第42章 激突(その八)
ばばっばばばっばばっばばばっばばっ!!!
アルトリウス率いる騎兵達の突撃に、文字通り横やりを入れようとしていたサクソンの下級戦士達が後方から浴びせられた矢にばたばたと倒れる。
びゅびゅっびゅっ
うわああああああ
油断していたわけでは無いが、背後から突然の攻撃に驚き慌てふためるサクソン軍右翼の戦士長は、後を仰ぎ見て絶望的なうめき声を上げる。
「・・・援軍だと!!そんな馬鹿なっ!」
赤いマントを翻し、悠然と腰に手を当てて弓兵の射撃を見守るローマ人将官。
「よし、不意は撃てたな!漸進射開始!!」
アエギティウス率いる西ローマ軍1万は、アエギティウスの命令に従い、前列と次列が盾を構えたままそろりそろりと歩を進め、その後ろから弓兵が射撃を繰り返しながらゆっくりと歩む。
それまでの進軍隊形から半月型の堅陣へと陣を敷き直しながら、アエギティウスは時折、機会を見ては部隊の歩みを止めて統制力の残った場所へ射撃を集中させてサクソン軍の陣形を崩し、乱してゆく。
今回の戦いはブリタニア総督の依頼が急であったこともあり、十分な準備が出来たとは言いがたい状態ではある。
その証に、将官達が乗る馬匹の確保も出来ず、残念な事にアエギティウスら少数の中枢指揮官以外の将官は徒歩であり、アエギティウスは進撃を早める場面は訪れないと判断して馬は後方で待機させていた。
しかしそれでも、普段それほど動きの良いとは言えない西ローマ軍がこれ程迅速に動けたのは、今は亡き西ローマ軍総司令官のコンスタンティウスが命令をガリアの各司令官へ残していた事が大きい。
アエギティウスは、北ガリア総督代行及び北ガリア軍司令官を拝命した際にその命を引き受けていた。
『アルトリウスに危急の時あらば、これを出来るだけ助けるように』
その後コンスタンティウスは残念な事に儚くなったが、その遺命はアエギティウスの中に残り続けた。
アエギティウスは戦場でブリタニア軍の活躍を目の当たりにしており、また命を救われても居る。
どういう思惑があったにせよ、自らがサクソンとの戦いの佳境にありながら援軍を送ってきたブリタニアの首脳部とアルトリウスの心意気に感ずる所もあった。
他のガリア軍の司令官達が救援を渋る中、アエギティウスは自らが先頭に立ち、援軍の派遣を決めたのである。
幸い、北ガリアで対峙しているフランク諸族の現在の族長達とアエギティウスは個人的な繋がりもあるため、北ガリアへの蛮族浸透は今のところ心配が無い。
唯一の侵攻勢力であった、南のアクイタニアに巣くう西ゴート族が、アルトリウスの協力の下、既に西ローマ軍の膝下へ降されている。
そういう政治情勢もあったことから、アエギティウス率いる北ガリア軍は、ほぼ全軍でのブリタニア救援が可能となったのだった。
また、西ローマ軍の艦艇以外にブリタニア海軍の艦艇が輸送に携わり、たった数回の搬送で1万もの軍勢のブリタニア渡海を成し遂げてしまったことも忘れてはいけない。
「同士討ちになるからな、余り遠くを狙うなよ!!直近だけで良いぞ!!」
一度目はブリタニア騎兵団への横槍を防ぐ為、射程ぎりぎりの遠射を命じたものの、横槍が防げた事を確認した後は、流れ矢での同士討ちを避ける為に、もっぱら近接のサクソン戦士達への射撃を命じる。
「トゥルピリウスは・・・無事なようだな!」
アエギティウスが戦友の姿を疾走するアルトリウスの間近に認め、剣を振り上げて呼びかけると、戦友と思しきその騎兵も少し遠慮がちに剣を上げた。
「ははっ、久しぶりだな、これで西ゴート戦役での借りは返せたか。」
アエギティウスは満足そうに笑声を上げると、剣を下ろし周囲を見渡す。
