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第二歩 一般人の常識




 街の中心街にほど近い一軒宿に二人はいた。



「俺はキール。とりあえずあんたと一緒に婚約者とやらを探そうじゃないか。もちろん報酬はいただくけど。一日……そうだな、そんなに大変な仕事じゃなかったら二万バル。おつかいやらなんやらが発生したら三万バル。衣食住にかかる料金は別」


「いいよ。ええと、毎日渡した方がいいのかな」



 キールは一瞬目を丸くした。自分で言い出しておいてなんだが、子供に払う駄賃にしては多すぎる。少し考えるが、ディンバーの金銭感覚のおかしさに感謝をして、ここは黙っておこうと笑ってごまかした。



「もちろん、毎日即金で。んで、俺は一日に一回は自由時間がほしい。金を家に入れるんで」



 ディンバーは料金の話にはあまり興味が無い様子で、頷きながら窓の外を眺めていた。

 部屋は二階にある。窓を開ければ大通りが見渡せる位置だ。宿がちょうど三叉路の又部分にあり、部屋もまた三つの道路がみえるなかなかのポジションだった。



「ちょっと聞いてるのかよ」


「うーん。聞いてるよ。とりあえず二万ね。二万バル」



 ディンバーは街から視線を剥がすと室内に体を向けた。そして、またもやあちこちから紙幣を取り出す。出窓のふちに腰を下ろし、傍らのテーブルにひらひらと紙幣が盛られていく。



「ええと、緑の一万が二枚。緑の一万が二枚。緑の一万……はい。これで正解?」


「……正解。でも、そのあちこちに金を突っ込む癖はなんなの」


「なんとなくだよ。ポケットがあるから入れる、みたいな」


「みたいな、じゃねぇよ。ふつう金は財布にっ……そうか」



 ディンバーの財布にはもっと恐ろしい身分証明書が入っているのだ。キールは震えながらなんとかその先をこらえて、意を決したようにディンバーがしまいかけていた緑の紙幣を数枚掴んだ。



「ちょっと買い物に行ってくる。良いよな。ちょっと待ってろよ」



 言うなり飛び出していくキールを見送って、ディンバーは少し苦笑した。



「これでもう一万プラス、かな」






 すぐに戻ってきたキールは、両手に大量の荷物を持っていた。



「まずは一般的な財布。紙幣全部は入れるなよ。掏られたら一文無しになっちまう。当面使いそうな紙幣だけをこっちに入れて、あとは今までみたいにあちこちに隠せ」



 放り投げられた黒い革製の入れ物を受け取ると、ディンバーは早速中を確認してから紙を詰め始める。



「これはあんたの服。そのナリはちょっと金持ちすぎるよ。そのかっこで「探し物をしています」なんて言ってみ? あっという間に偽情報が小山になって、あんたのポケットが空になるぜ」



 正確には超高額紙幣だけを残して空になりそうだってことだけどとキールはぶつぶつと呟いていた。



「とりあえず着換えろよ。それから身分は明かさないこと。いいな。誘拐されたり、暗殺されたくなけりゃ、せいぜいどっかの坊ちゃん辺りで妥協しろ」



 ポンポンと言葉を発するキールに、ディンバーは解った解ったと、ちっとも解っていない様子で頷いた。言われるがままに着替えを始める。横でキールも服を脱ぎ出した。荷物からディンバーと似たような雰囲気の服を取り出して着替えを始める。

