襲撃――杜撰
1話・《狂ってる僕》
さて。
どうすれば良いのだろう――こういう場合は。
「…………」
実際に自分がこういう状況の中に身を置くことになってみると良く分かるが、どうすれば良いのかさっぱり分からない。
近くに警報装置的な便利小道具も存在しないし。
そもそも両手を顔の位置に挙げさせられているので、あったところで、手を伸ばすことは叶わず――なのだが。
「おい、ガキ! 金庫はどこだ」
「バックルームです」
喋ると、喉に貼り付けられたナイフがかさかさ僕の喉をこすった。
そのナイフを手にしている男が後ろでそわそわしていた男に「おい見てこい」とか指示を飛ばす。
ふむリーダー格はこのナイフの男か。
つーか、その前にレジに結構お金入っているけれど、それは良いのだろうか。
それともレジを挟んで向こう側にいると、意識しづらいものなのか。
ふらふらしていた男がやっとバックルームの扉を見つけて入って行くのを見ながらなんとなくそんなことを思った。
それと離れたところに、遠巻きに僕とナイフ男のことを見ている線の細い人物が一人。
こっちはまだ一言も声を聞いていないから男なのか女なのか分からないけれど、体付きからして女っぽい。
今僕がいるのはドラッグストア。
商店街にある、ごく普通の薬局である。
主婦の方々を中心に市販薬だったり、洗剤とか、シャンプーとか、サプリメントとか…………まあそんな感じの薬とか生活雑貨を売っている。
持ってきた商品をレジに通して、お金と交換するのである。
そして僕はその時間を労働として差し出して、給料をもらっているのである。
アルバイトだ。
時給八百円。
今日――九月十四日は日曜日で、午前十時の開店から五時間のシフトで入っているはずだった。
だった、というかまあ――実際にこうしていつも通りレジに立ってはいるのだが。店内にいるのはお客様と呼ぶには随分と図々しい連中だった。
いや、客だったところで図々しいのは余り変わらないか。まだ開店前だし。
それに、いくら図々しくとも、さすがに客はナイフまでは持ってこない。あと、この人達の要求は何の代価もなくただ「金を出せ」なのだ。
だから。
だから、今この店内にいる僕を除いた三人は――襲撃犯、とでも呼んでおこうか。
それとも強盗か。
まあ、呼称なんてどうでも良い。
ナイフを突きつけられて――貼り付けられて、喋るな、とまで言われているのだから呼称が決まっていたところでそれを僕が口に出す機会はなさそうだ。
というか。
そもそも。
何で僕がこんなことに巻き込まれているんだ?
そこまで栄えているわけでもないこんな街のドラッグストアで働いている、単なるアルバイトの僕が。
何で強盗に遭っているんだ。
どんな運命の悪戯だ。
死んだら呪うぞ、神。
●
さて、どこから歪んだんだろうか、いつもの日常は。
確か――
僕が店に入ったのが九時三十五分くらいだったと思う。自分でシャッターを押し上げて中に入ると、すでに店長は出勤していて、開店するための諸々の準備をレジでしている最中だった。
まあ店長がいないと店のシャッター自体開かないわけだし、いるのは当たり前か。
「ああ、虹見君おはよう」
眠そうな店長がそんな挨拶を投げかけてきた。
ちなみに虹見っていうのは僕の名前。
――虹見曲理。
店長の名前は…………なんだったか。『店長』としか呼ばないから名前なんて気にしたことがなかった。
それでこれまで問題なかったのだから良いか。
とにかく小太りで、中年の店長は、バックルームで制服であるエプロンを着けた僕を見るなり、
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくるからその間店お願い」
そう言って店のシャッターを開けて出て行ったのが九時四十分くらい。
店のバックルームにあるトイレは流れが弱いので大の方は厳禁ということになっている。詰まるから。
大をしたい時は向かいにあるコンビニのトイレを借りることになっている。
これは僕がバイトを始めた頃からずっとそうで、この先も直す予定もなさそうだ。
そして店長は見た目通りお腹が弱いので、開店前にコンビニに駆け込むのはもはや当たり前のこととして店の従業員全体の認識になっている。従業員――コンビニの含め、だ。
だから今日も、店長のその言葉に対して、適当に、意識なんて欠片も向けることなく「はい」と返して、レジに立ってぼーっとしていたのだ。
そこまで大きな店でもないから基本的には二人で回すため、店長が抜けると必然的に店には僕一人になるわけなのだが、まあ店を預かっているとか、そんな殊勝な気持ちは一切持ち合わせていなかった。
そしたら二分もしないうちにシャッターの押し上げられる音が店内に響いた。
