第七十八話 明日へ
その美しい輝きとは裏腹に風鏡にとっては絶望とも言える光が迫ってくる。
昇が放った強大な一撃は砂浜を削り、空気を押しのけて風鏡と閃華を目指して突き進んでくる。
「さあ、風鏡殿、これで詰みじゃな!」
風鏡に背を向けて閃華は離脱を計る。昇の攻撃が放たれたからにはここに留まるのも限界だ。
そして閃華が戦闘を放棄した事で風鏡も自由に動けるが時間が無いもの確かだ。だから風鏡は閃華とは逆の方向へと走り出し、昇の攻撃を回避しようとするが、そんな風鏡の前にそれは現れた。
「ッ!」
本来なら龍水方天戟に巻き付いている水龍。閃華が氷付けにされそうになった時に切り離され、それから龍水方天戟には戻っていない。どうやら閃華がどこかに隠していたようだ。
水龍は口を大きく開けて風鏡に向かってくる。
風鏡は向かって来た水龍の口に氷雪長刀を突っ込んで一気に凍らせようとするが、身体が凍りつく前に水龍の胴体が風鏡の体に巻き付く。
「しまっ!」
そして水龍の身体が全て凍った時には風鏡の動きを完全に封じ込めてしまった。
確かにこの程度ならすぐに脱する事が出来る。だが昇の攻撃がすぐそこまで迫っている。
凍りついた水龍八俣ノ大蛇を一気に破壊してヘブンズブレイカーが迫り、風鏡は光の中へと消えていった。
昇の前には巨大な砂煙が立ち込めている。これもヘブンズブレイカーが砂浜を大きく削った影響だ。
そんな砂煙を前にしながら昇は呼吸を整えていた。
「さて、後は昇次第じゃな」
隣にいる閃華がそんな事を言ってくる。
閃華はヘブンズブレイカーを回避した数秒後には昇の元へと戻っていた。さすがはエレメンタルアップというところだろう、本来ならスピード型ではない閃華にそれだけの速さを与えるのだから。
「けど本当に上手く行きますかね?」
与凪がモニター越しにそのような事を言ってくる。どうやら未だに心配しているようだ。
そんな与凪に閃華は微笑みかける。
「ここまでやったんじゃ、今更四の五の言ってもしかたないじゃろ」
「まあ、そうなんですけどね」
与凪も閃華に釣られて笑みを浮かべる。
すでに風鏡との戦いには決着を付けた。ここからどう進めるかは昇に掛かっている。下手をすれば風鏡がこの先も昇達の前に立ちはだかる事になってしまうが、そんな事にはなら無いと昇は思っているようだ。
なんとか上手く行った……と思うけど。与凪さんの計算なら間に合っているはずだから、後は風鏡さんを説得できれば……全部終わって始める事が出来る。
確信は無い、ただ信じるだけだ。昇達のように……風鏡達も築いている事を……。
「昇」
舞い降りてきたシエラはすぐに昇の元へ駆け付ける。
「ごめん、逃がした」
シエラはすぐに竜胆を逃がした事を謝ってきた。シエラの役目は竜胆を足止めして風鏡に近づけさせない事だと……勝手に思っていた。
昇は少し申し訳無さそうに軽く笑うとシエラの髪を撫でながら、驚きの言葉を届ける。
「あ〜、ごめんシエラ……実はそれで良いんだ」
「えっ?」
その言葉に呆然としてしまうシエラ。昇はどう説明したらいいか迷っていると閃華が軽く笑いながら昇の代わりに口を開く。
「くっくっくっ、よく言うじゃろ。敵を騙すにはまず味方から、とのう」
いや、あの、閃華さん。別に騙したワケでは無いのですけど。
確かに昇はシエラを騙したつもりは無い。時間が無いから説明を省いただけだ。まあ、それを騙したとも言えなくも無いが、昇に言わせれば早めに手を打ちたかっただけだ。
それにシエラ達に不自然なところが有っても疑われる可能性があった。本気で戦うからこそ意味がある。だから昇は何も言わなかっただけだ。
そんな昇の気持ちを知ってか知らずか、シエラは顔を伏せると静かに呟く。
「騙した?」
妙に殺気のこもった言葉だと昇は感じた。閃華に言わせればそのような事は無いのだが、先程の言葉が昇に妙な罪悪感を持たせてしまったようだ。
「いやいやいや、違うから、騙してないませんから。ただ説明を省いただけですって!」
慌てて言い作ろう昇。シエラはそんな昇の腕に抱き付くと潤んだ瞳で見上げる。
「本当?」
「本当です!」
はっきりと断言する昇だがシエラがその程度で終わるはずが無かった。
「でも結果的にはそうなった」
「うっ、いや、まあ、そうなった……のかもしれないですけど」
バツの悪い顔でシエラから視線を逸らす昇。そんな昇にシエラは軽く笑うと、更に体を密着させて一気に攻め立てる。
「別に怒ってない。昇になら……何度騙されても良いから」
いや、さすがにそんな事はしませんけど。
昇はそんな突っ込みを心の中で入れるがシエラとは視線を合わせられないでいた。
とてもそんな状況では無いのだが、先程の言葉に昇はかなり来る物があったらしく、ついそれなりの雰囲気になってしまう。
顔を真っ赤にして視線を逸らす昇に、シエラはそっと昇の頬に手を当てるとこちらを向かせる。
「でも、昇が少しでも悪いと思ってるなら……一晩だけで良いから、一緒に居て欲しい」
「いや、それはさすがに……」
まずいだろう、という言葉を言えずにいた昇。どうやらすっかりシエラの雰囲気に飲まれているようだ。
念のために言っておくが、風鏡との決着は付いておらず、現状はとてもではないがそんな状況ではない。
シエラもその事は分っているのだが、このチャンスを逃す事無く一気に攻める。
「別に何かをして欲しいわけじゃない。ただ、傍にいて欲しいだけ。……けど、昇が望むなら……どんなことでも。だから……良い?」
「良いわけないでしょ!」
琴未の右足がうねりを上げてシエラの脇腹を捉える。珍しく琴未の突っ込みが直撃してシエラは弾き飛ばされてしまった。
琴未は着地するとそんなシエラに指差して一気にまくし立てる。
「シエラ! あんたね、こんな時まで何やってんのよ! 今はそんな事をしている場合じゃないでしょ! それよりも私と代わりなさいよ!」
言葉の最後はすっかり目的が変わっているのはいつもの事で、琴未は一通りシエラに文句を言うと閃華と与凪に矛先を変えた。
