第6章 少年期
辺りは真っ赤に染まっていた。
それが炎であるのか、それとも夥しいまでに流された血であるのか、少年には分からなかった。
赤い
彼が見て判断したのはただそれだけ。
赤い・・
有る者は頭を叩き割られ、物言わぬまま瞳の無い眼窩で少年を見つめ、また有る者は身を縮こまらせ、揺れる赤色の中で黒々と影を形作っていた。
それはかつて少年の家族であり、またあるいは友であり、家に仕える者達だった。
柔らかい日差しの中で畑を耕し、牛や豚を追い、鶏を飼い育て、ミツバチを巧みに操っていた人々は、者言わぬ骸と化し累々と少年の回りに横たわっている。
少年は頭から流れ出た血で顔の半分を染め、呆然とその中を歩み続けていた。
上等な純白の少年用のトーガは、既に固まり始めた血で赤黒く染まり、カギ裂きや焦げ痕で見る影も無い。
ボロボロのトーガを身に纏ったまま、少年は何処へ向かうとも無くふらふらと歩き続けた。
体は切り傷や打撲で無残なまでに痛めつけられており、そのまま横になっていれば周囲の骸と見分けが付かない。
しかし少年は瀕死ではあったが、まだ確かな生命を宿していた。
やがて、少年は赤色から抜け出した。
それは唐突で、少年は赤い色から抜け出したこともその理由も分からなかったが、それまで何かに取り付かれたように進めていた歩みをようやく止め、周囲を見回した。
ああ、ここはボクの家だ
正面に見覚えのある樫の木を見つけ、少年は少し安堵した。
あの木は知っている、いつも町の学問所へ行くときに抜けている、自分の家の門の脇に植わっている、大きな樫の木だ・・・
少年は再びよろよろと樫の木に向かって歩き出した。
そういえば・・今日学問所は休みだったかな・・・
少年は家庭教師であるマヨリアヌスの授業も好きだったが、学問所で友人達と机を並べて勉強することも楽しくて好きだった。
それにしても、頭が痛い・・・
感じる頭痛に不思議さを感じながら少年は樫の木までたどり着いた。
ポタポタポタ・・・・
少し粘つくような水が木の上から落ちていることに気が付き、少年は水が落ちてくる方向を見上げた。
何かが吊るされているのは分かるものの、日差しが強くよく見えない。
少年は吊るされているものの真下に進み、もう一度見上げた。
!!!!!!!!!
少年はあらん限りの声で叫び声を上げた。
吊るされていたのは少年の父親と母親だった。
父親は崩れかけた顔を下にし、少年を虚ろな目で見下ろしていた。
ほとんど傷の無い、ローマの鎧と崩れた父親の肉体が、恐ろしいまでのアンバランスさで少年に現実を突きつけた。
返って母親の体には傷らしい傷はほとんど見受けられなかった、が、その死は生半可なものではない苦痛を母親にもたらした結果である事を、少年は理解した。
苦悶の表情を浮かべたまま、母親は舌を噛み切って事切れていたのだった。
少年は声が出なくなっても叫び続けた。
獣の様な臭いと、人肉の焦げる臭いが立ち込める中、アンブロシウスは鼻を左手で押さえながら馬を進める。
ローマ騎兵が油断無く彼の周囲を固め、歩兵達は付近を捜索していた。
「むごいものじゃな、皆無事であればよいが・・・」
完全軍装部隊の中で、唯一大きな荷物を背負い、平装で馬に乗るマヨリアヌスが誰に言うとも無くそうつぶやいた。
コーンウォールの南岸に位置する、一族の領地がサクソン人の襲撃を受けたという報告を受け、カストゥス家当主のアリオス・カストゥスは息子のアンブロシウスに私兵を率いさせすぐさま救援に向かわせ、自分は動かないローマ軍を出動させるべくロンデニィウムへ急行した。
アリオスの運動や抗議もむなしく、ローマ軍は既に襲撃が終わっていることを理由として出動せず、アリオスの無念の手紙が早馬でアンブロシウスに届く頃、カストゥス家の私兵部隊は正に襲撃が終わったアルトリウス郷に到着した。
「・・・・・」
言葉少なく付近の捜索に当たる兵士たちの顔も暗く、焼け跡から遺体を掘り出し、一箇所に集めてゆく。
領主のアルトス・カストゥスの館は未だに黒煙を上げて燃え上がっており、誰もこの惨事の中生存者がいるとは考えていなかった。
