第42章 激突(その四)
「・・・マニウス、心配は要らない、アルトリウスはただ戦場の指揮が優れているだけの将官では無い、と言う事だ。」
「それはどういう・・・?」
アンブロシウスの一向に根拠の無い答えに苛立ちを募らせたマニウスは、舌鋒鋭く追求しようとしたが、後方からかすかに響いてくる足音に気がついた。
「聞こえただろう?答えは、この足音に有る。」
「・・・・!?」
その足音は明らかに歩調がそろっている。
紛れもない、兵士の、軍勢の足音。
ざざっ
最期に大きな足音を残し、その軍勢が重兵器隊の陣取る窪地を見下ろす丘に姿を現す。
グラティアヌスとアルマリックが去ったのとはまた違った方角の丘に、新たに軍勢が表われたのだ。
「・・・こ、この軍はまさか・・・」
アンブロシウスはその軍に向かって歩き出すとともに、驚いて立ち尽くしているマニウスの肩を叩き、一緒に来るよう促す。
「・・・何も根拠の無い話では無いんだ、マニウス、アルトリウスは手を幾つも打っていたんだよ、これで分かっただろう?」
「しかし・・・どうやって・・・」
未だ信じられないといった表情でアンブロシウスを見るマニウス。
その表情は困惑の色が強いものの、今までとは打って変わって明るくなっていた。
「国家としてのローマは、我々を、ブリタニアを放棄した、もちろん放棄されたのはブリタニアだけでは無い、ゲルマニアやガリア、ヒスパニアも同じ運命をたどったが・・・他の放棄領土と一つだけ違うことがある。」
徐々に丘の上の軍に近づきながら、アンブロシウスは一旦言葉を切り、マニウスに顔を向けた。
「貴官らはアルトリウスの大陸出兵に反対していたな?」
「当たり前です、あのときは本当のブリタニア軍は強く、サクソンを追い詰めていました、後一押しで奴らを海へと蹴り出せましたものを・・・」
「果たしてそれは本当にそうだったのか?」
アンブロシウスは、マニウスが息せき切って言い募るのを途中で遮り、疑問を投げかける。
「・・・」
マニウスは沈黙を持って応えた。
「貴官の地位と才が有れば理解はしていただろう、あのときに戦闘を挑み、勝利を収めていたとしても、サクソンの勢いを止める事は出来なかったという事を、な。」
アンブロシウスの言葉に、マニウスは苦々しげに頷く事しか出来なかった。
ブリタニアの高官達の間では、常識で有った事だ、それ故にマニウスらはアルトリウス帰還後も劣勢に立たされ続けたブリタニアに見切りを付け、サクソンへ条件付きで降伏しようとしたのだ。
「確かに・・・あのとき、今と同じ程度の動員力を持っていたサクソンを一撃で葬り去る事は難しかったでしょう・・・」
「更には、ヘンギストが自分の劣勢を知って大陸からサクソンやアングル、ジュートの戦士を呼び寄せようとしていた・・・雲霞のごとく集まったサクソン軍に我々は押し包まれて、一時は勝ちを収めたとしても、いつか我々は劣勢に立たされ、絶望に打ち拉がれたまま、サクソンの膝下に屈し、ブリタニアは物心両面において打ち負かされてしまっていただろう。」
一旦言葉を切り、アンブロシウスは後ろを振り返ると、そこでせわしなく動き回る重兵器兵を遠望して、目を細め、言葉を続ける。
「自分が風下に立たざるを得ない、大陸のサクソン王に頭を下げてまで援軍を得ようとしていたヘンギストは、しかしてアルトリウスが大陸出兵に赴いた事で状況が変わったと判断したんだ、ヘンギストは自分の勢力や領土を失ってまで援軍を呼ぶ必要がなくなった、と判断した、そしてアルトリウス不在のブリタニア軍を与し易しと見たサクソンは攻勢に出る事が出来る状態になった。」
アンブロシウが自分の言を引き継いで発した内容に、マニウスは目をむく。
「それは・・・そんな事が・・・」
「おかげで、ブリタニアは青息吐息でサクソンの攻勢を受ける事になったが、新たな援軍の無いサクソンも我々を完全に打ち負かす事は出来なかった、これは嘘でも何でも無い、貴官もこの事を知っているだろう?」
「確かに・・・サクソンに援軍が来るという話はありましたが・・・実際、援軍は来なかった。」
