第八十六話 さまざまな教え
翌朝、琴未は日が昇るのと同じ時間に起きるとすぐに準備に取り掛かった。もちろん、ここを数日の間だけここを出るための準備だ。
このままでは何も変わらないと感じた琴未は修行しなおすべく数日の間は実家に帰って玄十郎に鍛え直してもらおうと考えていた。そのための準備を終えた琴未は事の次第を全て告げた手紙をリビングにあるテーブルの上に置いた。彩香宛てにしての手紙である。
昇達は事の次第を全て知っているからこそ、琴未がそのような事をしても不思議には思わないだろうが、何も知らない彩香にはそれなりに言葉を濁して告げておく必要があった。
全ての準備を終えた琴未は静かに滝下家を後にするのだった。
高戸神社の奥にある剣術道場。一応剣道などで貸し出しなどをしているが、こんな朝早い時間に使うのは琴未の家族だけだろう。
琴未は道場のど真ん中に正座すると静かに玄十郎が入ってくるのを待っていた。玄十郎はここ数十年朝稽古を欠かしたことは無い。だからここに居れば必ず玄十郎に会えるのは確かだ。
琴未が静かに座っている事、数十分後に玄十郎は道場に足を踏み入れて驚いた。まさか琴未が居るとは思わなかったからだ。
それで玄十郎はすぐに平常心に戻ると琴未に向かって歩き始めた。そして琴未の前に立つと琴未は額を床につけるぐらいに頭を下げた。
「お爺、お師匠様。私にもう一度稽古を付けてください! 誰にも負けないぐらい、もう一度だけ鍛え直してください」
最大限の礼儀と必死を込めた琴未の言葉にさすがの玄十郎も驚いた。琴未の事は充分に知っているが、ここまで必死に頼み込んできた琴未の姿を見たのは始めた。
玄十郎は静かに琴未の前に座ると頭を上げるように言った。
「まずは何があったのかを話しなさい。全てはそれからだ」
普段の玄十郎とは違い、一切の甘さを捨てた玄十郎の言葉に琴未は少しだけ驚き、生唾を飲み込んだが、すぐに全てを話した。
自分が負けた事、巫女としての役目すらも出来なかった事、そして昇の力になれなかった事。その全てを話した。もちろん負けた悔しい感情を抑えきれない場面もあり、時々泣きそうになったが、それでも全てを話した。
玄十郎は琴未の話を黙って聞いていただけだ。頷きすらしなかった。それは琴未の話を真剣に聞いていた証拠なのかもしれない。
だからころ全てを聞き終わった玄十郎は意外な言葉を琴未に掛けるのだった。
「琴未は充分に強い、それでも儂に勝てないのは経験の差によるものだ。だが今回の負けはまったく違う要因だ。だから儂から言えることなど何一つ無い」
「そんな!」
玄十郎なら何かしらのヒントをくれると思っていただけに琴未の衝撃は大きかった。玄十郎から何も得られないとなると、どうすれば良いのか分らなくなってきた。
それでも悔しい気持ちと強くなりたいという思いが入り混じっているのだろう。琴未は自分の袴を手が震えるほど強く握り締めた。
そんな琴未を見て玄十郎は視線を逸らしてから言葉を発してきた。
「儂が教えられる事は全て教えてた。けどそれは逆に言えば儂から教わった事しか知らないと言う事だ。琴未……琴未の中にある力は儂が教えた物だけでは無いだろう。契約によって手に入れた力もあるだろう。琴未はその全ての力を完全に使いこなしていると言えるか?」
「えっ、いきなりそんな事を言われても」
確かに今までの琴未は玄十郎から教わった剣術とエレメンタルによって備わった雷の属性を組み合わせて使ってつもりだが、それを完全に使いこなしていると言われると即答は出来なかった。
一つ一つの物を順番に使って組み合わせて使ってきたのだから、一つの事に関しては完全に使いこなしている言えるだろう。けれども全ての力を使いこなしているかと聞かれると、そうでは無いような気がしてきた。
