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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
祇園の言霊
109/139


「あんたが小鞠の言うてた新入りか?」


手水場で桶に水を汲んでいた怜は、その声に後ろを振り返った。着崩れた薄紫の襦袢が妙に似合う、やたら色っぽい女である。


「後藤怜言います。宜すう」

「うちは"若柴"(わかしば)や」


細身ですらりと背の高く、小柄な紅花とは真逆のタイプだった。腰までの長い黒髪を高い位置で結い、そのまま前に垂れ流している。吊り目が特徴的で、他は至って普通だったが、化粧をすれば化けそうな顔立ちであった。


「悪いことは言わん。さっさとお家にお帰り」

「なんで?」

「紅花の話、お母はんから聞いたやろ?」

「うん、まあ」


若柴はゆっくりと怜に近付き、腰を下ろして目線を合わせた。


「あの娘はもうあかん」

「……」

「恨みっちゅうのは根深いんや。当人が死んでも、晴らさん限り生き続ける」

「と、言うことは、大坂の奥さんって死んだん?」

「最近な。ちょうど紅花がおかしなった頃や」

「へえ…。ほんならおねーさん"呪い"信じてるん?」


若柴は「はあ?」と当たり前のことを聞くなという顔でさらりと言った。


「そんなもん信じるかいな」


怜は「ん?」と首を傾げ、それに対して「ウチは現実主義なんや」と若柴が言って退ける。そして膝を叩いて立ち上がった。


「小っさい正義感は立派やと思うけど、あんたに出来ることは何もあらへん。命が惜しいんなら、さっさと出ていき」


正義感と言われればそれまでだ。

しかし怜が損得勘定無しで深入りすることは滅多とない。本質を知らない若柴が、怜に対してそういった認識を示すのは至極当然だが、怜はふと何かに気付かざるをえなかった。


「ちょっと待てよ……」


「フン」と鼻を鳴らし、背を向けた若柴に、怜は「アッ」と大声で呼びかけた。



「待って!キツネ目のお姉さん!!」

「誰がキツネ目や!!!」



◇◇◇◇◇◇◇



薄っすらと目を開いた先に、いつもの顔があった。


「姐はん、まだ起きたらあかん」

「小鞠…」

「昨日よりお顔の色が悪いわ…」

「お仕事は…?」

「ウチのことより、姐はんの方が心配や」


小鞠は甲斐甲斐しく首元まで布団をかけ直した。紅花は見慣れた天井を見て、また目を閉じる。瞼を動かすことすら、力を要するのだ。


「あれ?まだお仕事行ってなかったん?」


小さな子供の声が紅花の耳に届いた。そっと目を開けると、小鞠の隣りに髪を二つに束ねた女の子が桶を持って立っている。虚ろな意識の中で、この子供をどこかで見たような気がした。


「早よ支度しといで。遅れたらお母さんに怒られるよ?」


あまりの大人びた言い方に、紅花の顔が綻んだ。


「アンタに関係ないやろ!」

「関係ないけど邪魔やねん」

「なっ!!」


女の子はグイグイと小鞠を押し退け、紅花の枕元に桶を置く。ギリギリと歯をくいしばる小鞠に対し、涼しい顔でそこへ座った。


「姐はんに要らんことしたら許せへんから!」


バンッと襖が閉まると、天井からパラパラ木屑が舞う。女の子はそれをじーっと見つめていた。



「あんたは誰や…?」


紅花はか細い声で話しかけた。


「あ!起きたん!?」

「新しい"仕込み"はんか……?」


怜は「ううん」と頭を横に振った後、ぺこりと頭を下げた。


「後藤怜言います。宜すう。今日から紅花おねーちゃんのお世話をすることになったんよ」

「そうなん…?」

「顔色は悪くないねえ」


怜は紅花を観察しながら、桶の中に手拭いを浸した。


「お身体拭こか」

「え?」

「だって気持ち悪いでそう?」


当然とばかりに言う。

紅花は戸惑った。たしかにずっと風呂に入っていない。三日に一度はイネが身体を拭いてはくれるが……


「大丈夫や。お姉ちゃんは病やないから」


紅花はフッと息を吐く。


「呪い…やろ?」


怜は目を見開いた。


「みんなが噂してはるんよ……」

「お姉ちゃんも、呪いやと思うん?」

「どうやろ……」


肯定も否定もせず、紅花は目を閉じた。どちらでも良い、いや考えるのが億劫なのだろう。


「負けたらあかんよ」


怜の声を聞きながら、紅花はまた眠りについた。



◇◇◇◇◇◇◇



一年前


寂れた廃寺の境内は、不穏な空気が流れていた。火花を散らすのは、どちらも幼気な子供達である。一方はまだ歩き始めて間もない幼児。また一方は二桁に到達したくらいの少年である。


