第七十七話 雪と水は相乱れる
水龍八俣ノ大蛇の首が一つ、風鏡と雪姫に向かって突っ込んでいく。
風鏡は横へ、雪姫は上空に跳んで大蛇の首を回避したので大蛇の首はそのまま風鏡達が居た場所の砂浜へと突っ込み、砂煙を上げて鎌首を上げると上空にいる雪姫を睨み付ける。
雪姫はゆっくりと落下してくる中で左手を口元に添えると、静かに息を吹きかける。
雪姫が吹きつけた息はすぐに吹雪へと変わり下に居る大蛇の首へと襲い掛かる。大蛇の首はすぐに凍りだすが、大蛇の首は凍っている事などまるで気にしないかのように、開かない口をそのままにして雪姫へと襲い掛かる。
迫ってくる大蛇に雪姫は吹雪を止めると一蹴、大蛇の首を粉々に砕いてしまった。
着地する雪姫。だが水龍八俣ノ大蛇の首は他に七つある。雪姫の着地に合わせるかのように首の一つが雪姫へと迫る。
その首は雪姫へ辿り着く前に、一瞬にして首のほとんどが凍りつくと砕け散ってしまった。
砕け散った大蛇の後ろから風鏡が姿を現す。風鏡は氷雪長刀を突き出すような格好をしていた。どうやら大蛇の首に氷雪長刀を突き刺して一気に凍らせたようだ。
だが水龍八俣ノ大蛇は風鏡に休む暇を与える事無く攻め続ける。
先程、雪姫に砕かれた首がまたしも雪姫へと迫る。頭が無く首だけで迫ってくる大蛇は気味が悪いが、雪姫との距離を詰めた大蛇の首が一気に再生した。
雪姫に牙を向く大蛇の首。
閃華は雪姫が回避すると思い、予想地点にいつでも次の首が迎えるように準備をするが、雪姫は自ら大蛇の口へと飛び込む。
ほう。
当然それだけでは終わらなかった。
雪姫を飲み込んだ大蛇が一気に凍って行き、全ての首が繋がっている胴体にまで達しようとしていた。
凍った首を切り離す閃華。凍りついた大蛇の首が砕け散り、その中から雪姫が姿を現す。
うむ、雪姫は風鏡殿が作り出した分身じゃったのう。じゃからあれぐらいの事はやってのけるというワケじゃな。
水龍八俣ノ大蛇は生き物ではなく水の結晶体だ。だから消化器官はおろか、口の奥は首を形成する水で出来ている。
雪姫は自ら口の中に飛び込むことで奥にある首を形成する水の塊、その中心部に手を当てて一気に凍らせた。端から凍らせるより、中心部に冷気を通すからかなり早く凍らせる事ができる。
だからこそ閃華も首を切り離すしかなかったようだ。
ふむ、どうやらあの雪姫はうかつに手が出せんようじゃな。一番手っ取り早いのが風鏡殿を倒す事なんじゃが、それは昇から止められておるからのう。どうにかして雪姫を倒すとするかのう。
昇の策を実行するには閃華がやるべきことが二つある。一つは雪姫の完全撃破、もう一つが風鏡を撃破せずに大ダメージを与えること。
まったく、昇もやっかいな事を言ってくれるのう。……じゃが、昇は私にそれが出来ると信じてくれたんじゃからのう、ここは一つ、その期待に答えるとしようかのう。
落とされた大蛇の首を再生する閃華。風鏡の目線は再生した大蛇の首ではなく、水龍八俣ノ大蛇の尻尾に向かっていた。
(あの尻尾、あれが海に繋がっている限り、海水を無尽蔵に汲み上げて八俣ノ大蛇を再生できるワケですか。だからといって……これだけの物量を私の力だけで凍らせるのは無理みたいですね。……竜胆が居てくれたら楽なのだけど)
少しだけ視線を外す風鏡。竜胆も常磐も交戦中でかなり派手な戦いを繰り広げているようだ。
(援軍が期待できない以上は私の力だけで何とかしないといけませんね)
風鏡の周りにある大気が一気に温度を下げる。一気に気温が下がった事により、大気中の湿気が一気に凍り付き、風鏡は無数の輝きで覆われてその美しさを増す。
風鏡が氷雪長刀を前に出すと無数の輝きは数箇所に集まり、氷の楔となる。
「氷刺点結」
氷の楔達は水龍八俣ノ大蛇に向かって撃ち出され一直線に向かっていく。
水龍八俣ノ大蛇の大きな体では避ける事は不可能。閃華は首を五つ前に出して氷の楔を全て大蛇の首で受け止めるが、楔が刺さったところから大蛇の首が凍りだす。
