傷跡
汚い街で私は育った。金持ちは戦争、鉄道、工場、株なんかが生み出す金に夢中で、貧乏人は工場の排水を飲んでいた時代だ。
貧しい子供時代を過ごした私にも好きな人がいた。その男の子は近所の子供たちをまとめていて、私より4つ年上だった。とても頭が良くて、とても強かった。髪も瞳も美しい黒色をしていて、背中に大きな傷跡があった。私にはその傷跡すらもカッコいいものに思えていた。愛すればあばたもえくぼとはよく言ったものだ。
私は彼の背中におんぶしてもらったまま、昼寝をするのが大好きだった。
「二度と俺の背中でねるなよ。眠った人間はものすごく重くなるから大変なんだ」
と、彼は何度も言ってきたが、結局、何度も昼寝させてくれた。
今思うと、スラムに住んでる男の子の背中におぶさってもらうなんて考えられないことだ。クサいに決まっている。でも当時は私もクサかったはずだから、あまり気にならなかったのだろう。むしろ、彼の背中はいい匂いだったような記憶がある。
私が8歳になるかならないかのころ、彼は街からいなくなった。工場で働くようになったのだろう。しばらくするうちにその男の子の顔は忘れてしまった。
私は14歳のころ、あるお金持ちのおばあさんに拾われた。「あなたは見込みがある」なんて言われて、お化粧やファッションの知識はもちろん、文学、美術、音楽、そのほか教養と言われるものは全部詰め込まれた。家族とは離れ離れになったが、特に寂しいとは思わなかった。それに、後から理解したことだが、両親は私を売ったのだろう。
18歳になって、私は社交界にデビューした。とはいっても、結婚相手を探すためではなかった。貴族や資本家たちは、私と話すために大金を払い、その先の事をするためにもっと大金を払った。そのお金は半分は私を拾ったおばあさんに渡して、残りの半分は私のお金になった。
「思った通りね。あなたは本当に優秀よ」
と、おばあさんが嬉しそうに言っていたのを覚えている。でも、私が19歳になったころ、おばあさんは結核で死んでしまった。
おばあさんが死んだあと、受け取るお金は全部私の取り分になったから、私の生活は派手になった。高級なワインは一通り飲んだし、一流シェフの料理も飽きるほど食べた。交流する人のランクも上がっていった。ただ、どんなに豪華なホテルで、どんなに身分の高い貴族と過ごす夜も、スラム街のガキ大将の背中の上で過ごした昼下がりと比べたらなんてことはなかった。
私が街で身分の高い方々と交流を楽しんでいるとき、時々無粋な視線を感じることあった。その視線の主は軍人で、制服を見る限りは下士官のようだった。粗野な色合いの黒髪黒目をしていた。私は軍人が嫌いだったから、大佐以上の人じゃないと話さないことにしていた。ただ、その視線の主が仮に大佐になれたとしても、そのころには私の商品価値はなくなっていたはずだ。
26歳のある日、暴動がおこった。労働者たちが金持ち達を襲い、街を焼いた。私と仲が良かったはずの貴族や資本家は一目散に国外に逃げてしまった。逃げ遅れた私は必死で馬車を走らせていたけど、ついに暴徒に囲まれてしまった。
その時、例の下士官が馬にのってやってきて、暴徒を蹴散らした。馬車はその隙に逃げ出したが、下士官は暴徒につかまったようだった。軍人の服はそれなりにいい素材でできているから、彼はすぐに服をひん剥かれた。遠目からみてもわかるくらい大きな傷が彼の背中にあった。
私はそのまま国外に逃げた。逃げた先の国で私は、私の過去を知っていて、むしろそのために私を求めてきた成金と結婚した。