第七十九話 登校日
昇達が海に行っていた頃。数名の人物が空港から日本の地へと降り立った。
「ここが日本か」
ブロンドの髪をした少年がつまらなそうに辺りを見回しながら言った。
年齢は昇と同じぐらいだろう。かなりの美少年であり、辺りの視線を集めている。けど視線を集めているのは少年だけが原因ではない。少年の後ろに居る四人も劣る事無く美形であり、視線を集める原因となっていた。
女性が二人と男性が二人。男の方は二人ともに三十代ぐらいに見えるが、それでも現代人には見られない威厳のような物があり、遠巻きに女性の視線を集めている。
女性は二十代前半の女性と昇達と同じ位の少女がいる。大人の女性は優しげで包容力がありそうだ。少女の方は清楚の一言に尽きるだろう。
そんな人物が一箇所に集まっているのだから注目を浴びて当然。だが騒ぎの中心となあっている本人達はまったく気にしていないようだ。
「そういえば、ここが故郷だったな。どうだ、久しぶりに帰った感想は?」
少年が後ろを振り向き、男の一人に話しかけた。
「我がこの国を出たのは四百年近くも前、故に面影など残しておりません」
「そうだったな」
普通の人間ならありえない会話だ。男の言っている事が確かなら四百年以上も生きている事になる。そうなると考えられる事は一つだけ、この五人も契約者と精霊達なのだろう。それが来日したからには何かしらの目的があるのは間違いない。
「マスター」
取り巻きの女性が少年に話しかけてきた。どうやらこの少年が契約者のようだ。
「理由は分りませんが、確かに力の一部が日本のどこかに流れ出てます。なにがあったかは分りませんが、数日もあれば場所が特定できるでしょう」
そうか、とだけ返事をして少年は改めて辺りを見回す。いや、日本を見ているといったほうが少年の心理を付いているだろう。
「絶対に手に入れるぞ。セリスの為にも」
同意するように精霊たちが返事をする。その返事に満足したように少年は歩き始めながら宣言する。
「精霊王の力はこのフレト=グラシアスがな!」
八月十三日、午前六時。シエラは起床して学校の制服に着替えるとリビングに下りてそのままキッチンへと向かった。
わざわざ学校の制服を着たのは今日が登校日という存在理由が良く分からない日で、学校に行かなくては行けない日だからだ。
学校側としては生徒達の確認とかの意味も有るのだろうが、生徒たちにとっては迷惑極まりない日なのだ。
だからこそ朝食を作るためにキッチンへと入ったが、そこには誰も居なかった。
……そっか、今日は琴未は実家に帰ってるんだった。
琴未は周に一日か二日は実家に帰っており、最低一日は実家に泊まってくる。さすがにずっと昇の家に居ると言う事は出来ないのだろう。
昨日はその実家に泊まる日だったようだ。なにしろ数日前まで海に遊びに行っていたのだから家族が寂しがっていたようだ。
昇や彩香なら良く知っているが、琴未の祖父は琴未に対してもの凄く甘い。厳しい時はしっかりと厳しく接するが、それ以外はもの凄く甘いようだ。
だから琴未が昇の家に居候すると言った時に、ちゃんとお爺ちゃんに会いに行く事を約束したら琴未の祖父である玄十郎はすぐに快諾したようだ。
どうやら玄十郎は琴未に甘えられるともの凄く弱いらしい。昇や彩香はそういう場面を何度か目撃している。だからこそ、今のような状況が出来上がってしまったのだろう。
シエラは話に聞いただけだが、今日は一人で全員分の朝食を作るとなると少しだけ憂鬱になってしまう。なにしろ琴未がいれば手間は半分になるのは確かなのだから。それがたとえいがみ合っていたとしてもだ。
まあ、この二人にとってはそれすらもコミュニケーションの一つで楽しい物なのかもしれない。本人達は全力で否定する事は想像する前に明らかな事だが。
どちらにしてもこのまま立ち尽くしていてもしかたない。シエラは朝食を作り始めた。
その琴未はというと実家である高戸神社の奥にある道場で木刀を振るっていた。