それまでブリタニア軍の突進する脇から掣肘を加えようと運動していたサクソン軍右翼は、突如現れ後方から攻撃を加えてきたアエギティウスの率いる西ローマ軍にその矛先を変えつつある。
これでブリタニア軍騎兵団の進路を遮るものは無くなった。
槍や剣を振りかざし、西ローマ軍の正面へと向かうサクソン戦士達であったが、西ローマ軍は激しく矢を放ち、その勢いを削いでゆく。
そもそもが戦意の低い状態である為か、その陣替えはお世辞にも速いとはいえず、サクソン軍の右翼は犠牲を増やしてゆく。
はるばる海を越えてやってきたばかりの西ローマ軍に疲労が無いと言えば嘘になるが、大陸で共に戦い、戦勝を分かち合ったブリタニア軍が十倍の敵を相手に奮闘する様を目の当たりにした西ローマ兵の戦意は昂ぶりを見せ、疲労をものともしていない。
兵士達の疲労に一抹の不安を持っていたアエギティウスではあったが、急を要する情勢である事はブリタニア総督の依頼内容から分かっており、あえて拙速策を取のだが、ここは吉と出たようである。
「漸進射を続けろ!!先陣の歩兵隊は白兵戦闘用意!!」
右翼側から西ローマ軍がじりじりと迫る姿を見て、サクソン軍は激しく動揺する。
「西ローマ軍だと!?大陸の連中からは何も知らせが来ていねえじゃねえか!!」
族長の一人が叫ぶ。
ヘンギストは右翼に目をやり、サクソン戦士達が西ローマ軍の射撃で次々と打ち倒されて行く様を苦々しげに見つめる。
ざっと見てサクソン軍は西ローマ軍の3倍の兵数があり、いくら空腹で弱っているとはいえ、そう直ぐに打ち破られる事はないだろうが、ブリタニア軍の進撃を阻む壁がすっかり無くなってしまった。
ヘンギストとしても此処で西ローマ軍の援軍が表われるとは予想外の事である。
大陸のサクソン王やその周辺者からも西ローマ軍援軍派遣の連絡や、ガリアの西ローマ軍司令官の動向に注意を促す知らせは来ていない。
「・・・これは、ローマ再服なのか・・・いや、そんなはずはねえな、あるとすれば一時的な援軍だな・・・ちっ、何がサクソン王だ、満足な知らせぐらい寄越せ!」
一瞬、西ローマ帝国がブリタニアを再征服に動いたのだろうかと勘ぐるが、そのような情勢に無い事は、今までの情勢を見れば明らかであろう。
西ローマ帝国軍総司令官不在の今この時に再征服に動く理由や動機が無い。
今それが出来るのであればもっと早く、例えばコンスタンティウス存命時に動いていたはずである。
ヘンギストが得ていた情報は、ガリア各地の西ローマ軍司令官は動かない、というもの。
未だ衰えたりとはいえ西ローマ帝国は巨大であり、その底力は侮れず、ヘンギストは大陸へ居残った一族や上位であるサクソン王から情報を得てその動静は常に探っていた。
今回の侵攻に当たっても、ブリタニアから親ローマ勢力を一掃した後、西ローマがどう動くかが気になったヘンギストは情報収集を欠かしていない。
コンスタンティウス亡き後、ガリアは5千から1万程度の兵を持つ軍司令官達のローマ領と、浸透してきた蛮族領に細分化されており、今は言わば総竦みの状態。
浸透してきた蛮族も一枚岩では無く、最大勢力の西ゴート族は西ローマ帝国のフェオデラティ(同盟蛮族)となり、ヒスパニアへ侵攻中であるため、ガリアでは兵力状態が拮抗し、互いに牽制し合って兵を動かす事が出来なくなっている。
その時の情報に自分が不利になる要素は無かったのであるが・・・
「来ちまったモンはしょうがねえ、とは言ってもたかだか1万ちょっとだ、気にする事は無い、それより左翼のラールシウスに早く横槍を入れるように指示を出せ!急げ!!」