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悪役令嬢(仮)達の短編集

見せてあげるわ、悪女ってものを!

作者: 餡子

 

 マイヤー子爵令嬢、『悪女アデリア』。

 どうやらそれが近頃の社交界での私の通り名らしい。


 二週間前のこと。

『先日19歳になったアデリアは、遅めのデビュタントをした。

 アデリアは初めて参加する舞踏会にて、鮮やかな真っ赤な口紅をして現れた。

 真紅のドレスも口紅に見合った妖艶なもので、豊満な胸を周囲に見せつけるようにしていた。

 そんなアデリアは年頃の女性達の輪には入らず、お高く止まって会話もしない。

 群がる男達のダンスの誘いは値踏みして、少しでも気に入らない男の足は容赦なく踏みつけていく。

 しかも舞踏会の終盤では、気に入った男が別の女性と親しくしている姿に劣化の如く怒り狂って暴れた。

 とんでもない悪女だ!』


 ……と、いうことになっているみたい。


「ごめんなさい、アデリア様。私を庇ってくれたばかりに、あなたにあんな噂が立てられるなんて……!」


 目の前にいる可憐なハッセ伯爵令嬢カーリンが、大きな緑の瞳に悔し涙を浮かべた。

 ハッセ伯爵家の客間の大きな窓から差し込む日差しが、カーリンの綺麗な金髪に天使の輪を描いている。

 私より2歳年下の彼女は、庇護欲を誘う美少女である。

 彼女がギリギリとスカートを握る手は力を入れすぎて白くなっていた。

 大丈夫かしら。高そうなドレスなのに、破けてしまいそうよ。

 そんな心配をしつつ、はあ、と小さく嘆息を吐き出した。

 だいたい覚悟をしていたとはいえ、まさかそこまで悪名を轟かせてしまうなんて!



 ちなみに事の真相は、こうだ。



 まず前提として、我がマイヤー子爵家は貧乏である。

 元々、領地を持たない弱小貴族である。ほぼ名前だけの貴族で、細々と生活してきた。

 しかし私が幼い頃に、家を切り盛りしていた気丈だった母が病気になった。

 治療費はとても高額で、しかも数年の治療も甲斐もなく、三年前に他界。

 更に母を心から愛していた父が、母の治療の為に怪しい所にまで多額のお金を使い続けていた時の借金で、気づけば我が家は火の車。

 大きいけど古くてオンボロの屋敷は売り物にならず、修繕費ばかり嵩んでいく。

 その上、父は元々体が弱く外に働きに出られない。家の中で細々と内職するのが精一杯。

 おかげで今では使用人を一人も雇えず、日々の食事代すら私がせっせと稼ぎに出ている。


 そんな状態なのに!

 父は私に、せめて貴族の娘としてデビュタントはさせてやりたいと言った。


 今までは「無理よ」と言い続けて躱してきた。我が家にそんなものに掛けるお金はない!

 だけど19歳を迎えた日に、父に「娘が幸せな結婚をするチャンスを潰したくない」と泣きつかれたのである。

 さすがに本気で号泣されたら、折れるしかなかった。


 しかしもう一度言うが、我が家はド貧乏である!

 デビュタントに着ていけるドレスを新調するお金など当然ない。貸してくれる友人付き合いもなかった。

 仕方なく、形見として売らずに1着だけ残していた亡き母のドレスを着ることにした。

 色はキツめの美人だった母によく似合っていた真紅。

 ……デビュタントでコレはどうなんだろうと思ったけど、それしかないのだから仕方ない。

 が、それより大変な問題があった。


 母と私では、胸のサイズが大きく違ったらしい!


 服のサイズが大きいなら詰めれば良いけれど、逆である。なんとかドレスの胸元を限界まで緩めて、すくすく育った胸を押し込んだ。

 まずこれが、胸を強調する妖艶な装いと言われることになった原因である。


 二つ目。

 しつこく言うが、我が家は本当に貧乏なのである!

 使用人も母もいない今、私は化粧というものをまともに教えてもらう機会がなかった。

 しかもそんな私に、父はなけなしの内職代で「アデリアの母様が好きだった色だよ」と真っ赤な口紅を贈ってくれた。

 えっ……デビュタントで、そんな激しい色を……?

 でも断れると思う?

 愛情いっぱいの父からの贈り物、使うしかないでしょ!


