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第7章 ガリア制覇

・・・・久しぶりに子供の頃の夢を見た・・・

アルトリウスは野営地にいる自分を取り戻す。

一瞬、自分が幼い頃に戻ったかのように錯覚し、野営用の天幕の天井に戸惑ったアルトリウスだったが、直ぐに周囲を見回し、自分が何処にいるのかを正確に把握した。

 ここはポートゥルスマグナム近郊、3ヶ月ほど前にコンスタンティヌス率いる最後のローマ正規軍がガリアへと出征した港の近くにアルトリウスは陣を敷いていた。

 コンスタンティヌスが海軍も残さず引き払ってしまったため、かつての軍港であり、重要なブリタニアの窓口の一つである港が危機に曝されていたからである。

 港やその周辺から軍船の影が消えたことを嗅ぎ付けたゲルマン人の海賊達が頻繁に姿を見せるようになっていたのだ。

 カストゥス家の本拠地であるコーンウォール地方にも近く、折角手に入れた交易権を有効に活用するためにも、略奪破壊からこの港を守らなければならない。

フランク人の大軍を撃滅したアルトリウスがその報告のためロンデニィウムに帰還した際、アンブロシウスは労いの言葉をかけ、当座の兵士達の給金や物資の補充について手当した後、海軍の再建をアルトリウスに打診してきた。

「船舶は心配しなくていい状況ができた、新造船と中古船の混成で使い勝手は良くないが、戦闘には耐えうるものを用意できる、アルトリウスは兵の訓練に当って貰いたいんだ」

「・・分かりました、海軍の練成は初めてですけれども、やってみようと思います」

新生ブリタニア軍は十分すぎる戦果を挙げた。

フランク軍15000をわずか3000の混成軍で打ち破り、敵の死体を残らず対岸へ漂着させるという蛮行で新たな侵攻を思いとどまらせのだ。

しかし、兵士達がアルトリウスを見る目は信頼に満ち溢れていた。

敢えて蛮行を行い、悲劇の拡大を抑え込む事ができたのは紛れも無い事実であり、その点でアルトリウスは正しかったと言えよう。

市井の人々や、最前線で戦った兵士達の間でアルトリウスの人気は静かに、しかし確実に広がり、領地を持つ豪族や貴族達に不快感を覚えさせえるまでになり始めていた。

曰く、それまで素直に徴発、徴収、召集に応じていた市民達がアルトリウスの下に走り、思うに任せなくなって来たから、である。

実際、新生ブリタニア軍はフランク軍を撃破した後、志願者が爆発的に増え、兵員数のみであれば裕に5000名を超えるまでになっていた。

これだけの人員が確保できれば、天才に頼らずとも有る程度の運用は可能である。

また、新たに中堅クラスからすっぽり抜け落ちた指揮官クラスの人材を育てなければならないこともあって、アルトリウスは訓練と全体の軍編成を主に担当し、その後の小戦闘は副司令官のグナイウス・タルギニウス、歩兵司令官のティトウス・クロビウスに任せ、自分は新たに副官に任命したクイントゥス・ペレドリウスを連れて各地の警備兵の訓練や進軍団の編成に当った。

また、妬みを受け始め、度々不審な「事故」に遭い始めたアルトリウスの身辺を安定させるためにも、アンブロシウスは実績の上がった陸軍からアルトリウスを外し、比較的安全な海軍の再建に当てることにしたのだった。


アルトリウスは、かつて軍港として開かれたものの、ローマ軍の出征以来少なくない犠牲を払い独力で港を守ってきたポートゥルスマグナムの船主組合や港の人々に配慮して町に入らず、近郊に野営陣地を構築して訓練を指揮していた。

