小僧。黙って歩け」


慶喜が一喝した。


一行は下加茂神社から上加茂神社へ向かう。四キロに及ぶ行列はゆっくりと前へ前へと進行し、沿道には天皇及び将軍を一目見ようと大勢の民衆が詰め掛けていた。雨であろうとも土下座で平伏する彼らは、好奇心に目を輝かせている。頭を下げつつも、ちらちらと盗み見しているのだ。




一方、鴨川の河原に集まる群衆の中に紛れて、二人の男がいた。


「おい、来たぞ」


高杉晋作と山縣狂介(有朋)である。


狂介は他と同様に平伏しているが、高杉は頭を下げることなく、家茂の姿を追った。


狂介は慌てて小突くも高杉は全く臆することなく、それこそニヤニヤと家茂を眺めている。


まるでいたずらを思いついた子供のようであった。


「高杉さん!見つかりますよ!」


更に小声で諌めるも高杉は動じない。


家茂との距離、およそ10メートル。ほとんど目の前であった。



「いよ!征夷大将軍!」


高杉が叫んだと同時に、幕府の警備隊が一斉にこちらを見る。山縣は頭が真っ白になった。


いくらなんでも天下の大将軍である。

江戸幕府の歴史の中で、これほど無礼な振る舞いをした男はかつていないだろう。本来なら捕らえられても不思議ではないが、この日は天皇のお供をしている身であり、その目の前で争いや行幸の列を乱すわけにはいかなかった。


周りの民衆は高杉に対し、恐れおののくと同時に家茂の反応を伺った。傘を差すことも許されず、濡れそぼったまま騎乗する惨めな年若い将軍の姿に同情する者はいない。寧ろ、幕府はもう終わったのだと、半ば失笑するような笑いがちらほらと聞こえた。


もとより、京の人々にとって幕府より天皇を支持するのは至って普通のことである。よって長州藩の目指す攘夷論に共鳴していると言っても過言ではなかった。



しかし次の瞬間ーーーーー




「いよ!そうせい候!」


行列の間から威勢の良い声が響いた。



「そうせい候」とは長州藩主・毛利敬親のことである。家臣にけして反論する事なく、何を意見しても「そうせい、そうせい」と肯定していた為、いつしか皆から「そうせい候」と呼ばれるようになったのだ。


高杉と山縣はその言葉に愕然とした。


何故、声をかけたのが"長州藩"だとバレてしまったのかということと共に、その声が家茂の方から発せられたということに。


雨の音すら消えたみたいに、周囲は静かだった。しかし、誰かが「プッ」と吹き出したことで緊張の糸がぷつんと切れた。


「そ、そうせい候…ぷぷ」

「笑たらあかん!ぶふふ…」

「見てみ。さすが将軍様や。何でもお見通しなんやわ」

「うち、見直したわ」



言わずもがな犯人はりょうである。

警備の者らは何処から発せられたのかキョロキョロと辺りを見回していたが、その表情は少々晴れやかだった。


「ふざけやがって」


高杉は怒りを含んだ声色で身を乗り出した。


「だ、駄目です!今は我慢して下さい!」


山縣は全力でその身体を押し留める。


「くそッ」


公衆の面前で恥をかかさせてやろうと思っていたのに、逆に恥をかいてしまった長州藩。高杉の身のうちに更なる憎しみが沸き起こった。




◇◇◇◇◇◇◇



京・長州藩邸




「聞いたぞ高杉」


高杉の肩を組んできたのは吉田である。考え込んでいた彼はそれすら気付かず、目を閉じたまま返事もしなかった。


「将軍に無礼を働いたって?下手したら捕まってたぞ」


と言いつつも、何故か楽しそうである。しかし高杉はフンと鼻を鳴らした。


「あっちもあっちで応戦してきた」

「応戦?」

「"そうせい候"……だってよ」

「ああ!?」

「候が俺達の言いなりだと言いたいんだろ」

「……ふざけやがって」


どっちもどっちだが、敢えて勝敗を決めるとすれば、大抵こういう場合"後者"の方が勝ちである。


「……傀儡の将軍と思っていたが、ただの噂だったか」

「いや、アレは将軍が言ったんじゃない」

「だったら、誰なんだ?」


高杉は再び目を閉じた。

頭の中にあの場面を再現するように思い起こす。


騎乗した家茂は高杉のいる場所からさほど遠くではなかったが、前後左右に配備された騎馬隊の所為もあって、横顔と胸部がやや見えたに過ぎなかった。


そして高杉が声をかけた時、家茂はちらりとも視線を向けなかったが、騎馬隊は一斉にこちらを見た。陣笠の彼らの顔もまたはっきり見えたわけではないが、もし知り合いがいたとしたら、おおよそ背格好で判断出来るものである。


