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次の日、工場に着いたとき、茜はいつもより静かだった。
缶コーヒーも開けていなかったし、ラジオもつけていなかった。
床に座ったまま、じっと手を見ていた。
「……なにかあった?」
そう聞くと、茜は少しだけ視線を上げて、ため息のように笑った。
「帰り道で、声かけられたの」
「誰に?」
「昨日のやつら。たぶん、あの工場に誰かいるって噂してるんだろうね」
「“変な女住んでんだろ?”って、ニヤニヤしながら言ってた」
胸がドクンとした。
誰にも知られていないはずだったこの場所に、
茜が“名前のない誰か”として、晒されてしまった。
「何も言わなかったよ。無視したし」
「でも……なんか、やだね。自分のこと言われてるのに、自分じゃないみたいな感じ」
茜はそう言って、缶のプルタブを開けた。
プシュッと音がして、また少しだけ沈黙が流れる。
その音がやけに大きく感じた。




