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第39章 アルトリウス最後の決戦 前篇

騎兵の一団が丘の上目がけてゆるく駆け上がり、止まった。

 その雰囲気は全体的にのんびりとしており、物々しく鎧兜を纏った重装騎兵の姿には似つかわしくない。

 うっすらと立つ土煙と馬の嘶きが収まるのを待ち、先頭に立っていた男が兜を取った。

「あれからもう二十年か・・・月日のたつのは早いものだな」

 ちらほらと白髪が混じり始めた自分の髪を撫で付けながら、兜を取った男、アルトリウスがつぶやく。

その眼下に広がるのは・・・獰猛な10万のサクソン人戦士たち。

思い思いの装備に身を固め、ガチャガチャと装具や武具の音を鳴らし、丘の麓に暴力の塊が集っている。

アルトリウスはしばらくその光景を眺めた後、兜を被りその緒をぎゅっときつく絞めた。

その時に落ちた視線を再び前に戻すと、目に入るサクソンの戦士達が、緩やかに広がる丘陵地帯を夥しいぼろきれが覆い尽くし、蠢いているようであり、アルトリウスはブリタニアの戦場や戦災に巻き込まれたブリタニアの町村で幾度と無く目にした、屍骸にたかる蛆虫の姿を思い浮かべ、口の端に張り付くような笑いを浮かべた。

「蛆虫・・か・・・」

 アルトリウスは、ブリタニアの大地に蠢く蛆虫・・例えられた蛆虫は、そこまで自分たちは貪欲ではないと抗議するかもしれないが、サクソン人の大軍を前にそうこぼした。

「・・・総司令官、いよいよですね・・・」

 心なしか青ざめた表情の副官クイントゥスが後ろから声を掛けてくる。

「ああ、ここまで見事に釣り出されてくれるとは、正直思わなかった、従兄さんと先生の策の冴えは恐ろしいばかりだな。」

 アルトリウスは眼前の雲霞のような大軍に動じた様子を見せず、笑みを浮かべて答えた。

「こちらの準備も整いつつある、何も心配は要らない。」

 アルトリウスが斜め後方に目を移すと、サクソン戦士の大群には見劣りするものの、整然と列を成し、ローマ風に統一された鎧兜に盾を持ったブリタニア軍1万2千が規則正しい足音と共に現われる。

 その軍から騎馬兵が3騎、分かれてアルトリウスの方へとやってくる。

「総司令官、重兵器の準備は万端!」

 また、重兵器の移動を手伝っていたのだろう。

汗だくのパウルス重兵器総監が馬上からそう声を掛けてきた。

「歩兵隊もごらんの通りですぜ。」

 ティトウスが不敵な笑みを浮かべ、馬から降りながら報告する。

「弓兵、弩兵共に配置完了いたしました。」

 パウルス弩兵総監は幾分硬い表情で馬から降りながら報告した。

「・・・騎兵は・・・報告するまでもありませんな・・・」

トゥルピリウスがアルトリウスの後ろでぼそりとつぶやく。

「ああ、大丈夫だ、漲る闘志が伝わってきているよ。」

 アルトリウスはそう答えながら振り返り、配下の将官達の顔を見つめると、全員から頼もしげな笑顔がアルトリウスに返ってきた。

誰もこの絶望的な兵力差に怯んでいない。

「栄光と未来はすぐそこにある、サクソンという壁の向こう、すぐそこに・・・」

「はい。」

「今ここに至る、これからの戦いで無駄な事は何一つ無い、回り道に見える事も全て必要な事だったのだ、為すべき事を為そう、尽くすべき努力を尽くそう、力の続く限り戦おう。」

「応!」

「行くぞ!ブリタニアの兵士達!!進め!生ある限り!!今こそ暴虐と混沌を打ち砕き、平和と文化の真の守り手となれ!!我等今こそ世に示さん!ブリタニアにローマの灯が未だ残る事を!」


『・・・ほほう、アルトリウスが北へ向かうと・・・』

 ざらりと顎鬚を撫でながら、サクソン王ヘンギストは口をゆがめる。

『我が父よ!好機ではありませんかっ!アルトリウスは少数の騎兵のみ、我等サクソンの屈強なる戦士で囲み、包み、押し詰めれば討ち取れましょう!!私にやらせてくださいっ、いつぞやの不名誉な敗北者の汚名を濯いで見せます!!』