アルトリウスが天幕を出ると、丁度その船主組合長であるウィビウス・カッラがやって来た。

「おはようございます、軍司令官」

背丈は低いが、海の男らしく日焼けし、がっちりした体格のウィビウスはアルトリウスに近付きながら50歳代と思えない張りのある声であいさつをした。

「おはようございます、組合長、今日は早くからどうしたのですか?」

「少々お耳に入れたい事がありましてな」

重要な知らせであれば、まずアルトリウスの耳に入るはずである事から、アルトリウスは不審げに首を傾けた。

その様子にウィビウスは苦笑いを浮かべて話し始めた。

「ブリタニアに侵攻したフランク族が全滅した事で大打撃を受けたフランクの部族長達はブリタニアへの進出をあきらめて、ベルギカや下ゲルマニア属州の地盤固めに専念し始めたようで」

ウィビウスは驚くアルトリウスに、情報はいろいろなものがあります、と付け加えた。

さらにウィビウスは、それからもう一つ、と前置きして話し始める。

「ブリタニアから出征したローマ軍がフランクの先遣隊、サクソン人、アレマン人らの連合軍を破ってガリア北部と中部を支配下に置いたそうですな」


「おううらあああ、押せ押せ押せ押せ押し倒せええ!!!!」

コンスタンティヌスの怒号が轟き渡った。

うおあああああっっっっ

    どががああん

統一されたローマ装備の歩兵達が一糸乱れず雄叫びを上げて突撃し、ばらばらのゲルマン軍の第一線と真正面からぶつかった。

 いつもならば突撃するゲルマン軍を受け止め、しばらく後に攻め疲れたゲルマン軍に反撃する形で攻め立てるのがローマ軍の常套手段であったが、勢いに乗った突撃を繰り返しているのはローマ軍。

 楯ごと体を浴びせ掛ける波状攻撃でたちまちゲルマン連合軍の前面を食い破った。

「押せええええええええ!!!」

コンスタンティヌスが更に檄を飛ばし、ローマ軍の前面は沸き立つ雲のように次から次へと兵士を入れ替える波状攻撃を繰り返し、大きく崩れたゲルマン連合軍の歩兵隊を更に大きく切り崩していく。

「ローマ軍の真の力を見せ付けろ!!!」

矢継ぎ早に飛ばされるコンスタンティヌスの檄に煽り立てられるようにローマ軍の攻勢が火の付いたように烈しくなり、たちまちゲルマン連合軍は数を減らし、ついには壊走を始めた。

「皇帝陛下!我らの勝利ですぞ!!」

喜色満面でそう叫んだ元軍団長にコンスタンティヌスは傲然と胸をそびやかして言い放った。

「当然だ!」


コンスタンティヌス率いるブリタニア駐留ローマ軍団2万は、ガリア・ベルギカに上陸し、民衆から解放軍として迎えられた。

 短期間で上陸地周辺の蛮族を掃討したコンスタンティヌスはゲルマン人の小部隊を執拗なまでに攻撃し、徹底的に蛮族の浸透を排除するとともに、逼塞していたローマ軍の守備隊や敗残兵たちを積極的に糾合し、ガリア北部だけで1万余りの兵力を新たに確保した。

 更に、治安が安定化したことでローマの行政機構が復活しコンスタンティヌス率いるブリタニア・ローマ軍団は財政的、兵力的に短期間で充実した体制を敷くことに成功していた。

 コンスタンティヌスは当面ガリア北部及び中部の制覇と安定化に力を注ぐことに決め、進入してきたヴァンダル人やゴート人、アラン人とは積極的に戦火を交えず、侵入には手痛い反撃を与えることで、勢力圏の確立を目指した。

 しかし、ベルギカなど北部からガリア侵攻を目指すフランク人やサクソン人との衝突は避けようも無く、ガリア・ベルギカの国境地帯で大規模な戦闘となったのであった。

 

ブリタニア・ローマ軍団はそれまで守勢一方だった鬱憤を晴らすかのような目覚しい働きでガリア北部・中部を制し、十分に実戦経験を積んだ軍団はそれまで無人の野を行くが如くガリアを荒らし回っていたゲルマン諸部族の軍をこっぱみじんに打ち砕いた。

