第11章 決裂
「では・・・どうあっても承服はせんと言う事であるな!!!」
ロンディニウムにある行政庁舎はアンブロシウスの執務室。
一人の金髪の巨漢がのしかからんばかりの姿勢でアンブロシウスをそう怒鳴りつけた。
「書簡の通りです、ボルティゲルン殿、婚姻は無理です。」
対照的に落ち着いた表情で席に着いたままアンブロシウスがそう答える。
ボルティゲルン、ブリタニア土着のケルト諸部族の族長に連なる土豪で、ブリタニアで最有力諸侯の一人である。
身体は牛と見紛うような巨体で、金髪の長髪を左右に分け、口と顎に立派なこれまた金色の豊かな髭を蓄えている。
「なぜであるか!決して悪い話ではないはずである!!グィネビアの器量不足とは言わさんのである!!!」
ボルティゲルンの申し入れてきた婚姻を書簡で断ったアンブロシウス。
その理由はアウレリアとアルトリウスの婚約と結婚に関する以前からの約束、と言うよりも、かつて両家で交わした取り決めがあったとしたものであり、当然その旨を記した書簡をボルティゲルンに送っている。
しかし、その顛末に納得のいかないボルティゲルンはブリタニア元老院の定例会に合わせてわざわざアンブロシウスの元へ直接乗り込んできたのであった。
眉間に青筋を浮き立ててがなるボルティゲルンをアンブロシウスは相変わらずの無表情で眺める。
「・・・書簡の通りです、ボルティゲルン殿、婚姻は無理です。」
もう何度目かになる同じ言葉を発したアンブロシウスに、ボルティゲルンは目を剥いた。
びきびきと音と火花が散るような異様な雰囲気が二人の間に流れる。
「我を馬鹿にしているのであるか!!!」
ボルティゲルンはそう怒鳴ると同時に分厚い両腕をアンブロシウスの執務机に思い切り叩きつけた。
がぼんっ
頑丈な樫の一枚板で作られたアンブロシウスの執務机は、ボルティゲルンの豪腕に耐え切れず、木っ端を散らしながら真っ二つに割れ飛んだ。
「そちらがそのような態度に出るのであれば、こちらにも考えがあるのである!!次回のブリタニア元老院は我らケルトの同胞は欠席させてもらうのである!!!」
ボーティマーは、くるりと踵を返すと、足音も荒々しく執務室の扉を開いて退室していった。
「親父殿!!」
アンブロシウスの部屋の前で話合いが終わるのを待っていた騎兵司令官のボーティマーは、部屋からどかどかと出てきた父親のボルティゲルンを見ると、直ぐに声を掛けた。
「むう、ボーティマーであるか、何用か?」
憮然とした様子で答えるボルティゲルンに、ボーティマーはいらいらしながら問いを続けた。
「何用か、ではない、話合いはどうなったんだ?」
「決裂である!」
さも当然かのように、ボーティマーの問いに間髪入れずに答えるボルティゲルン。
「決裂?」
その軽いもの言いに反し、ボーティマーは、愕然とし真っ青になった。
ブリタニアを取るか、父であるボルティゲルンを取るかの2者択一を突然迫られる事になってしまったボーティマー。
彼にとってボルティゲルンは父親である一方、アンブロシウスやアルトリウスは職場の上司である。
「お前も何時までもローマなんぞと夢を見ておらず、領地へ戻ってくるのである、これから戦支度をし、近隣の領地を切り取らねばならんのである!!」
「何を言うか親父殿!!自分の言っている事が分かっているのか!!」
吐き捨てるようにそう言ったボルティゲルンの巨体の胸倉を掴み、ボーティマーが一喝したが、ボルティゲルンは怯まない。
「何をもクソも無いのである、言ったままであるからな、分かったならそこを退いて貰おう。」
ボーティマーの手を振り払い、ボルティゲルンは行政庁舎を立ち去るべく歩き出した。
「・・・もはやローマは戻ってこぬ、ブリタニアを纏め上げられるのはアンブロシウス如きの青瓢箪では無く、実力を示せる我しかおらんのである!お前も我かアンブロシウスかいずれかを取るが良いぞ、我はお前如きをアテにはしておらんが。」
どすどすと足音を荒げて去るボルティゲルンを、ボーティマーは呆然として見送った。
「お兄様・・・」
金髪の軽くウェーブした髪を後ろでまとめ、見るからに上品な顔かたちをした少女が青い目を潤ませてボーティマーへ声を掛けた
