剣士の記憶① 旅の始まり
勇者カイシューと顔を合わせた日のことを、俺はよく覚えている。
あの日のあいつは、妙だった。
俺の顔を見た瞬間――泣いたのだ。
*
パーティの結成は、王城の広間で行われた。勇者が選ばれたのに合わせて、志願者から選ばれた。
勇者カイシュー。
剣士ルシアン――つまり俺。
聖女セラフィーヌ。
魔法使いヴァロワ。
弓使いティエル。
五人が揃った。
最初に口を開いたのはヴァロワだった。痩せた男で、眉間に深い皺がある。三十代半ばで五人の中では一番年齢が上だった。立っているだけで「この場の全員に期待していない」とわかるしかめっ面をしていた。
「それで、この中で誰がいちばん使えるんだ」
開口一番がそれだ。他者に対して厳しいとは聞いていたが想像以上だった。
「お前は?」
「私はヴァロワ。宮廷魔術師だ。魔王に家族を殺されている。復讐のために来た」
淡々と言い切った。
怒っているようにも悲しんでいるようにも見えない。ただ、その言葉だけは何度も自分の中で繰り返してきたのだろうとわかる言い方だった。
セラフィーヌ――セラは、王女でありながら聖女の資格を持つという異例の存在だった。十五歳。俺より年下だが、目に芯がある。
「セラフィーヌです。セラとお呼びください。回復と防御が得意です」
丁寧な口調。だが「得意です」の言い方に自負があった。
年下の王女、という先入観だけで軽んじたら、たぶんその瞬間に見透かされる。そんな眼をしていた。
ティエルは名乗りすらしなかった。小柄な少女で、俺の背中に隠れるようにして立っていた。弓だけは立派なものを背負っている。
ティエルは同じ村の出身で幼馴染だ。妹のようにかわいがっていた。
「……ティエル」
それだけ言って、黙った。人見知りにもほどがある。
だが目だけは鋭かった。人の顔は見ないくせに、部屋の出入口や窓の位置、全員の手元はちゃんと見ている。こういう奴は信用できる。
そして、勇者。
カイシュー。
いつかの日に南門で見た、化け物みたいに強い男。
カイシューを初めて見かけたのは王都の南門付近だった。
盗賊が隊商を襲っているという知らせを受けて、騎士団が駆けつけた時だった。
もう終わっていた。
盗賊は十五人。
全員が地面に転がっていた。死んではいない。だが誰一人として起き上がれない。剣も、棍棒も、弓も、全部手から離れていた。
その真ん中に、一人の男が立っていた。
若かった。十代の終わり――十八か、十九か。
だが纏う空気が尋常じゃなかった。
剣を鞘に収める動作に無駄がない。
視線が一瞬もぶれない。
十五人を相手にした直後なのに、息一つ乱れていない。汗すらかいていなかった。
隊商の護衛が震える声で礼を言っていたが、その男は困ったように頭を掻いているだけだった。まるで自分が何をしたのか、大したことだと思っていないみたいに。
化け物だ、と思った。
だから広間に入ってきた時、少し拍子抜けした。
南門で見た時はもっと――何というか、凄みがあった。空気を歪めるような存在感があった。
だが今日のカイシューは、どこか呆けた顔をしていた。初めて会う人に圧倒しているのか、よく読み取れない表情だった。
「勇者カイシュー殿、こちらへ」
案内役に促されて、ようやくこちらに来た。
「えーと……よろしく」
拍子抜けした。
あの十五人の盗賊を一瞬で沈めた男が、「えーと」と言った。
「ルシアンだ。剣士。お前と一緒に魔王を倒す」
手を差し出した。カイシューは一瞬迷ってから、握り返した。
握力は普通だった。
あの剣筋からは想像もつかないくらい、普通の握手だった。
「……ルシアン、な。よろしく」
俺の名前を噛みしめるように繰り返した。
カイシューは目に涙を浮かべていた。
「……おい、どうした」
近づいた。カイシューは泣きながら、俺の顔を見ていた。じっと、まるで二度と会えない人間を見るみたいに。
「おい、大丈夫か。初対面でいきなり泣く男は初めて見たぞ」
「……すまん。なんか、嬉しくて」
「嬉しくて?」
「お前に会えて。……みんなに、会えて」
