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第1章 ローマ軍大陸出征

「俺は反対だ」

 意志の強さを覗わせる目をさらに強め、決して大きくは無いがはっきりとした声色でそう言った男に、少し年上と思われる男がゆっくりと諭すように言う。

「それでも俺は行くぞ、アルトリウス、ローマのためだ。」

 会議場と思われる石造りの円形の部屋の中には、鎖帷子や鎧を纏った男たちが十数名、あまり良いとは言えない雰囲気の中で話し合いを続けていた。

アルトリウスと呼ばれた男は、会議場を見回す。

あるものは沈痛な面持ちで床を見詰め、また有る者はあきらめたかのように天井を仰ぎ見ている。

意志の強そうな面立ちとその騎兵司令官用の鎧と深紅のマントが彼を大人びて見せているが、よくよく見れば未だ20を超えたくらいの青年である。

アルトリウスは再度自分を諭そうとした男に向き直る。

「コンスタンティヌス、ローマのためにというならば、与えられた任務を全うすることが大切だ、『今の事態は役割を果たすべき人間が果たすべき役割を果たさない事がすべての原因だ』と、いつも自分で言っていただろう。」

 コンスタンティヌスと呼ばれた男は、肩をすくめ首を左右に軽く振り答えた。

「いかにも、だから果たせる人間が役割を果たそうっつうんだ、間違いじゃあないだろ?」

「それでブリタニアを・・故郷を見放して大陸へ渡ろうというのか?」

 間髪いれずに問い返したアルトリウスに答えず、コンスタンティヌスは苦笑しながらアルトリウスから視線を外し、周囲の武官達に問いかけた。

「お歴々は如何だい。」

 しばらくの間、誰も発言せず、会議場はより一層重苦しい雰囲気に包まれた。

「何を思い悩むことがあるのです、正式な命令すらないのにブリタニアを離れることなど・・・」

 アルトリウスが割り込むように言い募るのを手で制し、先ほどまでとは打って変わり、アルトリウスを睨み付けながらコンスタンティヌスははき捨てるように言い放った。

「今までローマがまともな命令や指示をよこしたことがあるか!」

 あまりの剣幕にアルトリウスは訝しげにコンスタンティヌスを見つめる。

「俺が今日から皇帝だ」

 その視線に負けたかのように、ぼそりとコンスタンティヌスが言った言葉に、アルトリウスは目を剥いた。

「・・良かろう、皇帝陛下の仰せとあれば従おう」

「・・・・・・軍団長!!」

 年嵩の武官がおもむろに発言した内容に、アルトリウスは思わず振り返る。

 その背後から、コンスタンティヌスがアルトリウスへ静かに声をかけた。

「と、言うことだ、悪いなアルトリウス」


「前例が無いわけじゃあない、負けちまったヤツもいるが、ブリタニアから皇帝が立った事は以前にもある。」

 コンスタンティウスは再び諭すようにアルトリウスへ話しかけた。

「・・軍団長までとはな・・いつの間に話を進めたんだ?」

 アルトリウスの問いにコンスタンティヌスはにやりと笑い

「話が決まったのは昨日だ、お前が自慢の騎兵隊を率いてピクト人の盗賊どもを蹴散らしていた時ぐらいか、俺の名前は兵士受けがいいしな」

と既にアルトリウス配下以外の兵士たちから支持を取り付けているということを言外に匂わせて答えた。

 かつてローマ帝国の威信を回復させた偉大な皇帝、新帝都コンスタンティノープルの造営者、コンスタンティヌス大帝と同じ名前を持つ男は、その偶然をめいいっぱい利用したのだろう。

