第41章 アルトリウス最後の決戦 後編
「伝令!ティトウス歩兵司令官率いる歩兵部隊及び、ガルス重兵器総監率いる重兵器隊が予定地点に到着!!」
アルトリウスの居る天幕に到着するなり、重大な知らせを持ってきた騎兵伝令が馬から転げ落ちそうな様相で、絶叫する。
「うん、予定よりずいぶん遅いが、間に合ったな。」
アルトリウスが微笑みながら言うと、伝令が報告を補充する。
「歩兵の一人が発案した方法により、砂浜を踏破したとの事です!」
「そうか、後でその兵士の勲功を表彰してやらねばなりませんね・・・」
クイントゥスの言葉にアルトリウスがそれまでの表情を一転させ、力強く頷いた。
「ああ、『後で』必ずだ。」
ヘンギストが西ブリタニアへの乱入を開始した時点で、アルトリウス率いるブリタニア騎兵団は北上をやめ、いつでも南下できるよう準備をした上で中部ブリタニアの丘陵地帯の森に身を潜めた。
ヘンギストが根こそぎに近い動員を掛け、サクソン戦士をかき集めている事はアトラティヌスらの働きで既に分かっていたが、確かにヘンギストがアンブロシウスやマヨリアヌスの策術に引っ掛かったことが分かるまで、アルトリウス率いるブリタニア軍の行く先は北であると思わせなければならない。
ヘンギストが軍を率いて西に向かった事で、ブリタニアの術中に嵌まったことがはっきり見極められるまでの間は鳴りを潜めている必要があったのである。
そして、今、十分に西ブリタニアへと深入りしたヘンギストが、食糧不足のまま軍の進退が思うに任せない状態になった事を知るに至り、アルトリウスは配下の騎兵に南への移動命令を下した。
周囲の状況を含めたブリタニアの政治的な動静は逐一伝令騎兵を使ってアンブロシウスと連絡を取り合う事で把握しており、抜かりは無い。
近隣のブリタニア豪族はアルマリックの召集に応じており、ブリタニア軍と敵対する意思は無い事を確認している。
歩兵と重兵器の南部への集結が遅れている事が気がかりだったが、グナイウスがうまく立ち回ってくれたおかげでその心配も無くなった。
グナイウスは周囲の村々に避難と兆散を促し、サクソン軍の略奪と言う名の食料調達を妨げ、おまけにその食料が近隣の砦に集められているとの偽情報を巧みに流し、サクソン軍の食糧不足の状態を逆手に取り、自分の立て篭もる砦へ引き付ける事にも成功したからである。
グナイウスの砦を攻めあぐねたサクソン軍が時間を無駄に費やしたおかげで、アルトリウスは軍の展開に十分過ぎる時間をとる事が出来た。
「・・・グナイウスは、どうしている?」
アルトリウスがポツリと誰ともなしに尋ねると、グナイウスから派遣された伝令騎兵が進み出る。
「副司令官は、何も仰っていませんでした、ただ、騎兵はこれから活躍の場がある、元来籠城戦には向かないから、アルトリウス総司令官の下で働くようにと言い置かれまして・・・」
わずか15騎あまりの騎兵であったが、ヘンギストを砦に引きつけるまでの間、この騎兵達を活用してグナイウスはカストゥルムとアルトリウスに対して定期的に伝令を送り、情勢の把握と収集情報の伝達を欠かさず行っていたが、ヘンギストが見事罠に嵌まり、グナイウスの砦を十重二十重に取り巻くに際して騎兵全員を砦から出してアルトリウスの元へと送っていたのだった。
「そうか。」
騎兵の言葉に短く返事をすると、アルトリウスは視線を空へとあげる。
抜けるような初夏の青空には雲一つない。
それはまるで私心なくローマに、そしてブリタニアに尽くしてきたグナイウスのような兵士たちの心映えを写し取ったかのような空。
「・・・そうか、分かった、待っていてくれグナイウス、もうしばらくだ・・・。」
アルトリウスは、そうつぶやきながらその空を目に焼き付けるかのようにしばらく凝視した後に目を閉じる。
そしてそのまま顔を戻すと、徐に目を開いて騎兵指揮官達へ簡潔に命令を下した。
「時は満ちた、これより予定戦場である南ブリタニアのパドニクス丘陵に急行する。」
アルトリウス率いるブリタニア騎兵は、隠れ潜んでいた森から抜け出し、南へ向かう。
一方、ティトゥス率いる歩兵と重兵器部隊も、時を同じくして邂逅地点である、パドニクス丘陵の西側へと向かった。