 ホルサがすぐに反応し、ヘンギストに自分を使うよう進言する。

『・・・若の意見に賛成ですな、アルトリウスさえいなければ、惰弱なこやつらブリタニアのローマの民など、物の数ではありません。』

 戦士長の一人が入り口近くにたたずむ影を侮蔑的に見やりながら意見した。

『ふむ、良いですな、間諜たちからも似た情報が入っております、海港には船舶が集結し、続々とブリタニアの兵どもが乗り込んでいるようです。』

『・・・アルトリウスが騎兵を率いて北方に向かった事も分かっております、撃破は容易いかと・・・』

 配下の戦士長たちも口々にそう言い募り、ヘンギストの決断を促そうとする。

 しかし、口々に意見を述べる戦士長達の意見を一通り聞き終えても、ヘンギストは顎鬚を撫で付けるばかりで決断を下さない。

「・・・如何為されたサクソン王?我等は嘘は言っていない、確かに北の地でアルトリウスは決戦を用意している。」

 下座に用意された簡素な椅子に腰掛け、居心地悪そうなノニウスは先程の情報を再度ヘンギストに披瀝する。

「補給物資は確かに北に向かって進発している、我等が敵のアルトリウスはサクソン軍を北におびき寄せて決戦を挑もうとしているのだ、我等が敵アルトリウスは少ない騎兵を率いて北上中だ、今ならサクソン戦士団の全力を持ってすればこれを撃破出来よう、即刻・・・」

「・・・我等サクソン戦士の全力であたらねば、ならヌと言うのか?たカがアルトリウス1人ではないカ・・・第一、何故貴様ごときガ我等の方針に口を挟ムのダ?黙ってイロ。」

 顎から手を離したヘンギストに眼光鋭く睨み据えられた上に一喝され、ノニウスはぎくりと身を強張らせて黙り込む。

『・・・親父、どうするのだ?何か考えがあるのか?』

その様子に、何かを感じたホルサがヘンギストに尋ねる。

『ぐふふ・・・そうよ、アルトリウスが全軍を率いて我等の最初の目的地である北に向かったというなら・・・今奴らブリタニアの領土はがら空きであろう?』

『!!・・・なるほど、今なら邪魔なアルトリウスと奴の軍が居ないこの島の西部はがら空き・・・』

 ヘンギストの言葉に即座に理解を示すホルサ。

『そうか・・・!』

『切り取りの好機ですな!』

『略奪も思うがままですぞ!!』 

 戦士長たちも俄然やる気を出し始めた。

「・・・なんだ・・・何を言っているのだ・・・」

 ざわつき始める軍議場に不安を覚えたノニウスは、そう言って椅子から腰を浮かせる。

 それを見たヘンギストの目が光った。

 即座に下座の一番ノニウスに近い二人の戦士長が立ち上がり、有無を言わさずノニウスを両脇からがっちりと捕まえた。

「な、なんだ!?・・・どうなっているのだ、サクソン王!」

 異変を感じたノニウスの問いかけには答えず、ゆっくりと自席から立ち上がり、ヘンギストは身動きの取れないノニウスに近付く。

   じゃあああああ・・・・

 異音を発しながら、ヘンギストの分厚いサクソンソードが鞘から抜かれる。

「ひっ!!?」

 恐怖に身を凍らせたノニウスの顔を見たヘンギストは、にたあっと笑みを浮かべると、ノニウスに語りかける。

「つまりハ・・・だ、アルトリウスの居なイ内にブリタニアをそっくり頂戴しようという事ダ・・・今ならアルトリウスハ不在・・・ブリタニア西部の都市や城砦も簡単に陥落させられル・・・貴様らごと焼き滅ぼしてしまえば、アルトリウスは行き場を失うだロ?」

