今の感情
親との関係性とは自分の人生に於いて切り離せる者は少ないかと思う。
特段何があったと言うわけでもない。
久々に筆を執ろうと思っただけだ、
まぁ筆と言ってもキーボードで文字をうつことをそういうかは各人の判断に任せるが。
孟子と荀子を知っているだろうか。
彼らはそれぞれ性善説と性悪説を唱えた。
乃ち、人は生まれたときから、
善き存在である、
悪しき存在である、
そのために善き行いをするべきであるという、
考え方は違うが、本質は変わらない考え方である。
当然ロックの白紙説などにも触れるべきであろうが、
現代の研究では、環境の話が入ってくる。
特段、環境閾値説などに言及するつもりはなく、
この小説とも呼べぬ戯言を書いている。
親という生き物は何か。
それは各々によって回答は変わるだろう。
それを加味せず答えるのであれば、
私は、「子どもでお人形さんごっこをする大きな子ども」と、答えるだろう。
彼の者たちにとって子どもというのは自身の生き写し、
乃ち自身の達成できなかったことを、
達成できる望みをかけて育てているのだと。
しかしながら鷹は鳶を生まない。
蛙の子は蛙である。
高望みはなんと愚かなことか。
故に私は思う。
親の高望みに応えてやる必要などなく、
それに囚われてやるなど、
自分の人生を棒に振ることだと。
勿論私はそういった生き方を否定しない。
ただ、自分は人形で無く、
一人の人間としてありたい。
自身の人生をどう生きるか、それは自身で決めるべきであろう。