それで風鏡の攻撃は終わらず、次は雪姫が甲高い声を上げると両手を広げると雪姫の足元から砂浜が凍りだし、一気に大蛇の胴体へと氷の範囲を伸ばしていく。
やはり狙いは胴体のようじゃのう。
首をいくら潰してもすぐに再生される。なら再生し難い胴体なら水龍八俣ノ大蛇を倒す事が出来ると判断したのだろう。
確かに首はいくら潰されようとも他の首がフォローしている間に再生できる。だが胴体は一つしかない。かなりの質量はあるが砕かれれば再生は出来ない。
そして風鏡は胴体に向かって雪姫が作り出した氷の上を走り出す。
閃華もすぐさま残りの首で風鏡の迎撃に向かわせるが、風鏡の足元にある氷が彼女を守り大蛇の首を妨げる。
ならば、こっちはどうじゃ。
風鏡の迎撃を諦めた閃華は攻撃対象を雪姫に変更。二つの首が雪姫に向かって大きく口を開き、水の塊を幾つも発射する。これなら先程のように首を凍らせるのは不可能。
これは避けるしかない雪姫。これにより砂浜を走っていた氷は進行を停止。だが風鏡は氷雪長刀を縦にすると刃とは反対側の石突を凍りに付ける。そうすると再び砂浜の氷が胴体に向かって進行を始めた。
雪姫は風鏡殿の分身、じゃから同じ事ぐらい出来るという事じゃな。じゃがそう簡単に行くかのう。
迫ってくる風鏡をそのままに動ける大蛇の首は雪姫に集中する。二つの首が雪姫に向かって水を吐き牙を向く。大蛇の猛攻を避け続ける雪姫、どうやらそれで精一杯のようで反撃には移れないようだ。
その間に風鏡が水龍八俣ノ大蛇との距離を一気に詰める。
首の根元まで一気に走りぬけた風鏡が氷雪長刀を振るうと足元に広がった氷から幾つもの氷が伸びて行き大蛇の胴体に突き刺さる。一気に凍りだす大蛇の胴体。
それと同時に風鏡の真下から氷の柱が飛び出し風鏡を上に持ち上げる。
一気に上昇した風鏡が柱を蹴って飛び出すと、下に閃華の姿が見えた。どうやらこちらが本命らしい。
上空から一気に襲い掛かる風鏡。閃華は風鏡を見上げると大きく叫ぶ。
「読めておるぞ風鏡殿!」
閃華は完全に風鏡の手を読んでいたようだ。だからこそ、胴体への攻撃をそのままにして風鏡に備えた。現に胴体への攻撃は少しだけ凍らせるだけで今は止まっている。
風鏡に向かって龍水方天戟を振るう閃華。それと同時に凍ってしまった首は崩れ落ち、胴体からは五つの水柱が上がると新たなる首へと変わった。
新たな大蛇の首が牙を向くとしている中で風鏡は閃華に向かって笑みを向ける。
「でしょうね」
風鏡が腕を大きく振るうと眼前に雪の塊が出現して、その中から雪姫が現れる。
突如として現れた雪姫に閃華は二つの首がある方向に目を向けるが、そこに居るはずの雪姫は消えており代わりに砂浜が濡れていた。
どこぞの幽霊みたじゃのう。
閃華がそんな感想を思っていると雪姫が大蛇の胴体に着地。甲高い声を響かせると雪姫の足元から一気に水龍八俣ノ大蛇が凍りだす。
そのスピードは早く、閃華が手を打つ前に胴体の表面と八つの首を一気に凍らせてしまった。
「随分と器用な事ができるんじゃな」
雪姫の瞬間移動にそんな感想を口にする閃華。雪姫の横に並んだ風鏡はそんな閃華に語りかける。
「雪姫は私の分身、いわば私の一部です。ですから、私の元へ召喚する事は簡単に出来ますよ」
氷雪長刀を構えて殺気と共に言葉を閃華に届ける風鏡。対する閃華も龍水方天戟を構える。
「それにしても水龍八俣ノ大蛇に乗り込んでくるとはのう、大胆な手を打つ物じゃな」
「大きな像は自分の体に取り付いた虫を払う事は出来ませんから、乗り込んでしまえばどうする事も出来ないでしょう」
確かにこの状況では水龍八俣ノ大蛇は役に立たないだろう。風鏡は閃華を追い詰めたと確信するが閃華は笑い出した。
「くっくっくっ、確かにのう。じゃがそれは像の話であって水龍八俣ノ大蛇には効かんぞ!」
凍りついた首から胴体へと飛び移る閃華。そして凍った八つの首が一気に崩れ落ちると新たなる首が再生される。新たなる首は今までのように一方に向いているのではなく、風鏡達を囲むように現れる。
