第九十九話 夢からの始まり
ここは……どこ?
微かに見覚えがある風景がシエラの前に広がっている。その光景はいつもの日常とは違い。色が薄くなっており、近くの喧騒も遠くに聞こえる。
精霊世界……という事は……。
そう、シエラが見ているのは昇と契約する前のシエラ達、精霊が住んでいる世界だ。そこは人間世界にある物がそのまま存在しているが、明らかに異なっている部分がある。それは色が薄くなっており、近くにある物がまるで遠くに在るように感じる。精霊世界では独特の感覚がシエラの中に蘇ってくる。
これは……夢。
独特の世界にシエラは今見ている光景が夢である事を察する。それはそうだろう。なにしろシエラは昇と契約をしている今では精霊世界に戻る事などは出来ないのだから。もし戻る事が出来るとしたら、それは昇が負けて契約が解除される時だけだ。だから今現在シエラの前に広がっている光景が夢であると判断した。
そんなシエラの前に一匹の野良犬が姿を現す。いや、正確にはそこに存在してたものだ。今ではまったく動く事無く、呼吸すらしていない。それが何を意味しているのかはシエラにはすぐに分かった。
すでに死んでいる野良犬は決して可愛いと言えない。それどころか軽蔑さえ覚えるほどの不細工だ。そんな野良犬の屍がシエラの前に存在している。
……知っている。この光景……ここで私は……。
「琴未、あそこ」
突然に昇の声が聞こえるとシエラはそちらを振り向く。そこには昇と琴未がいつもとは違った制服を着て、そこに立っていた。
そして昇は野良犬の屍を見つけるとすぐさま駆け寄ってきた。これが夢だと分っていても昇を避けるシエラ。今の昇にシエラの姿が見えていない事はシエラが一番良く分っている。それでも昇を避けるのには理由があるかもしれない。
私は……だから、そして……あの犬も。
あの時と同じ事を思うシエラ。そして昇もあの時と同じように野良犬の屍に寄り添うように座ると琴未も昇の後ろから顔を出してきた。
「随分と不細工な犬ね」
バッサリと切り捨てる言葉を吐く琴未。確かに琴未が言ったとおり昇の前に横たわっている犬の屍はお世辞にも可愛いとは決して言えない。愛敬が無いどころでは無い。それどころか嫌悪感すら覚えるほどの不細工な犬だ。
そんな犬の屍を前に昇は呟く。
「なんで……死んじゃったんだろう」
そんな昇の言葉に琴未ははっきりと言う。
「やっぱり誰も飼おうとか、餌を与えようとかしなかったからじゃない。なにしろそんなに不細工だし、というか本当に犬なのって疑いたくなるような顔をしてるじゃない」
やっぱりバッサリと切り捨てる琴未。けれどもこの犬を前にしては琴未だけではなく、誰でも同じ事を思うほどの犬だ。確かに本当に犬なのかと疑いたくなるような容姿はしているけど、その姿形でようやく犬だと判別出来るほどだ。よっぽどの愛犬家か動物愛護の会に所属している人意外は関わりたいとは思いたくは無いだろう。
そんな犬を前にして昇は呟く。
「けど……そんなの変だよね。だって犬は犬なのに変わりないのに。それなのに……」
それから先は聞かなくても分っている。そんな事を思うシエラ。
その言葉があったからこそシエラは昇に興味を抱いた。その言葉が切っ掛けでシエラは昇と契約をした。その言葉があったからこそ、今でもシエラは昇の傍に居られる、居る事が出来る。そう、全てはその言葉から始まった。
シエラはゆっくりと目を開けると、今ではすっかりと見慣れた天井がシエラの瞳に写った。それからシエラは自分の頬に手を当てると濡れているのを感じた。