 結果、口紅に合わせて、母の肖像画を見ながらなんとか施した化粧は、やたらと濃いものとなっていた。

 元々、吊り目がちの大きなアンバーの瞳に加え、癖の強い黒髪だったせいで見た目のきつさ倍増である。

 鏡に映る自分の姿に引き攣った。

 デビュタントらしい清楚な可憐さなど皆無。貴族の愛人と言われた方が納得できてしまうわ……。

 だが残念ながら父は、


「なんてことだ! 君の母様にそっくりだよ! 僕はね、君ぐらいの時の彼女に一目惚れしたんだ。きっとアデリアも皆の視線を奪うんだろうね」


 と感涙された。

 違う意味で注目されそうではあったけど、そこまで感激されて「やっぱり行くのやめます」なんて言えない。

 頼りない父だけど、愛情だけはたくさんかけてもらってきたのだもの。


 そうして渋々参加した舞踏会。


 お金がなくて他の貴族との交流はなかったから、話しかけてくれる女友達もいない。

 遠巻きにヒソヒソされて、自分から話しかける勇気もなかった。

 だって今の私、どう見ても舞踏会に乗り込んできた貴族の愛人だもの……。わかるわ、場違い感が半端ない。

 代わりに男性からはやたらと誘われた。

 だけど誰も彼もが、私の胸に釘付けである。私の胸に吸引機能なんて付いてないわよ!?

 そんな男性相手に優しくなれるわけがない。全員をビンタして回らなかっただけ、私は理性があったと思うわ。

 その中でも紳士的な人の手だけ取ったものの、昔に習っただけのダンスは壊滅的だった。何度彼らの足を踏みつけてしまっただろう。

 これに関しては、弁解の余地はない。本当に申し訳なく思っているわ。


 そして、最後。

 踊り疲れて広間を出て、ヨロヨロと休憩室を目指していた時だった。


「いやっ、やめて……!」


 等間隔にランプが点っているとはいえ、夜の闇が広がる廊下に微かに女性の悲鳴が聞こえてきた。

 ハッと足を止めた。


「いや……!」


 耳を澄ませば、休憩室の一つから扉越しに切羽詰まった女性の声が再び聞こえる。どう考えても同意には思えない。

 ここで見過ごすのは、漢じゃないでしょ。私は女だけども。


「何してるの!?」


 遠慮なく扉を開け放った。大きな声で叱責しながら、部屋の中に飛び込む。

 走り込んだ勢いのまま、ソファーの上で女性に迫っている男に体当たりを喰らわせた。


「うわっ! 何するんだ!」

「それはこっちのセリフよ! 嫌がってるのが見てわからないの!?」


 涙ぐんで青ざめている女の子の姿を見るなり、カッと頭に血が上った。

 彼女を背に庇い、床に倒された男を睨みつける。意外に暴漢の顔はよかった。

 が、顔が良ければなんでも許されると思ったら大間違いよ!


「こういう時は見ないフリをするもんだろ! 非常識な女だな!」

「女の子の気持ちも理解できないエセ紳士に言われたくないわよ!」


 反射的に言い返したら、男が眦を吊り上げた。私の胸ぐらを掴もうと手を伸ばしてくる。

 さすがにやり返す力はない。咄嗟に身を竦めて、ギュッと目を瞑る。

 殴られる……!


「失礼。大丈夫ですか」


 覚悟していたのに、衝撃は来なかった。

 代わりに聞こえてきたのは、場に不似合いな冷静な声。


「ぐっ……きさま!」

「騒がないでください。事を荒立てても誰も得はしないでしょう」


 ゆっくりと瞼を持ち上げたら、そこには新たな部外者が参戦していた。

 仄かな明かりを弾いて輝く金色の髪。暴漢の腕を後ろ手に捻り上げて制圧していながらも、息一つ乱さない。場を見下ろすのは、冷静さを讃えた切れ長の青い瞳。

 助かった、と気が抜けかける。

 しかしその瞳が私の背後に向けられて、慌てて気持ちを立て直した。


 もしここで、背後の女性が襲われかけていたと告げたら。

 男は罰せられるかもしれない。だけど社交界では、きっと女性の方が傷物扱いされて深刻なダメージを受ける。良い嫁ぎ先がなくなる可能性は高い。

 こんな怖い思いをして、尚且つ周囲にも辱められて、未来を描けなくなるなんて。

 涙がいっぱい溜まった瞳が脳裏を過ぎったら、もう止まらなかった。


「その男が、私以外の女性に手を出したから悪いのよ。もう顔も見たくないわ。さっさと連れ出してちょうだい」


 高飛車に、見た目通りの強気さを装った。


 こんなことして、私の人生はどうなるのかって?