つまり騎馬隊の中には、高杉が思い浮かぶ人物はいなかった。


ただ一つ言えるとすれば、あの声は将軍の声ではない。


「小姓の中に頭の切れる奴がいる」

「そりゃあいるだろうよ」

「多分、まだ子どもだ」

「はあ?」


変声前の声がやけに耳についた。



◇◇◇◇◇◇◇



二条城



「胸のすく思いでござった」

「まことに…」


水野と板倉は感慨の思いに耽った。

しかし慶喜は不機嫌な態度を隠しもしない。


「一体どういう教育をしているのだ」

「お恥ずかしながら、アレとは幼い頃生き別れておりましたので、これといった教育は…」


勝は悪びれもせず肩を竦める。

彼もまた入京し、家茂の上洛により挨拶にやって来たのだが、御目通りを願う前に慶喜に捕まったのだった。


「何故、上様にあのような子供を」

「江戸城において上様付きの小姓に欠員が出ましたゆえ、奥詰の者に頼まれたのでございます」

「……もっと他にいたであろう」

「恐れながらあの子供はああ見えて、洋学に長け語学も堪能にございますよ」

「洋学だと?」

「物心付いた時より我が師である佐久間象山に弟子入りさせておりましたもので」

「あの男か」


佐久間象山とは兵学者である。朱子学にも精通し、幼い頃より神童と呼ばれるほどの男であった。


また勝海舟の師であると共に義弟でもあり、更には吉田松陰や坂本龍馬の師でもあることから、この幕末において多大な影響を与えた人物の一人なのである。


「そういえば佐久間とやらは松代藩の洋学研究者だったな」

「なるほど。あの度胸の良さは佐久間の受け売りだということだな」


水野と板倉は納得したように何度も頻りに頷く。唯一慶喜は憮然としていた。


「良いではありませんか。近頃の上様は特に目覚ましい成長を遂げておられる。それもあの子供のおかげと言っても良いでしょう」

「しかしあれでは長州に対して喧嘩を売ったも同然。ますます上様は窮地に立たされてしまったのだ」

「先にけしかけてきたのはあちらではごさらんか」

「では貴殿は上様がお命を狙われても良いと言うのか?」

「それはまた大袈裟な…」


揉め出した幕閣に勝は嘆息を漏らす。

慶喜の言わんとしていることは理解出来るが、りょうはりょうなりに考えがあるのだろう。だからこそ、あんな無謀とも言える行為をしたのだ。


「ともかく、上様の御身に何かあればタダでは済まぬぞ。勝」

「心得ておりまする」


勝は余裕の笑みで頭を下げたが、次の瞬間ーーー



「申し上げます!」


慶喜の目配せで御付きの小姓が襖を開けた。そこには近侍の男が片膝を立て頭を下げている。


「何事だ」


そして室内に緊張が走った。




「上様の……御姿が見当たりませぬ」



◇◇◇◇◇◇◇



市中



「見てぇ…あの人」

「いやぁ…えらい別嬪さんやない」

「隣りの男の子も可愛いねぇ」

「太った狸みたいや」



周囲の様子を見回しながら、手を繋ぐ男女が歩いていた。


すらりと伸びた細身の体躯。

透き通るような白いの肌と、優しげな顔立ち。涼しげな薄藍色の着物が儚さを演出し、通り行く人々を魅了している。


その隣りの子供もまた膨よかではあるも、色白で中性的な顔立ち、肩下に伸びた髪を高めに結い上げて、濃赤紫の小袖と灰色の袴。腰に小太刀を差していた。



家茂とりょうである。




◇◇◇◇◇◇◇




二条城



小姓によれば、家茂は白書院で休息中だったという。そばにはいつものようにりょうが居たが、一刻しても部屋から出てこず、呼びかけても返答がなかった為、無礼を承知で襖を開けたらしい。