私は……泣いてた? ……そうなのかもしれない。そんな自問自答をするシエラは涙を拭うと上半身を起こして時計を確認する。いつも起きる時間よりも三十分も早く目が覚めてしまった事にようやく気付いた。
けれども、このまま二度寝をする気分でもないシエラはベットから抜け出ると自分の部屋を見渡す。
シエラの部屋にはあまり物が置いてない。どちらかといえば殺風景なイメージを与える部屋だが、壁紙もカーテンも白で統一されている。その他にも机や多少の収納ができる物。それと姿見と呼ばれる大きな鏡しか置いていなかった。シエラらしい部屋といえばそうなのかもしれない。
決して広い部屋とは言えないが、シエラとしてはこの部屋で満足している事は確かだった。
そしてシエラは歩き出して姿見の前に立つと自分の姿を鏡に写す。そして上半身の服を全て脱ぎ捨てたシエラの真っ白で長い髪と同じく白い肌をしたシエラが鏡に映し出される。そしてシエラは精神を集中させると自分の背中にある翼を広げて、その姿を鏡に映し出した。
背中から生えた真っ白な翼はシエラに天使のようなイメージを与える。そもそも翼の属性という物は人間が翼を持ちたい、神の使いである天使が白い翼を宿している。そんな想いから生まれた属性だ。だからこそシエラの背から生えている翼も真っ白である。
けれどもその姿はシエラが最も嫌い、最も嫌な姿だった。
シエラはそんな自分の姿に耐え切れないようにその場に座り込むと翼を抱き込むように自分自身を抱きしめる。そして自分の翼に触れて思う。
いっその事、こんな翼は無い方がいいのに……と。
シエラはいつもの制服姿に着替えてから自分の部屋を後にしてキッチンへと向かった。現在の滝下家でキッチンを専門的に使っているのはシエラと琴未だ。二人とも昇への食事を提供するために自ら買って出た役目だから文句などが出るはずも無いが、今日のシエラはそんないつもの作業さえ休んでしまいたい気分だった。
けれども、そうなると琴未の食事だけが昇の口に入るのは更に気分を悪くさせると、シエラは気が重いままキッチンへと入ると、そこには既に琴未の姿があった。
「おはよう」
一応、一つ屋根の下に住む者同士だ。シエラは琴未にもちゃんと朝の挨拶だけは欠かすことは無かった。それは琴未も同じだ。
「おはよう。今日は随分と遅かったじゃない、てっきり昇の事を諦めたものだと思ってたわよ」
琴未は今日も朝から元気一杯でシエラに挑発的な言葉を飛ばしてくるが、シエラはそんな言葉を無視して朝食の準備に取り掛かる。そんなシエラに琴未は少しだけ首を傾げた。それはいつものシエラなら何かしらの反応が返ってきてたからだ。
けれども今日に限っては何の反応も無くシエラは琴未の言葉を無視した。それが新たなるシエラの手だと勘違いした琴未はそのまま何事も無かったかのように、いつもの朝食作りへと精を出す。
そんな琴未の姿をシエラは少しの間だけ見詰めていた。
「んっ、なに?」
「別に、なんでもない」
シエラの視線に気付いた琴未が質問してきたが、シエラは何事も無かったかのように朝食作りに入って行った。そんなシエラにもう一度、首を傾げる琴未。
いつもとは違うシエラの態度に琴未はまたしてもシエラが何かを企んでいるのではないかと勘繰るが、どうもそうでは無いとすぐに気付いた。それはいつものシエラなら何かを企んでいるならもっと狡猾的に動くはずだ。こんなあからさまにおかしな態度を取ったりはしない。
だからこそ琴未はいつもとは違っているシエラが気になった。だからだろう、ちょっとした気まぐれでシエラに話しかけたのは。
「シエラ」
「なに?」
「今日はどうしたの? 妙に落ち着いちゃって、何か悪い夢でも見た。あ~、そうか、昇が私に取られる夢を見たんだ」
