第42章 激突(その九)
どきゅっ
「ぐおっ!き、貴様・・・何をするか・・・っ・・・!!」
突き出された手槍を胸に受け、ヘンギストの護衛戦士が口から溢れ出る自分の血を信じられない物を見る目で見つめた後、うめき声を上げて剣の柄に手をやる。
ずぎゃっ
しかし、横合いから突き出された別の槍が、剣の柄にやった自分の右腕ごと脇腹を貫くのを見ると、護衛戦士は白目を剥き、ひゅううっと息を吸い込んだあと、ごぼりとむせ返ってから、どさりと前のめりに倒れた。
どす
最初に手槍を付けたランスシウスが、冷たくその死体の首筋を手槍で突き込み、とどめを刺す。
「親父殿よ、これで後戻りは出来ないぞ。」
振り返ってそう言うランスシウスに、ラールシウスは鷹揚に頷いた。
「分かっておる、さて・・・空きっ腹の戦士共がどこまでやれるか分からぬが、相手は元気一杯のローマ人では無いからのう、同じ条件であれば何とか互角には戦えるだろう。」
事切れたヘンギストの護衛戦士は、ヘンギストからの伝令を伝えに来た使者であるが、ラールシウスはその死に何の痛痒も感じなかった。
護衛戦士は口汚くラールシウスらの遅延を罵った後に、ヘンギストの本陣へ突き進むアルトリウスらに横槍を入れるように命令してきた。
普段からヘンギストの態度に対して不満を持っていたランスシウスは激高し、即座に手槍でその胸を突いたのだが、ラールシウスはこれを止めなかった。
もう少し時間を稼ぎたかった所ではあるものの、最早ヘンギストの陣営は四分五裂の様相を呈しており、こちらの動向を注視している余裕は最早無いであろう。
例え見ている者がいた所で、今から何かを出来る訳でも無い。
ランスシウスが指示を出して護衛戦士の死体を片付けさせている様子を見ながら、ラールシウスは自分達が包囲しようとしていたブリタニア軍の後方と左方を見る。
「親父、右翼に喰い付いたローマ軍以外にまたアルトリウスに援軍だ・・・」
サクソン軍右翼に襲いかかる西ローマ軍の陣営からは、きらきらと鏃が太陽光で反射している事からも分かるとおり、盛んに矢を用いた攻撃を行っている。
いくら3倍近い兵力を持っていると言っても、度重なる戦いに疲れ、武具や食糧の補給も思うに任せていないサクソン軍に比べ、西ローマ軍は強行軍さえ感じさせないような士気の高さで激しい攻撃を繰り出しており、右翼が破られるのは時間の問題だろうとラールシウスは計算する。
そして、アルトリウスが全軍上げての突撃を敢行した後の丘の上には、緑の装備が特徴の軍と、雑多な装備をまとった軍が到着した。
しかしいずれも身に纏うのはローマ式やケルト式の装備であり、サクソンとは全く違うことは明らかであり、先頭で指揮を執る3人の内、緑のマントを翻す男をラールシウスは見知っていた。
「確か、アルマリックとか言ったか・・・」
ホルサ率いるサクソン軍がボルティゲルン率いるブリタニア軍を打ち破った際、見事な引き際と退却戦でアルトリウスの到着まで粘り通した将である。
真ん中で手を額にかざして戦場を眺めているのは恐らくアルトリウスの従兄であるアンブロシウス。
戦の手腕はアルトリウスに遙か及ばないが、ブリタニアのローマ人を率いている男だ。
後1人の将は見知らないが、肩を並べている所を見る限りではそれ相応の者であろう。
軍は1万に足らない程度。
しかし容易ならざる相手であることはラールシウスでも理解できる。
その軍はアルトリウスの突撃した後に包囲を行おうと後方に回るべく進んでいたサクソン軍の中央とぶつかり、たちまち丘の上は乱戦となった。
