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第37章 束の間の団欒 後篇

遠征から帰還したアルトリウスの息子に対する態度を見た親族衆を始めとした、有力者や大人たちも、次第にルシウスをアルトリウスの息子として待遇するようになる。

軍事指導者としてだけでなく、ブリタニアの指導者としての地位を確立しつつあるアルトリウスの威勢を気にしてと言う事もあったが、何より蛮族を嫌っていたアルトリウスがその蛮族の血が入るだけでなく、自分の血を引く子で無いかもしれない可能性のある者を、自らの息子として受け入れたという事の方が大きく影響していた。

アンブロシウスも懐疑的ではあったが、アルトリウスが受け入れた以上はと余計な異議を挟まず、相変わらずそっけなくはあったものの、ルシウスに対する態度を改めた。

アルトリウスの帰還によって、ルシウスはようやく普通の子供らしい日常を得ることが出来たのであった。

それでも、噂は噂として残り、疑惑は疑惑として残る。

幾らアルトリウスがブリタニアに無くてはならない人物とはいえ、裏でそれを腐す人間は何処にでも居り、また反発する者はその盛名が高まれば高まるほど公然の秘密としてルシウスの出自について語り継ぐ。

物心つき、世界の仕組みが分かり始めるころにルシウスは既にその事を知っており、自分の容姿が周囲の子供や親戚達と著しく異なる事と相まって、内に秘めた悩みとしてそれは残る事となった。

事あるごとに父親と自分の似ているところを探したり、真似をしたりということは、子供が親に懐いているというよりも切実で必死な感情が働いてたのである。

それは血の繋がらない可能性のある父に媚びる、という側面が無かったとは言えない。

今はアルトリウスの態度がどうあっても変わらないことをおぼろげながらも理解したルシウスがそういう態度をとる事は無かったが、アルトリウスには息子が何に怯え、何を求めているかが良く分かった。

しかし、あえてそれを与えるような事はせず、アルトリウスはルシウスに「普通の父子関係」を貫く。

気遣いも、優しさも普通、悪い事をすれば叱り付け、良い事をすれば褒め、そして厳しく剣術と馬術を仕込み、その鍛錬中については一切甘えを許さなかった。

その甲斐有ってか、ルシウスは次第に落ち着きを取り戻し、今ではすっかりただの仲の良い親子となったのである。


風呂を終えたアルトリウスたちは、香油を薄く塗りんだ肌を上気させたまま、食堂へ向かい、アウレリアが用意した蜂蜜生姜ジュースを飲む。

休暇は今日で終わり、明日からは再び巡察に戻る。

そして巡察後カストゥルムへ戻り、アルトリウスは軍を召集して再びサクソン軍との戦いに赴く事になっていた。

「・・・今度は、厳しい戦いになると思う。」

 夜、寝室でアルトリウスはアウレリアにポツリと漏らした。

「今まで厳しく無い戦いはありませんでしたよ?」

 少し笑いを含んだアウレリアの声がアルトリウスに返ってくる。

 その答えに苦笑しながら、アルトリウスは言葉を続けた。

「そうだけども、まあ、今度は本当に・・・厳しくなると思う。」

 ごそごそと隣で音がし、アウレリアが身をこちらに向けるのが分かった。

「私の思いと願いは変わりません・・・死なないで下さい、3人の子供の為にも。」

 アウレリアが横合いから身体を寄せ、アルトリウスにぎゅっと抱きついてそう言う。

「・・・3人?」


「そうです『3人』です。」

 アルトリウスの怪訝そうな声の上に被せる様に、アウレリアが答える。

「・・・これは死ねませんね、死んでいる余裕はなさそうです。」

 ようやく意味を理解したアルトリウスの言葉に、アウレリアはふふふっと心底嬉しそうな含み笑いを漏らすと、更に力を込めてアルトリウスの背中へと身体を押し付けた。

「絶対死なせてあげません、まだまだアルには私の大事な人を勤めて貰います、3人の子達の大事な人も一緒にやって貰います。」

「・・・」

 アウレリアの囁くような声に微苦笑を漏らし、アルトリウスはアウレリアの手を取って一旦自分の身体から優しく離すと、アウレリアの方に正面から向き直った。

 そうして今度は自分の胸にアウレリアを抱く。

「・・・ね、絶対ですよ?」

 胸の中から上目遣いに見上げてくるアウレリアの額に軽く口付けると、アルトリウスは目を閉じる。

「・・・お願いです、死なないと言って・・・」

 アウレリアの涙声に少し驚いてアルトリウスが眼を開けて見ると、上目遣いのまま、アウレリアがすうっと静かに涙を流していた。

「・・・」

 普段であれば、素直にアウレリアの求めに応じるアルトリウスであったが、この時は何故か素直に『死なない』の一言を発する事ができなかった。

「・・・すみません、困らせたみたいですね・・・あなたはもう既に私の小さな従弟ではありません・・・ブリタニアの王とも目されるあなたが命を失う事を怖れるようではいけませんでしたね・・・」

