102
「キョ〜キョ〜」
鈴木氏がご機嫌で歌を口ずさんでいると、ちょうど八坂神社に差し掛かったところで、前から一人の男が歩いてきた。
「よう総司」
「あー、誰かと思ったら、この前衆道親父に散々飲まされて酔っ払った挙句、朝起きたら丸裸にされていた土方さんじゃないですかー」
通りすがりの女達がヒソヒソと囁き合った。
「あの人衆道ですって。やだわぁ」
「丸裸って、…これは確定ね」
土方はふるふると肩を震わせ沖田の胸倉を掴む。
「てめえ…っ!」
「まあ落ちついて」
「誰のせいだっ!」
沖田は悪びれもせず、にっこり微笑んだ。
「鳥さん復活したんだ」
「キョキョ」(まあな)
「えらく懐いてるよねえ」
「キョキョキョキョ」(懐かれてんだ)
「そうなの?土方さんって許容範囲広過ぎない?」
「…お前、こいつの言葉がわかるのか?」
「わかるでしょ普通」
「……えっ」
沖田はさらりと言うが、普通の人は鳥の言葉などわからない。土方はどうせまたいつもの軽口だろうと決め付けて、チッと舌打ちすると掴んだ胸倉を押した。
「ところでお前はこんな朝早くから何してんだ」
「ちょっと用事で宮川さんの家にお邪魔していたんです」
「……お前まさか」
「勿論手加減しましたよ。僕は優しいからね」
沖田はニコッと天使のようた笑顔を見せると、土方は溜め息をついた。
沖田総司は18才である。
九つの頃、近藤周助の内弟子となり、今は塾頭を務めている。見かけはなかなかの美青年だが、竹刀を持った時は非常に恐ろしい男で、本気を出せば近藤勇すら太刀打ち出来ないと噂されるほどだ。
しかし普段の彼の姿はーーーーー
「アレはまだ十一歳だぞ!」
「立派な子供じゃないですか」
「"立派な子供"の意味がわからねえっ」
「土方さん。心配には及びません。彼はちゃんとわかってくれましたから」
「一体ヤツは"何"をしたんだ…」
「僕の袴に泥をかけたんですよ」
「……わざとか?」
「まさか。それだったら命はないです」
「だよな…」
そう。普段の沖田はもっと酷かった。
因みに身体に叩き込ませるような非道な真似はしない。
「昨晩から親御さんも交えて"話し合い"をしたので、僕寝てないんですよね」
つまり、精神的に追い詰めることを得意としている。試衛館の面々はそれを"狂気の剣"と呼び、沖田と竹刀を交えるより恐れているのだ。
「帰って寝ろ」
「てか、今から仕事?」
「付いてくるなよ。お前が来たらロクなことがねえ」
土方はシッシッと手を振って追い払うと、再び歩き出した。
「手伝いますよ」
「来るな。絶対来るな」
「そんな冷たいこと言っていいんですかね」
「……何?」
「前に、しつこい女から土方さんを助けてあげたのを忘れたんですね」
「二年前の話じゃねえか!」
「一度や二度じゃありませんよ」
「ぐっ…!」
「千代さんの時は命すら助けてあげたというのに」
土方は以前、魚屋の娘に言い寄られていた。千代は現代で言うところの"ストーカー"と"メンヘラ"が複雑に絡み合った女だ。
いくら断っても、どんなに冷たくしても毎日土方の後をつけ、毎日恋文を送ってくるのだ。それは徐々にエスカレートしていき、最終的には命を狙われるほどになった。
「貴方を殺して私も死ぬわ」という自分勝手な心理である。さすがに女に手を出すことも出来ず、いよいよ"刺される"段になって、沖田が偶然にも現れた。(本当は面白がって木の陰から見ていたのだが)
『土方さんを殺すのは貴方の勝手ですが、僕は土方さんにお金を貸しているんです。それを貴女が代わりに払ってくれるんでしょうね?
