第二十六話 始まりの夜
その日、昇は夕食後にミリアの部屋をノックした。
あの別れから数日、ミリアは部屋にこもったきりでほとんど出ていないうえに、食事すら満足に食べていないようだ。
いくらミリアが精霊だと言っても実体化している以上は、多少の食事を取らないと体がもたないはずだが、ミリアは一向に何も食べずに外出することなく部屋にこもっていた。
さすがにいつまでもミリアをこの状態を放っておけなかった昇は一人でミリアの部屋を訪ねることにしたのだが、ノックしても返事は返ってこなかった。
でもここで引き返すわけにはいかないか。
「ミリア、入るよ」
一応、断ってから昇はドアを開けた。
うわっ、真っ暗だ。
どうやらミリアは部屋の電気もつけずに、布団の中で丸まっているようだ。先程、昇の母である彩香が届けた食事もほとんど手につけていない。
「電気つけるよ」
昇が部屋の電気をつけると、ミリアは布団を被るように丸まっていて布団から出ているのは頭の上だけだ。
昇はベットに寝ているミリアの枕元に腰をかけると、出ているミリアの頭を軽く撫でながら口を開いた。
「ミリア、少しは食べないと体が持たないよ」
「……うん、分かってる。でも食べたくない」
返事が返ってきたことに昇はひとまず安心した。どうやら受け答えをする気は有るらしい。
「でも、無理してでも食べないと、いざという時に動けないよ」
「いざという時ってなに?」
「ミリア、ミリアはこのままでいいの。このまま雪心ちゃんと別れたままで」
ミリアは勢いよく布団を剥いで起き上がると思いっきり昇の頬を平手打ちする。
「分かったような口を聞かないでよ! 昇に私の気持ちが分かるの、私は雪心にはっきりと絶交されたんだよ。私、嬉しかったんだよ。雪心と友達になれて、雪心と過ごす時間が楽しくて。けど、もうそんな時間は送れなくなったんだよ! 私の気持ちなんて昇には分からないよ」
泣きながら訴えるミリア。昇はそんなミリアの頭をまた優しく撫でた。
「まだはっきりしてないからミリアには言ってなかったけど、もしかしたら雪心ちゃんは誰かに騙されてるのかもしれない」
「……なんでそういえるの?」
昇の言った事をすぐには信じられないミリアは疑いの眼差しを向ける。それほど雪心との別れがミリアにショックを与えて昇の言葉すら簡単に信用できないようだ。
「閃華や与凪さんが今調べてる最中だけど、どうも雪心ちゃんは誰かに踊らされて能力と雪心ちゃん自身を利用しているみたいなんだ」
「じゃあやっぱり、雪心は騙されてるんだね」
「うん、まだ確定したわけじゃないけど、その可能性が高いって閃華も与凪さんも言ってる」
「じゃあ、シェードが!」
「いや、これは僕の感なんだけど、あの人はそんな事をする人じゃないと思うんだ」
「じゃあ誰が雪心を騙してるの!」
「だからそれを調べているんだ。皆必死で……。皆、ミリアの事も雪心ちゃんの事も放ってはおけないんだよ。それなのにミリアはこのままでいいの?」
「……」
「まだ終わってない。ミリアと雪心ちゃんは今でも友達だと、僕は思ってるけど」
「……本当、昇?」
「うん、本当だよ。それに、もしかしたら雪心ちゃんもミリアと仲直りしたいと思ってるんじゃないかな」
「でも、雪心ははっきりと……」
「友達だもの、喧嘩ぐらいする時もあるよ。けど、ここで終わらせちゃったらミリアは本当に雪心ちゃんと絶交する事になるよ。それでもいいの?」
「よくないよ」
まるで希望を見出したかのような目を向けてくるミリアの頭を撫でる昇。
「だから今は元気を出して、雪心ちゃんは誰が助けるんだ」
「……うん」
「それに友達って言うのは困っているなら一緒に考えてあげる。泣いてる時には一緒に泣いて、笑ってるときには一緒に笑う。そして友達が道を踏み外そうとしている時には、たとえ嫌われようとも友達の目を覚まさせてあげなくちゃ。それが友達という物だと僕は思うよ」
「昇……」
「だからミリアは雪心ちゃんに何をしてあげないといけないのか、もう分かってるはずだろ」
「……うん」
「ミリアは雪心ちゃんがエレメンタルロードテナーになっても、雪心ちゃんのお母さんが蘇らないことを知ってる。だからミリアにはそれを伝えなくちゃいけない。たとえ何度嫌われようとも、何回も絶交されても、ミリアは雪心ちゃんに言い続けなくちゃいけない。それが本当の友達だから」