確かに私には新螺幻刀流と雷の属性がある。けど……今まではそれを別々に使ってきたのも確かよね。全ての力を完全に使いこなすか……そっか! 新螺幻刀流に雷に属性を加えればいいんだ。
「つまり新螺幻刀流に雷を加えれば良いのね」
そんな答えを出す琴未。けれども玄十郎は首を横に振った。
「それでは今までの新螺幻刀流とは変わりないだろう。負けた時の事を思い出してみろ。それで勝てたか?」
「……ううん」
首を横に振る琴未。確かに新螺幻刀流に雷の属性を加えても剣術の威力が増すだけだ。それで遠距離を得意としている咲耶に勝てたとは思えない。
再び頭を垂らして落ち込む琴未に玄十郎は静かに立ち上がると格子窓から外を見ながら話し始めたのだった。
「そもそも新螺幻刀流とは巫女や神主などが物の怪から人々を守るために作り上げた剣術だ。それだけではない、どんな剣術にも始まりというのもある。それはやはり何かの目的があっての事だろう。誰かを守る、誰かを斬る、どちらにしても強くなるために新たに作り出して伝えてきた。剣術も今は剣道として残っている。そして巫女のもう一つの役目である物の怪から人々を守る新螺幻刀流も今に残っている。それがどういう意味か分かるか?」
「……」
あまり良く分からなかったのだろう。琴未は黙り込むだけだ。そんな琴未に玄十郎は振り向く事無く話を続けるのだった。
「つまり何事にも始まりはあるということだ。さまざまな艱難辛苦を乗り越えて新螺幻刀流は今も存在している。それは新螺幻刀流を作り出し、時には改良し、今に伝えてきたからだ」
「……あっ」
ここまで来てようやく玄十郎が何を言いたいのかを理解したのだろう。琴未は短く声を上げると玄十郎に向かって嬉々し話しかけた。
「つまり新螺幻刀流と雷の属性を使って新しい剣術を作ればいいんだね。そうだよね、お爺ちゃん!」
答えが分かった事に興奮しているのか、または道を見出した事が嬉しいのかすっかりお師匠様から普段のお爺ちゃんに戻ってしまっている琴未の言葉に玄十郎は振り返ると優しい笑みを向けた。
つまりは正解だということだろう。
確かに琴未は今まで新螺幻刀流と雷の属性を分けて使ってきた。その二つを混ぜ合わせて新しい物を作ろうという発想すら出来なかったのだ。その事を悟らせるために玄十郎はわざわざ遠回りの話をしたのだ。
率直に言っても琴未は完全に理解出来ない事を玄十郎は充分過ぎるほど理解している。伊達に琴未のお爺ちゃんはやっていない訳だ。
「まあ、そういう事だな。だが口にするのは簡単な事だが実際にやるとかなり難しいぞ。なにしろ手本などという物は無いのだからな。全ては自分で考え出さないといけないのだから、それだけの覚悟はあるのだな」
「もちろんよ!」
即答した琴未に玄十郎は近寄ると琴未の頭を撫でた。
「いつでも恋愛に関することばかり話していたから子供だと思っていたが、思っていたよりも成長していたんだな」
「た、確かにそうだけど、私だってちゃんと成長してるわよ」
「はっはっはっ、そうだな」
「それよりもいつまでも撫でてないでよ」
琴未は玄十郎の手から逃れると拗ねたよう顔を背けるが、すぐに玄十郎に向き直って一度頭を下げた。
「ご教授、ありがとうございました。これからは様々な艱難辛苦が待ってようとも、今の教えを胸にがんばって行きます」
しっかりと礼儀を返す琴未に玄十郎は何度か頷いてみせた。それから琴未が頭を上げるとまるで次の言葉を期待しているかのような顔で待っていた。
そんな玄十郎に琴未は溜息を付くと、しっかりと言葉にしてみせた。
「だからお爺ちゃんは大好きだよ」
「儂も琴未が大好きだぞ」
調子に乗って抱き付こうとする玄十郎を体をそらしてかわす琴未。もうすっかり慣れたという感じの顔で溜息を付いた。
