第42章 激突(その一)
「ブリタニア軍、前進っ!!!」
グナイウスの最期を看取り、遺骸が総司令官用の天幕に運び込まれたのを見送ったアルトリウスは、ひらりと馬に飛び乗り、右手を高く上げ号令を下す。
アルトリウスの号令を受け、赤い竜を模した吹き流しが一斉に立てられる。
その合図を見た中級指揮官が各部隊に前進を命じ、丘の頂上付近に布陣したブリタニア軍は一斉に前進を始めた。
練度が落ちたとはいえローマから受け継いだ会戦方式の三翼陣を綺麗に維持したまま、丘から下ってくるブリタニア軍の様子は、サクソンの下級戦士達を怖じ気づかせるには十分だった。
ヘンギストの恫喝によって動揺するブリタニア軍の兵士達を見て取り、一度は持ち直したサクソン戦士達の士気は、再び揺らぐ。
きらきらと陽光に反射して輝くローマ式の鎧兜と規則正しい足音は先程までの動揺は微塵も感じられず、自信に満ちあふれている。
「ブリタニア軍停止!!」
アルトリウスが再度号令を発し、部隊をぴたりと丘の中腹で停止させる。
「弓兵隊射撃準備!!」
立ち止まった弓兵達がその号令で素早く矢を弓につがえた。
と同時に、歩兵達も大楯を自分の身体へ立て掛けるようにして置き、その裏から矢筒と弓の部品を取り出すと、弦を手早く弓に装着する。
全員が弓射の準備を終えたことを確認し、アルトリウスは号令を再び下した。
「・・・撃て!!!!」
ばばばばばばっばばばばばば
ブリタニアの弓兵と歩兵を合わせた数の矢が一斉に放たれる。
ブリタニア軍は練度の低い兵士をまず弓兵として採用し、徐々に戦場に慣れた者から前線の歩兵として使う方策をとっていた。
これは以前のように訓練期間を十分取ることが出来ない為に取られた、いわば苦肉の策ではあったが、それ故にブリタニアの歩兵達は全員が弓を十分に扱うことが出来る。
今回の決戦において、アルトリウスは騎兵と重兵器兵以外の歩兵にも弓を分解して持たせており、未だ敵との距離があり、白兵戦になる恐れの無いときには歩兵達も弓を使って敵を攻撃することになっていたのである。
小高い丘に布陣しているブリタニア軍からは矢が届くものの、敵のサクソン側からは打上の体勢になる為、まだ弓は準備されていない。
「!!!」
思いがけず大量の矢を浴びせかけられ、サクソン側の下級戦士達が一時的に混乱する。
ブリタニアの重装騎兵に対抗する為に長槍を両手で持った戦士達は、その長大な槍をなるべく扱いやすいようサクソン戦士が普段持つ木製の丸盾を装備していない。
それだけサクソンにとってブリタニアの重装騎兵が脅威であるということだが、今回はそれが裏目に出てしまった。
少数のブリタニア軍は騎兵を十分以上に使ってくると踏んでいたヘンギストであったが、意に反してブリタニア軍は歩兵主体の正攻法で前進してきた。
「アルトリウスは何を考えている?こっちは10倍だぞ!?」
以前大敗を喫し、背中を切りつけられ、泥にまみれて命からがら逃げ帰ったことのあるホルサがブリタニア軍の意図が分からず、その不気味さに思わず声を上げる。
サクソンの前線を受持つ族長がブリタニアの矢の攻勢の損害に堪りかねて、槍戦士達へ前進を命じた。
「馬鹿が!直ぐに前進をやめさせろ!」
それまで黙って戦闘の行方を見守っていたヘンギストが、前進を始めた槍戦士達を見つけ、慌てて護衛戦士の一人を前線に派遣した。
「てめえら!勝手に動くんじゃねえっ!!」
怒声を上げ、周囲の上級族長を一喝し、前線の族長達にも命令を伝達すべく護衛戦士達を派遣したヘンギストは、ぎりりっと歯をかみしめる。
