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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

祠壊しと怪異喰い

作者: 鹿島

「お前、あの祠壊したんか?!」ネタと「あーあの祠壊しちゃったの君多分死ぬね」ネタの組み合わせです。除霊アクションです。

 闇夜の中、田畑をぶち抜くようにして不自然に広がった池が月光を反射してぬらぬらと輝いている。

 その池の傍に立つ祠をパッと一条の光が照らした。やかましくわめきたてるカエルの鳴き声に埋もれるように若者二人が喋る。

「あ、これ、これが例の祠だって。ホラ、ここに蓮の彫り物」

「ショボい祠だな、俺らが壊す前に壊れそうじゃねぇか」

 一人は細身でメガネをかけており、祠をスマートフォンの明かりで照らしながらそのスマホで何やら撮影をしているらしい。もう一人はがっしりとした身体つきで髪が長く、派手なアロハシャツから伸びる腕の片方にはバールを握り、もう片方にはカーネルおじさんが微笑むバケツを抱えている。

「つーことでぇ」

 体格の良い方が小脇のバーレルから取り出したフライドチキンにかぶりつきながら祠の傍にしゃがみこみ、メガネの男が構えるスマートフォンに向けてに声をかけた。

「今から俺たちでこの祠を壊したいと思いま~す。というかやっぱケンタは辛味系のチキンが一番うまいわ」

「あッコラ、食べながら喋るな。お行儀悪いぞ! というか僕が買ったんだから僕の分残しとけよな」

「知るか。俺に飯を食わせるのはお前の仕事だろうか」

「つーかなんでフライドチキンなんて手ェベタベタになるもんチョイスしたんだよ! あーもーだからピザにしとけって行ったのに」

「今日は肉の気分だったんだよ」

 あっという間に貪りつくされた骨をバケツに放り込んだアロハシャツの男と、スマホを持っているので画面には映っていないメガネの男がぎゃあぎゃあと言い合う様を画面越しに見守り、老人が不安そうな顔で隣に座る女に問いかける。

「だ、大丈夫なんですか? 彼ら……」

 祠のあるあぜ道から少し離れた家の客間で、家主である老人と一緒にスマートフォンをのぞき込んでいた年齢不詳の女は優雅に微笑んだ。

「ええ、大丈夫です。彼らヤチとリョウは祓いのエキスパートにして、祓い屋業界の奥の手ですから」

 リョウ、と呼ばれた男がどこかから取り出した三脚でスマホ用を祠の隣にセットすると、ヤチと呼ばれたアロハシャツの男が勢いよく振り上げたバールを苔むした祠にたたきつけた。その瞬間、祠全体がぐらりと揺れて夜の闇よりなお暗い、煙のようなものが吹き出してひとつの形を取り始める。それは編み笠をかぶった巨大な肉塊だった。異様に膨らんだ短い手足で四つん這いになってぬらぬらと月光を反射する池に身体の一部を浸したその姿は、でっぷりと太った巨大なミミズのようにも見える。体長は約5メートル、高さ約3メートルの、ねっとりとした質感の肉塊である。表面は所々がふくれ、あるいは潰れ、ただれている。頭のような部分に編み笠をかぶり、その下に顔があるものの肥大したりつぶれたりしている関係で顔貌はよく分からない。胴体と思しき所には袈裟のようなものが破れて引っかかっている。

「ヤチ、飯の時間だ」

 眼鏡の男リョウが紙垂の付いた棒を取り出し、祠から現れたこの肉塊を目の前にして悠然と隣のアロハシャツの男ヤチに声をかける。

「たんまり食っていけ」

「テメーは態度がデカいんだよ、リョウ」

 ヤチが空になったカーネルおじさんのバケツを放り投げて、身体を屈める。

「このヤチ様に仕える男巫女のくせに」

 ケ、と舌打ちした男の脚が変形してウサギのようなそれになった。その足が強く土を蹴り、大柄なヤチの身体が月下に高く跳ね上がる。そのまま目の前にいる巨大な肉塊をしたたかに蹴りつけた。

「こッ……これは、一体?! 儂は夢でも見ているのか?!」

 一部始終をスマートフォン越しに見ていた老人が口をあんぐりと開けた。家族もどやどやと押しかけて画面をのぞき込む。その隣に座っている年齢不詳の女・深山堂がにこりと笑った。