「準備は整った、1週間後にはガリア南部へ侵攻する」

コンスタンティヌスは、戦場の興奮冷めやらぬ幕僚達を前にして、突然そう言い放った。

「!!!!」

 幕僚達は一瞬静まり返った。

 ついこの間ガリア北部・中部の確保を優先させると言ったばかりではないか。

 言外にその雰囲気を滲ませている幕僚達をにらみ付けたコンスタンティヌスは、声に怒気をこめてもう一度言い放った。

「聞こえなかったか?1週間後ガリア南部のヴィエンヌを攻める、ここを拠点にローマを臨むぞ」

「お待ち下さい!皇帝陛下!!」

震えるような声でそう抗議の声を挙げたのは、並居る武官ではなく、トーガを纏った官僚と思しき人物だった。

 年のころは40歳半ば、短い髪と口と顎に鬚を蓄え、澄んだ聡明そうな目を持つ人物は、立ち上がる。

「今ガリア北部を空けては、元の木阿弥です、折角回復した行政機構や治安が再び機能しなくなる恐れがあります」

「・・・話を聞こう、サルスティウス」

不承不承という形ではあったが、コンスタンティヌスは浮かしかけた腰を再び椅子に下ろした。

サルスティウスは、ガリア属州の官僚で、ブリタニア・ローマ軍団がブリタニアから侵攻してきた際、いち早くその指揮下に入り、以後は行政機構の整備と徴税システムの再構築に活躍し、コンスタンティヌスからガリアの行政長官に任命されていた。

皇帝を僭称し、自由気ままに振舞うコンスタンティヌスに対し、ガリアの一般民衆は解放軍として感謝したが、官僚や軍人の間では今ひとつ人気が無い。

それというのも根拠も曖昧なまま皇帝を名乗っているコンスタンティヌスに協力するということは、ミラノにいる正当なローマ皇帝からすれば反逆以外の何物でもないからである。

かてて加えて、コンスタンティヌスの傲慢な性格が災いしていた。

元々檄しやすく、独善的なところのあったコンスタンティヌスだったが、皇帝に就いた重圧や気負いからか、その性格の悪いところが目立つようになっていた。

そういった不安や不満から、ブリタニア・ローマ軍団へ協力する者は力を持った官僚や軍人の中に多いとは言えず、献身的なサルスティウスの存在は貴重であった。

「ありがとうございます」

 サルスティウスは、コンスタンティヌスに最敬礼すると、ゆっくりと話し始めた。

「ブリタニアから皇帝陛下が出征してきて早くも3ヶ月が経ち、浸透していた蛮族は掃討され、また、たった今ガリア北部を虎視眈々と狙っていたフランク、サクソンらの餓狼はその牙を折られました」

 サルスティウスは、周囲の武官達を見回す。

 誰も彼もが、期待しているともあきらめているともつかない微妙な表情を浮かべていた。

     本来であれば、側近の者等が押し止めなければならないというのに・・・

 サルスティウスはそっと周りから分からない様にため息をつく。

「それでも、今南進すれば、治安だけでなく民衆も動揺します。」

 コンスタンティヌスが顔をしかめた。

 彼の支持基盤は民衆にある、これが動揺すれば足元が覚束なくなってしまい、最悪失脚ということも考えられた。

「私としましては、今しばらく、せめてあと3ヶ月の期間を戴き、治安と行政機構を安定させ、民衆の将来に対する希望を確実なものとしたく存じます。」

 サルスティウスはそう言い終えて自席へと着いた。

 サルスティウスの後に発言するものは誰も無く、コンスタンティヌスの反応を覗う幕僚達がお互い牽制し合い、しばらく場が静まり返った。

「・・・決定は既に下された、変更は無い」

 コンスタンティヌスが突き放すように言い放った。

「!!」

 サルスティウスがさっと顔色を変えて立ち上がろうとしたが、隣に座っていた別の官僚に押し留められた。

「・・・西ローマ帝国軍司令官フラヴィウス・ステリィコ将軍から書簡が届いてる」


場が一瞬で凍りついた。

 ローマの実質的な最高権力者からの意思表示がついに目の前に現れた。

 これまで半ば既成事実を積み上げる形で、なし崩し的に事を運んで来たコンスタンティヌスにとって初めての試練が訪れた事になる。

 いわばローマ帝国からの正式な意志伝達であり、これが無いのをいい事に、今まで事を進めてきたコンスタンティヌスにとっては、内容如何によっては今後の進退や命運が掛かってくる。