「!?な、何っ?は、話が違うっ我等の領域には手を出さない約束だったではないか!」

 ヘンギストの言葉の衝撃に、先程まで縮こまっていたノニウスが、必死に身をよじって抵抗する。

 アルトリウスだけを排除する為に流した情報が仇となって自らに降りかかろうとしている。

 ヘンギストはアルトリウスが不在であることを知り、その間にブリタニアへ乱入しようとしていることをノニウスは理解したのである。

 これでは本末転倒である。

アルトリウスやアンブロシウスらローマ派の高官が勢力を減じるどころか、ブリタニアの存在そのものが危機に瀕する状況となってしまった。

それどころか、サクソン戦士の手で真っ先に滅ぼされるのは、居残りを決めた諸侯やマニウスを旗頭とする勢力の面々である。


「うおっ!!」

 最後の力を振り絞って抵抗するノニウスの胸元に、ヘンギストはサクソンソードを叩き付けた。

   ガつっ

   かはっ

   バシャバシャっ・・・

 正面から分厚い剣を叩き付けられ、ノニウスは即座に事切れ、その血が噴水のように吹き出して床に落ち、みるみるうちに床へと広がる。

   どさり

 両脇でノニウスを押さえつけていた戦士長たちがその体を床に放り出した。

 びくびくと身体を震わせ、ノニウスの身体から血液と共に生命が抜けて行く。

「西ブリタニアにサクソン戦士10万の靴跡を残してやろウ、アルトリウスが気付いテ戻った時に、あいつの物ハ何一つ残ってはいなイ・・・見逃してやっタ恩を仇で返した、あいつの屋敷や家族は特ニ念入りに、痛めつけてやル・・・あいつに残されるのは焼け跡と死体だけダ・・・」

   ばがっ!

 血でぬめったままの剣を手に、ヘンギストはいやらしく笑うと、事切れたノニウスの頭にもう一度剣を叩き付けた。


「くっ!これは、予想以上の喰いつきであるな、まさか全軍で南部ブリタニアへ侵攻しようとは。」

 その様子を外で窺っていたアトラティヌスは、すぐさま踵を返す。

 ノニウスの後にサクソン軍の駐屯地に着いたアトラティヌスは、主人に遅れてやって来た間抜けな従者のふりをして、まんまとサクソン王ヘンギストの天幕付近でたむろする事に成功した。

 内部の状況をうかがい、目的がわかった所でその場を離れようとしたが、様子が怪しくなったことから、少し無理をして中の様子を窺い続けていたのである。

 ノニウスがどうやら殺されてしまった事に気付き、素早く天幕を離れたアトラティヌスは、サクソン戦士たちの死角を縫うようにして外へ外へと向かう。

「あの武官には不幸であったが、これでは殺されても仕方ない、ヘンギストからすれば、生きて戻せば南部ブリタニへの侵攻がばれるのであるからな。」

 アトラティヌスはそう一人つぶやくと、サクソン軍の駐屯地を駆け抜ける。

「我が主殿よ、密が甘すぎたようであるぞ。」


ブリタニア艦隊の全戦艦と、輸送船を動員し、ブリタニア軍歩兵と重兵器部隊を乗船させた後、港湾都市イスカ・ドゥムノニウムを出港したコルウスはコーンウォール半島に沿って一路進路を西北に取った。

しばらく進行したところで、コルウスは突如配下の艦隊に進路の変更を伝達させる。

「よし、もう良いだろう、旗信号兵!全艦艇に進路変更を伝達せよ!進路は東方、回頭方向は南方のガリア側!旗艦が回頭次第あとに続け!!」

     っざざあああああああ

 しばらくして全艦隊に信号が行き渡ったことを確認し、コルウスは自分が座乗する旗艦に進路変更を命じた。

 白波を蹴立てて、ブリタニア艦隊が南側に頭を振り、転回を始める。

「提督、なかなかの腕前じゃあねえかい?」

 歩兵司令官のティトゥスが甲板に上がってくると、その上に立つコルウスに声を掛けると、コルウスは艦隊の様子から目を離さずに応じる。

「はは、今までの訓練の賜物です、はるか遠くはアレキサンドリアまでの航海は伊達ではありません、色々ありましたが、今ローマ中を探してもこれだけの錬度を持った戦艦隊はいませんよ。」