「これがヤチの能力の一つです。食べたことのある生物の特性を身体に宿すことができる。さっきのはウサギ、今は……魚と蛇ですね」

 画面の中で、大男ヤチが鱗に覆われた腕を使って巨大な肉塊が握る錫杖の攻撃を受け流し、間髪入れず肉塊に殴りかかっている。だが殴打による打撃はあまり効果が無いらしい。ポニュ、と奇妙な質感でへこんだ肉塊がボヨンと反発して大柄なヤチが後方に吹っ飛ばされる。すかさず眼鏡の男リョウが紙垂をひらめかせた棒を振るい、奇妙な言葉を唱えた。

「ジャッダ、オン、ズホール、ドゥッブ!」

 紙垂が黒いモヤのようなものをまとい、それが溢れてクマの形になって固まる。質量をもったクマの形のモヤは吹っ飛ばされたヤチを押さえつけようとする肉塊にタックルをしかけた。水辺で繰り広げられる重量級のぶつかり合いから抜け出したヤチをリョウが鋭く叱咤する。

「ヤチ、何やられてんだ!  まずは下ごしらえだ、この怪異の動きを止めるぞ!」

「分かってるっての!」

 リョウの叱咤に吠え返したヤチが素早く態勢を整えて、ぐっと全身に力を込める。ぶわりと膨らむように巨大化した身体は剛毛に覆われている。その巨体で勢いよく池に足を突っ込んで、熊の形のモヤと一緒に編み笠をした肉塊の顎と思しき部分をしたたかに殴りつけた。

「ク、クマを食べたのですか……?」

 目の前のスマートフォンと家の外から聞こえてくるすさまじい物音にやや顔を青くした老人がおそるおそる年齢不詳の女・深山堂に尋ねた。

 老人が彼女を頼ったのは、別の3つの「祓い屋」を介してのことだった。自分ではお手上げだが彼女と彼女の従業員なら、とその祓い屋たちは言った。それくらい、どこか僧侶を思わせるこの怪異にまつわる事態は悪かった。実際、怪異を祀る祠が嵐で壊れて以降、このあたりを通学路とする近所の小学校で集団ヒステリーのようなものが起こり、近所の人々からは苦情とも不安ともつかない声が上がった。彼らは皆総じて「念仏が聞こえる」「目の中に蓮の花が咲いている」と口々に言っているそうだ。面白がってこの祠に触れた近所の大学生たちは、ここから少し遠く離れたところにある池で、身体じゅうに穴が開いてそこから蓮の花が咲いた状態で見つかったという。唯一生き残った学生は「極楽浄土が見える」と呟いてばかりいるらしい。

「ええ、ヤチは何でも食べます。そういう権能、とでも申しましょうか」

 骨董屋を営んでいるという深山堂は長い黒髪を耳にかけて涼しい声で言う。 

「土を喰らい、草を喰らい、虫を喰らい、魚を喰らい、鳥を喰らい、蛇を喰らい、蛙を喰らい、あらゆる獣を喰らい、ついには人を喰らい、神の社も、怪異も喰らい、そして出来上がったもの。人の欲望によって生まれた怪異も呪いも神すら喰らう、そういう権能を持った一種の祟り神。それがヤチです」

 老人とその家族は唖然として女の美しい横顔を見つめる。彼らの顔が皆青ざめているのは見間違いなどではない。なにか凄まじく恐ろしい話を聞かされている。

 沈黙を破るようにスマートフォンから眼鏡の男リョウの鋭い声が響いた。

「ジャッダ、オン、ズホール、シェンペス! ジャッダ、ヒサール、アジラス!」 

 彼の構える紙垂のついた棒からわき出したモヤが巨大な多足の虫へと変化して、肉塊を拘束して噛みつく。一部が奇妙に膨らみただれた肉塊がビクン、と震えて硬直した。その様子を画面越しに見守っていた女が優雅にほほ笑む。

「ムカデを出して毒を打ち込んだか。成長したものだね、リョウ少年」

 年齢不詳の横顔に、老人とその家族がおずおずと問うた。

「あの、さっきから眼鏡の方が言っているジャッダなんとか、というのは一体……」

「祝詞や真言の一種です」

 骨董店「深山堂」の店主を名乗る女は勿体付けることもなく答えた。

「ま、魔法の呪文みたいなものです。あの文言はヤチという祟り神のための祝詞でしてね。ああして唱えることでヤチの力の一部を借りることが出来る。祟り神ヤチのために、かの神のたった一人の信徒でありたった一人の男巫女であるあのリョウ少年が作った祝詞です」