カイシューが俺たち四人を見回した。ヴァロワが怪訝そうな顔をしていた。セラが心配そうに覗き込んでいた。ティエルが俺の背中から少しだけ顔を出して、カイシューの顔を見つめていた。
「……カイシューさん、泣いてるけど……嬉しいんだ。すごく」
ティエルが小さな声で言った。この子は昔から、人の感情を見抜く。
嬉しくて泣く男。初対面の相手の顔を見て、再会みたいに泣く男。
妙なやつだな、と思った。
だが、嫌な気はしなかった。
*
その日は準備で忙しかった。
装備の点検。食料の買い出し。ルートの確認。明日、五人は北へ向かう。魔王領を目指して。
カイシューは泣き止んだ後、驚くほど普通だった。装備の点検は手慣れているし、地図も読めるし、食料の選び方もわかっている。まるで何年も旅をしてきた男みたいだった。
ただ、魚の干物だけは選ばなかった。
「魚はいいのか?」
「……魚は、焼けないから」
「焼けない?」
「いや、なんでもない」
よくわからないが、魚が苦手らしい。
奇妙なことがもうひとつあった。カイシューが街を歩いていると、野良犬が道を空けた。猫も近寄らない。露店の鳥籠の鳥まで、カイシューが通ると静かになった。
「……動物に嫌われてるのか?」
「たぶん。理由はわからない」
カイシューは少し悲しそうに笑った。
南門の化け物。初対面で泣く男。動物に避けられる男。魚が焼けない男。
わけがわからない男だった。
*
出発前夜、王城の食堂で五人で食事をした。明日からは野営だ。温かい飯はしばらく食えない。
「うまい! 肉だ! 肉がある!」
「騒ぐな。品がないぞ」
「品より肉だ!」
俺が騒ぐとヴァロワが呆れ、セラが笑い、ティエルはこっそり俺の皿に嫌いな野菜を置いた。
カイシューは黙って食べていた。穏やかな顔だった。だが、時々遠い目をする。四人の顔を順番に見つめて、何かを噛みしめるような顔をする。
「カイシューさん」
ティエルが毛布の端を握りしめながら言った。
「カイシューさん……嬉しいのに、悲しい顔してる」
嬉しいのに悲しい顔。
ティエルにそう見えるのなら、そうなのだろう。この子の目は外れない。
カイシューが少し驚いた顔をして、それから笑った。
「……いい夜だからだよ。いい夜は、ちょっと切ない」
「……変なの」
ティエルが首を傾げた。
変なのは承知の上だ。こいつは初対面で泣く男だ。今更何が来ても驚かない。
*
食事の後、城の屋上に出た。星が綺麗だった。
カイシューが先にいた。一人で星を見上げていた。
「おう、お前もか」
「……ああ」
「明日からいよいよだな。緊張してるか?」
「……してない。お前と一緒なら、大丈夫だと思う」
「初対面でそこまで信用されると、逆に怖いぞ」
カイシューが笑った。だが目が笑っていなかった。また、あの遠い目だ。
「なあ、ルシアン」
「ん?」
「魔王を倒したら、どうするんだ」
「気が早いな! 明日出発もしてないのに」
「いいから」
「そうだな……」
考えた。
「剣術道場でも開くか。田舎に帰って、子供に剣を教える」
「……いいな、それ」
カイシューは目を閉じた。
「だろ? お前も来いよ。二番弟子にしてやる」
「二番弟子?」
「ティエルが一番弟子になりたがってる」
二人で笑った。
星が綺麗だった。
旅はまだ長い。魔王は遠い。
だがこの五人なら、やれる気がした。
カイシューがいる。
この、化け物みたいに強くて、頼りになる男がいる。
初対面で泣いて、嬉しいと言って、悲しい目をする、わけのわからない男がいる。
大丈夫だ。
「ルシアン」
「ん?」
「……ありがとう」
「だから何がだよ。まだ何もしてないだろ」
「いや。会ってくれて、ありがとう」
変なやつだ。本当に変なやつだ。
だが、あの時カイシューの目に浮かんでいた涙が本物だったことだけはわかった。こいつは本気で、俺たちに会えたことを喜んでいる。初対面なのに。
理由はわからない。わからないが、こいつの隣で剣を振ろうと思った。
「こっちこそよろしく、カイシュー」
「……ああ。よろしく」
カイシューはもう泣かなかった。だが、また少しだけ目が潤んでいた。
星空の下で、二人で立っていた。
――これが、三年間の旅の始まりだった。
この夜のことを、俺はずっと覚えている。




