第4章 属州会議
アンブロシウスがアルトリウスを伴って議場に到着すると、それまで親しい者同士で集まったり、臨席同士で雑談に興じていた議場の有力者達が、一斉に議場の入り口を振り向き、そして雑談を止めた。
アンブロシウスが議席と対面する行政長官席に着き、その脇に設けられた席にアルトリウスが着く。
静かになった議場に大きな音が響き渡った。
どん どん
議場の大理石を張った床を白く長い杖で2回鳴らし、
「ブリタニアの栄誉ある諸侯に申し上げる、只今よりブリタニアの属州における参事議会を開催する」
と重々しく宣言したのは、ロンデニィウムの都市参事議会議長のカイウス・ロングス。
もう70歳を超える老齢ではあるが、その戦陣で鍛えた声と名声は未だ衰え知らずで、20年以上の長きに渡り、参事議会議長を務めている。
ローマの軍団長も過去に努めた大人物は、紛糾するであろうこの会議の進行役にはうってつけと言える。
アルトリウスとアンブロシウスを挟んだ反対側に席を設けているカイウス議長は、その大きな目で会議場をじろりと見回すと、口上を続けた。
「なお、この議会の結果如何は、ブリタニアの将来を決定付けるものと心得、自らの責任において、意義ある発議をすることを自らに誓い、仮に咳払い1つと言えども議事録に記載することとする、活発な議論を望む」
カイウス議長が着席するのを見計らい、アンブロシウスがまず席を立つ。
「ブリタニアの諸侯に、ブリタニア総督代行として発議する」
議場の有力者達は、アンブロシウスの一挙一投足に注視している。
「今後本会議をブリタニア元老院と称し、今参加の諸侯をもってブリタニア元老院議員とすること、並びに1年に1回定例会を開くこと」
静に、そして淡々と述べ上げたアンブロシウスは、カイウス議長を振り返った。
カイウス議長はその視線に頷くと、手にした杖を一回鳴らした。
「今の発議に反対の者は向かって左へ、賛成の者は向かって右へ進まれよ」
議場の有力者達は拍子抜けしたように互いの顔を見合わせ、戸惑いながらも全員が右側へ進んだ。
てっきりアンブロシウスが重大な発議をしてくるとばかり考え、身構えていた諸侯は肩透かしを喰った格好になり、場の緊張が少し緩んだ。
全員が議場の右側へ移ったことを確認し、カイウス議長は今度、2回杖を鳴らした。
「只今の発議は全員一致で可決された、今後本議会はブリタニア元老院と称し、定例会を年一回設けることとなった」
アンブロシウスは立て続けに
ローマ帝国への援助要請
軍務における諸侯の軍役負担
街道の整備に関する取り決め
ブリタニア域外との交易に関する取り決め
海岸線要塞の修築と警備兵の増強
北方国境線の辺境兵の増強
等を発議し、これらはほとんど議論無く可決されていった。
そして、
「以上がブリタニア総督代行からの議題である、後は議員諸君の建設的な発議を望む」
と締めくくり、さっさと自席に着席してしまった。
アンブロシウスが発議したもので、諸侯の軍役負担に関するものだけが、諸侯の利に反するものであったが、大陸出征ですっぽり抜け落ちた軍事力不足については、諸侯も反ローマ勢力の略奪侵攻で財産を失い、肌身を持って理解していた事から、割とあっさり可決された。
交易に関する取り決めは、今後アンブロシウスが一括して交易を取り仕切ることを決めたものであるが、これも領地で暮らす諸侯にとってはあまり関りの無いことで、無関心のまま可決された。
街道の整備に関する取り決めも、今まで諸侯がいわゆるサボタージュをしていたものを、旧来に復するもので、何ら目新しいものではなく、ただ今後は整備を怠ったものは所定の迷惑料を銀で支払うことを新たに決めた。
また、沿岸警備兵と辺境兵の増強についても同様で、これはアンブロシウスが今までの諸侯の負担を肩代わりするものであったため、むしろ歓迎された。
