第六話 走れヒルヒル
冬が去り始め、雪が溶け出した頃まず一番初めにスタートを切ったのはヒルヒル号でした。
先行逃げ切りのタイプですね。
祖国の現状が理解できていたのでしょう。
あれだけわざとらしく大量に投下したのですから。
他の地がどうなっているかなんて想像に難くなかったのでしょうね。
これは過去の雑談の一風景なのですが、
「マクシミリオン陛下、人間が奪われて憎しみを抱くもの、上から順に三つ、何だと思いますか?」
「ふむ、謎掛か。受けてたとう。一つ目は、愛だな。愛するものを奪われたとき、人は憎しみの塊になる」
「お見事です。私もそう思います」
「二つ目……誇りかな? 尊厳、自らの自尊心、心の在り所、自由を踏みにじられたとき、人は相手を許せなくなる」
「さすがはマクシミリオン陛下。私もそう思います」
「三つ目……命? を奪ってしまうと死んでしまうからな。国土や故郷……それは、愛に含まれるか。ふむ、三つ目か、色々と思いつくが……」
顎に手を添えて考え込む。
様になってるな、うちの禿に比べて。
全く、あの禿が余計な真似をしなければ西ハープスブルクの民は自分達の力で独立できたというのに。
八割強の住人が軍人を含めて戻り、帝国は内乱状態。
ならば、住民達が決起すればいつでも独力で独立を勝ち取れたのです。
なので、しばらく奴は禿扱いで良いでしょう。
「ふむ、色々と思いつきすぎて一つに絞りきれぬな。降参だ。王子の意見は?」
「食料です。食べ物です。飢えて苦しみ命の危険を感じたとき、人はその獣の本性を現します。そして、自らを飢えさせたものを憎むでしょう。どうです?」
「なるほど、命そのものではなく、命をギリギリまで奪った者ということか。確かに、その憎しみの根は深いだろう。つまり、それが次の一手と言うわけだな? カール王子は本当に悪意の塊のような男だな。いっそ敬服するよ」
「お褒めに預かり光栄です。腹黒陛下」
元フランク帝国という土地は64%が平野なので農地も多い。
食糧危機など並大抵のことでは起こりはしません。
ただ、皇帝の死と共に生じた情報の混乱に乗じて「並大抵ではない」ことをやらかした少年が居ました。
それはそれは、のっぺりとした顔立ちの美しい美少年でした。「美少年」ここ大事なところね。
東の貴族の邸宅で炎会を催し、その御褒美を頂いて、西の農家の方々と実に正当な取引を交わしました。
ただ、ドラゴンが傍にいただけで、正当な取引を行ないました。
西の貴族の邸宅で炎会を催し、その御褒美を頂いて、東の農家の方々と実に正当な取引を交わしました。
ただ、ドラゴンが傍にいただけで、正当な取引を行ないました。
そうやって東西南北を縦横無尽に駆け巡ったチンドラゴン屋の少年は、いつのまにか莫大な量の食料を手に入れておりました。
先生の計算上では皆が清貧に務めたならば理論上では餓死者がでない計算でした。
ですが、世の中には清貧に勤められない方もおりまして。
他人のものは俺のもの、俺のものも俺のものと言う顔をされる方々も居るのです。
それは主に皇族とか貴族と自称する青い血をしたミュータントたちです。
飽食を忘れられない彼等は、他人の懐の食料に手を出してしまいました。
自分達にはその権利があると力で主張して。
はっはっはっ、流石は魔王の血族。解ってらっしゃる。
ただ、あなたがたには大怪獣、魔王シャルルマーニュと同等の力なんてありましたっけ?
恐怖で人々の憎しみを踏みにじり続けるだけの魔力なんてありましたっけ?