「さて、雪姫の事は充分理解したからのう、そろそろ決めさせてもらおうかのう」
風鏡達に向かって八つの首が一斉に襲い掛かる。
雪姫は声を上げると猛吹雪を発生させて大蛇の首を凍らせていくが、そんな事に構う事無く大蛇に首は突っ込んでくる。
「雪姫!」
風鏡は雪姫に合図を出して手を取る。雪姫に引っ張られるように大蛇の背中から脱出する風鏡。風鏡達の後に八つの首が一斉に自らの背中へと突っ込む。
大きな衝撃と共に氷が砕け散る。
舞い散る氷と共に砂浜に降り立つ風鏡。すぐに水龍八俣ノ大蛇を目にして悔しそうに奥歯を噛み締める。水龍八俣ノ大蛇はすでに元の形へと戻っており、再び一つの頭に乗った閃華が風鏡に向かって叫んできた。
「水龍八俣ノ大蛇の特徴は驚異的な再生力じゃ。どれだけ大蛇を凍らせようとも私の力が尽きん限りは倒せんぞ。それに今の私は昇の能力で限界を知らんからのう、いくらでも大蛇を再生できるというものじゃ」
その言葉に風鏡は昇の能力がやっかいな事に気付いた。
なにしろエレメンタルアップは精霊に限界以上の力を与える。当然のように力の容量も爆発的に増える。つまり力の消費が激しい技でも使いたい放題ということだ。
更に閃華は雪姫について話し出した。
「それに雪姫と水龍八俣ノ大蛇の相性は悪いからのう。雪姫の性質は相手が生き物なら生命活動を停止できるほど驚異的じゃ。じゃが無機質な物には大して効果が無いようじゃな」
そのとおりだった。雪姫の攻撃は相手が生物、または精霊でも生命活動を停止まで行かなくても著しく制限させる事が出来る。いくら精霊でも適した属性を持たない限りは極寒の中で生きる事が出来ない。
だが水龍八俣ノ大蛇は水の固まり、閃華の意志で動く大蛇に生命は宿っていない。極寒の地でも閃華の意思がある限り、制限を受ける事無く動き続ける事が出来る。
つまり雪姫では水龍八俣ノ大蛇は倒せないという事だ。
それを悟らせるために閃華は最終勧告とも言える発言をしたのだろう。それでも風鏡は氷雪長刀を手に閃華に鋭い視線で睨み付ける。
「……まだ、負けたわけではありません」
未だに闘志の折れない風鏡に閃華は軽く笑うと龍水方天戟で天を刺す。
「そうじゃな、じゃから、これからは全力で風鏡殿を潰そう!」
閃華が矛先を風鏡に向けると七つの首が一斉に風鏡に向かっていく。
向かってくる大蛇の首に雪姫が飛び出すと甲高い叫びと共に吹雪を巻き起こす。七つの首はすぐに凍りだすが、凍ったまま風鏡に向かって突っ込んで来る。
雪姫を弾き飛ばして風鏡に向かって突き進む七つの首は砂浜に突っ込み、衝撃で巨大な砂柱が天に伸びる。
閃華はすぐに凍った首を切り離して新たなる首を再生。七つの首を砂埃が舞い上がる中へと突入させる。
もちろん閃華が風鏡を捉えていたわけではない。ただ闇雲に大蛇の首を暴れさせているだけだ。
水龍八俣ノ大蛇ほどの質量になれば比例して破壊力が増す。だから策を労した小技より、勢いに任せた大技が有効だ。
砂埃の中を縦横無尽に暴れまわる七つの首。かなり派手に暴れまわっているので、新たな砂埃が舞い上がり、治まる気配は一向に無い。
それでも、首の一つが風鏡に直撃すれば大ダメージを与えられる。だからこそ閃華は大蛇を暴れさせているのだが、未だに手応えが無い。
ふむ、さすがに目標が小さいとなかなか当たらないものじゃな。
そんな事を思いながら大蛇を暴れさせている閃華。
だが唐突に七つの首が動きを止めた。
なんじゃ? 凍らされた……ワケではないみたいじゃのう。捕まったという感じじゃな。
大蛇に首が動かせなくなったワケではなく、頭の先が何かに捕まったように動けない。どうにかして脱出を試みるがうまく行かない。
何度か試しているうちに砂埃も治まり、大蛇の首を捕らえている物が閃華の目に映る。
「なるほどのう」
それは雪姫の両手から大きく伸びた氷の網。それが大蛇の頭に取り付いて動きを封じている。
