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第31章 西ゴート戦役

西ゴート族の首都であるトロサ郊外。

見渡す限りの平原の彼方から、長方形の大盾を押し立て、槍や剣を煌かせながら西ゴート族の歩兵戦士達が勢揃いして迫って来ている。

 片や右翼を固めるブリタニア軍はアルトリウスの指揮の下、中央方向の左翼に歩兵、右翼に重装騎兵を置く変則配置を敷いているが、コンスタンティウス率いる西ローマ軍は逆に左翼へ騎兵、右翼へ歩兵を置いている為、軍全体として見れば伝統的なローマ軍の左右騎兵、中央歩兵の三翼陣になる。

 西ゴート族もゲルマン系諸族の例に漏れず、歩兵が中心の編成であり、騎兵は余り多くない。

 コンスタンティウス率いる西ローマ軍の騎兵は2千、アルトリウスの率いるブリタニア騎兵は2500がそれぞれおり、騎兵の数では西ゴート軍を上回っているものの、軍全体で見れば西ローマ・ブリタニア連合の1万7千に対して西ゴート軍は実に4万の兵を送り込んできていた。

「ほう、壮観ではないか、久しぶりに血潮の滾る戦場になりそうだな!」

 白い顔を紅潮させてコンスタンティウスがそう言うと、傍らに控えていた青年将官の一人が心なしか緊張したような声色でコンスタンティウスに問いかけた。

「総司令官はこのような大規模な戦いを何度も経験されているのですか?」

「ああ、今は亡きスティリコ将軍の時代にな、もっとも、敵も大軍だったが我がローマ軍もまだその時は大軍であったぞ、ボニファティウス。」

 コンスタンティウスは優しく、そのどこかおっとりした感じのある青年将官の肩に手を置きながらそう答える。

 そうするともう一人の青年将官が対抗心をむき出しにして言葉を発した。

「では、今回は我が方は寡兵ながら総司令官の指揮の妙技に拠る大勝利が見れるという訳ですね!」

 その言葉にコンスタンティウスは苦笑しながらもう一人の才気溌剌とした青年将官に顔を向けた。

「アエティウス、それは戦いが終わってからじっくり話そう、まだ戦いは始まってもいないぞ。」

 コンスタンティウスの言葉に将官達がどっと笑声を上げ、アエティウスは少し照れたように頭を掻く。

 このやり取りでそれまでどこか雰囲気の暗かった西ローマ軍の陣営が一気に明るくなった。

 コンスタンティウスはこの2人の若い将官に特に期待し、自分の後継者と目して目を掛けている。

コンスタンティウスがガリアに赴任してからは、蛮族の何たるかを教育する為にフランク族やアレマンニ族の宿営地を訪門させ、各部族長との顔つなぎを兼ねての外交交渉や用兵の雇い入れを担当させたりしていたが、今回の会戦へ間に合うようフランク族の地に赴いていたアエティウスとヴァンダル族の地に派遣していたボニファティウスを遥かアクイタニアまで呼び寄せたのであった。

談笑する将官達の正面から副官のクイントゥスを従えたアルトリウスが騎乗でやって来た。

その様子を目にした西ローマ帝国の将官達がざわめきを抑える。

 アエティウスとボニファティウスの2人もその雰囲気を感じ取り、姿勢を正してコンスタンティウスの横へ静かに立った。

 アルトリウスはコンスタンティウスの手前で下馬すると、馬の手綱をクイントゥスに預け、兜の緒を解きながら歩み寄り、西ローマの将官達を見回した。

「敵を前にしての明るい気勢は勝利の予兆、今回の戦いは厳しくはなりそうですが、我々の勝利に疑いはなさそうですね」

 アルトリウスは朗らかにそう言うと兜を取り、コンスタンティウスにローマ式の敬礼を送る。

「いよいよ決戦ですね。」

 静かな闘志を秘めてアルトリウスが言うと、周囲の将官達も自然と身体に気力を漲らせた。

「そのとおりだ、この一戦で西ゴート王アタウルフに鉄槌を下し、皇妹殿下を取り戻し、ローマ皇統の危機を救わねばならない。」

 アルトリウスの闘志を受け止めたコンスタンティウスはローマ式に答礼を返しながら厳かにそういった後、傍らに立つアエティウスとボニファティウスの2人を前に押しやった。

 アルトリウスが『おや』という風に若い2人を見ると、コンスタンティウスは少し笑いを含みながら2人の紹介を始める。

「アルトリウス将軍、右がボニファティウス、左がアエティウスだ、わし期待の新人と言ったところかな、まだまだひよっ子だがこの二人は光るものを持っている、よろしく引き回して貰いたい。」

 

 2人はおずおずと言った風ではあるが、興味を抑えきれないのか目を輝かせてアルトリウスを見ている。

 やがて意を決したアエティウスが一歩前に出て元気良くアルトリウスに話しかけた。

「お噂は聞いていますアルトリウス将軍、お会いできて光栄です!」

 その様子を見たボニファティウスも後に続く。

「始めまして、直接剣を交えていないヴァンダル族の中でも、将軍の勇名は聞こえていました。」

 アエティウスとボニファティウスがそれぞれアルトリウスに挨拶をすると、アルトリウスも笑顔で2人に応じる。

「始めまして、アルトリウス・カストゥスです。コンスタンティウス総司令官期待の俊英と名高いお2人に会えた事を光栄に思いますよ。」

 アルトリウスの穏やかな物腰と口調に少し面食らったように顔を見合わせる2人であったが、その様子にコンスタンティウスが笑いながら助け舟を出した。

「アルトリウス将軍の戦いぶりに抱いていたイメージと実際の将軍の雰囲気が余りにかけ離れているので戸惑ったのだろう・・・よく覚えて置け2人とも、真の勇者とはこう有るべきなのだ、無駄な闘志を撒き散らす事無く周囲の闘志をかき立てる、そして普段はそう言った素振りを微塵も見せない。」

「・・・はい。」

「分かりました。」

 優しく2人の肩を抱き、コンスタンティウスは少し困ったような笑みを浮かべるアルトリウスに向き直させながらそう語りかけるように言うと、2人は神妙な表情でアルトリウスを見つめて返事をする。

「そんな大層な者ではありませんが・・・」

 アルトリウスは面映ゆそうに2人を見た。

 その様子を見ていた将官達も羨望の眼差しでアルトリウスと若い2人を見る。

 西ローマ帝国軍と合流してから、トロサ郊外まで進軍する途中、西ゴート軍からの妨害を度々受けたが、いずれもアルトリウスの素早い立ち上がりで大きな損害を受ける事も無く排除に成功していた。

 アルトリウスは決戦までの間、西ローマ軍の騎兵の指揮権をコンスタンティウスから預けられており、ブリタニア軍騎兵とあわせて4500の騎兵と2500のブリタニア歩兵を率いて先行し、トロサ進軍を阻止しようと集まった西ゴートの部族戦士たちを打ち砕いたのである。

 当初はアルトリウスの統率力を疑い、指揮権の付与に難色を示した将官たちや、西ローマ騎兵達も、自軍より多い西ゴート軍を何度となく苦も無く追っ払ったアルトリウスの指揮に何時しか全幅の信頼を寄せるようになっていた。

 当初ささやかれていた陰口は全く鳴りを潜め、代わってブリタニア軍将兵の規律正しさと精強ぶりに対する称賛と羨望の発言が目立つようになっていたのである。

「・・・大きな声では言えないが、皇帝陛下のブリタニア属州放棄は間違っていたかもしれないな・・・」

 西ローマ帝国軍将兵たちの率直な感想がコンスタンティウスの耳にまで届いていた。

 もちろん、あの情勢下ではホノリウス帝の決断が間違っていたとは思えないし、例えブリタニアを放棄せず、その防衛に力を削がれていれば、ただでさえ減少した西ローマ軍が今このガリアに兵を集中できていたかどうかも怪しい。

 また、ガリアへブリタニアが軍を派遣出来るまでになったのも、アンブロシウスやアルトリウスといった土着の有力者がブリタニアの諸勢力を糾合し、なけなしの総動員を掛ける事が出来たが故であり、西ローマ帝国が同じ事を出来たとは考えられない。

 おそらく、西ローマ帝国が居座っていれば、ブリタニアの民や有力者は危機感を持たないまま蛮族に圧されて滅んでいただろう。

 西ローマ帝国から見放されたという危機感がブリタニアを変え、奮起を促し、諸勢力の団結を生み出し、その結果今アルトリウスがここガリアに居るのである。

 大局からものを見る事の出来るコンスタンティウスは風評や噂に流される事はなったが、ブリタニア軍とその指揮官アルトリウスを何時までも手元に置いておきたいとは考えるようになっていた。


「決戦前にわざわざ呼び立てたのは他でもない、この2人をアルトリウス将軍の手元に置いて頂きたいのだ。」

 驚くアルトリウスや将官達を余所に、当の本人である若い2人は、コンスタンティウスの思いがけない申し出に目を輝かせた。

 その顔を見ながら苦笑交じりに、コンスタンティウスは言葉を継いだ。

「近年まれに見る大会戦、後方の本営でぬくぬくしているよりも、将軍と共に生の戦場を肌で感じる方が若い2人にとってより為になるだろう、承諾してもらえないだろうか?」

「後継者とも目されている御2人を私が御預かりするのですか・・・それは・・・」

 アルトリウスはブリタニア軍の総司令官とはいえども、西ローマとの連合軍内では前線指揮官の一人に過ぎない。

 そうでなくとも、これまで通り最前線に立っての指揮を信条としているアルトリウスにとって、後方での指揮は考えられない。

アルトリウスの指揮の仕方はコンスタンティウスも当然知っており、必然的にこの2人はアルトリウスに付くとなれば最前線のもっとも危険な場所に身をさらすこととなる。

その事実を理解した上での発言ではあろうが、アルトリウスもさすがにこの申し出には困惑を隠しきれず、若干躊躇した発言となった。

「危険は承知しています、是非お願いします!!」

「御側でアルトリウス将軍の指揮を拝見させてください!」

 ここぞとばかりに、アエティウスとボニファティウスの2人は顔を真っ赤にしてアルトリウスに詰め寄って懇願した。

「そ、そうは言いっても・・・」

「2人もこう言っている、余人に変え難い事であるから、わしからも是非頼みたい。」

 そういいながら、コンスタンティウスはアルトリウスの手を取った。

節くれ立った厳つい手だが、暖かい父親のような力強い手に、しかしアルトリウスは違和感を覚え、微笑を浮べたコンスタンティウスの顔をまじまじと見つめる。

しばらく見つめ続けたが、違和感の正体は分からない。

「頼めるかな?」

 更に言葉を重ねたコンスタンティウスの傍らで、ぐっと拳を握り締めてアルトリウスの答えを待つ若い2人。

・・・自分がこの2人同じ歳の時に、コンスタンティヌスがブリタニアからガリアへ出征して行ったんだったか、何も不遇だった自分の轍を踏ませる事は無いものな・・・

そう考え、今の内に先輩である自分が色々教えてやろうと思い直したアルトリウスは、2人に頷く。

「分かりました、戦場はどこに居ようとも戦場、生死の境が皮一枚の表裏である事は後方の本営だろうが最前線だろうが変わりはしません、2人を引き受けましょう。」

『ありがとうございますっ!』

 コンスタンティウスが何かを言う前に、アエティウスとボニファティウスの2人は声をそろえ、アルトリウスに向かって大きな声でそう言うと、直ぐに自分の馬を取りに全力で走り去った。

 2人の走る様子に合わせて、かちゃかちゃと剣帯や鎧の部品が音を立てていたが、やがて姿が見えなくなったのと同時に音も聞こえなくなる。

 その後姿をアルトリウスと一緒に眺めていたコンスタンティウスは、開きかけた口を一旦閉じ、改めてアルトリウスに笑顔を見せると言葉を発した。

「・・・無理を言って済まんが、よろしく頼む、普通の将官と同じように扱ってもらって構わんよ。」

「心得ました。」

「コンスタンティウス軍総司令官、敵が動き始めました!」

 尚も何かを言おうとしたコンスタンティウスだったが、将官の1人からそう告げられ、口をつぐんで振り返り、敵陣の方を見る。

 コンスタンティウスの視界に、横陣を敷き、勢揃いしたゴート歩兵が一斉に前進を始めた様子が飛び込んできた。

「・・・時間の猶予はなさそうです、2人が来たら直ぐに私も自陣へ戻ります。」

コンスタンティウスの体越しにその様子を見て取ったアルトリウスは、すぐさまそう一声掛けると、コンスタンティウスの返事を待たずに兜を被りながら自分の馬を預けてある副官のクイントゥスの元へと駆け戻る。