ーー金額ですか?五十両です。
ーー払えない?払えなかったら花街にでも行けばいいじゃないですか。もっとも貴女の場合、一晩三十文くらいの価値しかないと思いますけど。
ーー自分の価値をわかっていないんですね。可哀想に。
ーーですが安心して下さい。世の中には物好きがいるんですよ。
ーーさあ良い店を紹介してあげますから行きましょう。あ、先に土方さんを殺して下さいね。ここで待っていますから』
女は土方を見て、そして沖田を見て、また土方を見て叫んだ。
『なんで私が借金の肩代わりなんかしないといけないのよ!!自分で働いて返しなさいよ!!ほんと顔だけの男ってやーね!最低!バーカ!!』
走り去る女の後ろ姿を見て、土方は嬉しさよりも、悲しみの方が大きかったのは言うまでもない。
「邪魔だけはするなよ……」
「はーい!」
「キョキョ」
とうとう土方は陥落した。
◇◇◇◇◇◇◇
小栗家
「祭り!?」
「そうよ。お父様が連れて行って下さるのですって」
「ほんまに!?」
「本当だとも!」
寝れば忘れるタチの怜は、早乙女のことなどすっかり忘れて満面の笑みで小栗に飛び付いた。
「どんなお店があるん?」
「屋台もお芝居もあるらしい。きっと楽しいよ?」
「わあーい!」
「五郎も一緒に行こう」
「はい!」
「おおきにー!お父様!」
お祭り好きの怜は、ありとあらゆる京の祭りを網羅している。"祭り案内"なる手引書を出版したいと思っているほどだ。
「せっかくだから浴衣を着ましょうね」
「うん!」
怜は道子に手を引かれて居間を出た。
小栗は嬉しそうな怜を見ながらフッと笑みをこぼした。
「なんだかんだ言っても怜はまだ幼い。無理矢理ねじ込んでも反動の方が大きいのだろうね」
「怜は頭が良いですから、自分で良し悪しを判断する能力はあります。先生のご心配もわかりますが、怜は強いですから」
「そうだね。人から妬まれたり意地悪をされても、臆することのないあの強かさが"怜らしさ"なのだろう。ただ、この先数々の危険に晒されるかもしれないが、その時は……」
「先生。僕も出来る限り怜を守ります」
「ありがとう五郎」
小栗の中で怜という存在は、日に日に大きくなっていた。もちろんそれは家定公の娘という意味もあるが、それだけではなかった。もちろん小松との会談での怜への感情は今でも変わらない。
もしもこの先、怜によって幕府が危機を迎えてしまうようなことがあれば、この手を汚してでも、いや、道連れにしてでも阻止せねばならないのだ。
願わくば、このまま平穏に心安らかに成長してほしい。寝た子を起こすような真似だけはさせてはならないのだから。
◇◇◇◇◇◇◇
「またね、歳さん」
「ありがとうよ」
薬問屋を出ると、沖田と鈴木君が嬉しそうに駆けてきた。
「土方さん!祭りですよ!祭り!」
「キョキョー!」
指をさした方向に、神社の屋根らしき先端が見えた。どおりでもう夕方だというのに人が多いわけだ。
「ていうか、お前飼い主の所に帰らねえのか?」
「キョキョ!」
沖田は腕を組んで感心したように頷く。
「そうなんだ。君って律儀なんだね」
「な、なんて言ったんだ?」
「まだ助けてくれた御礼をしていないってさ」
「……鳥」
「キョキョーキョ」
「祭りに連れて行ってくれたら御礼するって」
土方は微妙な顔付きになった。
この鳥は何故上から目線なのだろう。動物は飼い主に似るというが、おそらくこの鳥の飼い主は傲慢で野心家で、自尊心の高い男に違いない。と土方は思った。(因みに性別以外は間違っていないと思われる)
「御礼は不要だ。帰るぞ」
土方は二人のことなど無視して歩き出した。
実家の手伝い+小遣い稼ぎの為に行商している土方だが、道端で売り歩いているわけではなく、得意先回りが基本である。無論、客から声がかかれば売ることもあるが、本来石田散薬は骨折や捻挫、筋肉痛などに効果があり、一般家庭より薬問屋に卸したり、道場などに行った方が売れるのだ。
「えーー!祭りに行きましょうよ!」
「馬鹿野郎。誰のせいでこんな時間になっちまったと思ってんだ。結局半分も売りに行けなかったんだ。また兄貴に文句言われるんだぞ。それにそろそろ近藤さんが向こうに着いてる頃だ。遊んでる暇はねえ」
