第43章 終章
長い間お付き合い有り難うございました
これで終わりです。
また新しい物語を作った際は宜しくお願いします。
戦勝後、敵味方の遺体を丁寧に戦場となった丘の周辺へ埋葬したアルトリウスは、その頂上、グナイウスが敢闘し、ローマ帝国時代からブリタニアで防衛戦を戦い抜いた老兵達が眠る砦跡へ十字架を掲げさせた。
古いローマ人の体質を受け継ぐアルトリウス自身、人の努力を蔑ろにして神だけに頼り物事を為そうと思ったことは一度も無いが、それでもこれまでの戦いで散った命が救われるのであれば、その遺族達が報われるというのであれば神に頼ろうと考えたのである。
それに、死者の救済は生者に為せるはずも無い。
「人々が虐げられるのを運命や神のせいにする卑怯者にはなりたくない。」
砦に掲げられた木製の大きな十字架を見ながらアルトリウスは言葉を継ぐ。
「・・・古き秩序に意味があるのか・・・今の私には分からない、昔は古きローマの風を守ろうと無条件で思っていたが・・・しかし価値は人それぞれ、真に価値のあるなしは分からないが、それを良きものとして受け継ぎ今を生きる我達が踏みにじられるのがこの時代の運命であるとか、神の意志だと言うならば、私は強く抗おう、強きものが弱きものを守るのが古く、強きものが弱きものから奪うのが新しい、古きものが滅ぶべきで、新しいものが育つべき、そんな法も規則も慣習も定めも宿命もこの世には存在しない、人がより良く生きるために正しいものは何時いかなる時いかなる場所においても正しく、虐げる意志は例えそれがどんな理由があったとしても邪悪なものであろう、そうして真っ当に、普通に生きようとする事を妨げる事が時代の流れであるというのならば、私は時代に逆らい、この世に生まれ出て今日この日ここに生きる私達が生を繋ぐ事と、その人々が伝統と誇りを受け継いでゆく事を守るために戦おう。」
一陣の風が吹きぬけ、かちゃかちゃと装具をかき鳴らした。
「私はこの地に生きる、人のために戦っているのだ、神のためではない。私は努力を諦めない。」
誰に言うとも無く、敢えて言うとするならば、この丘に眠り、そして今までブリタニアの地で何かを為そうとして戦い、散っていった命に対してだろうか。
アルトリウスはその言葉を残し、愛馬にまたがると、兵をまとめるために丘を駆け下った。
「わしらはあんたらこの島のローマ人を上位王と認めよう。」
「同じく、サクソンの神と祖先にかけて、我らはあんた方に従う。」
アンブロシウスの前で、下手なラテン語を何とか操りながら言うのはラールシウスとランスシウスの族長父子。
3万の戦士を手土産に、ヘンギストとホルサを裏切り、ブリタニア軍の勝利に貢献した2人は、自分達を受け入れる以外に選択肢が無い事を知っているのだ。
ブリタニアは戦勝したとは言え、率いた軍将兵の損害は大きく、包囲殲滅作戦に加わった西ローマ帝国軍は程なく大陸へ引き返す。
諸侯の兵達もいつでも招集できる訳では無く、一時的なものであることは言葉にするまでも無い。
何にも増して、サクソンは大陸にまだ本拠地を持ち、その気になれば数万の戦士団をすぐにでも呼び込めるのだ。
ここで折れて、ブリタニアの土地の幾ばくかを割譲しなければ、再び訪れるのは泥沼の攻防戦だけである。
今度は、今度こそは負けるかも知れない。
アンブロシウスは現実的な判断をせざるを得ないと考えていたが、今やブリタニアの要ともなっているアルトリウスがうんというかどうかである。
年も取り、若い頃のような狂奔に身を任せるようなことは無くなってきているが、それでも時折見せる狂気は尋常では無い。