「誰も気付かなかったのか!?」

「廊下に二名控えておりましたが、不審な物音は一切しなかったと」


部屋はもぬけの殻で、対面の庭に面した障子が、僅かばかり開いているだけだった。


「物音がしなかったと?」

「そのように申しております」


障子の向こうは縁側となり、その目の前は園庭に続いている。縁側は鶯張りになっている為、不審な音がすればわかるはずである。


鶯張りとは、床板を取り付ける際に隙間を空け、目鎹(めかすがい)に釘を打つ技法を施した板のことで、古来よりの建造物の多くに使われ、「忍者返し」とも呼ばれている。


鶯張りの床を歩くと、敢えて空けておいた隙間に人の体重がかかり隙間が埋まる。隙間が埋まると斜めに打ちつけていた目鎹が釘と重なり、音が鳴るのである。


「神隠しか……?」

「馬鹿な」


血の気を失った板倉は「こうしちゃおれん」と立ち上がる。しかし慶喜はそれを制した。


「あの太った小僧もいないとなれば、曲者に攫われた可能性は低い」

「と、申しますと」

「まさか…」


皆の視線が勝に向いた。

無論そこには「お前の小姓の仕業か」といった疑いの目である。


「如何するつもりだ。勝」


慶喜が睨み付ける。


「りょうが一緒であれば、御心配ありますまい」


しかし勝はニヤリと笑みを浮かべただけであった。




◇◇◇◇◇◇◇




市中



「女装をしたのは初めてだ」


家茂は気恥ずかしそうに頬を染めた。


「お似合いにございまする。道行く男どもが上様に恋をしておりまする」

「…恋?」


りょうは前方5メートル先の男を指差した。花や植木を売り歩く行商人らしく、こちらをボーっと見ながら立ち止まって動かない。


「あの男は妻帯者の35の男でございまするが、今離婚を決意したようでございまする」

「え…」

「ほら、あちらの男は恋仲が隣りにおりまするが、今別れを切り出しておりまする」

「何故そのようなことがわかるのだ?」

「前者は仕事に行く際、妻が持たせた洗いたての手拭いを足で踏み潰しておりまするし、後者はお揃いの組紐を地面に投げ捨てましたでございまする」

「……そ、そうか」


家茂は驚きつつ握る手に力を込めた。


「上様。御安心を。それがしめが命をかけても御守り致しまする」

「何を申すか。其方はまだ子供だ。何かあれば予が守り通す」


家茂はキッと男達を睨みつけ、りょうを引っ張ってどんどん先を歩き出した。しかしりょうは逆効果だと思った。何故なら睨みつけられた男達は皆揃ってキュン死してしまったからだ。


「せっかく来たのだから、何処かで食事でもしよう。予は今まで外で食したことがないのだ。…あの店はなんだろう」


家茂の視線の先に、紺色の暖簾がかかった店があった。


「あの店はクソ不味いことで有名な蕎麦屋にございまする」

「不味いのか」

「蕎麦というものは人と同じでございまする。若者の肌のように艶が無く、ザラザラとしている蕎麦は不味い蕎麦でありまする」

「詳しいのだな」

「食に関しては負け知らずにございまする」

「りょうはあの店に行ったことがあるのか?」

「ありませぬ」

「!」


知ったかぶりのりょうに家茂は言葉を失った。しかしりょうは飄々とした態度で通りを曲がると祗園方面へと歩を進める。


「祗園は尊王攘夷派の巣窟にございまする」

「危険なのではないか?」

「今の御姿では、誰も上様とは思われないでしょうから御安心下され」

「まあ…そうだが」

「それに、この辺りはそれがしめの縄張りにございまする。いかに過激な奴らがおろうとも、好き勝手に出来る場所ではございませぬ」

「縄張り…?」


りょうはさも当然とばかりに頷いた。


「上様には心から信用に値する者がおられまするか?」

「それは、………りょうだけだ」

「ありがたき幸せ。しかしそれがしめは上様を含み、この京にて数百の仲間がおりまする」

「なんと…それはまことか?」

「事実にございまする。今もそれがしめを守る為、仲間が常に見張っておるのでございまする」


りょうはピュウと口笛を吹いた。

すると目の前の柳の木がザワザワと揺れ動く。家茂は目を見張った。


「ホーホー」


枝からふわふわと姿を現したのは小さな梟だった。灰色の羽毛に包まれ、黄色の虹彩に黒い瞳孔、ところどころ褐色の細かい縞模様があり、一見可愛らしい面立ちである。


「仲間の"ひまちゃん"にございまする」

「ひまちゃん……変わった名だ」


ひまちゃんは家茂の肩に止まった。


「恐るべしひまちゃん!」


りょうは目を大きく見開く。

家茂は驚いて梟とりょうを交互に見た。


「上様の女装も見破られたご様子。実は彼女は非常に面食いでございまして、好みの殿方以外には目もくれませぬ」

「そ、そうなのか」

「ホーホー」

「"上様を御守り致しまする"と申しておりまする」


家茂は何と言っていいか迷ったが、頬に擦り寄るひまちゃんに愛おしさを感じた。


「ひまちゃん…感謝する」

「ホー」






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