一方の玄十郎は床に頭を思いっきりぶつけたのだが、その顔は思いっきり幸せだった。ここが琴未に甘い玄十郎一番の短所なのだろう。
昼過ぎの滝下家はすっかり静まりかえっていた。シエラとミリアはどこかに出かけたようで。今現在この家に居るのは昇と閃華と彩香だけだ。
昇は自らのベットに体を横たえながら天井を見上げていた。どうやら何かしらの迷いや考えをする時の昇の癖らしい。
ラクトリーの話を聞いてからというもの、昇はどうするべきか迷っていた。このままラクトリーを信じて精霊王の封印を渡すか、それともこのまま精霊王の力をこちらで封印し続けるかのどちらに決めないといけないと考えているようだ。
でも……そんな事に答えなんて出せないよな。
ラクトリーの話に証拠が無い限り精霊王の力を任せる事なんて出来るわけが無い。ラクトリーとしてもその証拠を提示する事が出来なかっただからしょうがないと言えるだろう。
問題はそれだけでは無い。もし交渉が決裂した時には再びフレト達と戦う事になるのは必至だろう。そうなると昇達は完全契約したフレト達を打ち倒さないといけないのである。
けれども個人の力では完全にあちらが上である。こちらがどう足掻いても勝ち目なんてものはない。
それをどうにかいて勝利をもたらさないといけないのだから問題は山積みである。
精霊が自分の命を差し出しての完全契約か~。だからあれだけ強い……そんな人達を相手にいどうやって戦えばいいんだ?
結局は堂々巡りで答えなんて出てくる気配なんてしなかった。
そんな時だった。ノックする音が聞こえると昇の返事を待たないで閃華が部屋の中に入ってきた。
「相変わらず悩んでいるようじゃのう」
「いつもの事ながら、何で僕だけこんなに悩んでるんだろうって思うよ」
「くっくっくっ、いろいろと背負い込んだり、首を突っ込んだり、しておるからのう。それはしかたないじゃろ」
閃華は軽く笑うと昇はベットに腰を掛けた。そんな昇の前まで閃華は進むと立ったまま昇と視線を交わすのであった。
「今回も迷っているようじゃのう」
「もうどうすればいいよ。特にラクトリーさんの話を聞くと……どうすれば良いかなんて答えなんて出ないよ」
「じゃろうな」
「……」
さすがにこんな雰囲気の時に漫才のような事をする気にはなれないのだろう。二人とも閃華の冗談染みた言葉を軽く流すだけだ。
「僕としてはラクトリーさんの話を信じて見たいと思ってる。でも閃華達は反対なんでしょ」
突然そんな質問をしてくる昇。昇一人だけの問題ならラクトリーの話を信じていたかもしれない。それに閃華とシエラが異論を唱えたからこそ昇は迷う事になってしまった。
その事を再確認する昇。そんな昇に閃華は静かに目を瞑るとゆっくりと語りだした。
「私とてラクトリー殿の話を信じてやりたいんじゃが、なにより精霊王の力じゃ、そう簡単に決断を出して良い物では無いからのう。ここは誰かが慎重論を唱えないといけないと思っただけじゃ」
「そう……だよね」
精霊王の力が暴走すればどれだけ危険な事になるのかは昇達が一番よく知っている。だからこそ、ここは慎重に決断しなくてはいけないのだ。閃華はその事を昇に伝えているし、昇もその事は分ってる。
けれどもラクトリーの話しが本当ならフレトの妹は命の危機に瀕しており、精霊王の力を必要としている。だからこそ協力してやりたい。
だけどその話しが本当だという証拠が無いからには信用するわけには行かない。何処まで行っても堂々巡りだ。
昇は再びベットに横になると片腕で両目を塞ぐ、もうどうして良いのか分からないのだろう。
そんな昇に閃華はこんな言葉を掛けてきた。
「昇はいったいどんな未来が一番良いとおもっておるんじゃ?」
「へっ?」
いきなりの質問に昇は再び上半身を起こすと閃華の顔を見詰める。