「……そうだね。私、そうしないといけないんだよね」
「決めるのはミリア自身だ。ミリアがこのまま本当に雪心ちゃんと関わりたくないなら忘れればいい。けど、もし雪心ちゃんの目を覚まさせたいなら、今は何をすべきか、分かるだろ」
「うん、そうだね。ありがとう、昇」
ミリアは流れ出した涙を拭くことなく、昇の手を取ると自分の頬に当てる。
「ごめんね昇、そしてありがとう。私、こんな事してる場合じゃないよね」
「もう大丈夫?」
「うん」
ミリアはいつもと同じ笑みを返して昇はその笑みを見て安心した。
「昇」
まだ涙が止まらないミリアが上目使いで昇を見上げる。
「ミリア、何」
「私、少し元気は出たけど、まだ少し不安だよ」
「そ、そう……」
少し不安そうな目をしながらミリアは昇の手を伝って、少しずつ距離を縮める。
あっ、あれ、なんかこの展開、少し変になってきてるんですけど。僕の気のせいかな、そうだよね、誰かそうだと言ってくれ。
「だから昇、もう少し私を安心させてほしいな……」
にじり寄るミリアだが、さすがに先程までいろいろと言った手前で昇も今のミリアから離れるには抵抗があった。
そしていつの間にかミリアの手が昇の腰に回っており、昇の動きを完全に封じた。
「えっと、僕にどうしろと?」
……って、うわっ、なんだ、今まで気付かなかったけど、ドアの方から凄い殺気と黒いオーラが見えるんですけど。
「うん、簡単だよ」
そう言ってミリアはシャツのボタンを一つ外す。
おーい、ちょっと待ってくださいミリアさん。ドア、なんかドアの方からさっきより殺気とオーラが強くなっていくみたいなんですけど。
「……今日一晩でいいから、私をだ」
っと、その時、突然ドアが勢いよく開くと何かがミリアに向かって飛んできた。
とっさに避けるミリア。だが今までミリアは昇が逃げないようにしっかりと押さえていたために昇までミリアと移動してしまい、丁度昇の頭がミリアがいた位置に昇が来てしまった。
結果、その何かは辞書らしく、それが昇の頭に直撃してそのまま気を失った。
それから数分後、昇は意識を取り戻した。
あれっ、僕どうしたんだっけ、というか、何で寝てるんだろう。
「ほれ見てみい琴未、昇が目を覚ましたぞ」
「昇、大丈夫!」
「じゃから言ったじゃろ。そんなに心配ないとな」
琴未? ……あれ〜、なんで僕は気絶なんてしたんだろ?
昇はゆっくりと体を起こすと、まだ少し痛む頭を撫でる。
「えっと、僕、どうしたんだっけ」
「全部シエラの仕業よ」
琴未はシエラにジトッとした目線を向けるが、シエラは明後日の方向へ向いて琴未の視線を受け流していた。
「けど、ドアを開けたのは琴未」
そして責任を押し付けるかのように、その言葉を呟くのだった。
「確かにそうだけど、私は昇をミリアから離そうとしただけで、まさか後ろから辞書が飛んでくるとは思って無かったわよ」
辞書が飛んできた?
「ふむ、どうやら状況が分かっておらんみたいじゃから簡単に説明しよう。まず、昇に迫ろうとしてたミリアを見て琴未は勢い良くドアを開けたんじゃが、それと同時に瞬時に照準を合わせたんじゃろう、琴未の後ろに控えていたシエラが何故か手に持っていた辞書をミリアに投げつけた。ミリアも殺気は感じておったんじゃろうが、昇を放すことを忘れてそのまま避けてしまい。結果として、昇に辞書が直撃したわけじゃ」
簡単な説明ありがとう、閃華さん。
「というと、皆して僕達の会話を盗み聞きしてたと……」
「いや、そういうわけじゃないんだけどね。なんていうか……」
「琴未が昇がミリアの部屋に入っていくのを見かけたから、たぶん琴未もミリアのことが心配だったんだと思う」
「シエラ! なに余計なことをいってんのよ。私はただ、昇の様子がおかしかったから覗いてただけよ」
覗いてたことは認めるんだね、琴未。
「まあ、そんなわけじゃ。結果として皆してお主らを見てたわけじゃ」
「というかシエラ、なんで辞書なんて持ってたの?」
「……念には念を入れないと」
えっと、シエラさん、それは答えになってるんですか?