「俺もまだ中を見てない、全員で内容を確認する。」

 コンスタンティヌスは、既に中身を改めていたが、書簡を一人で見る事で生じる改ざんやすり替え、隠蔽の疑いを避ける為に敢えてこれを主だった者が全員いる場で開示するふうを装った。

 コンスタンティヌスは内容を一読し、何食わぬ顔をして隣の元軍団長へと書簡を回した。

 読む者全てが衝撃を受けているのが分かったものの、その事について反応せず、コンスタンティヌスは全員が読み終わるのを待った。

 最後に、サルスティウスに書簡が回る。

「・・・皇帝陛下・・・」

 愕然とした表情でサルスティウスがコンスタンティヌスに顔を向けた。

「・・・ガリア放棄を政策決定した分際で、そのガリアが良い実を付けると分かると欲しくなるてえのは人のサガだがな、類稀なる忠誠と能力、高潔を謳われたステリィコ将軍も所詮は人の子だってわけだ」

 怒気を押し殺してそう言うコンスタンティヌスに幕僚達は珍しく神妙に肯いた。

 ステリィコを始めとするローマ帝国首脳部は、ガリアについては既に、防衛不可能と判断し、領土放棄を内々に決めていた。

 つまり、ローマの心臓部である、イタリア半島、南部ガリア、ヒスパニア、アフリカを防衛するために、ガリアを放棄する事にした訳なのだが、その情報を密かに入手した上で黙認される事を前提に北部・中部ガリアを手に入れたブリタニア・ローマ軍団は、いきなりその目論見を覆されてしまった。

 書簡には

    制圧したガリアを正当なるローマ皇帝の下に復させよ

    正当なるローマ皇帝以外の皇帝はこれを認めない

帝位簒奪者コンスタンティヌスはローマの公敵とする

帝位簒奪者コンスタンティヌスを差し出せば、兵については罪を問わない

    ブリタニア軍団はステリィコ将軍指揮下に入るものとする

と言う主旨のものであった。

 つまりは、コンスタンティヌスを皇帝はおろか、正式な官職を有するローマ帝国の人間とは認めない、反乱軍の首謀者として断罪し、コンスタンティヌスが安定させたガリアはローマ帝国に返還させる。

 力戦してきた優秀なブリタニア軍団は、故郷へ帰ることすら許されず、ステリィコ将軍指揮下に入って新たな敵と戦うことになるという事であった。

 おまけに、元老院の議決を経てコンスタンティヌスを公敵、つまり

    ローマの正式な敵

としてしまっており、これではどう逆立ちしたところでコンスタンティヌスが反乱軍の首領以上の存在にはなれなくなった事を意味していた。

 ステリィコ将軍からの書簡は、形としては書簡であったが、内容は命令書以外の何物でもなかった。

 コンスタンティヌスはその存在自体を軽んじられた事になる。

 コンスタンティヌスは、ガリア回復の実績とゲルマン諸族撃破の実力をローマに認めさせた上で、ガリアとブリタニアの統治権を有する軍司令官か、あわよくば共同統治者である副帝に任命されることを目論んでいた。

 反逆者になる危険性を有しているにもかかわらず、敢えて皇帝を名乗ったのは、言わばローマに高値を吹っかけて値切り交渉を上手く進めるための博打であった訳だが、これは全く裏目に出た。

 高潔なステリィコ将軍の性格を読みきれていなかった事、元老院を始めとするローマの貴族や政府首脳にとっては、蛮族の侵入よりも帝位簒奪者のほうがより危険性が高いものである事を理解できなかったのが敗因であろう。

