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第33章 帰還前夜

カストルムと名づけられた新都市の行政庁舎内の執務室で、アンブロシウスは1通の書状を開いていた。

「・・・ようやくか・・・長い遠征だったな。」

 羊皮紙のそれは、アルトリウスから送られて来たもので、簡単にではあるが、西ローマ帝国軍総司令官コンスタンティウスから、役目を果たしたとして帰還の許可が出た旨の内容が記されており、軍団引き上げの為に船舶の手当てを依頼するものだった。

しかし、その手紙を読み進めるアンブロシウスの眉間に縦筋が一本、深く刻まれ始める。

「・・・直ぐにマヨリアヌス先生とデキムス行政長官を呼んでくれ、後は・・・カイウス議長とウィビウス商務長官に、グナイウス副司令官もだ、急げ。」

 側に付いていた書記官にそう命じると、アンブロシウスは頭を抱えた。

「・・・全く、アルトリウスの奴め・・・とんでもない事をしでかしてくれる。」


 程なくして召集された5人がアンブロシウスの執務室に揃うと、アンブロシウスは挨拶もそこそこにして、仏頂面のままアルトリウスから送られてきた手紙を開いて近くにいたマヨリアヌスへと手渡す。

「ふうむ、まあ、なんというか、なかなかの厄介事じゃのう。」

 手紙を読み終えたマヨリアヌスが、隣のデキムス行政長官へ手紙を渡しながらため息を付いて言った。

 デキムスは更に隣の父親であるカイウス議長に手紙を手渡す。

そうして、グナイウスを経由し、商務長官に任命された元船主組合長ウィビウス・カッラの手を最後に経て、アンブロシウスに手紙が戻されると、全員が顔を見合わせた。

「しかし、これはどうする事もできんじゃろ?連れてきておると言うのじゃからな、認める以外に無いのではないか。」

 カイウス議長が言うと、アンブロシウスが再び深いため息を付く。

 アルトリウスの手紙にはブリタニア軍引き上げに至った経緯と、預けられた赤ん坊についても記されており、その赤ん坊を自分の子供として育てるつもりであるという内容で締め括られていたのである。

「直接会っている訳ではありませんから、コンスタンティウス軍総司令官がどの程度の政治力を持っていて、どのような思惑でアルトリウスに赤ん坊を預けたか・・・それが分からない以上は何とも言えませんが、万が一にも事が露見した場合は西ローマ帝国皇帝から我々ブリタニアが直々の追討を受けかねない重大事態ですよ。」

 アンブロシウスも西ローマ皇帝ホノリウスの性格と能力は把握しており、皇妹と蛮王の間に出来た子供の存在が皇帝に発覚した際の悶着を防ぐ為、コンスタンティウスがアルトリウスへ件の赤ん坊を預けた事は容易に察せられた。

「しかし、この内容を読む限り、赤ん坊の亡命と隠匿を引き換えにブリタニア軍の引き上げを認めた節が伺えます、議長の言う通り、これでは受け入れざるを得ないのでは?」

 グナイウスが言うと、アンブロシウスは仏頂面を更に渋面へと変えた。

「・・・その通り、これでは受け入れざるを得ない・・・派兵も5年に差しかかろうとしている、そろそろ引き上げの打診をしようかと考えていた所だったが、このようなおまけを付けられてしまうとは・・・」

 アルモリカ派兵は順調に進捗していたものの、その財政的、物資的な負担はそろそろブリタニアにとって重くなり始めていた。

 兵士や武器防具の喪失や損害に対する補充も馬鹿にならず、また定期的にそれらを行う必要が有った事から船団を待機させておかなくてはならない。

 遠方との交易に割ける船舶の相対的な低下と、護衛用の戦艦の維持も負担となっている。

「朗報としては、ブリタニアのコンスタンティウスがガリアへ率いて行った兵士が一部戻ってくるということぐらいですかね。」

 デキムスが発言すると、グナイウスも頷いた。

「僅か2000余りではありますが、アルモリカで徴募した兵士と併せて5000程度の増強ですね、引き上げてくる兵数は、アルモリカで戦死してしまった者達を除いて6000以上になるでしょう、厄介ごとも多かったですが、結果的に得るものも多かったと思います。」


 グナイウスの言葉通り、アルモリカ遠征では多大な負担の一方、得るものも多かった。

 アルモリカ属州は、今回の遠征で名実共にブリタニアの属領となり、その統治も総督代に任命された、元ヴェネト・イケニ守備隊長のクアルトゥス・アヴェリクスの下、順調に進んでいる。

 アルトリウスはアルモリカ各地の城砦を修復した上に、アルモリカへ入り込んでいた蛮族やバガウダエ(反乱軍)を討ち平らげ、行政機構の再整備と3000余りのローマ人兵士の徴募を行ってアルモリカ駐留軍を編成し、治安を回復させた。