琴未は新螺幻刀流という剣術を祖父である玄十郎から習っていた。最初は見ていただけだが、やってみたくなり、いつの間にか真剣に取り組んで今では免許皆伝までは行かないか目録ぐらいは貰えるぐらいの腕になっていた。
その琴未の相手をしているのが祖父である武下玄十郎だ。ちなみに朝稽古は琴未が実家に居た時には毎日やっていたし、今でも周に一回は泊まっているのでその度に朝稽古は行っている。
つまりこの朝稽古は二人にとっては日課だ。
もちろん相手は祖父で普通の人間である。精霊ではないため精霊武具などは使用せずに普通の木刀を使っている。別に精霊武具が無くても属性は使えるのだが、まさか使うわけにも行かず。契約する前と同様に稽古をしていた。
琴未は正眼、玄十郎は八双に構えている。
琴未は未だに玄十郎に一撃を入れた事が無い。それほど玄十郎は強い、だから下手に攻撃に出れば逆に撃たれる可能性がある。だから慎重に正眼の構えを取っているのだろう。正眼は攻撃にも守りにも出やすい構えだ。
玄十郎が構えている八双の構えは完全に攻撃に出やすい。木刀を顔の右に真っ直ぐ上に向ける構えは振り下ろす攻撃は強力だ。下手に受ければ防御など出来ずに打たれてしまうだろう。
二人は動く事無くお互いに隙を窺っている。いや、正確には琴未が隙を窺っている。玄十郎の方は琴未がどう攻めてくるか楽しみにしている感じが有る。それが二人の実力差だ。
動かずに居る二人。玄十郎から攻めても良いのだが、それだと稽古にならないから琴未が攻めて来るまで待っているのだろう。
その琴未はどう攻めようか迷っていた。左右に動いて揺さぶっても良いのだが、下手をすればこちらに隙が出来てしまう。動いている間は良い、だが動きを左でも右でも切り替える瞬間には一瞬だけ止まってしまう。その時に玄十郎は一気に攻めてくるだろう。そうなると琴未は対処しきれずに崩されてしまう。
つまりペースが乱れてしまうわけだ。だからこそ動かずにいるのだが、いつまでもこうしていると集中を乱した時点で打ち込まれてしまう。お互いに相手の動きに集中しているからこそ拮抗しているのであって、その集中力が切れた時点で相手は一気に攻めてくるだろう。そうなっても琴未のペースは乱されてしまう。
琴未は今までこれらのパターンでやられている。幾つかの趣向を凝らしてはみたのだが、だいたいこの二つのパターンに分類できるだろう。
そうなると二つのパターン以外で攻めないと玄十郎に一撃を入れえることなど出来はしない。けれども二つのパターン以外にどう攻撃を繰り出せば良いのか琴未は迷っていた。
困ったな〜、はっきり行ってお爺ちゃんの集中力が途切れるとは思えないのよね。でも下手に動き回るとこちらがやられるし……まさか真っ向から突っ込むわけにもいかない……あっ!
どうやら何かを思いついたようだ。
琴未は右足を少し下げて腰も少し落とすと木刀を少し下げる。どうやら攻めるようだ。そんな琴未の姿に玄十郎は笑みを浮かべる。どう出るか楽しみしているようだ。
そして琴未は一気に踏み出すと真正面から向かって行く。一瞬だけ眉を動かす玄十郎。まさか琴未が真正面から突っ込んでくるとは思っていなかったようだ。それにスピードも乗っている。このスピードでの方向転換は無理だ。そうなると真正面から受け止めるつもりか。
それならそれと玄十郎は両手に力を入れると瞬時に木刀を少しだけ後ろに下げる。そして琴未が間合いに入った瞬間に一気に振り下ろす。
このまま琴未が玄十郎の攻撃を防ごうとすれば、力を溜めて繰り出した玄十郎が押し勝つだろう。
けれどもそうはならなかった。なにしろ玄十郎の木刀は振り下ろされる前、玄十郎の肩位で琴未の木刀とぶつかり合っているのだから。
玄十郎の攻撃は振り下ろされた瞬間に最大の効果を発揮する。けれども振る下ろされる前なら威力は半分以下だ。だからこそ琴未の力でも充分に止める事が出来る。
琴未はそのまま玄十郎の木刀を横に弾くと一気に攻勢に出る。玄十郎は木刀を弾かれてしまったので、防御を封じられて避ける事に専念しなければならなかった。けれども琴未の木刀が玄十郎を捕らえる事は一度も無かった。