「二人ともなんで黙ってみてるのよ! こういう時にシエラを止めるのが役目でしょ!」
それは確実に違うのだが、今の琴未に何を言っても無駄だという事は与凪も閃華も良く分かっている。
だから与凪は笑いながら琴未に告げる。
「だって琴未、こういう時に琴未が突っ込みを入れるのがお約束じゃない。結構楽しみにしてるのよ」
「知らないわよそんなの! というか勝手に楽しみにしないでよ!」
何処まで行っても他人事の与凪に琴未は溜息を付くと今度は閃華に視線を向けた。
「というか閃華、今回に限ってなんで黙って見てるのよ! こういう時に何とかしてくれるから頼りにしてるんでしょ」
確かに普段の閃華ならそれぐらいやっただろう。だが今回に限っては見学を決め込んでいた。だから琴未の矛先が向いたのだが、閃華は顔の前で手を横に振ると言い訳を始める。
「いやいや、琴未よ。私は後学の為に見学していただけじゃ」
「後学って何する気よ!」
「後々の為に役に立てようという意味じゃ」
「意味を聞いてるワケじゃないわよ!」
珍しく琴未の矛先をはぐらかそうとする閃華。その態度はいかにも怪しげであり、琴未だけではなくシエラまで加わり閃華を追求しようとしたが、その隙に後から来たミリアが昇を独占しようする。
そんなミリアの行動はもちろん上手くは行かずにシエラと琴未によって阻まれた。そして繰り広げられたのはいつもの光景。
シエラとミリアと琴未の三つ巴。果てる事の無い言い争いが繰り広げられ、それを昇と閃華が呆れたのを通り越して諦めの視線を向けている。
そんな昇達に与凪が一言。
「皆さんそんな事をしていた良いんですか?」
『あっ』
一斉に声を上げる昇達。やっと現状に帰ってきたようだ。
ヘブンズブレイカーは確かに風鏡達にトドメを刺しただろう。だからと言ってこれで終わりと言うワケではない。昇にはまだやるべき事が残っている。もちろん、周りにいる精霊と幼馴染も……。
昇は照れながら咳払いすると前方の砂煙に目を向ける。だいぶ薄くなってきたようで見通しが良くなっている。
と、とにかく、風鏡さんのところに行こう。そして始めさせないと……これからの時間を。
「……行こう」
全員が頷き、昇達は砂煙の中へ歩き出した。
(……思っていた以上に……痛くない?)
閃華の水龍によって完全に動きを封じられてヘブンズブレイカーのダメージを覚悟していたのだが、実際にはそれ程の痛みやダメージは感じなかった。
水龍を砕いてから歯を食いしばり目を閉じ、前方には出来るだけの力を押し出したから軽減できた事は確かだろう。
それでももあれ程の力だから、この程度で済んだのは奇跡なのだろうかと風鏡は思った。
(それとも大きいだけで威力は少なかったのでしょうか?)
そんな疑問を感じながら風鏡は静かに瞳を開く。砂煙が辺りを覆っているようだが、風鏡の目にはしっかりと見えていた。風鏡を守ったモノの姿が。
「常磐! 竜胆!」
風鏡の目の前には両膝を付きながらも手にはしっかりと武器を握り締めている常磐と竜胆の姿があった。二人とも傷つき荒い息をしている、どうやら立つことすらままならないようだ。
ヘブンズブレイカーが風鏡に直撃する寸前に二人とも割って間に入った。そのおかげで風鏡のダメージは軽減されて動ける状態を維持する事が出来が、常磐と竜胆はかなりのダメージを負ってしまった。
だから二人とも戦える状態ではないのだが、それでも後ろに居る風鏡に向かって二人は希望の言葉を投げ掛けてくる。
「風鏡……逃げて」
「ここは……なんとか、するから」
確かにそれは希望。争奪戦では契約者が負けない限りは負けではない。だからここで風鏡が逃げ切る事が出来れば次に希望が残せる。まだエルクを追うことができる。
そのために常磐と竜胆を見捨てる事になっても風鏡はまだ目的を追うことが出来る。まだ生きる目的を失わずに済む。
痛みを伴う希望。今の風鏡はそれにすがるしか道は無い。ここまで追い詰められては確実に負けるだけだから。
けれどもそれは道理であり理屈。正しい論理かもしれないが人の全てがそれで出来ているわけは無い。
「そんな状態では……どうする事も出来ませんよ」
歩き出そうとする風鏡。戦う意思は未だに折れてはいない。
これ以上戦えば負ける事は確実。そんな事は風鏡にも分っている。分っているけど今は戦う以外の選択肢は風鏡の中には無い。
だからこそ戦う事を選ぶ風鏡。そんな風鏡に常磐と竜胆は思いっきり叫んだ。
「ここで逃げないと負けるだけだわ!」
「全部終わっちゃうのよ!」
風鏡を負けさせるわけには行かない。少なくとも目的を達するまでは。
その想いだけが二人に力を与え、血を流しながらも立たせようとする。戦う意思が折れてないのは風鏡だけではない。人も精霊も想いだけで限界以上の力が出せる。
けれども現実はいつも容赦が無い。常磐と竜胆もなんとか立つ事が出来た。けど動くどころか己の武器を握ることすら出来なかった。
地面へと落ちる風陣十文字槍と灼熱斬馬刀。すぐに拾わなくては戦う事すら出来ない。何度も体に動けと命じるが一向に動かす事は出来ない。もう……二人とも限界なのだ。
動かない体に遂げられない想い。その事が二人の目に涙を浮かばせる。
たった一つのささやかな願い。二人はそれすらも叶える事が出来ない。その事が悔しくて、情けなくて、どうしようもなく惨めに思えた。
そんな二人に今度は風鏡から言葉を投げ掛ける。
「もう……いいのですよ」
諦めに似た敗北宣言、少なくとも二人にはそう思えた。
「よくないわ!」
叫ぶ常磐に竜胆も頷く。そんな二人に風鏡は後ろから笑みを向ける。
「いいのですよ」
ゆっくりと歩き出す風鏡。常磐と竜胆を通り越して二人を守るように砂煙に向かって立つ。
「幸いにもあの子にはエルクを討つ理由が在ります。都合の良い事を言ってるかもしれませんが、敵はあの子に取ってもらいましょう」
『……』
「私よりもあの子が強かった。それだけです。……けど、私も素直に負けを認める気はありません。だから……最後の最後まで足掻く事にします」