「心配ないグィネビア、お前はおれが面倒を見る。」
アルトリウスとの婚姻話をもう一度強引にでも成立させようと目論んだボルティゲルンが、娘のグィネビアを20日ほどの旅を経てロンディニウムへ同行していたのだ。
ボルティゲルンは一目娘と合わせさえすれば、アルトリウスといえども断らないという自信があったらしく、執拗にアルトリウスとの面会をせがんだのだが、アンブロシウスがアルトリウスに合わせるまでも無く断ってしまった事でその目論みは潰えてしまった。
ボルティゲルンがそんな自信を持つくらい、巨漢の父親とは似ても似つかない美しく可憐な少女は、高価な絹製の衣服を身にまとい、不安そうに両手を握り締め兄のボーティマーのそばに立っていた。
「・・・クソ親父め、今そういう行動に出るという事が、どんな意味を持つか分かって言っているのか・・・!」
吐き捨てるようにそう独語すると、ボーティマーはグィネビアを伴って行政庁舎を後にし、屋敷へ戻った。
ボルティゲルンとの会見が終わった後、アンブロシウスはマヨリアヌスとデキムスを執務室へ呼んだ。
程なく別の要件でアルトリウスとグナイウスに連れられて長身の男が入って来る。
短く刈り込まれた髪は金色で、鋭い目は青であることから、その人物がケルト系の人間であると分かる。
「アルマリック殿、ようこそ。」
「お久し振りです」
アンブロシウスが親しげに声を掛けると、アルマリックは言葉少なく会釈を返す。
アルマリックはブリタニア中部に勢力を持つケルト系豪族の一人で、ボルティゲルンに並ぶ勢威を持つ有力諸侯の一人であったが、その勢威はボルティゲルンの利によるものと違い、彼自身の軍事能力と誠実さに基づくものであった。
ピクト人やスコット人に襲われた近隣の小豪族や都市の救援要請に誰も応じない中、私兵を率いてこれらを度々撃破し名声を得る一方、難民や孤児の受け入れにも積極的で、善政をしく彼の領地は逼塞し始めているブリタニア中部で唯一と言ってもよいほどの繁栄を誇っている。
ブリタニア軍が創設されてから自身の活躍の場は減ったが、それを惜しむどころかむしろ歓迎さえしていたアルマリック。
「私兵などは本来無いほうがよいのだ、やむを得ず自衛のためにしている事、軍が機能しているならそれに越したことはない。」
そうしたアルマリックを慕う有力者や市民は多く、自身の勢力はそれ程大きくないものの、侮れない名声と影響力を持っていた。
本当は自分もブリタニア軍の司令官として働きたいと考えていたが、独身で頼れる親戚のいないアルマリックの領地を取り仕切ってくれる者がいなかった為に断念したという経緯がある。
また、アルマリックは、領地を接するボルティゲルンとは先祖代々仲が悪かった事もあって、ボルティゲルンとは距離を置いており、ボルティゲルンも他のケルト系諸侯を部下のように扱っていたが、アルマリックにだけは一目置いていた。
そのアルマリックが、沈痛そうな表情で口を開いた。
「今日参上したのは、ボルティゲルン殿とその一党が、暴虐している件についてです。」
アルマリックが持参したのは、ボルティゲルンの行状を止めるように訴える村落やキウィタス、小豪族たちの嘆願状だった。
ざっと見たところでも50は下らない数の嘆願状を、アルマリックは大事そうに取り出すと、アンブロシウスに差し出した。
「・・・残念な事ではありますが、この嘆願状を出した者の中にはもう既にこの世の者でない者達もおります。」
アンブロシウスは嘆願状を受け取ると、ボルティゲルンが叩き壊した机の残骸を見ながらため息をついた。
「・・・中部、北部の情勢が悪化しているとは聞いていましたが、まさかこれ程までとは思いませんでした、早速詰問状を出してボルティゲルン殿を問い質しましょう。」
アンブロシウスのその言葉に、アルマリックは首を左右に振った。
「失礼だが、アンブロシウス殿、もうブリタニアはそのような正攻法が通じる時代ではなくなってきているのです、あなたの予想通りでしょうが・・・」
アルマリックはそう言うと、壁にかけているブリタニアの地図へと歩み寄り、その表面を右手でなぞりながら言った。
