第24章 ブリタニア統一戦争
木々の葉が生い茂り、茹だる様なけだるい空気が辺りを包んでいるが、新都市の建築現場の活気は些かも衰えていなかった。
新都市は日々形造られ、行政庁舎や軍事基地等が配置されて徐々に機能としても街の体裁を整えつつあった。
その中デキムス・カイウス・ロングスとその父親であるカイウス・ロングス参事会議長は、仮の政庁舎となっている建物にやって来た。
未だ剥き出しの石材には、採石場から割り出した時に付いた鑿の痕が残っており、成形や磨きもかけられていない表面には相当な砂埃が付着している。
それでも親子は新たなブリタニアの息吹と、ブリタニア人の技術力を含めた底力を改めて思い、胸が熱くなる。
この建物はブリタニアの新たな元老院議会議場となるべく建設されたものであるが、未だブリタニア元老院が開会される見通しも無く、また隣接する行政庁舎の完成が遅れている事から、アンブロシウスがしばらくの間、行政府として使用する事にしたのである
アンブロシウスから呼び出しを受けてやって来た親子だったが、その内容までは知らされていない。
特に今のところ緊急に協議しなければいけないような案件も無く、呼び出しの使者が来た時には思わず顔を見合わせてしまった2人であった。
「・・・これを見るだけでも今日ここへ来た価値があると言うもんじゃな。」
カイウス議長がそう言いながら節くれだった手で、パンパンと埃っぽい壁面を叩く。
その言葉にデキムスは頷きながら天井を見上げて答えた。
「そうですね、これ程の建築物を新造できるというのは、まだまだブリタニアにも力が残っていると言う事です。」
「これは、デキムス行政長官にカイウス議長、お2人もここへ呼ばれたのですか?」
しきりに感心して建物を見回す2人に、後ろから声を掛けたのはブリタニア軍副司令官のグナイウスで、ブリタニア海軍提督のコルウスと歩兵司令官ティトウスが後に続いている。
別の入り口から現われたマヨリアヌスが集合している5人を見つけて呼びかけた。
「おお、みなお揃いかの、では執務室へ案内いたそう。」
執務室には既にアンブロシウスとアルトリウス、それにアルトリウスの副官であるクイントゥスが、大きな机に広げられたブリタニア全土を表す地図を囲んでいた。
「ああ、急に呼び立ててしまって済まなかった。」
アンブロシウスはマヨリアヌスに案内されて執務室へと入ってきた5人を見てそう言うと、地図へと招き、全員が地図を確認できる位置に付いた事を確かめると説明を始める。
「情勢は深刻だ、十大都市の内、放棄した首府ロンディニウムと港湾都市ポートゥルスマグナムを含め、最初にサクソンの猛攻を受けて陥落したドルヴェヌム、タウルス行政長官が粘り強く守っていたヴェネト・イケニ、それからリンドルムの計5都市が失われブリタニアの火が吹き消された、その周辺の村落や町は言うに及ばず、みなサクソンの暴虐を逃れようと難民となって西ブリタニアへ流れて来ている。」
地図には5つの都市があった地点に赤色で×印が付けられ、その都市が失われた事を示していた。
更に、東ブリタニアと中部ブリタニアの境目に、濃い赤色で線が引かれており、アンブロシウスは自分の手前にあるその赤線を指でなぞりながら説明する。
「この赤い線は、サクソン人の侵出限界を示している、残念ながらこれより東はサクソンの手にほぼ落ちた、いわば新たな国境と言う事だ。」
東ブリタニアを中心とした、およそ三分の一の地域がサクソンの手に落ちた形になっていた。
「・・・さらに、各地の豪族や領主達の割拠状態も、より進んできています。」
アルトリウスが今度は太さや種類も様々な、細かく幾重にも引かれた青色の線を指でさし示すと、デキムスが頷きながらその後を継ぐ。
「我々ブリタニア総督府の威令行き届く範囲も大分少なくなりました、ただこの状況は不利益だけではありません、逆に残った地域については、滞りなく我々の統治が行渡っております。」