玄十郎は琴未の攻撃を完全に読んでいる。だからこそ簡単に避ける事が出来た。
もちろんそれは玄十郎だからこそ出来る事だ。普段から琴未の相手をしているのだから細かな癖まで知っている。だからこそ避け続ける事が出来る。
琴未としてはこのまま一撃を入れたかったのだが、この攻勢がいつまでも続ける事が出来ない事は分っている。攻勢し続けられる限界点に達する前に一度引かないと打たれることは確かだ。
けれども攻勢から守勢に転ずる瞬間に出来る隙が一番危ない。だからこそ上手く引かなくてはいけないのだが、琴未はなかなか引くタイミングが掴めなかった。
どうにかして一回距離を取らないと。
そう思うのが行動に出たのか玄十郎は一気に距離を詰めてきた。木刀は下段、下からの攻撃は間違いない。
琴未は木刀を横にして下げると力一杯後ろに飛び退く。少しでも距離を開けたいのだろう。そうすれば下から来た玄十郎の攻撃を上手く受け流し、更に距離を開ける事が出来る。
けれども琴未の思い通りにはならなかった。
琴未が着地すると玄十郎が持っている木刀の切っ先は顔の横にあった。木刀を下に構えたのはフェイントで、そのまま下から刺突を出してきた。
だからこそ琴未は防ぐ事も避ける事も出来ず。ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
玄十郎は微笑を浮かべると木刀を引いた。勝負が付いたのは明らかだ。これ以上の訓練は必要ない。だからこそ背を向けて琴未から一定の距離を取って向き合った。
「今朝の稽古はこれまでにする」
それだけ言うと琴未も姿勢を正してお互いに礼をする。こうした礼儀も武芸には必要不可欠な事だ。
「それにしても、ここ最近で一気に腕を上げたな」
玄十郎は木刀を壁掛けに戻しながらそんな事を言い出した。琴未の成長が教えている者として嬉しいのだろう。
けれども当の琴未はそこまで気楽にはなれなかった。
「まあ、いろいろと修羅場があったからね」
ロードナイトの事といい、海での出来事とといい。なかなか体験できない戦いを体験してきたのだから腕もかなり上がらざる得ないのだ。
「それも閃華くんと契約をしてからだな。どうやら貴重な経験をしているようだ」
玄十郎も含め、琴未の家族は精霊や契約者の事を知っている。それは最初に閃華が全て話したからだ。シエラはどういう理由でかは話はしなかったが、そこが滝下家と武久家の違いだろう。
だから玄十郎は琴未が貴重な経験で腕を上げている事を半分喜び、半分不安なのだが、当の琴未は悲鳴を上げた。
「いや───っ! だからその事を思い出させないで! 私の! 私の初めてが!」
「……」
そういえばそうだったなと玄十郎は少し反省した。
精霊との契約方法は幾つかある。琴未と閃華が取った契約方法は服従契約と呼ばれ、契約方法はキスである。これは精霊が契約者に絶対に忠誠を誓うために選ばれたのだが、琴未としてはファーストキスであり、それが閃華に奪われたのが未だにトラウマになっている。
ちなみに余談だが、風鏡達が行った契約は主従契約であり、これは完全な上下関係を閉めている。契約方法は精霊が武器を差し出すことで忠誠を誓う方法だ。
どの方法にしても精霊が下の立場になる事になる。それは精霊という存在自体が特殊であり、現世つまり人間世界では存在する事が出来ないからだ。そのうえ人間世界に対しては覗く事は出来るが干渉する事は滅多に出来ない。
己の属性に従って地球という存在を頤使するためだけに力を行使する、それが精霊の存在意義なのだから。
だから契約が下の立場であっても人間と契約したがる精霊は多い。何も無い精霊精界にいるよりはいろいろとある人間世界に興味が沸くし、そちらで過ごしてみたいというのも当然の欲求なのだろう。
そんな精霊の存在意義はともかくとして琴未は未だに床板の上を転がり回っていた。どうやら未だに悶え苦しんでいるようだ。
そんな琴未に玄十郎はしかたないという顔をすると話しかけてきた。
「そういえば、あっちの家での生活はどうだ? うまくやってるか?」
