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幕末スイカガール  作者: 空良えふ
第一章
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101

不快な表現あり注意です。



「ひゃーはははっ!あかんっ!もう死ぬ!ヒャヒャヒャーー!」


怜は道端で腹を抱えて笑い転げていた。


「お、お嬢様!こんなところで」

「ヒーヒッヒヒヒ!アホや!あのババァは底無しのアホやァァァ!!」


側から見れば怜の方が底無しのアホだった。


下僕は半泣きで怜を諌めつつ、周囲に「すみませんすみません!」と謝罪する。一体このお嬢様は何がそんなに可笑しいのだろうか。と思いながら、何とか怜を立たせてロバに乗せた。


「ヒー…」

「あっ、ごめんな、ぼーちゃん。今日はめっちゃ楽しいことがあったんよ」


楽しいこととは、もちろん早乙女姫子のことであった。あの後早乙女は気が触れたように大暴れをし、家中のものを破壊し始めた。怜は「大丈夫ですか?」などと心配そうなフリをしながら内弟子らに気付かれぬよう耳元で暴言を吐きまくった。そのおかげ(?)でとうとう早乙女は寝込んでしまったのだ。


つまり先程のあの不気味な声は怜自身が発したものであり、いわゆる腹話術を使ったのであった。怜の特技とも言える腹話術は、前世でも友人の前で披露するほど完璧だった。全く口を動かさず、はっきりと言葉を発することが出来る。更に素人が行う腹話術は高音を出すのが一般的だが、怜は低音も得意だった。しかも時間差芸まで習得しているから、これくらいのことは朝飯前なのである。


「あー、もう最高や」


何とか笑いが治った怜は涙を拭きながらロバの背中を撫でた。


「お嬢様、これからどちらへ?」

「えーと、畑に行きたいんやけど」

「畑、ですか?」

「うん。その為にぼーちゃんに迎えに来てもらったんよ」

「では案内します」


怜はにやりとした。


「まだまだこんなもんやない。私の恨みは根深いんやから。早乙女姫子、首を洗って待つがよい!!」

「お嬢様、おやめください」



◇◇◇◇◇◇◇




一方、小栗と東郷は早乙女指南所へ向かっていたのだが、ふと前に視線をやると、ロバに乗った怜を発見した。


「おや?あれは…」

「あっ…怜…」


東郷は一瞬走りかけて、小栗に腕を掴まれた。


「なんだか様子がおかしい」

「え?」

「まだ稽古中のはずなのに、何故今頃」

「早く終わったんじゃないですか?」

「だが、家とは逆方向に向かっている」


小栗は腕を組んで考えた。

一体何処へ行こうとしているのか。逃げ出した風でもないが、何となく気になる。


「こっそり後をつけてみよう」

「は、はい」


二人は距離を取って怜の後を追ったのだった。




◇◇◇◇◇◇◇



しばらく歩けばそこには田園風景が広がっていて、一画には畑があり、隣りには作業場のような掘っ建て小屋あった。規模はそれほどでもないが、なかなか見晴らしの良い場所である。怜はロバから降りると田んぼの所有者らしき男の元に走っていった。


「おじさーん!」


五十代くらいの男がこちらに気付いた。眩しそうに目を細めて、頭に巻いた手拭いを取る。怜の身なりから、身分の高い娘だと思ったのだろう。


「おじさんこんにちは!」

「へ、へい。ワシに何か御用で」

「ちょっとお願いがあるんやけど」

「は、…ワシで出来ることなら何でも…」


怜はにっこりと微笑んだ。


「牛糞ちょうだい!」

「えっ…」


牛糞?

今、牛糞と言ったのか?この娘は…

下僕は真っ青になった。


「お嬢様っ!」

「少しだけでええからお願い!」


男はしばし固まっていたが、怜があまりに必死にお願いするものだから、戸惑いながらも了承した。


「あちらにたくさんありますから、好きなだけ持っていってもらえたら」

「ありがとう!!」


怜は男が指す方を向いて、また走り出した。少し離れた場所には牛糞の山がある。この前の雨の影響でドロドロと液状化しているが、その方が都合が良かった。


「お嬢様、そんなっ…う、ウ○コなのに」

「大丈夫大丈夫。牛のウ○コなんて汚くないし」


怜は腕を捲り上げ、その辺りの棒切れを取るとその場で牛糞を掻き回した。お好み焼きを作るみたいな感じである。グニョグニョと何度も捏ねくり回し、水分が多い時は土を混ぜ、少ない時は泥水を足した。何度かそうしている内に、怜の手が止まった。