 画面の向こうでは、そのリョウが出現させたムカデの毒によって足止めを喰らった肉塊が、巨大な鹿の角を生やしたヤチによる強烈な頭突きを喰らっている。でっぷりと太ったミミズのようにも見える肉塊は煩わしそうに頭を振って手当たり次第に腕を伸ばし、いびつに膨らんだ大きな手を地面にたたきつけている。その勢いたるや池の水面が津波のようにせり立って、闇に足を取られてリョウが倒れこむほどである。

 肉塊が手にした錫杖をリョウに差し向ける。だがその寸前で鹿の角が水しぶきを上げて錫杖をからめとった。

「なに倒れてやがる、リョウ! こいつを食う前にテメーから食ってやっても良いんだぞ」

「言ってろ。僕を食ったらお前は信徒を無くして消えるしかねぇの忘れたのかよ、単細胞神」

「おめぇ、巫女の癖に神たる俺に対して図が高ェんじゃねぇのか?」

 アロハシャツにハーフパンツ、サンダルという恰好の目つきの鋭い長髪の神が凄む。だが対するメガネの青年はハ!と声を上げて笑ってみせた。

「あの時僕が祠を壊してお前を自由にしてやったんだぞ、ヤチ。その上にお前の飯の世話までしてる。感謝しろよな」

 いっそ不遜ともいえるその物言いにぎょっとしたのはかつて祠に封じられていた祟り神ヤチ本人である。

「俺がお前の差し出す飯を食ってんのは、お前を食う代わりなんだぞ! というかお前、俺の祠壊したせいで死にかけた上に本家から出禁くらってんだからそこら辺に関してはもうちょっとしおらしくしろよ……!」

 幼い時分のリョウは、親戚の家が所有する山中にあった「触れずの祠」を壊してそこに封じられていた祟り神ヤチを起こしてしまった当人である。おまけに壊れた祠から出てきて空腹を訴える祟り神に一度は食べられかけたというのに、あれから15年の月日を経て今やこの態度である。

 大きくため息をついたヤチは奪った長い錫杖をへし折って遠くに放り投げた。

「にしてもこうもデカいと食べづらくてしゃあねぇな……っと!」

 ヤチが派手な赤いハロシャツから伸びる太い腕でリョウを小脇に抱え、華麗に後ろへ飛びのいて肉塊の腕による攻撃を回避する。そのままリョウを地面に落とすと、ヤチは地面を踏む足に力を込めた。

「リョウ、お前は下側から攻撃しろ。俺は上から攻める」

「上って……」

「鳥のかぎづめで引き裂く!」

 ヤチの脚が鋭いかぎづめの付いた黄色い鳥類の脚へと変形し、その背に翼が映える。逞しい脚でグッと跳び上がるのと同時に翼をはためかせた。白い翼が夜空で踊る。肉塊も、スマートフォン越しに事態を見守っていた人々も、リョウですらその姿に視線を奪われる。

 が、次の瞬間、空中に持ち上がったヤチの巨体が傾いた。

「あッヤベェ、これ鶏の羽根だ! 俺飛べない! さっきフライドチキン食ってたからイメージがそっちに引きずられて……!」

「バ、バカーーーーッ! だから僕はピザにしろって言ったんだよ!」

「いやそう問題じゃないだろ!? って、おい、ウソだろ、まさか……ッ?!」

 ボシャンと音を立てて池に墜落したヤチの巨体がむんずと肉塊の腕に拘束され、そのままポイと遠くへと放り投げられた。向こうの夜空から「ウワァァァァァァァァァ」という間延びしたヤチの声が聞こえているが、その姿は向こうの闇の中で黒いシルエットとなった山の方に消えてしまう。

「あっはっはっはっは、リョウ少年はこういうところが良いんだよなぁ!」

 一部始終をはらはらと見守っていた老人とその家族がスマートフォンから視線を外し、腹を抱えて爆笑する女をすがるように見つめた。

「なに、大丈夫ですよ。リョウはまだ10歳の子供だった時分に、自分を食べようとした祟り神を相手に自ら交渉を申し出て、今なお生きている剛の者です」

 女は目を細める。それはどちらかと言えば昔を懐かしむ仕草だった。彼女は今でも思い出せる。15年前のある夏の日、骨董品の買い付けと「触れずの祠」の調査のため訪れたとある片田舎。夕日で赤く染まった稲荷神社の石段に腰かけて休憩しているときに泣いているリョウに出会ったのだ。触れずの祠を遊んでいて壊してしまった、親戚からは絶対に触れるなと言われていた祠なのに。涙ながらにそういった少年に、彼女は言ったのだ。