「更に、人口や兵力も充実してきておる、難民の受け入れを積極的にやっておるのは我々だけじゃから、これは当然といえば当然なのじゃが、お陰で怪我の功名とでも言おうかの、ブリタニア軍の兵力補充や労働力の確保は物凄い勢いで進んでおるわい。」
マヨリアヌスが自分の顎鬚をしごきながらそう口を挟んだ。
「はい、ブリタニア軍の兵力は既に1万3000に達しました、補充や予備の武器防具、矢玉や投槍等の消耗品の生産や補充、輸入も順調です。」
軍政を担当するグナイウスが力強く発言すると、アルトリウスは大きく頷いた。
「サクソン相手の野戦にはまだ兵力が足りませんが、ブリタニアの諸侯と比べればかなりの兵数です、あのボルティゲルンですらサクソン傭兵を自由に操れなくなった今、これだけの兵力を揃える事は出来ないでしょう。」
更にアルトリウスはコルウスに顔を向け質問を発した。
「提督、アレキサンドリアへ派遣した船団のほうは如何です?」
ブリタニアはアンブロシウスとマヨリアヌスの元で商船団と海上交易網の整備に力を入れ、元ポートルゥスマグナム船主組合長のカッラらの力を借り、ブリタニアからガリア西端のアルモリカを経由し、ヒスパニア、アフリカ、エジプトに至るまでの交易網を開いていた。
また、ヒベルニアがブリタニア侵攻の力を失った為、コルウス率いるブリタニア海軍はガリア沿岸からヒスパニアに至る海域に積極的に進出し、海賊の掃討作戦を行うと共に、ブリタニアの船に限らず、蛮族船でもローマ船でも平和な交易目的であれば保護し、ブリタニアへ寄港する事を条件にして、これらの護衛を行って海上交通の確保に努めている。
コンスタンティヌスがガリアを支配し、ブリタニアと協力的だった事もあり、混乱期であるにもかかわらずガリア西岸、ヒスパニア、ブリタニア間の交易や交流が促進され、地域的な経済的活況が生まれていた。
「今のところ問題等が発生したという知らせは届いておりませんので、順調であればもう間もなくアルモリカ経由でイスク・ドゥムノニウムへ入るでしょう。」
コルウスがアルトリウスの質問に淡々と答えると、ティトウスが満面の笑みで言う。
「おっ、やっとアルトリウス総司令官待望の馬が届くって訳ですね、いや楽しみだ!」
アルトリウスは、カレドニア出兵以前にコルウスやアンブロシウス、マヨリアヌスやその他の将官達と相談し、今後ブリタニア軍は歩兵中心のサクソン兵を始めとする蛮族に対抗する為、今までどおり騎兵編成を重視する事で一致した。
その一環として、大きな身体を持ち、頑健で走行速度の速いアラブ地方の馬を導入する事になったのである。
これまでも産業の崩壊しかかっている西ローマではなく、マヨリアヌスが遊学時代に築いた人脈や各地の商人を介し、武器防具の輸入は主に東ローマから行っており、今回もその伝で馬を大量に輸入する事になった。
船団が出航したのはポートルゥスマグナムであったが、既に放棄されている為、船団が経由する事になっているアルモリカに伝令を派遣し、新しい港町であるイスク・ドゥムノニウムへの進路変更を伝える手筈となっていた。
自領に広大な馬牧場を持つアルトリウスはそこで輸入したアラブ馬を元にブリタニアの馬と掛け合わせて馬の品種改良を行う事にしていたが、さしあたっては軍馬を大量輸入して賄う事になっている。
その資金はアトラティヌスの策謀によってブリタニアへともたらされた、カルウスがガリアの財を掠めて作り出した隠し資産である事は言うまでもない。
そのアルトリウス待望の船団が間もなく到着するのである。
「いよいよ反撃だ。」
アンブロシウスはそう言いながらブリタニアの地図を指し示しアルトリウスの言葉を継いだ。
「手始めに、西のボルティポルを攻める、敵対行為が明らかになった以上、サクソンを東に控えてこれを背後に置いておくのは得策ではないからな。」
半月後、アルトリウス率いるブリタニア軍8000はボルティポル領内に攻め入った。