どこまでも諦めず、戦う意思が折れない風鏡の姿はカッコイイかもしれない。けれどもその時点で敗者であり、すでに諦めた者の姿だ。
それだけでなく今の風鏡は生きる事すら投げ出そうとしている。殺して欲しいとまで風鏡が願っているのを二人は良く分かった。
だから言わずにはいられない。
「……なら、全部捨ててよ」
「竜胆?」
止められない涙に抑えきれない感情。竜胆も無理に止める事はせずに全部風鏡にぶつける。
「明日に生きようとしないなら! ……全部、捨ててよ。戦う事も生きる事も、そして敵を討つ事も全部! 捨ててよ。そうじゃないと……私達が戦ってきた意味が無い。諦めるなら……全部諦めてよ」
敵を討つという事、戦うという事、そして生きるという事。それぞれ意味は違うかもしれない。けど竜胆にとっては全部同じ意味だ。
風鏡が敵を討つという意思がある限り戦い続けて生き続ける。目的の先に安息があると信じて生きる事が出来る。だから竜胆は風鏡の為に戦う事が出来た。
けれど今の風鏡は違う。中途半端に諦めて昇に希望を託そうとしている。それは悪い事ではないのかもしれない。けど竜胆にとっては耐えられない事だ。
崩れ落ちる竜胆に代わって今度は常磐が静かに風鏡に告げる。
「私達は風鏡の為に戦ってきたわ。契約をしたからじゃないわよ、私達がそれを望んだからよ。風鏡の願いの先に……私達の願いがあったから……。だからと言って責任を押し付ける気は無いわよ。終わりにしたければ終わりにすればいいわ」
常磐達の願いは常磐達が勝手に願った事。だからその責任を風鏡に押し付けるようなことはしない。そのために積み重ねてきた努力が全て無駄になったとしても、攻めるような事はしない。
主従という関係がそうさせているのではなく、常磐達の願いはそんな事では叶わないと分っているから。
言いたい事を言い切ったのでで常磐の気力も尽きたのだろう。竜胆と同じように崩れ落ちる。そんな二人に風鏡は静かに見詰める。
「……私に、どうしろと言うのですか?」
初めてぶつけられた本音に風鏡は戸惑っているようだ。
風鏡の本心を言えばここで諦めるようなことはしたくないだろう。けど現状はどうにもならない、諦めるしか出来ない。
けど、それが悔しくて、受け入れられなくて、だから昇達の手で終わらせて欲しいと願っても風鏡を攻める事は出来ない。
それでも常磐達は不条理を感じずにはいられなかった。自分達は風鏡に残酷な事を言ってるのかもしれない、それでも風鏡には凛としていて欲しい。それが二人が尽くす風鏡なのだから。
二人に向かってどう答えていいのか風鏡が言葉を出せずにいると、砂煙の向こうから現実と残酷な言葉が投げつけられる。
「明日に生きればいいと思いますよ」
振り向く風鏡、その先には昇達が姿を現した。
氷雪長刀を構える風鏡にシエラ達も応戦体勢を取るが、昇がシエラ達を抑えて武器を下ろさせる。
それから昇は少し歩くと風鏡と向き合った。
「戦う前に言いましたよね。あなたの幸せを願っている人がいる、だからあなたは幸せな未来を掴まなくてはいけないと」
優しい笑みを浮かべながら風鏡に語り掛ける昇。そんな昇に警戒を解く事無く、敵意を込めて風鏡は答える。
「そうでしたか? 覚えてませんけど」
思いっきり敵意を込めた嫌味なのだが、昇はそんな事を気にする事無く笑顔を向ける。
「まあ、厳密に言えば人ではないですからね」
昇にしてみれば場を和ます為に言った冗談のつもりなのだが、もちろん笑う者など誰一人としていない。
けど少しだけ風鏡の警戒は解けたみたいで昇の話しに耳を傾け始めた。
「それで、あなたは何が言いたいのですか?」
敵意は薄れる事は無いが昇の言葉に興味を示しただけも充分に効果はあったようだ。
昇はゆっくりと瞬きをする。開かれた瞳には先程までの優しさは無くなり、真剣な物へと代わった。
「あなたは過去しか見ていない。だから僕に負けたんだ。ほんの少しだけ、少しだけ良かったんです。今を見てくれれば……こんな事にはならなかったと思います」
さすがに風鏡も訝しげな顔をした。昇が何をしようとしてるのでは、何かを企んでるのではないかと思っているようだ。
もちろん昇にそのような気は無い。風鏡とはまったく違うが昇も同じだ。……バカ過ぎるほどに純情な想いで動いている。
そうでなくてはこのような事はしない。何処まで行っても昇は昇という所だろう。
そんな昇の瞳が真っ直ぐに風鏡を貫く。
「僕は精霊と人間はそんなに違わないと思ってます。だから契約した精霊を道具のように扱う事はしないし、僕は僕なりに精霊を理解しようとしてます」
突然変わった話に風鏡は戸惑いを見せたが、すぐに口を開いた。
「それは私も同じです」
風鏡も常磐と竜胆を道具のようには扱っていない。多少二人に常識が無くても風鏡は風鏡なりに接してきたつもりだ。だが昇はそんな風鏡を否定する。
「いいえ、あなたにとって精霊は道具です。復讐するための刃に過ぎない」
「違うわ!」
風鏡の代わりに抗議の声を上げる常磐。
そんな常磐に昇は優しい笑みを向ける。それは敵意の無い、真っ直ぐで優しい眼差し。だから常磐はそれ以上何も言えずに黙り込むしかなかった。
それから昇は鋭い顔付きになると視線を風鏡に戻した。
「あなたにとって必要なのは力であって、力をくれるなら誰でも良かった。常磐さんと竜胆さんでなくてもあなたは困りはしない。あなたにとって精霊とはそれだけの存在だ。そしてあなた自身も……それだけの存在に過ぎない」
「そっ……」
何かを言い掛ける風鏡だが言葉が思ったとおりに出てこない。
「それはあなたが過去にしか生きていないからだ。今に生きてないから周りに居る存在に気付かない、明日に生きようとしないから簡単に捨てられる。それがあなたの本性だ」
いきなり飛び出した風鏡は氷雪長刀を昇に向かって振るう。
とっさに二丁拳銃で氷雪長刀を受け止めたが、勢いまでは受け止める事が出来ずに昇は弾き飛ばされシエラと琴未に受け止めてもらった。
突然の攻撃にミリアが反撃に出ようとするが昇はそれすらも止めると風鏡に向かって勝ち誇った笑みを向ける。