「あー、あれ壊しちゃったんだ。少年、君、多分死ぬよ」

 人に作られ、人に捨てられ、人に封じられた祟り神ヤチ。祠から解き放たれれば空腹と相まって、自分を作った者どもの末裔を喰らう。そのはずだった。だがリョウ少年は死ななかった。深山堂の協力を得て祟り神ヤチを相手に交渉し、自分がヤチを神として祀って供物を差し出すから食わないでくれ、と要求した。以来、リョウは深山堂の部下として働きながらヤチの主食ともいえる霊的な力を持つものを供物として捧げ、さらにヤチのためだけの祝詞としての人工言語を作り出した。

 そうしてリョウは今も生きて怪異に対峙している。

 肉塊は遠くの山陰に消えたヤチから視線を外し、フゥ、とため息をついたようなしぐさをしてからその場に一人残されたリョウに向き直った。

「ジャッダ、オン、キタ、ゴウズ!」

 その気迫に汗をにじませながらもリョウは己の武器ともいえる紙垂のついた棒を手放すことはしない。祝詞に感化されて奇妙な気配をまとった棒が肉塊を突く。

「ゴウズ、ゴウズ、キタ、ゴウズ!」

 激しく唱えられる祝詞がその気配を膨らませ、棒はついに槍のような形になって肉塊の一部をえぐり取っていく。だが不意にその穂先が肉塊の編み笠を弾き飛ばした。

「あッ!」

 己の失策に短い悲鳴を上げたリョウの顔が硬直する。スマートフォン越しにその様子を見守っていた老人とその家族がサッと顔を青くする。

「深山堂さん、耳を塞いで!」

「深山堂さん、あの人このままじゃ……!」

「大丈夫です」

 悲鳴じみた警告に耳を塞いだ深山堂は、しかし一つの不安も宿さずに断言する。

「リョウもヤチもこういう土壇場にはめっぽう強いですから」

 一方でリョウはまばたきの一つも出来ずにソレを見ていた。編み笠で隠れていた肉塊の「目」とも言うべき部分を。

 腫れて垂れ下がった瞼を押し上げるように二つの目玉から何か這いずって出てくる。

 それは、丸く大きなつぼみの付いた植物の茎。リョウの眼前に迫ったつぼみが色付いていく。

「オン、ハーラ、ザシチェイ」

 怪異の能力とも言うべきその「目」にみつめられて、リョウはろくに体を動かせないでいる。けれど震えるくちびるで守りの祝詞をの唱えることだけはやめなかった。

「オン、ハーラ、ザシチェイ、ヤチ。オン、ハーラ、ザシチェイ、ヤチ」

 ポン、と音を立てて膨らんだつぼみが闇夜に開いた。見事に咲き誇る蓮の花はリョウの両目を覆った。

「ッ……?!」

 リョウが突然あたりをきょろきょろと見まわす。今、彼の視界には曼荼羅のように群れを成して咲いては萎む色とりどりの蓮の花が見えている。だが彼はまだ冷静さを保っていた。

(被害者の言っていた「目の中に蓮の花が咲いている」とか「極楽浄土」ってのはコレのことか……!)

 だが不意に聞こえてきたその音に、リョウは全身を硬直させた。

「仏説鞫ゥ險カ闊ャ闍・波羅蜜多蠢?オ、観自在菩阮ゥ陦梧……」

 それはおそらく般若心経だった。けれど所々が奇妙な、ぞっとするようなおかしな響き。それが高く、低く、しわがれた、金切り声のような、年老いたような、若いような、風のような、海鳴りのような、奇妙な声で紡がれるのだ。

 それは、リョウの両目を覆った蓮の花の花弁が散り落ちてむき出しになった花托から聞こえてくる声。蜂の巣のような花托のその穴の一つ一つから聞こえてくる声。

「オン、ハーラ、ザシチェイ、ヤチ。オン、ハーラ、ザシチェイ、ヤチ、ヤチラ……」

 それを聞かないようにリョウは必死で守りの祝詞を口ずさむ。額に脂汗が滲んだ。

(これだ、この祠に近づいて精神科に通ったり行方不明になった大学生や、近所の人々はこれを聞いたんだ)

