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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
祇園の言霊
108/139

2



"京屋"の女将・イネは見るからに憔悴し切っていた。けれど、表向き"見舞い"と称してやって来た二人を嫌な顔一つせず出迎えてくれる。


「ご丁寧におおきに」


通された客間を珍しげに見ていた怜の前に、若い娘が茶を差し出した。まだ十かそこらの"仕込み"と呼ばれる子供である。


今の時間帯、仕込み以外の見習いや芸妓らは、ほとんどが就寝中である。微かに三味線の音色が聞こえてくるのはお稽古中なのだろう。


「紅花はんの具合、どないです?」


呉服屋の女将の問いに、イネは重々しく首を横に振った。


「気丈な娘やったのに、もう…いつ命が消えてもおかしない状態どすわ」

「そんなに悪いんですの?」

「寝とるんか気失っとるんかわかりまへん。食事もままなりまへんし、日に日に痩せてしもうてね…」


イネは目に涙を浮かべ、格子の向こうへと目をやる。女将と怜は痛ましげに視線を交わした。


「ウチら勝手な大人の都合で、紅花を無理させたんかもしれへんねぇ……」


イネはそう呟いてふっと息を吐いた。


「あの子はね、ウチが世話になった姐はんの娘なんどす」

「ねえさん?」

「血の繋がりはありまへん。ウチと姉妹の盃を交わしたお方で、"夭華楼(ようかろう)"の太夫をやっとりました」

「夭華楼いうたら嶋原の…」

「当時、ウチも主人もそちらで働いとりました。主人は傘持ちで、ウチはしがない芸妓やったんやけど、姐はん方に可愛がられて、辛いもんも辛くはなくて」


イネは記憶を探るように、どこか視線を彷徨わせた。


「あのお方は、それはもう美しいお方でした。みんなの憧れの的やった…」

「ほんなら、そのお人が?」

「へぇ。紅花の本当のお母上様どす。旦那はんは当時大坂で三本の指に入る豪商人で、それはもう周りも呆れるほど愛し合っとりました。そのうち身請けされたんやけど、本妻はんが気性の荒いお人でね。あちらでは相当酷い目におうたらしいですわ。せやけど旦那はんの寵愛は変わりまへんでした。それがまた本妻はんを暴走させる原因になってしもたんやけどねぇ」


そんな時、紅花が生まれた。

父親と本妻の間に子はいなかったというから、風当たりは相当なものだろう。


「紅花が一歳になった頃、旦那はんが賊に襲われましてね」

「ええ!?」

「夜、紅花がむずがって姐はんが厠へ連れて行ってる隙に」

「ほんなら旦那はんは…」


イネはゆっくり頷いた。


「滅多刺し、いう話ですわ」

「なんとむごい…」

「おそらく本妻はんの仕業やろうと、ウチらの間ではそういう認識でした。ただ事切れる前に旦那はんの"逃げろ"言う叫び声が聞こえて、着の身着のままで紅花を連れて家を飛び出したもんやから、犯人の顔も見てまへんし、迂闊なことは言われへんのやけどね。とにかくその後は新町の知り合いに身を寄せたようやけど、いつまでも迷惑かけるわけにもいかんし、そやから言うて大坂におっても、幼子抱えとったら身動きも出来まへんから、結局また嶋原へ戻ってきたんどす」


幼子を連れ、逃げるように京へ戻った母親の心境は如何許りか。愛する夫を失い、悲しみに浸る暇も無かっただろう。


「あれはお仕事帰りのことでした」


紅花の母親を含む五人は、揚屋から夭華楼へと続く"通り"を並んで歩く。嶋原の掛行灯は夜の帳が下りてもなお道を明るく照らしていた。


「物陰から、三人の男が現れて……」


それは突然のことだった。

用心棒の男衆が応戦し、その隙に女達は散り散りに逃げ回る。イネは紅花の母親と手に手を取って逃げ出したが、直ぐに追い付かれた。


「あの男らは最初から姐はんだけを狙っとりました」


イネは唇を噛み締めた。


「ウチには目もくれんかった…」


紅花の母親は抵抗らしい抵抗も出来ず、イネの目の前で全身を何十箇所も刺されて息絶えた。男らは逃走し未だ行方知れず。役人らも手は尽くしたものの、最終的には"痴情のもつれ"として片付けられ、事件は迷宮入りとなった。