 アルトリウスの様子に、いつもなら答えが返ってくるまで待つはずのアウレリアが先に謝罪と共に言葉を重ねる。

「でも、忘れないで下さい、あなたの居場所は笑顔の人と豊かに実った麦の穂が風に戯れるこの地である事を・・・決して血と炎と死が踊る戦場ではありません、・・・私は、待ちます、ここで待っていますから・・・。」

 そう言い終えるとアウレリアはより一層強くアルトリウスの胸に顔を埋める。

 アルトリウスは、言葉を紡ぐ事が出来ず、静かに泣き続ける妻の、従姉の温もりを全身で感じていた。


 翌朝、快晴の中、馬上のアルトリウスは完全装備で騎兵達の先頭に立ち、アウレリアの見送りを受けた。

「・・・いってらっしゃい。」

「行って来ます。」

 昨夜の泣き顔の名残を僅かに留めたアウレリアの笑顔に、ちくりとした痛みを感じるアルトリウスだったが、いつもと同じように短い挨拶をアウレリアと交わし、馬の脇に控えて自分の長剣を奉げ持つルシウスに目を移した。

がしっ

ルシウスの金髪頭を馬上から乱暴に掴むと、笑顔の息子の手から自分の長剣を同じく笑顔で受け取るアルトリウス。

「では、行って来るからな、鍛錬を怠るなよ。」

「はい、父さん、いってらっしゃい。」

 息子の言葉と笑顔に一つ頷くと、アルトリウスは顔を前に向け、馬を進め始めた。

 後続の騎兵達がそれに続き、たちまちのうちにアルトリウスを先頭とした隊列を組み上げ、騎兵隊は一路カストゥルムを目指す。

「・・・いよいよ決戦ですね!」

 アルトリウスの館から少し離れた場所にまで来ると、1人の騎兵が逸る様に話しかけてきた。

 諌めようとするトゥルピリウスを手で制し、横に並んだ騎兵に顔を向け、黙ったまま頷くアルトリウス。

 一旦下がったその騎兵を見送り、アルトリウスは再び顔を前に向けた。

 街道はあちこちに真新しい補修の跡が残り、その両脇には綺麗に整備された農地が広がっている。

「すみません、総司令官・・・皆少し浮き足立っていまして・・・」

 トゥルピリウスが謝罪の言葉を少し後方から投げかけると、アルトリウスは首を左右に振った。

「いや、構わない、士気が高いのは良い事だ、気持ちが逸るのも無理ない状況だしな。」

 間もなく戦が始まる。

 ブリタニアの行く末と、サクソン人とブリタニア人の存亡を賭けた決戦が。


 カストゥルムに到着したアルトリウスは、すぐさま軍総司令官として各有力諸侯やブリタニアの行政機構の主だった者達を召集した。

「・・・という訳で、この作戦を実施します、事後承認となってしまったことについては申し訳ないが、これより他に打開策は無いと思ったので、こういう形となりました。」

 アルトリウスはが諸侯らを前にして、自らを囮と為し、サクソン王ヘンギストを大会戦へ引きずり込むという作戦の趣旨を説明した。

 それを聞かされた諸侯たちは、大理石の固める冷厳なカストルムの議場内で、しわぶき一つ無く、身を固めた。

「・・・勝算あっての事だろうな?」

 しばらくしてアンブロシウスが一言そう発した。

「勝算はあります、そして皆さんにお願いしたいのは、すぐさま自分の領地に戻り、ありったけの兵を率いて参陣してもらいたい、という事です、ブリタニア軍は全兵力で1万2千、あなた方有力諸侯の兵をかき集めれば、そこに更に1万の援軍が加わる計算になります・・・おそらく開戦には間に合わないでしょうが、次々と援軍が戦場に現われれば、サクソン軍は意気消沈し、我が方は勢いを得られます。」