 そうしてから土地をサクソン人らに奪われた東ブリタニアの難民やブリタニア各地の移民を導入し、また噂を聞きつけてガリアやヒスパニアから逃れてきたローマ人を受け入れたアルモリカは、農地の復興のみならず商工芸が盛んになり、税収も満足のいくものが得られ始めている。

更には西ゴート族と西ローマ帝国の一大決戦におけるアルトリウス率いるブリタニア軍の活躍が西ローマ帝国中に轟いた事で、積極的にブリタニアの勢力圏であるアルモリカ属州へ手を出そうという者達が激減した。

かてて加えて、その戦いによる西ゴート族の鎮撫と隣接するアクイタニア属州の安定が成ったことで、当面アルモリカ属州へ進行する可能性のある蛮族勢力は無くなったのである。

「アルモリカの平定も成し遂げ、無事そのアルモリカとブリタニアの総督職を貰う事も出来た、引き上げる機会があるとすれば今を置いて他に無いのじゃがな、まあ・・・付いてくるものは仕方あるまい、自ら面倒を診ると言っておるのじゃ、任せてもよかろう。」

「・・・犬猫の話ではないのですよ、先生・・・」

 顎鬚をしごきながら、どこか韜晦したような表情で言ったマヨリアヌスに、渋面を更にしかめたアンブロシウスが苦言を呈す。

「事はブリタニアの存続を危うくし兼ねない重大事です。」

「・・・しかし、我等ブリタニアの力を借りなければガリアの鎮定すら覚束ない、今の西ローマ帝国に果たして逆らったからと言ってブリタニアを追討するだけの力があるかどうか疑問の余地があると思いますが。」

 アンブロシウスの言葉に、首を捻りながらグナイウスが疑問を差し挟むと、アンブロシウスは少し居ずまいを正して口を開いた。

「これは唯の力関係だけではありません、ブリタニアにおけるローマ帝国の正統性や私達ブリタニア総督府がブリタニアを支配する根拠となっているのが、西ローマ帝国です、これから与えられた総督職が拠り所なのです。」

 マヨリアヌスが黙ったままなのを見て取ったアンブロシウスは、そのまま説明を続ける。

「今の西ローマ帝国の宮廷にまともな人間はほとんどいません、廷臣や宦官共はこの事態に至っても権力闘争に明け暮れ、西ローマ帝国は刻一刻と滅びに向かって進んでいます、それでもから絶縁されてしまうという事態を迎えれば、かろうじて維持している我々の正当性が失われ、各地の有力者が息を吹き返す事態となる事は間違いありません、そうなれば再び内戦です、今度は何処にも一歩抜きん出た勢力はありません、泥沼の戦いの挙句、一足先に我々が滅んでしまう・・・それに以前なら考えられない事ですが、西ローマ帝国は蛮族を取り込まなければ成り立たないところまで来ています、アクイタニアやヒスパニアの状態を見れば明らかです、西ローマ帝国は下手をすれば我々を潰す為にサクソンへ正当性を与えてしまいかねない・・・ましてや・・・」

「さりとて、我等の理念を捨てるわけにはいかんじゃろう?」

 滔々と演説口調で高説を説くアンブロシウスに、その合間を狙ってマヨリアヌスがぴしゃりと言い放った。

 ぐっと詰まるアンブロシウスをじろりとみたマヨリアヌスは、再び口を開いた。

「我々の存在意義とも言うべきものじゃ、それはローマの文明を享受するもの万人が平穏に暮らすことの出来る国を作ること、蛮族の血を引いていようが、皇族に列なろうが赤ん坊1人、引き受けられずして何のブリタニアか、我等はそれこそ蛮族ではないのじゃ、ましてや政治闘争に腐れきったローマ帝国でもない、古きを保ち新しきを作る我等が国の理念を忘れるでない・・・あの蛮族に並々ならぬ憎しみと憤怒の情を持つアルトリウスが、アウレリアを妻に迎え、今また蛮王の子を養子にせんとしているのに、兄たるお主は政治向きに固執して汲々としすぎじゃ、もそっと余裕を持たぬか、大局を見失うな。」


 マヨリアヌスの言葉にアンブロシウスが憮然と黙り込む。

「マヨリアヌス殿の言葉ももっともですが、政治的な不安は付きまといますな、これを如何に上手く処理するか・・・父上?」

 デキムスが間を取り持つように発言すると、父親のカイウス議長がその肩を叩きながら前へと進み出た。

「赤子はわしが引き取ろう。」

「!?」

 驚くアンブロシウスを余所に、カイウス議長はにかっと力のある笑みを浮かべて言葉を継ぐ。

「アルトリウス殿の子供となれば後々障りもあろう、ましてや最初から養子ともなれば幾ら素性を隠してもいわくは付きまとう、その点後継者もここにほれ、定まっておる老い先短いわしであれば、物好きじじいの道楽子育てという事でケリが着くじゃろ・・・うちの婆も喜ぶだろうしのう。」

