第一話 <加護>のなかの鳥
この世界の人類種は10歳を迎えたとき世界から<加護>を得る。
剣や弓などの人工物から火や風といった自然物、食や夢といった形而上の概念に至るまで、言葉として成立しているものならば大抵の<加護>が過去には存在した。
ただ、この<加護>の付与というものは偶然に大きく左右されるため、<パン>の加護を持った超一流のパン職人の子が同じ<パン>の加護を得られるかどうかは運を天に任せるほかない。
一応、十歳に至るまでの経験や願望が与えられる加護の種類について影響を及ぼすとも知られており、剣の道を志した少年は剣の加護を得やすい傾向があるのは確かなことだった。
与えられる加護は最低でも一つ、運がよければ二つ三つと得ることが出来るのだが、その場合は一つあたりの加護の等級が下がり器用貧乏に陥りがちだとも言われている。
実際に軍人の家系に生まれ幼少の頃から剣と槍と弓を仕込まれた少年は剣と槍と弓の三重加護を得た。
しかし、等級は全て四級であり、三級の加護を持つ剣士・槍兵・弓兵の誰にも勝つことは叶わなかった。
剣と槍と弓を同時に使うことは出来ないのだから当然である。後に少年は失意とともに出奔したという。
この結果について加護研究の第一人者はこう述べる。
まず魂が先天的に持つ気質があり、その上に十歳に至るまでの経験や願望といったものが加味されて加護の種類と数は決定さる。その上で加護を受け入れるための魂のキャパシティーに従い等級が割り振られるのだろうと。件の少年は剣・槍・弓のいずれか一本に絞っていたならば一級を狙えたかもしれない原石であったのだ。
それはさておき、今日は俺ことグローセ王国カール第三王子10歳の誕生日なのであった。
「カールにーちゃんはおっぱいが好きだから、おっぱいの加護とかお似合いだよね」
この憎んでも憎み足りないほど可愛いことこの上ない俺の双子の妹シャルロットがニヤニヤ笑いでちゃかしてくる。
前世の記憶を引き継ぐため自然と大人びた俺は、このお転婆娘を24時間体勢で見守りながら甘やかし続けてきた。
結果、俺は重度のシスコンになった。だが、シャルロットもブラコンになったのだから問題ない。
しかし、おっぱいの加護か……ありえなくも無いから怖いなぁ。
前世の記憶と子供の肉体、そして王家の血筋というコラボレーションは実に素敵な女体ライフを俺に満喫させてくれた。
とはいえ、第二次性徴前のこの体。脂ぎった大臣が無垢な乙女を組み敷くような粘着エロスは実行出来なかったわけだが。
だがしかし、性欲とは関係ない所で男とはおっぱいが大好きな生き物らしい。
声を大にしても良い。俺はおっぱいが好きだ!!
でも加護が「おっぱい」か……王族として流石にそれは不味いよね?
いやいや? 豊胸を望む世の女性達にとっては垂涎の的になれるのではなかろうか?
「そうだな、おっぱいの加護を得た暁にはシャルの膨らみ始めた生意気な乳を洗濯板に戻してやろう。これは兄としての愛だ」
「やだーっ!」
そう言ってコロコロと笑うシャルロットは本当に可愛い。そして、少し怖がっていた。
優秀という言葉では収まりきらない兄や姉を持つ身としては当然だろう。
かく言う俺自身も不安が高まって緊張している。が、震えるシャルロットの手を握る自分の手に怯えは出さない。
これが男の矜持というものだ。
さぁ、カーテンの幕があがり、お披露目の時間が始まる。
玉座に座る父王君、両脇を固める金獅子と月影のお兄様方、その隣には巨乳のお姉様。
謁見室には王国全土から招待された永代貴族とその子弟が左右に立ち並び、その中央には加護を鑑定するための大きな水晶球が鎮座していた。
鑑定の水晶球と呼ばれるこの球は、触れた者の加護を光の文字として映し出す。
ご丁寧なことに加護の名前だけでなく等級まで表示してくれるのだからとても親切だ。
中空に「おっぱい:特級」と示される未来を想像してちょっと冷や汗が流れた。
第二次性徴前から真性のオッパイスキーな子供というのも少ないだろうから、そういった意味では希少極まりないレア加護かもしれないが、身に付けることは御免こうむる。
緊張に鼓動を早めながら、王族スマイルを崩さないようにしてシャルロットと供に水晶球へと続く赤絨毯を踏みしめる。
繋いだ手をキュッと握るシャルロット。
あ、やべぇ、シャルロットが可愛すぎて王族スマイルが崩れそうだ。
思えば前世では男だけの三人兄弟。気は楽であったが妹は格別だった。
リアル妹が居ない奴に限って幻想を……と述べる方々も居るが、もしもその妹がシャルロットだったならデレデレになったに違いない。可愛い妹は別腹なのですよ。
加護が「妹:特級」だったらどうしよう?