「こんくらいで、ええわ」


出来上がった牛糞液に"早乙キラーZ"と命名し、懐から出した水鉄砲の筒を下僕に持たせる。そして牛糞液を筒の中に流し込んだ。


「お嬢様ッ」


下僕が青褪めたのは当然である。

何故なら牛糞を、素手で掬い上げたのだから。


「お嬢様!どうか…そのようなことは」

「この"早乙キラーZ"で、あのババァも終わりや。くくくっ…私を怒らせたのが運のツキやったな」

「後生ですからおやめください!」


怜はニヤニヤと牛糞を掬い上げる。

下僕は必死で止めようとするも、「動かしたらあかん!」と怒鳴られ、半泣きになった。


「何をしているんだい?」


突然背後から冷ややかな声がした。

下僕は「だ、旦那様!!」と叫んだが、怜は有頂天だったため、その声の主に気づかなかった。


「牛糞の水鉄砲作っとるんよ」

「ヒィッ…お嬢様ッ」

「何の為に?」

「早乙女姫子にぶっかけるねん!!」



怜はにこりと口角を上げ、後ろを振り返った。



◇◇◇◇◇◇◇※東郷目線



怜が向かった場所は田んぼだった。

僕と小栗先生は顔を見合わせて首を傾げる。一体こんなところで何の用事があるというんだろう。


二人で木の陰から様子を伺った。


久しぶりに見た怜は、紅色の着物に髪飾りも付けて、先生が言った通り可愛らしい女の子だった。少し遠くに行ってしまったような、寂しい気持ちにならないでもないけど。


怜は男に声をかけた後、こんもりと土が盛られた場所へと走る。悪い予感がした。何故なら、あの土の山はどう考えても牛糞であることは明白だった。


「せ、先生…」

「……何も言わなくていい」


先生は震えていた。

拳を握りしめたまま、悲しいような、怒っているような、何とも言えぬ顔をしている。



怜、何故牛糞を素手で触っているの?

怜、何故そんなに嬉しそうなの?

怜、何を企んでいるの?