丁度騎乗で戻ってきたアエティウスとボニファティウスの2人は、急な敵の動きに緊張を隠しきれず、表情が硬い。

「どうした!いよいよ大戦が始まるぞ!早くアルトリウス将軍のお供をせんかっ!」

近くで戸惑ったように立ち止まった2人にコンスタンティウスが叱責に近い励ましの言葉をかけると、2人はぎゅっと唇を噛み締め、一目散に騎乗のアルトリウスが待つ場所まで馬を走らせた。

「武運を祈る!」

 最後にそう2人の背中に声を掛けたコンスタンティウスは、従兵が挽いてきた馬に赤いマントを翻しながら騎乗する。

「行くぞ!!!」

 轟くような怒声で周囲を鼓舞し、眦を吊り上げたコンスタンティウスは同じく騎乗の将官達を率いて戦場へと向かった。


 アルトリウスがアエティウスとボニファティウスを連れて自陣へ戻ったと同時に西ゴート軍は進撃を停止した。

 一列に大盾を並べ、その後ろから剣や槍を振りかざし、盛んに気勢を上げている。

「・・・様子見かな?」

「いや、突撃距離を計っているんだろう。」

 傍らでそれぞれ予測を立てる2人に、アルトリウスは自分にもこういう時があった事を思い出して笑みを浮かべた。

「アルトリウス司令官、スコルピオン(機械弓)の射程範囲ではありますが・・・どう致しましょう?」

 その後ろからクイントゥスが声を掛けてきた。

「・・・コンスタンティウス閣下の本軍に動きが無いからな、今のところは待機だ。」

「分かりました。」

 ちらりと西ローマ軍の方向を見たアルトリウスは、全く動きが無い事を見て取ってクイントゥスに指示を出す。

 作戦は既に練られており、西ローマ軍歩兵隊1万が西ゴート軍を正面から受け止めている間に、左翼の西ローマ軍騎兵と、右翼のアルトリウス率いるブリタニア軍騎兵はそれぞれ西ゴート軍の後方へ回りこみ側面と後背から攻撃を掛ける事になっていた。

 ブリタニア軍歩兵2500は予備として残り、戦線の綻びに投入される事が決まっている。

 伝統的で教科書的な、真新しいものは何も無い側面包囲攻撃作戦であるが、それだけに作戦がはまった時の効果は絶大で、手堅い用兵を持ち味とするコンスタンティウスらしい作戦であった。

 しばらくにらみ合いの状態が続いたが、敵の左翼に配置された騎兵が動き始めたと同時に伝令兵が中央のコンスタンティウスから送られてきた。

「伝令!アルトリウス将軍にあっては西ゴート騎兵を速やかに撃破の後所定作戦通りの行動を求む、以上です!!」

「了解した、それでは行動に移る。」

 アルトリウスは伝令を返すと、アエティウスとボニファティウスの2人に注意を促した。

「無理をして私に追従する必要はない、周囲の騎兵と一緒に行動していれば大丈夫だ。」

 緊張でカチコチになった2人の肩をどんと叩くと、アルトリウスは朗らかな笑みを浮かべると、2人を励ます。

「そんな事じゃ蛮族どもに舐められてしまうぞ?大丈夫、見ろ、我々は歴戦の勇士達に囲まれているんだからな!」

「・・・当の歴戦の勇士が何を言ってるんだか・・・」

 騎兵の1人が槍を構えながら呆れたような声でアルトリウスにそう言うと、周囲から笑いが起こった。

 激突前の緊張感漂う戦場での時ならぬ笑声に、若い2人は戸惑いを通り越して驚きで目を白黒させている。

「大丈夫だよ、若いおふたりさん、この人に付いて行けばまず死にはしないよ、敵が避けていくくらいだからね!」

「・・・・・」

「しっかりな、若いの!」

「ほれ、しゃんとしろ、先に行くぞ!」

 そんな2人を騎兵達が励ましたり、槍を無言で差し出し祝福したり、はたまた背中を通りすがりにどやしつけたりしながら通り過ぎてゆく。

「ウチの騎兵達は蛮族の傭兵でも、同盟軍でも、貴族上がりの将官候補でもない、ブリタニアに住まう市民の志願者で編成されている。」

 副官のクイントゥスが笑いながら2人にそう説明した。

「蛮族相手の乱戦の時は上も下もないこの編成が一番強い、みんな仲間だからな。」

『・・・・・』

 無言でブリタニア騎兵達を見ていたアエティウスとボニファティウスの2人は、御互いの顔を見合わせると、頷き合い、そしてアルトリウスの傍らへと追いつく。

 その様子を見ていたクイントゥスはアルトリウスからの目配せに無言で頷き、2人の後ろへ騎兵2人と共に張り付いた。

「いよいよだぞ、準備は良いか?」

『はいっ!!』

 自分の傍らに若い2人がやってきている事を確認したアルトリウスがそう声を掛けると、2人は剣を抜きながら精一杯大きな声で返事をした。

 その様子に、にっと笑みを浮かべ、アルトリウスは長剣を抜く。

「行くぞっ、ブリタニア騎兵突撃!!」

おおう!!

 裂帛の気合のこもったアルトリウスの号令に対して鯨波の声を挙げたブリタニア騎兵は、一丸となって正面から迫る西ゴート騎兵に突撃を開始した。


 ブリタニア騎兵は、今回武器の装備を三種類に分けている。

 先頭を走るのは手投げプラムバタと長剣を装備した軽装騎兵で、その次に走るのは槍と短めの投槍ピルムを装備した騎兵。

そして最後にアルトリウスを中心とした長剣のみを装備した白兵戦に向いた重装備の騎兵が続いていた。

対する総勢2000余り西ゴート騎兵は全身鎧の重装備に防御を任せて盾を持たず、重槍コントスを両手に持っている。

ブリタニア騎兵2500の突撃を受けて、西ゴート騎兵も並足から突撃隊形へと変化して進撃してくる様子が見えた。

西ゴート騎兵の戦法は横一線になっての重槍を使った一撃離脱。

槍を前に突き出し、人馬一体となった重い体当たりが唯一で必殺の攻撃方法である。

   どどどどどっ・・・

双方の距離が見る見るうちに縮まり、あっという間に互いの姿が大きくなる。

敵との距離を測っていた先頭の騎兵小隊長が、ちらりとアルトリウスを振り向き見た。

アルトリウスはその視線に頷くとクイントゥス、そしてアエティウスとボニファティウスの2人を伴って一気に部隊の前に出る。

そしてアルトリウスがさっと右手を上げると、クイントゥスは奉げ持っている竜をあしらった吹流しを左右に打ち振った。

その合図で先頭を走っていた騎兵達は次々と盾の裏から手投げ矢を取り出し、西ゴート騎兵に向かって疾走しながら投げつけ始める。

   しゅしゅしゅしゅしゅ・・・・ひゅううぅぅぅぅ・・・・

アルトリウスらを背中越しに追い抜くように、数百本の手投げ矢がブリタニア騎兵の手から放たれ、鋭い風切り音を立てて雨霰と西ゴート騎兵に向かって飛ぶ。

   どかっ ぶしっ がつっ がん がぎっ

手投げ矢の攻撃を受け、前を走る西ゴート騎兵が顔や手足等といった鎧の隙間を射抜かれ、あるいは馬を撃たれて列を乱すが、半分程度が外れ、また当たった手投げ矢も鎧や兜ではじかれる。

突然の投擲兵器での攻撃ではあったが被害はそれほどでもなく、西ゴート騎兵は戦列に穴が出来ないよう冷静に損害を受けた箇所を後方の騎兵で埋め、横陣を維持したまま突撃を継続する。

しかし、ブリタニア騎兵は攻撃を跳ね除けられているにも関わらず、手投げ矢を次々と放ち続けた。

しゅるしゅるしゅるしゅる・・・

 第2陣、第3陣の手投げ矢が断続的に西ゴート騎兵へ降り注ぎ続け、徐々に西ゴート騎兵に損害が目立ち出す。

 更には突撃を掛けて双方が接近した分だけ手投げ矢の威力が強まった事で鎧を射抜かれる者が多くなり、西ゴート騎兵にはわずかな動揺が広がり始めた。

 そして距離がかなり縮まったところで、ブリタニア騎兵はそれまでの物と違う分厚い刃を持った手投げ矢を投げ始める。

    ざざざざああああっっ・・・・

 それまでのものとは異なる重い飛翔音と共に、手投げ矢が西ゴート騎兵の頭上に降り注いだ。

   ・・・・どどどどどどどっ

一瞬後、手投げ矢が西ゴート騎兵の鎧や兜を突き抜け、次々とその肉体を喰い破った。

ある西ゴート騎兵は、兜ごと頭を手投げ矢に射抜かれてものも言わずに落馬し、またある騎兵は馬の首に手投げ矢を受け、馬ごと逆さまに転倒する。

また鎧の隙間を射抜かれたり、鎧そのものを突き抜かれたりした騎兵が次々と絶命し、大怪我を負って落馬し、あるいは馬ごと転倒すると、それを避けようとした別の騎兵同士が衝突を起こす。

落馬した騎兵に蹴躓いて更にその上へと覆いかぶさるように転倒するものや、落馬したまま他の騎兵に踏み殺されてしまう者も続出し、西ゴート騎兵の戦列は一気に瓦解し、維持していた横陣は崩れ去った。

「格闘兵団突撃!」

 敵の戦列が崩れた事を見て取ったアルトリウスがすかさずそう号令すると、手投げ矢を放っていた騎兵達は素早く左右へと別れ、後方から一気に速度を上げてきたアルトリウス率いる白兵戦装備の騎兵達に進路を譲って後へと下がる。

 

   うおおおおおおおっっっ!!!!

 鯨波の声を挙げ、アルトリウスに率いられたブリタニア騎兵は長剣を振りかざして一気呵成に突撃し、西ゴート騎兵の乱れた戦列へ切り込んだ。

   どふっ! がつっ! ごりっ! ばしっ! ぶしゅっ! どぼ!

   うげえええええ うわああああ どええええ ぎゃああああ

 肉を切り、骨を絶つ生々しい音が絶叫と相まって凄惨な戦場を浮き立たたせ、それと同時に血や内臓、脳髄が飛び、流れ出し、そしてアクイタニアの土を赤く染めた後にその一部となってゆく。

 血と土と汗、生の肉の臭いが立ち込め、周囲を汚染する。

慌てて重槍を持ち直してブリタニア騎兵に対抗しようとした西ゴート騎兵達だったが、突撃用に特化した重い槍は、白兵戦で思うように使えない。

崩れた陣形を元に戻すことすら出来ず、不得意な近接戦闘へと持ち込まれてしまい、次々とブリタニア騎兵の長剣の錆となっていった。

また重く長い槍は白兵戦において、敵に対して隙を作る以外の役には立たず、西ゴート騎兵は助走を付けてからの一撃必殺の突撃という自分たちの利点を全く生かせないまま、ブリタニア騎兵の白刃の犠牲となってゆく。

 一方、装備を長剣にしたブリタニア騎兵は小回りの効かない西ゴート騎兵の振り回す重槍の合間を縫うようにして縦横無尽に西ゴート騎兵の戦列を切り崩していった。

 ブリタニア騎兵の白刃が煌き、その都度西ゴート騎兵の赤い血飛沫が絶叫と共に天空へと吹き上がる。

 最早これまでと重槍を捨て、背を見せて逃走にかかる西ゴート騎兵に、出番を待っていた投槍ピルムと手槍を装備したブリタニア騎兵がすかさず追撃にかかった。

 重装備の西ゴート騎兵であったが、後方から追い縋って来たブリタニア騎兵に矢や手投げ矢より遥かに威力のある投槍を打ち込まれ、更には槍で背中を鋭く衝かれて次々と討ち取られていく。

