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第23章 ブリタニア統一前夜

黄色い歯を剥き出しにして獣のような雄叫びを上げ、襤褸切れを纏い、さながら虫が湧き上るように城壁を粗末な梯子で乗り越えてくるサクソンの戦士たちに、俄か召集のブリタニア人兵士達は太刀打ちできず、装備した槍を難なく打ち払われ、次々と分厚い包丁のような片刃の剣で鎖帷子ごと叩き切られてゆく。

 たちまち城壁の上は血煙と肉片の飛び散る地獄絵図と化し、その後から更に多くのサクソン戦士が梯子をつたって城壁の上へと移ってきた。

サクソン戦士に剣で切り付けられたブリタニア人兵士が、城壁の上から市街側へと転落し、長い絶叫を遺すが、その後の鈍い破裂音と共にそれも絶える。

げらげらと大爆笑しながら落下の様子を見ていたサクソン戦士は更に腰が引けながらも槍を構える別のブリタニア人兵士が突き出した槍をいなして再び城壁の上から突き落とす。

再び長い絶叫と、破裂音。

またもや大爆笑を始めたサクソン戦士たちは、まるで虫を弄ぶ幼児のようにブリタニア人兵士を城壁から次々と落とし始めた。

ブリタニア人兵士の長い絶叫がひっきりなしに響き、破裂音と共に次々と絶え、城壁の下にはブリタニア人だったものが肉の塊と化し赤黒い液体を染み渡らせて、堆く折り重なっていた。

その様子を見ていたサクソン戦士達は腹を抱え、肉塊を指さして笑い転げる。

余りの蛮行に怖気を奮ったブリタニア人兵士達は、槍を放り出し、敵に背を見せて逃げ始めるが、後ろからサクソン戦士たちに追いすがられ、刃の雨を情け容赦なく浴びせられては、城壁下に突き落とされた。


 ヴェネト・イケニ行政長官のタウルスは、執務室で戦いの帰趨を察していた。

 明らかに今までよりも剣戟の音が近くなっており、またこれまでであれば、既に都市警備隊長のサクソン撃退の報告があるはずが、戦闘の止む気配が全く感じられない。

 がしゃがしゃと鎧ずれの音をさせながら一人の完全軍装の男が執務室に飛び込んできた。

 都市警備隊長を務めるクアルトゥス・アヴェリクス、30絡みのいかめしい顔立ちをした男で、背丈はそう高くないものの、全体的にがっしりとした体つきをしている。

 かつてはブリタニア軍に歩兵将官として参加していたが、サクソン人の入植で東ブリタニアにある故郷の土地を奪われた事から、周辺のブリタニア市民と語らって挙兵したものの、武運拙く破れ、近郊都市であるヴェネト・イケニへ逃げ込み、挙兵の同志達である義勇兵を率いて防衛に当たっていた。

 挙兵後、年老いた両親や身重の妻を含めた一族全てを家ごと焼かれ、皆殺しにされてしまうという悲惨な体験をし、サクソン人に対する恨みは骨髄にまで達している。

 その後の戦闘でサクソン兵の矢に当てられて戦死した前任者の後を受け、タウルスの手で都市警備隊長に抜擢され、今まで約1年以上の長きに渡って都市の警備と守備を統括し、サクソン兵に城壁を割らせる事無く防衛し、手腕を遺憾なく発揮していた。

 しかし、いつもであれば兜を小脇に抱えてくるはずが、今は兜は愚か、サクソンの粗末な矢が鎧に突き立ったまま息せき切って来室したクアルトゥスに、タウルスは最期の時が来たのを悟った。

「行政長官!城壁が突破されました、ここまで敵が迫ってくるのも時間の問題です。」

「そうか・・・いや、よく今まで持ちこたえてくれた。」

 努めて平静を保ち、クアルトゥスの言葉に答えるタウルス。

「・・・最早脱出は不可能です、ほぼ全ての城壁が敵の手に落ち、門が開かれております。」

クアルトゥスの言葉にタウルスはざっと自分の顔の血の気が引くのが分かった。

おそらくか鏡を見れば、みっともなく恐怖に怯える滑稽な自分を見る事が出来るだろう。

覚悟はしていた、が、やはりいざその時になってみると、恐怖感に苛まれる自分がいる。

アンブロシウスからロンディニウムを放棄する事を告げられ、その際同時に都市を放棄し、ブリタニア海軍の手を借り、海路西へ脱出する作戦を打診されたが、タウルスはこれを断った。