「そうは言っても、たかだか駐屯軍司令官のお前が軍団長の上に立てるとは思わないが」

 挑発するようにアルトリウスが言うと、コンスタンティヌスはふふんと鼻でそれを笑って聞き流した。

「人の価値は果たす役割で決まる、見込みを含めてだがな」

「・・・・」

 無言で自分を見詰めるアルトリウスから視線を外し、コンスタンティヌスは窓へ歩み寄った。

 窓の外には一面の小麦畑が広がり、その先に青く帯状に見える海が広がっている。

 さらにその先にはガリアの地が広がっているはずだが、うっすらと曇っているせいか、普段であれば細長く頼りなさげに見えている大陸を今は見ることができない。

 先ほどの会議場の上階に位置するこの小部屋には一つだけ窓があるが、アルトリウスの位置から外の様子は覗えない。

 アルトリウスは会議場から武官たちの手によってこの小部屋へ押し込められた。

 鎧姿のままだが、剣はその際取り上げられてしまっている。

「もう一度言うぞ、アルトリウス、一緒に大陸へ行くんだ」

「・・・断る」

「皇帝の命令だっつっても、か?」

 はたとアルトリウスを見据え、コンスタンティヌスは少し声色を落としてそう言った。

「・・・・・」

 無言で自分を睨み返すアルトリウスに、あきらめたようにため息をついたコンスタンティヌスは、首を左右に振りながら手を額にかざした。

「お前が強情なのは知っていたつもりだったが、まだ読みが甘かったみたいだな」

「・・・そこまで分かっているなら、わざわざ俺が口を開いて回答する必要もない」

 奥歯を噛締め、搾り出すように答えるアルトリウスの両肩にコンスタンティヌスは手を置き、真正面からその瞳を覗き込む。

「アルトリウス、お前ローマって何だと思う?」

「・・・・・」

 コンスタンティヌスは自分を強く見詰め返しながらも言葉を発しないアルトリウスに幾分満足気な表情を見せると、アルトリウスの両肩から手を離した。

「答えられやしないだろう、あんまり当たり前にすぎてっからなあ、改めてローマとは何か、なんて考えている人間はいやしねえ」

 再び部屋の小窓に向き直ったコンスタンティヌスは、まるで独り言を言うようにとつとつと話し続ける。

「ローマは国で、そこにいる人間で、文明だ。当然俺たちもローマだ、今まではな」

「・・・・・」

「・・・今この時代それが狂ってきちまってる、ここはピクト人どもや海賊が横行しているっつってもまだまだ平穏だ、それより大陸の情勢を見てみろ」

 コンスタンティヌスはそう言うとアルトリウスに向き直ることもせずに、窓の外を指差す。

「フン人やゲルマン人が我が物顔で歩きまわってんじゃねえか、どこにローマがあんだ」

「ガリアの情勢はお前に言われるまでも無く承知しているさ」

 ため息をつくようにアルトリウスは言いった.

「ローマ軍の動員が遅れているだけだ、いずれ東にいるスティリコ将軍が戻ればカタがつく、ゲルマン人は火事場泥棒をしているに過ぎない」

 その言葉にコンスタンティヌスはぐるりと振り向き、ぎらぎらとした目でアルトリウスを見た。

「そうなる前に俺がガリアを支配する、ブリタニアの軍団を率いてな」

「・・・やっと本音が出たなコンスタンティヌス」

 少しあきれた様子のアルトリウスにコンスタンティヌスはサッと顔を赤くし、噛み付くように言い放った。

「今までローマが何をしてくれたってんだ、ローマは今や皇帝、皇帝だけだ!!俺たち兵士はもはやローマじゃない、蛮族の傭兵でも代えの利く卑しい存在だ!!」

「それは貴様がそう思い込んでいるだけのことだ、ローマの壁たる自尊心を失ったか、コンスタンティヌス」

激昂した様子で目を血走らせているコンスタンティヌスへ今度はアルトリウスが諭すように話しかけた。

息を荒げていたコンスタンティヌスはその言葉を聴くと嘲る様な笑みを口元に浮かべた。

「もういい、お前に頼むのは止めだ、所詮お前もスティリコと同じ半蛮人だ、何がローマの壁だ、お前の親父はその壁を噛み破って蛆虫のように入り込んできたゲルマン人じゃねえかよ!」