「昇が迎えたい未来の事じゃ。昇が望んでいる未来とはいったいどんなものじゃ?」
「いきなりそんな事を言われても」
閃華の問い掛けに考え込む昇。けれども答えはすぐに出てきた。
それはもちろんフレトの妹を救いながらも精霊王の力を今までどおりに管理する事だ。それなら誰も文句は出ないだろうし、誰かが傷つく事は無い。
けどそれが実際に出来るかどうかとなると難しいだろう。昇が無条件でラクトリーを信じられないように、フレトも無条件で昇を信じる気にはなれないだろう。妹の病気を治してあげるから日本に連れてきてなんて言えるわけが無い。
たとえ言ったとしてもフレトがそんな事を承知するわけが無い。それが分っているだけに自分の理想が理想であって現実にはならないのでは無いのかと思っている。
「自分が思っている未来が必ず実現できるなら誰も苦労しないよ」
確かにその通りである。誰しも自分が思っている未来を手に出来る訳ではない。むしろ挫折する者の方が多いだろう。
そんな昇の答えを聞いた閃華は昇の隣に座るとこんな話をし始めた。
「昇、他倒自立の理というのを知っておるか?」
「たとうじりゅう?」
頷く閃華に昇は首を傾げるだけだった。そんな昇に閃華は説明を始めた。
「他倒自立とは相手を倒して、その上に自分が立てという勝負の理じゃ。つまり自分の理想を現実の物にするために誰かを倒さなければならないのなら、相手を倒してその上に自分の理想を築けという事じゃな」
というか、なんでいきなりそんな話を?
閃華がいきなりそんな話をし始めた事を考え始めた昇。閃華の話だけにそれなりの意味があるのだと思ったのだろう。確かに閃華ならその可能性は大きいだろう。
閃華は直接的ではなく、間接的に物事を伝える事が多いのだから。
だからこそ昇は閃華が話した意味を考えてみる。
それってつまり勝った方が負けた方を自由に出来るって事だよね? まあ、スポーツでもなんでも勝った方が栄光や名誉なんかの理想を手に入れられるんだから。けど、それと今回の状況がどんな風に繋がるんだろう?
確かに今回の状況はフレトを倒せば良いというだけで終わるものではない。物事がそれだけで決着が付くならどれだけ楽なのだろう。そんな風にも昇は思ったりもした。
だからこそ閃華に尋ねてみる。
「今回は相手を倒したとしても、そこにどんな意味があるの?」
昇のそんな質問に閃華は別の質問で返すだけだった。
「昇は相手を倒した後にどんな理想を立てるつもりじゃ?」
「えっ?」
どんな理想って……あっ! そうか、閃華はそういう事を言いたかったんだ!
閃華が言いたい事の意味を理解した昇は思わず立ち上がる。
「そうか、僕は難しく考えすぎてたんだ。何の事も無い、今回も相手を倒せば良いだけなんだ。それも正面から堂々と、完璧に勝てば良いだけなんだ」
そんな言葉を口にする昇。どうやら何かを掴んだ事は確かなようだが、未だに昇のベットに腰を掛けている閃華は溜息を付いた。
「言葉にするのは簡単じゃが、どうやって完全契約した相手を倒すんじゃ?」
「……あっ」
さすがにそこまではすぐに考え付かなかったのだろう。というか完全に忘れていたようだ。そう、他倒自立の理を実現させるためにはフレト達の完全契約を破らないといけない。
それが出来ない限り他倒自立の理を成立させる事が出来ないのだから。
昇は再びベットに倒れ込むとそのまま頭を抱えるのだった。そんな昇の姿に閃華は少しだけ微笑を向けると立ち上がった。
「何にしてもじゃ、私に出来るのはここまでじゃからのう。後は期待しておるぞ、昇」
それだけを言い残して閃華は昇の部屋を後にした。
……他倒自立の理か……確かにそれならラクトリーさんの件はどうにかなるかもしれない。でも……相手は完全契約をした精霊だ。そんな人達を相手にどうやって戦えばいいんだろう?