1万を越える都市住民全てを、サクソン人の勢力圏の中の孤島となったこの都市から脱出させる事は不可能であったし、ましてや自分だけが脱出するなどとは、タウルスの矜持がそれを許さなかった。

ロンディニウムが放棄されれば孤立はより深くなり、細々と続けられていた物資、軍事の援助も一切なくなる上に、ロンディニウムという大きな目標が無くなった事でより一層の攻勢が掛けられ、それに持ちこたえる事は出来ないという事も予想はできた。

「市民には申し訳ないが、我々はサクソンに対する時間稼ぎのための捨石になろうと思う、ここで我等が頑張れば、サクソンの目はこちらに向き、西ブリタニアへの攻撃は当面見送られるだろう。」

 

感謝と脱出の拒絶を記した書状を手渡しながら、タウルスは使者に対してそう告げた。

 使者がサクソンの包囲網を突破して南へ駆け去った後、タウルスは都市の広場へ全市民を集め、自分達の置かれた状況を説明し、ブリタニアの為に捨石となる事を報告する。

「体制を立て直す為のロンディニウム放棄が、迎撃の準備も十分整わない内に攻撃を受けたのでは意味がない、ずるずると押し込まれ、我々ブリタニア人は圧力に屈して海へ叩き出されるか、サクソンの刃に掛かるか、何れかによって滅亡を余儀無くされる。」

市民の反応は、タウルスの予想を裏切り、強い想いの爆発であった。

「剣を取れる者は剣を取り、壁を築ける者は壁を築け、矢を撃てる者は矢を撃ち、石を放てる者は、石を放とう!」

誰とも無く、あちらこちらから声が挙がり、次第に市民は気勢を上げ始めた。

「我らブリタニアの市民は蛮族には屈せず!ブリタニアの為に!!」


「ブリタニア軍の陽動作戦が始まれば、おそらくサクソンは一時的に都市の包囲網を解くでしょう、その際に子供、老人を乗せた馬車を脱出させ、カストゥス家の領地に送り込みます。」

「・・・馬車か、海路は使えんのか、馬車では追撃されれば追いつかれてしまう。」

 クアルトゥスの提案に、タウルスは難色を示す。

「海路は無理です、5000人を乗せられる船も、時間もありません、もう間もなくブリタニア軍の陽動が始まってしまうのです、幸いサクソン軍は馬をそれほど持っていません、ローマ街道を突っ切らせた方がより確実です。」

「しかし、5000もの人が移動するのだ、早い段階で察知されてしまう可能性が高い・・・」

 ロンディニウム放棄後の戦いに対する備えとして、タウルスは戦闘に参加できない子供と老人を世話役の女たちと共に脱出させる事とし、クアルトゥスとその計画を練っていたが、取れる手段は限られており、どうやっても脱出自体に無理があった。

2人が頭を悩ませていると、従兵がやって来た。

 心なしか誇らしげな表情をしている事に、不信感を抱きながらタウルスが報告を促すと、従兵は上ずった声で報告を始める。

「失礼いたします、ブリタニア軍のコルウス提督並びにティトウス歩兵司令官がお越しです、お通しして宜しいでしょうか?」

 

「では、東のサクソン海岸から脱出を支援してくれるということですか。」

クアルトゥスが感極まったようにそう言うと、ティトウスはがしがしと頭を掻きながらぶっきらぼうに答えた。

「ああ、もう間もなくロンディニウム撤退の陽動作戦にブリタニア軍が東ブリタニアのあち事でサクソンへ攻勢を仕掛ける、おそらくは外でぎゃいぎゃい騒いでるくそ忌々しい連中も泡食って南へ動くはずだ、そんときに東海岸へ突っ走れ。」

コルウスも頷くと言葉を付け足した。

「一発勝負だ、艦隊も長くは留まれない、ガリアのフランクや大陸のサクソンを刺激してしまうのでな。」

「・・・ありがたい、アンブロシウス殿や貴官たちには御礼の言葉も無い。」

 タウルスが感謝の言葉を述べると、ティトウスは不満そうに言った。

「・・・ふん、本来ならオレはサクソンと真正面から遣り合いたいんだがなあ・・・これも任務じゃ仕方ねえや。」

無事に非戦闘員を脱出させ、ブリタニア軍から武器や装備、矢玉の補充を受けて体制を整え直したブリタニア都市ヴェネト・イケニは、それからもよくサクソン人の猛攻に耐え続けていたが、遂に今日この日、城壁を破られ、サクソン軍が都市内部へと雪崩れ込んできた。