一方、パドニクス丘陵の中腹地点では、グナイウスが砦を巧みに差配し、僅かな兵でヘンギスト率いるサクソンの大軍を引きつけ続け、激戦を繰り広げている。
サクソンの戦士達は、すでに幾日もまともなものを口に入れていなかったが、ヘンギストが手配した食料がようやく東ブリタニア地域から届き、何とか軍の体裁を維持する事ができたものの、すでに数日間の空腹期間があるため、すぐに体へ力が戻るわけでもなく、一旦グナイウスの砦に対する攻勢の手を止め、戦士達に休息をとらせた。
時間は刻一刻と迫る。
「すいませんでした、総司令官、予定より手間取っちまって。」
アルトリウスが合流地点に到着するやいなや、歩兵司令官であるティトゥスがガルスと若い兵士を伴って現われ、謝罪した。
「いや、大丈夫だ、まだ時間はある。」
アルトリウスは馬から軽やかに降り立つと、後方のクイントゥスとトゥルピリウスも馬から降り立った。
「しかし・・・グナイウスが心配です。」
設営したばかりの司令官用天幕に向かうアルトリウスの後方に位置したティトゥスが珍しく神妙な顔つきでそう言うと、アルトリウスは歩みを止めず兜を脱ぎながら答えた。
「もとより危険な任務である事は、グナイウスも兵士たちも承知の上だ、むしろ今までよく粘ってくれたと思う、あれだけの兵力差ではとうに陥落していてもおかしくはないからね。」
「食料が砦に有るという偽情報が役立ったのですね、サクソンは火攻めすら試みずに、無理な力押しを続けているようです。」
聞き慣れない若い声に、おやっという顔で後ろを振り返るアルトリウス。
「ああ、紹介が遅れちまってすいやせん、こいつ、砂浜での重兵器の移動方法を考案した兵士でして、表彰はすぐに無理でも、お褒めの言葉だけでも頂けたらと、連れてきた次第で。」
声の主はティトゥスが伴った若い兵士で、それを見つけたアルトリウスへ取りなすようにティトウスがその若い兵士を紹介する。
「ああ、話は聞いている、よくあのような方法を思いついたな、大したものだ、名前は?」
アルトリウスが表情を和らげ、その若い兵士を見て質問すると、若い兵士は緊張でカチコチに固まったまま、なんとか敬礼を贈り、自分の名前を告げた。
「る、ルキウス・ルカニウスです。」
若い兵士の緊張した面持ちを好ましげに眺め、アルトリウスは鷹揚にうなずき、言葉をかける。
「私と同じ名前か、ルキウス、この大戦が終わったらすぐにでもカストゥルムで顕彰しよう、今後もその柔軟な発想を生かしてくれ、頼んだぞ」
「は、はいっ!!」
「おおう、よかったな!」
緊張を忘れた喜びの表情で答えるルカニウスと、アルトリウスに褒められた事を我が事のように喜んでその肩を叩くティトゥス。
ティトゥスの大きな手での乱暴な祝福の衝撃で片目をつぶったルカニウスだったが、笑みを崩さず、アルトリウスを見る。
「・・・初々しいものですね、我々にもああいう時があったのでしょうが。」
若い兵士が周囲の同僚達から手荒い祝福を受けている姿を見たクイントゥスが、まぶしいものを見るかのように目を細める。
「仕方ないさ、我々は余りにも色々な物を見過ぎてきた・・・あの若い兵士も、恐らく今回の戦いで我々が見てきた物の一端を見る事になるだろう。」
同じように見ていたアルトリウスが寂しく言うと、クイントゥスは言葉を付け足した。
「では、それを少しでも減らせるように努力しなければなりませんな。」
「ガルス、行けるか?」
「ああ、総司令官!心配いりません、兵士達もこいつらもまだへばっちゃいません、十分以上の働きをして見せましょう。」
アルトリウスの呼びかけに答えた重兵器総監のガルスは、重兵器調整の手を止めると周囲の兵士達の肩を叩いて現場を離れる事を知らせて後の整備を任せ、手布で油と汗にまみれた両手を拭きながら、歩み寄ってきた。
「潮風と手荒な移動で少々痛んじゃいますが、もう間もなく壊れた部品の交換と再調整が終わります、今回の決戦では良い働きをしてくれそうです。」
アルトリウスと肩を並べたガルスは、そう言いながら誇らしげに居並べられた重兵器を眺め渡す。
アレキサンドリアから調達した最新型の超大型オナガー(投石機)は異様な迫力を放ちつつ、担当の兵士達による整備を受けており、その姿は巨人が胡座をかいて座り込み、人間達の手で体を清掃させているかのようであった。