 静かな様子で、しかしきっぱりと言い切るアルトリウス。

「・・・ばかな、今やサクソン人はジュート人やアングル人すら傘下に治めて、優に5万を超える戦士を集められるまでになっている・・・無謀だ・・・!」

 マグロクヌス卿が、うめくようにそう漏らす。

「確かになあ、今決戦を挑むのはどうかと思うがね・・・」

 マグヌスもマグロクヌスに賛同を示すと、少しずつ、そしてあちらこちらから反対意見が相次ぎ始めた。

「・・・無謀だ・・・。」

「ブリタニア軍が壊滅してしまう。」

「兵力に差がありすぎる。」

「・・・まだそのようなときではなかろう・・・」

「今は機会を待つべきではないだろうか?」

「・・・しかし、何時まで待つというのか?」

「われらの体制が整うまで、としか・・・」

 諸侯達は、ブリタニアに体勢が整う、などという時が来ないことをよく知ってはいたが、結局は問題自体を先送りする事以外に意見を出せない。

現状を見れば、いずれサクソン人に島を乗っ取られてしまう事は明らかであり、それを打開する術が今の所無い事は議論するまでも無いことであろう。

しかし、彼らには守るべきプライドと土地財産があり、それを一気に失わしめる可能性のあるアルトリウスの作戦には抵抗を感じざるを得なかったのである。

今のまま、粘り通せば、幾らかの物は手元に残るかもしれない、いやサクソンが諦める可能性だってあるかもしれない、無いとは言えない。

生存権を賭けてブリタニアに渡ってきたサクソン人が土地の略奪と侵攻を諦める訳は無いのであるが、今この現状を維持したいがために、そういった有り得ない思考までして、一発勝負に近いアルトリウスの作戦を否定する諸侯達。

「・・・幾らアルトリウス殿とはいえ・・・」

「勝手にこのような大事を決めてしまうとは、総司令官といえども越権行為ではないか?」

「・・・一言我等に相談があってしかるべきでは・・・?」

 最後にはアルトリウスの行動そのものに対する不満さえ噴出し始める。

 次第にそうした声は議場に満ち始め、それまでの静けさが嘘のようにざわめきが大きくなり、あちこちで活発な議論が始められた。

 しかしながら、どの意見もアルトリウスの作戦に否定的な意見で占められており、また、アルトリウスの行動そのものを糾弾する意見すら出始める始末であった。

 誰も彼もが事態の打開より、汲々とした先行きの無い現状維持を求め、改善の為の思い切った意見や行動より、今の財政的、肉体的、そして精神的な負担を避ける意見に傾く。

 死の大病を患いながらも、手術の傷みや衝撃を忌避し、治療を拒む者の姿がそこにあった。

「・・・」

 滅亡の恐怖に侵され、醜い醜態をさらして先の無い議論を続ける諸侯達に背を向け、議場から去ろうとするアルトリウス。

 しかしその背中に冷静な声が掛けられた。

「・・・何処に行かれるのか、アルトリウス総司令官?」

 

「・・・戦場に・・・」

 振り返らず、議員の質問に短く答えると、アルトリウスはゆっくりと振り返り、議場に座る有力者達を睨みつける。

「・・・今は話し合いをしている時ではない、行動する時だ、すでにサクソンの牙は研ぎ澄まされ、その大顎はめいいっぱい開かれ、今まさにブリタニアの命運と国土と文明を食い破らんとしている!ここで起たずして何時起つのか?起てるのか?」

そう言い放つと、アルトリウスはゆっくりと踵を返し、議場を後にした。

・・・・・・・・

後に残された諸侯や官僚たちは、そのアルトリウスを呆気に取られて見送る。

議場はそれまでの喧騒が嘘のように静まり返ってしまった。

「・・・本当に、あの従弟は・・・よくやってくれます。」

 アンブロシウスがやれやれといった風情で、横のマヨリアヌスに顔を向けると、マヨリアヌスも苦笑を漏らしながらささやいた。

「・・・おぬしは従弟に良い所を取られっ放しじゃな。」

「はは・・・全く、どちらがブリタニアの総督か時に間違えてしまいそうになります。」

「ふうむ、まあ、それも仕方なかろうて、本来であればアルトリウスに押し付けても良かったのじゃが・・・よくよく損な役回りを受けるものよ。」

 マヨリアヌスが顎鬚を左手しごきながら、にやりと意地悪そうな笑みを浮かべるのを見て、今度はアンブロシウスが苦笑を漏らす。

「それは、先生こそお互い様ではありませんか・・・政治という余計な裏方の負担は私達が引き受け、アルトリウスには戦場という表舞台で活躍してもらう・・・これが一番よいのだと、2人で決めたのですから。」

「確かにのう、しかし、しんどいものはしんどいわい・・・わしもアレキサンドリアでの引退生活がふいになったが、これもありじゃなと、最近思うようになった・・・まさかこのような心持になるとは、人生死ぬまで勉強じゃな。」

 アンブロシウスの言葉にマヨリアヌスはまんざらでもなさそうな顔で答える。

 アンブロシウスはマヨリアヌスに一つ頷くと、周囲の議員達の様子を窺う。

「アルトリウスの行動はいつも突然で強引ですが・・・確かに、今回はこれも有りかもしれません、よく議論してから、と思ったのですが・・・議員達の中にも少々焦りが見られます。」

「うむ、自分の利が失われる焦りか、アルトリウスに今後守って貰えなくなるという焦りか・・・はたまたサクソンとの密約を侵されるという焦りか・・・何れにせよ、ブリタニアが無くなってしまうかも知れぬという、正しい焦りを持っておるのはほんの小数じゃ。」