 後方に続く戦艦や輸送船が次々と旗艦に続いて隊形を乱さずに展開し始める光景を遠望し、ティトゥスが感嘆の声をあげると、コルウスは白い歯を見せて言った。

「小数とは言えども、我等は精鋭の名に恥じない誇りと闘志、錬度を持ち得るに至りました、後はこの戦いに全てを賭けるのみです。」

「違いねえ、これが最後と思ってやらなきゃな!」


アルトリウスは騎兵5000を率いてゆっくりカストゥルムから北上し始めていたが、しばらくすると歩みを止めさせた。

「小休止!」

 副官のクィントスが号令を掛け、トゥルピリウスがそれを復唱し、騎兵たちはしばしの間、馬から降りて休憩を取り始めた。

「総司令官、騎兵が一騎、南から向かってきます。」


 見張りに就いていた騎兵が、アルトリウスに注進する。

 その声にアルトリウスはクイントゥスやトゥルピリウスと共に南の方角を見ると、確かに一騎の騎兵が駆けて来る様子が見て取れた。

 乗っている者の装束はローマ風であるが、馬はサクソン人のモノらしく、装具はゲルマン人がよく使う無骨な造りである。

 しばらく何者か判断の付きかねたアルトリウスが見ていると、被っていたフードが取れ明るい色の髪が露わになった。

「サクソン人だ!!」

 騎兵の一人が叫び、すぐさま弓を装備した騎兵達が矢を番えて弦を引き絞る。

「撃ち方待て!」

 すかさずアルトリウスが号令し、すんでの所で弓騎兵達は構えていた矢を下ろす。

「・・・アトラティヌス、無事だったか。」

 近付いてきた騎兵、アトラティヌスを迎えたアルトリウスがそう声を掛けると、アトラティヌスは疲れを隠し切れない顔ではあったものの、にたりといつものように人を喰った笑みを浮かべた。

「作戦は大成功だ主殿、サクソン人の戦士10万が蛮王ヘンギストに率いられ、間もなく西ブリタニアへの中継点であるこの地を埋め尽くすであろうよ。」

 アトラティヌスの言葉に、どよめく騎兵達。

「・・・ノニウスは・・・どうした。」

 しかし、アルトリウスは冷静にアトラティヌスに尋ねる。

「我一人で戻ってきたのだ、答えるまでも無かろうと思うが。」

 静かなアトラティヌス答えに、アルトリウスはため息をついた。

「そうか、ノニウスはやられてしまったか・・・良い武官だったが、道を違えてしまったようだ・・・」

「それを我が主殿が後悔する事は無かろうと思うが?大きな流れの中で逆らう渦も時には生まれる、その渦が小さく、沫となって消えてしまっただけのこと、流れが変わっていれば、その沫と消えたのは我が主殿、貴官かもしれなかったのだ。」

アトラティヌスは、そこで一旦言葉を切った。

そして少しためらった後に、更に間を置いて言葉を継ぐ。

「我が弟も、かつては流れの中心にいたはずだった、しかし、何時しか大きく主流だったはずの流れは取り残され、小さな渦となっていたのだ・・・そして、沫と消えた・・・時代の流れは大きく、強く、そして気紛れだぞ我が主殿、その流れを見誤らず、呑まれず、上手く渡る事は難しい。」

 何処か遠くを見るような目をして語るアトラティヌスに、アルトリウスは穏やかに反論する。

「しかし、ただその時代に流されるだけでは、私の存在意義が無い、例え我等が滅び行く流れにあろうとも、私は最後までその流れに抗おう。」

「・・・流れであるよ、我が主殿、流れを見誤らぬ事だ、最後は滅ぶ流れであっても、その流れを少し変え、違う方向へ導く事くらいは、上手くすれば、出来よう・・・しかし、流れを真逆にする事は出来ぬ。」

「・・・・・」

 アルトリウスの引き結んだ口元を見て取り、無言の抗議を感じたアトラティヌスは、出来の悪い生徒に教えるような口調でアルトリウスを諭し、風で取れたフードを被りなおす。

「・・・まあそれでも良い、我はそんな主殿に興味を持ったのだ、最後まで付き合う故にな。」

 悟ったような口調で最後にそう言うと、アトラティヌスは馬首を返した。

「・・・よく知らせてくれたアトラティヌス、後はゆっくり休んでくれ。」

アルトリウスのさばけた礼の言葉に、アトラティヌスは振り向き、フードから覗いた口角で笑みを形作ると、そのまま立ち去った。


 アトラティヌスが立ち去ると、アルトリウスはすぐさま副官のクイントゥスを呼ぶ。

「サクソン軍が偽情報に引っかかったという事を、カストゥルムの従兄とマヨリアヌス先生に知らせてくれ、それから、南岸にいる歩兵隊と重兵器隊への伝令も頼む。」

「了解しました、すぐ早馬を飛ばします。」

 アルトリウスの命令に、素早く応じるクイントゥスは、近くにいた騎兵の中から4騎を選び出し、素早く口頭で伝言を託し、カストゥルムと南岸に向かってそれぞれ2騎ずつを進発させると、アルトリウスに問いかけた。