購入と搬送に手間取り、ようやくブリタニアに到着した最新兵器は、その数にして20基。
少し離れて並べられ、同じように整備を受けているブリタニ軍の旧型オナガーと比べても明らかに姿形や大きさが異なる。
「助かる、何かと手間がかかると思うが、今回の戦いでは決定的な力になる可能性がある、十分手立てを尽くしてくれ。」
アルトリウスが満足そうに言うと、ガルスはにかりと笑みを浮かべて、鎧の胸をがちんと叩いた。
「任せてください!」
歩兵部隊と重兵器、そして主力である騎兵団が合流し、ようやくブリタニア軍はその陣容を整え、パドニクス丘陵を指呼の距離に納めた地点で野営陣地を構築すると短い休息に入った。
パドニクス丘陵はもう間もなくの距離であり、その東の裾野では未だグナイウスがサクソン軍10万を相手に粗末で頑強な砦に籠り、抗戦を続けている。
お陰でブリタニア軍の主力は短いながらも行軍の疲れを癒やす時間を得る事ができた。
初夏の陽気も夜になると幾分和らぎ、アルトリウスは最低限の見張りを除いて全兵士を休ませる事にしたため、宿営地はひっそりと静まりかえっている。
「静かですね・・・」
「得てして何か大きな出来事が起こる直前の時間は静かなものだ、それこそ気味が悪いくらいにな。」
副官見習いとなったルカニウスの小さな言葉に、先任副官であるクイントゥスが落ち着いて答える。
「・・・」
その物静かな迫力に気圧されて押し黙るルカニウスをちらりと横目で見たクイントゥスは、若い副官見習いを脅かし過ぎないよう、言葉を掛けようと口を開きかけた。
が、その瞬間、鋭く天幕の裏側を一瞥し、静かに剣を抜き放つ。
慌てて立ち上がろうとするルカニウスを黙ったまま手で制し、クイントゥスが天幕の裏側に続く場所を注視していると、フードをすっぽりと被った男が現れた。
その後ろには、同じようなローマ風のマントで覆われてはいるものの、装具や体格から明らかに蛮族と思しき若い男が付いてきている。
「止まれ。」
静かに、しかし鋭くクイントゥスが声を掛けると、先導しているフードを被っていた男がぴたりと歩みを止め、せせら笑う。
「フードを取れ、このような時間に何用か?」
相手の挑発に乗らず、落ち着いて誰何を続けるクイントゥスの様子に、雰囲気に呑まれていたルカニウスがはっと我に返り慌てて、剣を抜きつつ応援を呼ぼうと口を開いた。
「・・・待て、分かった。」
フードの男が手を前に出し、ルカニウスとクイントゥスを制止した。
フードの男はクイントゥスの指示に従う事はしなかったが、幾分雰囲気を和らげてちらりと後ろに続く男に視線をあててから、感心した声色で言葉を発した。
「・・・さすがは副官殿、我が気配に気づくか・・・しかし長話をする暇はない、事は急を要する、我が主殿にすぐ取り次ぎ願おう。」
アトラティヌスの緊迫した声色に何かを感じたクイントゥスが剣を鞘に収め、天幕の入り口に顔を向けるとアルトリウスが見計らったように現われ、アトラティヌスの後ろに佇む大柄な若い男を見ると、口を開いた。
「アトラティヌス・・・連れと一緒に天幕へ入ってくれ、クイントゥス、ルカニウス、しばらく誰も取り次がないように。」
「了解。」
クイントゥスの答えを合図に、アトラティヌスとその連れがアルトリウスの天幕へと滑り込んでいった。
いよいよ最後が近づきつつあることは、グナイウスでなくとも、砦の兵士であれば誰でも分かっていた。
備蓄してあった矢や石弾も尽きかけており、食料はもとより水も残り少ない。
相手はこの砦に蓄えられているという食料を目当てとしているため、決定的なダメージを砦に与える事をためらっていたが、ここに至ってようやく若干の損害はやむを得ないとの結論に達したようであった。
これまでと異なり、今日の攻勢は最初から激しく、そして今まで使ってこなかった火矢が雨のように砦の各所へ打ち込まれている。
半分程度まで数を減らした砦の兵士に、消火の負担が重くのしかかる。
長年戦場を駆け巡ってきた古強者達であったが、さすがに1週間もの攻防に老兵の弱みである体力不足がここに来て堪えるようになっていた。
「ふふっ、さすがにこの疲れを前にしては、寄る年波を意識してしまうな。」
力ない笑みを浮かべ、グナイウスが独り言をつぶやく。