 マヨリアヌスの言葉に、不審を持って眉を顰めるアンブロシウス。

「・・・やはり、密約はありましたか・・・」

 その問いかけに重々しく頷くと、マヨリアヌスは一段と声を落として囁く。

「ああ、あった、最近のブリタニア側の軍事行動が筒抜けになっとったのもこやつらのせいよ、よりによってこの時期になるまで分からなかったのはわしの落ち度じゃが・・・突然のアルトリウスの行動に焦りを感じておろう・・・ほれ、あそこじゃ。」

 マヨリアヌスに言葉で促され、さりげなく周囲をもう一度見回したアンブロシウスは、すぐさま不審な行動を取る一団を見つけた。

 ブリタニア総督府の官吏と諸侯がそれぞれ10名あまり、議場の片隅で何やらこそこそと周囲を憚りながら話し合いをしている。

「・・・・・どうやらアルトリウスのおかげで名については語るまでも無いようじゃな。」

「・・・国を売って自らの財産のみを守ろうとは・・・腐敗はここまで進んでいたとは・・・ましてやそれを防げなかったというのは残念でならないですが。」

 悔しそうに、視線の片隅でその一団を捕らえたままアンブロシウスは前を向いた。

 しかし、集団に参加している者の名前と顔は見知ったものばかりであり、アンブロシウスはその名前と顔を記憶に刻み込んだ。

「時には思い切って切り捨てることも必要じゃ、良い機会ではないか、大掃除をしようぞ。」

「・・・已むを得ません、彼らの身柄は押さえます、今は、この作戦情報がサクソン人の元に行かない様にしなければ。」

マヨリアヌスの囁きにそう囁き返すと、アンブロシウスはそのマヨリアヌスと共にゆっくりと自席から立ち上がった。

「・・・まあ待て、大掃除は大掃除じゃ、ここで動いては小さい掃除になってしまう。」

 マヨリアヌスがアンブロシウスの肩に手を掛けて、それを制する。

「と、仰いますと?」

 アンブロシウスの問いに、マヨリアヌスは目を細めて裏切り者達の姿を見ながら答えた。

「この段階では未だアルトリウスが囮になるという事しか明らかになっておらぬ、行く先や軍を何処に秘匿するかはおそらくアルトリウスとその側近のみが知っておるのじゃろう、もしかしたら場所の策定はこれからかも知れん・・・これを利用せぬ手は無い。」

「偽情報を掴ませるのですね?」

 アンブロシウスはすぐさまマヨリアヌスの言わんとする所を理解して答える。

アンブロシウスの言葉に頷くとマヨリアヌスは肯定の言葉を返した。

「そうじゃ、そうしておいて、サクソンの元へ使者が到達した事を見届け、使者が帰還した時に身柄を押えてしまう、それが裏切りの証拠ともなるしの、後は裏切り者達からサクソン人に偽情報であることがばれぬよう、証拠を盾に身柄を拘束しておけばよい・・・総督府に断りなく敵と使者の遣り取りをしていたというだけで十分な背信行為じゃからな。」

