1-二人の出会い
全29話で完結です。
毎日3~5話アップしますので、どうぞ宜しくお願い致します。
庭の奥には、もう誰も足を踏み入れなくなった風花の丘がある。
かつては一族の子どもたちが風を読む稽古をした場所だったが、今では枝が伸び放題で、花壇も崩れている。
そこにレイは、今日もひとりきりで座っていた。膝を抱えて、誰にも見えないように顔を伏せる。
「また読めなかったんだって?」
「やっぱりあの子、読める風がないんじゃない?」
「オメガに生まれても、あれじゃ何にもならないわね」
母や姉たちの言葉が、耳の奥にこびりついていた。
レイは風を読めなかった。
どれだけ手をかざしても、空気の流れの中に何も感じ取れなかった。
風が教えてくれるという未来も、気配も、感情も――何も。
けれどこの場所だけは、なぜか静かだった。誰も来ない、という静けさだけじゃない。
風が、ただ優しく吹いていた。
それだけで、レイには充分だった。
そして、レイがいると、一斉に咲く青い五弁の花――風花。
風脈の高まりを示す、風読みの家系にとっては神聖な花。
それが、風を読めない自分の足元にいつも咲く。
怒られるのは当然だった。
花を傷つけたと母は言った。
風の神に背いたのだと、叱られた。
けれど。
「……違うよね。咲きたくて、咲いたんだよね」
そっと花に指先を添えたそのときだった。
背後で、草を踏む音がした。
「……へえ。こんなとこに、風花って咲くんだ」
レイが振り返ると、そこにひとりの少年が立っていた。
陽に焼けた肌。まだ幼さの残る顔に、利発そうな目。
剣の稽古着を着ていて、汗が肩口に染みている。
初めて見る顔だった。
「君、誰……?」
「俺はカイル。騎士団見習い。今日からしばらく、ここで剣術の稽古してるんだ」
「……僕は、レイ」
「へえ、レイ。いい名前じゃん。風っぽくて」
「……風は、読めないけどね」
レイは小さく肩をすくめた。
けれど、カイルは驚いたように目を見開いた。
「なにそれ、関係なくね?」
「え?」
「風が読めるとか読めないとか、そんなの花に関係ある?
咲きたいから咲いたんでしょ、この子。君の足元に。
だったら、それだけで、十分だよ」
言葉が、胸の奥に降りてくるようだった。
「ていうか、俺、さっき遠くから見てたんだよ。
君がその花に触れたとき、風が……ふわって笑った。
なんか、すげー気持ちよかった。なんか……俺まで嬉しくなったんだ」
そう言って、カイルはにかっと笑った。
その笑顔が、まぶしかった。
レイは、黙って手を伸ばし、小さな風花を摘んでカイルに差し出した。
「……君が、最初だった。僕のこと、いいって言ってくれた人」
「じゃあ、その最初もらっとく」
カイルは花を受け取ると、慎重に胸ポケットにしまい込んだ。
「この花、枯れる前に押し花にしとく。ずっと大事にするよ」
「そんなの、すぐ色あせるよ?風花はすぐに枯れるし……」
「いいじゃん。俺が覚えてる。
君の風が、どんな匂いだったか、どんな音だったか――
ぜったい忘れない」
その日、レイの中で何かが、やっと風を受けた。
それは“風を読む”ことではなく――心の奥に吹いた、初めての温かい風だった。