 ある西ゴート騎兵は背中から腹を槍で串刺しにされ、手綱を持ったままもがきながらもんどりうって落馬し、また別の西ゴート騎兵は投槍を首筋に受けて口から血を溢れ出させて馬の上に無言で倒れ伏した。

何とか反撃を試みようと必死の表情で剣を抜いた西ゴート騎兵は、ブリタニア騎兵に目ざとく見つけられ、左右に回り込んだその2騎から槍を脇腹へ突き込まれて、血を吐きながら叫び声を挙げた。

その内反撃を押さえ込んだアルトリウス率いる白兵戦仕様の騎兵も追撃に加わり、西ゴーと騎兵はたちまちの内に数を減らして壊滅し、残りの少数の騎兵達は敗走し始めた。

   わああああああ

 自分の持つ剣や槍を天へと突き上げ、アルトリウスを中心にして勝ち鬨の声を挙げるブリタニア騎兵。

 アエティウスとボニファティウスの2人はアルトリウスに付いて行くのが精一杯で、無我夢中で剣を振るい、敵の攻撃を防いでいる内に気が付けば周囲に敵は無く、ブリタニア騎兵の勝ち鬨を聞いた。

「・・・一体何が起こったんだ・・・」

「・・・勝ったみたいだな。」

 半ば唖然とする思いでアルトリウスや周囲のブリタニア騎兵を見つめる二人に気が付いたアルトリウスは、その表情を見て取って何かを察したのか、未だ血塗れた剣を手に持ったままにっと少し意地悪そうな笑みを作った。

「どうした2人とも?まるで何が起こったのか分からないというような顔をしているな、未来の西ローマを背負って立つ指揮官となるべき者が、それでは困るじゃないか。」

『・・・すみません・・・』

 顔を見合わせた後でそううなだれて答える2人に、アルトリウスは笑みを優しいものへ変える。

そうして長剣の血を振り落としてから鞘へと納め、馬を2人の馬の間へと強引に割り込ませるとその背中を手のひらで同時に強く叩いた。

 鎧越しに伝わる衝撃に驚いた2人が思わず顔をしかめると、アルトリウスは笑いながらすいっと馬を2人の前に出し、振り返って励ますように話しかける。

「そう暗い顔をするな2人とも、流れの速い騎兵同士の戦いの最中に私を見失わなかっただけでも大したものだ、作戦談義はまた後でするとしよう、まだ戦いは終わっていないからな。」

アルトリウスが指差す方向を見ると、西ローマ歩兵が盛んに挑発を繰り返す西ゴート歩兵の陣営に向かい、盾を揃えて全身を始めている様子が見えた。


「次はあの後方へ突っ込む、しっかり付いて来るんだぞ。」

 顔を引き締めて自分の言葉に力強く頷くアエティウスとボニファティウスの様子を見て、アルトリウスは満足そうに頷くと、クイントゥスに命じて周囲に散ったブリタニア騎兵を集結させ始める。

「集結しろ!警戒を怠るな!戦場から大分離れてしまったが、かえって好都合だ、敵歩兵に気取られないように後方へ回り込むぞ!」

   おおう

 陣形を整えなおしたブリタニア騎兵隊は、中央部で衝突間近な歩兵を余所に素早く動き出した。

 

 早くもブリタニア騎兵が圧倒的な強さで敵を破り、一旦戦いを終えたころ、中央部でもアルトリウスらが遠望したとおり、西ローマ歩兵1万と西ゴート歩兵4万が正面からぶつかろうとしていた。

「数を怖れるな!進めローマの誇りの為に!!」

 後方で幕僚達と護衛騎兵を従えたコンスタンティウスが激しく檄を飛ばす中、西ローマ歩兵は盛んに侮蔑的な態度を取り続ける西ゴート歩兵の戦列に向かって盾を構え、静かに前進を続ける。

 総予備として本陣の手前での待機を命じられたブリタニア歩兵2500は、その特徴である防寒用の羊毛で出来たマントをはためかせ、すらりとした長身の歩兵隊長を先頭に、黙ったまま油断無く敵を見つめていた。

 ブリタニア軍アルモリカ派遣部隊の歩兵隊長を務めるその長身の男はプリムス・トゥルピリウス。

ローマ時代は、ブリタニア東岸に築かれたサクソン海岸防衛要塞の一つを預かる司令官であったが、アルトリウスと同じくブリタニアの偽帝ことコンスタンティヌスの召集を拒んだが為に逮捕され、執拗な暴力を伴った要請にも屈せずブリタニアに居残ったという経歴を持つ無口な硬骨漢である。

さしもの偽帝コンスタンティヌスも、その秘めた情熱と信念を覆す事が出来ずにトゥルピリウスの居残りを認めざるを得なかった。

ブリタニア軍の新設当初は傭兵総監として外国人や蛮族部隊の編成と指揮を一手に担っていたが、ボルティゲルン勢力の崩壊後、その息子であるボーティマーの参入によってその地位を譲ったのである。

その見返りにアンブロシウスからは好きな役職をと打診されていたところ、トゥルピリウスの選んだのはアルトリウスの護衛騎兵隊長であった。

 本来副官であるクイントゥスが兼任する護衛騎兵の数はわずかに100騎。

 ブリタニア軍の精鋭から更に選抜されている部隊とは言え、決して今までのような花形の役職ではなく、トゥルピリウスの経歴から行けば役不足も良いところであったが、本人の強い希望で実現する事となる。

「・・・アルトリウス総司令官の行く所へ、いつでも、何処でも付いて行ける・・・」

 理由を尋ねたアンブロシウスにそう言葉少なに語ったトゥルピリウスであった。

 そのトゥルピリウスは、当然アルモリカ派遣部隊の中に加わっており、今回は歩兵部隊と騎兵部隊を分離して運用する必要があった事から、一旦護衛騎兵の指揮から離れてブリタニア歩兵部隊の指揮をアルトリウスから預かっている。

 アルモリカでの盗賊掃討やバガウダエ征討作戦ではよく歩兵部隊を掌握して我慢の要る伏兵や騎兵に追い込まれた敵を待ち構えて捕捉する役目を十分以上に果たしていた。

 短い期間で寡黙ながらも歩兵の特性をよく把握し、その武勇と指揮能力で兵たちからの信頼を確固たるものとし、今日までアルトリウスの要請で歩兵部隊の指揮官を務めていた。

 本人はこの大会戦においてアルトリウスの側で働く事を希望したが、歩兵部隊の兵士達から引き止められ、またアルトリウスたっての頼みとあって折れる事にしたのである。

 総予備というこれまた地味な役目を命じられたトゥルピリウスであったが、今日のこの場面においては必ず自分の出番があると確信していた。

「・・・・・」

 無言で右手を上げ、部下のブリタニア歩兵達に戦闘準備をするように命じるトゥルピリウス。

 前方では早くも西ローマの主力歩兵と西ゴート歩兵が投擲兵器の応酬を始めていた。

 手投げ矢や弓から放たれた矢が飛び交い、盾を構えてそれらを防ぎあう両軍。

 たまに戦列と盾の壁を抜けて飛来する矢に急所を射抜かれ、うめき声を上げて事切れる兵士達が散見されるが、未だ本格的な激突には至っていない。


 西ゴート軍は騎兵が少なく、アルトリウス率いるブリタニア騎兵に充てた部隊は敗走した上に、左翼側の西ローマ騎兵には対抗する騎兵がいない為、早くも両翼ががら空きとなっていた。

 両翼には騎兵の突撃に備えて槍兵を配置してはいるものの、側面の安全が十分に確保されているとは言えない。

そのため西ゴート軍はブリタニア騎兵と西ローマ騎兵の動向が気になるのか、盛んな徴発とは裏腹に、どこか及び腰の攻撃に終始している。

西ローマ軍も、敵が圧倒的に大軍である事から、むやみに攻撃をかける事はせず、味方騎兵の突入のタイミングを見計らっており、戦闘は未だ小競り合いに留まっていた。

じりじりと互いの距離を詰めながらも、決め手とそれぞれの理由から戦意に欠ける両軍歩兵隊は、激しく投擲兵器を相手へと浴びせながらも小競り合い、睨み合いの状態が続く。

と、その時、左右から相次いで火矢が飛んだ。

   びゅうううううううう・・・・・

地上からするすると伸びる火矢の軌跡を目にしたコンスタンティウスは、すうっと大きく胸一杯に息を吸い込むと、眦を開き、裂帛の気合を掛けて部下に命令を下した。

「全軍突撃!!」

    うおわああああああああ!!!!

 それまで盾をしっかりと地上に着け、文字通り守りを固めていた西ローマ歩兵1万は、コンスタンティウスの咆哮で突撃を開始した。

 迎え撃つ西ゴート歩兵4万は、分厚く4段に陣を構え、最初の陣が西ローマ軍の突撃をまず受け止めた。

    ごわああああん

    おああああああ

盾同士がぶつかり、剣が唸り、槍が飛び、怒声と悲鳴が交錯する。

 激しく大盾をぶつけ、盾同士の隙間や敵の間隙を縫って剣を突き込み、敵の盾を槍で突き破る西ローマ歩兵に対し、西ゴート歩兵は陣形を維持しようと盾を固く構えて防御一辺倒の備えを崩さない。

 何せ数が圧倒的に違う前線で直接戦う兵たちにも分かっており、それが西ローマ歩兵の必死さと、西ゴート歩兵のどこか余裕のある雰囲気に繋がっていた。

 今も西ローマ歩兵の猛攻にもかかわらず、西ゴート歩兵の陣形はほとんど崩れておらず、前線で指揮を取る西ローマ軍の歩兵隊長達に焦りと危機感が生まれ始めている。

 後方からもその様子は見えており、前線からの応援要請や味方騎兵の動向の問い合わせが次々と送られてくる中、コンスタンティウスはその全てに対し、冷静に対処する事と、決して味方の攻撃の手を緩めない事を伝えるよう言い含め、伝令を前線へと派遣していた。

 しかし更なる西ローマ歩兵の猛攻に対して、西ゴート歩兵はよく耐え抜いており、防波堤に当たっては砕ける波のように西ローマ歩兵の攻撃はいなされている。

 しばらくそういった膠着状態が続いたが、その内積極的に攻勢に回っていた西ローマ歩兵に疲れが見え始めた。

その時、西ゴート軍が動いた。

     どかああんん

     おおおおおおおおおおおお!!!!

 西ゴート軍は、それまでの守勢をかなぐり捨てて、突然爆発的な勢いで前進と突撃を開始し、4万の津波が西ローマ歩兵達に襲い掛かる。

それまで攻撃に耐え抜いていた事で膨らんだ鬱憤と怒りを一気に吐き出すかのように、火を噴かんばかりの突撃が全ての場所で開始された。

一転、守勢に回った西ローマ軍はそれまでの攻め疲れと敵の絶望的な数の差に圧倒されてじりじりと後退を余儀なくされ始める。

「味方の騎兵はまだか!?」

前線の歩兵隊長たちが声を枯らして部下の歩兵を激励し、後退を止めようとするが、直ぐに西ゴート歩兵の波に飲み込まれて乱戦へと引き込まれ、踏み留まるどころか秩序立った後退すら怪しい状況に陥った味方歩兵部隊に、コンスタンティウスは焦燥感を募らせた。

前線はそれまできっちり敵味方が別れた一本の線でのせめぎ合いから、西ゴート軍の攻勢と陣営への無茶な乱入によって、混戦乱戦の様相を呈してきており、このままでは4倍にも達する数の差で西ローマ軍は打ち砕かれてしまう事は、誰が見ても明らかである。


「耐えろ!味方騎兵が来るまでもう間も無くのはずだ!!」

 前線の歩兵達を励ますコンスタンティウスであったが、果たしてこの混戦状態で何時まで4倍もの敵の攻勢を支える事が出来るか確証は持てない。

時間との勝負である事は明白であった。

馬上のコンスタンティウスが歯噛みしながら彼方の西ローマ騎兵と、アルトリウス率いるブリタニア騎兵の姿を今か今かと待ちわびていると、長身の男が歩いて近付いて来るのに気が付いた。

「確か、トゥルピリウス・ブリタニア歩兵隊長だったな、何か用かな?」

 焦りの色も濃い顔付きではあったが、コンスタンティウスが努めて朗らかに話しかけると、トゥルピリウスはしばらく黙ったまま、コンスタンティウスの顔を眺めた後に口を開いた。