結局はベットに横になりながら迷う事になった昇。けれどもいくら考えても答えなんて出て来はしなかった。
天井を見上げながらどれだけの時間を考えたのだろう。突然昇の腹が空腹を訴えてきたので時計を見ると正午を過ぎていた。
もうこんな時間になってたんだ。
時間を確認するとリビングに降りていく昇。そしてリビングに着くと珍しい光景が広がっていた。いつもは昼食の用意もシエラと琴未がしていたのだが、今は彩香がしている。
シエラ達と契約する前は珍しくもなんでもない光景だったのだが、久しぶりに見た光景に昇は懐かしい気持ちになった。
「ああ、やっと起きてきたのね。昼食は出来てるからさっさと食べちゃいなさい」
これも久しぶりに見る彩香の母親としての一面。今は珍しい光景を連続で見て驚きはしたものの、少しだけ安心した。
テーブルに付いた昇は並べられた昼食に注目した。なにしろ二人分しか用意されていなかったのだから。
様子から見て彩香が昼食を済ませた気配は無い。そうなるとこれは彩香の分なのだろう。
「閃華はどうしたの?」
そう推測した昇は閃華の朝食について尋ねると、用事があるから外で済ましてくると返事が返って来た。
「そう……なんだ」
なんだか急に静かになったような感じで寂しいような感じもするが、こうして彩香と一緒に二人っきりで食事をするのも久しぶりなので懐かしさも少しだけ沸いてきた。
そうこうしているうちに昼食は出来上がり、二人は揃って昼食を口に運ぶのだった。
食事が終わり、食器をそのままに昇と彩香はお茶をすすっていると彩香から話し始めてきた。
「それで、今度は何の事で悩んでるの」
すすっていたお茶を吹き出して咳き込む昇。まさか彩香がそこまで推測しているとはまったく思っていなかったようだ。
「まったく、なにしてんのよ、汚いわね。とりあえず口でも拭きなさい」
タオルを渡されて口を拭く昇。彩香は適当に辺りを拭いて細かいところは後でやるつもりらしく、再びお茶を口に運ぶのだった。
「……いつから気付いてたの?」
「昇が悩み始めた時からよ。もう何年も母親をやってるのよ。それぐらい分るわよ」
「……」
返す言葉が見付からずに黙り込んでしまった昇。彩香には精霊や争奪戦の事を一切話していない。それは彩香を巻き込みたくないという昇の意思から出てきているものだが、彩香にしてみれば息子が何かに付いて悩んでいるのか分るのだろう。
それに彩香がそう思ったのには他にも理由があるみたいだ。
「琴未ちゃんは今朝から実家に帰ってるし、シエラちゃんとミリアちゃんも朝食を済ませるとどっかに行っちゃったし。閃華ちゃんもどっかいっちゃったし、これで何も無いとは思えないわよ」
確かに彩香の言うとおりである。昨日の負けが堪えているのか、皆今朝から行動を起こしている。それに反して昇は自分の部屋で悩み続けるだけだ。
そんな自分に何かをしなければいけないとは思うものの、何をして良いのかはまったく思いつかなかった。
黙り込んだ昇に彩香は微笑みながら言葉を掛けてきた。
「とりあえず皆の様子でも見てきたら。皆が何をして、何を望んでいるのか。それが分るだけでも昇が答えを出すのにヒントになるんじゃない」
「……母さん」
「それに……皆は自分の進む道を見つけて頑張っているんでしょ。昇だっていつまでも悩んでられないでしょ。だったらとりあえず動いてみて、それから考えてみてもいいんじゃない」
そう……なのかな?