一旦実家に帰りその後佐藤家に行く予定だったのに、二人のせい(主に寄り道)で全く捗らなかった。土方は少々苛つきながらも「早くしろ」と二人を促した。
「じゃあ祭りに行って残った薬売り捌いたらいいじゃないですか」
「はあ!??」
「これだけ人がいるし、多分売れるでしょ」
「いやしかし…」
「半刻くらいだったらどうにでもなるって。ね?行きましょうよ」
「キョキョ~」
「鳥も手伝うって」
「……」
確かに売れるかもしれないと思った。
祭りとなると人々は浮かれ過ぎて財布の紐が緩くなる。特に酒飲みの中年男は頭も緩いもんだから、上手い言葉で持ち上げれば大量に買ってくれるかもしれない。
「行くぞ!」
「おー!」
「キョキョー!」
土方はまんまと口車に乗せられた。
◇◇◇◇◇◇◇
神社に続く参道は、両端にずらりと屋台が並んでいた。元々大きな寺社などでは、境内に茶屋や蕎麦屋などの料理屋が存在するが、祭りとなれば天麩羅屋、寿司屋、団子屋なども集まり、更にはくじ引き、射的などの遊戯店やお面屋、風鈴屋、金物屋など様々な露店が集まるのである。
怜と東郷は団子を食べながら手を繋いで歩いていた。とにかく人が多く、なかなか前に進めないのだ。万が一迷子にでもなった場合は、神社の本殿前に集合と小栗に言われたが、これだけ多いと本殿に辿り着けるか心配だった。
とはいえ、心配しているのは東郷だけで、必死で小栗の背中を追いながら、怜を引っ張っている状況である。小栗はと言えば、道子と手を繋いで歩いているのが見えたが、完全に鼻の下が伸びていた。
「まさかこんなに人がいるとは思わなかったよ」
「江戸人はお祭り好きなんよ。"祭り"と聞いたらどんなに遠い場所でも行くねん」
「そうなんだ」
「特に妻に尻敷かれてる男は八割行く。何故なら、そういう時しか憂さ晴らしできへんからね。ほら見てみ。この人らがそうや」
怜は通り過ぎ間に男三人の集団を見た。男達は祭りの為に備え付けられた木の長椅子に腰を下ろしている。
「祭りやからいつもより少し多めにお小遣い貰たんやろな。そやけど帰る時に嫁さんに手土産の一つでも持って帰らなあかんから、"ちょっと一発大穴でも当てたろかー"言うて射的してみたんやけど、全く当たらず意気消沈しとる」
怜の言葉に男達はわかりやすくうな垂れた。
「れ、怜…やめなよ」
「大丈夫大丈夫。女なんて単純やから"綺麗"と"可愛い"を連発しとったら機嫌も良くなる」
三人の男はパッと顔を上げた。
そして尊敬の眼差しで怜を見た後、椅子から立ち上がる。怜はこくりと頷いた。
「頑張りや。あんたら」
「怜!」
思わず止めに入った東郷だったが、
「恩に切る!」
男達は一斉に走り出した。
東郷は溜め息をついて振り返る。
「怜、また先生に怒られ…」
しかし怜の興味は次に移っていた。
「あれ欲しい!」
「え?」
怜は黄色の暖簾がかかった店を指差した。
「で、でも先生が…」
「だってもう先に行ってしもてるし」
「あ…ほんとだ……いない」
「後で合流したらええよ。行こ」
「ちょっ…」
怜は人波を掻き分け斜めに進んで行く。東郷は慌てて浴衣を掴んで後ろを付いていった。
とその時、突然東郷が後ろに引っ張られた。「わっ!?」と声を上げて倒れかけた彼を寸前で受け止めたのは若い男で、人波から避けるように東郷を脇に誘導した。
「大丈夫か?」
「す、すみません!」
「いや、こっちこそすまねえ」
東郷は男を見た瞬間、目を丸くした。
いや男自身では無く、その頭の上である。
「キョキョ」(よう東郷)
「鈴木君!?」
男の頭の上には、悠々と鎮座する夜鷹がいた。
一方怜はというと「退け退け~」などと言いながら、手を繋いだまま前へ前へ進んでいた。そしてようやく辿り着いた先はお面屋さん。
「おっちゃん。そのお面ちょうだい」
「へい。この狐のお面で?」
「黒い方な」
「へい。お一つで?」
「五郎君もいる?」
怜は後ろを振り返った。
「そうですね~僕はどれにしようかな」
しかし、目の前にいたのは彼ではなく、もちろん彼だと思って手を繋いでいたのも彼ではなく……
全く会ったこともない見知らぬ男が怜の目の前に立っていた。
「じゃあ僕はこっちの白い方で」
にっこり微笑んだ男を見て、怜は小首傾げた。
「もちろんお兄さんの奢りやんな?」
怜と沖田の初対面であった。