兵士達もさすがに燃えている館には近づけず、周囲の捜索を優先させていることから、アンブロシウスは馬を降り、マヨリアヌスとともに館に玄関へと向かった。
「・・・・!!!」
「どうしたのじゃ、アンブロシウス?」
半ば呆然と館へと向かったアンブロシウスだったが、何かを見つけ、マヨリアヌスを一度振り返ると、脱兎の如く走り出す。
マヨリアヌスは慌ててその後を追ったが、館の門に近づいたところでアンブロシウスが走り出した理由が分かり、走るのを止めた。
男女が吊るされている樫の木の下で、アンブロシウスがうずくまっていた。
「・・・アルトス殿、イレニア殿・・・」
アンブロシウスは吊るされた2人に黙礼し、兵士を呼んですぐ丁重に降ろし棺へ納めるように指示した。
そして、うずくまり何かを抱きかかえているアンブロシウスの肩に手を置く。
「アルトリウスか、幸いにして息はあるようじゃな・・・」
アンブロシウスが無言で涙を流しながら抱き抱えている少年の息と脈を首筋で確かめながら、マヨリアヌスはそう言った。
マヨリアヌスは持っていた布をばさりと地面に敷くと、アンブロシウスから少年を受け取り、布の上へ横たえた。
「これは・・・」
少年の背中には袈裟懸けに大きな刀傷が入り、まだ血が滲み出している。
また額に入った傷は大きく、少年の顔が判別できないくらいの量の血が流れ出しており、予断は許さない状況であった。
しかしアンブロシウスは手際よく蒸留水で傷口を洗い流し、瓶詰めの精製したアルコールでアルトリウスの傷口を消毒すると、鋭くも小さい針と絹糸を取り出し、アルトリウスの傷口を縫い始めた。
「・・この子は運がよい、サクソン人も略奪に忙殺されて止めまでささなんだようじゃ」
無言で治療を見つめているアンブロシウスを振り返り、マヨリアヌスはにやりとするとさらに言葉を続けた。
「その上、ブリタニア随一の名医の治療を受けられる」
その言葉にアンブロシウスは少し微笑んでから、真剣な表情に戻ってマヨリアヌスに言った。
「先生、お願いです、アルトリウスを助けてやってください」
マヨリアヌスはアンブロシウスの言葉にうなずく。
「任せてもらってもよさそうじゃ、まず命に別状あるまいて」
マヨリアヌスは清潔な麻布の包帯をアルトリウスの頭と体に巻きつけ治療を終えた。
「ただ一人の生存者じゃ、負傷者搬送用の馬車に寝かせて運ぶのじゃ」
2人の兵士が、アルトリウスを馬車へ搬送するのを見送ると、アンブロシウスは後ろを振り返った。
そこには真新しい盛り土が50余りも出来ていた。
アルトスの館には、100人近い人々がいたはずであるが、見つかった遺体は50、残りの人々は死より過酷な生活が強いられる蛮族の奴隷として連れ去られたのだろう。
「・・・先生、なぜ混乱が収まらないのでしょうか、一体いつまでこの悲劇が続くのでしょう・・・」
まだ、涙を流し続けているアンブロシウスが傍らに立つマヨリアヌスに問いかけた。
「・・文明の灯は消えかけておる、法と秩序にまとめられ、人々が何の見返りも無く平穏に暮らすことの出来る時代はもう去りつつあるということじゃ」
アンブロシウスが淡々とそう答えた。
「・・なぜ、優れた文明を持っていても、このような世界になってしまうのでしょうか・・」
さらに問いを重ねるアンブロシウス。
「優れていることが即ち生き残る事ではない、強さとはまた別の話じゃ、今までローマは強く、文明を理解させることが出来たが、今政治は乱れ、ローマの剣は刃毀れだらけじゃ」
マヨリアヌスは空を見上げる。
「蛮族には蛮族の言い分があろう、それはあくまで蛮族の理屈であり、ローマの文明と相容れぬものじゃ、同じことが蛮族に対しても言える、相容れぬものは衝突するしか無く、そして負けた方は相手の理屈を受け入れざるを得ない、そこに優れているとか、そうでないとかいうものは存在しないのじゃ」
「・・・・・」
黙り込んだアンブロシウスをよそに、マヨリアヌスは話し続ける。