いや、それは受け入れようじゃないか! シャルロットだって受け入れてくれるはずだ!(希望的観測)
そんな馬鹿なことを考えながら赤絨毯を踏みしめているうちに水晶球の前に到着してしまいました。
父王君、ヴィルヘルム父様が感慨深げに俺とシャルロットを見つめてから、僅かに目を伏せる。
今生の母は双子を産んだ代償として体を悪くして一年と経たずに亡くなってしまった。
その遺児が今日、<加護>を受け、成人となることの感慨深い思いが胸を募らせているのだろう。
俺は、命を賭して産んでくれた今生の母の顔を覚えているのだが、妹はなにも覚えていない。
異世界キタコレヒャッハー! な気持ちは、こちらの世界の母の死とともに一瞬にして消え失せた。
無意識のなか母親の影を探しうろうろとするシャルロットを抱きしめて、俺は一緒になって泣いたものだ。
「カール、シャルロット、両名が揃って成人の儀を受けられることを余は嬉しく思う」
社会的に10歳は子供であるが<加護>を受け、それを行使するものとしては成人としての義務を背負う。
むろん社会経験の薄さから公職には就けないが、犯罪者としては成人扱いされる歳となる。
また、得た<加護>によって自らの人生について深く考えることになり、それを持って成人としての一歩目を踏み出す、という意味合いがこの儀式には込められているのであった。
通常は街の教会にある小さな水晶球で行われる儀式なのだが、王族である俺とシャルロットはお披露目という意味合いも含めてこのような式典形式をとっているのだった。
この後には成人祝いの晩餐会となり正式な社交界デビューとなるのだが、どうせ女性陣は金獅子兄さんと月影兄さんにダ○ソンの吸引力で吸い寄せられてしまうので俺としては気楽なものだ。だがしかし、シャルロットに近づこうとする腐れ外道の貴族子弟どもからは守らなければならない。シャルロットを嫁にしたければ人間兵器のレオ兄さまとジーク兄さまを倒してからにするんだな! 二人の兄もわりとシスコンだからな! 覚悟しとけ!