これでアルトリウスの後方から、サクソン軍による包囲や攻撃と言った不安要素は排除されることとなる。
「・・・ううむ、このような奥の手をまだ隠しておったとは、驚きに値する・・・我々の存在もアルトリウスにとっては奥の手の一つに過ぎなかったと言うことか・・・」
「親父、そろそろ・・・」
唸るラールシウスの下へ、ヘンギストの伝令であったものを片付けたランスシウスが近寄り、指示を促す。
ラールシウスはランスシウスに一つ頷くと、周囲の戦士達に大声で指示を下した。
「おうっ!!かかれっえええい!敵はヘンギスト!我が一族の屈辱を今こそ晴らすのだっっ!!!」
サクソン軍左翼が自らの中央へ向かって攻めかかる様子が後衛のアンブロシウスらからも見て取れた。
「・・・何だ、同士討ちか?」
「そのようですな、サクソン左翼の軍がほぼ全軍・・・ですか、これは。」
アルトリウスの後方へ回り込もうとするサクソン軍と激しい白兵戦を展開する、ブリタニア諸侯軍の全体指揮を担う、アルマリックが驚愕の表情でその様子を眺める。
グラティアヌスは前線指揮に出ており、この場にいないが、集められた諸侯の主立った者が幕僚としてここにおり、一様に驚きを隠せない表情でその風景を眺める。
左翼はたちまち逆らった中央側の左翼を飲み込み、サクソン本軍の左側面になだれ込む。
「裏切りは擬態ではなく、本物のようだ、まあ、ここに至って擬態など何の意味も無いが・・・」
騎馬兵を率いるボーティマーがアンブロシウスに告げる。
「ふん、浅ましい奴らだぜ。」
吐き捨てるように軽蔑の声を上げたのは、ブリガンテス王マグヌス。
「いずれにせよ、これは好機でしょう、騎兵部隊をアルトリウス総司令官の後方へ送りましょう。」
「では・・・アルマリック卿、お願いできますか?」
「了解した、では!」
マニウスがアンブロシウスに進言すると、アンブロシウスはその言葉を容れ、騎兵部隊をアルマリック卿に委ねるべく依頼すると、アルマリックは即座に馬上の人となり、騎兵達を率いて前線へと飛び出した。
歩兵隊を督戦しているグラティアヌスを追い越し、アルマリックは緑のマントをたなびかせ、長剣を抜き、能ってくる敗残兵に誓いサクソンの戦士達を蹴散らしながらアルトリウスの後を追った。
「親父!やられた!!ラールシウスが裏切りだ!!」
「ちっ、あいつらめ、どこでこんな小細工を仕込んでやがったんだ!?ローマ人共の懐柔があったのか?」
ホルサの悲鳴のような報告を受けるまでもなく、ヘンギストの本営に向かって左翼が一斉に押しかかってきた事が分かった。
それまでの遅い歩みが嘘のように、激しく左から攻め立ててくるラールシウスの率いる3万のサクソン戦士達。
同じ空腹とは言え、戦闘らしい戦闘を行っていないラールシウスの戦士達にはまだ幾ばくかの余裕がある。
「いや、このタイミングだ、狙ってやったのは確かだ!くそっ!!」
不意を打たれたこともあり、ヘンギストの本営はたちまち乱戦に巻き込まれ、剣戟や怒声、悲鳴や肉を断つ音が聞こえてきた。
焦ったように自分の戦士達を率いて出て行く族長達。
しかし、一気に落とし込まれてしまった劣勢は覆らない。
幕僚として詰めていた族長対が次々と出て行き、ついにはホルサとヘンギストの2人だけになってしまう。
そしてホルサも出て行く。
「っ!!ラールシウスなどに構うな!アルトリウスだ、アルトリウスを殺せ!!奴を殺せばこの戦いはいくら被害が出ても我々サクソンの勝ちだ!!」
ヘンギストが叫ぶものの、狂騒状態に陥り、誰もまともに指示を聞くことも出すことも出来なくなってしまった本営にその声はむなしく消え散った。