「・・・まだ勝負を諦めておりませんね?」

「当たり前だ!ここで引く訳にはいかぬし、第一わしは味方の騎兵とアルトリウス将軍を信じている。」

 その言葉に思わず大きな声を出すコンスタンティウスに、トゥルピリウスは口の右端を僅かに上げ、一瞬笑みを作る。

そしてその力強いコンスタンティウスの言葉にトゥルピリウスは頷くと、再び口を開いた。

「・・・総予備のブリタニア歩兵隊をこの機会に投入していただきたい、今を逃せば戦線の建て直しは難しくなるでしょう。」

 その言葉に顔をゆがめ、黙り込んでしまうコンスタンティウス。

コンスタンティウスの中で、手柄をブリタニア軍に根こそぎ持って行かれ兼ねないという西ローマ軍最高司令官としての思惑と、ブリタニア側の狙いはともかくとして、西ローマの都合ではるばる海を越えた遠征を強要した上に、援軍に過ぎないはずの西ゴート軍との決戦においてまで、ここ一番の重要で過酷な役目を次々と負わせてしまって申し訳ないという武人としての感情がぶつかり合ったのである。

 確かに今この機会を逃せば戦線は崩壊し、例え両翼の騎兵が活躍したところで本軍である歩兵隊が敗れた以上は、最終的に撤退、若しくは敗走といった惨めな結末が待っているだけであり、この戦いに勝つ為には躊躇する場面で無い事は十分理解している。

 しかしながら、コンスタンティウスはブリタニア軍に余りにも頼りすぎている現状に対する危惧と、勝利と言う実利の鬩ぎあいに落ち込んでしまったのであった。

しばらく悩みに悩んだコンスタンティウスは、やがて苦しそうに口を開いた。

「・・・分かった、それでは過酷な任務を負わせて申し訳ないが、一番崩されておる左翼から順番に立て直す、まずは左翼へ行ってもらいたい、立て直せたと貴官が判断すれば、一旦後方に戻ってくれ、次の投入場所を指示する。」

     がん

 武人コンスタンティウスの言葉に、トゥルピリウスは無言で自分の鎧をローマ式の敬礼で叩くと、くるりと振り返って配下のブリタニア歩兵隊に命令を出した。

「・・・ブリタニア歩兵隊進撃、任務は前線の保持、西ローマ歩兵隊左翼の一部に加担して戦線を立て直す。」

     おーっ!!

 満を持していたブリタニア歩兵隊は、勇ましい雄叫びを上げると、トゥルピリウスに率いられてローマ軍左翼へと向かった。


 西ローマ軍歩兵隊左翼の指揮を預かるアッピウスは配下の兵士が次々と討たれていくのを指をくわえて見ている事しかできなかった。

 既に陣形は崩壊し、豊富に用意した投擲兵器を使う間もなく戦列へ喰い込んで来た西ゴート歩兵によって乱戦に引きずり込まれてしまったアッピウス隊は、どんどん兵士の数を減らしている。

当初は倍以上の敵に対して盾を連ね、防御を堅くして攻勢を防いでいたが、一箇所が破られてからは一方的に押しまくられる展開となり、遂には乱戦へと移ってしまった。

戦線の綻びを繕おうにも、そもそも敵の方が圧倒的に兵数が多かった為、総予備は実力も未知数なブリタニア歩兵しか残していない。

ブリタニア騎兵については、トロサへ至るまでの道中の戦闘で大活躍を実際に目の当たりにしており、その実力に疑う余地は無いものの、歩兵隊については戦闘の機会が無かった事もあって未だ西ローマ軍の誰もが実力を測りかねていた。

 しかし、この状況となってはその様な事はもうどうでも良かった。

 ・・・とにかく援軍が欲しい・・・

 その思いのみで本陣のコンスタンティウスの元へ既に3回も伝令を派遣しているが、色よい返事は戻ってこない。

 そうこうしている内にも、アッピウスの部下達は西ゴート歩兵の剣や槍にかかって命を落としていた。

 アッピウス自身も剣を握り締め、襲い来る西ゴート歩兵と直接刃を交えて渡り合っており、周囲を顧みている余裕など無いのである。

「怯むな!持ち場を死守しろ!!騎兵部隊が来るまでの我慢だ!!」


 アッピウスは周囲の兵士達にそう呼びかけるのが精一杯で、次々に飛び掛ってくる敵に剣を向け、盾をかざし歯を喰いしばって立ち向かっていた。

今もまた盾ごと体当たりしてきた西ゴート歩兵をかわし、露わになった側面からそのこめかみへ剣の柄を叩き付け、ふらついて背中を見せたその歩兵を鎖帷子ごと横から切り下げる。

  ざこっ

 乾いた妙な音を立て、西ゴート歩兵が背中の傷から血を吹き上げて倒れ伏すと、また新たな西ゴート歩兵が正面から剣を突き込んできた。

「くそっ!!キリが無いっ!援軍はまだかっ!?」

 自分の剣でその一撃を受け止めてから相手の剣へ体重を乗せて捻り落とすと、アッピウスはがら空きになった顔面へ左の盾を水平に振るう。

   ぼぐ

 鈍い音と共に西ゴート歩兵の顔面が盾の縁の形に陥没し、その歩兵はものも言わずに舌をだらしなく口の端から垂れさせて事切れた。

   ざしゅっ

 その瞬間、アッピウスは背中に鋭い痛みを感じて前のめりに崩れ落ちそうになった。

「ぐうっ!?」

 何とか剣で体を支えて憤怒の形相で振り返ると、今正にアッピウスの背中へと切りつけた西ゴート歩兵が、振り向いたアッピウスの頭に向かって更に剣を叩き付けようとしている姿が目に入ってきた。

 とっさに振り返って盾で受けようとしたアッピウスは、しかし鋭い背中の痛みに気を奪われて動作が遅れた。

・・・くっ、これまでか・・・

致命的な動作の遅れを悟ったアッピウスが覚悟を決めて膝を地に着ける。

「・・・諦めるのはまだ早い。」

・・・!?・・・

アッピウスがその声にはっと顔を上げる。

がぎいいいいいん

 顔を上げたアッピウスの目の前に差し出された剣が敵の一撃を受け止め、鋭い金属同士がぶつかる音と共に激しい火花を散らす。

 そのまま西ゴート歩兵の剣の刃上を火花を散らしながら滑る様に摺り上げられた剣は、呆気に取られる西ゴート歩兵の喉下へと吸い込まれていった。

     とすっ

 軽い音と共にその剣先が喉を簡単に貫き、アッピウスを狙った西ゴート歩兵は、喉元を押さえた手の隙間から真っ赤な血を溢れ出させながら前のめりに白目を向いて倒れ伏す。

「・・・ブリタニア歩兵隊長プリムス・トゥルピリウスだ、アッピウス歩兵隊長だな・・・大丈夫か?」

「ああそうだ・・・済まない、助かった、傷は深くは無いようだ。」

 トゥルピリウスがアッピウスを助け起こしながらそう言うと、アッピウスは浅いと言った背中の傷の痛みに顔をしかめながら答える。

 トゥルピリウスはアッピウスの言葉に頷くと更に言葉を継いだ。

「・・・負傷したところで済まないが事態は急を要する、速やかに戦線の立て直しを図りたい、取り敢えず一旦ブリタニア歩兵隊が敵を支えて押し戻す、その隙に戦列を建て直し盾の壁を作って欲しい。」

「分かった。」

 立ち上がったアッピウスが前を見ると、既にブリタニア歩兵が盾で戦列を形づくって戦線に加わり始めている様子が見て取れた。

 ブリタニア歩兵の戦列は徐々に前線へと迫り、乱戦の枠を越えて来た西ゴート歩兵を討ち取りながら、着実に前進を続ける。

 やがて混戦の中に割って入ったブリタニア歩兵は苦戦している西ローマ歩兵の袖を引き、自分の後方へ誘導しつつ、盾を堅く構えて西ゴート歩兵の浸透を防ぎながら戦列に入り込んだ敵兵を完全排除する。

瞬く間に前線は2500のブリタニア歩兵によって形作られ、その後方でアッピウスは簡単に部下の兵士をまとめ直し、再び新たな防御陣形を形作る事が出来た。

 若干攻め疲れの見える西ゴート歩兵とブリタニア歩兵は、盾を介して押し合い圧し合いを繰り返し、次第にコンスタンティウスの意図した歩兵同士の膠着状態が生まれる。

「トゥルピリウス隊長!立て直し完了だ!兵たちの入れ替えを頼む!!」

「・・・了解した。」

 アッピウスの怒鳴り声を聞き取ってそう返事したトゥルピリウスがブリタニア歩兵へ前線交代の合図を出すと同時に、アッピウスも部下達に交代の合図を出す。

 3段に重なって陣形を作っていたブリタニア歩兵の間を縫って、西ローマ歩兵が前線へと出、そして盾を構えて西ゴート歩兵を防いでいたブリタニア歩兵の直後へ着くとその肩を叩いた。

 前後の兵士が息を合わせて、素早く入れ替わる。

 ブリタニア歩兵は西ローマ歩兵が自分の右側から盾を敵に対して向けるのと同時に自分の盾を左小脇に抱えて後ずさりで後方へと下がった。

 たちまちの内に前線の兵士達はブリタニア歩兵から西ローマ歩兵へと交代し、崩壊しかけていた左翼前線の立て直しが成る。

「トゥルピリウス隊長、ありがとう、助かったぞ。」

「・・・礼は、勝ってからで結構だ・・・」

「おう!それでは祝勝会の席でな!!」

   ごごん

 互いの裏拳を交差して打ち付け合った2人は、にかりと笑い合い、それぞれの戦場へと戻った。

 

 戦場の後方まで駆け抜けたアルトリウスらブリタニア騎兵は、左翼から特に抵抗らしい抵抗も受けずに進撃してきた味方の西ローマ騎兵と合流を果たす事ができたものの、ここで頑強な抵抗に遭う。

 後方からの襲撃を怖れた西ゴート王アタウルフが差し向けてきた西ゴート族の貴族騎兵、つまりは敵が温存していた精鋭騎兵部隊と遭遇したのである。

 数は3000程度と西ローマ騎兵を合わせた味方の騎兵部隊と比べて少数であったが、その精鋭ぶりは侮り難く、機先を制せられたアルトリウスらはたちまち乱戦に巻き込まれてしまった。

 特に障害も無くここまで作戦通りの展開に終始していた事から、アルトリウスは早めに合図の火矢を放ってしまっており、その後遭遇した敵の精鋭部隊に苦戦を強いられ、足止めを喰っていたのである。

 作戦を一旦停止させようと2本目の火矢を放つ事を命令しようとした西ローマ騎兵部隊の隊長は、直ぐにその行動から司令官である事を見抜かれ、近くに居た副隊長ともども西ゴート騎兵が群がるようにして押し包み、たちまち討ち取られてしまった。

 今や西ローマ騎兵を合わせた5500騎の騎兵部隊を率いるアルトリウスは、必死に部隊を立て直そうとしたが、乱戦、混戦で命令の伝達そのものがままならない状態では如何ともし難く、ずるずると敵の思うがまま乱闘に引き込まれてしまっていた。

「くっ、油断したかっ!?」

 かかってきた敵騎兵を一刀の元に切り捨てながら、自分の判断の甘さに歯噛みするアルトリウスであったが、何とか事態の打開を図ろうとあちこちを見回す。

 その視界に一騎の西ゴート騎兵の威丈夫が入ってきた。

 その西ゴート騎兵は重槍を木切れのように軽々と振り回し、遠心力を利用した重い横殴りの一撃で西ローマ騎兵を盾ごと吹き飛ばし、返しで反対方向から手投げ矢を放とうとしていたブリタニア騎兵の胸を突き抜いた。

 たちまち数騎の味方騎兵が討ち取られて、周囲にはぽっかりと空間が開けてしまう。

    べっ

 怖気づいた味方騎兵を嘲笑うその西ゴート騎兵は、汚らしくブリタニア騎兵の遺骸の上に唾を吐き捨てると、アルトリウスの方向を見て黄色い歯を見せ、薄ら笑いを浮かべた。

 同僚の遺骸を汚されたブリタニア騎兵が激昂して左右から襲い掛かるが、その西ゴート騎兵は突き出された槍を巨体からは想像もできない柔軟さと素早さでかわし、逆に自分の重槍を刃音も鋭く振り回すと、ブリタニア騎兵の首が相次いで飛ぶ。