滝下家での生活は良く家族にも報告しているのだが、玄十郎はよほど気になるのか。話を切り替えるたびに、その事を聞いてくる。
話しが切り替わったのでトラウマから脱した琴未は立ち上がると木刀を壁掛けに戻した。
「別に、いつも言っている通りよ。シエラったらいっつも昇との間を邪魔して」
不満そうに報告する琴未。シエラとの抗争は琴未にとって不愉快な事この上ないのだろう。けれども玄十郎はそんな話でも微笑を浮かべながら聞いている。
「まあ、お前が滝下の小僧に惚れて長い時間が立っているからな〜。それでも進展しただけでもいいんじゃないのか」
「……そうとも言えるけど、邪魔な者は邪魔なの、特にシエラが!」
完全にシエラを敵対視している琴未。確かに昇に告白できたのは大きな進展だろう。けれどもそれと同時にあんなにも多くの邪魔が出てくるとは思ってはいなかった。告白する以前はそういうのを全て潰していただけに、実際にそういうのが出てくると上手く対処できないようだ。
「けれども滝下の小僧とは進展してるのだろう?」
琴未が告白して以来、邪魔はあっても二人の仲は発展していると思っているようだが実際はそうではない。琴未は溜息を付くと実際の状況を説明した。
「なるほどのう。なかなかそう上手くはいかんか」
「まったく、いっつもいつも邪魔が入って」
実際には結託する事もあるのだが、邪魔される数の方が多いのも確かだ。そんな状況をしった玄十郎は笑みを浮かべるとある提案をしてきた。
「なら二人の仲を一気に進展させてやろう」
「えっ!」
まさか玄十郎からそのような言葉が出てくるとは思って無かった琴未は大いに驚いたが、それ以上に期待の眼差しを送った。
玄十郎が琴未に甘い事は琴未自信も良く知っている。だから昇との仲を反対する事は絶対にしないし、いつでも味方になってくれる事も承知している。だからこそ玄十郎の言葉に期待せざる得ない。
「そろそろウチの神社も夏祭りの時期だろ」
「そういえばそうね。それで、それが何か関係が有るの」
玄十郎はワザと含みを持たせてから琴未に耳打ちした。
「ななななななななっ!」
「そこまで驚く事は無いと思うぞ」
玄十郎の提案に琴未は思いっきり驚き動揺した。それは琴未の予想以上の展開が行われようとしていたからだ。
「で、でも、昇はともかくシエラ達までどうやって」
「くっくっくっ、心配する出ないそこは大丈夫じゃ」
「って閃華、いつの間に」
相変わらず神出鬼没の閃華に半分驚きながらも琴未は事態を把握した。どうやらこの提案は閃華も絡んでいるようだ。だからこそあのような大胆な事を実行しようとしているのだろう。
ちなみに閃華も時々琴未の実家に泊まる事がある。昇の事があるから琴未と一緒にここに泊まる事は無いが、それでも海に行っていて一週間近くも帰っていないのだから今回は二人して泊まりに来ていた。
閃華は道場内に入ってくると琴未に向かって親指を立てて見せた。どうやら今回の企みには相当の自信があるようだ。
それに自信があるのでは閃華だけではない、玄十郎も満足そうに何度か頷いて見せた。
「そうだぞ、お前達のために儂もいろいろと苦心したからな。絶対に上手く行かせてやる」
「そうじゃぞ、今回の作戦こそ二人の仲を決定的に出来るじゃろ」
声を合わせて笑い出す閃華と玄十郎。どうやら今回は二人で協力していろいろと企んでいるようだ。
玄十郎が琴未に甘いかと言ってここまでするとは当の琴未自身も思ってはいなかった。それに玄十郎は昇の事をそれなりに認めてはいる。まだまだ未熟なところは多いが、素質だけは見抜いているのだろう。だからこそ二人の仲を認めて発展させようとしているのだ……閃華と一緒に。
そして更に盛り上がる閃華と玄十郎は笑いながらも企みの絶対さを自慢し始めるが、さすがの琴未もここまではついていけないのか。呆れながら道場から静かに出て行く。
もちろん盛り上がっている閃華と玄十郎は気付きもしないで笑いながら話している。出て行く琴未に気付かないままに。
登校日のうっとうしい行事が全て終わり、やっと解放された生徒達は散り散りに自分の目的地へと向かっていく。