「グラティアヌス卿、アルマリック卿に対する伝令は如何致しましょうか?」

「ああ、頼む、2人とも心構えが必要だろうからな。」

 アルトリウスの答えに、クイントゥスは頷くと、更に4騎の騎兵を選んで伝令を出す。

 しばらく、放った伝令の背中を目で追っていたクイントゥスは、同じ方向を見ていたアルトリウスに話しかけた。

「後は、歩兵と重兵器隊が所定の位置に到着するのに併せて、我々が戦場に向かうだけですね。」

「・・・そうだな、いよいよ、戦いが始まる・・・」

 アルトリウスは小さくなってゆく騎兵たちの後姿から目を離さず、クイントゥスの言葉に頷きながら応じた。


「おらあ!ぐずぐずしてんじゃねえぞうっ!!そこ!!もっとロバを叩け!綱を弛るませっと、ひっくり返っちまうぞ!!」

 ティトゥスの怒声が砂浜の上で悪戦苦闘しながら重兵器を引っ張る歩兵達に向かって響く。

 アルトリウスがアトラティヌスからサクソン軍の動静についての報告を受け取ったと同じ時、先発していたコルウス率いるブリタニア艦隊は、決戦予定地の南岸にある砂浜に到着した。

 重兵器を荷揚げすべく、すぐさま簡易桟橋が用意され、組み立て式のクレーンの準備が為されるが、船の上での、重くそして繊細な機構を持つ重兵器を取り扱う事に苦労し、荷揚げは思うように進んでいない。

 遅滞に苛立ちを隠せない歩兵司令官のティトゥスは、整列と編成が終了し、進軍準備の整った歩兵をそれぞれの船舶に補助として付け、重兵器の荷揚げを手助けするように手配をした。

 しかし、重兵器を専門に取り扱う重兵器兵達でさえ、砂浜と揺れる船舶の上での作業に苦戦している状態で、そもそも重兵器の取り扱いに不慣れな歩兵が役に立つ訳も無く、ティトゥスの苛立ちを一層書き立てる結果にしかならなかった。