いつもは開店ぎりぎりに戻ってくるから、少し疑問に思ってレジの左手にある入り口の方へ視線を向けたら、入ってきたのが――黒を基調とした服に身を包んでニット帽にサングラスを掛けた変な三人組だったのである。
もとい――強盗。
一直線に僕の方に走ってくるそんな三人組を見ながら思ったのは、まだニット帽を被るには暑いだろうに、なんていうずれた感想だった。
そして何故かレジを挟んで向かいに立った男が――僕にナイフを突きつけたのだ。
レジを挟んで立ってしまうのは、所謂、慣れというやつなのか。
兎も角。
――ここまでが回想。
そして現在九時四十五分。
「金庫に鍵が掛かってます」
当たり前だろう。だからこその金庫だ。
「おいガキ、金庫の鍵はどこだ!」
質問に応えようと僕が口を開きかけたところに、バックルームを見てきた男が更に言葉を被せてきた。
「ナンバー入力式です」
うん。そういうこと。
それにしても、敬語を使うほどの上下関係があるのか、この二人には。相変わらず離れたところにいる線の細い奴は動かずだけれど。
いや、最初は近くにいたな。
それこそ三人揃ってレジの前にいた。
それから、線の細い人だけおもむろに、僕から後ずさるように離れていったんだっけ。
何かを恐れるように。
「ガキ、何番だよ」
焦れたようにナイフ男が僕の首にナイフを食い込ませる。
「さあ、知りません」
「ああ? 知らないじゃねえんだよ! 殺すぞ!」
流石にこの状況だと、そんな陳腐な言葉にも真実味が与えられる。
今、正しく僕の命を左右する権利を得ているのはこの目の前のナイフ男なのだから。
しかし。
「番号を知っているのは店長だけです。僕みたいなアルバイトには教えられていません」
本当はよく金庫を開けているところを見るから番号知ってるけど、わざわざ教える必要もないので、胸にしまったままにする。
抵抗、というか、なんとなくだ。
あ、でもこれで殺されたら僕馬鹿だなあ――とか他人事みたいに思ってみる。
ナイフ男の苛立ちが蓄積されていく。
「ああ、くそっ!」
吐き捨てるように叫ぶ。
しかし、だいたいそんなことは考えれば分かりそうなことなのに。
この三人はこの三人で、予め計画してこうして強盗に来ているのかもしれないが、一人がああやって開店前に長々トイレに行くことを調べて来ているのかもしれないが――だったら誰が店長なのかくらい調べて来いという話だ。
杜撰過ぎる。
多分理想としては、素早く金を奪って、開店時間前にはずらかるつもりだったのだろうけれど。
現実は何の成果もないまま時間だけが過ぎていく。
どちらかと言えば、僕からすればこの展開の方が危ないのだけれど。
ちっ、と男が舌打ちをして。
後ろから来た男が、
「どうしましょう?」
とか声を掛けてきて、ナイフ男が振り返った隙に、左腕の腕時計に視線を一瞬だけ走らせると、時刻は――九時四十八分。
おいまじかよ。
意外と残ってるな。
ナイフ男のこの焦れ具合、ちょっと危なそうだ。もっと上手く計画してさっさと金を奪ってどこかに言ってくれれば良いのに。
「金庫はこじ開けられないのか?」
ナイフ男が後ろからきた男に怒鳴る。
「む、無理ですよ……」
当たり前だ。何度も心の中で言うが――だからこその金庫なのだから。
「一度、戻りませんか?」
「くそっ! ここまでして成果ゼロだと? 何も無しで帰れるかよ!」
「で、でもこのままじゃ……」
敬語男が自分の腕時計を見て、時間を気にする。
ナイフ男も自分の腕時計に視線を落とした。
目の前にお金ありますけどねー。何か言葉を発したらその反動で殺されそうな雰囲気なので口は噤んだままにするけれど、出来れば自力で気付いてとっとと帰ってくれませんかねえ。
心の中で思うが、気付いてくれそうな雰囲気はない。
線の細い人も動かない。
「…………しょうがねえ、ずらかるか」
このまま時間だけを浪費して騒ぎになって捕まるか、それとも一端退いて立て直しを図るか――二つの案を天秤にかけて、退く方をとったらしい。
正直、その選択にほっとする。
早く帰ってくれ。
僕がそう思ったのと同時に、
「こいつは、殺していくか」
一番恐れていた事態が起きた。
「え、え…………ころ、す?」
僕よりも敬語男の方が狼狽していた。
おそらく最初はそんな計画はなかったのだろう。
しかし意図せず強盗はぐだついてしまい、長々と僕の前にいることで、
「声を聞かれてるし、姿も覚えられた――残しておくと厄介だろ」
と、そういうことだ。
ほんの数分で終えるはずだった作業は、自身の計画の杜撰さに数分どころか十分程取られている。
その巻き添えに、僕が殺されようとしている。
「…………」
殺されるのは――死ぬのは、困るなあ。
ああ、いやでもこれだと自殺にならないから良いのか?