そうした、いわゆる当たり障りの無い発議に終始したアンブロシウスを、始終懐疑的な目で見続けていた諸侯達も、ついにアンブロシウスが自席へ着くに至り、どよめきにも似た声を上げ始める。
それまで、緊張が緩みつつも、いつ根源的な発議をするかと一応身構え続けていた諸侯達も、あっけに取られるもの、怒りをにじませるもの、安堵の表情を浮かべるものと様々で、それまで静粛だった議場は諸侯達の私語や感嘆の言で騒がしくなった。
どどん
カイウス議長の杖が議場の床を苛立たしげに打ち鳴らす。
「議員諸君!ここは市井の道端、路傍ではない、意義ある発言をせよ!!私語はみとめておらぬ」
ようやく、落ち着きを取り戻し始めた議場を眺め回し、カイウス議長は言葉を続ける。
「発議ある者は?」
その言葉にも諸侯は居心地悪そうに、自席で身じろぎする者ばかりで、なかなか発議を出そうとするものは現れなかった。
しばらくその様子を眺めていたカイウス議長はやがてあきらめたかのように、首をわずかに左右へ振ると、閉会を告げるため、杖を持ち上げた。
「議長!」
と、突然怒声が掛かった。
「・・・発議かね?タウルス議員」
カイウス議長が杖から目を上げると、怒りに顔を赤黒く染めたタウルス行政長官が、立ち上がっていた。
「私はアンブロシウス総督代行の解任と、ローマ軍を無為に出征させブリタニアを危機に陥れた罪で弾劾することを発議する、併せてこのようなくだらない会議を設けて諸侯の貴重な時間を無駄にした罪も問う!!」
「・・・・では、演説の時間を与える、この3件の発議に関する所見を述べよ」
カイウス議長が落ち着いた声でそう告げたのと対照的に、タウルス行政長官は鼻息も荒々しく語りだした。
「そもそも、この事態を招いたのが一体誰であるかという事を、まず明らかにしておかねばいかん、そこの総督席で総督代行だと称しておる、アンブロシウス行・政・長・官がブリタニア総督や第6軍団長を始めとする、今回の出征に関わった諸官と親密な関係を持っておったのは周知の事実である」
タウルスは一旦言葉を切って議場の反応を探った。
誰も野次を飛ばす様子も無く、私語も無く、タウルスの言葉を静聴している雰囲気があった。
タウルスは、その様子に安心し、言葉を続ける。
「第一、皇帝と称しておるコンスタンティウスとアンブロシウス行政長官は特に親密な間柄であり、アンブロシウス行政長官は積極的に出征の準備に手を貸しておる」
タウルスは、アンブロシウスさえ全く反応を示さないことについて訝しく思いつつも、言葉をさらに繋いだ。
「そもそも、この事態に陥ることを阻止できる立場であり、阻止しなければいかんブリタニア総督府であるロンデニィウム都市行政長官でありながら、この事態を静観し、なんらローマ軍の出征阻止に動かず、働きかけもせず、また恐れ多くも皇帝を名乗らせてブリタニアから軍を送り出し、その結果蛮族どもに乗ぜられて略奪侵攻を許し、ブリタニアを危機へ落とし込めた罪は重いと言わざるをえん!」
言いたいことを言い切った満足感で顔を高潮させたタウルスは、しかしその後息をも凍りつかせた。
凄まじいばかりの怒気で、アルトリウスが会場の雰囲気を飲み込んでいたのだ。
歴戦の勇士であるカイウス議長でさえ、思わず息を飲むほどの覇気に、議場の有力者達は顔を青褪めさせた。
タウルスはかろうじて威厳を保ち
「い、以上の理由から、は、発議を行う」
とだけ言って、自席にへたり込む様に着いた。
議場の全員がアルトリウスの覇気に当てられている中、アンブロシウスだけは涼しい顔で、議長に発言を求めた。