 私は元々、父の頼みを聞いて参加しただけだし。もう二度と社交界に出るつもりはないし。

 父には申し訳ないけど、最初からここで結婚相手探しなんか期待していない。

 だいたい、貴族と結婚するとなると持参金の問題があるでしょ。

 我が家にそんなお金はないのよ!

 

 助けてくれた男性は驚いたのか目を瞠った。

 信じてくれた? 今日の私はこんな姿だから、説得力はあるでしょ。

 男性はまじまじと私を見た後、ほんの微かに笑ったように見えた。


「それでは、こちらの彼は俺が回収していきましょう。そちらの御令嬢はお任せしてかまいませんか?」

「ええ。彼女にも話をつけたいから」


 傲慢に頷いて見せれば、目を細めて満足そうに頷かれる。

 ……私の言葉、信じてくれているのよね?

 疑問は湧いたけど、助けてくれた男性は暴漢の腕を掴んだまま、騒ぐ相手に何かを告げて黙らせると引きずって退室して行った。

 助けに入ってくれた青年は大事にはしなさそうに見えたから、これでひとまず安心だわ。


「ご、ごめんなさい……わたし、そんなつもりじゃなくて! いきなり入ってきたあの人が無理やりキスしてこようとしてっ」


 そうして部屋が静かになると、背後から怯えて震えた声が聞こえてきた。

 振り返れば、可憐な美少女が緑の大きな瞳からポロポロと涙を溢している。

 ざっと見た感じ、服装に乱れは見られないことにホッとする。

 でもキスだけとはいえ薄暗い部屋の中、力では敵わない男性に無理やり迫られたら怖いに決まっているわよね。私だってそんな目に遭ったら怖いわ。きっと相手の股間を蹴り上げてしまったに違いないもの。


「大丈夫よ。わかってるわ。怪我はない?」

「はい、はい……! たすけてくれて、ありがとうございます。怖かった……っ」


 抱きついてくる彼女を宥めて落ち着かせてから、令嬢の家人を呼び出して託した。



 その女性が、本日私をハッセ伯爵家に招待してくれたカーリン令嬢である。


 先日のお礼がしたいということで、寄越された馬車に乗って屋敷に来訪したのだった。

 ちなみに日にちが空いてしまったのは、カーリンの気持ちが落ち着くのに時間がかかったからだと思われる。

 表面的にはあの日、カーリンは体調不良で退出したことになっている。ここ数日で彼女の見舞いに来た友人達が、噂になっている『悪女アデリア』の話を教えてくれたのだという。

 そして自分のせいで私が悪女扱いされていることに焦ったカーリンは、こうして平身低頭で謝ってくれているというわけだ。


(まさかあの時の男が、私に言い寄られて迷惑したと言いふらしているなんてね)


 私に邪魔された腹いせなのだろう。

 そういう性根が腐ったことをする性格だから、モテないのよ。


「カーリン様がお気になさることではないわ。悪いのは全部あの男性だもの。それより、誰もカーリン様の事を話していなくてよかったわね」


 出された高級な紅茶で舌を潤しつつ、皿の上の焼き菓子を着々と消費しながら微笑む。

 さすが伯爵家! 出てくる菓子が高級品だわ!


「ごめんなさい。私の気持ちが落ち着かなくて、最近の舞踏会に行けていなかったせいで、誤解を解けなくて」


 噂が回るのは早い。これだけ時間が経ってしまったら、もう火消しは不可能だろう。

 カーリンが青ざめた鎮痛な表情で項垂れてしまう。


「いいのよ。最初から社交に出るのはあの一度きりのつもりだったもの。何を言われても痛くも痒くもないわ」

「そんな大事な舞踏会だったなら、尚更! アデリア様の晴れ舞台を台無しにしてしまいました……」

「元々、乗り気ではなかったから気にしなくて良いのよ。カーリン様を守れて、参加した甲斐があったわ」


 遠慮なく焼き菓子を頬張りながら頷けば、カーリンは「なんてお優しいの」と涙を浮かべる。

 こんなに美味しい物をご馳走してくれただけで、チャラにしてもいいくらいよ。


(それにこれだけ悪名を轟かせたら、縁談も来ないでしょ)