「・・・確かに母上は喜ぶでしょうが・・・」

 カイウス議長から指差されたデキムスが苦笑で言葉を返す。

「・・・確かに、アルトリウス司令官の子供ということになれば、婚姻や諸々の事で後々紛議の種となり兼ねません、ここはカイウス議長の厚意に甘えては如何ですか?」

 ウィビウス商務長官が進言すると、渋々アンブロシウスも頷いた。

「・・・いつもアルトリウスの持ち込む厄介ごとに引っ掻き回されてしまうのが釈然としませんが・・・議長、宜しくお願いいたします。」

「何の、政治向きには厄介ごとには違いないが、ワシにしてみれば有り難いぐらいじゃ、このような事ぐらいなんでも無い。」

 アンブロシウスの言葉に頷くと、カイウス議長はそう言って笑みを深くする。

「まあ・・・そのアルトリウスがいなければもっと先の段階で行き詰まっていたでしょうし、難しいところです。」

 アンブロシウスはそう言うと苦笑いしながら、アルトリウスからの書状を自分の執務机の上に置いた。

「・・・マヨリアヌス先生の言うとおり、我々がブリタニアで為そうとしている事を否定する訳にはいきません、赤ん坊はカイウス議長へ預ける事とします。」

 会合が一段落着いたその時、アンブロシウスの書記官が慌てて執務室へ駆け込んできた。

「か、会合中申し訳ありません・・・アンブロシウス様、東から狼煙が・・・」

 それを聞いたグナイウスは無言で一礼すると、書記官の脇を素早い身のこなしですり抜け執務室から退出する。

「・・・サクソンか?」

 緊張した面持ちで尋ねるアンブロシウスに顔面蒼白の書記官はこくこくと小刻みに頷く。

「またですか・・・このところしつこいくらいの攻勢ですな、今年もこれで既に5回目ではありませんか・・・」

「いよいよ本格的な侵攻が近いという事でしょうか・・・」

 ウィビウス商務長官がうんざりしたようにぼやくと、デキムスも不安を口にする。

「何れにせよ、アルトリウスが帰ってくるまでは耐え忍ぶほかありません、デキムス、直ぐに布告を出して近隣の住民を都市内へ収容してくれ、ウィビウス商務長官はイスカへ急ぎ帰還の上、コルウス提督と合流してアルトリウスの復員に向けた船舶の手配をお願いします。」

 相次いで2人の有能な行政官が退出すると、アンブロシウスはマヨリアヌスとカイウス議長に顔を向けた。

「防戦はグナイウス副司令官に任せておけば支障は無いでしょうが、2人は念のためこの行政庁舎内で待機して置いてください。」

「・・・やれやれじゃな。」


 カイウス議長はそうこぼしながらアンブロシウスが呼び寄せた書記官に案内されて執務室から退出する。

マヨリアヌスは執務室の東側にある窓に近づき、手を額にかざしながら目を凝らし、外を眺めると、その目に薄っすらと立ち昇る煙が入ってきた。

「・・・全く、あ奴らめは懲りるという事を知らんのか?しつこさもここまで来れば大したものじゃのう~」

カイウス議長と同じようなため息と共に、マヨリアヌスがそう言ったと同時に、敵襲を告げる鐘が打ち鳴らされた。

それまで街中で笑顔で買い物や仕事に励んでいた市民達が、鐘の音を聞くと一様に緊張した顔付きに変わる。

露天商は店を畳み、道端で遊んでいた子供達は近くにいた親に連れられてゆき、また完全武装のブリタニア歩兵の一隊が行政庁舎から城門へ向かって足音を揃えて街路を足早に通り過ぎる。

小さな子供を抱き、足早に自宅へと引き上げ始める母子の様子がマヨリアヌスの目に留まった。

「毎度の事で市民には苦労をかけるが・・・まずまず手馴れたものじゃ、大きな混乱も発生する事無く事態は進んでおるからの。」

 大荷物を抱えて危なっかしく歩くその母子が視界から外れるまで見送った後に、マヨリアヌスは誰に言うとも無く感心した様子でそう言う。

マヨリアヌスの言葉に隣で同じように目を凝らすアンブロシウスが表情を強張らせ、視線を薄く伸びる煙から離さずにマヨリアヌスへ話しかけた。

「・・・感心している場合ではありません。」

サクソン人の襲来と避難を呼びかけるため、ブリタニア騎兵の伝令が無人の街路を駆け抜けて行く。

乾いた砂を蹄で舞い上げながら、固まって走っていたブリタニア騎兵は、城門から飛び出すと、互いに目で合図を交わした後四方八方へと散って行った。

「大丈夫じゃ、今日もサクソンの低能共はこのカストルム(新城市)の鉄壁の前に砕け散るだけじゃわい。」

 豆粒のようになるまで騎兵たちを頼もしそうに眺めていたマヨリアヌスは、不安そうに眉をひそめるアンブロシウスを一笑して励ますと、額にかざしていた手を降ろし、踵を返すと自室へ戻るべく執務室の扉へ向かいながら宣言するように告げた。