「ブリタニアは今その蛮族の理屈を無理やり押し付けられようとしておる、これを押し返すのは容易な事ではない、しかし押し返さなければブリタニアから一旦文明の灯は消え、その運び手たるブリタニア人も消える」
アンブロシウスは何かを決意したような表情でうなずくと、アルトリウスの収容を終え、隊列を組み終えた兵士達の元に戻り始めた。
その後姿を見ながら、マヨリアヌスはつぶやく。
「・・・しかし、ローマの生んだ文明は滅びはせぬよ、たとえその運び手が遺憾ながらローマ人やブリタニア人ではなくなったとしても、じゃ」
マヨリアヌスは大きくため息をつくと、アンブロシウスの後を追った。
「先生・・・アルトリウスのことですが・・・」
どうにも困った表情をすることの少ないアンブロシウスが、正に絵に描いたような困った表情をしてマヨリアヌスを尋ねたのは、夕食が終わってしばらく経ってからの事だった。
「・・・どうにもなりません、あんなに明るくて素直だった子があそこまで変わるものでしょうか・・・」
マヨリアヌスが読んでいた書物を置き、手でアンブロシウスに椅子を勧める仕草をするとアンブロシウスは目礼してから腰掛けた。
あの惨劇から既に1月が経過していた。
アルトリウスはアンブロシウスのカストゥス本家に引き取られる事となったのだが、以前とはすっかり変わってしまった少年を誰もどうすることも出来なかった。
突然、ブルブル振るえ出したかと思うと、大絶叫して屋敷中を駆け回り、それを止めようとした家宰を子供とは思えないような凄まじい力で突き飛ばし、大怪我をさせたり、真夜中に起き出し屋敷の窓やドアを全て釘付けてしまったり、とにかく奇行の程度がひどく、カストゥス本家の人々も、徐々にアルトリウスを持余し始めていた。
唯一アンブロシウスだけにはポツリポツリと話らしきものはするものの、アンブロシウスもその内容を理解し切れず、困り果てて久しぶりに屋敷を訪れたマヨリアヌスに相談に来たのであった。
「ふうむ、わしがガリアへ行っておる間にそのような事に・・・」
マヨリアヌスは顎鬚をしごきながら椅子の背もたれに背中を預け、部屋の天井をにらんで思案する。
「アルトリウスの心の傷は予想以上であったようじゃな、これは迂闊であった、普段から聞き分けが良かっただけに油断したのう・・・」
アルトリウスはあの日から1週間意識が無く、昏々と眠り続けた。
マヨリアヌスはアルトリウスの心と体が自らの力で傷を癒すのを待つしかないと考え、その旨をアンブロシウスらに話し、自身は今後の蛮族の動向やローマの情勢を見極めるためにガリアへ渡っていたのだった。
身体の傷が癒えた後は、ゆっくり心の傷を直して行く他無く、それは時間が必要であると思ったからである。
「見込み違いをしてしまったのう・・・」
マヨリアヌスは深くため息をついた。
これからは身体の治療以上の困難が待ち受ける、心の治療をアルトリウスに施さねばならない。
「アンブロシウス、わしにアルトリウスの奇行を一つと漏らさず教えて貰いたい、どんな些細な事でも構わん」
アルトリウスはアンブロシウスに手を引かれて、マヨリアヌスが逗留するカストゥス館の別館へ連れて来られた。
夜も更け、辺りはすっかり日が暮れていたが、今日だけは館の中も周囲も篝火やランプで明るく照らし出されている。
アンブロシウスが何か話しかけているのは分かるものの、その内容をアルトリウスは理解することが出来ない。
ただ、今は
暗闇は怖い・・・
でも、一人はもっと怖い・・・
という思いがあるだけである。
アルトリウスはぶつぶつとその思いを繰り返しつぶやきながらアンブロシウスに手を引かれてポチポチ歩き続けた。
やがて別館に到着し、アルトリウスはアンブロシウスに続いて別館の中に入る。
「久方ぶりじゃなアルトリウス・・・」
右手に杖を持ち、白いトーガに身を包み、その端を頭に掛けたマヨリアヌスは、厳かに部屋の中央に立っていた。
アンブロシウスはアルトリウスをマヨリアヌスの正面に置いてある椅子へ座らせると、すらりと部屋から出て行ってしまった。
従兄さん・・・どこ?