「では、これより成人の儀を始める。水晶球に手を触れるが良い」
父王君の声に従い揃って手を伸ばし、俺とシャルロットはどちらが先に? と、見詰め合ってしまう。
「カールお兄様の加護で妙なものが出ても困りますし、私が先に触れますわね?」
まだおっぱいネタを引っ張るか。愛いやつめ。
シャルロットは力一杯に俺の手を握りしめ、不安に震えそうな体を抑えこみながらもう一方の手でそっと水晶球に触れる。
鑑定の水晶球から淡い光が立ち昇り、それが中空に文字を描く。
「自然:特級」「天地:特級」「愛:特級」
三重の特級加護、紛れも無い傑物の証明であった。
その<加護>の権能は今は不明だが、並べられた文言から、それが底知れないものだということを謁見室に集まった誰もが予想した。
シャルロットがホッとした表情で笑顔を俺に向ける。
あぁ、この世界にデジカメがあったらなぁ。
脳内フォルダにシャルロットの笑顔を気合で念写保存する。
さて、次は俺の番だ。
緊張と不安からくる震えを隠しながら水晶球に手を伸ばす。
「おっぱい」とか「妹」とか雑念が湧いてきたので般若心経をギャーテーギャーテー心の中で唱えながら手で触れた。
どうか、おっぱいだけは出ませんようにという願いを神仏は叶えたのか、その<加護>は与えられなかった。
王の御前で騒ぎ立てるような礼儀知らずが居ないはずの列席者達からどよめきの声が挙がる。
ペタペタペタと触れる。水晶球は何も語らない。
ざわつきが大きくなる中、小間使いが俺の足元に跪き、小型の、街の教会で使われる水晶球を俺に捧げる。
シャルロットが俺の手をギュッと握った。それは、先ほどの緊張とは別を意味していた。
激しく鼓動する心音が耳に煩く、震えそうになる体を抑えつけて、小さな水晶球に俺は手を触れる。
そして、小さな水晶球もまた何も語らなかった。
王族の三男が<加護>を得られなかった。
この事実には緘口令が布かれたものの焼け石に水だろう。
「晩餐会、中止になったってな。ゴメンな、社交界デビュー楽しみにしてたのに」
俺ではなく、何故かシャルロットが涙を流していた。
先に泣かれてしまうと、落ち込むこともできない。
「晩餐会用のドレス、綺麗なんだろうなぁ。どうだ? にーちゃんに着て見せてくれないか?」
俺の胸に顔を埋めたまま、すすり泣く声しか挙げないシャルロット。
肩に手を伸ばすと、嫌々とするように胸に顔を押し付け、両手で強く俺の背中にしがみつく。
人気の無くなった謁見室の中央で、シャルロットにしがみつかれるままに俺は立ち尽くすしかなかった。
父王君と二人の兄は永代貴族達を連れ、今回の失態に対する会議が開かれていた。
二人の兄があまりに輝かしすぎるものだから、三男坊の失態など取るに足らないスキャンダルなのだけれども。
グローセという国は一枚板ではないものの派閥争いが起きるほどに分裂した国でもない。
<加護>が与えられないと言う現象は王族・貴族・平民に至るまで起こったことの無い一大珍事ではあるものの、それをもってどうこうされるということも無いだろうとは予想できている。
ただ、優秀という言葉を十回ほど累乗した兄姉妹に囲まれた、無能の子が一人残るだけだ。
隣国にとっても大した話題にはならないだろう。
レオ兄さまにジーク兄さまという人間兵器の脅威に三男坊という新たな脅威が加算されなかっただけの話である。
200発の核爆弾が300発に増えなかった、ただそれだけの話だ。
俺の無能に胸を撫で下ろすか、あるいはシャルロットという新たな脅威に怯えるか、それだけの話だ。
俺自身の身の置き所としては、城内か、避暑地にでも寿命の尽きるその時まで軟禁するといった所だろう。
腐っても十年、王宮に身を置き続けた結果、だいたいの事の顛末は理解できているつもりだ。
唯一怖いのは教会内の強硬派くらいのものだろう。
強硬派とは、人類種に<加護>を与えるものを偶像化し崇拝し、その神の言葉を聴いた電波さんの日記を聖書と呼ぶ人々のことだ。
ただ、<加護>の研究が進むにつれ、教会への寄進や神の信仰と<加護>の増減は一切関係ないと看破されて以来、教会の権威は地に落ちた。地にめり込むほどにだ。
だが、信仰心が厚い者ほど地に落ちたものを天に持ち上げたがるもので、加護に見捨てられた俺を呪い子だとか、悪魔の子だとか難癖をつけて襲い掛かってくる可能性もある。
もちろん王族に刃を向けた以上、一網打尽に荒縄と首が仲良しさんになってもらうわけだが、その囮役が俺の王族としての最後のお勤めになるのかな?