「でも、ウチらはわかっとります。犯人はあの本妻はんに違いありまへん」


しかし本妻に疑惑の目がいったとしても、犯人が捕まらない以上どうすることも出来ない。むしろ、それとばかりに紅花の引き取りを申し出たという。


「息を引き取る前……姐はんは言いました。"紅花を頼む"…と……」


イネは肩を震わせ、嗚咽を漏らした。

女将は慌ててイネの背中を摩りながら、手巾で涙を拭う。血の繋がりが無いとはいえ、誰よりも慕っていた姐を目の前で失ってしまったのだ。その悲しみと悔しさは想像に難しくはなかった。


「つらいこと思い出させてすんまへん…」

「…いいえ。いい歳した大人がお恥ずかしい」


その後イネは夭華楼の楼主らとも相談し、紅花は流行り病で命を落としたと偽った。そして一先ず嶋原から出し、孤児として寺へ預けたのだ。全ては本妻から逃れる為であった。


「この店は夭華楼から暖簾分けさせてもろたんどす。ウチが所帯を持ったのも、紅花を引き取るためやった」

「そうやったんですか…」

「来年、夭華楼に出すつもりやったんどす。あちらの楼主はんとも話はついとるし」

「紅花はんはこの事を?」

「いいえ。あの娘は何も知りまへん。ただ嶋原はこちらと違って格がありますやろ?客も由緒ある家柄の方々ばかりやし、特に夭華楼はあんな事があってから客への監察を厳しくしはってね、おいそれと近付くことも出来しまへんし」

「確かにあちらは御役人や武士、身元のはっきりした方が多いと聞きますわ。名も無い流浪人は門前払いやとか」

「ほとんどの店は一見お断りやから、こちらとは根本から違うんどす」


簡単に言うと名のある金持ちは嶋原、一般人は祇園や先斗町、上七軒を利用するのが通説であった。


「紅花は姐はんによう似とる。こんな所で埋もれたら勿体ない娘や……」


イネが独り言のように呟いたそこへ、ドタドタと足音がして、勢いよく襖が開いた。


「お母はん!呉服屋はん来るってホンマ!?」

「これ、小鞠。お行儀の悪い」

「あ、ごめんなさい。もういはったんや」


小鞠はペロリと舌を出して直ぐ様腰を下ろすと、丁寧に頭を下げた。


「見世出しして間もない娘やから堪忍しておくれやす」


イネは小鞠に向き直った。


「今日はお仕事で来はったんと違う。紅花の見舞いで来てくれはったんや」

「それは…ごめんなさい」

「いえいえ」


申し訳なさそうに眉を下げ、畳に額が付くほどこうべを垂れる。まだあどけなさが残る少女は起床したばかりのようで、髪も襦袢もめちゃくちゃだった。


「あの、良かったら……姐はんのお部屋へ案内しましょか?」

「いえ、もうお暇しますから」


いくらお見舞いに来たからといって、あくまで女将にとって紅花は客である。相手がハツであればそれも失礼にならないだろうが、さすがにその言葉に甘えはしなかった。しかし……