「数で圧倒してんだ、こっちは、焦らねえで、ローマ人共がどこにも逃げらんねえようにゆっくり包囲してやれば良いんだよ、こっちは10倍いるんだ。」
一方、前進を始めてしまった最前線の槍戦士達は惨劇に見舞われることとなった。
びゃびゃびゃびゃっ
ヘンギストの伝令は間に合わず、槍戦士達は、ブリタニア軍の最前列へ素早く走り出てきた弩兵の一斉射撃を浴び、ばたばたと倒れ、屍の山を築く。
普通の弓とは異なる直線的な射線を引き、空を切り裂くような羽音を立てて飛び交う弩の矢が長い槍をかすめ、次々に戦士達の肉体に突き立つ。
肩口に矢を受け、絶叫を上げる戦士が槍を取り落とし、刺さった矢を抜こうと悶えている所にとどめの矢が胸を打ち抜く。
別の戦士は戦意を喪失して逃げようとするが、自分の槍が邪魔でもたついていた所、首筋に矢を受け、ものも言わずに事切れた。
後方へ下がろうにも、他の戦士達や自分の持つ長い槍が邪魔をして思うように身動きが取れず、もたもたとしている内に、矢が降ってくる。
混乱は広がりつつあった。
「かつてギリシアで主力となったファランクス隊形に似ているなあ、騎馬や正面からの衝突にはめっぽう強いが、柔軟性に欠ける。」
歩兵司令官のティトゥスがそう言うと、傍らにいた将官が苦笑いしながらその言葉に応じた。
「ましてや、サクソンみたいな蛮族です、まともに統制が取れているとも思えませんね。」
「ああ、ファランクス隊形の肝は規律と統制だからな、ありゃだめだな。」
弩と弓の射撃を受け、ばらばらと隊形を乱しているサクソンの下級戦士達を見てティトゥスが酷評を下した。
「勝手に動きやがって、あいつらは突っ込んできた騎兵を受け止めるだけしか能がねえんだから、やたらと動かすんじゃねえとあれほど言ったろう!」
ヘンギストが前線から逃げ帰ってきた族長を激しくなじる。
「しかし・・・戦士共の目もある、ただでさえ空きっ腹でやる気の無い奴らだ、やられっぱなしじゃ沽券に関わりますぜ。」
しかし、族長も自分の判断を正当であると主張し、ヘンギストに食い下がった。
「てめえの沽券なんか知ったことか!」
ヘンギストが苛立ちを隠そうともせずに、族長の主張を一顧だにせず言い放つと、族長の顔色が変わった。
「・・・何だと?そこまで馬鹿にされては黙っていられねえ、俺だって一族を率いる戦士長だ!」
族長の言葉に、ヘンギストが怒る。
「おお、なんだその目は、オレ様に逆らおうってのか、いい度胸だ・・・貴様には命令無視の責任を取って貰おう。」
どす
族長が色を為して抗議しようとすると、ヘンギストは立ち上がって剣を抜き、跪いている族長の胸をあっさりと突き刺した。
どどっ
驚愕の表情のまま、族長は血が噴き出す自分の胸を押さえながら地面へと倒れる。
「こいつの護衛も殺しとけ、こいつの一族の後釜はいらん、それから弓矢を使え、敵に応じてやる必要は無いが、適当に撃ち返しておけ、包囲が完成するまでの我慢だ。」
首尾良く敵の前衛である槍戦士達に壊滅的な打撃を与えた後も、ブリタニア軍は矢を放ち続ける。
槍戦士が下がった後にはサクソンの弓戦士達が前線に進出し、ブリタニア軍と矢の打ち合いを始めた。
ブリタニア軍前線を担う歩兵達は弓を片付け、大楯を正面に構えてサクソンの矢を防ぐ。
幸いにも打上げる形になるサクソンの矢は、数こそ多いが陣営の奥までは届かず、歩兵達の大楯で十分防げる。
時折逸って前線に出てくる戦士達を弩の一斉射撃を加えて撃退する。
部分的な戦況はブリタニア軍有利に進んでいた。
しかしサクソン軍は大軍であり、損害は全体から見れば微々たるもので、直接ブリタニア軍と戦闘している部隊はほんの一部に過ぎない。