「来なかったのはそう言う訳だ、ヘンギストもこの豊かな領土を独り占めしたいと切に願っていた、いや、今も願っている、だからこそ、この策謀が生きた。」
無理を承知の大陸出兵もこれで納得がいく。
大陸のサクソン王も、西ローマ帝国の活動がブリタニア軍の参入によって活発化すれば、ヘンギストの要請に応じる余力を無くしたことだろう。
マニウスは、今更ながらアンブロシウスらの深謀遠慮に感じ入ったが、同時に自分たちに黙ったまま事を運んだ独断に憤りを感じた。
「・・・結局総督は我々官吏を信用なさっていないのですな?」
我々だって、国を思い行動しているのだ、排除されるいわれは無い。
その気概を感じたのか、アンブロシウスは少し驚いたような表情をした後、直ぐに僅かな微笑を浮かべた。
「ふっ、策謀は密かにしなければ意味が無い、他に我らの側にそうしなければならない理由も有ったしな。」
「・・・?」
怪訝そうな表情を浮かべたマニウスにアンブロシウスは笑みをいたずらっぽいものに変え、言葉を継いだ。
「ブリタニアの市民の士気を維持する為だ、いくら劣勢とはいえ、アルトリウスはいずれ帰ってくる、アルトリウスが帰ってくるまでの間は何としても頑張ろうという気持ちになるだろう?」
「・・・それは、人それぞれだと思いますが・・・」
あきれたように答えるマニウスだったが、その効果は果たして有った事をよく知っている。
ブリタニアの官吏や高官達は、焦燥感に駆られているだけであったものの、市民や兵士達は、アルトリウス不在の間、実に良く耐え抜いた。
劇的な勝利を収める事は無くとも、残った将官達の指揮の下、粘り強く防御に徹し、そしてアルトリウスが帰還するまでの数年間、繰り返されたサクソン人の猛攻を耐え抜いたのである。
それというのも、大陸へ出征したアルトリウスら精鋭が、いつかは戻る、そして戻ってくればこの苦しい状況から抜け出せるという、希望を市民達が持ち続けたからに他ならない。
大陸における、アルトリウス率いるブリタニア軍の華々しい活躍がブリタニアに達する旅に、市民達は希望を膨らませ、そして今有る苦境を耐え抜いたのであった。
「我がブリタニアには、アルトリウスがいた、放棄したにも関わらずその軍才を求めてローマの総司令官が召喚するような、才気煥発な将がいた、そして、ローマに必要とされ、その期待と重責に耐え、大陸で勇猛果敢に戦ったのだ・・・」
「・・・それに応えたが故に、その支援も得られるという事ですか・・・」
アンブロシウスの言葉を聞きつつ、丘の上に布陣した軍勢を見上げ、マニウスが答えた。
「あくまでも、西ローマの国家としての決定では無いが、西ローマ軍にはアルトリウスに救われ、ブリタニアの勇敢な将兵に親近感と同胞愛を持ってくれている将兵が大勢できたのだ・・・大陸出兵は無駄ではなかったのだよ。」
ようやく丘の上に到着した二人は、頑健そうなローマ人将官に出迎えを受けた。
緋色のマントに磨き上げられた鎧兜を身につけたその将官は、2人とローマ式の敬礼を交わし終えると、大きな声で自己紹介を始める。
「お初にお目にかかります、ガリア北部方面軍司令官を拝命しました、セクンドゥス・アエギティウス・アッピウスです!我がローマの同胞たるアルトリウス司令官の要請により、西ロ-マ兵1万及び、アルモリカ総督府の軍2000を預かり、只今到着いたしました、以後、我が軍は短期間ではありますが、ブリタニア総督府の指揮下に入ります。」
がっちりと腕を握り合ったアンブロシウスとアエギティウス。
アンブロシウスはアエギティウスの目を正面から見つめ口を開く。
「よろしく司令官、早速だが、我がブリタニア兵7800と共に、サクソン軍の側面を突いて貰いたい、今アルトリウスは10倍のサクソン人を前に奮闘中だ、速やかにお願いする。」
「・・・何と、10倍ですか!・・・腕が鳴ります!!」
ぎっと眦をあげたアエギティウスは、しっかりとアンブロシウスの目を見返すと、直ぐに踵を返して自分の指揮へと戻る。
「疲れている暇は無いぞ兵士諸君!大陸で受けた恩を今こそ返す時、アルトリウス司令官の元へ駆けつけよう!!」
おおおう!!