昇は分かっている。風鏡が言葉では反論できないから力で訴えた事を。
昇が言った事は風鏡自身でさえ気付いていない本音の一つ。かと言って風鏡が常々そう思っていたワケではない。心の奥底でそういう気持ちも少しはあった、その程度の事だ。
たったそれだけの事で風鏡の心を大きく揺さぶった。風鏡のように心を硬く覆ってしまうと露呈された時には凄く脆くなる。
それを証明するかのように風鏡は追撃を掛けるワケでもなく、昇を弾き飛ばした格好で固まっている。
「だから……なんだと言うのですか。あなたの言うとおり私は負けました。なら! 早く私にトドメを刺せば良いでしょう!」
氷雪長刀を捨てる風鏡。最早戦う意思さえも折れてしまった。
昇を攻撃した時点で風鏡も悟った。自分は……全てにおいて昇に負けたのだと。
戦いはもちろん、自分では気付かなかった本音の一つを露呈されてしまった。頭でどれだけ否定しても昇の言った事は風鏡の中に存在し、完全に否定できる物は無かった。否定できないからこそ風鏡に完全な敗北感が生まれてしまった。
昇はそんな風鏡を地獄にへ突き落とすような言葉を投げかかる。
「僕はあなたにトドメは刺しません。たとえエルクにどんな策略があったとしても、僕があなたの邪魔をしたのは確かだ。だからトドメは刺しません」
「じゃあ何で戦ったのよ!」
相手にトドメを刺さないなら戦う理由が無い。それでも昇達は風鏡の邪魔した。その事が風鏡は腹立たしく、納得が行かなかった。
涙を堪えきれない風鏡に昇は微笑を向ける。
「僕の攻撃を、常磐さんと竜胆さんは身を挺してあなたを守った。それは何故ですか?」
「えっ?」
突然投げ掛けられた質問に風鏡は初めて真っ直ぐと昇の瞳を見た。
「それに二人とも最後まであなたに逃げろと言った。今のあなたに二人の気持ちが分りますか? あなたの為にここまでしてくれる二人をちゃんと見ていますか?」
言葉が出ずに昇を見詰める風鏡。答えられるはずがなかった。風鏡は一度も二人と向き合った事は無いのだから。
だけど昇には二人の気持ちが痛いほどに分る。二人が風鏡に向ける純粋な想いは、シエラ達が昇に向けるものと似ているから。
そこにあるのは純粋な絆、絶対の信頼、自分を捨てても尽くすという事。精霊が契約者に向ける純粋な想いを昇はしっかりと理解しているつもりだ。強い絆を作れると判断したから精霊は契約者を選ぶのだと。
昇はその事を風鏡に伝えたかっただけだ。
「常磐さんも竜胆さんも……あなたに幸せな未来を掴んで欲しかったんです。本当の笑顔を見せて欲しいんです。そして僕も、あなたの幸せな笑顔を見たいから戦いました。あなたに気付いて欲しかったから、今でも……あなたの傍にあなたの幸せを願っている存在が居る事を」
気付きもしなかった。いや、気付こうとしなかった。風鏡にとって優しくしてくれる存在は拓也だけであり、そこまでの好意が自分に向けられているとは思いもよらない事だ。
体中の力が一気に抜けたかのように座り込む風鏡。顔を伏せて静かに涙を流している。
「……風鏡」
「……」
そんな風鏡に静かに寄り添う常磐と竜胆。
風鏡は一度も二人と向き合ったことは無いかもしれない。それでも風鏡が二人を変えた事も事実。
ただ……気付いていなかっただけ。自分達が築き上げた絆に。
けど今の風鏡にはしっかりと分かった。自分を支えてくれる存在がこんなに近くに居る事を。
やっと分った、今を生きるという事を。だから生きていける、明日へ。
それでも人間はすぐに変わることが出来ない。だから風鏡はその言葉を昇に投げつける。
「……あなたは……ずるいです」
それは感謝と謝罪の言葉。だから昇もしっかりと答える。
「はい、そうかもしれません」
それは謝罪と祝福の言葉。新たな道を進む風鏡の行き先に幸あらんことを願って。
「う〜〜〜〜〜〜んっ」
旅館への帰り道で琴未は大きく体を伸ばす。
あれから昇達はすぐに風鏡達と別れる事にした。それ以上は風鏡達がどうにかする事で昇達が首を突っ込む事ではない。
だから常磐に精界を解いて貰い、風鏡に声を掛ける事無く旅館への帰路に付いている。
「それにしてもよ、昇」
歩きながら琴未が昇に問いかけてきた。
「よくあの二人は間に合ったわよね。少しでも遅ければ風鏡さんの救援が出来なくて、昇も説得が出来なかったんでしょ」
常磐と竜胆が身を挺して風鏡を守った。その事実があったからこそ昇の言葉にも信憑性が付いてきたというものだ。
だから二人が風鏡を救援できなければ意味は無い。琴未にしてみれば偶然とも言えるほどのシチュエーションだ。
けど実はそれも計算だったりする。
頬を掻きながら琴未の質問に答える昇。
「う〜ん、実は二人を待ってたんだよね。こっちに向かってくる事は分ってたから、後は与凪さんに二人がギリギリで救援に入れる時間を計算してもらってたんだ」
ヘブンズブレイカーを撃つ直前に昇の前に提示されたカウントダウンの時計。あれがそうだった。
「つまり二人が風鏡殿を助けられたのは偶然ではなく必然という事じゃな」
「それに最後の攻撃も実は少しだけ手加減してたんだよね。二人が風鏡さんを守れないと意味が無いから」
つまり風鏡との戦いは風鏡を説き伏せる布石に過ぎなかったという事だ。
「ほへぇ〜、凄いね〜」
素直に感心の声を上げるミリア。そんなミリアとは違ってシエラが不機嫌な声で呟く。
「だからあの二人が私達を振り切る事も計算済みだった」
うっ、もう一回それを引っ張り出しますか。
バツの悪い顔をする昇。そんな昇とは打って変わって琴未とミリアは始めて聞く事実に驚きを示す。
「え〜っ! 私達必死に戦ったんだよ〜」
「どういう事よ、昇!」
不満の声を上げるミリアに問い詰めてくる琴未。さすがにこれには昇も少しだけ距離を開けようとする。
「いや、あの、なんて言うか。風鏡さんがピンチになればどんな事をしてでも助けに来ると思ったから。それに実際に二人とも助けに来たから」
「つまり私達が負ける事も計算済みだった」
いやいやいや、そんな事は計算してませんから!