「怜…」


小栗先生の瞳から涙が一筋零れた。


「それは牛のウ○コなんだよ……」


遠い目で、ぽつりと呟いた小栗先生。


「う…っぅ……」


僕は思わず貰い泣きをしてしまった。




ーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーーーー




その夜、小栗家では女児の泣き声が響いていた。



「うわあぁぁーーん」パシン

「お父様は悲しい!!」

「あなたっ…」

「せ、先生!」

「止めないでくれ!いくらなんでも!よりにもよって!ーーウ○コをッ!ウ○コをーーッッ!」

「痛ぃぃいいい!うえぇーえぇん」パシン

「素手でウ○コをーーーーーッ!」

「ごめんなさいぃいいーー!」パシン




真っ赤なお尻の腫れが引くまで、三日を要した。




◇◇◇◇◇◇◇



「あなた、いくらなんでも可哀想じゃありませんか」

「………」


小栗はむっつりと目を閉じたまま身動ぎ一つしない。道子は手巾で涙を拭っていた。



「子供は少々元気過ぎるくらいがいいのですわ」

「……でもね、道子」


小栗は振り返りもせず言った。


「そうは言ってもあの子は、少々どころか目に余るほど元気過ぎる。男子であればそれも許そう。しかし、あの子は女の子だ」

「わかっています。けれど何事も急には無理ですわ」

「……」

「少しずつで良いではありませんか」


道子は小栗の膝に手を置いた。

すかさず小栗は手を重ねる。


「き、君がそう言うなら…」

「それに、あの子の痣を見ました?」

「……痣?」


小栗の眉間に皺が寄る。


「あれは早乙女先生の仕業に違いありませんわ」

「なんだって?」

「私はそのような覚えはありませんけど、知り合いの娘さんが以前"躾"と称して罰を受けたという話を聞いたことがありますの」

「それは本当かい?」

「ええ。まさかと思って怜さんにも聞いてみましたけれど…」

「否定したのかい?」

「ええ……あの子が言うには"転んだ"と。けれどあのような痣が付くのはおかしいですわ」

「な、なんと……何故庇うようなことを…」


怜はそんな子供ではない。

庇う義理など持ち合わせてはいないのだ。そこを敢えて隠しているのには並々ならぬ理由がある。


「真っ直ぐで優しい娘ですから、"告げ口"するようで言いたくなかったんじゃないかしら」


つまるところ、怜の信念は『やられたらやり返す』である。つまりは、誰にも邪魔されずコテンパンにしたいだけなのだった。


「怜…」


小栗は何かを思い立ったようにスッと立ち上がった。


「あなた?」

「……おのれ」

「ど、どうしましたの?」

「早乙女姫子……許さぬ」

「あなた!?」


小栗は部屋を飛び出した。



◇◇◇◇◇◇◇



日野宿・佐藤家



鈴木君は何処かの部屋の片隅に置かれたボロ布の上に寝かされ、目が覚めた時には周りには誰もいなかった。


遠くから野鳩や鶏の鳴き声が聞こえている。隙間から差し込む光りで、今が朝だと知った。


鈴木君はムクリと起き上がる。


「キョン…」


寝過ぎたのか少しよろけたものの、何処にも痛みは無かった。


「おう、やっと起きたか」


襖が開いて現れたのは土方である。

黒の股引、白に模様入り法被の出で立ちで、肩下まであった髪を後ろに結んでいた。


「ほら、飯だ」


土方は丸めた手巾を鈴木君の前に置き、慎重に広げる。


「逃すんじゃねえぞ?」


鈴木君はぴょんぴょんとそばまで寄って、首を傾げた。


広げた手巾から現れたのは"伊勢海老"………ではない。更には"みみず"でもなかった。


蛞蝓(なめくじ)だ」

「………」



ドヤ顔の男・土方歳三。

鈴木君は蛞蝓を全て吸い込んで、その顔めがけて噴射した。


「……てめえ」


ふるふると拳を握り締める土方の背後から、ひょこりと女性が顔を出した。


「歳三さん、朝ごはんよ?」

「ああ!??」


振り返る土方。


「ぎゃああああ!!!化け物ォォ!!」



姉・とく(のぶ)は絶叫し、手に持っていた手拭いをぶん投げた。素早く両翼でキャッチした鈴木君は、土方まで飛んで行き、それを投げてよこす。


「キョキョ」(ほらよ)

「ありがとうよ。……じゃねえ!!」



◇◇◇◇◇◇◇



「しかし珍しい鳥だなぁ」


佐藤彦五郎は目を瞬かせながら鈴木君を見ていた。皆が食卓を囲む中、鈴木君は庭の木の根っこ辺りを突いている。


「人馴れしているわよねぇ」


のぶも飯を装いながら、感心しきりに頷いた。


「何処かで飼われてるんだろ」

「だろうなぁ」

「きっとお偉い方の屋敷で飼われている鳥なのよ」

「一理あるな。銭にもならんタダ飯喰いなんぞ、わざわざ貧乏人が飼わねぇだろうし」


土方は二人の会話に耳を傾けながらも、一気に飯をかっこむと「さてと」と立ち上がった。


「もう行くの?」

「ああ。昨日は雨だったしな」

「今日も泊まっていくだろう?昼から近藤君らも来るし」

「ああ。一旦村に帰ってからな」


土方は二人に見送られながら間口に置いてあった行李を担ぐ。鈴木君はそれを見て、当たり前のように土方の頭に乗ると「キョキョ」(またな)と二人に向かって翼を上げた。


「い、いってらっしゃい」

「……気をつけてな」


◇◇◇◇◇◇◇



真っ赤なお尻をさらけ出したまま、怜は泣き疲れて眠っていた。東郷は上に何か掛けるべきか思案しながら隣りに座っている。そこへドタドタと誰かの足音がした。



「止めてくれるな!道子!」

「あなた!おやめ下さい!!」


東郷は慌てて廊下に出ると、小栗を見てギョッとした。鉢金に鎖帷子を着用し、その手には早乙キラーZを持っている。


「許さぬ!許さぬぞ!早乙女姫子ォォ!」

「東さん!主人を止めてぇ!!」

「先生!!一体どうしたのですか!」

「敵陣に乗り込むのだ!許してなるものか!」


小栗は道子を払いのけ、走るように屋敷を出ていったのだった。


「あ、東さん…どうしましょう…」

「僕が行ってきます!」


東郷は無我夢中で追いかけた。


「先生ーーーっ!!」


ーーー

ーー


しかし到着した時には、既に"事"は終わった後だった。


「酷い....」


東郷は目の前の状況にふらりと気を失いかける。早乙女指南所はまさに地獄絵図と化していたのだ。



「はーっははは!ざまあみるがいい!」


震え固まる内弟子達と、事切れた早乙女姫子。糞まみれで倒れていたその前には、小栗が満足そうに高笑いをしている。


「早乙女指南所は今日を持って廃業を申し付ける!取り潰しにならぬだけ感謝するがいい!」


職権を乱用する小栗忠順。

彼にそんな権利はない。何故なら外国奉行だから。


「先生……そんなにも怜を」


東郷は何とも言えない顔で立ち尽くすのだった。






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