<加護>が無い以上、成人でもなく、まして新しく生まれた我が子も同じ加護無しになる可能性を考えれば、生涯独身童貞を貫かされる恐れも高い。あぁ、それは地味に嫌だな。
「ごめん……なさい」
胸の中で泣いていたシャルロットが唐突に謝罪の言葉を告げる。
「私が、カールにーちゃんの……加護を……」
「それは無いよ」
双子だからと言って、どちらか一方だけに<加護>が宿るということは無い。
現状主流となっている<加護>の付与理論でもそれは見当違いというものだ。
考えられるとしたら、前世の俺というものが肉体に入り込んだせいで魂の容量が一杯になり<加護>を受け入れるキャパシティが無くなってしまったとか、そういうところだろう。
全部、俺のせいだ。
「シャルロットの加護はシャルロットの加護だよ。にぃちゃんの加護を奪った訳じゃない。そんなふうに自分の責任だって考えちゃ駄目だよ?」
可愛い妹が自分のために泣いてくれている姿を嬉しく感じてしまうあたり、ちょっと悪い気もする。
あぁ、こんちくしょう、本気で可愛いなぁ。
「これはあれだ。にいちゃんのおっぱいに対する情熱が足りなかったんだ。きっとあと十年もおっぱいに情熱をかたむけたなら神様もおっぱいの<加護>を与えてくれるに決まってるさ」
年老いてから<加護>が追加されたという事例は無い。
<加護>は与えられた時点で固定され、あとはその利用法を個々に磨いていくほかないものだ。
そんなことは承知の上での戯言だが、シャルロットはわざと騙されてくれた。
「ぶぁぁぁぁか」
鼻水と涙でぐしゃぐしゃの声が俺の胸元から響くのだった。
結果として告げられたのは王家の所有する避暑地での長期に渡る病気療養であった。
グローセ王家の三男坊は運悪く流行り病にかかり、そもそも成人の儀が行われなかったことにするらしい。
三食昼寝つきの優雅な老後生活とでも考えれば、前世基準ではまことに素晴らしい待遇だ。
十歳からの隠居生活。うん、なんだかラノベのタイトルにでも出来そうだ。
隠居生活の片手間に物書きでもやってみよう。
「では、父王……ヴィルヘルム父様、お体にお気をつけて」
「病気療養に出るのはカール、お前の方なのだがなぁ」
言われてみればそうだった。
苦笑いが二人の間に零れる。
往路はレオ兄さまとジーク兄さまが護衛につくことになった。
これで襲ってきた野盗の方達が可哀想な目にあうこと請け合いだ。
旅立ちはひっそりと夜半に、王家の……いや、家族だけが見送りの場に集まっていた。
一晩泣きはらしたシャルロットの両目は赤く腫れ上がり、ぶさいくで可愛い。
ルイーゼ巨乳姉さまは、俺にどう声をかければ良いのか悩んでいるようだ。
慰めの言葉なんて要らない、その巨乳に顔を埋めさせてくれたなら十分なのに。
「ドレス、似合ってるよ。顔は、ちょっと不細工だけど」
場にそぐわないパーティー用のドレスに身を包んだシャルロットに笑いかける。
「うー……」
恨みがましい上目遣いの瞳に涙が溢れ出し、さらに可愛い顔をシャルロットは見せてくれる。
それは晩餐会用のドレスだったのだろう。薄青のサテン地がシャルロットには良く似合う。
これが赤でも黒でも似合ってしまうのがシャルロットなのだけれども。
「もう、カールったら。せっかくカールのためにシャルロットがお洒落をしてきたのだから素直に褒めないと駄目じゃない」
ルイーゼ巨乳姉さまが苦笑いで諭してくれる。
姉さまは笑顔だが、やはり俺との別れを悲しんでくれているのだろう。
すこし潤んだ瞳と、ぷるるんとした巨乳が悲しみを表している。
解るんだよ! おっぱいの気持ちが! 俺くらいになるとな!
さて、長々と言葉を交わし続けるのも男らしくない行為だ。
「永遠の別れという訳でもなし、別れの言葉はあっさりと。では、もう出発しますね。父上、姉上、シャルロット、お元気で」
もう二度と会えなくなるわけではない。
ちょっとした、学校の卒業式のような、そんなものだ。
オラちょっと東京に行って、銀座の山を買いに行く、そんなものだ。
上を向いて歩こう、そう、涙を溢さないのは男の甲斐性だから。
そうして格好つけて馬車に乗り込もうとクルリと背を向けた俺の背中に人間魚雷が直撃した。
「げふぅ!」
背骨が! 背骨が! 曲がってはいけない角度に!?