「・・・分かりました。」

 マヨリアヌスの忠告に納得し自席へと戻ったアンブロシウスが、ふと別の気配に気付いて後ろを振り向くと、2人の人物が席から立ち上がっていた。

 その気配の主である、美麗なアルマリックと無骨なグラティアヌスは無言で互いを睨みつける。

「・・・なんだ、その顔は?」

「・・・語る必要があるのか?」

 グラティアヌスのけんか腰の問いに、アルマリックは澄まして答える。

「・・・その澄まし顔は気に喰わんが・・・考えている事は同じ、か・・・」

「・・・貴殿と同じというのは、少しばかり不快だが、その様だな。」

 そう言うとどちらからともなく、ふっと笑みを浮かべた。

ごつん

2人は拳同士を打ち合わせると、ふいっと顔を背け合い、そのまま両脇に分かれて議場から出て行ってしまった。

「ほう・・・アルトリウスの行動もまんざらでは無いようじゃのう、仲の悪い筈の2人が同時に挙兵側に立つとは・・・。」

 マヨリアヌスが感心したようにその2人を見送ると、それまで止まっていたかのようだった議場内が、静かに動き始めた。

西のグラティアヌス。

 東のアルマリック。

 この2人の有力者が参戦側に立ったことで、議場の雰囲気が参戦に少し傾き、ぽつぽつと議場を後にするものが出始める。

 しかし、残りの大部分は未だに保身を主に考えているせいか、動きは少数で留まってしまった。

「・・・むう、それでも2人のおかげで4000程度は兵が集まりそうじゃな。」

 マヨリアヌスが唸るように言うと、アンブロシウスはその言葉に無言で頷きながら議場を見回した。

参戦派の行動に憤懣やるかたないといった様子の者、参戦では無く戦災を避けるため自領へ避難するべく議場を去る者、おろおろと周囲を眺め回す者。

そして裏切り者の一団は、その喧騒に紛れてそそくさと議場を後にする。

「・・・わしらも動かねばな、アルトリウスがサクソンどもと少なくとも対等に戦えるようにしてやらねばならぬ・・・先に行くわい。」

 マヨリアヌスが立ち上がり、議場を去ると、アンブロシウスは少し思案してから、渋い顔をして議場を眺め回している行政長官のデキムス・カイウス・ロングスを呼んだ。


「・・・なんでしょうか総督?」

 デキムスは、渋い顔を幾分改めてアンブロシウスの元へとやって来た。

「これから私が言う官僚たちに極秘だと言って、アルトリウスの軍に補給する食糧の手配をやらせて貰いたい。」

 そう前置きしてからアンブロシウスは6名の官僚の名前を挙げた。

 デキムスの一旦緩みかけた顔が強張る。

「・・・今の者等は、能力が無いわけではありませんが・・・いささかこのような極秘任務には適さないと思いますが・・・」

 何かを言い難そうに、言葉を選びながらそう答えるデキムスに、アンブロシウスは少し笑みを見せて、言葉を繋いだ。

「分かっている・・・この6名には北のエボラクム付近に待機するアルトリウスの伏兵に対して補充する食料と銘打って、極秘に調達するよう指示してほしい。」

 アンブロシウスの命令に、不信感も露わな顔を隠そうともせず、デキムスが反駁する。

「御言葉ですが、総督、そのような秘事を明らかにしてしまうのは如何かと思います。折角アルトリウス総司令官が有力者達の不興を買ってまで為した策が無駄となり兼ねません・・・しかし、なぜ伏兵の場所をご存知なのですか?」

 言葉の最期に、最初とは異なる不信感を持ったデキムスが質問をする。

 先程アルトリウスが軍を動かすと言った時に、真っ先に不信の声をあげたのは総督ではなかったか?

 あれが演技であったとは到底思え無い。

 デキムスが短い時間で思考をまとめ終えて前を見ると、不思議な笑みを浮かべたアンブロシウスの顔があった。

 ああ、そういう事であったか・・・

「・・・なるほど、そういう訳でしたか・・・今直ぐ素首を捻り落としてやりたい所ですが・・・最後の最後に重要な仕事をさせてから、という事ですな・・・分かりました、仰せの通り直ぐに手配をいたしましょう。」

 アンブロシウスの表情に何が含まれているかを直ぐに察したデキムスは、やや顔を緩めてそう言うと、一つ頷いて議場を後にする。

 アンブロシウスはデキムスの背を見送ると、もう一度混乱の渦中にある議場を見回した。

「・・・これが、限界か、ローマの遺風も、最早これまでだな・・・」

そうつぶやくとアンブロシウスはすっと立ち上がり、議場の出口へと向かう。

アルトリウスには若干の作戦の修正を飲ませる必要がある。

何れにせよ、アルトリウスがサクソン人との正面切っての対戦を望んでいる事には間違いなく、それが果たせるのであれば少々の修正は可能であろう。

「・・・さて、これをブリタニアの立て直しを図れる決戦にしなければな。」

 

時間は余り残されていない。

 ローマの遺風は大陸各地で蛮族の猛風に消されつつあり、大陸各地で何とか保ってきた交易路もそろそろ維持が難しくなってきている。

ブリタニアは豊かな島であるので、自給自足が可能ではあったが、それはあくまで最低限度の生活を守る麦などの食糧と薪などの燃料、そして羊毛が主ではあるが衣料だけで、その他のものは交易で手に入れる他ない。

武具に必要な鉄や青銅などの合金類は輸入が必須で、馬についても今しばらく輸入が必要であったが、既に資金は底をつきかけている。

 折角手に入れたアルモリカも、アルトリウスが引き上げてしばらくしてからは、一旦は押さえ込んだバガウダエ(農民反乱)が再び息を吹き返し、総督代行となったクアルトゥス・アヴェリクスを苦しめていた。

クアルトゥスは都市の守備を固め、アルモリカの風紀を改める事に成功し、アルモリカ内部からの反乱こそ出していないものの、西ローマ軍総司令官コンスタンティウスの体調不安の情報が広まるにつれ、ガリア各地で勢いを盛り返した反乱軍の脅威にさらされ始めており、クアルトゥスから、援軍の要請が出始めていたのである。

 しかし、ブリタニア本土ではサクソンとの戦いが佳境であり、とても援軍を送れる余裕は無い。

軍備と兵力の自主補充の必要に迫られたクアルトゥスは、已む無くブリタニアへの物資輸送を、アンブロシウスの許可を得て一時的に停止し、それらを軍資金に充てたことから、ブリタニアの軍事物資枯渇は決定的となりつつあった。

ブリタニアの軍事物資が完全に尽き果てるのは時間の問題であり、余力の残る今を置いて他にサクソン人に決戦を挑む機会は無かったのである。

 

「おおい、アルトリウス、待つんじゃ~」

 早くも愛馬に乗り、副官のクイントゥスや副司令官のグナイウスを始めとするブリタニア軍の高官とその護衛騎兵達を引き連れてカストゥルムから進発しようとしているアルトリウスを、マヨリアヌスはやっとの事で引き止める。