彩香の言葉に迷う昇。確かにこのまま部屋で悩んでいても答えが出るとは思えない。かと言って皆のところに行って迷惑になるかもしれない。なにしろ皆は自分達が選んだ道に向かって頑張っているんだから。
そう思うと昇は皆の所に行くのをためらい始めた。
「でも……頑張っているなら迷惑になるんじゃ?」
「ならないわよ、絶対に」
はっきりと即答する彩香は昇に向かって微笑んでいた。
「皆昇のために頑張っているんでしょ。だから迷惑になんてならないわよ。それに例え離れていてもいろいろな物が繋がっているものよ。それに気付かないなんてまだまだね」
「なんだよ、それ~」
不満げな声を漏らす息子に彩香は更に微笑んで見せた。彩香はそのままお茶をすすると微笑んだまま話を続けてきた。
「正直に言うとね……少し不安なのよ。皆は私に何も話してくれないし、昇だって何をしているのかまったく教えてくれない」
「それは……」
「分ってるわよ。皆も昇も私に気を使ってる事ぐらいわね。けどね……どんな事があっても私が昇の母親である事には変わりないのよ。だからこそ言える事がある、だからこそ助ける事が出来る。別に全部話せとは言わないけど……頼れる時は頼っていいのよ」
「……うん」
顔を上げる事無く頷く昇。どんな顔をして良いのか昇にはまったく分らなかった。確かに彩香の言う通りなのかもしれない。けど、争奪戦の事を隠したままの相談事なんて出来るわけが無い。
だからどんな言葉を出せばよいのかまったく分らなかった。それでも今の彩香には何を話さないといけないような気がした。そんな気にさせるような力が彩香から出ているようだ。
実際は彩香が昇を心配しているだけなのだが、普段が普段だけにここまで真剣に出られると昇にはまったく敵わないのだろう。
だからこそ、昇は言葉を選びながら話し始めた。
「始めて……完璧に負けて皆も悔しいんだと思おう。でも、個人の力では完全に相手の方が上でこちらがどう足掻いても勝ちようが無いんだ。それでも、僕達はその戦いに勝って守り通さないといけない物がある。僕が選んだ……未来の為に」
「……」
昇の話を聞いた彩香はすぐに返答は返さなかった。昇が真剣に迷っているからこそ、ここは慎重に出た方が良いと思ったのだろう。
だからこそ彩香は言葉を選びながら昇に話しかけるのだった。
「そっか……でも、皆は諦めてみたいね。何でだと思う?」
「えっ、いきなりそんな事を言われても」
いつもの冗談のように聞こえるが彩香の顔は優しい顔になっている。どうやら真剣に話した方が良さそうだ。昇はそう判断すると真剣に考える。
「……やっぱり、分らないよ。負けて悔しいのは分るけど、けどがむしゃらに特訓して勝てる相手じゃないのは皆分ってるのに」
「皆分っているのに頑張っているのよね」
「それは……」
確かにその通りだ。相手は完全契約で精霊の力を完全に出す事が出来る。そんな相手に今の昇達が敵うわけが無い。それでもシエラ達は諦める事無く、それぞれの相手に勝つべく特訓している。
それは何の為か? 負けたからではない、それが以外にも理由があるのだと昇は思いつくが、それが何なのかまったく分らなかった。
考え込む昇の姿に彩香は軽く笑った後にわざわざ大げさに溜息を付いて見せた。
「閃華ちゃんの言う通りね。本当に昇は朴念仁なんだから」
だから朴念仁ってなに?
そんな疑問を昇が口にする隙を与えずに彩香は話を続ける。
「皆……信じてるのよ。昇ならこの状況を撃破できる手段を手にする事が出来るって、だから今は自分が出来るだけの事をやっているだけよ」
そんな彩香の言葉に昇は思いっきり溜息を付いた。
「いつもの事ながら何で僕なんだろう?」
「それが朴念仁っていわれる理由よ」
またそれですか。
昇は諦めたかのように溜息を付いてみせると彩香は昇に向かって再び微笑んで見せた。
「それだけ繋がってるのよ。皆と昇はね。皆は昇を信じて頑張ってる。昇だって皆を信じて今の状況をどうにかしようと頑張ってるんでしょ?」
「それは……そうだけど」
「だから繋がってるのよ。それがまったく見えないものでも、皆と昇はしっかりと繋がっている物なのよ。もしかしたら皆と運命の赤い糸で繋がってるのかもね」
いきなりそんな冗談を言いだした彩香に昇は呆れたような顔を見せた。そんな昇の顔を見た彩香は軽く笑うと話を続けた。
「それは見なくとも感じる事は出来るでしょ。自分が皆と繋がってるんだって。離れていても近くに居るような、そんな感覚を感じた事があるでしょ?」
「そんなの簡単に……」
言葉の途中で話を止める昇。彩香の言葉に何かしら引っ掛かる部分があったからだ。
離れていても繋がってる、遠くても近くに居るように感じる……それって……エレメンタルアップを使用した時に感じる物じゃないか。
そうか、エレメンタルアップは使用すれば繋がる事が出来るんだ。皆と一緒に居る事を感じる事が出来るんだ。……あっ、でも、それが分ったからっていったいどうやって完全契約に勝てと?