 あの日、私の姿を見て「私の後妻はどうだい?」と持ちかけてくる男性が数人いた。

 持参金はいらないと言われたとしても、エロ爺の後妻なんてお断りである。しかしこれだけ悪女と言われていたら、縁談を持ち込む者はいないだろう。

 だからこれはこれで、私としては良かったのだ。ムカつく気持ちは、多少はあるけれど。


「私に何かできることがあれば、なんでも仰ってくださいね! アデリア様の為ならなんでもしますから!」


 そう言われても金輪際、貴族の世界に関わるつもりはないから……

 いえ、一つだけあったわ。

 大事なことよ。


「じゃあ一つだけお願いしてもいい?」

「もちろんです!」

「……化粧の仕方、教えてもらえる?」


 実は今日も私は化粧がうまくできなくて、悪女メイクなのよ……。



   *


 あれから一週間。

 どうしてこんなことになっているのか、誰か説明してほしい。


 早朝のパン屋の仕込みの仕事が終わって一時帰宅したら、我がマイヤー子爵家の客間にエステン侯爵令息マリウスがいた。


 父に「待ってたよ、アデリア!」と半ば強引に彼の向かいに座らされかけた。

 ひとまず急いでお茶を淹れてから、改めてわけもわからず彼の前に座ったわけだけど……。

 どうやらとんでもない話に進展している気配を察して、私の顔は青ざめていく。

 尚、私の隣に座る父はずっと満面の笑みだ。歓喜のあまり涙ぐんですらいる。

 その横で引き攣っている娘が見えていないの!? 見えてないんでしょうね! だってマリウスに視線が釘付けだもの!


 今年23歳になる彼の金髪はあの日のように後ろに撫で付けてあり、切れ長の青い瞳は昼間のせいか記憶より少し明るく見える。派手さはないけど整った顔立ちには品の良さが滲み、着ている服の仕立ては最高級品なことがわかる。

 私の記憶が正しければ、彼は先日カーリン令嬢を助けに入った際、参戦してくれた人である。

 まさかそんな高位の侯爵令息だったなんて。

 そんな人がなぜか貧乏落ちぶれ子爵家である我が家で、お湯に色がついただけの安い紅茶を飲んでいる理由。



 なんと本日、彼は私に縁談を持ってきたのである!



「アデリアは家族思いのとても優しい子でね。そんな娘だから、君のようなしっかりした青年に見染められるなんて本当に嬉しいよ! ささ、後は若い二人で」


 父はいそいそと立ち上がり、「お、お父様!」と縋る私にパチンとウインクして部屋を出て行った。

 違うッ! そうじゃない! 娘が求めていることが全然伝わってない!

 なに「ハッピーウエディング!」みたいな顔してるの!


 こんな縁談、お断り一択でしょ!?


 父は良くも悪くも愛を信じる人なので、どうやら事の重大さが理解できていないらしい。

 相手は侯爵家……しかも初婚。そんな家に嫁ぐ持参金が我が家にあるとでも!?

 ない。欠片もない。

 今朝だって朝食のスープを一滴たりとも無駄にするまいと、パンで綺麗にこそげ取って食べていたくらい貧乏なのだ。

 だいたい家格が違いすぎる。そんな場所に嫁いでも苦労するだけなのは目に見えている。

 いや、そもそも嫁げるだけの資金がないから、それは無用な心配だけど。


 向かいに座るマリウスは穏やかに微笑んで、柔らかい眼差しでこちらを見ている。

 そんな優しい目で男性に見られたことがないから、ドキドキしてしまう。

 見た感じ、好意しか感じられない。なぜなの。

 あの日の私は悪女を演じたはずなのに、まさか真意がバレていたというの!?


(はっ! だとしたら、私が本当に悪女だとわかれば呆れてくれるんじゃない!?)


 よく考えたら侯爵家からの縁談、子爵家から断ることは出来ないこともないけど体裁が悪い。今更落ちぶれようがないほどだけど、最低限の家としての世間体は守りたい。

 となると、やはり相手が断りやすい方向に持っていくべきよ。

 それならば、やることは一つ!


(今から私は、本物の悪女よ!)


 残念ながら今日は悪女メイクではなく、習いたてのナチュラルメイクだけど!