琴未はいつもと同じようにを心がけながらシエラに話しかけた。まさかシエラの態度に心配しているとは決して悟られたくは無かったのだろう。
けれどもシエラから返って来た答えはいつもと同じような感じで展開された。
「確かに夢を見た。琴未が……ごめん、これ以上は私の口からは」
「って! いったいどんな夢を見たのよ!」
シエラの言葉に思わず突っ込みを入れてしまう琴未。それでもシエラの言葉が気になったのだろう。シエラとの会話を続ける。
「なに、いったい私がどうしたって?」
「……大丈夫、琴未の事……絶対に忘れないから」
「って! すでに星になってるの! 青空に私の笑顔が浮かんでるわけ!」
シエラの言葉に勝手に誇張を加えてくる琴未にシエラは笑みを向けてきた。
「琴未はいつものままでいい」
「はぁ?」
いきなり笑顔で意味不明な事を言って来たシエラに琴未は表し抜かれた顔をして、すっとんきょうな声を上げる。
それからシエラは作業に没頭し始めたので琴未もシエラの事が気になりながらも作業に集中して行った。そんな作業をしながらでも琴未はシエラに話し掛ける。
「いったいどうしたのよ、いつものシエラらしくない」
そんな言葉を口にする琴未。ここは琴未なりにシエラに気を使っているのだろう。まあ、珍しい事でもあるが、昇が居ない場所ではそんな二人の会話もごくごく稀に起きてもおかしくは無いのだろう。自分にそう言い聞かせつつ琴未はシエラの返答をまった。
「……別に、私はいつもと変わらない」
いつもとはちょっと違い、少しだけ間を置いていつもと同じような返事を返してくるシエラに琴未は更に話を続ける。
「そお? 私にはいつものシエラと変わってると思うから、こんな事を言ってるんだけど」
シエラを相手にいつものように会話をしていてはまたはぐらかされるだろうと琴未は率直に自分が思った事を口にする。そしてシエラも琴未がそこまで素直に出てくるとは思っていなかったのだろう。すぐに返事を返さずに作業をしながら、少し間を置いてから返事を返してきた。
「……昔の……夢を見た」
「ああ、やっぱり変な夢を見たんだ。それに精霊って寿命が無いんでしょ。昔って言うと数百年前とか?」
確かに精霊に寿命というのは存在しない。その精霊が生き続けようと思っている限り存在する事が出来る。だからシエラがかなりの年月を過ごしてきても不思議は無かった。こう見えてもシエラは翼の精霊なのだから。
そんな琴未の質問に今度はサラッと答えてきたシエラ。
「半年ほど前」
「って、それってつい最近じゃない!」
シエラの答えに思わず突っ込みを入れる琴未。まあ琴未としては突っ込む気は無かったのだが、シエラの返答が琴未に突っ込みを入れさせる結果となってしまったようだ。
そんな突っ込みをした琴未は溜息を付くと話しを再開させた。
「それでどんな夢を見たのよ」
「…………」
今度は沈黙で答えるシエラ。どうやら夢の内容までは話したくはないようだ。そんなシエラに琴未はもう一度溜息を付くと「まあ、いいけどね」とだけ返答して作業に没頭する事にした。
確かにシエラの態度は気になるが、そこまでシエラのプライベートに琴未は首を突っ込む気は無かった。第一そこまでやってやる必要が無い。なにしろ琴未にとってシエラは恋敵なのだから。
そんな感じで朝食の準備が終わる頃には閃華と綾香が起きてきて、続いて昇がやってきた。結局は最後まで寝ているミリアを綾香が起こしに行き、いつもと同じく賑やかな朝食が始まったのだが、その中でシエラ一人が黙々と朝食を口にしていた。
う~ん、どうしたのかな?