んー、駄目な気がする。
きっと怒られるなあ。
あ、でも殺されたら怒られるも何もないか。
「でも、殺しは……」
「うるせえ! こうして今ここにいる時点で俺達はもう犯罪者なんだよ。だったら犯罪者としてどう上手く立ち回るかだろうが」
言っていることは、まあ、確かにその通りなのだが。
目の前のレジのお金に気付かない時点で、上手く立ち回るとかほざいている脳味噌に疑問だ。
さて。
僕が殺されないためには――死なないためにはどうするべきなのか。
それを考えようとしたところで。
「その子を殺すのは駄目!」
離れて立っていた人が叫んだ。
女だったのか。
「お前まで、何言ってるんだ」
「駄目、その子を殺すのは駄目……多分その子を殺しても、人を殺した罪の意識を持てない。殺しというものを罪だと思えなくなってしまう……」
「お前、何言って……」
女の言っていることを理解できずに、男が混乱したように眉根を寄せる。あ、目が少し見えた。うん、大体見える部分からの外見で推測した通りだ。
敬語男は何も言えずに突っ立っている。
「その子、なんだかおかしい…………恐い。何でこの状況で震えてないの? ナイフを首に突きつけられて、なんで少しも表情が動かないの? 殺されるかもしれないのに…………君は、本当に人間なの?」
ナイフ男にと言うよりも、僕に対する言葉で、根本的なところから疑われてしまった。
まあ、良いか。
おかげで変な雰囲気になって、全員の動きが一瞬だけ止まった。
その隙に、首の左側に当てられたナイフを左手で握りしめる。
「あ? …………おいガキ、何して……がっ」
更に右手で男のナイフを握っている右手を掴んで思いっきり引っ張った。
レジ台があるせいで、男の上半身がつんのめる。そのまま引っ張ってみたら男が空いている左手でレジ台を掴んで引っ張りを阻止するので、引っ張る方向を下に変える。ちょうど頭一個分レジ台からこっちに突き出していたので、その顔面に十発ほど膝を入れたら、掴んでいたナイフを落として、動かなくなった。
ナイフは押し当てるんじゃなくて、引かないと切れない。
うん、首から血が噴き出しているということもなかった。握りしめた左手の平は血まみれになってしまったが。
血にまみれたままの左手でナイフを拾って、男を踏んづけるようにレジ台に乗って、敬語男に向き直った。
「ひっ……」
とか言って、一歩後ずさるが、レジ台を蹴って目の前に着地。
膝を曲げて反動を殺すついでに、持っていたナイフで男の右足の腿を刺した。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああ!」
とか醜い声を上げていたけれど、無視して、ナイフを抜いてから、敬語男を俯せに倒して腕を捻ってその上に膝を落として固定。
女をどうしようかと、顔を上げてみたら――もういなかった。
逃げたらしい。
まあ良いか。
「……ふう」
その代わり、といったら女は、そんなに肥満じゃないと怒るかもしれないけれど――店長が戻ってきた。
レジに俯せに倒れている男と、僕の下でひいひい喘いでいる男をたっぷり三十秒くらい見てから、
「え」
と、それだけ洩らした。
九時五十五分。
開店五分前だ。