 この現場に着く前に雇い主である「深山堂」の女店主が教えてくれたことだ。被害が拡大しすぎてもうどうしようもなくなったから、ヤチに怪異を丸ごと食べさせて今後一切の被害が出ないようにする。その被害というのの一つが「奇妙な響きの般若心経が四六時中聞こえてくる」というものだった。

「オン、ハー、仏説鞫ゥ險……ラ、ザシチェ、カ闊ャ闍・波羅、イ、ヤチ」

 夢幻的でサイケデリックな蓮華の曼陀羅に視界を犯され、虫のように耳から侵入する忌まわしい念仏に、リョウの眼球がゆっくりと上を向いて倒れる。それを取り込むように、肉塊がのしかかる。彼の嗅覚を水辺の匂いが支配した。

 スマートフォン越しに彼が今にも白目をむいたまま怪異に取り込まれそうなのを見て取った老人たちが顔を曇らせる。だが祟り神を相手に齢10歳で交渉して見せて、祟り神との口喧嘩が習慣になった男はこんなところでは倒れない。

「ヤチラ、辣ァ隕倶コ碑?逧皆空度一切闍ヲ蜴……ッ、ヤチラ、オン、ハーラ、ザシチェイ、大召八千羅(たいしょうやちら)!」

 リョウがヤケクソ気味に叫んだその時だった。

「コケコッコーッ!」

 場違いな声が響いた。だが朝日を思わせるそのひと声にリョウの視界を埋め尽くす蓮華の花も邪悪な念仏も霧散する。そして視線を上げた先に見る、背に生えた翼で空から急降下して足の鋭いかぎづめで肉塊を一点突破して切り裂くヤチこと大召八千羅の姿を。

 飛翔は不得手なはずの翼を優雅にはためかせ、肉塊を深くえぐった祟り神・大召八千羅(たいしょうやちら)は、吹き出す返り血を浴びながら余裕たっぷりに勇ましい微笑を浮かべた。

こいつ(リョウ)を食うのはやめとけ。昔っから生意気な奴だからな、食ったらきっと腹ァ壊すぜ。それに、こいつを食うのは俺ってとっくの昔に決まってんだ」

「誰が……ッ、食われるか、っての!」

 大きく割けた身体から吹き出すどどめ色の体液を月光に反射させる肉塊から抜け出したリョウがヤチを軽くあしらって、池に突っ込んでいた紙垂のついた棒を拾い上げて構えなおす。ヤチがその横に並び立って、肉塊を見据える。

「つーかヤチ、お前復帰遅すぎ。死んだかと思ったわ」

「怪異に取り込まれかけてた奴に言われたくねーな」

「空中戦やるのに鶏の羽根出したアホに文句言われたくない」

「というかこのヤチ様が死ぬわけねーだろ、来週はゴディバのショコリキサーの新作が出るんだぞ」

「チョコミントのやつな。確かにあれは美味そうだった」

 巨大な肉塊は短い手足を踏ん張って顔を前に突き出し、日常会話を繰り広げるヤチとリョウめがけてその目からもう一度蓮華のつぼみを伸ばす。だが紙垂の付いた棒が優雅な動きで振るわれる。

「ジャッダ、オン、ヤスレーク、テ!」

 棒の先端が肉塊に引っかかっていた袈裟に触れてそれをからめとり、肉塊の顔面と思しき部分を覆う。視界を塞がれて動揺した肉塊の大きな傷口から、毒々しいまでに光り輝く巨大な蓮華のつぼみが現れる。だが花開くよりも早く、蛇に変化したヤチがそれに飛び掛かった。 

「ワ、ジャッダ、スィスィック、テ、イ、大召八千羅(たいしょうやちら)!」

 何もかもを喰らい尽くす権能を持つ祟り神の巫女が唱える祝詞が響くと同時に、ガパリと大きく開いた蛇の口がつぼみを咥え、肉塊の中から蓮の地下茎……つまり、蓮根を引きずり出した。蓮根であるはずのソレは明らかに人の形をしていたが、もはやそのことに口出しする者はいなかった。つぼみが人型の地下茎ごとゴクン、と飲み干されるのと同時に肉塊はシュワシュワを縮み、跡形もなく消えて行く。