造営途中の新都市に5000の兵を残し、グレバウムを経由してセヴェリナ(セヴァーン)川を押し渡るアルトリウスの怒涛の進撃を阻むものはおらず、その勢いに恐怖したボルティポル配下の豪族が次々とブリタニア軍へ降伏し、兵力は1万を超えるまでになった。
アルトリウスはそのままの勢いでボルティポルの立て篭もるイスカ・シルルムを包囲すると、ボルティポルは篭城の構えを見せたが、急激な侵攻であった為、十分な篭城に対する備えも無く、またその間にも配下の裏切りが相次ぎ、アルトリウスが進撃してきた東側のみならず未だブリタニア軍が進撃していない西側の豪族達が降伏するのを見て、2週間を待たず自らも降伏を決めた。
戦闘中であるというのに鎧も付けず、豪華な服に身を包み、装飾品を山のように身に着けた50がらみの男が薄く開かれた城門から出てくると、城門の鍵を手に、グラティアヌス率いる財宝を積んだ荷車がその後ろに続く。
「アルトリウス殿、公明正大なあなたに降伏できたのは私の何よりの喜びですわい。」
軍陣と城壁の中間地点にアルトリウスが用意したテーブルに着くなり、ボルティポルは愛想笑いを浮かべながら、テーブル上に城門の鍵を置いた。
ボルティポルとは対照的に、完全軍装の上に兜も取らず席に就いていたアルトリウスが無言で鍵を取ると、ボルティポルは待ち兼ねた様に息せき切ってしゃべり始める。
「それで、この町は私めに任せて頂けるのでしょうな?今まで通りにして頂ければこのボルティポル、その身を擲ってブリタニアの為に尽くしましょうぞ!」
軽薄にも自ら手を出しておきながら、適わないと見るやあっさり降伏する。
この馬鹿な男が妙な野心を抱いたが為にアウレリアが傷ついたのである。
アルトリウスは激しい怒りを堪えかね、自身の握りこぶしを机にたたきつけた。
があん
その物凄い音に、ボルティポルはひっと悲鳴を上縮み上がると身を竦めたまま恐る恐るアルトリウスを上目遣いで見ると、小さな声で呼びかけた。
「・・・あの、アルトリウス殿・・・?」
アルトリウスは怒りでぶるぶると身を震わせていたが、傍らに控えるクイントゥスに方を押さえられ冷静さを取り戻すと、すくみ上がるボルティポルを睨みすえて厳然と言い放った。
「貴公は引退だ、貴公の財産も土地以外は全て没収、御子息にイスカ・シルルム行政官の職を授けるが、今後は私兵を雇う事も公職以上の権限を振るう事も禁止する、今後はブリタニアの行政官がこの地を統括する、更に貴公は私の手で抑留させていただく、今より自由は無いと心得られたい!」
「そ、そんな・・・無体な・・・!?」
衝撃に絶句するボルティポルを無視し、アルトリウスはグラティアヌスに顔を向ける。
「グラティアヌス、貴官にはブリタニア軍中級歩兵司令官及びイスカ・シルルム警備隊長を命ずる、蛮族侵攻時は速やかに反撃し、必要があればブリタニア軍へ救援を求めよ、しかし兵力は今までの半分、周辺の都市や行政区に対する糾合権限も剥奪する。」
「・・・承知いたした、全力を持って都市を守りましょう。」
グラティアヌスはローマ式の敬礼をアルトリウスに返すと、ボルティポルを引き立てた。
「グ、グラティアヌス・・・」
助けを求めるようにグラティアヌスにすがり付くボルティポルをグラティアヌスは冷たく見下ろすと、ぼそりとつぶやくように言った。
「・・・私は以前から『ブリタニア総督府を敵に回すのは得策ではない』と申し上げていたはずです、何れにせよ、最終的にこうなる事は予想できました、自業自得ですぞ。」
「き、貴様、わしの恩を仇で返すか・・・!」
「家族を人質に取っておいて恩とは・・・聞いて呆れますな。」
ボルティポルの手を乱暴に振り解き、グラティアヌスはボルティポルを突き飛ばすようにしてクイントゥスへ引き渡す。
クイントゥスはボルティポルの身体をがっちり掴むと、2人の兵に命じて連行させようとしたが、ボルティポルが抵抗した為地面へ押さえつける事となった。
「アルトリウス!穢れた花嫁をもらい呪われるがいい!」
穢れてなどいない!!