 アルトリウスはなおも重槍を風車のように振り回してブリタニア騎兵を寄せ付けないその西ゴート騎兵に対し、付き従うアエティウスとボニファティウスが顔を青くするのも構わず突進した。

アルトリウスが向かってくるのを認めた西ゴート騎兵は獣のような唸り声をあげ、ぶんぶんと風切り音も鋭く槍を振り回しながら、その切っ先をアルトリウス目がけて突き出して来た。

稲妻のような重槍の一撃を、しかしアルトリウスは右手で強く握った長剣の柄元で受け、軽く捻りを加え西ゴート騎兵の剛力を受け流す。

火花を散らして流れ行く重槍の穂先を尻目に、アルトリウスは素早く長剣を返すと、重槍を3分の1程のところで叩き切った。

    どかっ

重槍による必殺の一撃をかわされて前のめりにバランスを崩し、更には堅い材木で作られた重槍を一撃で切り飛ばされて顔を青くした西ゴート騎兵の喉を、アルトリウスは長剣ですれ違い様に切り上げる。

    ばさっ

 西ゴート騎兵の首が半ばからぱっくりと裂けた。

ぶへっ

 血しぶきと共に空気の抜けるような声を最後に上げ、西ゴート騎兵は重槍を取り落としてから、ゆっくりと横転するように馬から落下する。


 一瞬後、西ゴート騎兵隊に乱れが生じた。

 あちらこちらで西ゴート騎兵が何事かの叫び声を上げ、動揺が広がっていくのが分かる。

「アルトリウス隊長!今のは敵の指揮官だったようです、敵は動揺しています!」

 肩で荒い息をしながら周囲の西ゴート騎兵を窺っていたアルトリウスに、後方からアエティウスが上ずった声を掛けてきた。

「退却するか否かを相談しているようですが、誰も上級の者が居ないので混乱しているみたいです。」

ボニファティウスがアエティウスの言葉を継いで落ち着いた声でアルトリウスに言った。

確かに、西ゴート騎兵はアルトリウスを見て動揺しており、またその為か当初のように攻撃に勢いが失われている様子が見て取れた。

依然として混戦状態は脱し切れていないが、腰の引け始めた西ゴート騎兵に敏感に反応した西ローマ騎兵やブリタニア騎兵が防御から攻勢に回り、一転して優位に立つ。

「2人はゴートの言葉が分かるのか?」

 アルトリウスがアエティウスにそう尋ねると、役に立った事が嬉しかったのか、アエティウスは満面の笑みでアルトリウスを見ると、少し得意げに口を開いた。

「はい、コンスタンティウス閣下の計らいで、西ローマ帝国に関係のある蛮族の言葉は、一通り話せます。」

「各地の蛮族の居留地に滞在した事もあります。」

 ボニファティウスも少しはにかみながらそう答える。

「・・・そうか、それは凄いな・・・敵はよく知らなければならないということだな。」

 アルトリウスは感心したように2人を見ると、1人頷きながらそうこぼしたが、次の瞬間には眦を吊り上げて戦場をにらみ付けた。

「何れにせよ今が好機!行くぞ!!続け!!」

『はいっ!!』

 アエティウスとボニファティウスの2人に声を掛けると共に、周囲の50騎程の騎兵達を集結させたアルトリウスは、戦場に突っ込んでゆく。

「かかれっ!!」

 乱戦状態の場所に横合いから突っかかったアルトリウスは、後方から西ゴート騎兵を次々に討ち取り、切り伏せて味方を再度集結させる。

 そうした作戦で集団を徐々に大きくしたアルトリウスは、混戦状態に終止符を打つ事に成功し、指揮する者を失った西ゴート騎兵は退却か踏みとどまって戦うかの選択すら曖昧なままいたずらに犠牲を拡大させていった。

 更にアルトリウスは、余裕が生まれたことから元々兵力で勝っている西ローマ、ブリタニアの騎兵隊の一部を分けて300騎の別働隊を2つ編成し、アエティウスとボニファティウスの2人にそれぞれ指揮を預けて待機させた。

敗走した敵騎兵の再集結を防ぐためで、2度と戦場に戻らないよう追い散らし、可能であれば討ち取る事が2人の部隊に与えられた任務である。

2人にはお目付け役としてベテランの古参騎兵を副長として補助に付けた。

「頑張りますっ!」

「ご期待に沿えるよう全力を尽くします。」

 気負ってそう言う2人を微笑ましく思ったアルトリウスは馬に乗ったまま、護身用に持っていた2本の短剣を1本づつ同じく馬上の2人へ投げた。

   ぱし

 投げられた短剣を慌てて受け取った2人へ、アルトリウスは笑顔でお守り代わりだと前置きしながら告げる。 

「任務は単純だ、難しく考える事も、焦る事も無いし、無理をする必要も無い、分からない事があれば副長に相談するように。」

『分かりました!!』

 元気良く返事する2人に手を上げながら、アルトリウスは主戦場の指揮へと戻る。

 

 アルトリウスは主戦場に着くと、すぐさま全面的な攻勢をしかけるように命令を出し、自らも直接ブリタニア騎兵の内長剣を持った白兵戦装備の騎兵を率いて一気に前に出た。

    おおおおおおお!!!

    どどどどどどど!!!

 それまで前面で敵の攻撃を受け止めつつ戦っていた西ローマ騎兵の斜め横から、新手となったブリタニア騎兵が突撃すると、そこで大勢は決した。

 それまで及び腰ながら、精鋭らしく何とか踏みとどまって戦っていた西ゴートの精鋭騎兵が背を向けて戦場から離脱し始めたのである。

 てんでばらばらにそれぞれの方向を指して主戦場から逃げ始める西ゴート精鋭騎兵を、アエティウスとボニファティウスの2人が巧みに追撃し、討ち取っていく。

 アエティウスはアルトリウスを見習ったのか、自分が先頭に立ち剣を振るいつつ、部下の騎兵達を鼓舞して追撃戦を展開しており、またボニファティウスは副長となった古参騎兵を傍らに置き、後方から騎兵達を動かして追撃の指揮をとっていた。

 わずか300騎の騎兵を指揮するだけであったが、2人は自分の向き不向きを冷静に見極め、それぞれの方法でまずますの指揮を執っている。

 アルトリウスは西ゴートの精鋭騎兵を討ち破り、また敗残兵を追い払って主戦場から敵をほぼ一掃し終えると、再び今日何度目になるか分からない再集結を騎兵隊に命じ、全騎が揃った事を確認した上で各騎兵小隊長に点呼を取らせ、現有兵力の把握に努めた。

「西ローマ騎兵1800騎、ブリタニア騎兵2300騎、計4100騎集合完了しました!」

副官のクイントゥスが集計を持ってアルトリウスに報告する。

アルトリウスはその声に頷き、疲労の色が濃いものの、勝利に鋭気を漲らせた健在な騎兵達に向かって声を張り上げた。

「騎兵諸君!激しい戦いで疲れているだろうが、最後の仕上げが待っている!もう既に約束した時間から大分遅れてしまっているだろうが、これを果たさずして我々の勝利は無い!コンスタンティウス閣下率いる歩兵隊の戦友が我々の到着を今かと今かと首を長くして待っているだろう!騎兵諸君!私と共に進もう!勝利の為に!」

    うおおおおおおお!!

わあああああああ!!

 アルトリウスの激励に、剣を掲げ、槍を突き上げて答える騎兵達。

 その中に混じっていたアエティウスは、自分が不思議な高揚感に包まれているのが分かった。

 隣にいる、いつも冷静なボニファティウスも、同じような感覚に襲われているらしく、無表情ながらも戸惑いと高揚で顔を赤くしている。

 騎兵たちの雄たけびをどこか遠くに聞きながら、アエティウスがぼんやりとボニファティウスの顔を眺めていると、その視線に気付いたボニファティウスが振り向いた。

 自分の方を見ているアエティウスの表情を見て、ボニファティウスは少し照れたように俯きながら言った。

「・・・不思議な感覚だな、でも嫌な感じはしない。」

 その言葉に頷きながらアエティウスも答える。

「お前もか~実は俺もそうなんだ・・・これがアルトリウス将軍かぁ・・・」

 羨望と嫉妬が綯い交ぜになったような複雑な気持ちを抱えたアエティウスがそう漏らした。

「アエティウス!ボニファティウス!」

 剣を抜いて騎兵達の歓声に応えているアルトリウスをぼんやりと見ていると、突然クイントゥスに大声で呼びかけられる。

2人が驚いて振り向くと、凄みを効かせたクイントゥスの笑顔があった。

「呆けている時間は無いぞ?アルトリウス司令官から伝言だ、引き続き遊撃騎兵隊の指揮を執ってくれとの事だ。」

『・・・はいっ!』

 反射的にそう答えた2人は直ぐにお互いの顔を見合わせる。

「頑張れよ、アルトリウス司令官の期待を裏切るんじゃないぞ。」

 クイントゥスはそう言い残すとアルトリウスの元へと戻って行った。


 アルトリウスは騎兵部隊を再編成し、重装備の西ローマ騎兵を中央に配して自身が直接率い、左翼に手槍装備のブリタニア騎兵、そして右翼には投擲兵器を装備したブリタニア騎兵をそれぞれ配置した。

 先程までアルトリウスが率いていた長剣装備のブリタニア騎兵は遊撃騎兵隊としてアエティウスとボニファティウスの2人に指揮を任せており、これは後方に置いた。

 西ローマと西ゴートの歩兵隊が激突している主戦場は、視界にこそ入っているものの既にかなりの遠方になっている。

 西ゴートの精鋭騎兵に時間稼ぎと戦場からの引き剥がしを許した結果となっていたが、アルトリウスは冷静に歩兵同士の戦闘を遠望していた。

 特徴の有る旧式の装備で統一されたブリタニア歩兵隊が一糸乱れぬまま左翼に向かい、戦闘に参加する様子が見える。

 先頭に立ったアルトリウスは、騎兵達の疲労具合が少し落ち着くのを待ちながら緩やかに戦場へと向かって前進する。

 しばらく進み、戦場がはっきりと見える場所まで来ると、明らかに惨憺たる苦戦を強いられている西ローマ軍の様子が手に取るようにわかった。

 西ゴート軍の大軍に圧し包まれ、包囲される寸前で踏み止まって必死に戦う歩兵達と、その歩兵達を支えるべくあちこちへと走り回って指示を伝えている将官達。

 後方では剣を抜いたコンスタンティウスが、決死の面持ちで指揮をしている姿までが見える。

 そんな味方の苦戦ぶりを見た騎兵達にみるみる気力が漲り始めるのをアルトリウスは背中越しに感じ始め、思わず顔が笑みにほころぶ。

「・・・トゥルピリウスが大分頑張ってくれているようです、もうしばらくは何とか持つでしょう。」

「ああ、しかし猶予は無い状態だな・・・騎兵達の疲労も気になるところだが、これだけ気力が充実していれば大丈夫だろう。」 

 アルトリウスは、クイントゥスの言葉に顔を前に向けたまま答えると、息を思い切り吸い込んだ。

「騎兵隊突撃!!!西ゴートの蛮族どもを蹂躙せよ!!」


 西ゴート王のアタウルフは、後方から聞こえた微かな声に違和感を覚えた。

 ふと気になって後方を見るが、特に何も見えるものは無い。

 アタウルフは後方から迫るであろう敵のローマ騎兵に対してゴート貴族の子弟で編成された精鋭の騎兵部隊を送り込んでいた。

優勢な敵の西ローマ騎兵には幾分、分が悪いのは承知していたが、西ゴートにもう騎兵はいないと油断している敵の不意を突ければ十分に阻止は可能だと踏んでいたのである。

 アタウルフも優勢な敵騎兵に対する勝利は難しいと考えており、そこまでの期待はしておらず、味方の騎兵はただ正面の西ローマ軍を撃破する時間を稼いでくれればよいと考えていた。