昇達は教室に付くといつものように賑やかな会話をしていたが、その中からシエラ一人だけが席を離れて窓から外を見ている。そんなシエラはいつものシエラらしくないと思った昇はそんな事を思ってシエラを見ていた。
窓からは未だに熱いと感じる風が入ってきており、夏の名残を残している。シエラはそんな夏の風に髪を揺らしながら空を見ているようだ。
「やっぱり昇も気になる?」
シエラを見詰めていた昇だが、急に琴未からそんな質問をぶつけられて琴未の方へと顔を向ける。
「シエラはいったいどうしたの?」
「さあ? 今朝からあんな感じなのよ」
確かにシエラは普段から口数は少ない方と言って良いだろうが、今日のシエラは口数が少ないどころか昇とすらも話そうとはせずに、窓の外を見て黄昏ていた。
そんなシエラの姿はいつもとはまったく違っており、その背中には哀愁どころか寂しさすら感じるほどだった。
そんなシエラの姿を見て黙っていられる昇ではなかった。昇は席を後にするとシエラのところへと向かった。
「シエラ、どうかしたの?」
シエラの横に立った昇は率直に質問をぶつける事にした。なにしろシエラだ。何かを企んでるにしろ、そうでないにしろ遠回しの質問はシエラにはぐらかされる可能性がある。それに昇はそんな器用な事が出来る性分ではない。だからこそ率直にシエラに尋ねる昇だった。
「…………」
昇の質問にシエラはすぐに答えようとはしなかった。いつものシエラなら何からの返事がすぐにあってもおかしくは無い。それどころか自分のペースに昇を巻き込もうとするはずだが、今日に限ってはそんな気配は無く、ただ黙って空を見上げていた。
「……昇は……空を飛びたいと思った事はある?」
「へっ?」
突然に来たシエラの質問に昇は少し驚いた声を上げた。まさかいきなりそんな質問が来るとは思ってもみなかったのだろう。けれども昇はそんなシエラの質問を真剣に考えるとその答えを口にする。
「子供の頃はそう思った時があったよ。鳥のような翼を持って空を飛びたいって」
それは誰しも思う事かもしれない。人は昔から空に思いを馳せていた。だからこそ飛行機は開発されたし、今だって鳥のように飛びたいとさまざまなスポーツがあるほどだ。人が空を飛びたいと思う気持ちは誰しも持つ物かもしれない。
だからこそ昇は翼の精霊であるシエラが少しだけうらやましと思った事もある。けれどもシエラに翼があるなら一緒に飛ぶ事が出来る。そう思えるからこそ昇はシエラと一緒に居るのかもしれない。
昇の答えを聞いたシエラは始めて昇の方へと顔を向けて口を開いた。
「その翼が偽物であっても、昇は空を飛びたいと思う?」
「にせもの?」
今度の質問には昇も首を傾げた。翼は翼であって本物も偽物も無いと思っているからだ。だからシエラが何でそんな質問をしてきたのか昇は不思議でならなかった。
けれども昇は昇なりにシエラの質問を真剣に考えると答えを口にするのだった。
「空を飛べるならそれは翼だよ、だから本物も偽物も無いと思う。それに本物の翼なんて存在しないよ。翼なんて皆姿形や色が違って当たり前なんだから、本物の翼なんてない。だから偽物の翼も無い思うよ」
そんな昇の答えにシエラは少しだけ驚いた顔をするとすぐに微笑を見せてきた。それは今日始めて見るシエラの微笑だった。
「……そっか、昇ならそう言うと思ってた」
「えっと……そうなのかな」
「そう」
シエラは微笑を浮かべたまま短く答えると満足したかのように自分の席へと戻って行ってしまった。そんなシエラの態度にやはり首を傾げる昇。
「やっぱり気になるようじゃのう」
「そうだね、いつものシエラとは感じがまったく違うし」
「…………」
「どうしたの閃華?」
いつものように突如として現れた閃華に驚きもせずに普通の会話をする昇。そんな昇に対して閃華は珍しくいじけたような顔をしていた。
「最近は驚いてくれんようでつまらなくなったものじゃな」
ええ、閃華さんのおかげですっかり耐性が付いてしまいまいたね。そんな皮肉な事を思う昇は閃華に向かって勝ったような笑顔を向けた。それが閃華の気に障ったのだろう。閃華は更にいじけたように昇を睨み付けると昇の横に立って話し始めた。
