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明日の勇者は昨日へ向かう  作者: 浮夜海月
魔王討伐後

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1/8

魔王討伐から100日目

 

「魔王を倒してくださり、ありがとうございます!」


 通りがかりの人に感謝され、俺は曖昧に笑った。

 俺は魔王を倒した勇者らしい。倒した記憶はない。


 祭りの真っ最中だった。花のアーチが通りを彩り、露店が軒を連ね、楽師が陽気な旋律を奏でている。子供たちが走り回り、酒場からは昼間だというのに酔っ払いの歌声が漏れてくる。


 広場の中央に五人の石像が立っていた。

 剣を掲げる勇者。

 大剣を持つ剣士。

 祈りを捧げる聖女。

 杖を掲げる魔法使い。

 弓矢を手に持つ弓使い。

 台座には『魔王を倒した勇者一行』と刻まれている。

 石像の勇者は、俺の顔だった。


 その日の朝、俺は知らないベッドで目を覚ました。




 窓の向こうで、誰かが歌っていた。お祝いをするような陽気な音楽が流れていた。

 ……何だこれ。隣の部屋のテレビか?

 目を開けて、固まった。

 なぜか天蓋つきのベッドで寝ている。石造りの壁。燭台。テレビどころかコンセントすら見当たらない。窓の外には尖塔と城壁。その向こうから、さっきの賑やかな楽器の音色が聞こえてくる。

 直前の記憶を探る。確か自分の部屋で、期末テストの勉強をしていて……それから? 何もない。ぷつん、と糸が切れたみたいに記憶が途絶えて、気がつけばこのベッドだ。

 十五歳。高校一年の冬。

 ありふれた日常を送っていたはずの俺は、状況がまったく飲み込めないまま、とりあえずベッドから降りた。

 机の上には本。壁に外套が掛かっている。窓辺には小さな石がいくつか並んでいた。

 誰かが暮らしている部屋だ。生活の痕跡がある。

 だが、何ひとつ見覚えがない。

 扉をおそるおそる開けると、廊下に給仕の服を着た少女が立っていた。盆の上に湯気の立つスープとパンを載せている。


「あ、カイシュー様! おはようございます。今日は魔王討伐の百日祭ですね、おめでとうございます!」


 にっこり笑って、当たり前のように盆を差し出された。

 ……俺のこと、知ってるのか?


「あの、えっと……」


「今朝はスープをお持ちしました。昨日、明日は軽めがいいっておっしゃってたので」


 昨日そう言った? 俺が?

 記憶がない。この少女の顔も、この部屋も、この世界のことも、何ひとつ。


「す、すまない。ちょっと聞いていいか」

「はい、何でしょう?」

「ここ、どこだ?」


 少女がきょとんとした。


「……え? ここはリュシエンヌの勇者邸ですけど。カイシュー様、何日もここにお住まいじゃないですか」


 ゆうしゃてい?