「・・・さて、皆さん、今回私がブリタニア元老院を召集したのは、今後どの様にしてブリタニアを運営していくかということについてでしたが、残念ながらその主旨を理解しておられない方もいるようです」
そう言うとアンブロシウスは、タウルスら5人の都市行政長官が座る席に視線を移した。
「それはそれで仕方の無い事として、今のタウルス議員の発議に対して、反論させて頂きます。」
視線はそのままに、アンブロシウスは静かに語り始めた。
「結果としてローマ軍の出征を阻止出来なかった事については、全く私の力不足に拠る所です。私は出征に反対したという事でロンデニィウムで逮捕されていました、ですが・・・タウルス議員、あなたは賛成の表明をしてそれを逃れたそうですね?」
「なっ・・・・」
「しかも、賛成表明の見返りに、出征する行政官や軍将校の財産を譲り受けられたとか・・・?」
「な、な、何をっ・・・っっ・・・」
先ほどまでの威勢は何処へやら、タウルスは顔を真っ青にし、反駁の言葉を紡ごうとするが、アルトリウスの鋭い視線に射すくめられ、口をパクパクとさせてそれだけをようやく言葉にした。
「・・・議員タウルス、言い逃れは結構だ、出征に反対した骨のある者は、皆軍に逮捕されるか軟禁状態に置かれていた、これは周知の事実だ、逆に武力に屈し、馴れ合ったものは利を得たようですな!」
3分の1近い有力者達が、わが意を得たりという顔をしている。
ローマ軍の出征直前、逮捕されていた有力者達は解放されていたため、実質2~3日の監禁であった事から、この事実は監禁された諸侯やその周辺の者だけにしか伝わらなかった。
アンブロシウスは慎重にその有力者達に渡りをつけ、会議に呼べる有力者の内、約3分の1が軍に逆らい監禁されていた事実をつかんで、ブリタニア元老院の召集に踏み切ったのであった。
もちろん、ローマ軍の出征に迎合した有力者の内でも、利を得られず、単純に武力によって恫喝された者や、渋々同意した者にも抜かりなく声を掛け、また日和見的な諸侯らにも利を持って誘いを掛けている。
そして、会議の席にアルトリウスを同席させた。
アンブロシウスはこの直情傾向のある従弟に、大いに期待していた。
予想以上の効き目で、アンブロシウスも少し慌ててしまったが、タウルスらの小心振りを印象付けるのにこれ以上ないくらいの役目を果たした。
後は、もう止めを刺すだけである。
アンブロシウスは、抑揚の無い声で淡々と言葉を発した。
「タウルス議員、自らの利のみ追い求め、ブリタニアを危機に貶めたのはどちらであるか、明白にいたしましょう、私はタウルス議員及び5大都市の行政長官から公職剥奪することを発議致します」
タウルスら5人が座っていた席を空席にしたまま、会議は新たな段階に入った。
最大の政敵を追放することに成功したアンブロシウスは、その後は求められた時のみの発言に終始し、後は議員の議論に会議の推移を委ねた。
タウルスらが去った後で発言権を取ったのは、土着の豪族達であった。
その中でも、北方に広大な所領を有するボルティゲルンが係累の賛成を得て、アンブロシウスの意を酌んだ、発議をしていった。
「アンブロシウス殿を、総督代行などではなく正式な総督にしようではないか」
ボルティゲルンがその肥大した体格に似合わない、甲高い声で高らかにそう宣言する。
「・・いえ、その発議は無用に御願いします」
アンブロシウスがボルティゲルンの言葉を遮った。
ボルティゲルンが怪訝そうにアンブロシウスを見た。
「・・・しかし、今やブリタニアは糸の切れた凧ですぞ、せめて凧糸たる総督だけでも決めておかねば・・・」
ボルティゲルンがそう言うと、アンブロシウスは頭を左右にゆっくりと振った。
「ローマが復した場合、それでは皇帝権限を侵したと、全員が処罰を受けかねません、未だローマ無くしてブリタニアは立ち行きません、それよりも、ブリタニア軍司令官を選出するほうが先です」