「まあシエラの事じゃから心配はいらんじゃろ。じゃが気を付けておいた方が良いかもしれんのう」
「気を付けるって、何に対して」
「さあ、それは分らん」
というか、そこが一番肝心なところじゃ。そんな事を思う昇だが、その事を閃華に尋ねてもしかたないと口には出さなかった。なにしろシエラの事について話しているのだから閃華がそこまでシエラの事を知っているとは思っていなかった。まあ、琴未の事ならすぐに閃華は答えられるだろうが、シエラの事は閃華どころか他の皆に聞いてもあまり分らないだろうと昇は思っていた。
そんな昇の突っ込みに気付いている閃華はそれを無視しながら話を続けてきた。
「昔から言うじゃろう。虫の知らせというやつをじゃな」
「それって、シエラの身に何かが起きるって事?」
「さあのう」
閃華としても確信があってこのような話をしている訳ではない。ただ何となくシエラの事で昇が気に掛けているからこそ、このような話をしているという訳だ。
「ただ一つだけ言える事はじゃな。時々じゃが、何かしらが起きる時は何かの前兆が起きる場合があるという事じゃな」
「つまり、シエラの態度は何かしらの前兆かもしれないって事?」
「そうかもしれんし、そうじゃないかもしれん」
つまりは分らないって事ですね。昇としてもそこまで明確な答えを閃華に期待していた訳ではなかった。ただいつものように何かしらのヒントでも与えてくれれば良いなと思ってはいたが今回は空振りのように昇には思えた。
「このまま何事も無ければ良いんだけどね」
素直に思った事を口にする昇。そんな昇の言葉に閃華も同意するが、それと同時に否定も思えるような質問をしてきた。
「そう願いたいものじゃが。昇よ、何かしら忘れておらんか?」
「へっ、何を?」
すっとんきょうな声を上げて首を傾げる昇。まあ昇としては何も忘れていないつもりだが、閃華はそうは思っていないようで思いっきり溜息を付いて見せた。
「そもそも昇よ。私達と契約をしたという事はじゃな。そのこと事態が精霊王の器争奪戦に参加したのと同じようなものなんじゃぞ」
「それは分っているけど」
精霊との契約。それは精霊王の器を持った者が精霊王の力を賭けて行われる契約者同士の戦争と言っても過言では無い戦いだ。その事は昇としては充分に分っているつもりだったが、そうでは無いと言いたげに閃華は再び溜息を付いて見せた。
「どうやら完全に忘れておるようじゃから言わせてもらうがのう。契約は争奪戦に参加表明をしたのと同じようなものなんじゃ」
「うん、それは分ってるよ」
「ならいつ、どこで、何が起こっても不思議は無いということじゃよ」
「つまり今度はシエラが原因で何かが起こるって事」
そんな昇の答えに閃華は首を横に振った。
「そうではない。戦いが起きる原因はすでに持っておるという事じゃよ。契約をして争奪戦に参加するという事はそういう事じゃ」
閃華にそう言われて自分の立場を改めて考えてみる昇。確かに閃華が言ったとおり昇がエレメンタルロードテナーを目指している限り、いつどこで戦いが起こっても不思議は無い。
そのうえ今の昇達はその一旦とはいえ精霊王の力を封印している。今現在はその力をセリスの治療に使ってはいるが、まだサファドのように精霊王の力を利用しようとした者が現れてもおかしくは無い。
つまりはいつ戦いが起こってもまったく不思議は無いということだ。
「うん、確かに閃華の言うとおりだけど、今戦いが起きるとまずくない? シエラがあんな状態だし」
「確かにそうじゃのう。じゃからこそ昇の出番という訳じゃよ」
あ~、やっぱり僕に来るんですね。今更ながらそのような役割が自分に回ってくる事を再確認した昇。なにしろ昇達の中では一応昇が契約者となっており、シエラを始め琴未までもが昇と契約をした精霊扱いとなっている。それに昇達が交わした契約は服従契約。精霊が契約者にはむかう事が出来ない契約だ。