 キールがシャツを脱いだとき、ディンバーはじっとその上半身を見つめていた。



「なんだよ。そんなに珍しいか」



 むっとした様子を隠そうともせずにキールは胸を張る。皮膚のいたるところに痣と傷痕があり、肩のあたりから鎖骨にかけてはやけどのように引き攣れている。



「鞭打ちも、油掛けも正当な刑罰なんだろ。あんたらが決めたんじゃねぇか」


「いや……その痣、天馬に見えるなって思って」



 ディンバーはそう言って、キールの胸に残る赤い痣を指さした。



「は? 天馬って羽根の生えてる馬のことか?」



 そんな回答が返ってくるとは思っていなかったのだろうキールは目を丸くして自分の胸を見下ろしていた。



「ほら。ほら。ここが羽根でしょ。ここが背で、ここが」


「ちょっと、止めろ。止めろって。このバカ王子!」



 真剣に指で痣のふちを辿っていたディンバーは、キールに思い切り頭をはたかれた。

 衝撃でベッドにぶつかってうずくまる。



「王子じゃないよ。公子だよ」



 今にも泣きそうな声でディンバーは主張するが、キールは肩で息をしたままこぶしを振り上げた。



「三回くらい殴ったら、あんたもしかしてまともな大人になれるんじゃねぇの?」


「その調子で三回も殴られたら、頭が平らになるよ」



 ディンバーが頭を抱えて丸くなる。ふと部屋には沈黙が落ちた。

 そろそろとディンバーが腕の隙間からキールを除けば、なんとも不思議な表情でディンバーを見ている。



「どうした?」



 今までよりも少しだけ低い声にはキールを心配する色が色濃く出ている。キールはそんな声を聞いて、弾かれるように顔を上げた。軽く首を振る。



「何でもない。それより着換えろよ。誰だかを探しに行くんだろ」



 キールの声は少しだけ沈んでいるようだった。ディンバーはそれ以上何もいわずに着替えを済ませる。



「……ディンバー公子。あんたが一人じゃ着替えが出来ないって感じの坊ちゃんで無くて良かったよ」


「着替えはみんな出来るだろう。……あ、いや。訂正。確かに出来ないやつもいたな」



 最後に靴紐を締めながらディンバーは先ほどと変わらない調子で答えた。キールも何事もなかったかのようにシャツのボタンを留め終える。髪の色を除けば兄弟と言ってもおかしくは無い二人組が出来上がった。



「モルダナートの小王子は歯磨き専門の下男がいたし。クタ・セト国の伯爵子息は執事を連れて、それこそ着替えから何から手伝ってもらってたし。東イーン公国の王女は着替えを手伝うメイドにこだわりがあって、上手く着替えられないと授業にも出てこなかったし」



 指折り数えられていく、やんごとなきご子息ご息女たちのあまりにもな非日常ぶりに、キールは目を丸くした後に深くため息をついた。



「な。俺のほうが出来が良いだろ」


「……同意してしまいそうな自分が嫌だ」






 二人は学生の風情で街へ出た。ディンバーが見るままにアレコレと投げかける質問に、母親よろしく答えながら道を進む。



「名前しか解ってないんだろ。アリューシャだっけ」


「そう。アリューシャ。俺の婚約者らしいって言うだけで、あとの情報はゼロ」



 またもキールが頭を抱えた。



「姓も外見もわからず? そりゃ無謀だろうよ。やっぱ俺この仕事降り」


「とりあえず五日間探すよ。ね。五日探していなかったらあきらめる」



 五日間。キールのは明らかに損得の計算をしている顔になった。

 五日で最低十万バル。キールのような貧困層には大金だ。清掃を生業にしている母の収入が、頑張っても月に三万バルなのだから余計にそう感じる。弟がこまごまと大人たちの手伝いをして月に一万。普段はキールが月に七万を稼ぎ、小さい弟妹三人を含め六人がなんとか暮らしている。たった五日間で十万バル。キールの口元が上がった。



「わかった。じゃあまずは神殿に行ってみようぜ、ディッツ」


「ディッツ?」



 キールはにやりと笑った。



「そ。あんたは今日からディッツ。自分の家に居る時は良いけど、こういうところでは呼び名を使う方がいいだろ。んでもって本名とかけ離れてると反応出来なくなるからな。我ながらいい名前だと思うぜ。なぁ、ディッツ?」



 ディンバーは口の中で何度もディッツと繰り返し、納得した様子で頷いた。



「神殿に行くって言うのは、……そうか、名簿があるのか」


「まぁ。ちゃんと毎月毎月税金を納めるだけの余裕がある人の名前はあるね。俺らみたいにその日暮らしのやつらは、治めた月だけノートに名前を書いてもらえるんだ。その名前が無いとクスリの引換券も買えないし、生活保障も受けられない」