指揮官自ら弓矢を手にし、指揮台から砦の壁を乗り越えようとしてくるサクソン戦士達を幾度となく射落とすが、後から後から続々とサクソン戦士達が壁をよじ登り始めるのを見て、グナイウスはこの小さい砦唯一の外周を放棄することを決めた。
後は砦の主塔に立て籠もるしか抗戦の方法がなくなってしまうが、グナイウスには目論見があった。
砦の他を探しても、食料は見つからなければ、サクソンは主塔に食料が保管されていると思うだろう。
そうすればたとえ主塔でグナイウスらが頑強に抗戦しても、外から火を放って敵であるブリタニア兵ごと丸焼きにするという戦法を取る事は出来ない。
最後の最期まで時間稼ぎが出来るのだ。
主塔へ引き上げる旨を傍らの伝令に伝え、グナイウスは砦の外周部で斃れたブリタニア兵の兜や鎧をはぎ取っているサクソン戦士を見つけ、その背中に矢を見舞う。
ひゅん・・・・・どっっ
仰け反り、倒れ伏したサクソン戦士。
その周囲で同じように戦利品漁りをしていた戦士達が騒ぎ出す様子に一瞥をくれ、主塔に向かいながらグナイウスは口角を上げた。
「アルトリウス総司令官の到着を見る事が出来るかもしれんな。」
いくら抗戦の目処があると言えども、その前に砦が陥落してしまう事は火を見るより明らかであったが、グナイウスは空を見上げそうつぶやくと弓を背負い、兜の緒を締め直して足早に砦の廊下を主塔へと向かっていった。
「言エっ!食料は何処ニ有るんダッ!!」
ぐさ
「・・・ぐっ・・・」
鋭い痛みと共に、グナイウスは自分の右太ももに刃毀れた短剣が刃の半ばまで埋まるのを見た。
赤い血潮が遠慮がちにズボンを染め始める。
じわりと表面的な暖かみを感じると共に、体の中から温度が失われる。
痛みに身じろぎしょうとするが、両肩と両腕を筋骨たくましい完全武装のサクソン戦士に押さえつけられており、ぴくりとも動けない。
正面にはサクソン王を名乗るヘンギスト、そして自分の右側にはたった今、自分の太腿に短剣を突き立てたホルサがいきり立った様子で何事かを叫んでいる。
周囲にはサクソン人の貴顕と思しき人影が並んでおり、ホルサがグナイウスを責め立てる様子を眺めていた。
ごり
「・・・むう・・・」
自分の質問に全く反応を示さないグナイウスの態度に業を煮やしたホルサが短剣の束を握り、力任せに刃が捻り込むと、グナイウスの口からうめき声が漏れた。
「言エ、お前ラが周辺の村からアツメタ食料は何処に隠してあルンダっ!!!」
耳元で再度がなり立てるホルサに、グナイウスはようやく反応する。
「・・・食料か・・・」
「そうダっ!!!何処ダっっ!!」
初めてのグナイウスの反応に、ホルサがすかさず喰い付く。
「・・・そんな物はない。」
「・・・何だト?」
グナイウスのあっさりとした答えに、思わず尋ね直すホルサ。
グナイウスはホルサらの反応を楽しむようにうっすらと笑みを浮かべると、かすれた声で言葉を継いだ。
「嘘なのだよ、貴様達を引付けるための嘘なのだ・・・食料など最初からここには無い。」
ようやくグナイウスの回答の中身を理解したホルサの顔が赤く染まり、怒りを帯びてどす黒く変色し始める。
「このような小さな砦、その気になれば貴様達は素通りするだろう・・・だから、嘘の情報を流した。」
グナイウスは、太腿の痛みに顔をしかめながら、とどめの言葉を吐き出す。
「そんナ馬鹿ナ、村の食料をどうしタ、麦一粒、燻製肉一切れ落ちていなかったゾ!!!」
どす黒い顔のまま、ホルサが余りの事に絶叫する。
「村々の食料は避難した者達が全て持って行っただけだ、ここに集めてなどいない・・・」
食料が一切無い。
食料が有るという情報があったがために、長居をしてまで取るに足らない砦を攻め立て、その食料を得んがために、火矢も無理攻めもできず、中途半端な攻撃に終始した故に多大な犠牲を出したのだ。
貴重な時間を費やし、苦労して砦を落としてみれば情報は全くの虚偽であり、そうして得られるはずだった食料が無いとなっては、もはや遠征の維持は難しい。
幾ばくかの食料は根拠地から運ばせてはいたが、10万の大軍ではそれも焼け石に水である。
砦を落とせば食い物にありつけると触れ回って、何とか維持していた空きっ腹を抱えた戦士達の士気は既に尽きようとしている。
食料が一切手に入らなかった事が戦士達に知れれば、サクソン軍は崩壊する。