「タウルス行政長官、かねてからの予定通り、私どもはこれより血路を開いて脱出し、ブリタニア軍へ参加しようと思います。」

 クアルトゥスがそう切り出すと、タウルスは震える身体に活を入れて椅子から立ち、クアルトゥスに歩み寄りその手を握った。

 当然、その手も震えており、握られたクアルトゥスは直ぐにその事に気が付いたものの、黙って手を握り返す。

・・・この人は・・・今まで良く耐えられたものだ、人一倍恐ろしかったに違いない・・・

 その忍耐力に呆れつつも感心して、クアルトゥスは手に力を込めて震えを止めてやった。

「・・・はは、すまないな、警備隊長、この通り私は臆病者だ、任された都市と市民を守りきれず、サクソンの刃にかかるかと思うと恐ろしくて堪らんよ。」

 平静を保とうとしているが、声に混じる震えは隠しようもなく、クアルトゥスは黙って手を離すと、タウルスは言葉を継いだ。

「無事アンブロシウス殿らと合流できたならば、この都市の最期を見たまま伝えて欲しい、そして、いつかまたこの場所に都市を造れる日が来るときを土の中で待っている、と伝えて欲しいのだ。」

クアルトゥスは黙ったままローマ式の敬礼をし、部屋から退出すると、敗残の兵を纏め上げ、サクソンの追撃をかわし、都市を落ち延びて行った。

「・・・さて、それでは・・・逝くとするか・・・」

 火が行政庁舎にまで迫り、部屋にいるだけで熱を感じるようになっていたが、タウルスはこの場所から動くつもりは無かった。

 長年都市行政長官として執務を執り、慣れ親しみ、公私に渡って報告を受けたこの部屋とも今日でお別れである。

 妻には先年先立たれ、息子と娘は既に結婚して西ブリタニアにある別の町で暮らしているため、しばらく一人であったタウルスだが、ここには彼の全てがあった。 

 頼りになる傭兵としてやって来たサクソン人が、気が付いたときには敵となって街はその攻勢に晒されており、当初は妻が逝っていて良かったと思ったものだったが、息つく暇もなく毎日のように防衛戦を繰り広げるようになった頃には、妻に側で支えて貰いたい、生きていて欲しかったと切に願った。

しかし、そうした孤独感と無力感に悩まされた日々も今日で終わる。

一緒に死んでゆくしかない市民の事を思うと胸が痛んだが、タウルスには、最も良い結果ではなかったものの、自分に出来得る事はすべて成したという自負が生まれ始めていた。

鬱々としていた気分が無くなり、むしろ今はその自負と達成感で晴れやかな気持ちである。

「後は・・・頼んだぞ。」

タウルスは誰に言うともなくそうつぶやくと、机の引き出しから取り出した短剣で自分の喉を躊躇なく突いた。


ブリタニア中北部の名もなき丘に、集まったブリタニアの有志達は眼下に広がる河川敷に集結するサクソン軍を見て圧倒的な絶望感に包まれていた。

ざっと見ただけでもその数5000。

「何だこの数は・・・」

対するブリタニア人有志はわずか300余り。

 ベイルッドは丘に集結した時は大いに頼もしく思った仲間達を振り返り、更に絶望感を深める事しか出来なかった。

 サクソン人が東ブリタニアから中北部へとその勢力拡大を目指し、度々侵入するようになったのはつい最近の事である。

 農業を営むベイルッドは麦の作付けが終わるや否や、侵入してきたサクソン人の1家族と刃傷沙汰に至るようなひどい喧嘩を起こし、相手の家長に大怪我を負わせて追い出した。

 もちろん自身も無事で済んだ訳はなく、肋骨を3本折る大怪我をしたものの、腕っ節には自信のあったベイルッドはそれからも近隣の農民達と会合を持ち、また領主や大地主とも掛け合い、自警団を造ってサクソン人の無断侵入に対抗していたのであるが、遂にサクソン人は散発的な侵入をやめて、部族ごと移動してきたのである。


ただ、5000とはいっても眼下に集結しているサクソン人たちは家族ぐるみである事から、その半分弱程度が戦士として戦う事のできる年齢と能力を持った男達であろう。

それでも7倍近く兵数に差がある事には間違いない。

サクソン人たちは女子供を含めて一緒くたに河川敷で食事を取っており、あちこちで物を煮炊きする為の焚き火が起こされ、家財道具や荷物を入れた大きな背負子や袋をその周囲に置いてもたれかかり、くつろいでいる様子が見えた。