「・・・ふん、ローマそのものが無くなっちまうかも知れねえってのに、お偉いさんたちゃ内輪もめに割く元気がまだあるって踏んだ訳だ・・・のんきなこったな。」

 コンスタンティヌスは、鼻を鳴らすとそう言った。

 そして、席から立ち上がると、地図を置いた机を

だんっ

と両手で強く叩いて音を鳴らし、全員を見回した。

「やっぱり進むしかないだろ、このままじゃジリ貧もいいトコ、これでアテにしてたローマ本国からの支援は全くダメってこったからな、活路は前にしかねえ、ガリアを制して体制を整え、蛮族、ローマ両方の攻撃に備える。」

 

それから1週間後、コンスタンティヌス率いるブリタニア・ローマ軍団は南ガリアの主要都市であるヴィエンヌを取り囲んだ。

ローマが準備を終える前にガリア全土を掌握することを目指したため、強行軍となり、コンスタンティヌスはブリタニアから率いてきた最精鋭の軍団2万のみをヴィエンヌ攻略に使い、ガリアで編成した1万はサルティウスに預け支配地域の治安と防備に当てた。

結局はサルスティウスの意見も容れ、軍を割いてしまったコンスタンティヌスであったが、勝算は十分にあると踏んでいた。

ステリィコ率いるローマ正規軍は、総兵力でも5万を超えない。

このたった5万弱の兵でステリィコは広い西ローマ帝国全体を防衛している。

東からローマに迫るゴート族、北から侵攻するアレマン人、スウェビ族、ガリア南西部のアキテーヌに居座っているヴァンダル族、そしてガリア北部・中部を制したコンスタンティヌスのブリタニア・ローマ軍団の南下までをも阻止せねばならず、状況はスティリコにとって決して楽観的なものではない。

しかし、フラウィウス・スティリコは無類の戦上手であった。

今だかつて決定的な場面での戦闘において敗北したことは無く、ただもう「戦えば勝つ」「戦いさえすれば勝つ」と言った状態であった。

むしろスティリコの敵となる勢力が彼との会戦を回避したがる傾向にあることから、スティリコは戦闘へ持ち込むまでの過程に苦労している有様だった。

ただ、戦闘の際には兵力不足が災いし、スティリコは常に全兵力で会戦に望まねばならず、同時に二つの勢力が動いた場合、スティリコは動かないことで両勢力を牽制することしかできない。

軍を分けて牽制や陽動といったことに使うだけの余力が無いのである。

そこにブリタニア・ローマ軍団の付け入る隙があった。

現在、東からゴート王アラリックに率いられたゴート族10万がローマに向けて動く気配を見せているため、スティリコは軍をイタリア半島から動かすことができない状態にあり、実際拙速が功を奏したこともあって、ヴィエンヌには守備隊以外の軍は存在しない。

コンスタンティヌスはあっさり包囲網を完成させると降伏勧告を行い、ヴィエンヌはこれを呑んで開城した。

情勢が味方したとは言え、あっさり南部ガリアへの足がかりを得られた事で、ブリタニア・ローマ軍団は勢い付いた。

しかしこの行動がローマとスティリコを益々硬化させる結果となる。

ヴィエンヌ陥落の戦勝祝いの際にそれはもたらされた。

使者として訪れた3名の元老院議員は、書簡を読み上げることも、宣告文を手渡すこともしなかった。

ただ

「元老院は逆賊コンスタンティヌスを帝位簒奪者として、ここに公敵と認める。」

と宣言しただけであった。

この宣告で以前書簡を送り付けて暗にガリアと軍団を返上すれば罪を問わないと匂わせていたスティリコも、コンスタンティヌスをまごうかたなき敵として認めたことになる。


しかしながら、スティリコは具体的な動きは見せず、コンスタンティヌスらにとっては不気味な静けさがしばらく続く事になった。

公敵宣言を受けた後も、一部官僚や軍人にいよいよ討伐軍が派遣されるかもしれないと言う予想から動揺する者も現れたが、ローマが具体的な動きを見せないことから、その動揺も次第に沈静化していくこととなった。