「・・・もう一度言ってみろコンスタンティヌス・・」

がたりと音を立てて椅子から立ち上がったアルトリウスの額にはくっきり血管のあとが浮き上がり、その目は今にも目の前の男を睨み殺さんばかりに見開いている。

「はっ!お上品の仮面が剥げてるぜアルトリウス、お前の母親を汚した蛮人の血はごまかせねえな!!」

 そう言うとコンスタンティヌスは自分の剣をすらりと抜くと、立ち上がりかけたアルトリウスの首に突き付けた。

「おおっと、大人しくしな、まだ話は終わっちゃいない」

「剣を突き付けてする話など聞く耳は持たないぞ」

未だ冷めやらぬ怒りを押し殺し、アルトリウスは椅子に座りなおした。

「ふふん、大人しくしてりゃ剣なぞ使うかい」

 アルトリウスが椅子に着いたのを確認すると、コンスタンティヌスはそう言って剣を鞘に収めた。

「俺たちは2個軍団と4個補助軍団を率いてガリアへ渡る、残念だがお前になついちまってる騎兵隊と1個軍団分の兵はあきらめるしかなさそうだ」

 アルトリウスは怒りを秘めたまま、驚いた。

 自分と志を同じくするものが少なくないことが分かったからだ。

「残留希望者が結構多かったな」

 意外さと安堵からアルトリウスは、ぼそっとそう漏らした。

「仕方ねえやな、ま、ガリア全土に散らばってるローマ軍を集めりゃ十分ことは足りるさ、ブリタニアの軍団はその骨だな」

 いつもの調子に戻ったコンスタンティヌスはそう言うとにやりと笑みを浮かべた。

「見てろよアルトリウス、蛮人とローマでのうのうとやってる連中どもに一泡吹かせてやる、ローマが見限った半端モンがでっかいことをしてやるぜ」


 翌日から軍団宿舎をはじめとして、ブリタニア中の都市や農村は慌しくなった。

 軍が動くといっても兵士だけが移動して済むというものではなく、鏃や投槍など消耗品の武器に剣や槍も予備を含めた用意が必要である上、食糧や衣服、医薬品や細々とした生活用品も軍で準備を行う。

また、それらの輸送にかける人員や輸送手段の手配も当然必要になってくる。

 アルトリウスやその配下の兵達は、それらの準備を手伝いながら、順次国境地帯と沿岸部の駐屯地へ、大陸へ行く部隊と交代していった。

 コンスタンティヌスが渡海に反対する兵士たちに強圧的な態度で望まなかった事もあり、普段の軍事行動前の喧騒と様子はさほど変わらない。

しかしながら、今までそれ相応の兵士数を確保して守っていたものを、全て1個軍団分の兵士で賄わなければならず、手薄感は否めない。

 アルトリウスは部隊の交代を夜間に行ったり、掲げる旗の数を変えずに済ましたりと、北方のピクト人やスコット人、そして海賊に兵数の減少を悟られないよう工夫しながら駐屯地の部隊交代を進めた。

 いずれはブリタニアからローマ軍が大挙して船舶で海峡を押し渡り、ガリアで戦闘行為に入ることによって、手薄になってしまっていることがばれてしまうだろうが、それまではできるだけ防備を調える為の時間を稼いでおきたかった。

 上級指揮官達は、ブリタニアのような片田舎でローマが朽ち果てて行くのをただ見ていることが出来なくなったのか、はたまた別の理由からかほぼ全員が大陸行きを志願した。

上級指揮官の多くはローマ各地から赴任してきており、ブリタニア出身者はアルトリウスとコンスタンティヌスだけであった。

 むろん、彼らに生まれ故郷に戻りたいという気持ちもあったろう。

 なぜなら今のローマの状況で任地換えは難しいし、よしんば換われたとしてもブリタニアほど密度濃く軍が配置されている場所は他に無い。

 ブリタニアにいれば、せいぜい小競り合い程度の戦闘を日々こなせば済むため、ある程度安全だが、ローマに戻れる保障は全く無い、しかしながら戻りたければ常に蛮族の徘徊するガリアを抜け、これまた常に蛮族と対峙する軍団に身を置かねばならない。

 西ローマ軍総司令官を務める将軍スティリコは極めて優秀だが、いかに優秀であろうとも彼の身体は一つしかない。

 しかも将軍がどれだけ優秀であろうと、大きな戦闘を重ねれば死ぬ者は必ず多くなる。

 そのようなジレンマに悩まされていた上級指揮官にすれば、今回のコンスタンティヌスの誘いは渡りに船の一面があった。

 むろん、コンスタンティヌスを皇帝として立てれば反逆者として扱われることは百も承知であるけれども、この情勢でローマはブリタニア軍団を無碍に扱うことは出来ないと踏んだのであろう。

 ローマ軍は弱体化している。

 今は精強な軍が、兵が1部隊でも、1人でも多く必要とされている。

 さらにブリタニア軍団は、日々小戦闘で鍛えられており、大きな戦闘を経験していないという弱みはあるものの、逆にそれは消耗もしていないという強みでもある。

 打算というには余りにも勝算のありすぎる打算と、軍団の幹部達は思ったに違いない。

 ゲルマンの諸部族を撃破さえすれば大きな軍は駐屯していないため、北部及び中部ガリアの支配権は彼らの元に転がり込んでくることは間違いなく、さらに南ガリア、近ヒスパニアの奪取も不可能ではない情勢下にあった。