「相手にされてねえんだな・・・」

 おそらくブリタニア人の一団がこの丘に集合している事はサクソン人も気が付いているはずだが、全くと言って良い程警戒する素振りがない。

ベイルッドは自分達が蔑ろにされているような気がして憤りを覚えると共に、ほっとしてもいた。

「おい、無理だこれは、村の連中に知らせて直ぐに避難するようにしろ、いいか、くれぐれも家財道具を持って逃げようなんて考えるんじゃねえぞ、着の身着のままで西ヘ走れ!」

 若い農夫の一人が、ベイルッドの言付けにがくがくと首を振りたぐった後、一目散に村の方向へと走って行った。

「・・・俺達はしばらく様子見だ、サクソンが村に向かうようであれば足止めしなきゃなんねえ。」

「おい、ベイルッド、領主様の騎士達はやってくるんだろ?」

不安そうな面持ちで尋ねてくる年かさの農夫に、ベイルッドは安心させるように微笑みながら答えた。

「ああ、大丈夫だ、ウチの領主様と隣の大領主コリタニア卿が援軍を送ってくれる事になっている。」

「そうか、なら心配ないな!」

 その農夫はころりと表情を変え、意気揚々と自分の持ち場へと戻って行った。

・・・正直この状況で援軍が来るかどうかは分からない、一応領主の2人は約束してくれたが、余りにもサクソンが多すぎる、村一つの救援に兵を回してくれるかどうか・・・

 仲間達の手前、援軍は必ず来る、心配ないと言ったベイルッドだったが、それは実際甚だ怪しいというほか無い。

 そうしている内に、サクソン軍の一部がベイルッド達が身を隠している丘に向かって移動し始めた。

「・・・来るぞ、騒がず準備しろ!」

 ベイルッドが慌てふためく仲間達に鋭い声を飛ばし、自分も古びた投槍を構えた。

 サクソンの戦士たちは1000余りで、慌てふためくベイルッドたちとは対象的に、のんびりと丘を目指した歩いてきており、余裕が窺える。

「・・・農夫と思って馬鹿にしているのか?」

 蔑ろにされたと感じた先程と同じ怒りが湧き起こり、ベイルッドの心に火をつけた。

 ベイルッドたちの村は、かつてローマの軍役に就いていた先祖が退役の際に農地を拝領して開いた村で、開村以来多くの兵士をブリタニア軍団へ輩出してきた。

 ベイルッドもかつてはブリタニア軍団に所属していたが、ローマ軍団の大陸引き上げやコンスタンティヌスのガリア出征に従うのが嫌で退役し、故郷の村に戻って農業を営んでいたのである。

 村にはベイルッドのような退役軍人が多く、またローマ兵士の末裔としての誇りが強く根付いており、ブリタニアが分裂して豪族や地方領主が割拠する今になってもそれらには従わず、村会と選挙で選ばれた行政官が行政を司り、近隣の都市リンドルムへ税を納めていた。

 しかしそのリンドルムも最近では度々サクソン軍の攻撃を受けて衰退してきており、近隣の豪族や地方領主に対する影響力を低下させている。

 更に北のコリタニア卿が力を伸ばし始め、西北のボルティゲルンとでリンドルムの行政区内の村や領主達を取り込み始めていたが、リンドルムの行政長官は善人ではあるものの、政治的な手腕に長けているとは言い難く、大領主の蚕食を許していた。