そんな光景を閃華と与凪は冷房のが効いた生徒指導室で見ていた。もうこの部屋はすっかり私室となっているようだ。
この学校には生徒指導室が三つも有るのだが、その一つが与凪達の私室となっているのだが、その事に誰も気付かない。
それは与凪の属性が関係している。与凪は霧の精霊、霧は全てを覆い隠し、その存在を気付かせないようにする。だからこの生徒指導室を使用しようとすると、すでに使用中だと思い込ませ別の部屋を利用させるようにしている。
つまりいつでも使用中だが、その生徒指導室自体の存在も隠しているため、誰もその存在に気付いてはいない。
そんな与凪の属性があるからこそシエラ達も与凪が精霊だとは気付かなかった過去があった。
そしてその生徒指導室にはいつも閃華と与凪が占領しているのだが、今日は昇達までもが入ってきた。
「あ〜、やっぱりここは涼しいよ〜」
部屋に入るなり真っ先にくつろぐミリア。他の三人は声だけ掛けてから定位置へと座る。こうなってくると与凪だけでなく、昇達が部屋を私室と化しているようなものだろう。
シエラと琴未が昇達のお茶を入れてから与凪から話を切り出してきた。
「そういえば今日はどうしたんですか?」
閃華と与凪はよくこの部屋を占領しているが昇達は何かしらの理由が無い限りここに来る事はあまり無い。つまりここに来たのはそれなりの理由があるからだ。
その理由を琴未の口から話し始めた。
「先週、海に行ったばかりだけどさ。せっかく夏休みだし、皆でまた遊びに行かないって事になって。だから与凪も誘いに来たのよ。それにここなら閃華も居るしね」
「なるほど、それはいいですね〜」
学生にとって夏休みは思いっきり遊べる限られた時間だ。それなりに宿題も出ているのだが、ミリアはともかく他の全員はそれなりに片付けているようだ。
だからこそ、そのような提案が出たのだろう。
「海には行ったばかりじゃからな、せっかくじゃから水に関係ないところが良いのう」
水の精霊としてもあまり水場ばかりでは詰まらないのだろう。水場なら力は発揮できるが、それと遊ぶのとは別問題だ。
「そうね、今日これから行けるところだから近場に限られるわよね」
琴未の言うとおり何日も遊ぶわけではない。これから少し遊ぶのだからどうしても近場に限られてくる。だがそうなると何処に行こうかいろいろと意見が出てくる。
ショッピング、映画、遊園地などなど。ちなみに遊園地はミリアの発言だが、すぐに却下された。さすがにそこまでの金銭的な余裕は無い。
その後もいろいろな意見が出たが、あまり暑い中を歩き回るのもあれだという結論に達したのか、ここでお菓子でも買ってきておしゃべりでもしてようという結果になったようだ。
そういう結果になったのには一つの理由がある。それは閃華が三日後に夏祭りが有る事を告げたからだ。どうせ遊ぶならそういうイベントがあった方が楽しいだろうと言い出した、だから今日はここで座談会という事になった。
昇としては少しだけほっとした。もしショッピングにでもなれば昇は確実に荷物持ちである。炎天下の中でそんな役割だけはごめんこうむりたいのだが、座談会での買出しのクジで昇は見事に当たりを引いてしまった。
その事で当然でしゃばるシエラと琴未。だがそれを仲裁するように与凪から自分が付き合うと言い出した。
与凪からそんな事を言い出すのは珍しい事だが、与凪には森尾という契約者兼恋人がいるのだから安心だろうと全員が納得した。
そんな経緯があり、昇と与凪は涼しい生徒指導室を後にし、学校の外へと出て行く羽目になってしまった。
「それにしても珍しいですね。与凪さんから付き合ってくれるって言うなんて」
与凪は傍観者や裏方の仕事で自ら動く事はあまりしない。これは性格なのか役割なのかは分らないが、普段からも傍観者で居る事が多い。そんな自ら昇に付き合うのが珍しかった。
前を歩く与凪にそんな言葉を掛けると少しだけ考えるような仕草すると、与凪は昇の隣を歩き始めた。