「お気遣い痛み入る、それでは歩兵隊に砂浜からの移動に尽力して戴きましょう。」

 ついには下位に当たる重兵器総監のパウルスから、依頼の形で助力を断られ、ティトゥスは荷揚げに歩兵達を使う事を諦めた。

 変わって陸揚げされた重兵器を沈む砂浜を横断して崖の上まで運び上げる作業が歩兵隊に割り振られる。

 しかし、それも重量のある重兵器の車輪が砂に埋まり、思うに任せない。

 すると、一団の歩兵達が恐る恐るティトゥスに近付いてきた。

「・・・何か用か?」

 基地での『猛烈な』と評すべき地獄のシゴキに、歩兵達から鬼将軍と呼ばれ、怖れられている歩兵司令官のティトゥス。

 仏頂面で問いかけるティトゥスに、歩兵達は一瞬怯むが、1人の若い歩兵が仲間たちに背を押されて更に進み出ると、怖いのを我慢しているのが丸分かりの表情で言葉を発した。

「すみません、ちょっとした思いつきなのですが・・・」

「・・・試しに言ってみろ、オレも聞く耳ぐらいある。」

 腕を組んだティトゥスはそう言うと、遅々として進まない重兵器の揚陸作業の方に視線を戻した。

釣られてその方向を見た若い歩兵は、重兵器の移動に難渋を極め、汗だくの砂まみれになって重兵器を押している同僚たちの姿を目にし、意を決して口を開いた。

「今のままでは、予定の時間に間に合いません。」

「・・・分かってらあ!」

 若い歩兵の言葉に苛立ちを隠そうともしないでティトウスが吠える。

 気持ちが萎えかかった若い歩兵だったが、もう一度同僚達の姿を目に写し、再度気持ちを奮い立たせて、意見を上申すべく声を張り上げる。

「そ、それで思いついたのですがっ!簡易桟橋を取り外して、砂浜の上に敷設しては如何でしょうか?」

 緊張の余り、その声はどもり、上ずってはいたが、意見はティトゥスに届いた。

「・・・むう・・・なるほど・・・」

「はい、桟橋の杭を横に並べ、その上に横板を並べるのです、重兵器の車輪の幅は統一されていますから、そうすれば堅い板の上を転がせますので、移動が容易になりますっ!」

 一気に態度が軟化したティトゥスに気付かないまま、若い歩兵は一息に意見を言い切ってしまう。

「・・・その上、杭を転用した横木を下に引けば、板自体が砂に埋まる事も無いって訳だな・・・でかした!すぐに揚陸作業の終わった簡易桟橋を取り外せ!」

 若い歩兵の言わんとした所を即座に理解したティトゥスは、これまたすぐに伝令を走らせた。


 グナイウスは、簡素な砦の塔の上から到着の遅れている歩兵隊と重兵器隊からの伝令を見て、安堵のため息を漏らす。

 そのまま、塔から下りたグナイウスは、砦の門へと足早に向かった。

 グナイウスが砦の門へ到着すると、

 伝令はグナイウスの元に到着すると、歩兵隊と重兵器隊が遅れた理由とその到着予想時間を告げた。

「・・・指揮官だけが戦場に到着して、兵士がいないなど、笑い話以外の何物でもないからな、まずは予定よりは大分遅れてはしまったが、到着が確認できてよかった。」

 予定より半日以上遅れての到着であったが、グナイウスは特段気にした様子も無く、淡々とそう言い、伝令に対し、歩兵隊は無理に急がず、落伍者を出さない確実な到着をするよう返事を出す。

 伝令が、すぐさま取って返すのを見送り、グナイウスは馬に乗る。

「しかし・・・これでは部隊の到着から間を置かずに戦闘へと突入してしまいます。」

 グナイウスの言葉に将官の一人が心配そうに疑問を呈した。

「それは大丈夫だろう、サクソン軍の到着も大幅に遅れることとなるからな。」

「?」

 怪訝な表情の将官に、グナイウスはいつものしかめ面を少し緩め、サクソン軍がやってくるであろう東の方向を見て、つぶやくように答えとも取れない言葉を発する。

「・・・我々に抜かりは無い、まあ、結果を見れば分かるだろう、サクソン軍は2日ほど遅れて来るだろうからな。」

 

「・・・いつまでこんな所でこそこそやっている・・・」

「なっ!?アンブロシウスっ!!?」

 その声に振り返ったマニウスは驚きで思わずそう声を挙げた。

 兵士達に扉を押えさせ、アンブロシウスが部屋に入ると、その中で一塊になって何事かを相談していた集団は驚愕の表情で固まる。

「・・・いつから政務次官が属州総督を呼び捨てるようになったのか?」

 マニウス政務次官を筆頭に、身を強張らせる10人程の男達に向かって、アンブロシウスは皮肉たっぷりにそう言葉を返した。

「ぐう・・・な、何の用でしょうか、総督、ここは公邸とは言え私の居宅ですぞ?」

 何とか受けた衝撃から立ち直ろうと、マニウスがアンブロシウスの言葉に弱弱しくも反発する。

「なに、この一大決戦が行われようとしている最中に、反乱を起こそうと不穏な動きをしている者たちが居るのだ、それを問い質し、しかるべき処置をする為にはどこであろうと踏み込むさ。」

 もう少し婉曲な遣り取りがあると考えていたマニウスは、アンブロシウスの直接的なその言葉で驚きが怒りにすり替わり、そして逆上した。

「貴様あ~!どの面下げてここへ来た!貴様が無茶な策を取るからだろうがっ!サクソンどもとて人間、話し合いを持ち、理を尽くせば上手く生き残れる道もあろうものをっ!!」

 それまでの取り繕いをかなぐり捨て、マニウスが吠える。

しかし、その激昂したマニウスの様子に動じた素振りもなく、アンブロシウスはごくごく冷静な口調で、マニウスだけでなくその部屋に居た全員に語りかける。

「今まで我々を一方的に、そして理不尽に圧し続けてきた者達と、理を持って?何の交渉をするというのか?彼らと交渉するのは我々が勝利し、サクソンが降伏すると宣言した時のみ、それ以外は認められぬ、一方的といわれようが、今までここで暮らして、歴史を紡いできたのはサクソンではない、我々だ、この地は我等の地だ、それは譲れん。」

