029 しくじり side.ギルマス
5日が過ぎたが、冒険者ギルドのギルド長室にいる俺にはまだ何の連絡も入らない。
それどころか雇っていた暗殺者も戻って来ないまま連絡が途絶えた。
ゴブリンの集落で不穏な魔力を感じたが、そいつが何かやったのか?
あの暗殺者は元Bランク冒険者である俺でも勝てるかどうか分からない程の奴なのに、それに勝ったって事はかなりの使い手だ。
最悪計画が露呈する前にトンズラする必要があるかも知れねぇな。
さすがにギルマスである俺が動く訳にはいかねぇから、俺の手下の情報屋にゴブリンの集落について探らせているが、まだ戻らん。
まったく、あいつは何やってんだ?
などと考えていたところに、丁度情報屋が戻って来た。
「ギ、ギルマス!大変ですぜ!ゴブリンの集落がもぬけの殻です!!」
「なんだと!?」
魔物暴走がもう始まっていて出払っていたか?
いや、それらしい動きがあったという報告は受けていない。
どこに消えたというんだ?
まさか例の何者かにやられたのか?
「もぬけの殻とはどういう事だ? やられたんだとしたら戦闘の痕跡が残ってるだろうが」
「いえ、それが何も争った後は無くて、血一滴すら落ちてないんです」
ばかな。
キングが勝手にどこかに移動させたってのか?
俺以上の報酬を用意して説得したって事かよ。
それはあり得ねぇ筈だ……。
俺が提示したのは、魔物なら喉から手が出る程欲しがる『進化薬』なんだぞ。
裏のルートじゃなきゃ手に入らねぇし、莫大な金を払ってようやく買えたものだ。
ゴブリンの進化過程に於いて、キングは進化の最終形と言われている。
自力でその先に進化する事は出来ない筈だし、そもそも文献にも載ってない事なので進化出来るかどうかすら不明だ。
しかしこの『進化薬』であれば確実に進化出来る。
冒険者ギルドの裏側では、わざと進化させて強力な魔物を作り、それを倒して普通では手に入らない素材を手に入れてるとこもある。
過去にいくつも限界を超えた進化を見せて来たもので、実績のある薬なんだ。
それ以上の条件なんて普通は提示出来る訳が無い。
現在この薬は冒険者ギルドの裏組織が独占してるし、この王国内で現在所持しているのは俺だけの筈だ。
情報網が間違ってる可能性もあるが、その確率は低いだろう。
つまり、それ以外の何かを提示したという事だが、あれだけ『進化薬』に執着していたゴブリンキングが手を引く程の物とは何だ?
いや、今はそれが何かなんてどうでもいい。
問題は魔物暴走が起きないという事なんだから。
「ちっ、しくったか……。おい、部下達を集めろ。撤収する」
「撤収ったって、冒険者ギルド本部から移動の辞令は出てないでしょう?ギルマスの地位を放棄するんですかい?」
「心配するな。ギルマス不在の時に運悪くこの冒険者ギルドは燃えちまうからよ。ギルドが無くなったら本部も俺を移動させるしか無くなるだろ?」
「ああ、そういう事ですか。承知しました。では部下に指示しときます」
恭しく一礼して情報屋が出て行こうとした時、不意に誰かの声がした。
「なるほど。そうやって悪事を働いて来たのね」
「誰だっ!?」
部屋には俺と情報屋しかいなかった筈なのに、何故女の声がする?
周囲を確認すると、先程までは誰も居なかった場所に一人の女が現れた。
「て、てめぇはアヴドメン子爵領の冒険者ギルドのギルマス!?確か名前は……」
「ライラよ。覚えて貰わなくて結構だけど」
「なんでお前がここにいる!?」
「ライザック伯爵領の冒険者ギルドのギルマスが良からぬ事を企んでいるって報告を受けてね。案の定ろくでもない事やってたみたいね。あぁ、今の会話は魔導具で録音したから証拠として提出させてもらうわ」
拙いっ!
会話を聞かれただけなら作り話だと言い張れるが、直に俺の声が魔導具に録音されててはどうにもならん。
あれが本部の審問官に渡ったら俺は終わりだ。
だが今ならあいつだけだ。
何とか力ずくで魔導具を奪って、口封じにあいつも殺す。
元Bランク冒険者の前に女一人でノコノコ現れた事を後悔するがいい!
俺はすぐさま女につかみかかった。
そして先に魔導具を奪おうと延ばした手が——すり抜けた!?
そのままバランスを崩して前のめりに倒れそうになるが、なんとか踏ん張って、今度は女の顔面に拳を打ち込もうとした。
しかしその拳すらも女をすり抜けてしまった。
何らかのスキルか!?
いや、そもそもこの姿が幻影なのか。
「か弱い女性に殴りかかるなんて、本当にろくでもない男みたいね」
「うるせぇっ!!」
俺は自身のスキル『硬気』を使って周囲に気を飛ばす事にした。
『硬気』はただの闘気を固めて周囲に打ち出す技だ。
これで部屋中に攻撃すれば、なんらかの手段で躱していたとしても絶対にダメージが通るはず。
「姿を見せたお前の負けだ!『硬……」
しかし、『硬気』を放つ前に俺の体は何故か地に伏した。
俺の意思とは関係無く、体が立つ事を拒んでいるかのようだ。
今度は何が起こったんだ?
「うん、今度は上手く三半規管だけ揺らす事に成功した」
動けなくなった俺の耳に飛び込んで来たのは、幼い少女の声だった。