押さえつけられたボルティポルの暴言を、アルトリウスは負け犬の遠吠えと聞き流す事ができなかった。
怒りで言葉を発する事すら忘れ、席から立ち上がったアルトリウス。
がつんっ
無言で硬い拳が振るわれ、ボルティポルはあっけなくその一撃で気を失った。
しかしそれは、怒りに我を忘れかけたアルトリウスのものでは無い。
アルトリウスやグラティアヌス、その傍らで指揮を執っていたクイントゥスすら呆気に取られて、拳を振るった兵士を見つめた。
「・・・すいません、アウレリア様を貶しやがったもんで・・・つい頭にきちまいました。」
拳を振るった兵士は心配そうにアルトリウスを見つめるもう一人の兵士と一緒に、額に大きなたんこぶを作って気絶したボルティポルを無理矢理引き上げ、抱えるようにして連行していった。
「慕われておりますな・・・あの出来事も、あなた方の結束を固める以外の結果は生み出さなかったようだ。」
「グラティアヌス、今日からは貴官もその『あなた方』の内に入るのだから、そう他人事のように話をされても困ります。」
兵士達を見つめながら感慨深そうに言うグラティアヌスに、同じく兵士達を見ていたアルトリウスが答える。
「・・・有難うございます総司令官、これでようやく私もブリタニアに生まれた者として本分が尽くせます。」
グラティアヌスは従兵に終戦を都市に伝えるよう命令を下すと、アルトリウスが命じた項目を記し、敬礼すると自分も都市へと向かった。
アルトリウスはグラティアヌスの後姿を見送り、自陣へと戻りながら厳しい口調でクイントゥスへ指示を出す。
「・・・では、引き上げよう、都市警備兵の半分と豪族の私兵はこのままブリタニア軍へ編入する、豪族に自領へ戻る事は認めないと伝えてくれ・・・反抗する素振りを見せたものは潰す事にする。」
ボルティゲルンは突き返された財宝の山を前にして、頬をひくひくと吊り上げた。
「馬鹿にしておるのであるか!!」
ばああん!!