アンブロシウスは、周囲に居並ぶ将官達やブリタニアの諸侯、それに西ローマ帝国の将官達を見ながら、小さくため息をついた。
アンブロシウスの悩みの種となっている、従弟のブリタニア軍総司令官は、今静かに自分の隣に座ってはいるが・・・
「アルトリウス、お前はどう考えている?」
「認める他ないのでは無いでしょうか。」
あっさりそう言った従弟に、軽い驚きを覚えながらも、アンブロシウスはそれを表情には出さず応じる。
「・・・そうか?」
「まあ、我々の目が黒いうちは・・・彼らを同盟部族としてサクソン海岸の防衛を担わせることにすれば良いかと思います。幸いというか、不幸にもと言うべきか・・・既にブリタニアの南東は彼らの勢力圏です。」
あの蛮族嫌いのアルトリウスが、そこまで折れてくるとは思ってもみなかった為、アンブロシウスは何か裏があるのかと勘ぐり、少し間を置いてしまった。
「そうする他無いと思うが、まあ、お前が良いなら・・・」
「それ以外に我々に生き残る術はありません。」
アンブロシウスの言葉にきっぱり回答するアルトリウス。
「では・・・ラールシウス父子、貴公らを我がブリタニアの同盟部族となし、東ブリタニアの地を与える、なお約束を違えた場合はその地位を剥奪し、土地は接収するのでそのつもりで。」
アンブロシウスが文語的な言葉を使用しそう言うと、少し理解するのに時間が掛かったのか、ラールシウスとランスシウスは一つ頷いて回答する。
「・・・謹んで受けよう」
「父に同じだ」
特に不満は無いのだろう。
不満どころの話では無いのだが、とにもかくにもラールシウス一族が削減されたとは言え、今後ブリタニアのサクソン人を束ねる立場に立ったことは間違いなく、それもブリタニアの正当政府を名乗るブリタニア総督府の総督から直に任命されたのである。
これは今までのよそ者扱いでは無くなったことを意味していた。
それまでの傲慢不遜で、遠慮というものを知らないサクソン人からは考えられない殊勝な態度に、ブリタニア総督府やブリタニア軍の将官達が拍子抜けしてしまう。
ただ1人、西ローマ帝国のアエギティウスだけは、然もありなんといった表情で頷いていた。
「・・・どうした?」
トゥルピリウスがその様子を訝って質問すると、アエギティウスはこともなげに言い放った。
「強いものに従うのがサクソンだけで無く蛮族共通の観念だ、ブリタニアはその強さを示した、だから従うだけの話だろう、何も難しく考える必要は無いぞ。」
翻って言えば、ブリタニアは強くあり続けなければいけないと言うことである。
かつてのローマ帝国は強くあり続けたが故に蛮族の侵攻を跳ね返し、その威を帝国外にも及ぼし続けること気出来たのである。
それが崩れ、蛮族が強くなったこの時代、ローマに従う理由も旨味も無くした蛮族が一斉に帝国へと傾れ込んできた。
その余波がブリタニアに及んだだけの話である。
決してブリタニアに住まう者達にとって小さな出来事では無いが、これも大きなローマやゲルマンといった世界から見れば枝葉末節の出来事の一つに過ぎない。
しかし、そこに生まれ育ち、生きる者達がいる。
それを蔑ろにさせない為に、アルトリウスは軍の総意に反し、ブリタニアという生まれ故郷へと居残りを決め、30年、40年と言った年月を費やし、悲劇を見、惨劇を現出して戦いに戦い続けたのである。
「では、戦後処理はこれにて終わる、我々も帰るとしよう。」
アンブロシウスの言葉に、サクソンの族長達が礼を残して立ち去る。
そしてアエギティウスが踵を返した。
「私も任地の北ガリアへ帰ります。また何かあれば、お呼び下さい。我々は一蓮托生、相互の連携が無ければ生き残れませんからな。」
にっこりと笑みを残し、アエギティウスは去った。