 ディンバーは口元に指先を持って行き、何かを思案している様子だった。

 やがて二人の前に大きな白い建物が見えてきた。

 入口近くには真っ白なマントを身に付けた神殿兵が二人立ち、中へ入ろうとする者たちに目を光らせている。綺麗な格好をしている人には、恭しく頭を下げているが、少しでも汚れた服を着ている者には厳しい目を向けている。

 ディンバーとキールはそのちょうど中間と言うところだろうか。誰何されることなく中へ入ると、大きなステンドグラスが幻想的に空間を彩っていた。



「着替えてきて正解だったな。さっきまでの俺じゃすんなりは入れねぇや」



 ひとり言のようにキールがそうもらした。そのままさっさと奥へと進んでいく。そのためかキールはディンバーが眉を寄せたことには気がつかなかった。



「あっちが事務所。書記官に聞けばアリューシャが何人いるのかがわかるよ。って、なんでよりによってアリューシャなんて名前なんだよ」


「それは母に言ってくれ。それより、あの人が書記官?」



 ディンバーは一人の男を無遠慮に指さした。その手を素早くキールが掴んで下ろさせる。



「おうよ。ばかもん。神官様を指さすやつがあるか。目をつけられたら大変なんだぜ。鞭打ちならいい方だ。これが一般常識」


「了解した」



 またもキールは見ていなかった。ディンバーはいよいよ視線を険しくして歩を進めている。

 対照的にキールはにこやかな笑みを浮かべた。営業スマイル全開だ。人が近づいてきたことを見て、書記官は受付の窓を開ける。つるりと潔いスキンヘッドが、ステンドグラスから入ってくる光に艶めく。太い指が神殿備え付けの繊細な窓枠を固定した。



「すみません。ちょっと人を探しているんですが」


「人? 名前は?」


「アリューシャと言うんです」



 書記官はちらりとキールを見やってから、面倒くさそうに書類を取り出してめくり始めた。



「あー。アリューシャの後は?」


「それが、わからなくて。あの、実は僕たち以前学校の実習でお世話になった御屋敷のお嬢様にお礼を申し上げたくて。お嬢様のお名前がアリューシャ様とおっしゃるんです。ご存知ありませんか」


「学校の、実習……ね。どこの学校よ」



 一瞬キールが詰まると、すかさずディンバーが口を開く。



「カーダーライン校」


「へ?」



 書記官の顔が一瞬のうちに強ばった。キールはいまいちよくわからないという顔をしている。



「カーダーライン。ほら」



 言いながらディンバーは首元からチェーンを取り出した。そこには小さな青い王冠が通されている。今度はキールが青くなった。カーダーラインという名前は知らずとも、ディンバーがどういった学校を持ち出したかに想像がついたからだ。

 ディンバーが本当に通った学校。つまりは王位継承者が通うくらいの学校。もちろん生徒は皆やんごとなき方々で。



「こ、これは失礼した。アリューシャ殿ですな。ええと、この町にアリューシャという名前の……お嬢様は三名おられます。住所を記しますので少々お待ちを」



 とたんに書記官が慌てた様子でメモを取り出して書きつける。書きながら取り繕うような笑みを見せて口を開いた。



「この町には、アリューシャという人物が他にも数名おられますので。良くある……いや、素敵な名前なので……それはそうと、どのような実習を?」



 慌てて名前と住所を書き連ねて、書記官は恭しく紙片を差し出しながらにこやかに笑みまで浮かべてそう言った。



「昆虫」



 ついに二人とも押し黙った。



「昆虫採集に協力してもらった」


「あ、ありがとうございました!」



 キールが書記官よりも一瞬早く立ち直り、素早くディンバーの腕を引いてその場から引きずるように出て行った。

 書記官はやんごとなき方々の昆虫採集にしばらく思いを馳せることになった。



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