「ほんなら私が行ってくるわ」

「れ、怜ちゃん!?」


怜に『遠慮』という信条はない。


「女将はんもどうぞ。お着物新調する言うたら、もしかして元気が出るかもしれまへんし」

「...ほんならお顔だけ」


紅花の部屋は階段を上って直ぐの場所だった。中は朝だというのに夜のように暗い。格子窓には大きな布が掛けられて、光を遮断していた。


「紅花」


イネは枕元に座り静かに声をかけた。その隣りに小鞠も並び、同じように話しかける。


「紅花姐はん、お客はん来はったよ?」


怜と女将は布団を挟んで向かい合うように座り、なんの反応も見せない紅花を見つめた。青白い顔は血の通わぬ人形のようだ。まだ少女のはずなのにやけに老いて見える。


「痛々しゅうて、ウチ見てられへんわ…」


女将は涙を堪えて俯き、肩を震わせる。怜は前屈みになって寝息を確認すると、ホッと胸を撫で下ろしてイネに質問した。


「ここは一人部屋?」

「ええ。一人前の芸妓はみんな一人部屋で、見習いや仕込みは大部屋で生活しとるんですよ」

「紅花姉ちゃんの面倒は誰が見とるん?」

「お仕事無い時は小鞠が見てくれて、他はうちと主人が交代で。言うてもほとんど寝とるからねぇ」


イネは手元にあった鈴を差し出した。


「なんかあったらこの鈴を鳴らすように言うとるんよ。四六時中そばにおることも出来まへんし、お仕事放ったらかしにも出来しまへんから…」


怜はふむふむと頷いて、少々無作法であったが、そっと額に手を置いた。


「熱はないんやね」

「ええ。たまに咳はしはるけど」

「そうやろね」

「え…?」


怜は何でも無いという風に、さらりと言った。


「わたし、こう見えても医者(いさ)たまごやねん」


驚きに声を上げたのは女将であった。


「はぁ!?」


しかし怜は返事も聞かずに布団をめくる。


「ちょっと触らせてもらうよ」


慣れた手付きで細腕を取り、脈を測る怜。胸に耳を当て心音を確認した後、布団を戻した。更に足元に移動し、またも布団をめくると、足をマッサージするかのように何度か揉む。再び布団を戻すと、今度はすっくと立ち上がり、スタスタと格子窓へ移動した。


「この布剥がしていい?こんな暗い部屋では、病やなくても病気になってしまうわ」


イネと女将は言葉を失ったまま動けなかった。怜はそれを肯定と受け取って布を引っ張る。


「待って!」


一番最初に我に返ったのは小鞠だった。


「いきなり勝手なことせんといて!」


小鞠が腕を掴むが、怜はそれを振り払った。


「この部屋、随分乾いとるね」

「え?」

「乾燥してるから咳が出るんよ。あ、そーや。ねーちゃん水持ってきて」


怜は小鞠に指図した。


「な、なんでウチが…っ!」


女将は悲痛な声を上げる。


「怜ちゃん!失礼なこと言うたらあかん!」


しかし怜は至って真剣な表情で向き直り、


「だって、助けたいでそう?」


怜はイネを真っ直ぐと見た。

その物言いは大人が子供に問いかけるように優しく、そして厳しい。


「このお姉ちゃん、助けたくないの?」


三つとは思えぬ幼子は、威圧感すら漂わせている。誰が聞いても小さな子供の言葉ではない。


「お姉ちゃんが死んでもええの?」


ただ声色だけは可愛らしい子供のそれだった。


「そ、……そんなん…」


イネは耐えきれず顔を両手で覆った。


「死んでええわけないやないの!」


一番辛かったのはきっと彼女だったに違いない。どうしてやることも出来ない不甲斐なさと、日々弱っていく紅花に焦燥感だけが募っていく。今、目の前で泣き崩れるイネの姿は、母の立場そのものだった。


「大丈夫」


怜の言葉に、イネはハッと顔を上げた。


「私が、絶対死なせたりせんからね」


自信満々に怜は言うと、布を引っ張った。ビリリと布が避ける音が響き、格子窓から光が落ちる。眩しさに一瞬目を細めた怜だったが、一気に剥がそうと手に力を込めた。そこへ


「お母はん!!」


小鞠がイネの肩を掴んだ。


「お母はん!!こんな小っさい子供に好き勝手させてええん!?」

「……小鞠、落ち着きなさい」

「子供なんかに治せるわけあらへん!医者でも無理やったのに!」

「小鞠…」


怜は布を女将に押し付けて、小鞠の前に立ちはだかった。


「ねーちゃん」

「な、なんなん!?」

「諦めたら…」


怒りのような表情に小鞠は思わず怯む。


「そこで試合終了(しあいすーろー)やよ」


子供に言い聞かせるように、小鞠の頭をポンポンと軽く叩く三つの幼子。

打って変わって満面の笑みであった。



◇◇◇◇◇◇◇



後藤家


「ちゅうわけでね、怜ちゃんあちらさんでしばらく住み込む言うてきかへん」

「…あの子はホンマに何考えとるんやろ」

「けど、えらい女将はんに気に入られてしもてなぁ」


呉服屋の女将はハツの前で風呂敷を広げた。


「これは?」

「あちらさんからの頂き物や。幕府御用達の剣菱やて」(※日本酒)

「幕府御用達ぅぅう!?」

「ハ、ハツはん?」

「ええよええよ!あんたややこしい娘で良かったら、何日でも預かって!」

「………」


ハツは"幕府御用達"や"皇室御用達"に弱い人種である。







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