ボルティゲルンが眉をひそめる。
「・・・それこそ越権行為では無いですかな?軍司令官を選出するなどとは」
「いえいえ、違います、ローマ軍はもうブリタニアには居ないのです、ですからブリタニア軍という補助軍を作るのです」
補助軍とは、別名同盟軍とも呼ばれ、ローマの正規軍に随伴する形で構成される軍のことである。
騎兵、弓兵、槍兵等兵種も様々であるが、あくまでローマ軍の補助として存在するため、辺境兵等の特殊な部隊を除き、正規軍が居ない所にはいないものである。
しかし、ブリタニアからは正規軍と呼べるローマ軍は全て大陸出征で出払ってしまたため、新たに補助軍のみの『ブリタニア軍』を作ろうというのが、アンブロシウスの発案であった。
その司令官は、現地で任命されることが大半で、蛮族の傭兵部隊等と同じように雇われた時点で、編成された時点で軍団長が隊長を任命したりする。
その為、ローマが復したとしても、越権行為には問われることは無い。
もちろん、補助軍というのは建前で、正規軍がいない以上、その役目は正面戦力としてブリタニアへの侵攻勢力を叩くことにあるのは言うまでもない。
「ふむ、そう言うことですか・・・で、アンブロシウス殿にはブリタニア軍司令官の人事に腹案でも?」
ボルティゲルンが、顎をしごきながらそう尋ねると、アンブロシウスは晴れやかな笑みを浮かべた。
「ここに着席している、私の従弟のアルトリウスを推挙いたします」
「アルトリウス?」
ボルティゲルンだけでなく、議場の議員達全員がどよめきだした。
「・・・寡兵で北方の蛮族を次々に撃破したというのは・・・」
「・・・蛮族から相当恐れられているとか・・・」
「・・・まさかあんなに若いとは・・・」
「・・・アンブロシウス殿の身内であったか・・・」
北方の蛮族を度々撃破しているローマ人将校の名は諸侯達も耳にしていたものの、その素性や人物を知っているものは一人も居なかったのであるから当然である。
変わり者のローマ人が、ブリタニアに居残って何を物好きな、というのが最初の頃の諸侯達の感想だったが、2か月に渡りわずか500程度の兵を自在に操り、侵攻して来た蛮族や海賊を次々に撃破し続けるアルトリウス隊の勇名は、一気にブリタニア中に広まった。
もちろん、撃破されっぱなしの蛮族は言うに及ばずで、アルトリウスは蛮族たちから
「ローマ人の戦の王」
なる二つ名まで奉られて恐れられ、忌み嫌われてしまっている。
しかし、北方の最前線を駆け回るアルトリウスの正体は判然とせず、当然カストゥス家のアルトリウスであることは誰も知らなかったのである。
「何と!アルトリウス・カストゥス騎兵隊長!!てっきり大陸出征に参加してしまったものとばかり思っていましたぞ!!!」
ボルティゲルンが満面の笑みで両手を広げ、静かに自席から立ち上がったアルトリウスに向き直った。
「『戦の王』が我らブリタニア軍の司令官に就かれると言うのであれば、反対する者は居りますまい!これでブリタニアは救われる!!」
両手を広げたままボルティゲルンが議場を見回すと、ざわついていた議員達が皆次々に立ち上がる。
そして何処からか、ぱらぱらと沸き起こった拍手はすぐに議場が割れんばかりの満場の拍手となった。
わああああぁぁぁぁ
さらに大歓声が加わり、全く誰にも聞こえないにも拘らず、カイウス議長がその白い杖で床をがんがん鳴らしながら呼ばわった。
「只今の発議は満場一致で可決されたっ!!!ルキウス・アルトリウス・カストゥスをブリタニア軍総司令官に任命する!!!!」
うわぁぁぁああああ
弾みの付いた会場の拍手と喚声は、今までの鬱々とした議場と、ブリタニアの暗い未来を吹き飛ばさんかのように何時までも続いた。