シエラの一言に刺激された琴未とミリアは追及してくる。昇は何とか二人を説得すると今度はシエラに向かって話しかける。
「えっと……シエラさん?」
「なに?」
うっ、目すら合わせてくれない。
こちらを振り向かずに歩き続けるシエラに不機嫌なオーラが見えた。これは何とかしなくてはいけないと昇はシエラに不機嫌な理由を尋ねる。
「なにをそんなに怒っていらっしゃるのでしょうか?」
限りなく下手に出て尋ねる昇。そんな昇にジトッとした視線を向けてシエラはゆっくりと口を開く。
「昇は……私達より風鏡の笑顔が見たいんだ」
「それはなんですか!」
昇にしてみれば、まったく身に覚えが無い濡れ衣のように感じたかもしれない。だが周りの女性陣はシエラに同意し始めた。
「あ〜、うん、私もあれはどうかと思ったわよ」
「酷いよね〜、私達だって昇の為に戦ったのに〜」
「これじゃから女たらしは手に負えんのう」
えっと、僕はどうして非難されているのでしょうか? 誰か教えてください。
やはり理解できない昇。
もちろん女性陣が怒っている理由はただ一つ。それは風鏡を説得する際に「僕もあなたの幸せな笑顔を見たい」との一言。
あの部分だけを見れば口説いているようにしか思えない。そして昇には永久に分からない事かもしれない。
「さて、この女たらしは捨てて、さっさと旅館に帰ろうとするかのう」
えっと、なぜ?
閃華の一言に昇は呆然としてしまうが、女性陣はドンドンと閃華に乗ってくる。
「そうよね、さすがに疲れたわ」
「ご飯〜、ご飯は〜」
「途中で買っていけばいい。私達だけの分を」
「そうね、たまには女だけってもの悪くないわよね」
……なに、この疎外感?
すっかり置いてけぼりなった昇。更に女性陣は歩くスピードも上げて昇を引き離す。
「……えっと、なんでこうなるの!」
慌てて前の女性陣を追う昇。
この自業自得とも言える意地悪は旅館まで続いたそうだ。
「はぁ〜〜〜」
頭からお湯を被った昇は大きく息を吐いた。
結局、昇は夜食には招待してもらえなかったのと、少し気分を落ち着かせたかったのでゆっくりと湯に浸かる事にした。
……今更だけど、これでよかったのかな。
風鏡に対する責任としてやれる事はやったつもりだ。だがそれで風鏡が救われたとは限らない。その事が少しだけ心配だった。
風鏡さん、大丈夫かな? ちゃんと……二人と向き合えたかな?
考え込めば心配は尽きる事は無い。けどこれ以上は昇に出来る事はないも無い。後は信じるしかなかった。
頭から離れない心配を振り切るために、もう一度お湯を被って頭を振る。
「……はぁ〜〜〜」
どうやらあまり変わらなかったようだ。
「やはり心配のようじゃな」
「そうだね、出来る限りの事はやったけど。それが正しいかは分らないよ」
「世の中に正しいと言い切れるものは無いもんじゃよ。じゃから人は皆自分の信念で行動するんじゃ」
「うん、そうだね。……って! なんで閃華がここに居るの!」
やっと閃華の存在に気付いた昇は後ろを振り向くが、それ以上のスピードで再び前を向く。
「なんで裸なんですか!」
「風呂は裸で入るもんじゃろ」
いや、まあ、そうですけど。
思いっきり落ち着いている閃華とは違い、昇は先程見た光景を忘れるために別な事を考えて思いついた。
「えっと、一応ここは男風呂なんですけど」
「安心せい、琴未達がやったように入り口に清掃中の看板を出してから入ってきたんじゃ」
あ〜、昨日はそうやって入ってきたんですね。というか気配を殺して入ってこないでください。それに今日も乱入されるとは思ってませんでしたよ。昨日は昨日で……。
昨日の事を思い出して真っ赤になった昇は頭を勢いよく振って思い出しかけていた事を振り払う。
そんな昇とは裏腹に閃華はマイペースで行動する。
「さて、ここは定番らしく背中から流してやるとしようかのう」
「やらなくていいです!」
振り向かずに思いっきり突っ込む昇だが、後ろからは石鹸を泡立てているような音が聞こえる。どうやら聞く気は無いようだ。
それでも昨日みたいに逃げ出そうとすれば良いのだが、昇は一向に動こうとはしなかった。
「では行くぞ」
「はぁ〜、もう好きにしてください」
「なら私の胸で洗うとしようかのう」
「余計な事はしないでください!」
昇の声が浴場に響いた後に背中に感じる優しい温もり。泡だったタオルの向こうから閃華の手をはっきりと感じることが出来た。
「意外と広い背中をしておるのう、もう少し華奢だと思ってたんじゃが」
閃華はそんな事を口にするが昇は答えない。閃華もそれ以上は口を開かずに、優しく静かに昇の背を流す。
背中を洗う音だけが浴場に響き渡り、静かな時間が流れる。ゆっくりと丁寧に背中を洗ってくれているのが良く分かった。
そんな事を感じながら昇は静かに口を開いく。
「閃華は……」
「なんじゃ?」
「……閃華は、これで……戻ってこられる?」
風鏡との出会いから始まった今回の戦い。閃華は昇達の傍に居たけど、どこか遠いような気がしていた。一人で、旅に出ているかのように。
実際に閃華の心は離れていただろう。迷い続け、探し続け、それでも出ない答えを求めて。
だから昇は風鏡と戦う事を選んだ。それはエルクの事、風鏡の事もあったが、それ以上に閃華の事があったからだ。
それで解決したわけではないが、手は差し伸べられたと昇は思っている。後は閃華が手を取ってくれるだけだ。