コンスタンティヌスは、北部ガリアをサルスティウスの裁量に委ね、資金、食料等の供給を担わせる一方、占拠した南部ガリアを中心に募兵と軍団編成を行い戦力の補充増強に全力を注いだ。

また、アキテーヌ地方を強掠したヴァンダル族、ベルギカのフランクやサクソンらの諸部族とも小競り合いを繰り返し、ブリタニア・ローマ軍団の存在感を内外に示しつつ兵士らの練度を練り上げる。

ガリア地方に安定がもたらされたかに見えた。

そんな中、コンスタンティヌスは、北部ガリアの都市ルテティアを訪れた。

北部ガリアの中心都市ルテティアは、ゲルマン人の侵入以来荒れるに任されていたが、コンスタンティヌスがガリアへ入って治安を回復させた際、東方の城塞都市ソワソンと共に修復が進められ、7ヶ月がたった今、ようやく以前の政庁らしい雰囲気を取り戻しつつあった。

コンスタンティヌスが、護衛も兼ねた1000名程の兵を率いてルテティアの城門に到着すると、既に全開にされた城門にサルスティウスが迎えに現れた。

「おお、サルスティウス。出迎えご苦労だな、まあそう気を使うな」

 統治も軍事も思ったとおりに進み、目立った障害も特に無いため、コンスタンティヌスは機嫌よく出迎えたサルスティウスに話しかけた。

「ようこそお出で下さいました皇帝陛下」

サルスティウスは慇懃にそう述べると、下馬したコンスタンティヌスの半歩後に下がって城門をくぐる。

「お前のおかげで俺は安心して蛮族どもを蹴散らして回れる、礼を言うぜ」

機嫌よくコンスタンティヌスが言うと、サルスティウスはようやく口元をほころばせた。

「有難うございます、皇帝陛下」

復興成ったばかりの政庁舎に到着すると、コンスタンティヌスはサルスティウスから当面の行政施行について聞き取った後、見張り塔の最上階へサルスティウスと一緒に上がった。

何重にも回る、窓の無い見張り塔の螺旋階段を登り切ると、2人の目の前に緑溢れるガリアの大地が果てしなく広がっていた。

一陣の風がしばしその風景に見とれる二人の短い髪をかき鳴らして通り過ぎていく。

「・・・サルスティウス、見てるか?」

「・・・はい・・・見ております。」

7ヶ月前、破壊された町の中で唯一残ったこの塔に、瓦礫をかき分けながら登った二人が眼にしたものは赤茶け、焼け焦げた大地だった。

たった7ヶ月で焼け出された農民達は土地に戻り、再び豊かな大地が蘇ったのである。

吹き抜ける風は季節のせいもあってか寒々しく、灰と煙、そしてわずかながらも死臭が混じる酷いものだった。

今吹き抜けた風は、土と水と草の臭いに、甘やかな焼きたてのパンと蜂蜜の香りがほんのり混じっている。

「なあ、サルスティウス、ローマってのは何だろうなあ・・」

「はあ・・・ローマ、ですか?」

コンスタンティヌスの質問が抽象的過ぎたせいか、サルスティウスはガリアの大地を眺めている訝しげに返り見た。

「ああ、ローマだ、オレはこの風景こそがローマだって思うんだがな。」


心地よい風に吹かれながら、コンスタンティヌスは言葉を継いだ。

「人が平和で、文化的に暮らし、それを俺達が守る、これこそがローマの原点だ、ローマが発展した原動力なんだ・・・最近は権力闘争やら私利私欲で目の前しか見えねえ、何を守るべきかも分かってねえ連中が幅利かせてやがった。」

「・・・・・」

サルスティウスは黙ってコンスタンティヌスの言葉を聴いていた。

「オレはローマの原点に立ち返ってみようって、そう思ったんだ、サルスティウス、お前もそうだが、愚直にローマのために頑張ってるヤツはまだまだ沢山居る、ブリタニアにはアルトリウスって言う、オモシレえのがいてよ」