更に氷の網は大蛇の首に絡みつき、数本の糸を伸ばしている。糸は全体ではなく間隔を開けて数箇所に氷の足場を作っている。全体を凍らせれば切り離されて新たな首を再生させるだけだ。だからこそ、凍らせる箇所を絞って足場を作った。
風鏡が足場を渡り閃華へと迫ってくる。
狙いはあくまでも私というわけじゃな。
閃華も龍水方天戟を構える。
「じゃがな、それはこちらとて同じじゃ!」
閃華は自らが乗っている首を突進させる。その先には当然風鏡が居る。
風鏡も迫ってくる閃華に気付いたのか、それ以上は進もうとせず、今居る足場で閃華を迎え撃とうとする。
タイミングを合わせて足場から飛び出す風鏡。閃華も龍水方天戟で風鏡を捕らえられる位置に首を合わせる。
交差する両者。
宙を舞う風鏡の右腕から鮮血が吹き出すが、閃華は無傷だ。
風鏡が着地する前に追撃を掛ける閃華は首を急反転、背を見せている風鏡に迫るが急に首の動きが止まってしまった。
足元を確認する閃華。大蛇の首はすでに全体が凍っており、先程までの動きが伴った衝撃で崩壊を始めていた。
どうやら風鏡の攻撃は閃華ではなく、足元の大蛇に当たったようだ。
急に足場がなくなった事で重力に従い落下する閃華。地面に居る雪姫が声を上げると両手の網を切り離して跳び上がる。
閃華も矛先を下に向けると迫ってくる雪姫に備える。
二人の距離は一気に縮まり、閃華は龍水方天戟を突き出す。すぐに水龍を離して次の攻撃を準備するが、意外な事に龍水方天戟は雪姫を貫いた。
「……しまった!」
雪姫の意図に気付いた閃華は雪姫から方天戟を抜こうとするが、その前に雪姫の両手が閃華の肩を掴む。
掴まれた両肩から凍り付き、厚い氷が形成される。更に雪姫は突き刺さっている龍水方天戟を自ら突き進めて深く突き刺し閃華に抱きつく。
極寒の地に裸でいるような寒さを感じながら、閃華の体は雪姫との接触箇所から氷で包まれていく。
雪姫の腕の中でもがく閃華だが、まとわり付く氷で上手く動けない。閃華と雪姫は抱き合ったまま地面へと落下。
落下の衝撃で閃華の動きは一時的に止まるが、雪姫の冷気は止まる事無く閃華の体を氷で包んでいく。
「りゃあああぁっ!」
動きを封じられた閃華に風鏡がトドメを刺すべく氷雪長刀を突き出してくるが、再生した大蛇の首が牙を向いて風鏡を弾き飛ばす。
なんとか風鏡の攻撃を免れた閃華だが、このまま行けば雪姫に凍死させられるのは確かだ。
まずいのう、このままでは氷に閉じ込められた美しい少女の完成ではないか。……しかたないのう、やるしかないようじゃな。
閃華は覚悟を決めるとすでに八つの首を自由に動かせる水龍八俣ノ大蛇を操り、首の一つを自分達に向かって体当たりさせる。
衝撃で再び宙に舞い上がる閃華と雪姫。大蛇の首は次々と二人に体当たり、どんどんと二人を空中に舞い上げて風鏡が手出しできない場所で体当たりを続けた。
そのうち閃華の体を包み込もうとしていた氷は砕け散り、雪姫も閃華から離れだした。
更に加速して体当たりを続ける八つの首。衝撃に耐えられなくなった雪姫はとうとう閃華から離れ、閃華は雪姫を一蹴して龍水方天戟を抜き去った。
二人が離れた事で大蛇の攻撃は止まり、二人は落下を開始するが閃華は首の一つが受け止めた。
「やれやれじゃのう」
大蛇の攻撃で閃華も大分ダメージを負ってしまった。傷ついた身体がまだ動ける事を確認すると閃華は立ち上がり、頭の先に立つと下に居る風鏡達を見る。
風鏡の隣には無傷の雪姫が立っていた。あれだけの攻撃で無傷という事はありえないので風鏡が雪姫を回復させたのだと閃華は考えた。
分身というのも便利じゃのう。あれだけの傷を負っても能力者の力次第では回復できるんじゃからのう。
それでも風鏡を消耗させた事は確かだ。
傷ついた体を撫でながら、戦果はそんなに悪くないと感じた閃華は攻撃を再開する。
閃華を乗せた首を残して七つの首が風鏡に向かって再び牙を向く。
迫ってくる七つの首に対して風鏡達も真正面から飛び出していく。自殺行為ともいる突撃に大蛇の首は容赦無く襲い掛かる。