 このままの状態が続けば、西ローマ軍は数の差に圧倒されて敗走を始める事は間違いなく、西ゴート軍の勝利は時間の問題でとなりつつある。

 この戦いに勝利すれば、アタウルフと西ローマ皇帝の妹との婚姻を阻止するものは無くなり、晴れて彼は西ローマの皇統の一員として西ローマ帝国の権力を併せて手に入れる事が出来る。

 自分自身は無理としても、ゆくゆくは息子もしくはその次の代で西ローマ皇帝の地位を襲う事も夢物語ではない。

 蛮族と蔑まれ続けているゴート族が西ローマ帝国に支配者として君臨する時代がもう少しでやってくるのだ。

 アタウルフは西ローマ帝国との対立を深めた際にコンスタンティウスから海路、陸路の両面から厳重な経済封鎖を受けた。

支配していた地域であるアクイタニアごと兵糧攻めにされた事で、飢えが西ゴート族のみならず住民にまで広まり、度重なる反乱や反抗にも煽られ、西ローマ帝国に屈した形で敗北的な講和を結び、封鎖を解いてもらったのである。

この事によってアタウルフは部族内でかなり求心力を失っており、アタウルフとしても、皇妹との婚姻は起死回生の一手なのである。

 むろん、西ローマ帝国の猛反発はもとより、部族内からの反対意見も予想された事であったが、内部に対しては強権で反抗を押さえ込み、外部の西ローマ帝国に対してはこの日の決戦へと何とか持ち込む事が出来た。

 ここで勝てば全てがうまく回り始める。

 アタウルフはそう考え、今日の決戦に全てを賭けていた。


 感じた違和感を振り切るように前方の西ローマ帝国軍に目を向けるアタウルフ。

 そこには圧倒的な優勢さで西ローマ歩兵を押しまくる西ゴート歩兵の姿があった。

・・・何も心配する事は無い、敵は我が西ゴート歩兵の猛攻に怖れをなし、ただ身を守る事しか出来ていないではないか・・・

反撃の気配すら見せず、盾を固めて防御の陣を堅持する西ローマ歩兵隊を遠望し、根拠の無い不安な気持ちを無理矢理振り切ったアタウルフは、更なる攻勢を掛けるべく、総予備として取っておいた槍兵部隊を投入するべく伝令を呼び寄せた、その時。

   ぎええええええ・・・・!!

左翼側から味方の悲鳴が風に乗ってアタウルフの元に届いた。

・・・何っ!?・・・

硬い表情で悲鳴が聞こえてきた方向へ慌てて顔を向けるアタウルフの表情に戦慄が走る。

何処から現れたのか、2000余りのローマ騎兵が左翼の歩兵に対し、横合いから峻烈な突撃を掛けて喰らい付いている様子が見て取れた。

馬に跳ね飛ばされ、蹄の下敷きになり、長剣の刃で背中を切り裂かれた西ゴート歩兵が逃げ惑い、一瞬にして左翼の戦列が崩れ去る。

しかし、ローマ騎兵は深追いせずに、最初の突撃で西ゴート軍の左翼に大打撃を与え終えると、さっと素早く反転し距離をとった。

    ぐああああああ・・・・!!!

今度は右翼側から悲鳴が轟く。

慌てて逆方向を振り返るアタウルフの目に、ブリタニア騎兵から放たれた黒い無数の影が味方歩兵の右翼に降り注ぐ様子が飛び込んできた。

右翼に迫ったブリタニア騎兵が、前方の西ローマ歩兵への攻撃に集中している西ゴート歩兵の無防備な背中に、横合いから手投げ矢と投槍を雨あられと浴びせかけたのである。

全く意識していなかった後方からの投擲兵器の飛来に、次々と背中や臀部、足、そして後頭部や首筋を射抜かれ、投槍を突き立てられた西ゴート歩兵が恐慌状態に陥った。

必死に戦列を維持し、前面の西ローマ歩兵への攻勢を継続しようとする部族長の統制を受け付けず、てんでばらばらに動き始める西ゴート歩兵。

我先に後方へ退避しようとする者と、盾で投擲兵器を防ごうとする者、はたまた剣で叩き落そうとする者等で右翼の戦列が乱れる。

そして右翼側の騎兵は左翼と違い、距離を保ちつつ混乱している西ゴート軍右翼にしつこく手投げ矢や投槍での攻撃を何度も繰り返した。

みるみる内に西ゴート軍右翼の損害が大きくなり、混乱が収拾不可能なものとなってしまう。

・・・どういうことだ?・・・

アタウルフは混乱した。

歩兵同士の戦塵に紛れて接近して来たローマ騎兵を、自分を含めた後方の指揮官達が発見できなかった事は理解できたし、直に攻撃を受けた歩兵隊は横合いからの接近であった事から発見が遅れた事も理解できた。

来るならばてっきり真後ろからだと思い込んでいた事も原因であろう。

更に、西ゴート族も蛮族の特性とも言うべき戦闘に対する熱中性を多分に持っており、激しい戦闘、しかも間もなく勝ちが見えている戦闘における盲目、熱中振りには定評がある。

これは戦闘中において周囲の状況が目に入らないくらい戦いに熱中してしまうからで、この特性が西ゴート族を含めた蛮族戦士の強みであり、また弱みでもあった。

しかしそれにしても直接攻撃を受けるまで敵騎兵の出現が分からなかったというのはおかしい。

身を隠す場所に事欠かない山岳地帯や丘陵地帯であればいざ知らず、ここは後背に控えるピレヌス山脈の山裾とはいえ平原である。

混乱しているアタウルフの足元に、その答えがすうっと流れてきた。

・・・何だ!?・・・これはっ!!?・・・

見ればうっすらと戦場の左右から中央に向かって煙が流れ込んで来ている。

戦塵に紛れ込んではいるが、明らかに人工的で視界を塞ぐ意図を含んだその煙は、匂いから狼煙で使われるのと同種のものと知れた。

「・・・違和感を感じたのはこれだったか・・・。」

思わずそう漏らしたアタウルフは、今更ではあったが後方を眺めた時に感じた漠然とした不安と違和感の正体に気が付いた。

「くっ!煙に紛れて攻撃を仕掛けてくるとはっ・・・!」

不気味な煙は、静かに西ゴート軍を包囲しようとしている。


戦場から少し離れた地点に、農夫の格好をした数人の男達が黙々と火を焚いていた。

一見すれば、刈り取った後の麦藁や雑草を野焼きしているように見えるが、農夫達の動きは活発で機敏であり、そして本来の農夫のような穏やかさやのんびりさが全く無い。

見張り役の者までおり、農夫というには隙が無く、また野焼きをするような季節でもないが、戦場と化したこの周囲にそれを見咎めて指摘するような人間は誰もいなかった。

その怪しげな農夫達は、鋤を使って地面を掻き、更に掻いた土を盛り上げて土塚をいくつも作っていた。

別の農夫はその土塚に穴を穿ち、その中へ草や木の葉を積むと、それらの上に乾燥した羊の糞を乗せ、松明で火を付けていく。

しばらくすると、火を付けられた土塚から真っ白い煙がほのかに立ち上り始め、それはすぐに間を置かず太い白煙となって盛んに吹き上がり始めた。

既にそういった土塚があちらこちらに作られ、同じように白い煙をもくもくと吐き出している様子が見える。

煙は周囲を回りつつ少しずつ高度を上げながら静かに戦場へと向かって流れ出す。

「・・・策が図に当たったか、我が主殿は強運の持ち主であるな。」

 ひっそりと誰に告げるでもなくそう言ったアトラティヌスは、自分の周りに集まってきた影の様な諜報員達に顎をしゃくって見せた。

 配下の者達が釣られて戦場の方向を見ると、白い煙が戦塵に紛れつつもはっきりと西ゴート陣営の方へと向かって流れてゆく様子が見て取れる。

「よし、役目は終えた、速やかに撤収する。」

 アトラティヌスの言葉が終わるか終わらないかの時には、既に配下の者達は自分達が立てた煙に紛れて姿を消し、アトラティヌスもにやりと不気味な笑みを残し、踵を返して戦場を後にした。

「後は、我が主殿の活躍次第であろうな。」


「急な頼みだったが、アトラティヌスは上手くやってくれたようだな。」

 アルトリウスは、戦場に向かって流れる白い煙を眺めながら一人つぶやいた。

 アトラティヌスはアルモリカ遠征にも相当数の間諜を各地に放って情報収集や攪乱作戦に活躍しており、今回の戦役にもアルトリウスはアトラティヌスを同道していたのである。

アルトリウスは近辺に紛れていたアトラティヌスを呼び、急遽煙幕を張るよう依頼した。 

 見渡す限りの平原で姿を隠すのには限界があり、敵が大軍である上に歩兵主力同士の衝突では圧倒的な数の力で押しまくっている状況が見受けられたため、生半可な攻撃では勢いの付いた敵に跳ね返されてしまう可能性があった。

 その為、アルトリウスは奇襲効果を高めて敵の動揺と、味方戦力の誇示を狙ったのである。

煙幕下での騎兵による突撃をあらゆる方向から波状的に繰り返し行う事で、捕捉を困難にし、更には味方の騎兵兵力を過大に見込ませることが目的であった。

アルトリウスはこちらの戦力が敵に伝わらないよう、わざわざアエティウスとボニファティウスに追撃専用に部隊を割き与え、敗走する敵騎兵を執拗に追い込んで討ち取り、追い散らしておいた。

白煙が戦場全体に充満する前に、敵と味方の位置を把握し、アルトリウスは騎兵最大の脅威である西ゴートの槍戦士が戦場に投入された事を確認してから攻撃を仕掛けるよう命令を下してある。

幸い、煙が流れ始めた時にはもう予備兵力として西ローマ歩兵隊の殲滅に向かったらしく、槍戦士の姿は戦場にあった。

「西ローマ騎兵は続け!敵左翼に突撃!!」

 アルトリウスの号令に、西ローマ騎兵2000が西ゴート軍左翼へ突撃を開始する。

白煙の中を突っ切っての突撃に、敵である西ローマ騎兵の接近を全く事前察知できなかった西ゴート軍左翼の歩兵達は、背中を切りつけられた味方の悲鳴でその事実に気が付いた。

鯨波の声を禁じられての突撃に、西ローマ騎兵は当初戸惑いを見せるが、無防備な西ゴート歩兵達の背中を見るに至って、それは一瞬で吹き飛ぶ。

 本来後方であるはずの西ゴート歩兵左翼の後陣は、たちまち怒声と悲鳴、剣戟の音鳴り響く戦場の真っ只中と化した。

 アルトリウスは西ゴート歩兵が十分に混乱した事を確認すると、直ぐに引き上げのラッパを吹かせ、一旦戦場から離脱する。

「これ以降の攻撃は一撃後速やかに離脱!反復して一撃離脱攻撃を行う、煙が有効な内は引き続き鯨波の声は出すな、歩兵同士の戦いに紛れてあらゆる方向から攻撃しろ、騎兵は基本的に味方だけだが、くれぐれも同士討ちには気をつけろ。」

 アルトリウスは各隊にそう攻撃方法等について注意をすると、槍戦士の部隊には投擲兵器を装備したブリタニア騎兵を当てた以外は、各小隊長の判断で攻撃するように命令を下した。