自らの執務机を叩き割ったボルティゲルンは、身を竦める使者に机の破片を投げつけた。
がんっ
まともに鼻っ柱へ木片を受けた使者が、ぐわっとうめくと鼻血を吹き上げて床に倒れた。
「サクソンの禽獣どもがっ!足元を見るのであるかっ!!」
気を失った使者を更に足蹴にしたボルティゲルンは顔を真っ赤にし、怒りも露わに財宝へずかずかと歩み寄ると、その山となった金銀を蹴飛ばした。
がっしゃああああん
派手な音を撒き散らしながら、金貨と銀貨が部屋中に散らばり、転がる。
「ケダモノどもの手など借りんのである!何がサクソン王であるかっ!食い詰め物の分際で!!奴らとは手切れし、不毛の大陸へ追い返してやるのである!!」
ボルティゲルンはサクソン族長ヘンギストと傭兵契約を結び、大陸からブリタニアへとサクソン人を招き入れたが、最近はブリタニア内に自分達の土地を確保してしまったサクソン人との関係は決して良好とは言えなかった。
そもそも傭兵の代金を金銀で支払う約束をしていたにも関わらず、ボルティゲルン側の資金不足が理由で、東ブリタニアの土地を自由に奪って良い事に切り替えたところに誤りがあった。
サクソン人はブリタニア人の土地を次々に奪い、奪うだけでは飽き足らず、ブリタニア人を殺し尽くして東ブリタニアをあっという間にサクソン人の土地に変えてしまたのである。
ボルティゲルンとしては自分のものではないにせよ土地を与えたのだから、戦があるたびにサクソン兵を召集して使えると思っていたが、そうは上手く事は運ばず、実際は戦いがある毎に毎回傭兵代金をヘンギストに支払い、サクソン兵を集めていた。
サクソン側にしてみれば、土地は与えられたものでは無く、自らの実力でブリタニア人との戦いを経て、少なくない犠牲を払った上で勝ち取ったものであり、そこにボルティゲルンから受けた恩は何も無いと言う理屈である。
今後の行く末を考えれば御しにくいサクソン人がこれ以上増える事は好ましくない、ようやくそう考え始めたボルティゲルンは、総決算として金銀を支払った上で、ブリタニア王である自分の支配下へ入るか、ブリタニアから退去するかをヘンギストに迫ったのだが、しかしその提案はヘンギストに一蹴されて終わってしまった。
「当初約束した支払い分にも満たない金銀で我々の去就を定めようとは、愚かにも程がある、我々はもうこの土地から離れる事は無い、引き離したければ剣を持ってせよ。」
2人派遣した使者の内1人はヘンギスト自らの手で突き殺され、その首を持たされてもう1人の使者は帰還した。
「・・・どうするのだ、親父殿?」
大怪我をした使者がほうほうの体で同僚に抱えられて退出すると、ボルティゲルンの横で冷静に事の成り行きを見守っていたボーティマーがそう尋ねる。
ボルティゲルンはぎろりと自分の後継者をにらみつけた。
「何をすまし顔で突っ立っているのであるか、貴様もさっさとサクソン退治の準備にいくのである!!」
つばを口角から飛び散らさせながらボルティゲルンが吠えると、ボーティマーはその怒声にも何ら動じる事無く冷静に言い放つ。
「・・・やはりブリタニア総督府へ応援を要請したほうが良いのではないか?アルトリウス将軍も同じブリタニアの同胞としてサクソンと戦う事に否やはあるまい。」
「何を言うかっ!!」
どかん
壊れた机の破片を蹴り飛ばしたボルティゲルンは、そのまま机の残骸や金貨が散乱する凄まじい部屋の有様をものともせず、それらを蹴散らかしてボーティマーへと詰め寄った。
そしてぐいっとその胸倉を掴み上げると、ボルティゲルンはボーティマーの顔面すれすれに自分の顔を近づけて再び吠えた。
「奴の嫁をサクソンどもに穢させて我が娘を送り込む策謀すら失敗し、いかにして奴と友誼を結ぶつもりなのであるか!?ましてやボルティポルを唆したのが我等であると知れればたたでは済まんのである!!」