「先生?」

 驚いて振り返り、愛馬の足を止めたアルトリウスのもとに、小走りを改めて歩きながら息も切れ切れにマヨリアヌスがやって来た。

「・・・まったく、そう急ぐでないわ、師の年齢を考えぬか、息が切れるどころの騒ぎではないわい。」

 ぜいぜいと荒い息を吐き、油汗をかきながら、マヨリアヌスはそう言うと、心配そうに見守る護衛騎兵とアルトリウスの前で乱れたトーガを直しながらしばらく肩で息をつき、呼吸を整えると徐に話し出した。

「・・・それで、戦はどの辺で行おうと思うておるのじゃな?」

「サクソンの出方次第ですが、一応、ブリタニア中部丘陵地帯を考えています。」

マヨリアヌスの問いに、曖昧な返事を返すアルトリウス。

実際、囮となるアルトリウスはブリタニア中部の丘陵地帯で活動する事が決まってはいたが、それ以降の事はサクソン人の行動に委ねられている部分が多く、不安要素でもあった。

しかしながら、戦いの主導権はサクソン側が握っている状態が続いており、アルトリウスとしてはこれ以上の作戦を立てようがなかったのである。

「うむ、よし、それではサクソンを誘い込むのはブリタニア南部海岸沿いのパドニックスの丘陵地帯に変更してくれぬか?」

 マヨリアヌスは額の汗を拭き取りながら、アルトリウスに提案する。

「・・・それは、何とも、それこそサクソン人出方次第ですが・・・何かお考えがあるのですか?」

 アルトリウスの戸惑いを含んだ問い返しに、マヨリアヌスは顎鬚をさすりながら韜晦したような表情で口を開いた。

「うむ、手立ては考えてある、ではわしらの作戦を披瀝しよう、しかしここでは何じゃから、とりあえず軍団基地に向かおうぞ、わしも行く、・・・おっつけ有志達も集まってくるだろうからのう。」


「・・・というわけじゃ、これで引っかからなければ、サクソン人どもは間抜けじゃの。」

 カストゥルム郊外にある軍団基地に一同が到着し、司令室に入るなりすかさずサクソンを望む戦場へと導く策を、ブリタニア軍の司令官達の前で得意げに披露するマヨリアヌスに、あちこちから感嘆の声が漏れる。

「なるほど・・・これなら真正面からぶつかれます。」

 難しい顔ではあったが、アルトリウスもマヨリアヌスの策に賛意の言葉を発した。

「そうじゃろう、後はアルトリウス、おぬしの指揮統率力とブリタニア軍兵士諸君の敢闘精神に任せるのみじゃ、頼むわい。」

 得意げな顔を隠そうともせずに、マヨリアヌスはそう言ってブリタニア軍の司令官達の顔を見回した。

 先程までの悲壮感が前面に出た表情から、幾分柔らかさが出始めている。

「兵を率いてきてくれる有力者達はどのくらいになりそうですか?」

グナイウスが他の将官達と一線を画し、硬い表情を崩さずマヨリアヌスに質問する。

「グラティアヌスとアルマリックが挙兵側に起った、それに引っ張られて、そこそこの諸侯が席を立ったようじゃ、故に4000はカタイと思うのじゃが、それ以上は何とも言えぬわい。」

「・・・援軍は4000ですか、総動員の半分に届きませんでしたか・・・。」

 マヨリアヌスの回答にグナイウスが落胆し、肩を落とす。

 最悪でも援軍は5000欲しいと考えていたグナイウス。

 余りに少ない兵数では、サクソンの不意を突けたとしても一時の事で終わってしまい、後は数の力に飲み込まれてしまう恐れがあるからである。

 不意打ち以外の力で大軍に打撃を与えられるだけの兵数が必要で、敵が5万から10万近い戦士を動員できる事を考えれば、最低でも5000から1万の兵は欲しいところであろう。


「いや、それだけの援軍が来ると分かっただけでも、収穫はあった、今回の作戦はそもそも援軍は想定していないのだから。」

 アルトリウスがきっぱりと言い切る。

「・・・しかし、援軍があれば、より勝利の確率を高める事が出来ます、あったに越した事はありません。」

珍しくグナイウスがアルトリウスに反論すると、マヨリアヌスもグナイウスの言葉に頷く。

「・・・確かにそうじゃ、まあ、良いではないか、援軍の来援する方向もアルマリックの2000が北から、グラティアヌスの率いる1800が西から来る事が分かっておるしのう。」