シャルロット弾頭が俺の背骨を破壊しようとグリグリと!!
「カールにーちゃん、カールにーちゃん、カールにーちゃん……」
可愛い妹が背後から俺を抱きしめる、傍目には美しい情景だが、特級の<加護>を得たシャルロットさんのベアハッグはわりと命に関わります。無意識のうちに<加護>が発露しているのだろう、息が、息が出来ない。
「シャ、シャルロット……にぃちゃん死んじゃう……」
必死の助命嘆願を聞き入れてくれたのか、シャルロットはベアハッグを外してくれた。
新鮮な空気が美味しいです。
そして肩を掴まれるとクルリと軽く体を回されて向かい合わせに、シャルロットは頬を赤らめ潤んだ瞳で俺を見上げていた。
あぁ、10歳でも女は女なんだなぁとその色っぽい表情に見惚れていると自動的にズームアップされるようだった。
いや、ズームアップではなく物理的に近づいている。
俺の後頭部に回されたシャルロットの細腕が油圧式ジャッキよろしく俺とシャルロットの距離を強制的に近づける。
そして力ずくで重ねられる唇と唇。
これが愛の権能なのか、触れた唇からシャルロットの暖かな優しい感情が流れ込み、多幸感が俺の脳髄を蕩けさせる。
それは十秒にも満たない触れ合いだったのだけれど、二人の間には永遠の時が過ぎ去ったようにも感じられた。
「え、えーっと……シャ」
俺が何かを言おうとすると、シャルロットは背を向けて脱兎の如く逃げ出した。
だが、回り込むものは居なかった。
そして残される家族五人。
沈黙が場を支配する。
「む、うおっほん! ではカール、息災でな」
一番はやく気を取り直したのは父上、とりあえず無かったこととして進行するつもりのようだ。
「え、えぇ、カール、体には気をつけてね」
ルイーゼ巨乳姉さまも父上の流れに乗った。
「道中の安全は俺に任せろ!」
レオ兄さまがビシッと決める。流石は頼れる金獅子の兄貴だぜ。
「ふふっ、この弓に掛けてカールの身に傷一つ付けさせませんよ」
ジーク兄さまがクールに決めた。たまに思うがジーク兄さまには厨二の気配を感じる。
そしてそんな建前の下に流れる気まずい空気。
「はい、では、しばしおさらばで御座います!」
もう何を言っているのか自分でも判らないが、とりあえず俺も流れに乗っておくことにした。
グローセ王国第三王子カール少年10歳の旅立ちは悲しい別れのはずが、こうして家族の気まずい思い出として残ったのであった。
時は流れ、避暑地での生活は悪くないものであった。
美しい湖畔に面した館は住みよく、護衛を兼ねて付けられた使用人達が悪い感情を向けてくることもない。
10歳から始まる残り60年ほどの閑職なのだが、不平不満を口や態度に出すほど品の無い使用人達ではなかった。
血筋はあっても<加護>は無い、異世界基準では人としてのグレードが天と地ほど離れながらもこちらを見下すことがない姿には感嘆した。
心の中でセバスチャンと呼んでいる<執事>の一級加護を持つハインツ老、宮廷料理人として務めた経験を持つ<料理>の一級加護を持つ料理番のロニー、メイド長を務めるロッテンマイヤーさんは<館>の一級加護持ちだ。
彼等を筆頭に二級から三級の<加護>を持つ有能な使用人達は、それぞれ自身の<加護>と仕事に誇りを持ち、俺によく尽くしてくれている。
そんな使用人達に対して感じる感想は唯一つ。
「もったいない……」
日本人らしいもったいない精神。
王家の血筋にあるとはいえ、こんな役に立たないナマモノにここまでの奉仕が必要なものだろうか?