くっくっくと短くコンスタンティヌスは笑う。

「まあ、絵に描いたようなローマ人だ、いっぺんもローマに行った事もない、生粋のローマンブリタニア人だってのに・・・まあ、頑張るんだこれが」

サルスティウスがようやく口を開いた。

「・・・もしや、ブリタニアへ渡ったフランク軍を壊滅させたアルトリウス将軍とは・・・?」

笑を止める事無くコンスタンティヌスが応じる

「ああそうだ、2万近い蛮族をたった3000で打ち破ったアルトリウス将軍だよ、年は俺よりか若いぜ、確か。」

 サルスティウスが驚く。

 ブリタニアに居残って孤軍奮闘している将軍が居ることも、その将軍がフランクの大軍を撃滅したこと、そしてその遺骸を対岸へ漂着させると言う蛮行を行ったことは、ガリアにも聞こえてきている。

 しかしそれがどういう人物であるかまでは、さすがのサルスティウスも知らない。

 コンスタンティヌスは、懐かしそうに語る。

「戦のセンスはぴか一だし、生真面目で使いでのあるヤツだったんだが、えらく頑固でな?結局ガリアには行かねえっ、ブリタニアに残って人々を守るって、最後まで頑張りやがったから、置いてきちまったんだが・・・返す返すも惜しいことをしたぜ。」

一旦言葉を切ったコンスタンティヌスは、もう一度ガリアの大地に目をやった。

「ま、あいつも本質は見失ってなかったって事か・・・」

再び無言で風に吹かれる二人だったが、従兵の一人が息せき切って見張り塔に駆け上って来たことで、静寂が破られた。

「も、申し上げます!!!」

その後言葉が続かずにハアハア息を切らしている従兵を、サルスティウスがどやしつけた。

「何ごとだ!皇帝陛下の御前であるぞ!!」

その言葉に少し呼吸を取り戻した従兵が言葉を継ぐ。

「申し上げます!サロ将軍率いるローマ軍1万がヴィエンヌに迫っております!!」

「!!」

「・・・ついに来たか・・・」

サロ将軍、スティリコ配下でも1、2を争うゴート族出身の勇将である。

ゲルマン連合軍40万を打ち破ったフィゾレの戦いでスティリコの指揮の下勇戦し、その名をローマ中に轟かせている。

今まで蛮族のイタリア半島侵入を警戒して動きを見せなかったスティリコが、とうとう軍を派遣してきたということは、東に巣食う蛮族に何らかの動きがあったか、それとも何かしらの協定が結ばれたかしたのであろう。

勇将とはいえ、兵力において苦しい台所事情のところ、1万もの兵を預けて出陣させたところに、スティリコの本気が覗える。

「直ぐにヴィエンヌへ戻る!!兵を集めろ!!」


「陛下、私どももお連れ下さい!」

ヴィエンヌに向け進発する準備に追われていたコンスタンティヌスに、サルスティウスはそう切り出した。

 ルテティアの執政官執務室、普段はサルスティウスが事務を行うこの場所も、今はコンスタンティヌスの為に使われている。

 「おまえ・・・」

 サルスティウスは将官用のローマ式鎧を身に付け、兜を手にして現れた。

 既に常装が鎧であるコンスタンティヌスと違い、文官であるサルスティウスに鎧は支給されていない。

 サルスティウスはまじまじと見つめるコンスタンティヌスの視線に少し照れた様にはにかんで答えた。

「我が先祖はゲルマニア国境でローマの軍役に就いた事もありました、この鎧は曽祖父のものです。」

「・・・・」

サルスティウスの鎧は、よく見てみれば確かに2世代ほど前の型式である。

その古臭い鎧はしかしながらよく磨かれ、手入れが行き届いているのが見て取れた。

「文官と武官が分離されてからは、我が一族はもっぱら文官としてローマに仕えて来ましたが、今はそうも言っておられません、この危急存亡の一戦、本官にも役割をお与え下されますようお願い申し上げます!」