サクソン軍は緩やかに両翼をブリタニア軍の布陣する丘の麓に沿って展開させており、ブリタニア軍を包み込もうとする意図が見て取れた。
しかしアルトリウスは焦ること無く。矢を撃たせ続ける。
「左翼の動きが鈍いな・・・計略はあながち嘘では無いと言うことか・・・」
サクソン軍左翼は右翼に比べて進撃が遅い。
中段に位置する戦士団の歩みが遅く、前衛は自分たちだけが突出しすぎる事を恐れて、遅れを取り戻せず、後衛は中段に邪魔されて同じ速度でしか動けない。
正面には4万近いサクソン戦士達が布陣しており、両翼でそれぞれ3万程度のサクソン戦士達が移動を続けている。
アルトリウスは、右翼に槍兵を配置して急な敵の進出に備える一方、両翼に配置していた騎兵を自陣の左翼に集めた。
サクソン側は騎兵の動きに気がついていないようで、相変わらず緩慢な動作で移動を続けている。
「大軍だからな、恐らく我が軍が突出してくるなどとは考えていないんだろう。」
「そうですね、全くこちらを観察している様子もうかがえません。」
アルトリウスの言葉に、副官のクイントゥスが相づちを打つ。
「総司令官、準備完了。」
トゥルピリウスが騎兵の集結と隊形変換が終わったことを言葉少なに伝える。
「よし、では蹴散らしてしまえ!」
おおっ!!!
長剣を鞘から引き抜いたアルトリウスを戦闘に、ブリタニア軍最精鋭の重装騎兵が一斉に突撃を開始した。
「騎兵団突撃!一撃後は駆け抜けて丘に戻れ!!乱戦に巻き込まれるな!」
おおおおおおおっ!!!!
丘の上から沸き上がるように降ってきた喊声に、サクソン戦士達が弾かれたように上を見上げる。
「アルトリウスだあああああああっっ!!!!」
サクソンの下級戦士の一人が恐怖を込めた声で叫ぶ。
慌てて族長達が移動を中止して備えを作ろうとしたが、急速に迫る重装騎兵の威圧感に泡を食った戦士達は恐慌状態に陥る寸前で、思うように隊形が作れない。
声をからして叫ぶ族長を余所に、戦士達は既に逃げ腰のものもおり、中には盾と剣を放り出して逃げ出す者まで出る始末であった。
それでも何とか身を守る為、ブリタニア重装騎兵に向き直った戦士達は、しかしはかなく撃ち砕かれてしまう。
おおおおおおおおお
どどどどどどどどどど
重量感のある馬蹄音を轟かせて急迫する重装騎兵は、その瞬間、サクソン戦士の作った薄っぺらい戦列を破砕する。
ががががががっががん
ぎゃああああああああ
ヘンギストが特別に設えた騎兵対策用の長槍は、サクソン軍正面にしか装備されていない。
包囲を敷く者達にまで手を出せるほどブリタニア軍に兵力的な余裕が無く、ヘンギストも劣勢をひっくり返す為、アルトリウスは正面突破を試みてヘンギストらサクソン軍の首脳陣を狙うと踏んだのである。
その為、包囲部隊には今まで通りの短いサクソン人の槍と丸盾を連ねて人垣を作る他騎兵に対抗するすべが無い。
しかし、唯一の備えは簡単にアルトリウスに破られ、右翼のサクソン戦士達は、たった一撃で甚大な被害を出す羽目になった。
見たことも無いような大きな馬に鎧を被せ、一丸となって突撃して来たブリタニア騎兵団に、サクソン戦士達は為す術無くなぎ倒される。
どす がき べり ぶしゃっ
短い槍は騎兵の長剣で腕ごと切り飛ばされ、構えた盾は馬の体当たりで砕け散った。
無防備に背を見せて逃げた戦士は後ろから首筋を切られ、やけになって立ち向かった戦士は馬蹄に掛けられて無残な最期を迎える。
馬を狙って切りつけようとしたものの、見つかり馬上槍で割れた盾ごと突き通され、絶叫する戦士。