肝心なところで再び考え込む昇。どうやらまた行き詰った事を感じた彩香は優しい顔のままお茶をすすると再び話し始めた。
「知ってる、協力するのは足し算だけど繋がるのは掛け算なのよ」
「はぁ?」
いきなり突飛押しの無い事を言い出した彩香に昇はすっとうきょうな声を上げた。
「どんなに心の通じた相手と協力するのは、どんなに頑張っても足し算でしかないの。けど、本当に心の底から信じている相手と繋がって協力するのは掛け算なのよ。だから繋がっている昇達は強いのよ、本当にね。後はそれをどうやって活用するかね」
それはつまり……エレメンタルアップの使用方法が一つじゃないって事なのかな?
彩香の言葉にそう感じる昇。どうしてそう感じたのは分らない。ただ本能がそうだと訴えてきているような気がした。それだけではない。昨日戦ったフレトも自分の能力を武器に付加することで応用している。だからこそ他の属性を支配する事が出来たんだ。
つまりエレメンタルアップも普通に使っているだけじゃダメなんだ。何かもっと、別の使い方があるんじゃないのかな。もしかしたらそうなのかもしれない。
何かしらを掴んだような気がした昇。それが何なのかはまだ分らないが、確かにこの手に掴んだような感覚を得ていた。
「ちょっと出かけてくるよ」
「そう、行ってらっしゃい」
そうだ、まずは母さんが行ったとおり、皆の様子を見に行って見よう。掴んだこれが何なのか分るかもしれない。
昇はすぐに出かける仕度をするとすぐに家を飛び出して行った。
そんな滝下家に一人残された彩香は未だにお茶をのんびりとすすっていた。
「まったく、人がいつまでも何も知らないと思ったら大間違いよ」
彩香はしっかりと知っていた。昇が争奪戦に参加している事や今回の事情の事を。
「それにしても……まさか閃華ちゃんの口から全てが語られるとは思って無かったわね。……でも、いろいろな事でこれは良かった事なのかもしれないわね。昇はしっかりと成長してるし、あの人も巻き込まれてるし」
彩香は空になった湯飲みをキッチンの流し台に置くと自室に引き返し、誰にも見せた事の無い引き出しから一通のエアメールを取り出した。
「まったく親子揃って同じ事に巻き込まれて、いったいなにやってるんだか。……でも、それもしょうがないわね。なにしろ昇はあの人の子なんだから」
彩香はそう呟くと一度は開いたエアメールを再び開けて中に目を通すのだった。
まずは琴未のところに行ってみよう。今回の事で一番のダメージを負っていたのは琴未だ。それは身体もそうだけど心もそのはず、でも琴未ならもう立ち直ってるかもしれない。
そんな琴未を見れば何かしら掴めるかもしれない。
そう考えると昇は琴未の実家である高戸神社に向かって足を進めるのだった。
そんな訳で今回はいろいろな人から教えてもらう事が多かった話になりましたね~。……いや~、こういう時の閃華は本当に頼りになりますね。もちろん作者的にですよ~。
まあ、そんな訳で今回は悩みっぱなしの昇でしたが、まだまだ悩む事になるでしょうね。なにしろ相手は完全契約をしたフレト達なんですから。これを打ち破るのはそう簡単では、昇は何かを掴んだようですね。それらについては、他倒自立編の最後の方で明らかになるでしょう。
ふっふっふっ、実はまだ隠し球があったりもします。それが明らかになるまで、もう少し時間が掛かりますが、まあ楽しみに待っていてくださいね。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想をお待ちしております。
以上、眠りが不安定な葵夢幻でした。