「・・・今回のブリタニア元老院が分かれ目となるでしょう・・・会議は紛糾し、欲に取り付かれた者たちは去り、志ある者だけが残る事となるに違いありません、アンブロシウス殿らのご尽力には頭が下がる思いですが、最早これまでかと・・・」
アンブロシウスはマヨリアヌスに目をやり、マヨリアヌスがそっとため息をつくのを見てからアルマリックに向き直った。
「・・・ブリタニア分裂の時代に入ってしまったと言う事ですね、ローマ軍の大陸出征以来約1年半、どうにか我らの力で持ち堪えてきましたが・・・ついにこの時を迎えてしまい残念です・・・」
その会話をアルトリウスは横で聞き、絶望感に囚われた。
・・・ついこの間ブリタニアに住む人々の笑顔のために戦おうと決めたばかりなのに・・・
アルトリウスの思いを他所に、事態はもう抜き差しならない所まで進んでいたのだ。
今更ながら、海軍再建と言う仕事に左遷されていたのは、アルトリウスの身を守る為だけではなった事に気付かされる。
最悪の事態を迎えつつあるにもかかわらず、アンブロシウスやマヨリアヌスの表情や口調には動揺が無く、それどころかやっとこの時が来たかと言う安堵さえ覗えたからだ。
恐らくアンブロシウスは水面下でいずれ来るべきブリタニア内乱の時代に向けて準備を進めていたのだろう。
そんなアルトリウスの気持ちに気付いたのか、マヨリアヌスがアルトリウスに近付きぽんとその肩に手を置いた。
「アルトリウス、お主の憤りも良く分かるがここは堪えてくれんかの、ブリタニアが国としてまとまるには大きな試練が必要なのじゃ。」
そしてアンブロシウスがマヨリアヌスの言葉を継いだ。
「これからはブリタニアの旗印は極めて狭い範囲の者達のものとなる、おそらくその旗の下にボルティゲルン殿らはいないだろうし、もっといない人間は増えるかもしれない、ただ忘れてはいけないのは、我々は最終的にブリタニアという国と市民を自由と平和に導く事こそが目標であると言う事だ。」
そしてアンブロシウスはアルトリウスを正面から見据えてゆっくりと言った。
「アルトリウス、それはお前にかかっているという事を忘れるな、ブリタニアの未来と伸長はお前の腕にかかっているんだ。」
「・・・・・」
納得の行かない事柄も多く、決して全面的に承服できる事ではないものの、アルトリウスは思わず自らの両手を見つめる。
アルトリウスはアンブロシウスの言わんとしている事は十分すぎるほど理解していた。
何せ一度は自分も考えたブリタニアの武力統一である。
ローマから受け継いだ形でブリタニアという国を維持する事は、もう出来ない、これからは対立する者同士武力を用いた形で決着を付ける事もあるだろう。
それを忌避していては生残れない時代に入ってしまったという事である。
アンブロシウスとマヨリアヌスが出来るだけそういう事態に陥らないよう手立てを尽くしていた事は周知の事実であり、またアルトリウスもそれを身近で見て来ていて十分知っているから疑う余地は無いのであるが、混乱の時代に入ろうとしている今、別の手立てを尽くしていた事も明らかになった。
アルトリウスとしては自身がうまく利用されていたのではないかというわだかまりがある為、どうしてもすっきりしない部分が残るが、事態はそんな些細な事柄を吹き飛ばすに余りあるものとなっている。
「・・・私は自分の信念に従って行動するだけです。」
アルトリウスは自分の手を見つめながら、どんな事があろうと自分の信念に背くことだけはするまいと誓いを新たにした。
「それでよいのじゃ、わしらの方針はお主の信念に背くようなものではないし、たとえ隙間があったとしても今日これからの話合いでそれは埋められよう、悩む必要も余地も無いのじゃよアルトリウス、心配するでない。」
アルトリウスの言葉にマヨリアヌスがうむと頷きながらそう言った。
「では、早速その方策について話し合う事にしましょう。」
アルマリックがアンブロシウスらにそう言うと、図らずも全員が見事に潰されてしまったアンブロシウスの机に目をやった。
アルトリウスは木っ端の一つを取り上げると、強い口調で宣言するように言った。