「・・・ふふふ、今頃気がついてももう遅い、貴様達の恐れるアルトリウス総司令官の足音がもう聞こえるぞ。」
剣を引き抜いて椅子から立ち上がったヘンギストの怒気を感じ取り、グナイウスは挑発するようにそう言うと、押さえつけられた体を無理に捻り、ヘンギストの斜め後方を見遣った。
がたがたっ がた
思わず席を蹴って立ち上がり、グナイウスの見た方向へと向き直るサクソンの族長達。
ホルサも顔を引きつらせてグナイウスの見遣った方向へ体ごと振り返る。
しかし何も聞こえない。
ふふふふ・・・
グナイウスの低い笑いがその場に満ちた。
「・・・・アルトリウス殿、後は任せましたぞ。」
満足そうな笑みを浮かべてつぶやくグナイウス。
『貴様・・・!!』
グナイウスに担がれたと思い込んだヘンギストが怒声を発し、その首を刎ねるべく剣を振りかぶったその時。
フォォォォン
フォォォォン
ローマ風の進軍ラッパが周囲に鳴り響き、それと同時に見張りに付いていた戦士がヘンギストの元へと駆け込んで来た。
『ヘンギスト様っ!!アルトリウスです!アルトリウスが来やがった!!』
戦士は息せき切ってそう言うと、グナイウスの見た方向を指さす。
『おのれ・・・最後の最後まで時間稼ぎをしやがったか・・・どこまでもいけすかねえヤロウだ。』
不敵に笑みを浮かべ続けるグナイウスを忌々しげに睨み付けるヘンギストは、しかし次の瞬間、酷薄な笑みを浮かべた。
「そこまで時間を稼ぎたいなラ、稼がせテやろウ。」
顎をしゃくり、合図を送るヘンギストの意を受けて、ホルサは即座にその意味を理解し、にたりと嫌らしく、そして嬉しそうに笑う。
『親父、オレの好きにやって良いのか?』
『ああ、好きにしろ、こいつは死にてえみたいだが、簡単に死なせる事はねえ、アルトリウスの為に今まで時間稼ぎをしてきたんだ、最後は俺たちの役に立って貰おうじゃねえか。』
鷹揚にうなずき、そう言うヘンギストにホルサは嫌らしい笑いを深くし、グナイウスを押さえ付けている戦士達に向かって声を掛けた。
『分かったぜ、親父、おいヤロウども、そいつを連れて来い、砦の上にちょうど良い磔台がある。』
『へい、おらっ、立ちやがれ、老いぼれめ!』
「・・・・」
両脇の戦士達からどやしつけられ、乱暴に立たされたグナイウスだったが、既に体からは血液と共に力が失われてしまっており、上手く立てない。
『てめえ!!立って歩けってんだよ!!』
がつっ どか
「・・・ぐふっ。」
弱った体に岩のような拳を打ち込まれ、グナイウスは小さくうめいて為す術も無く地面に倒れる。
『もういい、引き摺って構わねえから、さっさと連れて行け、老いぼれた負け犬が何時までも目障りだ。』
ヘンギストの言葉に頷いた戦士達は、地面に倒れたグナイウスの両腕を左右から無理矢理引き立て、乱暴に引き摺り連行していった。
冷戦沈着な指揮ぶりを見せ、サクソン軍を苦しめ続けたグナイウス。
その無残に破れ剥がれた鎧姿を見送り、ヘンギストは積年の恨みが晴らせたためか、心底楽しそうに笑い声を上げた。
ブリタニア軍が丘陵部の入り口付近にある小高い丘に布陣すると、グナイウスが抵抗を続けていた砦が破却され始めている様子が見て取れた。
おそらく兵士は全滅、グナイウスも無事では無いだろう。
「・・・やはり、間に合わなかったか・・・」
「いえ違います、そうではありません、グナイウス副司令官は十分以上の時間を稼いでくれました。」
唇をかみしめるアルトリウスに対し、クイントゥスは無残に破壊され、陥落した砦から視線を外さずに答える。
その周囲を未だ十重二十重に包囲した体制のサクソン軍はブリタニア軍の姿を見て慌てて陣形を取り始めているようであるが、動きが明らかに鈍い。
「策略が図に当たったようですね・・・」
クイントゥスが指で指し示す場所を見れば、明らかに戦意を喪失し、後方へと逃げ惑うサクソン人下級戦士達の姿があった。
「食料が砦に備蓄されていないことはもう下の戦士達にも広まってしまったのでしょう、酷い空腹を抱えたまま無理な戦いを続けていたに違いありません。」
「戦士達にはこの砦に食料がある、と言い聞かせ続けて、だな。」
結果的に砦に食料は無く、サクソン戦士達の奮闘は報われなかった。
それどころか、未だ攻撃の余熱が冷めやらぬ中、新たな敵であるブリタニア軍の本隊が到着してしい、サクソン戦士達の士気は地に落ちた。