 元の顔が母譲りのキツめの美人だと言われているから、なんとかなるでしょう。

 見せてあげるわ、悪女ってものを!


「マリウス様。せっかくいらしてくださったのに申し訳ないけど、私はこれから用があるの」


 さっそく高飛車な態度をとってみることにした。

 せっかく縁談話を持ってきたのに、自分の都合を優先させる私はさぞかし悪女ではなくて!?

 実際、私は毎日11時から2時まで、町の食堂で働いている。

 今はパン屋と食堂勤めの合間時間だ。ギチギチのスケジュールなのである。

 というのも今日マリウスが来たのは、予定外のことだった。

 本当は、マリウスはこちらの都合のいい日を伺う為に来訪したようだ。しかし応対に出た父が驚いて根掘り葉掘り聞いた結果、実は縁談を持ってきたという話になったらしい。


 それならば今すぐどうぞ!


 と父に通されてしまって、今に至る。

 誠意を見せる為に、わざわざ本人が日程伺いに来たのが仇になった……。

 でも急に仕事を休んだら店に迷惑をかけてしまう。マリウスには早々にお帰りいただきたい気持ちは本心だ。


「ああ、昼は赤帽子亭で働かれているんですよね。一度食べに行きたかったんです。今からご一緒しても?」

「えっ」


 なぜ知ってるの!?

 いえ、侯爵家なら自分の嫁にしたい人間の行動くらいは事前に調査済みよね。

 というか、それなら私が平民の食堂で働いているのを分かった上で結婚を申し込んできたの?

 高位貴族である侯爵令息が!?


(なんだかそれじゃ、本当に私を好きになって結婚したいみたいじゃない……?)


 いやいや、そんな馬鹿な。

 ドキドキしてしまった心臓には必死に気づかないフリをする。


「アデリア嬢、駄目ですか?」


 僅かに眉尻を下げて伺われて、頼りなげに見えるギャップに胸がギュッと引き絞られた。


「かまわないけれど」


 だから反射的に頷いていたのは、絆されたからに違いない。

 なんて恐ろしい男性なの! まさにこういう人こそ、『悪い男』というのではなくて!?

 ならば悪女として負けてはいられない。


「でも私は忙しいから相手はできなくてよ」


 ツンと澄まして言えば、「わかってます。邪魔はしません」と穏やかに頷かれた。

 こんな態度をとったのに、怒らずにこちらの事情を優先してくれるなんて。

 マリウスは王立第四騎士団の副団長補佐をしていると聞いた。そんな忙しい人がわざわざ時間を割いて来てくれてるはずなのに、私の意思を尊重してくれる対応にグラリと心が揺らぎそうになる。


 だって今まで私に接する男の人は皆、私の胸ばかり見て、身持ちの軽い何をしても良い女のように扱う人が多かったから。


(こんな風に対応されたら、大事に思われてるって勘違いしちゃうでしょ)


 自分の想像に顔が熱くなる。

 でも簡単になびくわけにはいかないのよ。たとえマリウスが良い人であったとしても、相手は侯爵家。

 我が家には、侯爵家に嫁げるほどの持参金はない!

 自分に言い聞かせて、更なる悪女を見せつけるべく心に喝を入れる。

 そんなことを考えていたせいで、気づけばエスコートされていたけれど!


 ギクシャクしながら、ようやく職場の赤帽子亭に着いた。店は11時からだから、マリウスと一緒に店の扉を潜る。


「こんにちは! 今日もよろしくお願いします! それとお客様一名です!」


 いつもの如く挨拶をし、マリウスを適当な席に案内する。

 すると店主の奥さんが強張った顔で慌てて出てきた。利き手には、昨日まではなかった包帯がぐるぐるに巻かれている。


「アデリアちゃん、大変よ! フリーデさんが熱を出して、今日は急遽お休みなの!」

「えっ!」

「それで慌てたせいで、私もさっき手を火傷しちゃって」

「ええ!?」


 赤帽子亭は店主と奥さん、長年勤めてる女性店員フリーデと私で回している店である。

 お手頃な値段でボリュームもあり、男性陣に人気の食堂である。昼間は息を吐く暇もないほど忙しい店だ。

 それなのに頼れる戦力が二人もいなくなるなんて!


「今から誰かに頼むのは難しいし」


 心底困った顔で奥さんがオロオロと狼狽える。

 咄嗟に、私はマリウスを見てしまった。

 ここに都合よくいるじゃない、戦力が! 今は使えるものはなんでも使う時よ。猫の手すら借りたい!