そんな昇の気持ちを察したかどうかは分らないが、閃華は手を止めると静かにはっきりと答えた。
「うむ、明日からはいつもどおりじゃよ」
「……そっか」
それで満足だった。昇は閃華に見えないように軽く笑う。
ゆっくりと昇の背から閃華の手が離れる。閃華が乱入してきたのも、昇が逃げなかったのも全てはこの話をするため。二人っきりでゆっくりと話せる場所など風呂場しか無かったのだろう。
これで全部終わった。昇がそう思った時、突然閃華が後ろから抱き付いてきた。
「って、えっ、あの」
背中から伝わってくるやわらかい感触とすぐ横にある閃華の顔に、昇は顔を真っ赤にしながら固まってしまった。
そんな昇の耳に口を近づけて閃華は静かに言葉を届ける。
「じゃからその前に、これは礼じゃ。今回は散々心配を掛けてしまったからのう。それに昇には……助けてもらったんじゃ。これぐらいの礼をしなくてはならんじゃろ」
別にしなくていいです。
そう突っ込みたい昇だが、この状況では上手く言葉が出ないようで口をパクパクとさせている。
そんな昇に閃華は軽く笑い出す。
「くっくっくっ、初心なのも大概にしておかんと琴未に泣かれてしまうぞ」
いや、そう言われても困るんですけど。
「まったく……じゃが、琴未が惚れた理由が良く分かったというものじゃな」
えっと、それはどういう意味でしょう。
もちろん閃華は答えない。たとえ昇が口に出して聞いても笑い飛ばすだけだろう。それが閃華なのだから。
まったく離れようとしない閃華に昇が困りきっていると閃華が話しかけてきた。
「のう、昇」
答えたい昇だが神経が勝手に伝えてくる感覚に捕らわれて言葉が出ない。その事を察しているのか、いないのかは分からないが閃華は勝手に喋り続ける。
「確かに風鏡殿との決着が付き、進むべき道を見出したワケじゃが……どうにもすっきりしないんじゃ。たぶん……小松の事じゃろうけど」
「……閃華」
これからどう進めばいいのか、どう生きればいいのか、その答えは出したつもりだ。だけど頭では分っていても気持ちだけが追いついてこないだろう。
これだけは理屈では割り切れない心の問題だ。それは難しく答えが出にくい物なのかもしれないが、昇はあっさりと答えを出す。
「恨んじゃえば」
「……はっ?」
はっきりとあっさり答えた昇に閃華にしては珍しくすっとんきょうな声を出した。そんな閃華を軽く笑うと笑みを向ける。
「だって小松さんは卑怯だよ。ずっと仕えてた閃華を無視して勝手な行動を取って裏切ったんだよ。だから閃華だけは、恨んでもいいと思うよ」
笑顔ではっきりと言う昇の顔を呆然と見詰める閃華。
昇の言わせれば小松の行動は閃華を裏切っている。小松には小松の理由があったかもしれないが、閃華から見れば裏切り以外の何物でもない。
それでも閃華が今まで小松を恨んだ事はないのは、自分の不甲斐無さだけを見て小松の行動がもたらした物を見なかったからだ。
だからよくよく考えれば昇の言うとおりかもしれないと閃華は思い始めた。
「……くっくっくっ、あはははっ、うむ、そうじゃな、その通りじゃ」
笑いながら何度も頷く閃華。その目には少しだけ涙が見えるが、昇は見なかったことにして閃華の顔から視線を逸らした。
納得するまで笑い続けた閃華は涙を拭くと再び体を密着させてくる。
「……昇」
「……うん」
なんかこう、気まずいというか、妙というか、良い雰囲気とも言える空気になったので昇に緊張が蘇ってしまった。
再び固まった昇に閃華は静かに呟く。
「ありがとう」
「……閃華」
深い深い感謝の言葉。たった一言だけど、その中にはいろいろな想いが詰まっており、今回の事を終結させるには最適の言葉だった。
これで全部終わりかな。
やっと今回の終わりを身に染みる昇。エルクの問題はまだ残っているが、これで風鏡は新たな道を進みだし、閃華も過去と決着を付けることが出来ただろう。
そして昇は差し伸べた手を閃華が掴んだ事を感じる。
遠くに感じていた閃華が再び近くに感じることが出来た。やっと戻ってきてくれたのだと思えた。
明日からはいつもと同じようになるだろう。だけど今は、少しだけ閃華を感じたくて昇は閃華の温もりを感じる。
お湯が揺れる音だけがする浴場で、閃華は昇に寄り掛かりながら静かな時間が流れる……ワケが無かった。
「閃華! あんたは何やってんのよ!」
突然勢い良く開かれた扉の向こうから琴未を先頭にシエラとミリアがバスタオル一枚で姿を現す。そして最初に見たのは昇に抱きつく閃華の姿。
そんな場面を目撃したのだから当然三人のボルテージは急上昇する。
「ななななななななななななっ、なにやってんのよ!」
予想できなかった事態に琴未は大いに取り乱したようだ。そんな琴未に代わってシエラが前に出てきた。
「じゃあ言い訳を聞かせて」
言い分ではなく言い訳だ。だからどのような主張をしても却下されるのは決定事項だ。
それが分っているだけに閃華はシエラを挑発するような行動に出る。更に体を密着させる閃華はあっさりと喋りだす。
「いやのう、今回は昇にかなり助けられたからのう。これはその礼じゃ」
「だからって、そこまでやる事無いでしょ!」
限界の琴未が閃華に詰め寄る。珍しく二人が喧嘩になるのではないかと昇は心配したが、すぐに閃華はいつもの閃華だと実感した。
……えっと、閃華さん、何で僕を羽交い絞めにするんですか?