「・・・そうですね、物事こう簡単には腕力で潰されないという事をあの御仁に分からせなくてはいけません。」
それから一日を置いて開催されたブリタニア元老院は、アルマリックの予想通り最初から紛糾した。
一旦はアンブロシウスの説得に応じ、出席はする事にしたボルティゲルンだったが、いきなり誰もが認め得ない動議を出し、心ある者達を激怒させた。
「我をブリタニアの王として即位させるのである!!さすれば我が実力で持って蛮族を追い散らし、ブリタニアに平和をもたらそうぞ!!!!」
この発言は本来中立であるはずの議長、カイウス・ロングスを激怒させることとなる。
「今の発議はブリタニア元老院への侮辱である!議事録から削除する!!」
白い杖で床を打ち抜かんばかりに鳴らしたカイウス議長は、怒声でボルティゲルンの発言に応じた。
「おお!老いぼれめが、我は手続き則って発議したのである、それを認めんとは何事かあっ!!」
「無礼者が!」
「何が無礼であるか!己の発言を省みるがよいのである!!」
「では己の行動を省みよ!何が実力で排除か!!蛮族恐怖症の腰抜けが!!」
「何をっっ!!!?老いぼれがっ!!!」
「その老いぼれがもの申す!お主の言う実力とはサクソン人の威を借り、他人の土地を掠め取る事か!!恥を知れ!!!」
口角泡を飛ばし、激しくののしり合う二人に周りの議員までもが触発され、周りの議員や派閥で暴言とヤジの応酬が一斉に始まった。
一部ではつかみ合いの乱闘まで起き、ブリタニア元老院は収集の付かない事態へとなってしまった。
初回の開催時に見られた厳かな雰囲気は微塵も無く、当時からは想像もできなかったこの事態にアルトリウスは驚く前に悲しく、そして情けなく感じてた。
「・・・残念ながらこれが今のブリタニアの実態か・・・」
密やかにため息をつくアルトリウス。
ブリタニアの同胞であるもの同士が罵り合い、乱闘に及んでいる状態を一しきり眺めた後、アルトリウスはもう一度ため息をついた。
その脇に控えていたグナイウスは退屈そうに議場を眺めていた。
彼の本分は軍人であり、戦場での働きこそがその役目であると考えており、このような政治の場におけるやり取りは、正直興味を持っていない。
ブリタニアが正しく歩み、自分の上司がアルトリウスである限りは何が政治の場で行われようと興味を持つつもりは無かった。
そのグナイウスへ議場に詰めている警備兵がそっと入って近づいて来る。
グナイウスは興味は無いものの、議場の喧騒には気を取られており、警備兵が肩を静かに叩くまでは気が付かなかった。
グナイウスは、警備兵から伝令ですと前口上され、警備兵に耳を寄せ、そしてその伝令の内容を耳打ちされるとさっと顔色を変える。
「グナイウス、どうかしたのか?」
顔を前に向け、議場を眺めたままの姿勢でアルトリウスが尋ねてきたので、グナイウスは内心どこに目がついているのだと驚きながらも、座っている席からは腰を浮かさず、少しアルトリウスに顔を近付けて伝令兵から聞いた内容をそのままアルトリウスに伝えた。
「コルウス提督からの早船伝令が到着したそうです、ヒベルニアの海賊が大挙して西岸に迫っているようです。」
「そうか・・・それで、海賊の目標や勢力は分かるのか?」
「はい、勢力はおよそ200艘、かつて無い大軍です、コルウス提督が一戦に及んだものの多数を取逃がしてしまった、申し訳ないと知らせが来ました。」
「無理も無い、まだ完熟訓練も十分に済んでいないのに戦闘はまだ早かったんだろう。」
アルトリウスは視線を変えずグナイウスの耳打ちに頷きながらそう言った。
200艘であれば少なく見積っても2万から3万の戦士達が乗り組んでいる、ヒベルニアがいよいよ本腰を入れてブリタニアの強掠に動いたようである。
再建なったブリタニア海軍は初陣を残念ながら完勝では飾れなかったものの、その機能を十分発揮し、いち早く蛮族の襲来情報を伝えてきた。
これまでは沿岸の狼煙台から視認できるまで接近を許していた為、出動が遅くなりがちで襲撃後の捕捉攻撃でしか対処できなかったものが、西岸限定とはいえ事前に戦闘準備を整える時間的余裕をもたらしたのだ。
「・・・では行こうか、グナイウス。」