「この寺は俺らのもんや!出て行け!」


二名の少年の中で、肥えた少年が声を荒げた。対して、能面のように無表情な二歳児と、その後ろで隠れるように怯える五歳児。


怜と喜助である。


「れ、怜ちゃん…早よ行こ」


喜助は着物の袖を引っ張るが、怜はビクとも動かない。


「この寺は、誰のもんでもない」


怜は抑揚のない声できっぱりと言い切った。


「なんやと!?」


少年は一歩前進し、顎を突き出して威嚇する。怜はハァーと息を吐いた。


「近頃のガキはホンマに礼儀も知らんのやな」

「お前なんかもっとガキやないか!」


さもあろう。怜はまだ二歳である。


「痛い目見んとわからんらしいな」


後方からひょろりとした少年がポキポキと関節を鳴らしながら目の前に迫る。喜助が「ひっ!」と後ずさった。



「喜助は向こうに行っとき」


振り返りもせず指示を出すと、怜は袖を捲り上げる。完全に"ヤル気"であった。


「フン、チビのくせに度胸だけは認めたるわ」


少年は怜が態勢を整える前に頭を掴んだ。更に手加減もせず、力任せに横に薙ぎ倒す。地面に身体を思いっきりぶつけて、怜は唸った。


「いったぁ…」

「怜ちゃん!」


喜助は思わず駆け寄り、怜を起こした。


「だ、大丈夫?」

「油断したわ」


地面を擦った所為で、手と足には結構な擦り傷が出来ている。この廃寺は本堂も庫裏も参道も、そこに植樹された木々さえ整備されてはいない。よって境内も土の中に大小様々な石が混在しており、草履で駆け回るこの時代、怪我をしない方が難しいほどである。


「お?何やこれ…」


二人が立ち上がり、着物の土を払っていると、太った少年が何かを拾い上げた。


「金子や!こいつめちゃくちゃ金持っとる!」


怜はギョッとして着物の袖を確認したが、案の定というべきか袖の中に入れていた小さな巾着がない。怜は二人に駆け寄った。


「私のお金や!返して!」


少年は巾着を持つ腕を高く上げる。

当然怜には届かなかったが、それでもぴょんぴょんと飛び跳ねた。


「取れるもんなら取ってみい」

「返せー!」


怜は怒りのあまり思わず少年に飛び込んだ。周りを確認することも忘れていた。そこにはちょうど石段があって、大人であればなんということもない段数だったが、二歳の子供にとっては危険としかいえない高さだった。


「怜ちゃん!!危ない!」


振り払われた怜の身体は宙を舞った。

怜の視界は真っ青な空しか見えず、喜助の声も、風の音も、全て掻き消えて、その耳には届かなかった。






「怜ちゃん!」


目が醒めると、目の前に喜助がいた。

真っ赤な顔は涙でぐちゃぐちゃである。


「喜助…」

「良かった!気がついて良かった!」

「ここは…?」


怜は身体を起こして、ふと自分が誰かの腕の中にいると気付いた。


「頭、ちょっとコブが出来とるけど心配せんでええよ。直ぐ引くから」


肌が白く、綺麗な目をした美しい少女だった。


「このお姉さんが助けてくれたんや!」

「おおきに…」


怜が恥ずかしそうに身じろぎすると、少女は微笑のまま首を振る。後頭部には濡れた手巾が当てられ、まだ少しズキズキするものの、他に大きな怪我はないようだった。


「あ!!そうや!私のお金は!?」


怜はハッと我に返った。


「あいつらに取られた…」


喜助の言葉に怜は脱力する。

それと同時に、涙が込み上げた。


「私のお金…せっかく貯めたのに……

う、うっ……うわあぁああぁんっ」

「うわあぁーん!怜ちゃんごめんなぁー!」


何故か同じように泣き出す喜助。


「ほらほら二人とも、泣かんと」


少女は怜と喜助の背を優しく撫でた。


「だって…」

「悪いことしたら、いつか天罰が下るんよ」

「……あいつらにも天罰下る?」

「そうやねぇ」

「ほんまに?」

「あのまま変わらんかったらね」

「今度会うたら、めちゃくちゃにやっつけたる…」


少女は怜の涙を拭く。


「力で勝つより、心で勝たなあかん」

「僕も強くなりたい…」


今度は喜助に微笑みかけた。


「一番重要なんは、弱い自分に勝つことなんよ」

「弱い自分?」


「そう」と少女は頷く。



「自分に負けたらあかんのよ?」




◇◇◇◇◇◇◇




ああ…思い出した……



確かにあの時の……



あの時の女の子ーーーーー




◇◇◇◇◇◇◇



「だからウチ子供嫌いやねん。自分勝手やし空気も読まへんし人の話は聞かへんし」

「わかるぅ。私も苦手やねん」

「アンタのことやァア!」


若柴はカッと目を見開いた。


怜は若柴の部屋に(無理矢理)お邪魔していた。室内は整理整頓されており、特に余計なものは何もない。変わった物といえば小さな棚が隅の方にあり、草双紙(娯楽本)がいくつか並んでいることくらいだ。