後ろからしっかりと押さえつけられて動きを封じ込められた昇。そして閃華は三人に向かって平然と口を開いた。
「じゃからほら、前は残しておるぞ。早い者勝ちじゃから琴未、早ようせい」
なにを!
あっさりと三人の目的を摩り替えてしまった閃華。まあ、これがいつもの閃華だからしょうがないだろう。
そして三人はというと昇ににじり寄る。
「うん、練習した事無いけど頑張るね」
練習ってなんの練習ですか! ねえ、琴未!
「大丈夫、私はちゃんと練習した」
あなたは何の練習をしたんですか! シエラさん!
「いじって、いじって、いじくりま〜わす」
それが一番怖いです! ミリアさん!
「くっくっくっ、まあ、これも礼の一つじゃよ」
すっかりいつもどおりですね! 閃華さん!
……そして数分後には昇の意識は真っ白になり天に召したそうだ。
まあ、四人の攻撃はくすぐりに近く、笑いながら逝っただけですけどね。
翌日からは初日同様に遊びまくる昇一行。そこに与凪が加わった事で一段と賑やかになった。
然したる問題も起きなかったので充分過ぎるほどに海を満喫する事が出来たようだ。
すっかりはしゃぐ女性陣とは違って昇の心には引っ掛かる物が一つだけあった。
あの戦いからは風鏡と会ってはいない。だから今の風鏡がどうしているかは分らない。その事だけが気がかりだった。
そして風鏡の事が分ったのは最終日で海から帰って着てからだ。
旅館に戻った昇達に彩香は来客を告げる。どうやら昇の部屋に待たせているようだ。
首を傾げた昇は女性陣と一緒に部屋へと向かう。そして部屋で待っていたのは常磐と竜胆だった。
「やっほ〜、元気」
「お邪魔してるわよ」
思いっきりくつろぎながら昇達を迎え入れる二人。そんな二人に琴未が真っ先に反応する。
「って、あんた達はなんでここいるのよ!」
「うん、これを届けに来たわ」
琴未の突っ込みを思いっきりスルーして、常磐は立ち上がると部屋の奥においてあった大きな紙袋を差し出してきた。
「なにこれ?」
「お土産に決まってるでしょ」
琴未の問い掛けにはっきりと答える竜胆。
「……なんで、お土産?」
二人のペースにすっかり毒気を抜かれてしまった琴未に代わって閃華がお土産を受け取る。
「これはこれは、わざわざ済まんのう」
「まあ、約束だし」
「私達が迷惑を掛けたのも確かだしね」
昇達は初日に二人に絡まれて戦闘になっている。まあ、結局は風鏡によって止められたのだが、その時に閃華が風鏡と約束したお土産だろう。
それをわざわざそれを届けに来たようだ。けど用件はそれだけは無いみたいで、昇達は座ると二人は照れ臭そうに話し始めた。
「えっと、この前はごめんなさい」
「それにありがとうね。風鏡に代わってお礼を言っておくわ」
謝罪と感謝を述べる竜胆と常磐。二人の話によると、あれだけの事になったものだから風鏡は昇達にどんな顔で会えば分らないようだ。
そんな事を気にしなくて良いと昇は思うのだが、風鏡にしてみれば未だに気持ちの整理が付かないのだろう。
風鏡の話が出たことで昇は二人に切り出した。
「あれから……風鏡さんはどうしています?」
あの後から昇は無理に首を突っ込む事はしなかった。それは風鏡の問題であり、風鏡自身が答えを見出さなくてはいけないと思ったからだ。
それでも心配する心だけは隠せないようだ。
「うん、あの後随分と落ち込んでたわ」
「もう死にそうなぐらい」
あっさりと凄い事を言う二人。
そう言われると急に罪悪感が昇に生まれるのだが、二人は微笑むと言葉を続ける。
「けど大丈夫よ」
「まだ思い悩んでるみたいだけど、君の言葉はちゃんと風鏡に届いたわ」
すっかりからかわれた事を気にする事無く、昇は優しげな笑みを浮かべる。
「そうですか」
風鏡に対してどれだけの事が出来たかは分らないが、それでも自分の想いが風鏡に届いた事が嬉しかった。
「これからどうするんですか?」
やはり気になるのか昇は尋ねてみる。そして竜胆から意外な言葉が返ってきた。
「うん、旅に出るって」
「……えっと、なんでまた?」
「エルクはもうここには居ないわ。だから探すための旅よ」
……まだ、エルクを追うつもりなんだ。
少し複雑な心境になる昇。
昇としては復讐を諦めて普通の生活に戻って欲しかったのだが、どうやら風鏡にはその気は無いようだ。
地の果てでも追いかけて復讐を果たす、昇はそう感じたのだが違っているようだ。
「けど復讐を果たすだけじゃないわ」
「えっ?」
「半分は君と同じ理由だって。エルクの被害者を出さないために追って、絶対に倒すって言ってたよ」
「そう、ですか」
やはり捨て切れない物があるのだろう。それでも復讐のためだけに行動するよりかは随分とマシになったと昇は感じていた。
風鏡にとってエルクを追うという事は生きる目的であり、そこで全てが終わっていた。けどこれからは違うだろう。常磐と竜胆が傍に居る限り、その先を見て考える事が出来る。エルクを倒してもしっかりと生きていける。
そして常磐と竜胆も変わって行けるだろう。風鏡の傍にあり続けて、しっかりと支える事が出来るようになる。
それが分っただけでも昇は安心する事が出来た。
風鏡達は元々しっかりとした絆を築いていた。ただ、少しだけ遠慮していただけ。その遠慮が互いに本当の気持ちを気付かせなかっただけだ。
それは閃華と小松にも言えることかもしれない。閃華と小松ももう少し本音を明かせば、あのような事にはならなかったのかもしれない。だが今更そのような事を言っても詮無き事。
だから閃華は改めて思う。これからはそのようにしようと。
それから……何故か常磐と竜胆も混ぜて宴会へと突入して行った。二人に言わせれば昇達の送別会らしい。
まあ、二人らしいと言えばらしいだろう。
……風鏡さんは?