「まあ、寄せ手の事はグナイウスに任せておくがよい、今までどおりサクソンのごろつき共は敢え無く撃退され、尻尾を巻いて帰ることになるじゃろうよ。」


「忌々しいブリタニアの敗残ローマ人どもが・・・」

 配下の戦士を急かして石畳のローマ街道を西へと向かうサクソン軍の先頭で、ヘンギストは心底忌々しげにそう吐き捨てる。

 東ブリタニアのサクソン人勢力範囲との境に築かれたブリタニアの狼煙台は、毎度の事ながら既にもぬけの殻となっており、怒りに任せて狼煙台を襲撃したサクソン戦士たちはこれまたいつも通り憤りを持て余す結果となった。

 何度となくサクソン人の襲撃を味方に知らせた殊勲の狼煙台は、そのたびに破壊されてはいるものの、戦後は直ぐに復旧され、再度の襲撃を知らせる役目を担い続けている。

石材で建造された狼煙台は、一時的に焼き討ちしても基礎から破壊しない限り再建は容易であり、基礎から破壊するなどという時も術も、そして思考も持たないサクソン人にとって、自分たちの進撃をいち早く知らしめてしまうブリタニアの狼煙台は、憤怒の対象となっていたのである。

尖塔からサクソン軍の動向を監視しているブリタニア兵は、狼煙を上げると馬で撤収してしまう為、サクソン軍の襲撃はいつも間に合わず、夜陰に紛れての奇襲や待ち伏せも、網の目のように張り巡らされた狼煙台の存在と、地元のブリタニア農民の通報に無効化されてしまう。

更にはブリタニア側の農民や村落の避難体制が出来上がっており、略奪や襲撃の効果が著しく減退した事も大きな影響を及ぼしていた。

かつてサクソン人が大陸にあった頃は、海域から突如船でブリタニアの各地へ上陸し、襲撃、略奪の後は再び船で撤収するのが常であったが、ブリタニアへ定着してからは船を利用する頻度が減っていた。

これは例え船を使用しても、同じブリタニア島から出発する為、間諜や監視等に発見されて迎撃体制を取られてしまう為で、維持管理が面倒である上に、効果や効率が変わらないのであれば、船をわざわざ使う必要性は無く、サクソン軍の襲撃は陸路でのものが主体となってきていたのである。

皮肉にも、ブリタニアへ定着し、島の住人となったサクソン軍はそれ故に船という自由な移動手段を制限され、行動の制約を受ける事態となっていたのだった。


ブリタニアの軍事指導者であるアルトリウスが、ローマ本国の命によってガリアへ相当数のブリタニア兵を率いて渡った事は、既に数年前サクソン側も掴んでいた。

しかしながら、同じ年にブリタニアの中部平原で王子のホルサ率いるサクソン軍はそのアルトリウスの指揮するブリタニア軍に手痛い敗北を喫しており、さしものヘンギストもしばらくは軍事行動を差し控えざるを得ない事態となっていたのである。

幸い、攻勢の主力であるアルトリウスと軍団の一部はガリアへ去ており、その事を既に知っていたヘンギストは、これ以上の攻撃がブリタニア側から無い事を見抜いた上で、ブリタニア人から奪い取った土地へサクソン人を移住させる事に専念する事ができた。

ローマ人が敷設した灌漑施設や農業技術は、ブリタニア人を追い出してしまった為に取得する事は出来なかったが、肥沃で温暖な東ブリタニアの農地は、拙く原始的なサクソン人の農法でも十分な収穫を上げる事ができ、大陸からの更なる移住者を受け入れを可能とすると共に、生活が安定した移住者の家族に子供が生まれ、ブリタニアで生まれ育つサクソン人の子どもが一気に増えている。

未だ4歳から6歳の小さな子供であるが、後十数年もすればこのブリタニアで生まれ育った子供たちがサクソン人の武力、生産力の大半を占める事になるだろう。

「・・・ローマ本国の差し金とは、これほど有り難いものは無いな・・・これで、この島のローマ人たちはワシらを追い出す唯一無二の機会を失ったのだ・・・アルトリウスとやらも運の無い奴だ、戦に勝ってもそれだけではわしらには勝てんのだ。」

 ブリタニアの大地に民の楔を打ち込み、確実に地堡を固めつつあるサクソン人、その王であるヘンギストは宴会の席で配下の族長達にそう大笑しながら得意げに話した。

 アルトリウス不在のブリタニア軍を討ち破るべく、手痛い敗北から1年後、ヘンギストは損害を穴埋めする為にブリタニア各地へ入植させていた下位部族のジュート人やアングル人から戦士を借り集め、サクソン戦士と併せて大軍を作り上げると、一気に攻勢にでたのである。