ですからヒルヒルには恩を強制的に売りつけておきました。
ヒルヒルの手元には総勢300万の軍勢が居て、雪によりパリへの帰路を阻まれたためにリヨンに駐留。
それだけの軍勢を一冬の間、食べさせるだけの食料も、暖を取るための薪も手元にはありませんでした。
ならば、野盗の如くリヨンの人々から奪うか、高潔なる自決を選ぶ他ありません。
ヒルヒルは自決を選ぶかも知れませんけれど、そこまで高潔な決断を他の300万の兵達がするとは思えませんから無駄死にですけどね。
そんな進退窮まったところに現われたのはヒルヒルの弟とは思えない素直な美少年ピピンくんでした。
いやぁ、炎上するパリから救出しておいて良かった。
姉と弟の感動の再会の美しい風景、涙が出ましたね。
そうしておいて「寝取られ号」の上からヒルヒルを嘲笑っておきました。
「冬も越せない愚かな姫将軍さま、どうぞ哀れみをくれてやりましょう」
次いで日々続くドラゴン達の薪や食料による空爆。
頭の回転の速い彼女のこと、もたらされた食料が莫大な物量になるころには気付いたでしょう。
ここに居ない祖国の民の窮状がどうなっているかについて。
雪解けと共に、あわてんぼう姫将軍の称号に相応しく神速で動き回りましたね。
飢えて死んだ者、飢えで愛する家族を失った者、乏しい食料のなかをなんとか耐え忍んだ者、そして清貧につとめて体脂肪率を変えなかった豚。
さすがは「英雄」ヒルヒル。
飢えた者には食料を、肥えた豚には剣閃を、なぜもっと早く来てくれなかったと石を投げた母親には涙と謝罪を、それぞれ与えて廻りました。
時には民草と共に清貧に務め、自らも飢えながら耐え凌いだ貴族も居ました。
さすがは先生。その領土内では一人の餓死者はありませんでしたよ。
栄養失調による病死者はありましたが……これは私のパラメータの入力ミスでした……。
「走れヒルヒル」この題名で一冊の本が出来そうです。きっとベストセラー間違い無しです。
魔王の死後、残された皇子や皇女、そして有力な貴族、過去の憎しみに満ちた者達は、刃を手に取り武力でその覇権を奪おうと考えました。なので、その裏をかき、慈悲と慈愛で覇権をヒルヒルには奪ってもらうことにしました。
北風よりも太陽を。
素直な美少年ピピン君の無事はその前払いと言うところでしょうか?
慈悲と慈愛に感謝するためには、まず、それに飢えて苦しんでいなければなりません。
だから、私がそうしました。
そして多くが飢え苦しみ、そして奪い合い、死んだ者も多く、貴族がその腹を満たすために奪ったのだとしても、きっと殺したのは私なのでしょう。
シャルルマーニュごときを魔王と呼ぶ?
それは、ずいぶんと曇った目をした方々です。
きっとそんな曇った目をした方々には、ヒルヒルは聖女に見えたことでしょう。良い節穴です。
元フランク帝国軍の半数にあたる300万の兵に、莫大な食料。
これで国一つ手中に収められない貴女ではないはずです。
だから、どうぞ、フランク王国の未来はお任せしましたよ?
「英雄」のヒルヒル殿下。
南のバカチン法皇国では、三つの者たちが動き始めました。
まずは逃げられなかった幻想世界の元奴隷の人間と、置き去りにして逃げ出した元奴隷の亜人が出会いました。
とても、気まずい空気の中、それでも飢えた元奴隷仲間の亜人に対して食料は分け与えられました。
「俺でも逃げた。だから、気にするな」
アルプス連合王国が幻想種の人間だけを助けると公言したなら、そうなったでしょう。
バチカンを滅ぼせと声高に叫んだ元奴隷の亜人達は残された奴隷仲間を助けるために声を挙げ助けを求めたのです。
その声を勘違いしたのは亜人至上主義者達でした。
ですが私は哀れで可哀想な囚われの身の「他国」の奴隷のためにアルプス連合王国の民から一滴の血も提供する気はありませんでした。
なので、ヒルヒルをぶつけてみたのですが、結局、ヒルヒルもフランク帝国軍の血を一滴も流さず勝利してしまいました。
可哀想なのはカマキリさん達でしょうか? 彼等もまた知的生命体。無理やりに戦わされて可哀想でした。
聖騎士の皆さん? 奴隷欲しさに自ら望んで殺しに出向いたのでしょう? なら、自業自得じゃないですか。あーかいわそー(棒)。
そうして合流した元・奴隷達。
そんな中でも未だ亜人至上主義を唱える原理主義者達は、いつの間にか旅立ち去っていました。
きっと、どこか遠くで、亜人が人間を奴隷として使役する夢の国でも作る気なんでしょう。どこか遠いあの世の果てで。
そうして意気揚々と元ご主人様への復讐の旅に出た先で見たものは、飢えて凍えた者達でした。
荘厳だった建築物は無残にも破壊され、乏しい食料を支えに、一冬を凌いだ元ご主人様たち。
報復の鉄槌は振り下ろされました。
その辺の壁に向かって。
いまさら虫が良いのだと理解しながらも、自分の子供のために深々と頭を下げる母親の背中に向かって拳を振り下ろせるものは居ませんでした。
全ての拳が止まったわけではありませんでしたが、確かに、止められた拳が多くあり、そうして元ご主人様は元奴隷に頭を下げて食料を恵まれたのでした。持つ者は持たざるものに分け与えよ、でしたっけ?
先生の計算では清貧に暮らせば皆が生き残れたはずなのに、何故か多くの餓死者が元ご主人様たちからも出ました。
まぁ、そういった方々に限って優先的に怒りと憎しみを引き受けてくれたのですから、罪を背負って死んだ教祖さまにならった素晴らしい人生の終り方だったと褒めてあげましょう。
聖人に列席される予定はなさそうですけどね?
自称聖人の皆様方、食料と言う「慈悲」と強制的な「清貧」そして奴隷として虐げていた者達からの「赦し」を味わった結果はどうでした?