 意味がわからないまま、とりあえずスープを飲んだ。うまい。パンもうまい。状況は飲み込めないが、スープは飲み込めた。




 あの石像、俺にそっくりだ。

 広場で呆然としていると、果物売りのおっさんが俺に林檎を投げてよこした。


「勇者様、百日祭おめでとうさん! いやあ、あんたが来てからこの街は毎日が祭りみたいなもんだったがなあ!」

「……ありがとう」

「おう。あんたはいつも一人で来るからよ、たまにゃ誰かと――」


 おっさんが言葉を切った。


「……すまねえ、余計なことを」

「いや、いいんだ」


 いいも何も、俺には何もわからない。

 石像に刻まれた四人。俺は彼らの名前すら知らない。

 だが、おっさんの顔を見ればわかる。街の人々のあの一瞬の表情を見ればわかる。仲間の話題が出ると、みんな同じ顔をするからだ。言いかけて、止まる。

 そうか、四人はもういないのか。

 どうやら俺はこの夢では、生き残った勇者ということになっているようだ。

 林檎を軽く上に投げ、再度掴んだ。

 石像の前を通り過ぎようとした時、後ろから声が聞こえた。


「まだ若いのにかわいそうにねえ」


 振り返ると、老婆が石像を見上げて目を潤ませていた。俺に聞かせるつもりはなかったのだろう。

 かわいそう。

 英雄に向ける言葉じゃない。でも、たぶんこの街の誰もが思っていることだ。四人の仲間を失った十五歳の少年。一人きりで暮らしている英雄。

 林檎をかじった。甘かった。



 夜。勇者邸の部屋に戻った。

 広い。広すぎる。

 机の上の本を開くと、栞が本の前半のページに挟まっていた。何故か分からないが本の内容は驚くほどすんなりと読めた。

 窓辺の石は七つ。外套は俺の体にぴったり。

 長い間ここに住んでいたらしい。一人で。

 鏡を覗く。何の変哲もない自分の顔。誰かに成り代わったというわけではなさそうだった。

 夢ならそろそろ覚めてもいい頃だ。

 まあいい。明日になれば何か変わるだろう。夢なら覚めるし、夢じゃないならその時考える。

 今日はもう眠い。

 瞼が重くなり、意識が溶けていく。

 広い部屋に、俺の寝息だけが響く。




「カイシュー様、おはようございます。明日はいよいよ百日祭ですね!」


 昨日と同じ少女が部屋にやってきて俺はまた目が覚めた。


「明日? 昨日もう散々やっただろうに」

「え?」

「うん?」


 少女がきょとんとしている。俺もきょとんとしている。

 百日祭は昨日だったはずだ。豪華な花のアーチがあり、街中がお祭り気分だった。


「百日祭は明日ですよ? 今日はまだ九十九日目です」


 九十九日目。

 昨日は百日目だった。なのに今日は九十九日目。

 街に出た。街の中心に飾ってあった花のアーチが、まだ骨組みだった。昨日完成していたはずなのに。

 果物売りのおっさんに会った。


「おう、勇者様! 明日の百日祭、楽しみだなあ!」

「おっさん、昨日は林檎ありがとう」

「昨日? 昨日はあんたに梨をやっただろ。林檎は明日仕入れるんだよ」


 昨日の林檎は、おっさんにとっての明日の林檎だった。

 夢にしてはやけにリアルだ。

 部屋に戻って鏡を覗く。昨日よりほんの少しだけ――疲れた顔になっている気がした。



「カイシュー様、おはようございます! 百日祭まであと二日ですね!」


 九十八日目。


「勇者様、百日祭まであと三日だ!」


 九十七日目。


「あと四日ですね!」


 九十六日目。

 毎晩、目を閉じると一日戻る。世界が巻き戻っていく。花のアーチの骨組みが消え、祭りの準備がどんどん初期段階に戻っていく。

 これはどうやら夢じゃないらしい。

 一週間が経った頃――世界では魔王が倒されてから九十三日目――ようやく冷静に状況を整理できた。

 俺は時間を逆向きに生きている。

 この世界の人々は明日に向かって歩いている。俺だけが昨日に向かって歩いている。

 このまま過去に戻り続ければ、やがてたどり着く。

 魔王討伐のその日に。

 あの石像の四人が、まだ生きていた日に。


 逆行する日々の中で、俺は少しずつ四人のことを知った。街の人々がぽつぽつと語る断片を拾い集めた。

 剣士の名はルシアン。豪快で人懐っこくて、誰よりも仲間想いだったと。

 聖女はセラフィーヌ。セラと呼ばれていた。王女でありながら旅に出た、芯の強い娘だったと。

 魔法使いはヴァロワ。皮肉屋の男だが天才で、誰にも弱みを見せなかったと。

 弓使いはティエル。小柄で、誰より先に気配を読む少女だったと。

 四人とも、もういない。

 でも、過去に行けば会える。

 ルシアンに。セラに。ヴァロワに。ティエルに。

 生きている彼らに。

 ただし、俺がそこにたどり着いた時――彼らにとっての俺は、ずっと一緒に旅をしてきた仲間だ。俺にとっての彼らは、石像と伝聞でしか知らない他人だ。

 それでも。


 今夜も世界が軋んだ。

 四人が待つ過去へ向かって、俺は昨日へ落ちていく。


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