「人のもんに触らんといて」


怜がその中の一冊に手を伸ばすと、若柴は雷神の如く立ちはだかる。怜は肩を竦めて座布団の上に座った。


「ほんで、何や。聞きたいことって」

「さっきの話やけど、紅花ねえちゃんって、自分の生い立ち知っとるん?」


若柴は腕を組んで怜をちらりと見た。


「知るわけないやろ」

「ほんなら何でお姉さん知っとるん?」


若柴は馬鹿にしたように鼻で笑う。


「さあ~ね~」

「……ま、えーわ。おおかた昔の客やった爺ィから聞いたんやろ」


若紫はあんぐりと口を開いた。


「……子供の癖に鋭いな」


若柴は怜がかなり変わった子供であることに漸く気付いた。たかが三歳で大人と対等に渡り合える子供などそうそういない。呉服屋の内弟子と聞いたが、そういう雰囲気も皆無であったし、医者のたまごとも聞いたが、そもそも三歳では"たまご"どころか見習い弟子にもなれないだろう。


若柴は値踏みするかのようにまじまじと怜を見つめた後、肩の力を抜いて口を開いた。


「母親は嶋原の太夫になるくらいの人やったからねぇ。昔の馴染み客が覚えてはったのもなんら不思議な話やないわ」

「よほど似とるんやね」

「瓜二つや言うとったわ」


怜は「ふうん」と軽く頷いた後、いきなり吹き出した。


「な、なんやの。突然わろて」

「お姉さんって、……ププ…」


若柴は怪訝な表情で怜を見た。


「紅花ねえちゃんのこと好きなんやね」

「はあ!?」

「だってそうやろ?プププ…」

「なんでウチが…!」

「じゃなかったら、紅花ねえちゃんのこと調べたりせんし」

「!」

「大坂の奥さんが"死んでる"とか、恨み嫉みがどうとか……そんなん調べなわからんことや」


言い切った怜に、若柴は一瞬言葉が出なかった。「鋭い」なんてものではない。子供ではあり得ない洞察力だ。


「……ウチと紅花は小さい頃から姉妹みたいに育ったからな」


二人は何をするにもいつも一緒だった。遊ぶ時も風呂に入る時もいたずらする時も、そして怒られる時も。

姐さん達の真似をして姉妹の盃を交わし、この姉妹関係を生涯続けようと誓った。


「あの子が来るまでは…」


若柴はぽつりと呟く。

小鞠がここへ来てから、二人の関係は大きく変わってしまった。いや二人だけではない。他の芸妓や見習いの少女達も、同様にバラバラになってしまったのだ。


「おかしいと思ったんや。まるでウチのこと目の敵にして」


だから馴染みの客に頼んで小鞠を調べさせた。そうしたらーーー


「あの子"大坂生まれ"やね」

「な、なんでわかるんや」

「ちょっとした発音やよ。あの子怒った時"素"が出るもん」


"あの子"って…アンタより歳上や!と喉まで出かかったが、若柴は我慢した。


「……小鞠ちゃんは"本妻"の娘?」


若柴はふるりと首を振る。


「当たり、と言いたいとこやけど、少し違う」

「違う?」


若柴は一旦息を整えた。


「……あの子も太夫の娘や」




◇◇◇◇◇◇◇




長い睫毛が濡れていた。

一つに束ねた黒髪が、豊かな胸元に流れ、静かに上下している。


「お仕事…終わったん?」


小鞠はぴくりと肩を揺らした。


「……起きてはったん?」

「さっき起きたところや」

「あの子は?」

「怜、ちゃんか?」


小鞠の胸がきしりと音を立てた。


「夕餉に行きはったわ」

「もう!!紅花姐はんのことほったらかしにして!」

「大丈夫や。今日は気分がええから」

「何言うてはるん!昨日より顔色悪いやんか!血の気もないし、肌もカサカサやし!」

「そう…?」


紅花の瞳が揺らぐ。

憂いを帯びた眼差しが、小鞠の心を鎮めるのだ。


「大丈夫。姐はんはウチが守ってあげるから」


紅花は微笑む。

この瞬間が好きだった。




◇◇◇◇◇、。




「あの話には続きがあるんや」


若柴は煙管の先を火入れに近付け火を付ける。「ほう…」と息を吐いて怜の方へと向き直った。


「紅花が二歳の時、つまり父親が殺された時、太夫のお腹の中には小鞠がおった。太夫が小鞠を産んだ時、ちょうど本妻が二人とも引き取る言うて揉めとったんやけど……太夫が殺されてしばらく経ったある日、小鞠だけが"何者か"に拐われたんや」

「玄人の犯行やね…」


当時いくら嶋原が開放的であったとしても、一つの置屋から乳児を連れ出すことは容易ではない。特に夭華楼は嶋原内では大店であり、用心棒の数も他とは規模が違うのだ。


「その時紅花は"紅葉"っていう芸妓とお茶屋に遊びに出かけとって難を逃れたんや」


その紅葉こそが京屋の女将・イネに違いないと怜は思った。


「小鞠がどういう風に育てられたんかは知らん。本妻が恨みを晴らすために送り込んだんかもしれん。小鞠自身が本当の姉やとわかってるんかどうかは知らんけど。でも……」

「でも?」




「小鞠はシロや」



若柴はきっぱりと言い切った。







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