呆けたアルトリウスが、しばらくしてアンブロシウスがいなくなった事に気が付き、周囲を見回した。
はっと気が付いてアルトリウスが正面に向き直ると、いつの間にか間近に迫っていたマヨリアヌスと目が合った。
ばしっ
電気が走ったような衝撃を受けて、アルトリウスは深い眠りに落ちる。
「入っても良いぞ」
マヨリアヌスがそう声を掛けると、アンブロシウスが部屋へ戻ってきた。
「篝火やランプは全て始末してきました」
うむ、と一つ頷くとアンブロシウスに傍らへ座るように促す。
「・・・?眠っているのですか?」
アンブロシウスがアルトリウスの顔を覗き込みながらマヨリアヌスに尋ねると、マヨリアヌスは首を横へ振った。
「大きな意味では眠っておるが、厳密には違う、催眠というヤツじゃ、今何を聞いても、アルトリウスの魂は惨劇のせいで夢と現実の狭間に落ち込んだままじゃ、意味を成さん」
マヨリアヌスは燭台を手元に引き寄せる。
アンブロシウスとマヨリアヌスの顔だけが部屋に浮かび上がり、奇妙な空間を形作った。
「これからアルトリウスのさまよえる魂を現実に引き戻す、では、始めるとしようかの」
「アルトリウス、聞こえるか、聞こえたならば返事をするのじゃ」
「・・・はい」
マヨリアヌスはアルトリウスの答えにほっと胸を撫で下ろしてアンブロシウスに向き直った。
「うまくいったようじゃな、では質問を続けるとしよう・・・アルトリウス、なぜ夜中に大声を出してまわるのじゃ?」
「・・・てきがくる・・・」
「?敵とは誰じゃ、魔物か?」
「・・・、うみのむこうのばんぞく・・さくそんじん・・・ちちうえがいってた・・・」
マヨリアヌスとアンブロシウスは再び顔を見合わせた。
「先生、やっぱりアルはあの夜のことを・・・」
「うむ、間違いない、あの夜の出来事が原因じゃな・・・アルトリウス、ではなぜ窓に釘を打ち付ける?敵が来るからか?」
「・・・そう、ははうえたちをまもらなくちゃいけないの・・・ちちうえはいくさにいった・・・いえにはぼくしかいない・・・」
アルトリウスのいじましさに堪え切れなくなったアンブロシウスは、ついっと明後日の方向を向いた。
燭台のほの明かりにきらりと頬を伝った涙が光る。
「・・・アルトリウス、敵はもうおらん、お前はもう何も守らなくても良いのじゃ」
マヨリアヌスはアルトリウスの額に手を置き、優しくそう語りかけた。
「・・・もうばんぞくいないの・・・?」
「そうじゃ、蛮族はもうおらん、お前はゆっくり眠れるのじゃ、ここには強い叔父さんやアンブロシウス従兄さんもおるでな、むろん、わしもおる」
アルトリウスの眉間に深く刻まれていたしわがわずかに緩む。
「・・・でも・・・ははうえとちちうえが・・・」
が、直ぐに元に戻ってしまった。
「・・・アルトリウス、お前の父上と母上はもうこの世にはおらぬ、遥か彼方へ旅立った、お前はそれを受け入れなくてはいかん」
「・・・・・」
ぎゅっと閉じられたまぶたの下からぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。
「・・・・ううう・・・・」
「アルトリウス、己が力で制する事こそ肝心、今しばらく幽鬼の世界を旅するがよい・・・」
マヨリアヌスがアルトリウスのまぶたに手を添え、すっと撫で下ろすと同時にアルトリウスはさらに深い眠りの世界へと落ちていった。
アルトリウスは霧の中を歩き続ける。
乳白色の霧の中に灰色の石畳がくっきり浮かび上がり、道を踏み外すことは無そうであるが、何処に繋がっている道なのかは全く分からなかった。
周囲を見回してみても見えるのは牛乳よりも濃い白色の霧のみで、風景らしきものは何も感じることが出来ない。
異様な感じはするもののどこか懐かしい間隔にとらわれて、アルトリウスはひたすら道を前へ前へと歩み続けていた。
永遠に続くかと思われたその道は、しかしながら途切れ、少し広がりのある場所に差し掛かった。
突然、雄叫びと剣戟の音が響き渡る。
「父上!」
思わずアルトリウスが叫び声をあげた。
目の前で父とその部下達が見た目も恐ろしげな蛮族の大軍と渡り合い、瞬く間に討ち取られていった。
「うわああああああああ!!!」
