3-あの子だけは、風の匂いが違った
風花の丘には、静けさがあった。
騎士団見習いとしてこの谷に来てから、屋敷の中ではずっと緊張していた。
剣の素振りも、立ち振る舞いも、言葉遣いも。
上の人間の目を常に意識しなければならない日々のなかで――あの裏庭だけが、風が自由だった。
そしてそこにいた、あの子。
レイ。
はじめて会ったとき、何かが違うと思った。
目立たないし、声も小さい。
風読みの一族にしては、あまりにも静かで、あまりにも透明だった。
けれど、目が離せなかった。
しゃがみこんで、花にそっと触れる手つき。
風に綺麗な金髪をなぶられても、抵抗せずに受け入れる横顔。
怒られたあとでも、誰にも恨み言を言わず、ただじっと風を見ていた。
「……なんで、泣いてないんだろうな」
あの日、彼の足元に咲いていた風花を見て、カイルは思った。
あの花は、きっとレイにだけ咲いたのだ。
風花の丘に通うようになったのは、理由なんていらなかった。
身体が、勝手に向いていた。
剣の稽古でどれだけ疲れても、その場所に行くと不思議と呼吸が楽になる。
レイは毎回、決して「来てほしい」とは言わなかったけれど。
それでも、小さく笑うときの唇の動きとか、話すときに手元でいじる葉っぱのくせとか――
そういうものを、カイルはひとつずつ、胸の中にしまっていった。
ある日、雨が降った。
稽古帰りに丘へ急ぎ、小屋の軒下に入ると、レイがそこにいた。
髪が少しだけ濡れていて、ほそい肩を震わせて、カイルの方を見た。
「なんで来たの……?」
「だって、約束したろ。毎日、ここで」
レイはなにも言わなかったけれど、しばらくして、ぎゅっと腕を抱えるようにして笑った。
「……うれしい」
たったその一言で、カイルの胸の奥に熱いものがふっと灯った。
大事にしたい、と思った。
守りたい、とも思った。
けれど、それ以上に――
「こんなふうに誰かに『うれしい』って言われると、身体の芯がじんわりあったかくなるんだな」
でもそのとき、この現象の名前をまだ名前を知らなかった。
夕暮れ、丘を去るとき。
レイが「会えてよかった」と言ったとき、カイルは思わず足を止めた。
俺の人生で、一番、風がよかった日だった。
この言葉を、ずっと心にしまっていこう。
風が変わっても、時が流れても、この気持ちだけは本物だと信じたかった。