「けどまあ、よかったではないか」
「なにが?」
「昇のおかげでミリアも元気が出たわけじゃし。まあ、多少のトラブルもあったが、些細なことはこの際忘れようではないか。のう、皆」
えっと、それは僕の災難を全て水に流せということですか。
「そうね、ミリアも元気を取り戻して結果的には良かったのかと」
シエラさん、なんでさっきから僕の目を見ようとしないんですか。
「良くないよ。私的にはせっかくのチャンスを潰されたんだから、その責任は取ってもらわないと」
……ははっ、よかったねミリア、元気が出て……はぁ。
「責任って何?」
先程の辞書の事もあるのか、シエラは仕方なくミリアに目を向ける。そして、そんなシエラにミリアが言ったこととは。
「シエラ、お腹すいた。そこは冷めちゃったから作り直して」
だった。
「分かった」
すんなりと承諾するシエラは不機嫌な声で返事はしたものの、昇はシエラが軽く笑みを浮かべたのを見逃さなかった。
やれやれ、これで一安心かな。
琴未も冷めた料理を持って行き、ミリアも元気良くリビングへと降りて行った。
「さて、これで問題の一つは解決したわけじゃな」
二人だけになったミリアの部屋で閃華はそんなことを言い出した。
「やっぱり問題は山積みなの?」
「そうじゃのう、やはり一番の問題は雪心の事じゃろうな」
「そういえば、雪心ちゃんの居場所は分かった?」
「ふむ、徐々にではあるが位置は特定できるみたいじゃ」
「そっか、後は説得しないといけないんだ」
「雪心にはつらい現実じゃが、現実で生きている以上、現実を見てもらわねばな。それに必ず妨害も入るからのう、ロードナイトというやっかいなやつらのう」
「はぁ、そうだね。まずはロードナイトをなんとかしないと。それから雪心ちゃんに……真実を告げないとか、それがどんなに辛くても、見ないといけない現実もあるよね」
「そうじゃな、ミリアにはまた辛い目に遭わせてしまうかもしれんがのう」
「そうだね……」
「じゃが、問題はそれだけではないぞ」
はぁ、やっぱりまだあるんだね。
「今回の黒幕じゃ。そやつの目的がいまいち見てこんのじゃ。そこら辺を見極めねば対処の仕様がないかもしれんのじゃ」
「それにしても、今回の黒幕って、いったいどんな奴なんだろ?」
「場合によっては、そやつと戦うことになるかしれんのう」
「けど、負けられない」
「そうじゃのう。ミリアのためにも、そして雪心のためにも、何とかせねばなるまい」
「そうだね」
昇はミリアのベットに腰を下ろしたまま、考え込む。
突発的に始まった今回の事態だけど、まさかこんなにも複雑な関係を生み出すなんて思ってもいなかった。
でも、知ってしまった以上は引き返すことは出来ない。ミリアのためにも、雪心ちゃんのためにも、なんとかしないといけないだ。
「くっくっくっ」
突然笑い出した閃華に昇の思考は途切れて疑念の眼差しを送る。
「閃華、突然笑い出してなに?」
「いや、大したことではない。昇もいろいろと成長したもんじゃなと思っただけじゃ」
「それってどういう意味?」
「そういう意味じゃ。さて、いつまでもミリアの部屋にいても仕方なかろう。そろそろ我らも下りるか」
「……そうだね」
そして昇は腰を上げると、ミリアの部屋の電気を消して出て行く。そして階段を下りる途中にある窓から夜空を見上げる。
そういえば、雪心ちゃんはどうしてるんだろう。
「昇、どうかしたか」
「えっ、いや、なんでもないよ」
雪心ちゃんはああ言ったけど、やっぱり今でもミリアの事を友達と思ってくれてるんだろうか。それとも、本当に戦わないといけないのかな。
昇はそんなことを思っていたが、他の場所では確実に事態は動いていた。
「ミラルドが気付いたと?」
「はい、今はマルドが追っております」
「逃がしたのですか」
「申し訳ありません、サファド様」
そこは玉座の間。サファドは玉座に腰をすえて下に控えている冷峰から報告を聞いていた。
あの方は強いから味方にしようとしたのですけど、まさかここまで鼻が利くとは思いませんでしたよ。
「まあ、いいでしょう」
「では、私はマルドの応援に」
「いえ、私が出ます」