「ふうむ、いよいよか・・・」

コンスタンティウスは、何処からともなく流れ込んできた白煙ににんまりと笑みを浮かべてそう言った。

将官達は煙が戦場に流れ込み始めた事で周囲の状況を把握し辛くなっており、西ゴート軍の策略ではないかと色めきたった。

ただでさえ劣勢に追い込まれているところに、煙幕で指揮や命令伝達に支障を来たせば、西ローマ軍が西ゴート軍に唯一勝っている円滑な指揮命令が崩れてしまう。

しかし、コンスタンティウスだけは落ち着いて思案下に周囲の白煙を眺めており、やがて納得したかのような表情になってそう言葉を発したのであった。

「・・・軍総司令官殿、この煙がどうかしましたか?」

これまでの悲愴な顔付が嘘のようなその笑顔と言葉に、混乱気味であった周囲の将官達が訝しげに尋ねると、コンスタンティウスは朗らかに答えた。

「おそらくアルトリウス司令官の策であろうよ、アタウルフめにこの様な策を弄する必要はないし、そもそも思いつく頭もないだろうからな、味方騎兵の到着は間もなくだ。」

その言葉が終わるか終わらないかの内に、左翼を立て直し、一旦後陣へと戻っていたトゥルピリウスがコンスタンティウスの元へとやって来た。

「・・・コンスタンティウス総司令官、この煙にはブリタニアの羊の糞を燃した臭いが混じっている、おそらくはアルトリウス司令官がやったのだと思う・・・」

「そうか、貴官もそう思うか、流石はアルトリウス司令官だ。」

 トゥルピリウスの言葉を聞いて意を強くしたように力強く頷くと、コンスタンティウスは未だ戸惑いを隠せない将官達へ活を入れた。

「・・・何をぼさっとしておるか!さっさと総反撃の準備をせんかっ!伝令!!歩兵隊に命令!総反撃に備えて反発力を蓄えよ!わしの号令で一気に攻勢へ移る!!」

コンスタンティウスの一喝で、それまでイタズラにうろたえているばかりだった将官達が動き出し、伝令は前線の歩兵隊に命令を伝えるべく走り去った。

「行くぞ!ゴートの蛮軍どもっ!我が軍の冴え、今こそ目に物見せてくれるわっ!!!」


アルトリウスは数十回に渡る波状攻撃を西ゴート軍の側面や背面から仕掛け、西ゴート軍主力を混乱へ陥れる事に成功していた。

何時何処からどの様な攻撃方法で仕掛けてくるか分からないブリタニア騎兵と西ローマ騎兵の攻撃に、西ゴート歩兵はまともな戦闘にすら持ち込めず、ただ一方的に攻撃されるばかりとなっている。

白煙を衝いて出てくる騎兵に翻弄され、西ゴート軍は次第に槍戦士を中心とした防御陣を形成し始めており、西ローマ歩兵への攻撃が鈍り始めた。

アルトリウスは波状攻撃を一旦止め、西ゴート軍後方からの一斉突撃を敢行するべく騎兵隊に再集結を命じ、全員が揃った事を確認すると声を張り上げた。

「ブリタニア騎兵の投擲兵器で敵の槍部隊を潰して突破口を開き、後の騎兵隊は一気にその突破口から敵陣に突入し、乗り崩しを掛ける!」

 配下の騎兵達にそう指示してから、アルトリウスはアエティウスとボニファティウスの2人を呼び寄せた。

「2人にはコンスタンティウス閣下への伝令を頼みたい、他には出来ない事だ、頼まれてくれるか?」

「わ、私もアルトリウス司令官と共に戦います!連れて行ってください!」

「・・・ここまで来て今更戻れません、最後まで連れて行ってください・・・!」

 アルトリウスの言葉に猛然と反発する2人。

しかし、アルトリウスは首を左右に振って2人を諭す。

「何も危ないから貴官らを戦場から離すのでは無いよ、ここからでは歩兵同士の主戦場を通り越してコンスタンティウス閣下の元へ行かなければならない、ましてや生半の者を遣わしては伝令内容が十分伝わらない可能性がある、更にこちら側の策とはいえ白煙に遮られた戦場だ、同士討ちの惧れもある、西ローマ側の騎兵隊長と副隊長が戦死した今、西ローマ軍全体に顔の知られている2人にしか頼めないんだ。」

『・・・・・・・・。』

 アルトリウスの説得に、2人は顔を見合わせ、無言でこくりと頷く。

その渋い顔を見れば、到底納得していない事が明らかではあったものの、他に適当な人間がいないという事は理解できたらしい。


「では、頼んだぞ、2人が到着した時の合図は火矢1本、その後こちらから出す突撃の合図は火矢2本、了解か?」

「分かりました。」

「お任せ下さい、必ず伝令を成功させて見せます。」

伝令を了承した2人がアルトリウスの言葉にそう答えると、アルトリウスは2人に優しい笑顔を向けた。

「うん、よろしく頼む、それから蛇足ではあると思うのだが・・・」

少し眉を顰めたアルトリウスは、歯切れの悪い口調で一旦言葉を切ったが、再び意を決したように言葉を継いだ。

「改めて戦いの後には言うつもりだが、コンスタンティウス閣下にはお詫びしておいてくれ、ちょっとした手違いではあったものの、結果的に軍を全滅の危機に晒してしまった。」

 アルトリウスの言葉に、アエティウスが疑問を口にする。

「しかし、この遅延は予想されなかった敵の精鋭騎兵の出現によるものです、司令部の将官誰もが予想し得なかった事で責任負われるのですか?」

 続いてボニファティウスもアエティウスの言葉に頷きつつ口を開いた。

「・・・アルトリウス司令官に責任は無いと思いますが・・・」

 アルトリウスは2人が自分を擁護してくれようとしている事に面映さを感じたが、首を左右にゆるゆると振り、2人の疑問に答える。

「そうではないんだよ、例え思いがけない障害に遭ったことでも、作戦全体に影響が出てしまえば、ましてやそれが原因で敗北するような事があれば、それは司令官の責任なんだ、誰の責任でも無いという事は有得ない、予想出来なかった司令官に責任があるし、その障害を上手く排除出来なかった司令官が悪いんだ。」

『・・・しかし・・・』

 アルトリウスの言葉にも、尚納得の行かない様子で2人が言いつのろうとするのを手で制し、アルトリウスは言葉を継いだ。

「ましてや今回は私の率いている騎兵部隊の側面攻撃が無ければ我が方の勝利は最初から覚束ない状態であったし、それだけの期待を掛けられてコンスタンティウス閣下は私に4000もの騎兵部隊全ての指揮を預けてくれたんだ、この期待に応えられ無かっただけでも十分責任問題だよ。」

 アルトリウスは微笑みながらそう言うと、重ねて2人へコンスタンティウスへの伝令を命じた。

「大丈夫だ、責任は感じているがそれに押し潰されてしまうつもりは無い、これからの働きを見ていてくれればそれは分かるさ!頼んだぞ!」

名残惜しそうに後ろを振り返りながらコンスタンティウスの元へと向かう2人にアルトリウスは最後にそう声を掛けると、大きく右手を振って見送った。


アエティウスとボニファティウスの2人は、頭を低くし、白煙に紛れてコンスタンティウスの本陣を目指す。

敵の陣を避け、歩兵同士の激突を尻目に、巧みに馬を走らせ、敵歩兵に捕捉されないよう時には大きく迂回して進行する2人は、時折目配せしあう以外は特に言葉を交わすことも無く、以心伝心の呼吸で敵陣の狭間を駆け抜ける。

しばらく進むと、流れ矢や剣戟の音が少しばかり遠くなり、2人は全力疾走させていた馬の速度を緩め、周囲を探りながら進む。

「そこにいるのは誰だ!」

鋭い誰何の声が2人に向けて飛び、ラテン語の問いかけに安堵する間もなく、剣を抜いた騎兵が突然飛び出してきた。

だだだっ

白煙の中から2人を囲むように飛び出してきたのは、馬に乗り赤いマントを身に纏ったコンスタンティウスの護衛騎兵達であった。

「西ローマ帝国軍騎兵隊所属、フラウィウス・アエティウス!アルトリウス騎兵司令官の伝令として参上しました!至急、コンスタンティウス西ローマ軍総司令官に取り次ぎ願いたい!」

油断無く剣を構え、2人の周囲を固めた護衛騎兵に、アエティウスがすかさずそう叫ぶように告げると、護衛騎兵隊長が輪の中から進み出てきて胡散臭そうに2人を眺め回す。

「・・・おう、確かにアエティウスとボニファティウスの小僧だな、小汚い格好をしているからてっきり西ゴートの騎兵が紛れ込んだのかと思ったぞ、よし、こっちへ来い。」

しばらく2人の顔を眺め回していた大柄な顔見知りの護衛騎兵隊長が、熊が笑ったような凄みのある笑顔で2人を手招く。

「・・・隊長、直ぐに火矢を1本上げてください、アルトリウス司令官に我々が到着した事を知らせたいのです。」


「おう、分かった。」

 ボニファティウスの言葉に隊長は頷くと、部下の護衛騎兵に火矢を上げるように命じた。

 1騎の護衛騎兵が構えていた剣を鞘へと収め、背負っていた弓と矢筒を下ろし、馬に積んでいる油壺の栓を切る。

先端に襤褸切れを巻き付けた矢をその中に突っ込み、再び厳重に壷の栓をすると、その騎兵は短剣と火打石を使って矢に点火した後、素早く弓を引き絞り点火したばかりの火矢を放った。

   きりりりりり・・・ひゅうおおおおおお・・・・・

薄闇を切り裂き、火矢が斜め方向に飛び去る。

ほっと火矢を見送った2人は、直ぐに向き直ると護衛騎兵隊長の後を追い、コンスタンティウスの元へと向かった


「・・・分かった、幸いにも総反撃の準備は既に整っておる、アルトリウス司令官の在陣する方角はどっちだ?」

コンスタンティウスは2人からアルトリウスの伝令を聞き、すぐさま反応を示した。

「はい、現在地は敵の左翼後方です。」

アエティウスが答えると、コンスタンティウスは、うむっ、と頷き敵左翼後方の見張りを増やすよう指示を出し、更に将官を全隊に派遣して火矢を視認した際は直ぐに司令官へ注進をするように伝達させる。

「2人ともよくぞ無事で戻った、アルトリウス将軍の戦いぶりはその目に焼き付けたか?」

 全ての手配が終わり、後はアルトリウスからの合図を待つばかりとなってから、ようやくコンスタンティウスはアエティウスとボニファティウスへ声を掛けた。

「はい・・・でも何が起こっているのか・・・分からないままでした。」

「・・・指揮の自在さと、ブリタニア騎兵の精強さはしっかり見る事ができましたが・・・。」

 後方ではあるものの戦場での場数はそれなりに踏んでいる2人であるが、アルトリウスの指揮の的確さとその展開の速さに付いて行けたとは言い難く、また指揮官自らが先頭に立って戦いへ参加するという体験も初めてだったので、戸惑いが多かったというのが正直なところである。

「・・・気が付いたら勝っていたという感じでした。」

 アエティウスが最後にそう締めくくると、コンスタンティウスは苦笑を漏らした。

 いくら近年まれに見る大会戦とはいえ、たった一回の戦闘でアルトリウスの指揮を学び取るという芸当はさすがの俊英2人にも無理があったようである。

アルトリウスの優れた指揮の一端でも得られればと、将官の中でも不必要な先入観を持っていない若い2人と、西ローマ軍での軍役が長く、一家言を持ったベテランの2人を送り込んだが、残念な事に、そのベテランである西ローマ騎兵隊長と副隊長が戦死してしまっていることから、若い2人からしか指揮や指令方法について聞き取れない。

 現時点に置いて、騎兵の運用ではブリタニア軍に一日の長があり、当然ブリタニア軍の指揮系統や装備、錬度についてコンスタンティウスは並々ならぬ関心を持っている。

確かにブリタニア軍の内情へ探りを入れるという側面が無いとは言えないが、そこにはそういった打算だけでなく、若いこれからの将官達を優れた指揮官の元で鍛え育てたいという、コンスタンティウスの強い願望も同時に存在していた。

 編成や部隊運用については後でゆっくり聞けば色々と思い出す事も可能であろうから、戦いの後に幕僚達を交えて戦訓会議を開けば、何か得るものはあるかもしれないとコンスタンティウスは考え、気を取り直す。

「ふむ、まあ、激しい戦いの雰囲気をアルトリウス将軍と共に直で味わえただけでも得るものがあったという事だな。」

 その時の戦闘のことをあれこれ思い出し、思案を巡らせながら改めて戸惑っている様子の2人を見て、コンスタンティウスはそう1人漏らす。

 この大会戦の経験は2人に更なる成長をもたらしてくれるだろう。

 そしてその成長を目にする為にも、今はまず目の前の戦いに勝たなくてはならない。

「頼んだぞ、ルキウス・アルトリウス・カストゥス、天下の騎兵司令官よ・・・!」


「火矢が上がりました!・・・数は1本!!後はありません!!」

 ブリタニア騎兵の1人がそう大声で呼ばわりながら指で示す方向を見ると、緩やかな弧を描き、夕空に赤色の筋を曳きながら火矢が斜めに飛び過ぎるのがアルトリウスの目に映る。

「・・・こちら側からの火矢の発射はしばらく待て、コンスタンティウス閣下に作戦が伝わり、更に歩兵隊に伝わるまで少し時間が必要だからな。」

 すかさず2本の火矢を用意して空へ放とうとしていたクイントゥスと2人の騎兵を押し留めてからアルトリウスはそう言った。

アルトリウスはアエティウスとボニファティウスの2人に預けた予備部隊を合せて幾つかに分割していた騎兵部隊を再び纏め上げ、投擲兵器装備のブリタニア騎兵を先頭に、長剣装備のブリタニア騎兵と手槍装備のブリタニア騎兵を間に挟んで、重装備の西ローマ騎兵を最後に配置した。

何度か威力偵察を繰り返し、西ゴート軍が槍戦士をアルトリウスがいる方向に配置している事は掴んでいる。

西ゴート軍の歩兵部隊は相変わらず西ローマ軍への攻勢は続けているものの、後方や側面から時折現われるアルトリウス率いる騎兵部隊が気になって攻撃に集中できない様子がはっきりと窺われた。

「・・・よし、頃合だ・・・火矢を上げろ!」

アルトリウスの号令に、クイントゥスがすかさず反応し、命令を復唱する。

「火矢を上げろ!!間違えるな、2本上げるんだ!!」

    びゅううううん・・・・びゅうううううう・・・・

 号令から間をおかず、立て続けに2本の火矢が放たれると、アルトリウスはそれらが歩兵隊からも見えるであろう十分な高さに達するのを見届け、上げていた顔を正面へと戻す。 そして胸いっぱいに息を大きく吸い込み、配下の騎兵に激しく、そして簡潔に命令を下した。

「突撃!!!」

    うおおおおおおおお!!!!