ごめんなさいね、マルティン・ルターさんほど気が長くないんですよ私。
同病相哀れむ、傷ついた者同士の舐めあい、まぁ、そんなところでしょうがこれからは仲良くやっていってくださいな。
元ご主人さまのなかでも未だ勘違いされた人達は居るもので、そんな方々もいつの間にか旅に出ていました。この国に愛想を尽かしたのでしょう。
きっと、どこか遠くで、人間が亜人を奴隷として使役する夢の国でも作る気なんでしょう。どこか遠いあの世の果てで。
空気を読めないって大変ですね。
私は読めないのではなく読まないのですけど。
東ハープスブルク王国の東や南に属する国々では、諸王達が話し合いを始めました。
主に群蟲種に対応するための連絡網の構築について。
それはまず伝令の走る道となり、次に軍隊が走る道となり、次いで交易路に、個々の国の<在り方>はそのままに、群蟲種という共通の脅威に対するための連合となる予定です。
先生の計算ですから、予定ではなく決定なのでしょうけど。
略称、アルプス連合王国こと「ドラゴンおよびドワーフおよびエルフによるアルプス連合王国」のドラゴンの力を借りる手前、この人類達の連合のなかにも亜人達の居場所が作られていくのですが、それは少々先の話になります。
グローセ王国の兄弟国、兄の国を自称していたプロイセン王国は血に狂った狂王フリードリッヒ陛下を中心にして荒れ果てました。
自らの父を母を殺された貴族の子弟達が叛意を表したからです。
あの夜会に高級な貴族達を呼んだのも不味かったのでしょう。
貴族の当主が死んでも貴族の家の力は残りますから。
ドラゴンに脅されてしかたなく、なんて言い訳を王が口にすることも出来ないでしょうし。
それに、あの流血は法に則った妥当な判決ですから。
フリードリッヒ陛下の名誉に誓って、彼は狂ってなどいないと保証しましょう。
他国の副王を笑い者にした貴族達の罪を罰した王の正当なる判断なのですから。
そして妥当な判決に従い血が流されただけのことです。悪しからず。
では、陛下、御武運をお祈りいたしますね。
バルト三国にベラルーシを含めた四カ国は秘密裏に同盟を結びました。
今迄散々、奪われてきた西の大国アウグスト帝国に対するためです。
奪うことで成り立っていた経済が奪う先を失えば崩壊するのは必定でしょう。
蠢く死者に対する手段は得た、戦うための勇気も得た、あとは今までの報復を果たすだけだ。
20万の名前はあるけど名も無き英雄達の帰還は、国の人々の心に火をつけたのでした。
こうして全ての種を蒔き終えた私は、「女帝」不在の館でのんびりした時を過ごしていた。
種を蒔けば芽は勝手に出るし育っていく。
農家の人には怒られそうだが、そういうものだ。
アルプス連合王国の建国中、経済が回り始めれば「王子、邪魔」と言われたように、今のこのヨーロッパに私の居場所は無い。
それぞれの国でそれぞれに、勝手に廻り始めた物語は「英雄」を中心にして始まり、そして終るだろう。
そんなメンドクサイことは全部「英雄」さまにお任せしますよ。
夜討ち朝駆けと言ったもので、部屋のドアをノックされたのは夜更けであった。
それは、いつかのような高級感溢れる薄絹とはグレードの下がった夜着に身を包んだマリア王女であった。
「カール様、わたくしは、貴方を、愛しています……」
「それは……光栄です」
救国の英雄に、恋に恋した王女さまはもう居なかった。
とても真剣な眼差しで、優しく、俺を見つめていた。
「父から話は全て聞いております。カール様はただ一国の「英雄」などではなく、人間のための「英雄」でもなく、全ての者達のために走り回った「とても優しくてお強い、ただのお人」であること」
マクシミリアンめ余計なことを。
「誰もカール様を賞賛しない。誰もカール様には憧れない。誰もカール様を慰めはしない。そんなカール様には不足でしょうが、わたくしは、そんなカール様の優しさを心の底から愛しています。ですから、今日は、夜伽に参りました」
しゅるりしゅるりと音をたてながら、夜着は床へと落ちていく。
残ったのは歳相応の膨らみと柔らかさを持った白い肌の少女。
「受け取られないのであれば自害致します。こう口にされてはお優しいカール様はお逃げになることは出来ないでしょう?」
初手チェックメイト。逃げられない。
まだ雪解けの頃、肌寒く、美しい少女を裸のままにしておくような趣味は無い。
毛布の片端を空け、頷くと、マリア王女は寝台へと滑り込んできた。
空気の冷たさに体を冷やしたのか、始めはヒヤリとした滑らかな感触が、時とともに次第に同じ体温へと変わっていった。
少女の体は歳相応に白く、滑らかで、柔らかく、ときおり硬く、小さく、狭かった。