周囲の物音が聞き取れないほどの喧騒の中、アルトリウスは至って普通の様子でそうグナイウスに言うと、自分が付いている武官席からすっと立ち上がる。
隣の文官席についていたアンブロシウスは、この混乱を収拾しようと無駄な努力をするために席を立って議員議席のほうへ行ってしまっており、アルトリウスが退席しようとする様子は全議員の注目を浴びた。
さすがにブリタニアで最も強く、そして最も去就の注目されているアルトリウスの退席とあっては、醜い私闘を繰り広げていた議員達も黙って見過ごすような真似は出来ず、一人二人と口論や乱闘を止めていく。
それを見ていたアンブロシウスは、やれやれとため息をついた。
「・・・王には誰が求められているのか、これで明らかになったな・・・」
いつしか議場はしんと静まり返り、アルトリウスとグナイウスが出口に向かって歩くたびにたてるっかしゃんかしゃんという装具の金音だけが議場に響く。
「・・・どこへ行くのであるかアルトリウス総司令官、未だ元老院は終わっておらぬ!」
息を切らせながらカイウス議長と口論していたボルティゲルンが大声でそう呼び止めた。
その声にぴたりと歩みを止めたアルトリウスは、立ち止まったまま空を仰ぐように議場の天井を見つめたまま身じろぎ一つしない。
しばらくその奇妙な時間が続くと、ボルティゲルンが焦れた様に再び声をあげようとした。
「どこへ行くのかと聞いているのである!総司令官と言えども勝手に席をはなれ・・・・」
「うぅるっさいっっっ!!」
議場の空気がアルトリウスの怒声にびりびり震える。
度肝を抜かれた議員の中には自分の席にへたり込む者や腰を抜かした者までいた。
アルトリウスをよく知るアンブロシウスでさえ、ここまで怒りを顕にした姿を見た事が無く、その気迫に圧倒されてしまう。
がしゃんと再び装具を鳴らし、議員達に全身で振り向いたアルトリウスの目は怒りに満ちていた。
「ヒベルニアの海賊達が西岸地方へ上陸しようとしている!この時勢に指揮を執るべき諸侯と呼ばれるあなた方は一体ここで何をしているのだ!?ブリタニアに住まう民が間もなく塗炭の苦しみを味わわせられようとしている時にあなた方は何をしている!?過去に救いを求めて来た民にあなた方は何を為せたのだ!?館に引きこもり蛮族をやり過ごす事があなた方の権力と言うならばそんなものは地獄にでも落ちてから行使するがいい!」
アルトリウスは議場に集まったブリタニア元老院議員の一人一人としっかり目を合わした。
目を合わせられた議員達の反応は様々で、目を逸らす者、しっかり見据えてくる者、呆然と見返して来る者・・・アルトリウスはその反応を全員分確かめると、再び口を開いた。
「誇りある自分の義務と仕事はブリタニアの平和と自由を守る事!その責務を阻む者あらば断固として排除する!あなたがたは私の責務を阻む者達か!?」
拳を固く握り締め、それを議員達に突きつけるように突き出すアルトリウスの拳に気圧されのけぞる議員たち。
中には必死で首を振りたぐっている者もいる。
そんな中、アルマリックは顎に手をやって議場の様子を見ていた。
「・・・ふむ、アンブロシウス殿の言うとおり、今日で敵味方がはっきりさせられるか・・・」
三分の一が度肝を抜かれると共に反発心を持っている事が見て取れる一方、約三分の一がもっともだという感じで聞き入っており、残りは事態の展開に付いて行けずにただおろおろとしている。
「・・・ボルティゲルンは・・・駄目だなあれは。」
アルマリックはあきれたようにそう独り言を言った。
ボルティゲルンは怒りで顔を真っ赤にし、ぶるぶると震えているがアルトリウスの迫力に圧されてしまい発言をする事が出来ないでおり、取巻き連中が必死になだめたり落ち着かせようとしているようであるが、全く耳に入っていないようであった。
近くにいるカイウス議長は一時は驚いていたものの、元々意見がアルトリウス寄りである事もあって、今はボルティゲルンとは対照的に割合落ち着いた表情でアルトリウスを見ている。
「・・・さすがは元ブリタニア軍団長、肝は、まあ据わっている。」
