4-風の抜ける場所
今日も、剣の稽古は重かった。
腕が棒のようで、掌はまた豆が潰れて血がにじんでいる。
でも、誰にも言わない。
気にするなと教わったし、強くなりたいなら黙って耐えろと教わった。
なのに。
「……今日も来たの?」
その声を聞くだけで、張っていた全身の力がふっと緩む。
風花の丘――人の気配がほとんど届かない、屋敷の裏手。
そこに、今日もあの子がいた。
レイ。
白い服が風に揺れて、細い肩が光の中でやけに綺麗に見えた。
「うん。来た」
「もうすぐ雨が降るよ」
「いいよ。降っても。……君がいるから」
言葉にしてから、自分でも少し驚いた。
けれど、レイは少し目を見開いたあと、ふっと笑った。
それが、よく晴れた空みたいな笑いだった。
――だから、来てしまうんだ。
何を話すわけでもない日もある。
枝で地面に絵を描いたり、風が吹く音をじっと聞いたり。
でも、レイと一緒にいるときだけは、不思議と「何も言わなくても平気」だった。
誰かといるとき、無理に会話を繋がなきゃいけない感じ、あるだろ。
でもこの子とは、それがない。
風みたいに、隣にいるだけで自然に息が合う。
そんなやつ、他にいなかった。
レイが地面に描いた風花の絵の隣に、カイルは自分の指で剣を描き足した。
「これ、俺。これが君」
「なんで剣が君で、風花が僕?」
「剣は、風に合わせて動くでしょ?
でも、風花ってさ、強い風でもちゃんと咲いてる。
……すげぇなって思うんだ」
「……僕は、風なんて読めないのに」
「君は風そのものじゃん。
言葉とか目とか動きとか――
全部、空気が通ってて、止まってなくて、自然でさ」
レイは黙った。
けれど、その目の奥に、すごく細かい揺れがあった。
それが風のせいなのか、気持ちのせいなのか、カイルにはわからなかった。
でも、その静かな瞳を見ていたら、ふいに胸がきゅっとした。
なんだ、これ。
あったかいのに、ちょっと苦しくなる。
近づきたいのに、触れちゃいけない気がする。
でも、もっと見ていたい――そう思った。
「……また、明日も来る?」
「来るに決まってるじゃん」
「理由、あるの?」
「うん。君がここにいるから」
また言ってしまった。
でも、嘘じゃない。
風花の丘に来る理由なんて、もうひとつしかない。
この子に、また会いたい。それだけだ。
レイが、風に髪をなぶられながら、そっと目を伏せた。
そのとき、胸のどこかがふわりと浮いた気がした。
それは風か、気持ちか、それとも。
まだ知らない名前の気持ちが、今日もまた、風と一緒に吹いていた。