8-別れの前日
その日の風は、やけにあたたかかった。
秋の気配をはらんだそれは、まるで「なにかを包み込むように」吹いていた。
レイは、いつものように丘の木陰でカイルを待っていた。
でも、胸の奥がずっとざわざわしていた。
昨日、カイルが言ったことが、頭から離れない。
「来週には王都に戻るって、ほぼ決まったんだって」
来週。
つまり――明日には、もう出発の支度が始まるということ。
それを考えると、風の音も空の色も、なにもかもが違って見えた。
カイルは、いつもよりゆっくり歩いてやって来た。
「待った?」
「ううん。……来てくれて、うれしい」
その言葉に、カイルは少しだけ目を伏せた。
そして、ふたりは並んで座る。
今日は、いつもみたいに草をいじったり、枝で遊んだりはしなかった。
ただ、黙って、風の音を聞いていた。
「……レイ。明日、たぶん最後になる」
「うん」
声に出すと、胸がきゅっとなった。
「本当は、もっと話したいことがある。……でも、言えないんだ」
「僕も」
「たぶん、言葉にしたら、こわれちゃいそうでさ。
だから、今日は何も言わずに、君とこうしていたかった」
レイはうなずいた。
その静かな動作だけで、ふたりはきちんとわかり合えた。
しばらくして、カイルが立ち上がった。
レイも立ち上がり、見上げる。
「……手、出して」
「え?」
「いいから」
レイが両手を差し出すと、カイルはそっと、自分の両手でそれを包んだ。
「風の丘に来てくれてありがとう。
話してくれて、笑ってくれて、風花をくれて――
俺、きっと君に会ってなかったら、今も何にも大事にできなかったと思う」
「……僕も、君がいてくれなかったら、自分のこと、ずっと嫌いだったと思う」
手のひらが重なったまま、ふたりの影が、夕陽の中でゆっくりと寄り添っていた。
「また会えるよね」
「うん。約束、したもんね」
「指きりじゃ、心配だからさ」
カイルは、そっとレイの左手の小指を取り、自分の指にからめた。
「これ、心に結んどく。
外れそうになったら、思い出して。
また、きっと会えるって」
レイは、何も言えなかった。
でも、涙があふれそうになるのを、風がやさしく乾かしてくれた。
そして、ふたりは手をつないだまま、しばらく何も言わずに夕陽を見ていた。
明日が来てしまうことを、
どうか風が忘れてくれますように――
そんな祈りのような沈黙だった。