けれどもそれは逆に言えば精霊達の不信感を買えば契約者自身にそのツケが来るという契約だ。だからこそ契約者が精霊をメンタル的にも支えてあげないといけない訳だ。まあ、昇としてはシエラの事が気なっており、その原因を探ってなんとかしてあげたいと心の底から思っているだけで、決してそこまで考えての行動を取っている訳ではない。
だからこそ閃華はそのような役目をいつも昇に振っているし、それはシエラ達も同じだ。だから昇達でリーダーは自然と昇になってきているという訳だ。
そんな事にまったく気付きもしない昇は、いつの間にかシエラの事に付いて考え込んでいた。
う~ん、あのシエラが何かを悩んでいるのかな? というかシエラが何かを悩んでいる姿なんて今まで見た事もなかったし、そんなシエラを想像する事も出来なかったよ。そんな事を考えた昇はやはりシエラの事について自分があまり良く知っては居ない事を再確認するのだった。
なんというか、シエラって琴未の次に僕とは付き合いが長いんだよね。まあ、ミリアや閃華とは数日しか違いは無いけど。それでも一番最初に僕と契約を交わしたのはシエラなんだよね。……けどシエラって僕達に対してある所で線を引いている気がするんだよね。
それはあくまでも昇がシエラに抱いた感想の一つであり、勘違いという事もありえるが、昇としてはシエラが何かについて決して踏み込まれたくない領域を持っているのではないのかと考えた。
けれどもそれは誰しも同じではないのかとも昇は思っている。人間であれ精霊であれ、心を持っているからには誰にも踏み込まれたくないテリトリーを持っていても不思議ではない。それは非常にデリケートであり、そう簡単に他人が足を踏み入れて良い場所ではない。
だから今日のシエラから感じるいつもとは違う感じはそのテリトリーに関する事ではないのかと昇は結論を出した。
「なんにしても、難しい事だよね」
そんな事を考えた昇は隣に居る閃華を身ながら、そんな言葉を口にする。それを聞いた閃華は頷くと微笑を浮かべながら言葉を返してきた。
「じゃが昇ならなんとか出来るじゃろう」
はっきりとそう言いのける閃華。昇にはどうしてそこまで言い切れるのかが不思議でならなかった。だからだろう直接その事を閃華に尋ねたのは。
「なんで閃華はそこまで僕の事をはっきりと言えるの?」
昇としては閃華がそこまで自分の事を評価しているとは思っていなかったのだろう。だからこその質問だ。その質問に対して閃華は微笑を絶やさないまま瞳を閉じる。
「海での出来事を覚えておるじゃろ」
「うん、つい最近の出来事だからね」
それは夏休みの中盤に皆で海に遊びに行った時の事だ。昇達はそこで風鏡と出会い、そして閃華の過去に触れることになった。
昇はその時の出来事を思い出しながらも閃華の言葉に耳を傾ける。
「昇よ、私にとって小松の事は決して触れられたくない事じゃった。それは私にとって後悔と贖罪しか残しておらんかったからじゃよ。じゃが昇はそこに足を踏み入れる事で私の後悔と贖罪を振り切って前に歩きだせるようにしてくれたんじゃ。それは風鏡殿も同じじゃろう。そんな昇じゃからこそ、今度はシエラの中にある何かを吹っ切ってくれると私は思っておるんじゃがのう」
そんな話を終えると閃華は瞳を開けて昇を見詰めてきた。そんな閃華とは目を合わさずに視線を逸らした昇は照れたように頬を掻く。
ただでさえ閃華の言葉を聞くだけで恥かしいのに、そのうえ閃華に見詰められては余計に恥かしいのだろう。
けれどもあの出来事があったからこそ、今の閃華があり、そして風鏡も新たに歩き出す事が出来たのは確かな事だ。
昇はそういう実績を持っている。だからこそ閃華も昇のそういう所に期待して、そのような言葉を掛けたのだろう。
けれども昇には閃華が言うような自身が無いのか、少し顔を下に向けると呟くように話しを続ける。
「でも、前は上手く行ったかもしれないけど、今回も上手く行くとは言えないよ。それにシエラにしてみたら本当に触れられたくない事なのかもしれないし、もしかしたら数日したら忘れてしまう簡単な悩みなのかもしれない。どっちにしても僕が口を出す事なのかな?」