 アルマリックとグラティアヌスは、それぞれ近隣の有志諸侯をそれぞれ率いて参戦する意思を使者にて伝えて来ていた。

 カストゥルムから、軍団基地に向かう途中にそれぞれの副官が馬を飛ばしてアルトリウスたちに追い付いて来たのである。

 当の本人達は、戦支度のため議場からすぐさま自分の治める領地へと帰っている。

「御二方とも、この僅かな時間で賛同者を纏め上げられるとは、やはり並々ならない腕前ですね。」

 アルトリウスの忠実な副官、クイントゥスが感嘆の言葉を発すると、将官達は頷き合う。

実際、兵数の問題を除けば、兵士個々の士気は高く、指揮官は蛮族相手に一歩の引けも取らない歴戦のグラティアヌスとアルマリックであり、かなり頼みになる援軍である事は間違いない。

「確かに、援軍があるに越した事は無い、しかし、兵数を鑑みても分かるようにあまりアテには出来ないという事だ、あくまで今回はブリタニア軍の全力をもって正面衝突での勝利を目指す、兵力不足は否めないが、それが即力不足に繋がる訳ではない、ブリタニアの兵士と指揮官にはその劣勢を覆すだけの力がある事は今までの戦いが証明している。」

アルトリウスが幾分言葉の調子を緩やかにして将官達をそう諭すと、歩兵司令官のティトゥスもアルトリウスの意見に賛同した。

「しかも、その援軍はほとんど歩兵じゃねえですかい?その上2000と1800は方向も時間もばらばらに到着しますぜ、騎兵ならともかく、後から来た足の遅い歩兵を効果的に運用は出来んでしょうよ。」

「・・・もっともだ。」

 ティトゥスの意見に、護衛騎兵隊長のトゥルピリウスも賛意を示す。

次第にアルトリウスの意見に賛同者が増えるのを見て取り、グナイウスは折れた。

「・・・分かりました、それでは援軍はあると想定し、しかしこれを主役には据えないという事ですね?」

「その通りだ、あくまでも主役はブリタニア軍主力、という事だ・・・そこで、ガルス!」

グナイウスの言葉にアルトリウスは頷きながら答えると、重兵器総監のガルスを呼ぶ。

「はい、総司令官。」

 打てば響く鐘のように、ガルス重兵器総監の低い声がすぐさまアルトリウスの呼び掛けに答える。

「動員可能な重兵器隊の種類と各基数は?」

「・・・オナガー(投石器)が20基、バリスタ(大石弓)が20基、連射バリスタが1基です。」

 アルトリウスの質問に流れるような調子で答えが返ってきた。

 アルトリウスはその内容と答え方に満足した笑みを浮かべ頷くと、今度は別の方向に向かって声を掛ける。

「パウルス、弩兵の数は?」

「現在500名を維持しています。弓兵は1000名です。」

 こちらもパウルス弩兵総監からよどみなく回答がアルトリウスに返される。

「重装歩兵は5000が動員済みですぜ、槍兵は1000が待機中!」

それが終わると、歩兵司令官のティトゥスが自ら前に進み出て、不敵な笑みと共にアルトリウスへ報告する。

「グナイウス。」

 ティトゥスの凄みのある笑みに、含み笑いを湛えながら、アルトリウスが副司令官の名を呼んだ。

「はい。」

名前を呼ばれたグナイウスは返事をしながらすっと1歩前に出ると書付を取り出した。

「ご指示通り、食糧や予備の馬匹、馬糧は全て準備完了です、矢、弩兵用の短矢、投槍、重兵器用の弾丸に大矢などの消耗品は、全て2回の大会戦に耐えられる量の手配を完了しました・・・武具類の補充品も確保できました・・・但し今後は保障いたしかねますが・・・。」

 指揮ぶりと性格を表して、敵であるサクソン人やピクト人にも『堅い』と言わせしめるグナイウスが、全くその評価を裏切らない真面目くさった顔と声で、アルトリウスの質問しようとしたことについて書付を見ながら正確な回答を行う。

「・・・騎兵は3500騎が集結完了、その内精鋭500騎が総司令官にお供します。」

 更に、護衛騎兵隊長のトゥルピリウスが騎兵の状況についてアルトリウスへ簡潔に報告した。


アルトリウスは、配下の将官達から、ブリタニア軍の準備が全て終わっている事聞き取ると、ぐいっと口を一度引き結び、堅く握った拳を胸の前に挙げる。

「ブリタニア軍将官の諸君!準備は整った、後は敵に我等の意志と意地を真正面からぶつけてやろうではないかっ!!」

 言い終えると同時に、アルトリウスは拳を天空へと激しく突き上げた。

「決戦だ!!」

    うおおおおおおおお!!