アルトリウスの檄はアルマリックのそんな考えをよそに未だ続いていた。
「一寸の時も惜しまれるこの時にあなた方は何をしているのだ!?会議でののしりあい、掴み合いをしているのなら、直ちに領地に戻り兵を率いてディーヴァへ集結してもらいたい!!罵り合い掴みあうのは会議では無く戦場ですべきことではありませんか!!」
アルトリウスは最後にそう言うと、踵を返し、かしゃかしゃと装具の音を響かせながら議場を出て行った。
後に残された議員達はしばらく放心状態でいたが、少しずつ正体を取り戻し、ざわざわと話し始める。
「何であるか今の態度はっっ!?若造があ!思い上がりも大概にするのである!!!」
ボルティゲルンがアルトリウスが退出したのを見計らったように騒ぎ始め、周囲に不満や憤りをぶちまけているが、もう取巻き以外で彼の言葉を聞いている者は一人としていなかった。
「ふむ、頃合か・・・」
アルマリックは文官席に戻ったアンブロシウスに目配せすると、アンブロシウスもそれに頷き返した事を確認してそう言い、自席からすくりと立ち上がった。
そして呆気にとられるボルティゲルンを無言で一瞥してスタスタとその脇を通り、そのまま議員席を通過し議場の出口へと向かう。
「待て!どこへ行くかアルマリック!!」
慌ててボルティゲルンが声を掛ける。
「・・・言わずとも・・・アルトリウス総司令官の加勢に行くまでの事。」
それだけ答えるとアルマリックは歩みを止める事無く議場から出て行ってしまった。
「では、私も総督代行として戦場へ向かいますので。」
続いてアンブロシウスも議場から退出してしまい、議場は再び騒然となる。
「うわははは!ではわしも老骨に鞭打ち久方ぶりに出陣するとするか!!」
今度は議長で進行役であるはずのカイウスまでがそう言い出し、席を立った。
ローマ派の議員達は旗頭であるカイウスに倣い、次々と席を立つ。
そして、アルマリックに続く者たちもあらわれ始め、ボルティゲルンが必死に留めるのも構わずおよそ半分の議員が退出する事態となった。
「・・・うぬぬぬアルトリウスめ・・・どしぶとく我が手の者から生残りおったがゆえに婿に迎えてやろうという温情も蹴ったばかりか、我にかのような辱めを与えんとするとは・・・!」
怒りも露に、醜く顔をどす黒くしたボルティゲルンがそうつぶやいた。
「構わん!今ここで我を王に選出する動議を出し、我らで可決するのである!!今日から我がブリタニアの王ぞ!!!」
残った議員の中には互いの顔を見合わせている者もいたが、そのほとんどがボルティゲルンの閨閥である今の議場内の状況で、その意向に逆らうほど気概のある者は既に退出してしまってこの場には一人としておらず、結局そのままボルティゲルンを王として選出し、また併せてサクソン人傭兵を大々的に移住させて雇用する事も可決された。
正式な手続きも議事録も残さないまま、ボルティゲルンは自分の動議が形ばかりであるものの可決されると機嫌を直した。
「ふん、これは正式に元老院で可決された事なのであるからして、みな従わねば誅すのであるぞ!!」
ボルティゲルンはもういない反対派の議員に向けてそう捨て台詞にもならない言葉を吐くと、ブリタニア元老院を離れ、ロンデニィウムを後にし自分の領地へと帰る事とした。
長い議場の廊下で先に議場を出たアルトリウスとアンブロシウス、そしてアルマリックが合流した。
「アンブロシウス殿、我らが出てきてしまって良かったのか?ボルティゲルン殿は自らを王に選出してしまうぞ。」
アルマリックが顔を曇らせてそう言った。
アンブロシウスらは議場から途中退席する事を事前に打ち合わせていたものの、いきなりボルティゲルンがブリタニア王即位の動議を出した事や、それに続いた議員達の乱闘や混乱、ヒベルニアが動いた事でアルトリウスがいきなり退出するなど予想外の事が立て続けに起こり、最低限可決しておくべき事を発議する間もなく、大分早くに切り上げて議場を退出せざるを得なくなった。
アルトリウスもそれが心配なのか、アルマリックの言葉へ賛同するように頷く。
先程とは打って変わって穏やかな表情のアルトリウスにアンブロシウスは内心舌を巻く。