 しかしながら、この攻勢は結果的に頓挫する事となった。

 ブリタニア軍がヘンギストの想像よりも弱体化していなかったのである。

 それどころか、ブリタニア陣営の守りは以前にも増して堅くなった。

ブリタニアはアルトリウスの不在を補うべく狼煙台を整備し、間諜や農民達の通報体制を整えてサクソン軍の攻撃を察知し、市民の避難を効果的に行うと共に、素早く迎撃体勢を取ってヘンギストの攻勢に手厳しい反撃を加えてきたのである。

また、ブリタニア軍は小規模な部隊を使ってサクソン人の住まう東ブリタニアへ武力行使を伴った小規模な威力偵察や、焼き討ちを仕掛けてはサクソン人農民を悩ませた。

更には財物や農産物を新都市であるカストルムへ集積し、サクソン人族長の目を最新の技術を駆使して造営されたカストルムに向けさせ、攻め寄せた軍勢に出血を強いる。

攻勢にこそ出て来ないものの、ブリタニアの巧妙な戦略によってサクソン人の損害は増えるばかりで、実入りの無い戦闘を繰り返したことから、今まで絶大な人気を誇っていたヘンギストであったが、遂には族長達の不信感を招く事態にまで至った。

 次々と渡海する大陸からの移住者達によって、損害は直ぐに回復させることができるものの、さすがのヘンギストも本腰を入れた攻勢を余儀なくされる事態となっていたのである。

 ヘンギストの出馬によって各地のサクソン人は勢力を次第に盛り返し始めたが、どうしてもブリタニア各地への進出にはカストルムの存在が目障りであった。

 しかし、ローマ技術の粋を凝らして造営されたカストルムの壁は高く、守りは堅い。

 今年に入ってから無理な動員を繰り返し、農地が多少荒れるのを承知でヘンギストはカストルムへ攻め寄せていたが、その都度跳ね返されては撤退を繰り返していた。

 今回は五回目の攻勢であるが、サクソン軍は圧倒的な兵数を擁している訳でも、画期的な新兵器を用意している訳でも無く、また長帯陣してカストルムを兵糧攻めにするだけの準備や兵糧も無い。

 それでもヘンギストは兵を出す他無かったのであった。


「何としてもアルトリウスが帰ってくる前に・・・!」

 意気込んではみたものの、勝算が無い事はヘンギスト自身が一番よく分かっている。

それでもヘンギストはアルトリウスが不在の内に少しでも有利な位置取りをしておく必要があり、また、失った族長や戦士たちからの信望を高めておく必要もあった。

大陸各地のローマ勢力は落魄し、情勢はサクソンらゲルマン人有利に傾きつつあるがそれでもあくまで有利であって圧倒的な優勢ではない。

 東ブリタニアこそ呆気なく明け渡してしまったブリタニアであったが、ここに至って持ち前の強靭な粘りを見せ始めていた。

 一時はサクソンの蛮勇を前にして、一方的に押し込まれていたブリタニアは、アルトリウスらの努力が実を結び、かつてローマ帝国の本質であった質実剛健な尚武の気風を取り戻しつつあったからである。

 ヘンギストは今回3万の戦士を揃え、カストルムに攻め寄せたが、ブリタニアの相変わらずの素早い立ち上がりと堅い守りに阻まれ、包囲こそしたもののいつも通り決め手に欠いたまま、いたずらに時間だけが過ぎていった。

「くそっ!またこれかっ!」

 カストルムの壁を遠望し、ヘンギストは悪態をついた。


「見張りを怠るな!寄せ手は大軍とは言え我等が負ける要素は無い!見張りを怠るな!」

 グナイウスが城壁の各部を巡察しながら、防戦に努めるブリタニアの兵士達を激励して回る。

 気勢を上げて城門に駆け寄るサクソン戦士を弓矢の斉射で追い払い、城壁へ梯子をかけようとするジュート人戦士の集団に火炎壺を投げ入れ、梯子ごと焼き払った。

 グナイウスは完全に包囲された状況にも動じる事無く、前線で指揮を執りながら的確に反撃を加えていく。

「・・・またあのスカシ野郎かよ・・・」

 時折城壁に現われるグナイウスの姿を見て、ヘンギストがげんなりしたように愚痴めいた言葉をこぼした。

「・・・ちっ、しかたねえ、引き上げるぞ。」

「大族長、いいんですか?また他の部族がごちゃごちゃ言ってきますぜ?」

 ヘンギストの早すぎるとも言える決断を聞き、護衛戦士の一人がむさくるしい髭面を心配そうに歪めてそう尋ねると、ヘンギストは忌々しそうにカストルムの城壁を見上げる。

そこには冷静な表情で指揮を執り、伝令を飛ばしているグナイウスの姿があったが、ヘンギストはその姿を睨みつけ、そのままの姿勢で口汚く罵るように言った。

「知るか!あいつの指揮は手堅すぎて付け入る隙がねえんだよっ!面白味に欠ける腐った指揮だが、あいつがいる以上力攻めも兵糧攻めも無理だ、引き上げを渋る奴がいるなら、残って構わん、やりたいなら勝手に手前らでやれ、と言え。」