「これはまだ確定した事じゃないから伝えようかどうか迷ってたんだけどね、ちょっと厄介な事になり始めてるの。だから二人だけで話をしたかった、そんな理由があったからね」
つまり昇にだけは伝えておいた方が良い事が有るのかもしれないということだろう。これども昇としては少し引っ掛かりを覚えたのも確かだ。
そういう事はいつも閃華に伝えるものだと思ってたけど、今回は何で僕なのかな? というかやっかいな事が起こり始めてるかな? あ〜、せっかく海から帰ってきたばかりなのに。
与凪の言葉に昇は少しうんざりしたような顔になる。海では散々な目に遭ったばかりだと言うのに、これ以上は何も起きて欲しくないのだろう。
そんな昇の顔を見て与凪は軽く笑った。
「大丈夫大丈夫、まだそうなるって決まった訳じゃないから。でも……事が事だから滝下君にだけは伝えておこうと思って。もちろん確定したら皆にも伝えるつもりよ」
未確認の情報だけに下手に伝えると誤解を招く事になる。けれども事が大きければ後手に回りかねない。つまりはそういう状況なのだろう。
昇は与凪の言葉にそう判断を下した。さすがに幾つかの修羅場を潜り抜けてきただけにこの手の話は飲み込みが早くなってきているようだ。
「それで、その情報ってのは何なんですか?」
まずはそれを聞いておかないとどうしようもない。昇は与凪に話すように促したが、与凪は少し複雑な顔をした。
「さっきも言ったとおり未確認の事なんだけどね。どうやら誰かが精霊王の力にちょっかいを出そうとしているらしいの。正確には私と閃華さんが封じた封印を解こうとしているようなの」
「って! それって」
精霊王の力についての危険性は充分過ぎるほどに分っている。なにしろ昇は以前に精霊王の力、その一端だが、その力と戦った事が有るのだから。
その時はどうにかなったが、もしまたそのような事態になれば今度はどうなるか分らない。だからこそ与凪と閃華は精霊王の力が流出しないように封じていた。
そんな精霊王の力を再び利用しようとしている者が出た。いや、未確認の情報だから出ているのかもしれない。どちらにしても良い情報ではない事は確かだ。
「でも、誰がそんな事を?」
「精霊王の力よ。利用したい契約者や精霊なんて数え切れないぐらい居るわよ。だからうまく隠してきたんだけど、どうやら誰かが気付いたみたいね」
サファドの例もある。精霊王の力が利用できると知れば狙う契約者や精霊は何人でも来るだろう。それほど精霊王の力は絶対であり利用価値が充分過ぎるほどある。
閃華達はそれを少なくするために封印と隠ぺいをしていたのだが気付く者は気付いたようだ。
その気付いた者が近づいているのかもしれない。与凪はそう警告してきた。
「つまりまた……ここで戦いがあると」
「争奪戦が終わるまでどこでも戦いがあるわよ。でも……話しが通じない相手なら戦うしかないでしょうね。まあ、ロードナイトの事からいつかはこういう事になるとは思ってたけど、意外と早く着たみたいね」
……また、あんな戦いが。
昇の脳裏にロードキャッスルでの悲しい戦いが思い出させる。あんな想いをしたくないから、もうあんな戦いをしたくないから強くなる事を選んだ。そんな想いを抱いたからこそ、昇はすぐに決める事が出来た。
「もしそうならなるべく早く接触した方が良いかもしれませんね。話し合いで解決できるならそれに越した事は無いですけど、戦う必要が有るなら準備は早い方が良い」
確定している情報ならもっと具体的に動けるだろうが、未確認の情報ならそれだけが精一杯だろう。
だから昇なりに出来る限りの事を言ったつもりなのだが与凪に笑われてしまった。
「ごめんね、でも滝下君……大分成長したなと思って。不安がると思ってたけど、まさかそんな反応が返ってくるとは思って無かったのよ」
与凪なりに昇に時間を与えるつもりだったのだろう。もし昇が悩むようなら悩む時間は多い方がいい。だからこそここで話す事を選んだようだ。
けれどもそれは与凪の杞憂に過ぎなかった。与凪が思っていた以上に昇は成長していた。さまざまな経験を経て、そしてこれからも成長していくだろう。