大蛇の首を避ける風鏡達だが、あれだけの巨体を進みながら避けきれるわけが無く。どうしても体は傷つく。それでも風鏡達は耐え切ると大蛇の胴体を目指して疾走する。
一時的に止んだ大蛇の猛攻はすぐに再開され、今度は時間差を置いて首が一つ一つ襲ってきた。
それで断続的に攻めて風鏡達を近づけないようにしたかったのだろうが、攻撃が緩くなった事には変わりない。
風鏡は避けきれない大蛇の攻撃に耐えつつ、その距離を確実に詰めてきた。
かなり迫ってきた時点で閃華も攻撃を切り替えて猛攻を加えるが、風鏡はそれに耐えつつ距離を詰める。
すっかりボロボロの体になったところで風鏡達は大蛇の胴体を捉えることが出来る距離まで辿り着いた。
「雪姫!」
飛び出す雪姫。水龍八俣ノ大蛇もそこまで接近されると攻撃がし難いのか、雪姫を食い止める事が出来なかった。
雪姫が吹き出した吹雪が首の一つ、その根元を一気に凍らせる。
「りゃあああぁっ!」
大蛇の猛攻を掻い潜り、風鏡が雪姫の後を追って飛び出すと凍った首元を一閃。首の一つを切り落とす。
だが水龍八俣ノ大蛇には無限とも言える再生能力がある。だから首の一つを切り落とされてもすぐに再生するのだが、今回に限り再生は出来なかった。
どうなっておるんじゃ?
さすがに驚く閃華。一瞬の同様が大蛇にまで伝わり、動きが一瞬だけ鈍ったところを再び雪姫の網で残りの首を捕らわれてしまった。
「さすがに驚いているようですね」
すでに勝利を確信した風鏡は余裕の笑みを浮かべながら上にいる閃華に話しかける。閃華も平静を装うと風鏡の語り掛けに応じた。
「そうじゃな、出来たらタネ明しをしてくれたらありがたいんじゃが」
風鏡は軽く笑うと水龍八俣ノ大蛇を指差す。
「現在、その八俣ノ大蛇は全てと言って良いほど海水で構成されてますね。それは再生に海水を用いていたからです。なら、海水を取り込めなくすればいいだけです」
閃華は振り返ると水龍八俣ノ大蛇の尻尾に目を向ける。そこは海と水龍八俣ノ大蛇の尻尾が繋がっているのだが、尻尾の一部が凍らされて海との繋がりを断っている。
再び風鏡に目を向ける閃華。
「いつ気付いたんじゃ?」
「最初からです。あなたは攻撃を首だけでして来た。尻尾も使えば私達の虚を付けたでしょうけど、それをしなかった。無尽蔵に水を生み出せるなら尻尾も使えるはずです、それをしなかったのは何かしらの理由が在ると思いました」
「それで尻尾から海水を汲み上げて再生に使っていることに気付いたんじゃな」
「はい」
なんとも見事な観察力じゃな。
閃華は尻尾の事を上手く隠してきたつもりだったが、風鏡はあっさりとそれを見破ってしまった。
風鏡の観察力に驚きつつも閃華は話を進める。
「では、いつ尻尾を凍らせたんじゃ?」
「あなたが雪姫と戯れている時ですよ。さすがにあのような上空までは手が出せませんし、あなたの注意が雪姫に向いているときがチャンスだと思いました。ここから地面を通して尻尾の一部を凍らせましたのです」
地面は保温性が高い。だから風鏡が冷気を地面に送って操っても、そんなに温まる事無く冷気を尻尾まで届かせる事が出来た。
見事とも言える風鏡の手に閃華は感心したが、まだ終わったわけではない。
「じゃが八俣ノ大蛇にはまだ七つの首があるぞ、そのようなボロボロの体では最早相手は出来まい」
確かに風鏡の体は傷つき、力も限界に近いものがあった。それでも風鏡は笑って宣言する。
「いいえ、すでに王手です。そしてこれが詰みです」
切り落とした首の根元、未だに凍っている部分を指差して風鏡は叫ぶ。
「雪姫!」
飛び出す雪姫。閃華も残りの首を操り、雪姫の行動を防ごうとするが、その前に雪姫は凍っている首の根元に辿り着き、そのまま大蛇の内部に入ってしまった。
「なっ!」
「これで雪姫には手が出せない」
「じゃが風鏡殿を倒せば意味は成さんぞ!」
攻撃対象を風鏡に切り替えて、大蛇の首を向かわせる閃華。