「おう、縮みあがってんじゃねえ、敵は空きっ腹のポンコツなサクソン戦士どもだ、普段の訓練通りやれば勝てる!」
歩兵司令官のティトゥスが若いブリタニア兵達に檄を飛ばす。
既にローマ軍の引き上げから30年近くの時がたち、あの頃壮年だった兵士は引退の年齢を迎えつつある。
それに加えて戦士や傷病、疫病で戦列を離脱した兵士達も数多く、アルモリカ遠征で逝った兵士達も少なくない。
今やブリタニア軍はローマ時代を知らない兵士達が主力となって構成される時代となっていたのだ。
戦場経験は一通り経ているが、システマティックな徴兵制度と訓練カリキュラムの下に兵士の訓練が施されていたかつてのローマ軍とは異なり、一般民衆から応募してきた志願兵は体力や体格、年齢にもばらつきがあり、とても今までのような一律の訓練は施せない。
ましてや兵士の数は常に不足がちで、長い期間を設けてじっくりと錬成している余裕も無い為に、どうしても速成訓練にならざるを得ない。
騎兵についてはブリタニア軍の生命線である為、志願兵の中から選抜し、厳しい訓練で積極的にふるい落として精鋭を作り上げているが、歩兵や弓兵まではとてもそのレベルを求めることが出来ず、ローマ時代の兵士が数多く残っていた上に、戦場での経験を積み重ねベテランの域に達した兵士が数多くいたアルモリカ遠征の頃をピークとして、ブリタニア軍の練度はかなり落ちているというのが実情であった。
それでも敵は襲い来る。
「いいか、今日のこの戦いが正念場だ、根性見せやがれっ!!」
「とっとと並びやがれ!今更逃げてもアルトリウスの馬に追いつかれて後ろから頭をたたき割られるのがオチだぞ!戦え!戦うんだ!!それしか道は無い!!!」
ヘンギストが族長達を怒鳴りつけ、空腹で士気の低い戦士達の戦意をなんとか奮い立たせようと躍起になっていた。
気の早い臆病者達は既に逃げ始めていたが、近隣に網を張っていたブリタニアの偵察騎兵達に補足されて無残な屍をさらしている。
その屍を目にして再び怖気を震い、軍陣へ舞い戻ってきた戦士達も少なくない。
渋々ヘンギストの威迫に従い、族長達が自分の戦士達の元へと戻る。
「どいつもこいつも怖じ気付きやがって・・・ブリタニアの軟弱兵ごときに・・・」
サクソン軍はブリタニア騎兵の正面突破を防ぐべく、槍を持った戦士を前面に押し出し、その後方に長剣を装備した戦士達を配置する。
気を付けないといけないのは、アルトリウス自らが率いるブリタニアの重装騎兵。
剽悍なサクソン戦士も騎馬兵の雪崩のような突撃を受けてはひとたまりも無く蹴散らされてしまう。
これまでも戦場で対峙したブリタニア軍に度々騎馬兵による正面突撃をまともに受け止めてしまい、蹴散らされてしまう場面が少なくなかった。
歩兵同士の戦いであれば、何度もブリタニア軍を破っている。
最初の一撃で腰砕けになったブリタニア軍を幾度となく敗走させた経験があることから、ヘンギストは歩兵同士の戦いであればサクソンに有利であると判断していた。
ヘンギストが取った陣形は、歩兵同士の戦闘に持ち込む為、兎にも角にもブリタニアの騎兵戦術を封じ込める事に主眼を置いたものである。
「まあ、そんなものを気にしなくても良い圧倒的な数の差があるがな・・・」
この時点での兵力差は、サクソン戦士団95000対ブリタニア軍12000、およそ8対1の兵力差である。
ヘンギストに負ける要素は無いはずだった。
「それでも、用心に越したことは無い、ブリタニアのローマ人共の意気を削いでやろう。」
ヘンギストがあごをしゃくると、嬉しそうにホルサが後ろを振り向き、合図を出した。
がたた
引き出されたのは無残な姿で磔られたグナイウス。
かろうじて原形を留める胴鎧には幾つも縦長い菱形の穴が開き、ぽたりぽたりと力なくどす黒い血が垂れ落ちている。
片眼は焼き潰され、右腕は既に肘から先が切り落とされていた。
棍棒や拳で繰り返し殴りつけられ、腫れ上がったその顔に、かつての面影はほとんど残されていない。
紛う方無き拷問の痕跡。
その姿を目の当たりにし、息を呑むブリタニア兵達の恐怖と畏怖がヘンギストの元まで伝わり来る。
「どうだ!!!!同胞のこの変わり果てた姿に明日の我が身を見るが良い!!