 アルトリウスの言葉に、司令室は将官達の気合と意志の込められた喚声に包まれる。

 将官達は、がつっと隣同士で互いの拳を打ち付けあったり、互いの鎧や肩を叩き合ったりしながら、司令室から決戦に臨むべく戦場へと向かった。

 

アルトリウスは熱気の冷めやらぬ司令室から抜け出て、軍団基地の中央部に設けられている見張り塔の1つにやって来た。

中央部にあるこの塔は象徴的な意味合いが強く、軍団基地の壁沿いに設けられている、防盾付きの塔と異なり、吹き曝しであり、また遠くまで見通しの利く昼間は見張りの兵を置いていない。

時間は既に夕方になっている。

 見事な夕焼けを共にし、彼方へ日が沈もうとしていた。

「・・・」

 無言で見る間に沈み行く夕日を見つめ、アルトリウスは、微風に髪と真紅のマントをなびかせている。

「・・・これしか方法がないとは言え・・・ブリタニアの勇士達をまたもや死地に追いやる私は・・・果たして何者なのだろうか・・・?」

 肩書きはブリタニアの総司令官。

 しかし、その実は自らの責任で最も多くのブリタニア人を死地に追いやった者である。

 ローマ軍の出征以降、アルトリウスがブリタニアの戦いで失い、再起不能な傷を負った兵は1000ではとどまらない。

 更に死に至らしめた敵である蛮族の戦士は万にとどまらないだろう。

「そうして得られたのは・・・」

 ブリタニアの束の間の平和と誇り。

 犠牲に見合うだけの価値があるのか、あったのか。

アルトリウスは、確かに価値はあったと信じたかったが、その価値を得る為に散った者達とその家族たちにとっては、果たして・・・どうか?

人は大切なものを失った時、弱い。

敵がいること、その敵が非道であること、そしてその敵が直接自らの大切なものを奪ったことを知っていても、目の前にいる者にその悲しみと憤りをぶつけてしまう。

そして、本人が理不尽な行為である事を理解しながら、それでも抑えられない悲しみと憤りを目の前のぶつける事が可能なものにぶつける、その行為自体に再度深く傷付く。

そして、理由や発露の原因はどうあれ、ぶつける物が悪意である以上、ぶつけられた者も傷付くのであるが、それを見た時に、ぶつけた者は更に傷付き、収拾がつかなくなる。

アルトリウスが巡察に出た際、怨嗟の声はほとんど聞こえては来なかったが、それでも一度だけ、浴びせられた罵声とも、嘆きとも言えない言葉が耳から離れなかったのである。

・・・司令官が来た、息子と夫を地獄に連れて行く司令官が来た・・・

 戦わねば滅ぼされる。

 しかし戦いに犠牲はつきものであるし、犠牲を厭うだけでは何も行動出来ない。

 大半の有力諸侯たちは、その犠牲を厭う者達の代表であろう。

 それは、命や親しい人では無く、領土や財産や私兵であるにしても、である。

 戦う為には犠牲を怖れない心が必要である事は自明であり、そうした犠牲の上に成り立つのが平和である事を、アルトリウスはローマの指導者層の人間として理解していた。

 しかし、本当の犠牲というのは、犠牲を強いられた者にしか理解できない事もまた、自明であった。

 今度の戦いでは今まで以上の犠牲が出るのは間違いない。

 おそらくは未曾有の激戦となる。

 この決戦に敗れ、ブリタニア軍が壊滅するような事になれば、ブリタニアは国としての最後の纏まりと要を失って自壊するだろう。 

 成功して初めてブリタニアの存続が成し遂げられる戦いであるが、敵はいよいよ強大で味方は一時の勢威を失っている。

更には裏切り者の存在がここに来て明らかになるなど、団結力にも不安を抱えていた。

「・・・それでも、戦うしかないな・・・」

ブリタニア中から選抜された兵を死地に追いやり、ローマの系譜を継ぐ優秀な将官や官僚たちを失いかねないという重責は、誰かが負わねばならない。

そしてその重責を担える者は、自分しかいない。

それら莫大な犠牲を賭けて、得られるブリタニアの平和な未来は、ブリタニアの市民が待ち望んでいるものであり、アルトリウスが渇望して止まないものでもある。

ただ、分の悪い賭けである事は確かで、犠牲を嫌い、戦かわなければ未来は消えさる反面、犠牲を払っても未来を得られる可能性が出てくるだけである。

「・・・・・・」

眉間に黙ってしわを寄せ、考え込むアルトリウスは、突然、ぽかんと口を開いた。

「・・・なんだ、そうか・・・思ったよりも自分は欲深かったんだな・・・」

 悩みの思考に捕らわれていたアルトリウスはふと小さく笑い、そうつぶやいた。

 何の事は無い、犠牲は出したくない、でも、未来は欲しい。

 決して望み得ない事を望んだが故の懊悩である事に気が付いたアルトリウスは、謙虚な人間であると自負していただけに、その思考が自分の中に大きな割合を占め続けていた事にようやく気が付き、そんな自分をおかしく感じたのである。

 犠牲を疎んで未来を諦めた裏切り者や、日和見を決め込んでいる有力者の方が余程現実的だ。

「・・・それでも、私は最後までそれを望み、その望みを実現するように努めよう・・・。」

 日が沈む。

一日の終わりを告げて、日が沈む。

「私は・・・何かを為せるのだろうか・・・」

 日は何も答えず、残照を残し、静かに海の下へと落ちていった。

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