「へい・・・」

 ヘンギストの剣幕に恐れを為したかのように、その戦士がそう言い残して引き上げ命令を伝えるべく、その場から立ち去った。

「・・・ふん、まあ、まだ時間はある。」

 ヘンギストはそう捨て台詞を残し、配下の戦士たちに引き上げの号令を掛けた。


「今回は案外あっさりと引き上げましたね。」

 戦塵にまみれた鎧兜姿のままのグナイウスからサクソン軍撤退の報告を受けたアンブロシウスは意外そうにそう言うと、安堵した様子で手を組み、座っている椅子の背もたれにゆっくりと背中を預けた。

「守備の堅さに長対陣になる事を嫌ったのだと思います。」

 グナイウスが兜の緒を解きながらそう言うと、マヨリアヌスはふむと顎鬚をしごきながら思案した様子でグナイウスに質問する。

「今回の敵の編成はどうじゃった?サクソンの戦士だけであったか?」

「・・・いえ、ジュート族やアングル族の戦士がかなり混じっていました。」

 グナイウスの回答に、マヨリアヌスは納得したように頷いた。

「ふむ、今回の寄せ手は寄せ集めであったか、それ故かあまり腰が据わっていなかったようじゃな、ヘンギストにすれば示威行動というところじゃろう、あやつとしても、そろそろはっきりとした行動を起さねば、配下の族長や戦士どもから愛想を尽かされるからのう、まあ、借り物の戦士では無理も出来ぬ、と言った所じゃな。」

「しかし、あっさりとは言っても一か月の攻囲戦じゃ、こう度々ではたまらんな。」

 カイウス議長の言葉にアンブロシウスは頷くと、ゆっくりと口を開く。

「その通りです、こう頻繁では幾ら損害が少ないとは言っても色々差障りが出てきます、特に流通や商業、それに敵の進撃路になった村邑や農地の損害もあります。」

 守りに回っている以上は、相手の構成に付きまとう一連の損害を許容しなければならず、避難を徹底させている事から、人的な損害は皆無ではあるものの、その物質的、財産的な損害は常に発生していた。

「とにかく、アルトリウスとアルモリカ派遣軍の帰還を待つしかありません、そうすれば少し我が方にも軍事的な余裕が出来るでしょう。」


   がん! ごん! がん!

 木で出来た剣の刃が打ち合わされる度に細かく欠け飛び、最後に鋭い切り込みを受け止めたアルトリウスの手が衝撃でしびれる。

「・・・なかなかやるなっ、クアルトゥス。」

「有難うございます・・・っ」

 ぎりぎりと鍔迫り合いを続けるアルトリウスとクアルトゥス。

   わあああ!!

 観衆が力のこもった好試合に沸く。

 クアルトゥスがぐいっと体重をかけてアルトリウスの木剣を押し込もうとしたその時、アルトリウスは一旦その力に反発するように力を込めた後、ふいっと力を抜いて木剣の接点をずらし、立てていた木剣の切っ先を一気に下へと落とし込んだ。

「!?」

 木剣を押し込もうとして前へと全体重をかけていたクアルトゥスは、身体の重心を狂わされ、たたらを踏んで前のめりに体勢を崩してしまい、アルトリウスの横へ進み出る格好となる。

 アルトリウスはそのままクアルトゥスの木剣が流れた方向に自分の剣を逆らわず流し、手首で木剣を一回転させるように返した。

 慌てて体勢を立て直そうとしたクアルトゥスの首筋に、アルトリウスの木剣の刃がぴたりと押し当てられる。

「・・・参りました。」

 無念そうにクアルトゥスがそう言うと、アルトリウスは満面の笑みを浮かべ、押し当てていた木剣をクアルトゥスの首筋から引く。

   おおおおおおおっ!!

 どっと観衆が沸き立ち、勝利したアルトリウスと健闘したクアルトゥスに拍手が送られた。

「・・・結局勝ちはアルトリウス総司令官か・・・全部持っていかれてしまうなあ~」

 広場の脇で、自分の木剣を手に、手持ち無沙汰にしていたブリタニアの兵士達は、表彰台に置かれた大樽のワインと満載のご馳走を無念そうに見つめる。

 ここはアルモリカの主要都市レモヌム市の中央広場。

 観客席を設えた特設の会場は熱気に包まれていた。

 季節は再び春を迎え、冷気が緩み始めた時期を見計らい、アルトリウスはブリタニア軍各隊対抗の剣術大会を催したのである。

 観戦は一般市民にも無料で開放され、また優勝者と所属部隊には大樽のワインと余剰食糧が授与される事になっていた。

 アルトリウスやクアルトゥス、トゥルピリウスら高位指揮官も交え、各隊から選抜された精鋭が十分に腕を競い合った試合は大いに盛り上がり、そして今、決勝戦でアルトリウスがアルモリカ総督代のクアルトゥスを破ったのである。