・・・本当の政治家とはこういう素質を持ったものがなるべきなのだろうな・・・
「そうですよ、従兄さん、無理にボルティゲルンらを元老院に出席させる必要は無かったのではありませんか?」
自分のほうを見てはいるものの、なかなかアルマリックの問いに答えないアンブロシウスに焦れたアルトリウスがそう言う。
いかし、心配そうな二人をよそに、アンブロシウスは口元に密やかな笑みすら浮かべ、口を開いた。
「まだ分からないのか、二人とも。」
「・・何がだ?」
「・・何がです?」
アルマリックとアルトリウスが同じように聞き返す。
「・・・ブリタニア元老院に固執させておく事が重要なんだ、これがボルティゲルンらの今後の足かせになる、やつらは自分の正当性をブリタニア元老院に求めた、ローマ亡き後、本来ボルティゲルンは自分の出自や門閥、部族長である地位に正当性を求めるべきだったのにもかかわらず、だ。」
いまだに疑問符を頭の上に浮かべている二人を見て、アンブロシウスは苦笑しながら言葉を継いだ。
「つまり、簡単に言えば、ブリタニア元老院で選出された王はブリタニア元老院で罷免する事ができるということだ。」
あっ
とアルトリウスとアルマリックの二人は顔を見合わせた。
「何とか元老院へ出席させようと必死だったのはこの為ですか・・・」
アルトリウスが呆気にとられながらも、アンブロシウスに尋ねる。
「そうだ、ボルティゲルンを説得するのは苦労したが・・・別の理由、場所で王に即位されては収拾がつかなくなるからな、ブリタニアの正当な権威はここロンディニウムのブリタニア元老院ただ一つ、これは譲れない。」
アルトリウスの問いにアンブロシウスは得意げに語る。
ブリタニアの正当性はたった一つ、ブリタニア元老院に帰する事・・・
既にブリタニアがこのままでは立ち行かない事が明白となった時、アンブロシウスとマヨリアヌスはこの正当性を何としても確立する事に腐心し続けた。
アンブロシウスは頻繁に元老院を開き、些細な事柄でも元老院の可決を持って実施し、一般的な裁判や調停もわざわざ元老院で実施した事もあった。
そんな努力が実を結び、ブリタニアの有力者達は元老院の威光や権威を無視できないようになっていたのである。
当初は婚姻問題のこじれを理由に、アンブロシウスらを威迫し、虚勢を張ってブリタニア元老院を欠席すると息巻いていたボルティゲルンであったが、その後アンブロシウスが説得に赴くと、たっぷり1時間近く愚痴をこぼしつつも出席する事にはあっさりと同意した。
これはいくらボルティゲルンといえども最早ブリタニアの有力者たちの庭として定着したブリタニア元老院を無視する事は出来なくなっていた事を意味する。
「まだ我々にボルティゲルンを抑え込めるだけの実力がない、今はボルティゲルンに好きにさせておくしかないが、何れ我々の実力が上回ったときに罷免してやれればいい、余り時間をかけてはいられないが・・・」
アンブロシウスはそう言いつつ横を歩くアルトリウスを見る。
・・・我らの王はお前だ、アルトリウス・・・
正当が一つであれば、いかなる者でも勝手に王や最高官職を名乗ることは出来ない反面、その正当を手にした者が全てを制する事が出来る。
この場合、あのボルティゲルンでさえブリタニア元老院で選出されたからこそ王となれた、ということになる。
これは弱点であり利点でもあるが、逆に正当が乱立した場合、何時でも誰でも王となり得るだけに止まらず、それを廃するには実力、武力でもって最後の最後まで打ち滅ぼす以外に方法がない。
そうなれば内戦状態となる事は必至であり、その最期に待っているのは、国土と民心の荒廃であり、蛮族の乱入であり、ブリタニアの滅亡である。
アンブロシウスは、ブリタニア元老院の正当を確立する事によって、ブリタニアという最低限度の枠を保つ事に成功した。
つまり「正当の乱立」と言う内戦を、最悪の事態を防ぐ事に成功したのである。
行政庁舎へ戻ったアンブロシウスは早速マヨリアヌスとデキムス行政長官、カイウス議長、アルマリック卿を執務室へ集めた。
アルトリウスは郊外の駐屯地へ一足先に戻り、ヒベルニアとの対決に向けた準備に取り掛かった。