ががががん!!
アエギティウスの檄に、軍兵達が武器を鳴らし、鬨の声を挙げて答える。
その声を満足そうに聞き終えたアエギティウスは、アンブロシウスに再度向き直り、言葉を発する。
「では、アンブロシウス総督閣下、我が軍は直ちにサクソン軍の側面を突くべく動きます、アルモリカの兵2000はお預けしますから、よろしく願います!!」
「了解した。」
アンブロシウスの返答を聞き、頼もしそうな笑みを浮かべたアエギティウスは、従兵の用意した馬に乗ると、号令を掛ける。
「ガリア北部方面軍、前進!目標、同盟軍と対峙中のサクソン軍!!敵は十倍だ、心してかかれっ!!」
「「了解っっ!!!」」
ざざざあっ
アエギティウスの号令に応じ、一斉に西ローマ軍が向きを変え、そして進軍を始める。
そして残されたアルモリカからの支援兵2000がアンブロシウスの前に整列した。
「アンブロシウス様、ご無沙汰しています、アルモリカ派遣部隊の指揮を預かります、リオタムス・アヴェリクスです。」
兵達の先頭に立ち、アンブロシウスへ元気よく挨拶をするのは、ブリタニア軍アルモリカ総督府派遣隊隊長の俊英リオタムス・アヴェリクス。
かつて派遣隊の副司令官を務め、アルトリウスのブリタニア帰還後は、アルモリカ総督代行として軍事、行政に辣腕を振う、クアルトゥス・アヴェリクスの養嗣子である。
リオタムスはブリタニアからアルモリカへの移民2世で、両親はかつてクアルトゥスが守備隊長を務めていたヴェネト・イケニ出身だった。
リオタムスはアルモリカの志願兵として勤めていたものの、クアルトゥスが見所ありと認め副官兼行政官に抜擢をしたところ、リオタムスは文字通り『化けた』のであった。
短期間で素養を修め、高度な軍事知識や行政知識も蓄えるに至り、クアルトゥスはリオタムスを自分の後継者として擁立し、養子に迎え入れたのである。
「ああ、クアルトゥスは元気にしているかい?」
事の経緯は既にクアルトゥスから知らされている。
また、ブリタニアとアルモリカの総督を兼ねるアンブロシウスは、目通りの為クアルトゥスに伴われて渡海してきたリオタムスと面接しており、その際にアルモリカ総督代行の継承についてお墨付きを与えている。
「はい、義父から、能くアルトリウス将軍とアンブロシウス総督にお仕えするように言付かっています。」
「ははは、まあ、戦の指揮はアルトリウスに任せているから、私に仕えるという事は無いのだけれどもね、よろしく頼む。」
「お任せ下さい!」
元気よく自分の胸を叩く青年に、目を細めるアンブロシウス。
始めた有った時からまだ1年しか経っていないが、その成長ぶりには目を見張らせられる思いがした。
――サクソンに全て奪われ根無し草であった私にも、ようやく大切なものが出来ました、亡くす者の無かった私が、亡くす者さえ奪われた私が、またこのような気持ちを持てるとは夢にも思っていませんでした。――
自分の後継者をアンブロシウスに目通りさせた日の夜、クアルトゥスはアンブロシウスとアルトリウスを含めたブリタニアの高官達にそう熱っぽく話した。
身の上に起こった様々な出来事全てに傷つけられ、かつて乾いた目で故郷には何も無いと語り、アルモリカへの居残りを志願したクアルトゥスはおらず、息子の成長を誇らしげに見守る父親の姿がそこにあった。
「しかし、このご時世によく2000もの兵を集められたものだ、アルモリカ総督代行からは、ブリタニアに対して援軍の派遣要請まで来ていたというのに。」