「・・・その意地を張り通して、滅びるがいい。」

 マニウスはアンブロシウスの言葉にも退く事をせず、はき捨てるように言うが、アンブロシウスはそれでも諦めず、言葉を続けた。

「意地ではない、交渉するにも引くべき線と言うものがある、マニウス、ブリタニア人が生残る事だけでよいというなら、ブリタニアとサクソンの間に違いなど無い、サクソンに同化してしまえばよいではないか。」

「違う、我等がサクソンを同化させるのだ!」

 アンブロシウスの言葉に反発するマニウスだったが、次第に押され始めていることに部屋の誰もが気付いていた。

「どうやってだ?力なきものの言葉は誰も聞かないぞ、サクソンにとって我等の風習が魅力的であるという事も無い、彼らが我等の風習を真似たり学んだりした事が一度でもあったか?むしろ、我々は勝手な奴らの風習で土地を奪われつつある、強きものが全てを取る、奴らの風習だ。」

「・・・・・・」

「奪われた後の土地を見たことがあるか?灌漑水路は壊され、帝国のもたらした先進的な農業技術は放棄され、粗放的なサクソン流の農業が行われている、農作物の収量は落ち、サクソン人農民は貧しい収穫の中から更に、戦士たちに食い物を救出させられ、ぎりぎりの生活だ、そして足りない分は、戦士たちに加わって我等から奪って補っている、結局奴らの略奪は終わらない、今はまだ抵抗しているが故に略奪が抑えられている方なのだ、これが支配される立場にわれらが陥った時どうなるか、言わずとも分かるだろう。」

「ぐう・・・そ、それは話し合いをして・・・解決する。」

 理路整然とサクソンとブリタニアの現状を説明され、反論の余地がなくなってしまったマニウスは辛うじてそれだけを主張する。

「さっき話し合いは前提条件が必要だといったと思うが?ローマが世界を支配したのは、文化が魅力的であった以上に強かったからだ、そしてかつての強いローマ人が我々の祖先に対してしたように、サクソンには当たらなければならない、あくまでも我々が主導で、我等が強い立場で、という事だ。」

 畳み掛けるようにアンブロシウスが言葉を放つが、ローマという言葉が出たことで、マニウスは踏み止まった。

「また、ローマか!アルトリウスが幾ら強かろうが、貴様らが幾ら政治に長けていようが、時代の流れは留まらない、ローマは去る、時代の彼方になっ!いつまでも古い思い出に縛られ、浸っていてはこれからの世を切り抜けられん!貴様らの退任を要求する!!」

「強い蛮族に媚びへつらうのが新しい遣り方かね?そんなものは人間が生まれ出でた太古の時代からあることだ、目新しい事ではないぞ?・・・そして退任は出来ない、私には未だやらなければならないことがある。」

 マニウスの言葉に相変わらず動じた様子も無く、アンブロシウスは強烈な皮肉を織り交ぜながら要求を拒むが、マニウスはその言葉尻を捕らえた。

「なんだとう?では、やらなければならない事とやらをやり終えれば、総督を辞めるというのだな!?」

「ああ、やめても良いぞ。」

 あっさりとアンブロシウスはそう言った。

 その余裕ある言葉に、部屋に居た面々は馬鹿にされたと感じたのか、一斉にアンブロシウスにへ詰め寄ろうとしたが、剣を抜いた兵士達に押し留められた。

「下がれ!」

 剣を構えた兵士長に鋭く気勢を発せられ、マニウスたちはたたらを踏む。

「くそ!それが貴様のやり方かアンブロシウスっ!下位にあるとはいえ、我等はブリタニアの高官だぞ!!」

「・・・皮肉にも我が力が貴官に言葉を与えたようだな、マニウス政務次官、兵達がいなければ、貴官らは私を袋叩きにして部屋からたたき出したか?それとも屋敷にすら入れなかったかな?何れにせよわたしの言葉を聞く事は無かっただろう、どうだ?」