 ローマの行政は未だ滅んでいない。

 治安を回復させれば行政機構は息を吹き返す。

 短い期間ではあったが、それはかつて最後のローマ皇帝ユリアヌスが構想し実現させたことで既に立証されている。

 ユリアヌスの輝ける記憶はガリアの人々にとって決して大昔の出来事ではない。

 未だ人々の記憶の中にあり、語り継がれている現実にあったことなのだ。

 今ここで再び強力なローマ軍の復活を印象付けることが出来れば、あながちコンスタンティヌスの言うことは間違っていない。

 コンスタンティヌスがそう言った事柄をどのように考えて利用していこうとしているのかは、アルトリウスには解らなかったが、常に慎重な彼にも、大陸へ打って出ることで開ける道もあることは分かっていた。

 アルトリウスはロンディニウムの河川港で、出撃拠点となる南のポートゥルスマグナムへ向けて食糧を積んだ輸送船を送り出しながらぼんやりと考え続けていた。

 平らな船底の河川用輸送船は滑るように護岸から離れ、海へ向かって出発する。

 ガリア出撃に向けて周辺の海賊勢力をけん制するため、軍船はほぼ全てが出払っているためロンディニウムの河川港は閑散としていた。

 きっとこことは反対に、ポートゥルスマグナムの港は、ブリタニア各地から集められた兵士や食糧をはじめとする軍需物資や軍船でごったがえしていることだろう。

「間も無くお別れだ、アルトリウス」

 軍団の正装で現れたコンスタンティヌスは、ぼんやりと川の下流を眺めているアルトリウスの右に並ぶとそう声をかけた。

「別れと言う割には声が軽いな、コンスタンティヌス」

 視線をそのままにアルトリウスは答えた。

 ふっと薄く笑うとコンスタンティヌスはアルトリウスと同じ方向を見た。

「ブリタニアを頼むぜ、アルトリウス俺たちの故郷を守ってくれ」

「コンスタンティウス・・・」

 コンスタンティウスはアルトリウスに向き直り、今までに無い真剣な表情で彼の顔を見詰める。

「冗談でも、ただの別れの言葉でもねえ真剣に頼む、もうお前しかいねえんだからな」

「そう言うならば・・・」

 意気込んで言葉を発したアルトリウスにコンスタンティウスは苦笑しながら左手をひらひらと振った。

「おいおいよせよせこの場でそれを言うかよ、これから出征だってえのによ」

 再びテルムズ川の下流に目をやりコンスタンティウスは言葉を継いだ。

「正直な、俺も残ろうかと思ったんだ、でも俺の名前が役に立つとあっちゃあそうもいってらんねえし・・・何より何とかローマの未来を継ぎてえ」

無言で自分を見詰めるアルトリウスに気付かないふりをしてコンスタンティウスは自分の両手を見つめ、そして握り締める。

「10年だ、10年で西ローマを手に入れる、だからアルトリウス、10年ブリタニアを守ってくれ」

 コンスタンティウスはそう言うと踵を返した。

「いいか、10年だぞ!」

右手のこぶしを頭上に掲げ、振り向かないままそう言い放ちながら立ち去るコンスタンティウスを、アルトリウスは何も言わず見送った。


 コンスタンティウスは、ロンディニウムの河川港に着くと、元上司の軍団長や参謀、副司令官や駐屯司令官を従え、自らが座乗する小型戦艦へ向かった。

 大陸出征の準備はコンスタンティウスの指揮下で滞りなくそして着実に進行しており、このまま行けば予定より早く出征が適いそうである。

 今まで一駐屯軍司令官の地位に甘んじてきたコンスタンティウスであったが、非凡な才能の一端を既に見せ始めていた。

 軍団長や幕僚たちの元部下であるコンスタンティウスを見る目は、信頼感に満ちており、コンスタンティウスが決して大帝の名前を冠しただけの無能な指導者ではないことを示していた。

 コンスタンティウスはマントを翻し、颯爽と岸壁から渡し板を使い小型戦艦へ乗り込み、そしてアルトリウスが未だ佇んでいるであろう元軍団司令部の塔を見上げた。

「いってくるぜアルトリウス、留守を頼むな」

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