「・・・汚い手を使うからだ、普通に申し入れをすれば良かったのだ。」
ばしりとボルティゲルンの手を払い落とすと、ボーティマーはそう吐き捨て、ボルティゲルンの部屋から出て行く。
「親父殿、今ブリタニアは親父殿の部屋と同じだ、宝もあるしごみもあるがどれもこれも酷く散乱している、整理に手を付け兼ねて放っておけば、サクソンという名の泥棒に全て持っていかれるぞ。」
緑に包まれた豊かな大地が、見渡す限り広がっている。
初夏の風は優しく草原を吹き流れ、青々としげる麦の草息れを含みほのかに青い麦の実の匂いをさせている。
石材で出来たブリタニア人の家や壁が焼け焦げた黒ずみを残し、瓦礫と化している傍らに、木でできたサクソン人の家が寄り集まり、集落が早くも形成されている。
サクソン王ヘンギストは、故郷よりも早く育つ麦に手をやり、その実を指でつまんで潰し、その実がしっかり中身の詰まった上体である事を確かめ、満足そうに笑みを浮かべた。
「寒く貧しい故郷とはなんという違いだ、やはりこの島は神に愛されている、豊かで暖かい・・・我が一族の新たな故郷にふさわしい。」
故郷ではようやく麦が育ち始めるくらいの時期にも関わらず、ここではもう既に青いながらも実を付けている。
しかし、最初はヘンギストとて望んでこのような遠隔地に来たのではなかった。
ブリタニアの王となるボルティゲルンというローマの有力者が、大量の傭兵を探していると聞き、ヘンギストは一族の戦士1万名を集めこの募集に応じる事にしたのである。
その頃ヘンギストらサクソン人の住む下ゲルマニアの奥地は最近不穏な噂が流れていた。
・・・馬と一体化した人間とも言えないような恐ろしい蛮族が東から襲来して来る・・・
これまでも有力なゲルマン部族がまるで追われるようにして東から西へと通り過ぎていくのを目にしていたヘンギストは、この噂話をまるっきりの出鱈目ではないと感じていた。
出稼ぎの為とはいえ、そんな時期に故郷から根こそぎ1万もの戦士を引き連れて遠い島へ行く事に躊躇いが無かったといえば嘘になるが、最近はお得意様であった西ローマ帝国の軍事行動が低調で、貧しく寒い大地に住まうサクソンの各部族は上と困窮に悩まされており、背に腹は換えられない状態であった。
約束された報酬が支払われれば、しばらくは無理をせずに過ごす事が出来るだろう。
そう考えてブリタニアへと渡海したヘンギストは、豊かで暖かくしかも平和で住民の弱いブリタニアに驚愕した。
当初は驚愕しつつも、雇い主であるボルティゲルンの指示命令に従ってあちこちの戦場で働いていたヘンギストは、文明化し荒事から遠ざかって弱体化したブリタニア兵とその敵であるヒベルニアやカレドニアの蛮族の軍事能力に見切りを付けた。
ヒベルニアやカレドニアは蛮族と言っても、長年に渡り隣接するローマ領ブリタニア属州と文物の交流を数百年に渡って続けており、真性の蛮族たるサクソン人のヘンギストから見れば相当文明化されている。
『我等が本気になれば、ブリタニアに住まう者を全て追い出し、この豊かな島を乗っ取る事が出来る、凶作にも、冬の寒さにも、未開の蛮族にも怯えず豊かな生活が約束される。』
ヘンギストは法外な傭兵継続料金をボルティゲルンにふっかけ、支払いが滞ると、東ブリタニアの土地を譲るよう迫った。
ボルティゲルンは金銭の不足とヘンギストの武力に惧れをなしたことからこの要求に応じてしまったため、ヘンギストは半ば合法的な形で家族や一族を大陸から呼び寄せると共に、完成されたブリタニア人の農地を次々と奪い取っていった。
無論、ボルティゲルンとヘンギストの約定など関係の無い東ブリタニアの人々は激しく抵抗し、またブリタニア総督府に救済を求めたため、土地の強奪は思うように進まなかったが、ボルティゲルンの策略でヘンギストがアルトリウスに重傷を負わせた事で、その能力を半減させたブリタニア軍の介入が減り、またアルトリウスの負傷で弱気になった東ブリタニアのブリタニア人が西へ逃亡する事を選んだ為、それから土地の強奪は一気に進んだ。