首が風鏡に辿り着く前に、内部の雪姫を指差して風鏡は静かに言葉を出す。
「雪姫 白夢凍世」
水龍八俣ノ大蛇の内部にいる雪姫が一気に力を解放。強烈な冷気が水龍八俣ノ大蛇を内部から凍らせていく。
そして首の一つが風鏡の眼前に迫った時、水龍八俣ノ大蛇は全身を凍りつかせて動きを止めた。
「さあ、大蛇退治の完了です」
宣言をする風鏡。
確かにこうなっては水の属性である閃華には八俣ノ大蛇をどうする事も出来ない。完全に制御権を失った事は閃華の敗北を意味している。
それでも閃華は凍った大蛇の上で軽く笑い出す。
「くっくっくっ、確かに水龍八俣ノ大蛇は負けたのう。じゃが私が負けたわけではないぞ」
「ええ、ですから最後の勝負と行きましょう」
氷雪長刀を構える風鏡。そんな風鏡に対して閃華は笑い続ける。
「くっくっくっ、いやいや、風鏡殿の言葉を借りればすでに王手じゃよ」
「なん、ですって?」
風鏡は確かに水龍八俣ノ大蛇を打ち破った。だから有利なのは風鏡はずなのに閃華はすで風鏡が追い詰められている事を宣言する。
「ときに風鏡殿、誰かを忘れておるんじゃないか?」
閃華はそんなことを口にするが風鏡は首を傾げるばかりだ。
「くっくっくっ、まあ影が薄いからのう、覚えて無くてもしかたないじゃろ。では詰みと行こうかのう」
終わりを宣言する閃華に風鏡は構えるが、閃華は攻める事無くその場で大喝する。
「さあ昇、条件は果たしたんじゃ! じゃから後は任せる!」
途端に凍りついた水龍八俣ノ大蛇の後ろから巨大な力が発生して、光の柱が天へと登る。
「なっ!」
突然発生した力に驚きを隠せない風鏡。冷静さを取り戻したのは斬りかかって来た閃華の攻撃を受け止めた時だ。
「くっくっくっ、どうやら八俣ノ大蛇に集中しすぎていたようじゃのう。じゃから後ろで力を溜め込んでいた昇に気付かんのじゃ」
「まさか! あの八俣ノ大蛇が囮」
「そうじゃよ、全てはここに至るまでの布石に過ぎんのじゃ」
焦る風鏡。昇と閃華にまんまとしてやられた事もそうだが、あれだけの力を防ぎきる自信は無い。そのうえ閃華との戦闘でかなり疲労している。このままここに居てはやられるだけだ。
閃華とのせめぎあう中で風鏡はより一層追い詰められる。
「あれほどの力です、あなたもここに居ては巻き込まれるのではないのですか」
閃華も戦闘でかなり負傷しているうえ、水龍八俣ノ大蛇という大技を使ったのだから疲労は大きいはず。
だが閃華は風鏡と刃を交えながら笑ってみせる。
「くっくっくっ、心配無用じゃ。私にはエレメンタルアップが掛かっておるからのう。風鏡殿には避けられなくても、私には避けられるんじゃよ」
「くっ!」
つまり閃華はギリギリまで風鏡をここに足止めしておくつもりだ。
絶対的に追い詰められた状況で風鏡は打開策を講じるが、どうしても答えは出てこない。
それでも諦めるわけにはいかなかった。風鏡にはやるべき事があり、そのために生きている。
(こんな、こんな所でやられる訳にはいかないのに。あいつを、エルクを消滅させるまで負けない。そう誓ったはずなのに)
そんな理想とは裏腹に現実は風鏡の目標を、生きる意味すら奪おうとしている。
(終わりたくない、こんな所で終わるのは絶対に嫌! ここで私が負けたら拓也の心はどうなるの、何も知らずに逝った拓也に、私は……何をして上げられるの)
甘える事しか出来なかった、頼る事しか出来なかった。幸せな時間の中で何も出来なかった後悔。
(一緒に居てくれる事、傍に居てくれる事。私が望んだのはそれだけの事なのに、それすら返す事が出来ない)
貰ったのは少しの優しさ、風鏡はそれを返したかっただけ。けど……今はそれすら出来ない。
(ここで終わったら、私は本当に何も出来なくなる。たった一つだけ、私が拓也にしてあげられる事なのに)
痛いほどに純粋すぎる想い。その想いが、更に風鏡を突き動かす。
(終われないの、拓也の敵を討つまで終わるわけには行かない。だから……だから!)