そんな事を思う昇だが、二人の頭からはすっかり消え去っているようだ。しかも酒まで飲んで、すっかりハイテンションになっている。
だから明日は風鏡に思いっきり怒られる事になるだろう。けど、それで良いのだと思う。それすら楽しいと常磐と竜胆は思えるようになったのだから。
翌日、旅館を出て電車に乗り、発車をするのを待っている昇一行。相変わらず賑やかで周りのお客に迷惑にならないかと昇は心配していた。
そんな時にミリアが窓の外、プラットホームを見て声を上げる。
「昇昇、あれ」
ミリアに促されてプラットホームに目を向ける昇。そこには電車から少し離れた所に常磐と竜胆に挟まれて静かに立っている風鏡の姿があった。……常磐と竜胆の頭に出来ている大きなタンコブはあえて見なかった事にする。
窓を開けようとする琴未を昇は止める
不思議そうな顔で「いいの?」と尋ねて来る琴未に昇は頷く。窓を開けたところで交わせる言葉も無いし、それは風鏡も望んではいないだろう。
その証拠に風鏡は昇と目を合わせても電車に近づこうとはしなかった。
そして風鏡はゆっくりと頭を下げる。常磐と竜胆も風鏡に倣って頭を下げた。それが今の風鏡にできる精一杯の事なのだろう。
だから風鏡が頭を上げたら昇は微笑を向ける。それは言葉を交わすよりも風鏡に届くと思ったから。
風鏡も微笑を返してきた。それは最初に見た風鏡の笑顔とは違い、優しくて綺麗な笑顔だった。
発車のベルが鳴り響いてドアが閉まると電車はゆっくりと走り出す。
もう一度頭を下げる風鏡。動き出した電車はすぐに風鏡の姿を見えなくしてしまったが、昇は心から安心する事が出来た。最後に見せたあの笑顔こそ、風鏡の笑顔だと思ったから。
「……また、会う事になりそうじゃのう」
「うん、そうだね」
閃華の言うとおりだろう。昇としても機会があればエルクを追うつもりだ。だから風鏡がエルクを追い続ける限り、またどこかで出会うだろう。
その時は敵ではなく、友人として。
昇は心の底からそう思った。……だが人の心というのは完全に伝える事は出来ない。それは人も精霊も同じだ。
「そんなに風鏡がよければ次で降りれば」
えっ?
そんな事を呟くシエラ。昇が振り返ると不機嫌な黒いオーラがハッキリと見えた。シエラのみならず琴未とミリアからも黒いオーラは発せられている。
「はいはい、どうせ私達は子供ですよ、大人の色気はありませんよ」
えっと、琴未、何を言っているんでしょうか? あれ〜、もしかして、いつの間にか僕は追い詰められてる?
「まあ、滝下君の傍には居ないタイプですからね。だからコロッと行っても不思議は無いでしょう」
あの〜、今回は与凪さんも参加するのでしょうか?
「う〜、私だって昇の為に頑張ったのに〜」
いや、あの、分かってますよ、ミリアさん。
「所詮男というのはそういう生き物なんじゃよ」
閃華さん、優しい笑顔でなにを諭そうとしているんでしょうか?
「この浮気者〜」
何で母さんまで参戦するの!
「そうか、滝下はこんな所で愛人を作ったのか」
いや、先生……絶対に面白がってますよね。
全員から攻められて居場所を無くしてしまう昇。昇にしてみれば理不尽極まりないのだが、なんとなく自分が悪いというのも分るのだろう。だから怒るに怒れずに泣き寝入りするしかなかった。
それでも家に着くまでには何とかするべく昇は行動を開始する。
「えっと、シエラさん、何か飲みます? 琴未は何かお菓子でも取り出しましょうか?」
「じゃあ白い恋人が食べたい」
「私はさんぴん茶」
えっと、それは日本を縦断しろと?
北海道の名産菓子と沖縄の定番茶である。
「なら私は中国の銘菓にしてもらおうかのう」
「フランスの甘〜いスイーツ〜」
「ついでにブラジル産のコーヒーもお願いしようかしら」
「ウオッカ!」
「じゃあ先生はアフリカの民族料理にしてもらおうか」
……世界を回れと?
好き勝手に言ってくる周りに呆然としてしまう昇。しかも困った事に期待の眼差しを向けられている。
「ど……」
震えだす昇の体。次の瞬間には両手を思いっきり挙げて叫ぶ。
「どうすれば良いんですか──────────────っ!」
昇の叫びは電車中に響き渡り、周りからは楽しげな笑い声が溢れた。
そんな訳で純情不倶戴天編はいかがでしたでしょうか。楽しんでいただいたなら幸いです。
そして、最終話の文字数が凄い事になっていたとしても見ないフリをしましょう。……いや、前回引っ張っちゃたから。
さてさて、やっと終わった純情不倶戴天編ですが……一年ぐらい掛かっちゃった。……いやね、本当ならもう少し早く終わらせる予定だったんですけどね。ほら、今年は私にとっては迷走する年みたいだったんですよ。だからいろいろと迷走して見ました。
……ごめんなさい!!! 来年は頑張るよ!!!
さてさて、かなり早いですが今年の反省が終わったところで次の話をしましょうか。
そんな訳で次は他倒自立編です。はい、そこの方、辞書を取り出しても意味は無いですよ。なにしろこの言葉は私が作り出した……はずですから!!!
たぶんそうだろうという感じです。
さてさて他倒自立の意味ですが、言葉のままです。詳しい意味は劇中で閃華が語る予定なので、それまで楽しみにしておいてください。
さてさて、もう少し語る事にしましょう。
他倒自立編は昇をメイン……にする予定です。でもでも、ミリアととても深い関係にある人や意外な人物の再登場や琴未と思いっきり対立関係になりそうな人なんかも出てくる予定ですので……やっぱり昇の影は薄くなる運命なのだろうか?
そんな感じの他倒自立編です。……一応メインは昇ともう一人の方ですよ。そちらの方は結構存在感がありそうなので、なんとか昇が引き立ってくると思いますが……無理っぽいかな?
まあ……絶対運命という事で昇には諦めてもらいましょう。
さてさて、予告も終わったところでそろそろ締めようかと思います。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想、投票と人気投票もお待ちしております。
以上、今頃になって他倒自立編の設定を少し変えたくなってきた葵夢幻でした。