こうして、東ブリタニアは名実共にサクソン人の土地となったのである。
ヘンギストは、サクソンの他部族を召集すると同時に、それまでサクソン人の下位部族であったユート人とアングル人にも呼びかけブリタニアへの入植を勧め、味方を増やす事に腐心した事から、今や5万の戦士を擁し、ブリタニアで最大の軍事力を持つに至った。
「豊かな土地を手に入れるのだ・・・我等が平穏に生きてゆく為に・・・!」
ヘンギストは豊かに麦を実らす大地に向かって力強く両手を広げ、うめくように言い放つ。
ざああっ・・・
一際強い風が西から東へと吹き、ヘンギストの身体を通り過ぎていった。
「では、どうあってもブリタニア総督府への服属はしないと言う事じゃな。」
「・・・くどい、我が領土には指一本触れる事を許さん。」
マヨリアヌスは諦めた様子でため息を付くと、用意された椅子に腰掛けた。
「・・・おぬしはもう少しばかり話の分かる御仁じゃと思うておったがのう・・・」
そうマヨリアヌスから言われた男は黙り込んでぎろりとマヨリアヌスをにらみ付けた。
「・・・ふん。」
「マグロクヌスよ、いかなお主と言えどもアルトリウスには適うまい、今の内に服属せよとは言わぬから、アルマリック卿と同じく盟友協定を結ぼうではないか。」
鼻で笑った男、マグロクヌスにマヨリアヌスは粘り強く説得を試みたが、既にもう何回か繰り返した経過に過ぎず、やはりマグロクヌスは同じ答えを返してきた。
「・・・くどい!我が領土は譲らぬし、従う気持ちもない。」
「そうか・・・では仕方ないのう・・・」
あくまでも頑ななマグロクヌスに対し、マヨリアヌスは等々匙を投げた。
今さっき座ったばかりの席を立ち、自分の脇を通り過ぎて部屋の窓へと近づくマヨリアヌスに、マグロクヌスは不審の目を向ける。
マグロクヌスは、居館を大規模な石造りの砦へと改築しており、その居館には町が付属しておらず全くの軍事施設としての機能しか持っていないため、窓からは直接マグロクヌスの治める西北ブリタニアの痩せた農地と山地が見渡せる。
「ふむ、ようやく到着か・・・さすがにイスカ・シルルムからカンブリア山脈を越えるのは難儀したようじゃな。」
マヨリアヌスのこぼした独り言に、マグロクヌスはぎくりと身を強張らせ、慌てて振り返って窓の外を見た。
「・・・・・!!!ブリタニア軍か!?謀りおったなマヨリアヌス!!」
なだらかに続くカンブリア山脈の山すそに、およそ1万ほどのローマ軍装で統一した軍団が整然と整列して現われた。
新緑に覆われた山々の中で、銀色に輝くローマ鎧の歩兵隊に弓兵隊、体の大きい馬に乗った騎兵隊がローマの伝統的な三翼陣を敷いて布陣し始めている。
隅々まで訓練の行き届いた事が窺われるその無駄の無い隊形変換や布陣に、マグロクヌスは震撼した。
「・・・まさか、ボルティポルを降して、そのままここまで遠征してきたと言うのか・・・」
マヨリアヌスを押しのけて窓にかじりついたマグロクヌスは窓枠をぎりりと強く握り締め、傍らのマヨリアヌスをにらみ付けた。
マヨリアヌスは片手を上げてマグロクヌスを制し、うっすらと笑みを浮かべてその視線に答えるべく口を開く。
「まあそうじゃな、しかし謀ったとは人聞きが悪かろうマグロクヌスよ、ボルティポルの時とは違い、きちんとわしが降伏を勧めに来ておるじゃろうが。」
「・・・条件は何だ・・・」
苦虫を噛み潰したような顔で言葉を発したマグロクヌスに、マヨリアヌスは確認の質問をする。
「ふむ、それでは降伏すると言うのじゃな?」
「・・・盟友協定だ。」
少し黙り込んだマグロクヌスが搾り出すように答えると、マヨリアヌスはマグロクヌスを一喝した。
「今更虫の良い事を申すのではないわ!先程までならともかく、軍が現われた以上は降伏以外は認めん、さあ、返答や如何!?」