確かに昇の言う通りなのかもしれないと閃華は感じ始めていた。それは今日のシエラがいつもとは違う感じがするだけで、今の時点で何かしらの問題が起きている訳ではない。ただ閃華がこんな話をしたのは、何かが起きた時の為に昇が対処しやすいようにしておこうと思ったからだ。
だから閃華としても本当はこのまま何も起こらずに、いつもの日常に戻っていく事を願っているのは確かだった。けれども閃華の性格からかそうそう気楽な気持ちで居られないのも確かだった。だからこそこうして昇に発破を掛けている訳だ。何かがあったときの為に。
「言われてみれば確かにそうじゃな。もしかしたら今日だけシエラの気分が変なだけなのかもしれんしのう。じゃからここは一つ様子を見るのが一番何じゃろうな」
閃華としてはそんな結論を出したようだ。確かに今日のシエラは変だ。だからと言ってそれが何かの問題を引き起こしている訳ではない。一番怖いのはそれを引き金に何かが起きてしまうことだ。だからこそ閃華は昇に警告をしようとしたのだが、逆に昇の言う事に一理あると感じてしまったようだ。
「うん、そうだね。確かに今日のシエラは少し変だけど、だからと言って僕達が焦って何かをやるべきじゃないよね」
「そうじゃな」
「そうなんですね~」
昇と閃華とは別な声が二人の前から急に聞こえてきた。その事で二人とも顔を上げるとそこにはラクトリーの姿があった。
「えっと、なんでラクトリーさん、じゃない、ラクトリー先生がここに」
そんな昇の問い掛けにラクトリーは笑顔で答える。
「それは簡単ですよ」
そう言ってラクトリーはある所を指差す。ラクトリーが指差した場所に目を向ける昇と閃華。そんな二人の目に映ったのは時計であり、時刻は既に授業開始の時間を過ぎていた。
「あっ」
「おやおや」
二人とも授業開始のチャイムが聞えないほど集中して話していたのか、昇が辺りを見回すとクラスの視線は二人に集中しており、皆が席に付いていた。
「分りましたか?」
笑顔で問い掛けてくるラクトリーに昇は謝ると閃華と共に自分の席へと戻って行った。そして開始されるラクトリーの授業。
ラクトリーの担当教科は世界史だ。特にミリアに対しては厳しく、ミリアがラクトリーの授業中に寝そうになるとラクトリーの投げたチョークがミリアの額に見事にヒットする事が頻繁に起こっている。
そんな光景がラクトリーの授業ではもう恒例行事となっていた。その度にミリアは涙目になってラクトリーに謝り、クラスには笑いが溢れていた。
そんな授業中にも昇は左の席に座っているシエラを頻繁に見ていた。そのシエラは昇の視線に気付く事無く、そしてクラスの皆と一緒に笑みを浮かべる事無く、ただ遠くの窓から空を見上げていた。
そんなシエラに昇は何かしらの言葉を掛けたくなるが今は授業中である。それに話なら家に帰れば何時でも出来るとその時は、何もせずに割り切る事にした。
その時はまだ昇達も知らなかった事だから、昇がそんな態度を取ったのもしかたないだろう。まさか帰る前に与凪からの召集があるとは、その時の誰もが思ってもいなかった事なのだから。
さてさて、そんな訳でいよいよ白キ翼編もスタートしました。いやはや、いったいどこまで続くんだエレメって感じですよね~。まあ、かなり続ける予定ですからね~。
さてさて、そんな訳で今回はシエラの夢からスタートしましたね。その夢が告げているのは何か。そして与凪が召集を掛けてきた理由とは、まあ、その辺はおいおい書いていくつもりですのでお楽しみに~。
そんな感じで進んで行く白キ翼編ですが……今回は今までにやった事のなかったバトルをやろうとしております。それが誰と誰との対決かはまだ言えませんがね。かなり意外な対決になるのかもしれません。まあ、勘の良い人は既に分っているかもしれませんね。
さてさて、そんな訳でここいら辺で締めるとしましょうか。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。
以上、エレメを書くスピードが最近では早くなったのかな? とか思い始めた葵夢幻でした。