「マリウス様! お願い、手伝って! 皿洗いだけでもいいから!」


 マリウスは一瞬驚いて目を瞠った。だけど私の鬼気迫る顔に事態の深刻さを察してくれたみたい。


「わかりました。俺で役に立てるなら」


 すぐに頷いて、上着を脱いでシャツの腕まくりしながら立ち上がった。

 なんて頼もしい! うっかり好きになっちゃいそうじゃないの!

 奥さんもこんな状況だから、マリウスの貴族然とした姿を気にかける余裕はなかったようだ。


「助かるわ。給金は弾むから!」


 慌ただしくマリウスの背を押して厨房に入っていく。

 そこからは、いつも以上の忙しさだった。

 注文を取り、運んで、たまにお尻を触ろうとする客の足を踏み、会計をこなす。

 店の中をコマネズミのように早足で行ったり来たり。怒涛の忙しさだった。

 時折窺った厨房では、マリウスがひたすら真面目に皿洗いに精を出す姿が見て取れた。


 よく考えたら、出会って間もない侯爵令息に皿洗いを頼んでこき使った私は、立派な悪女よね。

 目的は達成できたのではないかしら!?


 客足がはけた頃には、皆いつもよりぐったりして見えた。

 そんな中、マリウスだけは平然としていたけれど。前髪が少し落ちてきて乱れていたものの、普段は騎士をしているなら、これぐらいは軽い運動みたいなものだったのかもしれない。

 それにしても前髪が落ちてると、少し幼くなるのね。

 最初の頃の規律に厳しい印象が柔らかく変化して、親しみやすいお兄さん風に見えてくる。

 ちょっと好みだと思ったのは秘密にしておきたい。


 その後、閉店後のいつもより豪華な賄いは、もちろんマリウスにも振る舞われた。


「ごちそうになります」

「ええ、いっぱい食べてちょうだい!」


 奥さんが薦めると、本当に美味しそうに食べてくれている。

 年季の入った綺麗とは言い難い平民の店で、同じテーブルにつくのは不思議な感じ。だけど不思議とマリウスがここにいることに違和感はなかった。こちらの温度に合わせてくれてるみたい。

 だからなのか、店主や奥さんもニコニコと気安い雰囲気だ。戦場を共にしたせいもあると思う。


「ありがとね、マリウスさん。もしかしてアデリアちゃんの恋人? こんなに素敵な人がいたのねぇ」

「いえ、知人です」


 間髪入れずに私が言えば、「そうですね、まだ知人です」とマリウスが苦笑して答える。

 「まだ」って何! まるでこの先、進展するみたいなこと言わないでくれる!?


(……期待したくなるじゃない)


 そんなの、貧乏弱小貴族の娘に許されるわけないのに。

 ぎゅっと唇を引き結ぶ。

 私は悪女として、飽きられなければならないのよ。


「そうそう、今日の給金。ありがとうね、本当に助かったわ」


 食事の後、奥さんがマリウスに給金袋を差し出した。けれどマリウスはそれに対して首を横に振る。


「それはアデリアへ。俺は彼女に頼まれたから少し手伝っただけですので」

「そんなの貰えないわよ!?」


 いくら悪女でも、人様の給金をぶん取るのはありえないでしょ!?

 勢いよく首を横に振る。するとマリウスが困った顔をした。


「実は、騎士は副業禁止なので」

「まあ、騎士様だったの? それは悪いことしちゃったわ。じゃあ、これはアデリアちゃんに付けておくわね」

「そんなっダメです、奥さん!」

「その分、アデリアちゃんがマリウスさんに何か奢ってあげたらいいじゃないの」


 奥さんは給金袋を引っ込めて、私の出勤簿にマリウスの分を書き込んでしまう。

 私はマリウスに奢るような関係にはなりたくないんですけど!?

 対するマリウスは「それは楽しみですね」と私に笑いかけてくる。

 やめて! 期待させないでったら!

 このままではいけない。マリウスは全然めげていない。もっと悪女感を見せないと。


 食事を終えて店を出ると、背の高いマリウスを見上げた。


「手伝ってくれてありがとう。お礼をしたいから、薬局に寄るわ」


 行きたい場所を勝手に決める。まさに悪女っぽいわ!