 頼みのブリタニア総督代行のアンブロシウスとブリタニア軍を率いるアルトリウスは遥か西南の彼方で、とてもここまで足を伸ばせるとは思えない。

「べ、ベイルッドさん!」

 投槍を構えたまま物思いにふけっていると、先程村へ使いに遣らせた若者が、息せき切って戻ってきていた。

「どうした、大丈夫か?村の皆は無事逃げ出したか?」

「は、はい、村はみんな支度して逃げ出したんですが、その・・・リンドルムの町が陥落したそうです・・・。」

「なに?」

「今帰ったら、リンドルムの町から難民が一杯入って来ていました、難民から話を聞いた村長が、オレが帰るよりも早く逃げる準備を始めたみたいです。」


「そうか・・・」

「でも、街道が難民の馬車や人で渋滞して思うように進めなくて・・・」

 難民が街道筋にあるベイルッドの村にまで達し、その溢れかえった難民のせいで街道が渋滞を起こし、思うように逃げる事が不可能になってしまったのである。

 ベイルッドは顔色を変えた、このままでは例え時間を少し稼いだところでサクソンが街道筋に出れば、村人や難民が溢れかえったままの状態と鉢合わせる事になる。

ベイルッドは丘の下で隊列を組みつつあるサクソン人を見据え、距離を測った。

「・・・作戦変更だ!とにかく奴らを近づけるな!!矢と投槍をありったけぶち込め!!」

「どうしたんだベイルッド?」

一戦に及んでサクソンを一旦退かせた直後に撤収し、村人の後を追って西へ逃げる算段をつけていたベイルッドだったが、リンドルム陥落がその目論見をご破算にしてしまった。

ベイルッドは先程援軍の有無を聞いた年かさの農夫が訝しんでした質問へ答える代わりに大声を張り上げて事の次第を全員に伝える。

「聞け!リンドルムが陥落した!!奴らはそのおこぼれを狙う野党まがいだ、だが村と街道はリンドルムの難民で一杯になって、みんな満足に逃げられねえ!!だからここで時間稼ぎのために踏ん張るぞ!!」

 うろたえる有志達を尻目に、ベイルッドは力いっぱい投槍を丘の下のサクソン人に投げつけると、雄叫びを上げ、再度投槍を投じた。


 数時間後、丘にはブリタニア人とサクソン人の死体が溢れかえった。

 ベイルッドは丘の端で息も絶え絶えになりながら血で赤く染まった目で周囲を眺め回したが、生きて動いている者は敵も味方も一人としていなかった。

「・・・はっ・・・サクソンめ、思い知ったか、ただの農夫と侮ったのが貴様らの間違いだ。」

 ベイルッドたちに残されたのは、ここから撤退し、難民と共にサクソンの追撃を受けて虐殺されるか、ここで踏みとどまって戦うか、はたまた村に戻って焼き討ちされるかの何れにしても過酷な道しか残されていなかったのである。

 ベイルッドたちは踏みとどまって戦わざるを得なかった。

 家族の為、リンドルムの難民の為、自分達の誇りのために戦い、そして敗れた。

「ふん、もう追いつけはしないぜ、今頃みんなは遥か彼方西の先だ・・・」

 ベイルッドたちは、ありったけの矢や投槍をサクソン軍に叩きつけ、緒戦で大損害を与えたが、その結果サクソンの族長の怒りを買い本腰を入れた攻勢を受け、本来ならそこで逃げるところを踏みとどまり、丘の上で数回にわたるサクソン軍の波状攻撃を受け止めたために文字通り全滅した。

 結果、サクソン軍も大きな損害を受け、今もまだ河川敷で傷の手当などをしている最中で全く動いておらず、ベイルッドが意図した時間稼ぎの役目は十分に果たせたのである。

 ベイルッドは折れた槍にすがり、ふらふらと立ち上がったものの、再び死体に躓いて仰向けに倒れた。

「ああ、綺麗な空だ・・・」

 頭上には雲ひとつ無いさわやかな青い空が広々と広がっている。

妻と子供の事をぼんやりと考えながら、ベイルッドは静かに瞼を閉じた。

村で知り合い、兵役の最中であったが結婚を承諾してくれた妻、器量は良くないが、気立ての良い女で、いつもにこにこと愛想の良い出来た妻だった。

息子はもう12歳、今は村の寄合所で勉学と剣術を習っている。

剣の手解きは自分がしてやったが、最近は力こそないものの、はっとするような鋭い一撃を繰り出す事もあり、寄合所で勉強している子供達の中でも、筋が良いと褒められていいるらしく、ゆくゆくはブリタニア軍に参加させてやろうと思っていた。

娘はまだ8歳、小さいときはいつも妻の後ろにくっついていたが、最近はよく外にも出るようにもなって来て、妻の愛想のよさを受け継いで近所の評判も良い。

美人と評判だった妻の母に瓜二つらしく、将来が楽しみだ。

息子の完全装備した姿や、娘の花嫁姿を思い浮かべる。

その未来を見る事は出来ないが、その未来を守る事はできたのだ。

心残りが無いといえばウソになるが、ベイルッドはそれでもここで終わる自分の人生に満足していた。

「・・・先に逝くよ。」

 ベイルッドはそうつぶやき、静かにふうううっと大きなため息を付くと、静かに息を引き取った。

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