「おや、サファド様がご自身で出るのですか? そこまでしなくても良いのでは」
「私だけではありません。我が主にも来てもらいましょう」
普段でも目が細い冷峰だが、更に目を細めて首をかしげる。
「とにかく、留守は任せますよ。これ以上あの部屋に誰も近づけないでくださいね」
「御意」
それだけ言い残してサファドはマントを翻し、玉座の間から出て行く。
ミリアちゃん、やっぱり怒ってるかな。
そんなことを考えながら雪心は城の一角にある一室から夜空を眺めていた。
この城に戻ると何かがあったらしく、すぐに冷峰がやって来てサファドをどこかに連れて行ってしまった。
そこで仕方なく。雪心はこの城に設けてある自室で夜空を見上げていたのだ。
でも、仕方ないよね。ミリアちゃんが私の邪魔をしようと、シェードと戦おうとしたんだから、悪いのはミリアちゃんだよ。……でも、私の願いが叶ったら、もう一度、もう一度だけでいいから会いたいな。そのときミリアちゃんが謝ってくれたらまた友達になれるかな。
雪心がそんな思いにふけっていると、突然ドアがノックされた。
「あっ、はーい、どうぞ」
「失礼します。我が主」
「サファド!」
サファドの登場でとうとう自分の願いが叶うと思った雪心だが、サファドは別のことを雪心に告げた。
「申し訳ありません、我が主。準備が整っていましたのですが、突然ミラルドが裏切りました」
「えっ、なんで?」
「分かりません。我が主の恩を忘れて今は逃亡中です」
「そう」
「そこで、我が主にも協力して欲しいのです」
「先にお母さんを取り戻してからじゃダメ」
「このままミラルドが逃亡を続ければ、我が主の母君は二度と蘇られなくなる可能性があるのです」
「そっか、分かった。どうすればいいの?」
「では、目を閉じて、心を落ち着けてください」
雪心はサファドの言うとおりにする。
そしてサファドは雪心の額に手を当てると小さな光と共に手の平サイズの魔法陣が出現して、次の瞬間には雪心は気を失い、深い眠りについた。
倒れてくる雪心を抱きかかえるサファド。そして雪心を抱き上げるとそのまま部屋を出て行こうとした。
だがその前にシェードが立ちはだかる。
「雪心をどうするつもりだ?」
「シェード、そんなに怖い顔をしないでください。ミラルドのことはすでに聞き及んでいるでしょ」
「俺にはそれが信じられん。あのミラルドが何の根拠もなく裏切るとはな……」
「ではあなたも探ってみますか、ミラルドと同じ物を。そしてそれを発見した時、あなたはどうするのでしょうね。我が主を悲しませることをしますか?」
「……」
「では私達はミラルドを消し去りに行きます。留守は任せましたよ」
シェードは道を開けると、そのまま雪心を抱えているサファドの背を見送った。そして完全に見えなくなると思いっきり壁に拳をぶつける。
「くそっ、結局俺には何も出来ないのか!」
一人取り残されたシェードを静寂の夜が包み込む。
今更ですが、この作品は一話自体が長すぎますね。そのためか最近では携帯読者よりPC読者が増えているようです。……がんばれ、携帯読者。というか携帯向きに空行を入れてもいいんですけど、そうするとページ数が凄いことになりそうなんで、というかこの話でも文庫本サイズに直すと14.5ページ行くみたいなんで、空行を入れるとその倍、つまり29ページぐらい行きそうなんで、さすがにそれはどうかと思ったりもします。
だからがんばって付いてきてくれ携帯読者、私は君達のことを応援してるぞ。はい、そこの方、だったらもっと読みやすくしろよ、とか思わないように、私にも限界がありますから。はい次の方、そこを何とかするのが作者の役目だと思わないように、そんな事を思ってしまった日には私が土下座するしかないじゃないですか。というか無理な物は無理だーーー!
はい、そんな訳です。とりあえず携帯読者の方にはがんばってもらいましょう。今の私にはそれしか言えん。
ではでは、ここまで読んでくださりありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いします。更に評価感想もお待ちしております。
以上、頑張って携帯読者を応援している葵夢幻でした。