 苦笑しながら罵声をいなすアンブロシウスに、マニウスは痺れを切らしたように言い放つ。

「では言ってみろ!何を為すというのだ、どうせいつも通りローマ帝国の復権などという絵空事をのたまうつもりであろうがっ!くだらん!!」

「違うな、今日ここに来た目的は、違う。」

「何?」

 ようやくアンブロシウスの言葉に耳を傾けるマニウスたちを認め、アンブロシウスは少し勿体をつけてから徐に口を開いた。

「貴官たちの総力をもって、今回の決戦に参加させる事だ、全力でアルトリウスの軍にすぐさま合流して欲しい。」

「!!??」

 驚愕で絶句するマニウスたちにアンブロシウスはゆっくりと言葉を継ぐ。

「今はブリタニアの存続が最優先だ、政策についての議論は後で幾らでもできる、我等がブリタニアとして存在する限り議論は可能だ、しかし、滅びてはそれも出来ぬ、今は国家大事の時、後々の事はサクソンを打ち払ってから考えればよい、その際は、市民の信を問おう、総督には信を得た者が就任すれば良い。」

「・・・・・」

「・・・・・」

 アンブロシウスの言葉に、顔を見合わせるマニウスたち。

「・・・何を世迷いごとを言っている、そのような事が出来るか、よしんば我々が協力したところで、既にアルトリウス将軍は北へと発った後だろうが、合流する前にサクソンがアルトリウス将軍とブリタニア軍を撃破してしまうわ。」

 せせら笑うように有力諸侯の一人がアンブロシウスに言葉をぶつけると、アンブロシウスはそうか、と頷くと、全員を見回しながら、感で含めるような口調で言った。

「貴官たちが頼みとした、サクソンは貴官たちを裏切った、アルトリウスの動向を知らせたノニウス基地司令官はヘンギストに斬られ、サクソンはアルトリウス不在の情報を得て、ここ西ブリタニアへ10万の大軍で乱入してくる腹づもりだそうだ。」


「なにっ!?」

「そんな馬鹿なっ、約定では・・・」

「なんということだ・・・」

「・・・おのれ、サクソンどもめ、我等を謀ったか・・・」

 アンブロシウスの言葉にどよめく面々、兵士達に押さえ込まれていることすら忘れ、口々に不安を漏らす。

「その約定とやらがどういうものか、私にもおおよその予想はつくが、サクソンは貴官たちが考えている程甘く無かったという事だ、貴官たちは上手く操っていたつもりの蛮族に最後の最後で操られ、利用されたのだ。」

 アンブロシウスの言葉に、何人かは頷き合い、賛意を示すが、マニウスは激しく頭を振ると、アンブロシウスの顔面に人示指を突きつけて、叫ぶ。

「騙されるものか!!き、貴様の言葉など、し、信じられるかっ、そんなことを言っても証拠はあるまい、貴様が嘘を言っていないという保証は何処にもないではないか!」

「・・・同胞たるブリタニア人の言葉より、今まで散々我々を理不尽に苦しめ、同胞の命と土地を奪い続けてきたサクソンの事を信じるというのか?堕ちたものだ、我が総督府にこんな根腐れがはびこっていたとは、私の不徳もここに極まったか・・・では見るがいい。」

アンブロシウスは兵士のひとりが持っていた包みを開き、包みごとマニウスに手渡した。

「こ、これは・・・・!!」

   血まみれの印章指輪が一つ

 そしてその指輪に、部屋の面々は見覚えが有った。

「ノニウス基地司令官の印章・・・・!!」

 思わずそう漏らすマニウス。

「・・・証拠だ、最も、信じるか否かは貴官達次第だ、このくらいの物は偽造しようと思えばいくらでも出来るからな、それともノニウスを斬ったのは総督府の人間だとでも言うかな?説明はどうとでも着くのだから。」

 絶句するマニウスらを前に、アンブロシウスは皮肉っぽく口をゆがめた。

 言葉無く、ノニウスの左手首を前に立ち尽くす。

「さあ、どうするのだ?時間はない、サクソン軍10万を前にここで座して滅びを待つか?それとも、最後と思い、我々に力を貸すのか?」

 マニウスは、額から一筋の汗を垂らし、指輪に向けていた視線をアンブロシウスに向ける。

「・・・返答や如何!」

 鋭い声がアンブロシウスの口腔から発せられた。

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