「・・・ここでの話は、まずアルトリウスには内密に願いたいのです。」
アンブロシウスはそう切り出した。
その言葉に、デキムス、カイウス、アルマリックの三人は顔を見合わせた。
「・・・アルトリウスは純粋過ぎて政治的な判断が出来かねる所があります、おそらく我々の基本的な方針に心から賛同する事は無いと思うのです。」
心苦しそうなアンブロシウスを見かね、マヨリアヌスが発言を引き継いだ。
「つまり、ボルティゲルンの自滅を誘うということについてじゃ、その間は残念ながら奴の領地に住まう者達への援助は一切できん、これが純粋にブリタニアの民の為に動こうとするアルトリウスにとって大きなしこりとなろう。」
ボルティゲルンは広大な領地を治め、勢威並ぶ者ない有力者である事は確かであるが、逆に言えば、それ以外には何もない者である。
特に人格者で善政を施して市民から慕われているわけでも、軍事的能力に優れているわけでもない、その価値は領土と領土に付随する財力及び私兵、それによる権威に支えられているに過ぎない。
ボルティゲルンは自分が崩そうとしているローマ的枠組みの中でこそ、自身の地位や権威が保ち得ているものであることを理解しておらず、実力本位主義の嵐に飲み込まれた時には、何の役にも立たないものを根拠に自分を過大評価している事に気が付いていない。
アンブロシウスらは、そんなボルティゲルンが、早晩自滅する事を予想しており、その自滅までの間に、自らの力を蓄えようとしていたが、その間ボルティゲルンとその一党の治める領地に住むブリタニアの民は塗炭の苦しみを味わう事になる。
おそらくボルティゲルンは蛮族の侵攻にまともな対処すら出来ないであろう。
しかし、自分の信念に従う事を誓ったアルトリウスがそれを黙って見ていられるかというとそれは無理な話で、蛮族の侵攻と聞けば、敵であろうがボルティゲルンの利になろうが、駆けつけようとするに違いなく、それはボルティゲルンの自滅を狙うアンブロシウスにとっては望ましくない事であった。
アンブロシウスは最終的なブリタニアの統一と平和のためには多少の犠牲はやむをえないと考えており、それは志を同じくする者達の共通の考えでもある。
「そういう事であれば、致し方ないでしょうな、アルトリウス総司令官には戦場にて思う存分力を発揮して頂かなくてはいけませんから、些事は私達で処理すると言う事では如何ですか、皆さん。」
デキムスが、助け舟を出すかのようにそう言ったが、首を振りながらカイウス議長が難しそうな顔をして発言する。
「当面はそれで良いかも知れぬが、何れ隠し事は手に余り隠し切れぬようになる、手に余った隠し事を、始めて見せられたアルトリウス将軍はどのように思うかな?最悪、我らに対する信頼そのものを無くすおそれもある、よく考えねばならんぞ。」
・・・ううむ・・・
アンブロシウスらにとって、正直なところアルトリウスの軍事的才能は大いに頼もしく、今や唯一と言ってもよいほどの拠り所である反面、その純粋すぎる行動原理はアンブロシウスらの思惑を逸脱してしまいかねない危うさを持っており、極めて扱い難い。
「・・・仮にも我らブリタニアの軍事的主導者であるアルトリウス殿を、我々の意思決定から遠ざけてしまうというのは反対です、包み隠さず事の次第を説明した上で同意を求めるのが筋でしょう、アルトリウス殿は馬鹿でも子供でもありません。」
それまで黙って事の成行きを見守っていたアルマリックが、静かにそう言った。
「アンブロシウス殿、アルトリウス殿の才能をただ利用すると言うのでは無く、まず人として信用しなければならないのではありませんか?例えその結果アルトリウス殿が我らから見て暴走と取れる行動をとったとしても、です、そうでなければ我らはブリタニアの市民にとって、ボルティゲルン殿と何ら変わらないという事になるでしょう。」
アルマリックの言葉で、それまで心苦しそうにしていたアンブロシウスの顔から迷いの表情が消えた。
「・・・アルマリック卿の言葉で目が覚めました、やはり我々は正道を歩まなければなりません、アルトリウスには隠し事なく、また我らの間も同じように今後方針を定める事にしましょう!」