「邪魔しないで!」
ありったけの力を冷気に変えて閃華の龍水方天戟を凍らせようとするが、閃華は逸早く離脱。風鏡もその隙に昇の攻撃範囲から逃れようとするが、閃華の追撃がそれを許さない。
ならばと風鏡は閃華に攻めかかる。
このような緊迫した事態でも風鏡は戦う事を選んだ。
発動した昇の力は二つの戦いにも影響を与える。
「なに、この力!」
突然発生した力に常磐は弾き飛ばしたミリアの事を忘れて強大な力が発生している方へと目を向けると、そこには天を突き抜けた光の柱があった。
「なに、あれ?」
あの方向では風鏡が戦っていたはずだ。その事が不安となり常磐の心へ圧し掛かる。
「どうやら決着が近いみたいね」
ミリアを庇いながら雷閃刀を向けてくる琴未に、常磐は今まで見せた事無い真剣な顔を向けた。
「どういう事?」
「この力、あなた達には誰の物かわからないでしょ。だけど私達にははっきりと誰の物か分るのよ」
つまりこの力を発している持ち主は琴未達の仲間という事になる。
「さあ、どうするのよ?」
昇の力をはっきりと感じ取った琴未は勝利を確信し、余裕の笑みを浮かべならが復活したミリアと共に精霊武具を構える。
そんな琴未達に対して常磐も軽く笑うと元の表情を琴未達に向ける。
「そうね、これだけの力を発生させているという事はたぶん……私達の負けね」
風鏡が有利に戦っていれば今頃は力の発生源を叩いているだろう。だが未だにそれが無いと言うことは追い詰められている事になる。
敗北を確信した常磐に琴未はある提案を持ち出す。
「これで勝敗は決まったのよ。だから、私としてもこれ以上は無駄な戦いをしたくないのよね。素直に降参してくれれば悪いようにしないわよ」
「確かにそれも悪くないわね」
風陣十文字槍を下ろして戦う意思を見せない常磐。そんな常磐に琴未達も少しだけ警戒を緩める。
「私達の負けみたいだわ」
静かに呟く常磐にミリアは完全に警戒を解いて見守る。
「けどね」
「ミリア!」
再び風陣十文字槍を持つ手に力を入れる常磐に琴未はミリアに注意を促すが、すでに遅かった。
「それでも私は風鏡の傍に行かないといけないのよ!」
風陣十文字槍を振り上げるのと同時に大量の砂が上昇する風に乗って巻き上げられる。
上昇する風は琴未達をも巻き込む。
「くっ、ミリア! 何処から来る」
視界が完全に塞がれた以上はミリアの属性に頼るしかない琴未は常磐の位置を訪ねるが、ミリアからは意外な答えが返ってきた。
「琴未〜、あいつ逃げたよ」
「へっ?」
意外すぎる返答に琴未は間抜けな声を上げる。そんなやり取りをしているうちに風は治まり、舞い上がった砂が二人に降り注ぐ。
やっと視界が開けた時には。常磐はすでに二人から遠く離れた位置を走っていた。
「……はっ、ミリア!」
突然の事態に呆然としていた琴未はやっと常磐の行動を理解する。
「急いで追うわよ!」
「えっ、なんで? 逃げるならいいじゃん」
「昇が攻撃されたらどうするのよ!」
「あっ」
やっと事の重要性に気付いたミリアを引き連れて琴未は常磐の後を追うべく駆け出す。
「なんとか出し抜けたわ、あの子達がバカでよかった」
そんな感想を言いつつ、常磐は風鏡を目指して駆け続ける。
途中で良く知った力が迫ってきたので常磐はそちらに顔を向ける。
「竜胆、あなたも無事……じゃないみたいね」
なんとか常磐に追い付いた竜胆だが、左肩から右腹まで大きな傷があり、未だに血が流れ出している。
「大丈夫? というか何したの?」
いつもの調子で竜胆に語りかける常磐。だが竜胆にはそれほどの余裕は無いようだ。
「あの、白い子、かなり強くて、なかなか抜け出せなかったから。あの子の武器に抱きついて、追ってこれないようにした」