「じゃあ、とっとと買出しを済ませて戻りましょう」
伝えるべき事を伝え終わった与凪は再び歩みを速めて近くのコンビニへと歩いていった。
『ただいま〜』
買出しを終えて戻った昇と与凪。私室の生徒指導室ではすっかり座談会となっていた。
「おかえり〜」
一番先に気付いた琴未が声を掛けるとミリアは真っ先に二人の元に来て荷物を奪い去っていく。そしてテーブルに上に並べると早速お菓子に手を出し始めた。
シエラや閃華は全員のジュースを手渡し、琴未はミリアが散らかしたテーブルの上を整理する。そして昇と与凪はいつもの席へつくとそこにはすでに頼んでおいたジュースが置かれていた。
「それじゃあ、改めてカンパーイ」
なんで乾杯なのかは分らないがミリアがそんな事を言い出しても盛り上げる。もう楽しければ何でも良いのだろう。
「そういえば皆さんは浴衣は持ってるんですか?」
話しが丁度切り替わり、与凪がそんな事を尋ねてきた。せっかく夏祭りに行くのだから浴衣の方が良いに決まっている。だからそんな事を尋ねたのだが閃華から意外な答えが返ってきた。
「それなら心配ないぞ、こちらでしっかり用意しておくからのう」
「へぇ〜、気前が良いですね〜」
笑顔で答える与凪だが閃華だけが与凪の笑顔に隠されている何かに気付いたようだ。どうやら与凪だけは閃華達の企みに気付いたようだ。
「あ〜、でも、もしかしたら私は行けないかもしれませんね」
「え〜、なんで」
閃華達の企みに気付いた与凪がそんな事を言い出しミリアが抗議の声を上げる。ミリアとしては皆一緒に遊びたいのだろう。
けれども与凪はみすみすと閃華の企みにハメられるつもりはない。だからこそ今回も逃げるつもりなのだが閃華は意外な事に軽く笑う。
「くっくっくっ、それはどうかのう。もしかしたら絶対に来るかもしれんじゃろ」
「……何をしたんですか」
「さあ、何のことじゃ?」
二人の会話には様々な意味と思惑が交錯しているのだが、二人以外は首を傾げるだけだった。やはり会話の内容が分らないようだ。
「それよりも私はカラオケに行ってみたいんじゃがな、最近の歌もやっと覚えたからのう」
これ以上この会話を続けると他の者に気付かれる可能性が出てきた閃華はとっとと会話の内容を切り替えた。
その会話の内容にシエラとミリアも飛び付く。昇と契約してから遊ぶ機会はあまり多くは無かった。それに二人とも争奪戦に参加するのは今回が初めてだ。だから人間世界の物に興味を持つもの不思議ではない。
だから二人ともカラオケには一度は行ってみたいと思っていた。そんな事もあり、日取りは決めてはいないがカラオケに行く事にはなり、その後は他愛の無い話へとなって行った。
占領した生徒指導室での座談会もかなりの時間が過ぎ、空が赤く染まり始めた時間になり始めたのに気付いたのはシエラだった。
「もうこんな時間、買い物に行かないといけないんだった」
「シエラなんか買う物でもあったの?」
昇の問い掛けにシエラは頷く。
「食材、夕食の分はあるけど明日の朝食分が足りないから」
学校帰りに食料の買出しに行くつもりだったのだろう。人数が多いだけに買い物の数も多くなったわけだ。
「冷蔵庫の中身ってそんなに少なくなってたっけ? 明日の分ぐらいはあると思ってたけど」
どうやら琴未の計算ではまだ充分に間に合う予定だったようだが、足りなくなった理由をシエラは説明する。
「昨日は琴未と閃華が居ない事を計算して買い物をしたから、だから明日の分は足りない」
つまり琴未達が居ない事を良い事に買い物の手間を省いたのだろう。ただ単にめんどくさかっただけなのかもしれないが、どちらにしろ買出しには行かないと行けないようだ。
「それじゃあ今日は解散にしましょうか」
時間が時間だけに与凪がそんな事を言い出した。確かにすでに夕暮れだ。これ以上は夕食の支度をしなくてはいけないシエラと琴未とっては負担になるだろう。
与凪の言葉に全員が頷くと与凪と閃華は部屋の片付けを始め、シエラと琴未は昇の腕を片方ずつ組んで連行しようとしていく。
えっと、なんで僕は誘拐されそうになってるんでしょう?