・・・北部で有力なフランク族は、アルトリウスのおかげで小さくない打撃を受けている、修復の終わったソワソン城砦に5000ほど詰めさせれば、何とか抑止できるか・・・

しばらく、顎に手を当てて考えていたコンスタンティヌスは、ぽんとサルスティウスの鎧で覆われた肩を軽く叩いて言った。

「・・・宜しく頼む、お前にはガリア招集兵5000を率いてもらおうか」


「・・・あなた・・・」

 妻から祖先伝来の剣を受け取りながら、サルスティウスは不安そうに自分を見上げる彼女の肩を優しく抱いた。

「心配要らない、コンスタンティヌス陛下は強い、誰もどうしようも無かった蛮族をあっと言う間におっぱらってしまったろう?」

「・・・でも・・・相手は・・・」

 妻だけでなくガリアに住む人々が皆不安に思っている事は、サルスティウスも理解していた。

 即ち、ローマ帝国への反逆者に加担する者、の汚名である。

 その汚名を着てまで抵抗する意味があるのだろうか、おとなしく降伏すればよいのではないだろうか・・・そうすれば再びローマ帝国の一員として心配する事無く暮らすことができるのではないだろうか、ということである。

 人々も、それが感情論であって、実際コンスタンティヌスが居なくなれば雪崩れ込む蛮族に抵抗する術無く蹂躙される事、またそれに対してローマ本国が何の助けにもならないであろうことは、百も承知である。

 想像など必要ない、実際1年前まではそういう状況だったのだから・・・

それでも言い募ろうとする妻をサルスティウスは優しく手で制した。

「私は、あの人に掛けてみようと思う、ローマ本国に見捨てられ、ゲルマン人や他の蛮族に良い様にされ続けるガリアの大地を、民衆をあの人は救ってくれた、むろん、少々乱暴なところもあるが、それを辛抱するだけの価値があると思う、君も毎晩モノ音に怯えて暮らすのは嫌だろう?」

 妻の口元が少し緩む、今まで蛮族の襲撃が近付くたびに地下壕や近隣の森へ避難していた生活から離れられた事を思い出したのかもしれない。

そんな生活が過去の物である事を確信できるくらいには、ブリタニア・ローマ軍団の侵攻以来一年近く平穏な日々が続いていた。

妻の気持ちが幾分和らいだのを見て取ったサルスティウスは、傍らできょとんとして父親と母親を見上げている3歳くらいの少年に目を移し、抱き上げた。

「いいか、これから父さんはいじめっ子を追い払ってくるからな~母さんはお前がしっかり蛮族から守るんだぞ~」

 大きな父親の顔をこすり付けられた少年は、くすぐったそうに顔を背けながらも、きゃっきゃっと喜んでサルスティウスと妻を和ませた。

 サルスティウスは、抱きかかえたまま一しきり遊ぶと妻に息子を預け、ビリッと顔を引き締める。

「では行って来るよ。」

「・・・はい、いってらっしゃい・・・」

サルスティウスが自宅の門から表に出ると、そこにはガリアで召集された兵士達が待っていた。

半分はローマ軍団に所属していながらも、蛮族の侵入で劣勢に追い込まれ、細々と村落や砦を守る事しか出来ないでいた現役兵士達。

もう半分は祖先伝来の古臭い武器防具を装備した、退役兵や農夫達であるが、いずれもコンスタンティヌスを信じて集まった士気の高い兵士達である。

彼らはコンスタンティヌス率いるブリタニア・ローマ軍団の支援を受け、サルスティウスらガリアの行政官、軍人の手でガリア軍団として再編成されたのだ。

騎乗したサルスティウスは指揮官らに無言でうなずき、隊列の先頭に立つ。

「ガリア軍団司令官サルスティウスだ!皇帝陛下は一足先に近衛兵を率いて進発された、我らも続いてヴィエンヌへ向かう!!」

おおおおおお

ガリア軍団は隊列を再度整え、サルスティウス指揮の下、一路ヴィエンヌへと向かった。

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