頭を抱えて絶叫するアルトリウス、しかしその光景は目をつぶってもアルトリウスの目の前から消えず、見る見る間に父親が剣で串刺しにされていく光景がまじまじと蘇って来た。
最後に自らの長剣を奪われ、胸を一突きにされた父、アルトス・カストゥスが息絶えるまでの一部始終を見せ付けられたアルトリウスは、あの日と同じように絶叫し続けた。
たまりかねてその場から走り出したアルトリウスは、またしばらく進んだところで広がりのある場所へ出た。
そこでは屋敷の大広間と思われる場所で、女性や子供が炎の中固まって必死に耐えている光景があった。
その中心にいたのは、アルトリウス本人。
必死に歯を食いしばり、恐怖に耐えている表情が、余りにも生々しく、アルトリウスは芝居でも眺めるかのようにその光景を呆然と見つめた。
突然、轟音と共に大広間の扉が破られ、蛮族戦士たちがなだれ込んで来た。
そのときのアルトリウスは、即座に短剣を鞘から引き抜き、蛮族の先頭の戦士に切りかかったが・・・・
がつ
無造作に振るわれた蛮族戦士の剣に額を切り裂かれる。
アルトリウスはそれでもあきらめずに衝きかかり、蛮族戦士がさらに振るった剣の下を掻い潜ってその右手の指に切りつけた。
ばしっ
蛮族戦士の右手人差し指と中指が切り落とされ、剣を落としてうめき声上げ、その場にうずくまる。
すると、戦士の中からひときわ大きい戦士が現れた。
その戦士は周りの戦士を制すると、額から血を流しふらつきながら剣を構えるアルトリウスに向き直り、油断無く剣を構えた。
アルトリウスは絶叫しながらその戦士に突っ込んだが、刺突を剣でいなされ、ぐるりと小さい身体が背を向けさせられ・・・
どかっ
背後から袈裟懸けに切り下ろされた。
アルトリウスは回転の終わった独楽のように一回転して床に倒れ伏す。
未だ意識はあるものの深手を負って身体を動かす事の出来ないアルトリウスの目の前で、アルトリウスが守ろうとした者達が次々と蛮族に襲い掛かられてゆく。
アルトリウスの双眸から涙が流れ出る。
それを眺めているアルトリウスは、どちらが本当の自分か区別が付かなくなってきた。
混乱したまま、その光景はアルトリウスが気を失うと同時に暗転し、また道が現れた。
道は二つに分かれており、その分かれ目には白いひげを蓄え他老人が杖を付いて道石に腰掛けていた。
顔はすっぽり頭までトーガに覆われており判然としない。
老人はアルトリウスが近づくと、まず左手の道をその杖で示した。
ぼんやりと光が生じ、その中には火炎と血煙をあげた町が、村が、ブリタニアの姿があった。
しばらくするとその光景が消え、今度老人は同じように杖で右手を示す。
そこにはおだやかな農村の風景があり、アルトリウスの父や母が笑っている。
日差しは柔らかく、穏やかに時間の流れる平穏な生活がそこには示されていた。
その光景もしばらくして消え、老人は再び同じ姿勢で佇む。
「・・・にげおくれたひとがいるかもしれない、たすけなくちゃ・・・」
アルトリウスは、左手の道へと進んだ。
あっと言う間に分岐点は見えなくなり、また先に空間が現れる。
ぽっかりと開いた広場に、見覚えの有る剣が突き立っていた。
アルトリウスの父の剣、ローマの名工が鍛えた騎兵用の長剣。
飾り気の無い、実用性を重視した剣が、鈍い光を放ち、石像に突き立っている。
その石像の顔を見たアルトリウスは思わず息を呑んだ。
アルトリウスの父、アルトス・カストゥスの最期の姿をかたどった石像であったからだ。
一瞬、怯んだアルトリウスはしかし、何かに引き付けられるかのようにふらりと剣に近づき、その柄に手を掛けた。
ブゥゥゥゥン・・・
ほのかに震えた剣は、吸い付くようにアルトリウスの手に収まる。
アルトリウスは、心を定め、一気に剣を引き抜いた。
キィィィイィン
鍔鳴りの音を残し、剣を抜かれた石像は解けるかのように消えていく。
ビシッ
その瞬間、世界に亀裂が走り、その亀裂からあふれたまばゆい光に全身を包まれたアルトリウスは急速に浮上する自分の意識を感じながら、声を聞いた。
正しくあれ、強くあれ、慈悲深くあれ、そして自由であれ
父アルトスが常日頃与えていたカストゥス家の家訓がアルトリウスの胸に染み通った。
「ちちうえ、あるとりうすは、ただしく、つよく、やさしく、じゆうになります」