「わかりました」


 それなのにマリウスは快諾してくれる。エスコートするための手まで差し出された。

 この人……聖人なの?

 でも私の悪女ぶりはこれからよ。

 意気込んで薬局に乗り込むと、顔馴染みの店主が驚いた顔を見せた。


「久しぶりだね、アデリアちゃん。今日は恋人と一緒かい?」

「いえ、まだ知人よ」


 はっ! うっかり私まで「まだ」と言ってしまったわ! 毒されてきてるわ!

 隣でマリウスが笑いを噛み殺す気配を感じる。

 こちらの心の揺らぎが見透かされて悔しい。でも笑っていられるのも今のうちよ。私の悪女ぶりに慌てふためくといいわ。


「おじさん、青汁の元を二人分煎じてちょうだい」


 いざ、いらないものプレゼント作戦よ!

 青汁とは、体に良い草をごちゃ混ぜにしてすり潰した物をお湯で解いて飲むものだ。

 一口飲めば、驚きの苦さ、青臭さ、不味さが一気に押し寄せてくる一品である。

 滋養強壮の飲み物として有名なので、よく母に飲ませていた。

 これこそ、貰っても嬉しくないプレゼント!

 そんなものにお金を使うなんて、まさに悪女の所業。


「誰か具合が悪いのかい?」

「フリーデさんが熱を出したみたいなの。それと、もう一人分はこちらの方用よ」


 にこやかにマリウスを振り仰ぐ。

 本当は不用品を押し付けたかったけど、私の勿体無い精神が価値のない物にお金を使うことを拒否した結果である。

 しかし善意に満ちた嫌がらせほど困るものはないでしょう。


「騎士をなさっているなら、体は大事でしょう? 青汁をプレゼントするわ」

「青汁を……」


 マリウスはしみじみと口にした後、苦笑した。


「アデリアの気持ちですから、有り難く頂きます」


 有り難く受け取っちゃうの!?

 というか、いつの間にかアデリア呼びね? いいけど、知らないうちに距離を詰められてる気がする。


「アデリアちゃんは恋人が大事なんだねぇ。はい、二人分」

「だから、まだ知人!」

「恋人でも良いんですよ」


 マリウスと店主に余計なことを言われてバツが悪い。そんなつもりで選んだお礼じゃないし、ここぞとばかりに恋人にランクアップさせないで。


「私がよくないのよ!」

「では、婚約者で」

「進化してるじゃないの!」


 微笑ましげにこちらを見る店主にお金を払う。これ以上からかわれる前に急いで店を出た。

 ラッピングもしてないままの袋をマリウスに押し付ける。


「今日のお礼よ。これで貸し借りなしね」


 可愛げもセンスもない厚かましい悪女とは、これっきりにしたくなったでしょ。婚約者にしたいだとか、とち狂ったことを言い出して私を振り回さないで欲しい。

 そう思うのに、私を見てマリウスの青い瞳は愛しげに細められる。


「ありがとう。アデリア」


 居た堪れなくてそわそわしてしまう。どんな顔をしたら良いかわからなくなる。


「そちらの青汁は、今日休まれた方に?」

「そうよ」


 同僚のフリーデは離縁されて、小さな男の子と二人で暮らしている。

 はやく治らないと不安で仕方ないはず。薬はすでに買っているかもしれないから、体に良いものを選んだつもりだ。

 そう考えてから、ふと気付かされる。

 これじゃ、私がお人好しの良い人みたいじゃない!


「はやく復帰してもらわないと、私が大変だからよ」


 迷惑そうな顔を作って、仕方ないのだと言いたげなポーズを取る。


「それに下々の者に施すのが貴族の務めでしょう」


 更に、同僚を下に見ている風の発言を添えた。これは悪女ポイントが高いわ!

 ふふん、と言いたげにマリウスを見上げる。そんな私を見て、マリウスは面白そうに破顔した。


「アデリアは、やっぱりいつもそうなんですね」

「いつもそう、って何? とびっきりの悪女に見えて?」


 そうでなくては困る。今日はとても頑張ったのよ!


「いえ、泥を被ってまで人を助ける優しい女性なんだとわかります」

「なんですって!?」


 目指したのと全然違う評価になってるじゃないの!