そんな疑問を抱きながら逆らえない事と連れて行かれる理由が分っているだけに抵抗はしない。しかも昇の荷物はすでにミリアが持っているからだ。
要約すると荷物持ちである。普段の買出しはシエラと琴未が行くのだが、たまに昇や彩香が付き添う事もあり、そういう時は必ず昇が全ての荷物を持つ。それは男手が昇だけしか居ないので避けられない運命となっている。
昇もすでに諦めの境地に達しているようだ。二人の腕から解放されるととミリアから荷物を受け取り素直に買出しに付き合うのだった。
「とりあえず何にする?」
近所に有るスーパーで昇にカートを押させながら琴未がそんな事をシエラに尋ねてきた。
「野菜はまだ充分にあったと思ったから、魚も飽きたし、肉にしようかな?」
「却下」
「なら揚げ物」
「それも却下」
シエラの提案に即答で却下する琴未。そこには人間と精霊の違いが存在した。その理由が分っているだけに琴未は時々シエラがうらやましくなる。
「まったく、どうして精霊はカロリーを気にしなくて良いのかしら。食べたい物を素直に食べられるって幸せよね」
そんな事を呟く琴未。
厳密に言えば精霊には身体という物は無い。精霊とはエネルギーの結晶体であり、契約によって結晶体を人間の姿に出来る。だからシエラ達の身体は人間と同じであってそうではない。
あくまでも仮の身体に過ぎないのだから。だから太ったり痩せたりなどの身体的な変化はまったく無い。だからカロリーも塩分も血糖値も気にしなくて良いのだ。
その点だけは琴未は精霊が凄く羨ましいと思っている。なにしろケーキだろうがお菓子だろうがいくら食べても体重など気にしなくて良いのだから。
だからシエラは食べたいと思った事を口にするのだが、琴未の意見は重要視している。さすがに昇達まで精霊の食生活に合わせる訳には行かないだろう。そんな事をして病気にでもなったら大変だ……琴未だけならともかく。
だからシエラは一人だけで買出しには行かない。かならず琴未か彩香が同行する。やはり人間の食生活や栄養バランスを学ぶためにもそういう事をしているようだ。
そのため買う物は琴未や彩香が要望する物が多くなる。今回も魚と肉は少なめに、他に足りない調味料やキノコ類などを買って買い物は終了した。
それを全て昇に持たせて帰路につく。昇も最早溜息しか出ないようだ。そんな昇達の前を三人の女の子が談笑しながら歩いている。もうすっかり慣れた光景だ。
このまま聞いているだけでも暇なので昇もその会話に参加しながら歩く。そうして昇達は家へと帰っていくのだった。
その後に待っている閃華達の企みからすでに抜け出せない事を知らないままに。それを知るのは昇達が家に帰った後だった。
え〜、そんな訳でやっと再開できましたエレメです。
まあ、一番最初ですからね〜。こんな感じでしょうとか納得してます。それに昇達の日常を少し取り入れてくださいという意見も有りましたので、すこしやってみました〜……上手く出来たかは別問題ですけどね。
さてさて、そんな訳で始まりました他倒自立編。数話ほど大人しい話しが続きますが、後半はいつもどおりに派手なバトルが繰り広げられるでしょうね〜。
それにブログかな? そこでも予告したどおりに与凪の精霊武具も解禁となります。武器はまだ詳しく決めては居ませんが、姿としてはミニスカにする予定です。さあ、どんな姿になるんでしょうね。少し自分でも楽しみだったりします。
さてさて、それでは、長い事お待たせして申し訳ありませんでした。以前のようにまだまだ更新スピードを上げて行く事は出来ないかもしれませんが、少しずつやって行こうと思っております。
それでは今までお待ちして頂いた方々に感謝しつつ、そろそろ締めようかと思います。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。
以上、最近いろいろと悩みなら考えが巡りまわってる葵夢幻でした。