 アルトリウスの号令一下、西ローマ騎兵とブリタニア騎兵は一斉に鯨波の声を上げ、西ゴート軍目掛けて白煙の中突撃を開始した。


相次いで敵の左翼後方から、つまりは自分から見て右斜め前方から白煙を衝いてするすると上がる火矢を眼にしたアエティウスは、腹に力を溜めてあらん限りの声で叫んだ。

「火矢が上がったあ!!!!!!2本っう!!!!!」

 それを聞き付けた護衛騎兵達や将官がアエティウスの指差す方向に顔を向ける。

 それぞれの目に、希望の火矢が映っていた。

「火矢が上がったぞ!!2本、2本だあああ!!」

「総司令官に注進!!火矢2本っ!!!!」

 間を置かずしてあちこちで火矢を見た歩兵や将官達が叫び声を挙げ、西ローマ陣営は異様な興奮に包まれる。

「・・・軍総司令官閣下!火矢が2本上がりました!アルトリウス騎兵司令官からの合図です!」

 息せき切って現われた伝令が、呼吸する間をも惜しんで報告すると、コンスタンティウスはにかっと笑みを浮かべた。

「・・・とうに分かっておる、皆が火矢だ2本だと叫ぶ声がここにまで聞こえてきているからな・・・!!」

 力強い笑顔からその表情を一転、厳しいものへと変えると、コンスタンティウスは裂帛の気合を込めた号令を発した。

「総反撃開始ぃぃぃぃぃぃぃぃいいいいいいいいいっっ!!!!!」


 西ゴートの槍戦士は度重なるローマ騎兵の突撃に辟易していた。

 とにかくどちらの方向からどのようにして攻撃してくるか分からない。

 上級者の命令で取り敢えず来るかもしれない方向に槍の穂先を向けてはいるものの、左右の同じ槍戦士たちも不安そうに左右や後ろを気にしている。

    ぼわあっ・・・

 白煙が膨らみ、横合いから風が抜けてきたと思ったその瞬間、槍戦士は強い衝撃を感じると同時に地面に叩きつけられていた。

 訳も分からず立ち上がろうともがくが、身体に力が入らない事に気が付いた槍戦士は、違和感を感じて自分の首筋に震えながらも手をやった。

    手が無い・・・

 手首から先が切り飛ばされ、湧水のように血が吹き出ている。

    何だこれは・・・

 そのまま立ち上がりかけた槍戦士の首は半ばからもげ落ちた。


    うわあああああああああ!!!!!!

 白煙から飛び出してきたブリタニア騎兵が西ゴート軍の後衛に襲い掛かる。

鯨波が天を衝き、投擲兵器が雨のように降り注ぎ、剣と槍の暴風が吹き荒れるが、西ゴート軍の指揮者達は、また直ぐ白煙に紛れ込んでしまうだろうとたかを括り、まともな応援すら後衛に送らず傍観した。

しかししばらくして、そうしてたかを括っていた西ゴート軍の指揮者達も、何時に無く剣戟の音と鯨波の声が長く続き、しかも自分たちに近くなりつつある事にようやく気がついた。

   おおおおおおお!!!!

 ようやく異変を感じ取って後方へと振り返ったその瞬間、指揮者達は西ローマの重装騎兵に踏み潰され、たちまち西ゴート軍全体が恐慌状態へと陥った。

 反撃を加えんが為に陣形を立て直す暇すらなく、今度は前面で今まで防戦一方であった西ローマの歩兵部隊が一斉に攻撃を開始する。

 投槍を投げ、矢を浴びせ、盾を連ね、剣と槍を厳しく前面へと押し出し、体当たりと斬撃を交互に浴びせてくる西ローマ歩兵に、攻め疲れていた感じの否めない西ゴート歩兵はたちまちの内に押しまくられ、戦線を後退させる。

 反発力を溜める為に今までじっと防戦しながら耐え忍んできた西ローマ歩兵の怒りを載せた爆発力は凄まじく、西ゴート歩兵はそれまでの攻勢がまるで無かったかのような体たらくでずるずると下がり続けた。

しかしながら、後退した先には既に後方から騎兵の猛攻で押し出された槍戦士や西ゴート貴族達がひしめいている。

直ぐにお互い後退が出来なくなってしまった。

 狭い区域に押し込められた西ゴート軍の頭上に、情け容赦無く投擲兵器や矢が降り注ぎ、盾を構える間隔も無いまま西ゴートの戦士たちはバタバタと屍の山の一部となってゆく。

 

アルトリウスは騎兵達の先頭に立ち、剣を振りかざし、自在にその騎兵達を指揮して西ゴート軍へ痛撃を与えていった。

「投擲開始!・・・・投擲止め!下がれ!西ローマ騎兵突撃!」

手投げ矢を騎兵が2本ずつ投げ放ち、それによって西ゴートの槍戦士たちに動揺が広がり陣形に隙ができた事を確認すると、アルトリウスは重装の西ローマ騎兵を突入させて西ゴート軍の戦列に穴を開けさせた。

「今だ!ブリタニア騎兵!西ローマ騎兵に続け!周囲の敵を掃討しろ!」

ぼっかり空いた敵陣の隙間を見つけ、アルトリウス自ら剣を振るって敵陣へと踊りこむ。

アルトリウスは西ゴートの槍戦士が必死の形相で突き込んできた槍の穂先を剣先で切り飛ばし、そのまま流れるように槍戦士の肩口へと切り付ける。

    ばしっ   ぐええっ

肩を切り下げられた戦士が絶叫しながら後方へ倒れ伏すと、新手の槍戦士がアルトリウスに向かって来ようとしていた。

アルトリウスは素早く剣を納め、盾の裏に装着してある手投げ矢を取り、間近に迫った槍戦士の首筋へその脇を駆け抜けざま力いっぱい叩き付けた。

   どん

首から手投げ矢を生やした槍戦士が、槍を取り落とし、ものも言わずに血を吹き上げて前のめりに倒れる。

アルトリウスは続けて手投げ矢を放ち、騎兵にとって厄介な周囲の槍戦士を次々と血祭りに上げると、再び剣を抜いて周囲のゴート歩兵へ切りつける。

   がツン

強い衝撃が手首に伝わり、アルトリウスの剣が正面にいた西ゴート歩兵の兜を圧し割って顔面を斜め横から薙いだ。

アルトリウスが強引に剣を振り抜くと、その兵士はくるりと一回転してから背を向ける格好で倒れる。

「止まるな!敵に陣を組ませる余裕を与えるな!踏み潰せ!皆殺しだっ!!」

 血まみれの剣を再び迫って来た西ゴート兵へ叩き付けると、アルトリウスは絶叫した。

「殺し尽くせ!!」

 アルトリウスは盾を集めて自分を馬ごと押し止めようとした西ゴート兵達に馬体での体当たりを敢行し、衝撃で緩んだ盾の脇から剣を突き込み西ゴート兵の腕や身体を突き刺す。

 うめき声を上げ、刺された箇所を押さえて怯む西ゴート歩兵を文字通り馬で踏み潰し、更には身を乗り出し剣で切り下げながら、アルトリウスは再度叫んだ。

「殺せええええええぇぇぇえええ!!」

 返り血で身を真っ赤に染め、周囲の西ゴート兵を次々に血祭りに上げて殺し尽したあげく、高く剣を掲げて絶叫するアルトリウスの姿に、味方であるはずの西ローマ騎兵が肝を潰し、ブリタニア騎兵が畏怖の視線を向ける。

 アルトリウスの尋常ならざる様子を見れば、明らかに血に酔っている事が分かるが、誰もそれを止める事ができないまま遠巻きに西ゴート兵を蹂躙している様を眺めていた。

やがてアルトリウスの瞳は狂気から狂喜へと色が変わる。


 狂気に染まったアルトリウスに狙われ、武器を捨て、悲鳴を上げながら背を向けて逃げる若い西ゴート兵の背中を剣で刺し貫き、更に一撃を加えるべく剣を振り上げたところでアルトリウスは強い力で右手を掴まれた。

「・・・アルトリウス司令官、その辺で宜しいのではないですか?敵は敗走を始めています、指示をお願いします。」

 ぎりりと歯を食いしばり目を血走らせたアルトリウスがこの世のものとも思われない凄まじい顔つきで振り返ると、副官のクイントゥスが冷静な声色で語りかける。

「・・・クイントゥスか・・・」

 冷ややかとも取れる副官の目に射すくめられ、アルトリウスは我に返り、そうつぶやくと、静かに剣を持つ右手を下ろし、それからようやく周囲を見回した。

アルトリウスの近辺に敵の姿は無く、西ゴートの兵士達は、重い武器や盾を放り出し、ばらばらと戦場から逃げ散っている。

誰の目にも、西ゴート軍はもはや軍の体を為していない事が分かる状態であった。

「・・・」

 しびれたような感覚に陥ったまま、血に酔い、戦場に酔っていた自分を思い出したアルトリウスは、返り血まみれの自分の姿を見つめ、血脂と血液そのものでぬめり、汚れた剣を呆然と見つめる。

そうしてピクリとも動かなくなったアルトリウスに、重ねてクイントゥスが声を掛ける。

「・・・アルトリウス司令官、指示をお願いします。」

 クイントゥスの声に、少し間を置いてから反応したアルトリウスはのろのろと顔を上げ、力の無い笑みを浮かべて、出すべき指示をようやく出した。

「・・・ああ、追い討ちは不要だ、集結の後本隊に合流する・・・騎兵を終結させてくれ。」

「分かりました。」

 さっと馬を返し、クイントゥスはちらりと一度だけアルトリウスを振り返ると、再び踵を返し、集合の号令を掛けつつその場から離れた。

「・・・もう・・・無くなった思っていたのに・・・まだ、心が・・・」

 以前のような執拗さや抑制の聞かない感じこそ無いものの、今も吹き上がった衝動の名残が胸に残っている。

 一瞬の事とはいえ、確かに、蛮族の殺戮を喜び、楽しんでいる自分がその時にいた。

「・・・従姉さん、私の闇はまだ深いようです。」

 クイントゥスを先頭に散らばった騎兵たちがお互いに声を掛け合ってアルトリウスの周りへ集合してくる。

「・・・集合完了しました。」

 剣を手にしたままのアルトリウスを気味悪そうに眺める西ローマ騎兵、いたたまれないような顔をしているブリタニア騎兵を前に、アルトリウスはようやく剣の血糊を振い落とし、自分のマントで拭ってから鞘へと収め、声を掛けて来たクイントゥスに向き直る。

「・・・それでは本隊へ合流する、敗残兵や負傷兵に気をつけるように。」

 アルトリウスはそれだけ告げると手綱を返して、騎兵達の先頭に立ち、コンスタンティウスの待つ西ローマ軍本隊へと馬を進めた。

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