四畳一間、いや、2LDKがあれば俺には十分だというのに。
あとは、ご近所のおばちゃんを家政婦として雇ってくれれば御の字だ。
そう思ってしまうのは、ココに務める限り、ココより上に昇ることが出来ないという冷たい現実だ。
俺が無能力者であることは使用人の中では周知の事実であり、それはつまり、俺が死ぬまで使用人達はこの土地から開放されることがないということである。
そして10歳の俺はこの館の中で最も歳が若く、それゆえに順番として死ぬのは最後であろう。
ここはコッテリ系いっちゃう? 今生もメタボリックで逝っちゃう?
前世のお母様ごめんなさい、今生も不健康で肉体的にも太く短い人生を歩むことになりそうです。
才覚溢れる彼等をこんな俺の都合で引き留め続けるというのは精神的にキツイ。
ただ生きているだけで迷惑を掛けている、そんな気分。
とは言え、死にたいわけでもない。
かと言って彼等のために出来ることも無い。
<加護>を持たないことは職を持たないことに等しい。
五十年、剣を振るって体を鍛え、名刀と呼ばれる剣を手にしたとしても、木刀どころか木の枝を持っただけの<剣>の五級加護を持った10歳児に敗北してしまうのだ。
不意を付くなり搦め手を用いるなりすれば勝利は可能であろうが、正面切っての戦いでは敗北が必ず保証される世界。
努力と言うものが全く意味を成さない、俺の未来に広がるのはあまりに希望の無い世界であった。
ただ、<加護>を持つことが当たり前の彼等にとってそれは常識であり悲観することではない。
手にした<加護>をいかに効果的に使いこなすか、その一点において努力の価値が残っているからだ。
等級という壁があるにしろ、五級ならば五級の中での上下、一級ならば一級の中での上下が確かにあり、努力と研鑽は意味を持つ。
ただ、俺には関係のない話でもある。
努力なんて無駄だ。<加護>が無いのだから。
そうやって腐っていられたのも一ヶ月、俺が腐れば腐るほどに使用人達が自分達の手落ちについて思い悩んでしまうのだ。
寝台の上で腐ることも許されないので湖畔の桟橋から釣り糸を垂らし、釣りをしながら精神を腐らせることにした。
<釣り>や<狩猟>の加護を持たない俺のやること、日々の釣果はあったりなかったりだったが、大物が連れたときにはそれなりの喜びと言うものを感じたのだった。
料理番のロニーに調理してもらったその魚は実に美味しく感じられた。
そんな晴耕雨読ならぬ晴釣雨読の生活を送っていると、ある日、執事のハインツ老が一つの疑問を投げかけてきた。
「失礼ながらカール様は釣りに関する<加護>をお持ちではなかったと思うのですが、なぜ、毎日のように釣り糸を垂れるのでしょうか?」
釣りどころか何一つ<加護>などないのだけれど、そこはそれ、気を使った言い回しなのだろう。
ただ、俺の方も質問の意図が理解できず、数分ほど思考のための時間を貰って、それから俺はこう答えた。
「もしも私が<釣り>の加護を持っていたなら、糸を垂らせば必ず魚が釣れてしまうだろう。糸を垂らしても釣れるか釣れないかが解らない、だから糸を垂らすんだ。釣れたなら嬉しいし、釣れなければ残念で、大物が獲れたときなんて大喜びだ。面白いだろう?」
答えを聞いたハインツ老はしばらく考え込んだ後に、ハッと目を見開いて笑い声を挙げた。
<加護>のなか、必ず報われる努力と研鑽に務める人々のなかでは、報われるかどうか解らない努力というものの楽しさは理解できないものだったらしい。
籠のなかの鳥ならぬ、加護のなかの鳥。
<加護>という成功が約束された世界の中でしか飛ぼうとしなかった老いぼれ鳥が一羽、<加護>の外にこぼれ出た瞬間であった。
以来、桟橋の釣り人は二人になった。
時に片方だけが大当たりし勝利の栄光と敗北の味を知り、時に二人揃って丸坊主になり慰めあい、時に自分の釣った魚の方が大きいと大人気なく言い争った。
時は流れ、避暑地での生活は悪くないものであった。