 愕然と目を瞠り、信じられない気持ちでマリウスを見つめる。


「初めて会った時も思いましたが、今日一日で確信しました。やはりあなたに一目惚れしたのは間違いじゃなかった」


 まっすぐな眼差しで、真摯な言葉を綴られて心臓が大きく飛び跳ねる。


「誰かの負担にならないように強ぶって見せる。そんなアデリアの優しさに惹かれたんです」


 やめて。そんな目で見ないで。甘い言葉で心を揺らさないで。


「でも自分を犠牲にしすぎる部分が気になって。アデリアのことを知るほど、目が離せなくなってしまった」


 マリウスが小さく苦笑いをして、ひとつ呼吸を吐き出した。顔を上げて、熱を帯びた眼差しで私を見つめる。


「だから俺がそばで守りたいと思ったんです。アデリア、俺と結婚してください」

「…………無理よ」


 目を逸らして、告げられる言葉に首を横に振る。

 思いもよらない告白に心は震えた。

 だけど、駄目なの。

 ここまで来たら、下手に慣れない画策なんてしないで正直に話した方がいいとわかった。

 息を吸い込んで、抱え込んでいた苦さを絞り出す思いで告白する。


「うちはね…………、貧乏なの」

「それは知ってます」

「わかってるなら、わかるでしょっ? うちには侯爵家に嫁げるほどの持参金も、家格もないの!」


 恥ずかしさを堪える為に声を荒げてしまった。

 悔しさからマリウスを睨みつけてしまったのは、ただの八つ当たり。なんて可愛くない女なのだろう。

 でもきっとこれで、マリウスは引いてくれる……。

 ジクリと痛む胸を押さえたら、マリウスが不思議そうに小首を傾げた。


「アデリアがエステン侯爵家に嫁ぐのではなく、俺がマイヤー子爵家に婿入りするんですよ?」

「え?」

「持参金を払うのも、俺の方です」

「ええ!?」


 そんなの聞いてないんだけど!

 想定外の言葉にひたすら驚くばかりの私に、マリウスが改めて丁寧に説明してくれる。


「俺はエステン侯爵家の三男ですから、継承権は回ってきません。アデリアの父君とは、俺がマイヤー子爵を継がせていただく話で纏まってるんです」

「な、なんですって……。借金しかない、なんの旨みもない家を、マリウス様が継がれるの?」


 本気?

 確かに爵位は手に入るけど、大きいだけが取り柄の古くてお金のかかるオンボロ屋敷しかない、ほぼ名前だけの貴族よ!?

 この家を継ぐだなんて、余計なお荷物を背負うことになるだけなのに!


「それでアデリアと一緒にいられるなら」


 屈託なく笑って、マリウスが頷いた。

 その嘘のない笑顔に、トクリ、と大きく心音が弾んだ。


「持参金で借金は返せます。俺はこれでもそれなりに安定した収入の職なので、家族で食べていくには困らせません」


 語られる言葉がじわじわと頭の中に浸透してくる。

 それならもしかしたら、私は差し出される手を取っていいのかも……なんて思いかけた。


「待って。でも私は、『悪女アデリア』なのよ」


 先日の社交界で広まってしまった噂は消せない。

 悪い噂のある私が、マリウスと結婚したらエステン侯爵家の恥になってしまう。婿入りだとしても、許されるわけがない。


「その件でしたら、あれから彼ときっちり話し合いをつけました」

「話し合いを?」


 なぜかしら。話し合いより殴り合いでもしたかのようにマリウスの眼差しが剣呑なのだけど。

 気のせいだと思いたい。


「周りの誤解も解いておいたので、あの噂は近いうちに改善されていきます。アデリアはなんの心配もいりません」

「それだとカーリン嬢が困るじゃない!」

「アデリアが気にしそうだったので、もちろんそれも問題にならないように処理済みです。俺はなかなかに有能ですよ」


 マリウスは冗談めかして言いながら、私を安心させるように穏やかに微笑む。

 不意にマリウスが私の前に片膝をついた。恭しく手を取られる。

 どうしよう。

 指先から伝わる熱に張っていた意地が溶かされていく。鼓動は駆け足で高鳴り、全身が心臓になってしまったみたい。

 優しい眼差しで、とびっきり甘い声で、まるごと守られるのだとわかる言葉で惑わされたら。

 落ちてしまうに決まってるじゃない。


「俺と幸せになりませんか?」

「はい! 全力で幸せにしてみせるわ!」


 覚悟してよね。

 悪女らしく、掴んだ幸せは絶対に離さないんだから!



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