 後にはシン……と沈黙が広がり、それから思い出したかのようにカエルたちが合唱を再開した。

「お、終わった……のですか?」

 耳を塞ぎ、身を縮こまらせていた人々がふっと身体を弛緩させて深山堂の隣に座り、スマートフォンをのぞき込む。もうあの肉塊はどこにもおらず、くずれた祠を前にヤチとリョウが背伸びをしたり、放り投げたフライドチキンのバケツを回収したりしている。

「はーい、ってことで、怪異は俺が食ったので無事に消えました~!」

 スマートフォンの向こうにいる人々に向けて祟り神・大召八千羅がヒラヒラ手を振る。そうしているとどこにでもいるちょっとイカツい気のいいあんちゃん、という風情である。その隣にひょこりとリョウが顔をのぞかせる。

「僕も無事で~す。じゃあ、今からそっちに戻りますねー」

 プツン、とスマートフォンの画面が暗くなって入れ替わりと言わんばかりに家のインターフォンが鳴った。玄関に立ったヤチとリョウは出迎えた老人とその家族、そして深山堂にブイサインを掲げ、歯を見せて笑った。


***


「いや~なんかいっぱいお土産貰っちゃったな! 山菜炊き込みご飯のおにぎりと、蓮根を使った煮物と……こっちはあのあたりの有名な和菓子屋の大福だってよ!」

「あッヤチ、お前ひとりで食べ尽くすなよ!」

「はァ? まずは神である俺が食べるべきだろ」

「僕の協力が無きゃ霊的な力が食えないくせによく言えたな!」

 翌朝、片田舎を出て骨董店深山堂に帰る車の後部座席はワァワァと騒がしかった。だがこれは別段特筆すべきことでもなかったので、運転手である深山堂は年齢不詳の美貌に笑みを浮かべてばかりいる。

「それで……」

 その彼女が口を開くと、後部座席の祟り神と男巫女はピタリと口を閉じた。

「あの最後に引っ張り出した蓮華の地下茎は、やっぱり人間だったかい?」

「オウ。事前にお嬢が言ってた通り、あれがあの怪異……蓮華坊主の核だった」

 使い捨ての弁当箱にずらりと並んだおにぎりを一つ取り出してラップをはがしたヤチが、赤信号に合わせてブレーキを踏んだ深山堂の口元にそれを運ぶ。ガバリと開けた口でそれを受け取った深山堂はウンウンと首を縦に振る。

「人間の身体を苗床にして育つ魔性の蓮華……ってところですか?」

「魔性の蓮華、か。うん、良い表現だ、少年」

 赤信号の間にペロリとおにぎりを食べきった深山堂がルームミラー越しにリョウに微笑みかけた。

「あいつは少年、君にやったみたいに人間に幻を見せてその身体に種子を植え付けるみたいだね。いやあ、しかしあんな風にして植え付けるとは!」

 とたんにおにぎりを食べていたリョウの顔から血の気が引いた。

「……僕、件の身体が穴ぼこになって蓮の花が咲いてたって言うあの大学生たちみたいになってたかもしれないってこと?」

「まあそうなるね。でも少年なら大丈夫さ」

 後部座席からもう一つ回ってきたおにぎりを頬張りながら肩をすくめた深山堂が、アクセルを踏む。さっきから全身を硬直させて身動ぎひとつしないリョウだったが、その肩にヤチが腕を回した。

「お嬢の言う通りだ、何ビビってんだよ」

 ついでにリョウの手に残っていたおにぎりにかぶりついてすっかり食べ尽くしてしまう。唖然とする巫女に、祟り神・大召八千羅(たいしょうやちら)が勝ち誇ったように笑いかけた。

「お前を食い殺すのは俺だからな。その時が来るまで、他のどの神にも呪いにもくれてやるもんかよ」 

 途端にリョウは顔を真っ赤にしてぐっと歯を食いしばった。悔しいが、あの肉塊に飲まれそうになった時、己の主神であるこの大召八千羅の力を借りた守りの祝詞によってこうして今も心身ともに健全でいられているのは事実である。ぶすくれた顔のリョウは「勝手に言ってろ」ともう一つおにぎりを手に取った。その表情があまりに子供っぽいので、年齢不詳の深山堂とヤチは声を上げて大いに笑った。  


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