畏怖せよ!
混乱せよ!
恐れ戦け!
蛮族たる者の真性を見よ!
我らサクソンに逆らう者には死より怖ろしいものが此の世にある事を我ら自身がこの手にて知らしめてくれよう!!」
明らかな動揺がブリタニア軍に広がる。
おおおおおおお!!!!
その様子を見て、サクソン戦士達の士気が上がり、サクソン戦士達はヘンギストの言葉に呼応するかのように鯨波を作り、ブリタニア軍を威圧した。
激しく動揺するブリタニアの兵士達。
ローマ時代の軍団兵であれば戦意を漲らせ、怒りで罵声を浴びせる場面であったが、いまや公募されたブリタニアの兵士達にその気概は無い。
家族を、ブリタニアを守り保つという意思はあるが、それだけで猛々しい戦意を引き出すことは出来ないのだ。
ほとんどの者達がサクソン人や蛮族によって何らかの心身財産に関わる被害を受け、ブリタニアの兵士となることを選んだ者達である。
人一倍強い意志を持ってはいるが、それ以前は、家族を殺められ、家財や土地を奪われて来た者達が大半で、ヘンギストの動物的な残酷さに昔を思い出し、瞬間的に恐れおののいた。
それまでサクソンに対する敵愾心で持っていた戦意は、萎え落ち、ブリタニアの兵士達の動揺が戦列の乱れに表われて激しく波打つ。
「うははは、やっぱりだ、ブリタニアは軟弱の集まりだ!見ろサクソンの勇敢な戦士達よ、羊はいくら集まろうとも羊である!!いかなアルトリウスと言えども、羊を率いていては我らに勝てまい!かつての大ローマは去れり、今こそこの地をサクソンのものとせよ!!!」
ヘンギストの鼓舞に、空腹でやる気の無かった戦士達の瞳に力が戻る。
ぐおおおおおおお!!!!
鯨波は獣じみた咆哮へと変わり、サクソン戦士達は一斉に武器を自分の盾に打ち付け、すさまじい音を立てた。
サクソン側の戦列の前から引き出されたグナイウスは、磔台ごとブリタニア側からよく見える位置にまで運ばれ、そこで放り出される。
アルトリウスはすぐさま騎兵小隊を出してグナイウスの回収を命じた。
磔台を運んでいたサクソン戦士達が立ち去る気配を察し、無事な片眼を薄く開く。
血と共に生命力が流れ出してしまっていたが、グナイウスは自分の切り落とされた右腕を見た。
そこには短刀が柄まで差し込まれている。
・・・まだ死ぬわけにはいかない・・・
・・・私には最後の使命が残されている・・・
正面奥に、騎乗で指揮を執るアルトリウスと、護衛騎兵達。
さらにその前には、グナイウスの変わり果てた姿を目の当たりにして激しく動揺するブリタニアの兵士達が居た。
間もなく騎兵が表われて、サクソン側の弓矢による妨害をかいくぐり、グナイウスを磔台から剥がして陣地へと戻った。
「・・・生きているか、グナイウス。」
アルトリウスは、陣に引き取られたグナイウスを見舞い、自らの手で無残に打ち付けられたその手足の大釘を剣柄で抜きながら話しかける。
「総司令官・・・申し訳ありませんでした、私の指揮拙く、砦は陥落、精兵200は全滅です。」
グナイウスが明後日の方向を見たまま、口だけで答える。
「・・・いや、何も言うな、よく頑張ってくれた。」
「おめおめこのような姿に成果てて帰ったのは心苦しい限りですが・・・サクソンの策略に乗りませんよう・・・これがホルサとヘンギストのやり口です。」
「・・・ああ、分かった。」
「心配いりません、サクソン軍は既に食料が酷く不足しており、下級戦士達の戦意は地に落ちております、今の気勢は一時のこと、戦線を維持し粘り強く戦えば、空腹の戦士達の勢いは自然と落ちてくるでしょう・・・」