「優勝者、ルキウス・アルトリウス・カストゥス!」

 審判役のクイントゥスが宣言すると、アルトリウスは木剣を高らかに上げた。

    わああああああああ

 歓声が一気に盛り上がる。


 アルトリウスはしばらく剣を掲げて各方向の歓声に応えてから、両手を広げ、観衆に静まるように求めると、歓声が完全に静まるのを待って声を張り上げた。

「市民諸君!剣技大会の優勝者は私、ルキウス・アルトリウス・カストゥスであるが、真の勝利者はこの地にこの様な剣技大会を開催することが出来るまでの平和をもたらした、ブリタニアの兵士達と、それに協力を惜しまなかった市民諸君のものである!!故に、私は優勝を等しく皆と分かち合い、平和の訪れを祝福したいと思う!」

 一旦言葉を切ったアルトリウスは、観衆の反応が自分の予想通り、期待に満ちたものである事を確かめた後、徐に口を開いた。

「本日は臨時の休日とする!存分に勝利の祭りを楽しもう!」

    アルトリウス!アルトリウス!

 観衆は立ち上がり拍手を打ち、会場の横で手持ち無沙汰にしていた兵士達は木剣を打ち鳴らしながら一斉にアルトリウスを誉めそやす。

 満足そうにその様子を眺め、再度剣を掲げて自分の名を連呼する観衆や兵士達に答えるとアルトリウスは、身を翻して会場を後にした。


「・・・ようやく引き上げの目処が立ったか、長い待機だったな。」

 剣技大会から一夜が空け、アルトリウスは執務室で海軍提督のコルウスから送られて来た手紙を手に言った。

「はい、この期間中もバガウダエと街道筋の盗賊対策を行ってきた為、アルモリカの治安は万全となりました、引き上げるには頃合かと思います。」

 クイントゥスがアルトリウスの言葉に答えると、クアルトゥスが別の書状を持って執務室へと入ってきて口を開いた。

「確かに引き上げるとすれば今を置いてほかに無いでしょうね。」

 そう言うクアルトゥス本人は、アルトリウスらがブリタニアへ引き上げた後、引き続きアルモリカ総督代行としてレモヌム市に残って政務を取り仕切る事になっている。

・・・残念ながら、ブリタニアに私のものはもう何一つ残っていません、土地も、街も、仲間も、そして家族すらも失くしてしまいましたのでね・・・

ある時、クアルトゥスは寂しそうにブリタニアのある北を遠い目で見ながら、居残りに志願した自分を慰留しようとするアルトリウスに言った。

そのクアルトゥスが手にしている手紙を一瞥して顔をしかめるアルトリウス。

「・・・西ローマ皇帝からの召喚状です、これで10通目ですね。」

「またか!好い加減しつこいな・・・いつも通り、帰還準備中につき出頭しかねると返答しておいてくれ・・・しかも召喚状とは恐れ入る、我々はもうローマ帝国ではないのになあ・・・あの皇帝、自分で出したブリタニアの領土放棄宣言すら忘れたのか?」

 アルトリウスはクアルトゥスが苦笑いしながら差し出した書状を嫌々受け取りながら、その書状の体裁に呆れて言う。

 召喚状とは自分の部下や臣下に対して発する書状であり、既にローマ帝国の支配から離れているブリタニアの司令官に送る書状ではない。

 確かにブリタニアはコンスタンティウスから西ローマ帝国のブリタニア属州総督、アルモリカ属州総督という位を授与されているが、これはあくまでもその領土を実効支配しているブリタニアに対する追認であり、必ずしもかつてのように西ロ-マ帝国の配下である事を意味しない。

 その点はブリタニアも、西ゴート族がアクイタニア属州、フランク族がベルギカ属州の支配を許容されているのと何ら変わりなく、扱いとしては蛮族のそれに近い。

 いつでも皇帝の命令で挿げ替え、任命の出来る属州総督などアフリカとイタリア以外に存在しなくなって久しく、実力で属州を回復する力も意思も、今の西ローマは失っている。

 その点、脅迫めいた文言を盛り込んではいたものの、コンスタンティウスの書状は依頼、要請の形をとっており、書類の形式や体裁としては理に適ったものであった。

 しかしながら、そのコンスタンティウスもガリアを回復させてからは体調が芳しくなく、皇妹プラチディアとの結婚式を終えた後、南ガリアはマッシリア市近郊の軍団基地で療養生活を余儀なくされている。

 おそらく皇帝ホノリウスは、コンスタンティウスの横槍が入らないこの時期を狙って、妹の粗捜しを始めたのであろう。 

「・・・今の西ローマの宮廷にはろくな者がいないという明確な証拠ですね。」

 小さなため息をつきながらクイントゥスが漏らした。


「西ローマ皇帝の動向は気になるところだが、今は病床にあるとは言え、ガリアにはコンスタンティウス閣下がいらっしゃる、皇帝も無理なごり押しは出来ないだろう、それに、次の書状が来る頃、少なくとも我々は海の上にいるだろうからな。」