つまり竜胆はシエラのウイングクレイモアを全身で受け止めてシエラと翼を燃やし、そのまま戦闘から離脱してきたようだ。
そんな竜胆を心配する常磐だが走る速度は緩めないし、竜胆もしっかりと付いてきた。
「それで竜胆どうするの? あの契約者の子に直接攻撃をしかける?」
それが一番手っ取り早いし、風鏡が戦えない状況なら退き易い。だが竜胆は首を横に振る。
「それはダメ、あの契約者、私達に気付いてる。気付いてて、私達を待ってる」
「なんで? そんな事をして何の意味があるの?」
先程から質問攻めをしてくる常磐を竜胆は軽く睨み付けた後で自分の考えを口にする。
「分らない。とにかく風鏡の元へ行くのが最優先。そして逃げられるようなら逃げる。風鏡が無事ならまだやれる」
「……それしかないわね」
幸いな事は昇達が精界を張っていないという事。
エルクが最初に作り出した精界は巨大な物で、常磐もエルクの精界を包み込む精界を作り出すのには苦労した。
そんな巨大な精界だからこそ、突入を最優先した昇達は精界を張らなかった。だから昇達はこの中から逃げる事は出来ないが、風鏡達は精界を解けば簡単に逃げる事が出来る。
そんな状況だからこそ、竜胆は逃げる事を最優先にした。
後は自分達が到着する前に昇が攻撃を仕掛けない事を祈るばかりだ。
力の発生源である昇は二つの銃口を風鏡に向けながら溜めた力を解放している。
「滝下君、もうすぐ二人が到着するわよ」
「了解です」
昇の隣には与凪を映し出したモニターがあり、常に状況を昇に伝えている。
そんな与凪がモニターの向こうでキーボードを叩く。そのスピードはかなり早く、さまざまなデータを一気に叩き込んで答えを求めた。
「出た! 残り三十八秒、なんとか間に合った」
「僕の前に出してください!」
与凪が一安心する暇も無く、昇は目の前に残り時間を刻む時計を表示してもらう。
残り三十秒。それでこの戦いが終わる、僕の手でしっかりと終わらせる。それが唯一、僕が風鏡さんに出来る事がだから。
残りの時間は十秒を切り、昇はこの一撃に神経を集中させると銃口の先に光り輝く光球が生まれる。
そしてカウントダウンの時計が零を示した。
「ヘブンズブレイカ───ッ!」
昇が引き金を引くと光球より発射される高圧縮された膨大な力。砂浜を削り、空気を押し出して突き進む光を風鏡はしっかりと目にしていた。
エレメ七十七話、如何でしたでしょうか。
そんな訳で……引っ張っちゃいました。……いやね、もう一気に風鏡との決着を付けようかなと思ったんですがね。それだと次回のボリュームが足らないような気がして、引っ張っちゃった。
という事で、次回は風鏡との決着とエピローグで純情不倶戴天編が終わります。
いやはや、長かったですね。いよいよ終わりですよ。……なんか、一年ぐらい掛かってしまいましたが、ようやく純情不倶戴天編が終わり、次に行けます。
さてさて、私のホームページ冬馬大社で行っている人気投票ですが、少し修正しました。
メインキャラに森尾と彩香を追加。更にロードナイト編と純情不倶戴天編を追加しました。これでロードナイトの面々と風鏡達が追加されたので、投票の幅が広がったと思います。
ちなみに、メインキャラ、ロードナイト、純情不倶戴天と分かれてますが、三つ全てに入れなくても構いませんよ。どれか一つでも行けますので投票をよろしくお願いします。
さてさて、一通りの事は言ったと思うのでそろそろ締めますね。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想、そして投票と人気投票もお待ちしております。
以上、更新速度を上げたいと思ってるけど、なかなかうまく行かない葵夢幻でした。