アルトリウスは、右往左往していた砦の兵士達が落ち着きを取り戻し始めた様子を見て取り、軍全体に休息準備を命じた。
ローマ街道を利用して来たとはいえ、長年の荒廃で使用に耐えられなくなった部分を補修し、また途中襲来する蛮族崩れの盗賊や威令に従わない頑迷な土豪を討ちながらの行軍であったため、兵士達に若干疲れが見えていた。
本来であれば一日休息時間を置いてマグロクヌスの居城へ到着するつもりであったが、マヨリアヌスからマグロクヌスとの交渉が不首尾に終わりそうである事を知らされ、予定を早めて布陣したのである。
しかしながら、それまで緊張でぴりぴりしていたマグロクヌスの砦の兵士達が落ち着きを取り戻した様子を見れば、マグロクヌスはマヨリアヌスの勧告に従ったのであろう。
少なくとも今すぐ戦闘が開始される事は無くなったと判断し、アルトリウスは休息準備を命じたのであった。
アルトリウスが兜を取って本陣に戻ると、程なく城門が開かれ、従者を引き連れたマヨリアヌスが現われたとの報告がきた。
「アルトリウス、強行軍で疲れている所済まんの、じゃがお陰でマグロクヌスの奴めを屈服せしめる事が出来たわい。」
マヨリアヌスは本陣に案内され、アルトリウスの姿を目にすると、挨拶もそこそこにそう切り出した。
「無茶をしないで下さい、先生のみに何かあったらブリタニア全体の損失となります。」
アルトリウスが立ち上がってそう言うと、マヨリアヌスは自分の顔の前で手をひらひらと振り、にやりと笑みを浮かべた。
「何の、失われて損失となるのはお主やアンブロシウスのことを言うんじゃ、わしなんぞ如何程のことも無いわい。」
「しかし・・・」
「第一、マグロクヌスには我らと事を構えようという気は毛頭無い、ただ、己の財産や土地を守りたいだけじゃ、心配はいらん。」
なおも心配そうに言い募ろうとするアルトリウスの言葉を遮ってマヨリアヌスはそう言うと、従兵が持ってきた木杯の薄いワインを口にする。
うすいのう~と文句を言いながらも一気にワインを飲み下すと、マヨリアヌスは再び口を開いた。
「マグロクヌスの肩書きはサグンティウム知事じゃ、兵士の半分、他行政区への動員権は奪ったが、奴の土地は勘弁してやってくれい、それからブリタニア軍の2か月分の活動経費を奴の自費から供出させ、糧食等の手配を済ませておいた、これで北の果てまで行けるじゃろう。」
マヨリアヌスが空になった木杯を従兵に返すと、突然その従兵が話し始める。
「ボルティゲルンを攻めるのであれば、急いだ方が良いな我が主殿。」
「・・・アトラティヌスか、悪い冗談は止せ。」
アルトリウスが従兵の正体に気付いて呆れたようにそう言った。
従兵に化けたアトラティヌスは、驚くマヨリアヌスを余所に、アルトリウスの言葉に対してにやりと笑みを浮かべ、マヨリアヌスから受け取った木杯を傍らの台に置いて言葉を継いだ。
「冗談ではないぞ、我が主殿、ボルティゲルンがサクソンと一戦に及んだ、結果は惨憺たるものであったがな、途中ボルティゲルンの敗走に気が付いたアルマリック卿が兵を出し、激しく追撃するサクソンの邪魔をしたので、ボルティゲルンは居城へ命からがら逃げ戻れたと言う事だ。」
「・・・!!」
「・・・なんと・・・!」
「ではな、主殿、アンブロシウス殿にも同様の知らせを送ってあるから心配せずとも良い。」
驚くマヨリアヌスとアルトリウスを残し、アトラティヌスは従兵の格好をしたまま本陣から姿を消した。
「好機逸すべからず、じゃ、アルトリウスよ、今を逃す手は無いぞ。」
「・・・はい、一日休息を取り、物資の補充が済み次第進発します。」
マヨリアヌスの力強い言葉にしっかり頷きながら答えると、アルトリウスは拳を握り締める。
アルトリウスは従兵を呼び、指示を下しながら時代が大きく、しかも今までとは違い、良い方向へ変わりつつある事を実感した。