帰りもブリタニア海軍が渡海を手伝うことになっており、コルウス提督は既に乗船してアエギティウスを待っている。
アエギティウスが退出すると、アンブロシウスがアルトリウスの肩を鎧越しに叩いた。
「アルトリウス、よく勝ってくれた、これでブリタニアは50年は安泰だ。」
「・・・たった50年ですか・・・」
今までの圧倒的なサクソンの強勢振りを一気に覆してしまったアルトリウスに、感嘆と労いの念を込めて言葉をかけるアンブロシウスであったが、アルトリウスは苦笑とも、苦慮とも取れる表情を浮かべて答える。
しかし、アンブロシウスは手をアルトリウスの方に置いたまま、真剣な表情で頷いた。
「我々は時代に逆らうものだ、この時代を押し止めようとするには相当な努力がいるが・・・それを成せる者達は少ない、残念なことだが、我々の死後、再びブリタニアは危機に陥るだろうな。」
「死んだ後、ですか・・・」
ふと丘の上に立てられた十字架を振り返り、アルトリウスがぽつりとこぼした。
アルトリウスの目に映った十字架に神は居らず、ただ静寂と戦ったものの記憶があるだけ。
十字架は何も語らない。
いずれはそれも朽ち、戦いがあったという記憶だけが残されるのだろう。
どこで、誰が、そして何の為に戦ったのか。
1人1人が何を思い、何を願って戦い、死んで、生き残ったのか。
そしてその後何を為し、何を残したのか。
戦うことで得られたささやかなものは何であったのだろうか。
それも、残らない。
「しかし、まだ私たちに出来ることはあります、たくさんね。」
「やらなければならないこともたくさんある。まずはそれを片付けよう!」
その後、アンブロシウスの予言通り、50年間、ブリタニアは平和を享受した。
東ブリタニアのラールシウス達は、2代にわたってよく他部族の侵攻を防ぎ、ブリタニア軍は北ガリアやアルモリカと連携し、ガリアに入り込んだ蛮族やバガウダエと戦った。
アルトリウスも度々再び南下の兆しを見せたピクトやヒベルニアの蛮族を破り、ブリタニア市民はローマ帝国時代と変らない生活を享受したのである。
しかし、時代は下り、サクソンと激闘を繰り広げた最後の世代が此の世を去った後、背徳と退廃がブリタニアを覆い尽くす前に、指導者を欠いたブリタニア人は再び背いたサクソン人に打ち破られ、西と北に追いやられた。
そして時代は遷る。
エディントン、ウェセックス王国軍本陣
「アルフレッド様!ノルマン人の大軍が!」
伝令が本陣に駆け込んできたのを見て、鷹揚に頷いた偉丈夫、アルフレッドは、その伝令が新たな命令を受けて立ち去ると、傍らに佇む学僧風の男に声をかけた。
「・・・アッサーよ、これで本当に大丈夫か?」
「心配いりません、かつて我らの父祖は、この戦法でヨーロッパを制覇し、このイングランドであなた達の先祖を打ち破ったのです。」
アッサーと呼ばれた男は僧侶にしては体格がよく、目つきも鋭いが、穏やかな声でアルフレッドに返答する。
「うむ、アルトリウス将軍だな?」
「はい、私の遠い先祖に当たります。」
「私もアルトリウス将軍の武名は聞き及んでいる・・・よし、盾を並べろ!敵の攻勢を食い止めるのだ!日頃の訓練の成果を発揮せよ!」
おおおう!
アルフレッドの檄に力強く応じ、ウェセックス王国歩兵隊が大楯を構える。
間もなくこの島の覇者を決める一大決戦が行われる。
アッサーは先祖伝来の剣と鎧を身に着け、ウエスト・サクソンこと、ウェセックス王のアルフレッドの後に続く。
そのアルフレッドの顧問官、アッサー・アルトリウス・カストゥスはアルフレッドの勇姿を後ろから眺めつつつぶやいた。
「人は変ってしまいましたが・・・ようやく、勤めが果たせそうです。」