大釘が引き抜かれるたびに身を震わせ、グナイウスは懸命にかすれた声でアルトリウスに忠告を与え続ける。
「分かった、グナイウス、もうしゃべるな、傷に障る。」
「・・・いえ、もう私は助かりません、血を失い過ぎています・・・ですから・・・これを・・・最後に・・・ぐうっ」
グナイウスは磔台に磔られていた時に出来た左手のひらの穴から血を滴らせながら、失われた右腕の傷口に刺さっていた短刀を抜き取り、震えながらもアルトリウスへと手渡す。
「これは・・・・!」
短刀の柄には仕込があり、その中に丸められた小さな羊皮紙が入っていた。
中身は意外とまともなラテン語で記された文章が綴られており、差出人はサクソン部族長の1人である、ラールシウスとその息子であるランスシウス。
内容は、サクソン王ヘンギストとその息子であるホルサの排除。
そしてそのあかつきにはヘンギストの支配する東ブリタニアの土地を折半すると言うものであった。
「サクソンの部族長の一人、ラールシウスからの書状です、サクソンが劣勢に陥れば寝返る準備があると言うことです・・・率いているのはサクソン戦士2万、左翼の中段に布陣している集団です。」
一瞬迷いの表情を見せるアルトリウス。
その気配を察知したグナイウスは、最後の力を使って首を起こすと、アルトリウスへその顔を向け、食いしばった歯の間から声を絞り出す。
「・・・過去の事情は分かっているつもりです、しかし、ここで勝ちを得られねば、全ては無駄となってしまいます・・・空腹とはいえ、我が軍の10倍もの戦士を率いているヘンギストにこのような小細工をする理由はありません・・・どうか・・・!」
「・・・・・」
グナイウスの言葉にしばし天を睨み、アルトリウスは沈黙する。
「・・・憎しみだけでは、何も得られません、どうか・・・!!」
がっ
今命尽きようとしている人間が出すとは思えないほどの強い力で、アルトリウスの握りしめた拳の上から血まみれの左手をかぶせるグナイウス。
捕まれた手に感じた力強さに驚き、思わずアルトリウスはグナイウスを見下ろす。
グナイウスの目にはただ、アルトリウスとアルトリウスが率いるブリタニアの先行きに対する憂いだけがあった。
「・・・分かった、提案を、受け入れよう。」
「・・・私たちの想う、ブリタニアを・・・お願いします。」
アルトリウスの言葉に頷き、静かにまぶたを閉じたグナイウスに、短い弔いの言葉をつぶやくと、肩のブローチを外し、指揮官の明かしたる深紅のマントをグナイウスの上へ静かに、厳かに被せる。
周囲に恐る恐る集まり、グナイウスとアルトリウスの遣り取りを観察していた指揮官や兵士達が息を呑んでその様子をひそひそと語り始めていた。
アルトリウスは、グナイウスの遺体を陣地内に仮埋葬するよう命じ、周りを見回しながらすくっと立ち上がった。
そして周囲に不安そうな面持ちで集まってきた兵士や指揮官達へ持ち場に戻るよう指示し、ブリタニア軍の全員に向けて語り始めた。
「恐れることは無いブリタニアの兵士よ、勇敢なローマの末裔達!これはサクソン人の恐れの表われ!サクソンは我がブリタニアを恐れ、諸君の勇と武を恐れ、自らの敗走を恐れたが故に、敢闘したグナイウスに、偉大な指揮官に敬意を払うことすらせず、自らを恐れ、彼の者を痛めつけることで心の不安を取り除かんと試みたのだ!これがサクソンの真の姿だ・・・勇敢なブリタニアの兵士達、恐れるな、命を惜しめ、未来を掴め、明日は諸君の勇気と敢闘の上にこそ訪れる!心を漲らせよ!そして勝利を我が物に!!!そして示せ、我らブリタニアこそ世界に冠たるローマの担い手であることを!!!!!」