 アルトリウスはホノリウスからの召喚状を開く事無く、そのまま机の上に置くとそう言った。

 そして2人が静かに頷くのを確認してから、再び口を開く。

「ブリタニアへの引き上げは3ヵ月後、それまでに兵の選抜と準備を済ませておいてくれ。」


 夕方になってからアルトリウスは執務室を早めに引き払い、読み残した手紙を持って宿所に向かった。

 そのほとんどが私信の類で、中にはアウレリアと息子のルシウスからのものも含まれており、それを考えただけでアルトリウスの表情に自然と笑みが浮かぶ。

 誕生の直後にアルモリカへ出征する事が決まり、息子の成長を手紙でしか確認する術のないアルトリウスは、定期的に交易船が運んでくるアウレリアの手紙をいつも心待ちにしていた。

 最近はマヨリアヌスから基礎的な教養の手解きを受けたルシウスが自ら、覚束ない筆使いで短文の手紙が送られて来るようにもなり、アルトリウスはアルモリカに出征した兵士と同じように郷愁の念を強くし、今回の帰還を待ち遠しく感じていたのである。

 まともに顔を合わせた事は一度も無かったが、確かにアルトリウスは手紙を通じて家族と強い絆で結ばれている事を感じていたのだった。

 アルトリウスは私室を兼ねた宿所へ到着すると、まず始めに一回り小さい、少し封印のずれた手紙の蝋を外し、封を切った。

『おとうさまへ

 ぼくはいま、まよりあぬすせんせいに、いろいろべんきょうをおしえてもらっています。

 れきしやぶんがくは、むつかしいですけれども、とてもおもしろいです。

 ぼくも、はやくいちにんまえになっておとうさまのおてつだいができるような、りっぱなひとになりたいです。

 おかえりをおまちしています。

       るしうす・あるとりうす・かすとぅす』

 あの時まだ目も開いていなかった赤ん坊が今やたどたどしいながらも、自分への手紙を書くまでに成長したのである。

 ルシウスからの手紙を大事そうに片手で持ったまま、アルトリウスは、アウレリアからの手紙を紐解いた。

『私の愛するアルトリウスへ

 御元気ですか?私もルシウスも、特に病気などする事無く平穏に過ごしています。

 安心してください。

あなたのブリタニアは今、木々の芽が吹き、草木の色が目に染み入るような明るい緑色で満たされ始め、ようやく厳しい冬が去りつつあります。

そして私達のルキウスもすくすくと順調に育っています。

昨年からはマヨリアヌス先生にお願いして基礎的な教養を受けさせる事にしましたのは、先般お話したとおりです。

私が読み書きを教えるだけでは限界があると思いましたので、厳しいと評判ではあるのですけれども、思い切ってお願いしてみましたら、二つ返事で引き受けてくださいました。

私達2人の息子は、「まずまずの出来」らしいですよ?

あんまり生徒を褒めない先生の言葉とは思えないと、アンブロシウスが驚いていました。


話は変わりますが、もう直ぐこちらへ御帰りの事と伺いました。

 ガリアの気候はこちらよりは穏やかだとは聞いていますが、季節の変わり目には気をつけて、体調など崩されないようにお願いしますね。

 長い間の苦労多きお勤め、ご苦労様でした。

 お帰りを一日千秋の思いでお待ちしています。

                      あなたのアウレリアより』

アウレリアの手紙を読み進める内に、アルトリウスの心が温かいもので満たされてゆく。

アルトリウスは、丁寧な手つきでゆっくりとアウレリアの手紙を戻すと、ルシウスの手紙と一緒に棚から取り出した文箱へ収めた。

文箱には既に黄ばみつつある物も含め、この五年でたまった手紙がぎっしりと収められており、アルトリウスはその一番上にそっと2通の手紙を置くと、元の棚へ文箱を戻し、再び机に向かうと、真新しい羊皮紙を取り出し手紙をしたため始める。

普段の行政文書と異なり、アルトリウスはたっぷり小一時間の長い間、文章を練り、考えながら手紙を書き上げると、インクが乾くのを待ってから手早く巻き上げ、封緘を施した。

「・・・この手紙が着くよりも早く帰りたいんだがな・・・。」


手紙を開いたときのアウレリアの笑顔やルシウスの様子を想像して、小さな笑みを形作ったアルトリウスは、手紙を机の上に残し、ろうそくを吹き消して寝所へと引き上げようと立ち上がる。

ふと振り返るといつの間にか昇っていた月明かりが部屋に差込み、机の上にぽつんと残された手紙を白く浮き立たせた。

「・・・早目に送っておくかな・・・」

 アルトリウスはそう言いながら引き返すと、机の上から手紙を取り、その手紙を送付するべく逓信所へと向かった。

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