020 王とギルマスと暗殺者
投げ捨てた手作りの斧が壁に突き刺さる。
ギリギリという歯ぎしりの音が部下のゴブリン達を怯えさせた。
下級の同胞など道具としか思っていなくとも、手駒が減れば面白くはない。
幸い待機させていた上位種のゴブリンは全員無事だったが、数匹でも向かわせてなぶり殺しにした方が良かったかと玉座に座るそれは思った。
「グギャ?来客か?」
「ギャ。人間のギャルマスとかいう奴です」
ゴブリンの王は流暢に人語を解する。
そしてその側近までもが淀みなく人語を発した。
それはこの集団がいかに人間にとって危険度が高いかを示している。
「おいおい、部下まで人間の言葉を話せるようになったのかよ。末恐ろしいな。あと俺はギャルマスじゃなくてギルマスな」
ボロボロの小屋でしかない王宮に、その男は不躾な態度で入って来た。
だがゴブリンには礼儀作法などという概念は無い。
最終形と言われるゴブリンキングになった個体でも、そういった教養に目覚める事は無かった。
故にこの男の態度に不満を漏らす事も無い。
「何用だ、人間」
「いや、何やら手駒が減ったという噂を耳にしたもんでな。計画はちゃんと実行出来るのか確認しに来ただけだ」
「ゲギャ。問題無い。我らの繁殖力なら7つ日が上れば元に戻る」
「お前らがしくじったお陰で、この集落の存在を疑われた可能性がある。こっちでも排除するが、あんまり悠長には出来ねぇんだよ。4〜5日でそれなりに揃ったら始めてくれ。おっと、合図は忘れんなよ」
「ギャ。無茶を言う。それよりも報酬を忘れるな。我のその先の進化をもたらす物を」
「わーってるよ。ちゃんとこの領地を潰せたらな」
ヒラヒラと手を振って出て行く男を、赤い瞳がじっと見つめる。
魔物と人間の口約束など当てにならないものだが、それを破れば殺すだけの事。
王は繁殖を急ぐように部下に指示を出した。
急がせたところでそう変わるものではないだろうに、部下は恭しく一礼して他のゴブリンに伝えるべく走った。
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ライザック伯爵領の冒険者ギルドのギルドマスターは、足早にゴブリンの集落を後にする。
ここにいるところを伯爵家の関係者に見られたりしたら、冒険者ギルド本部へ抗議の連絡が行ってしまうかも知れない。
世界的規模で展開されている冒険者ギルドは、当然一枚岩では無い。
様々な派閥が入り乱れているのは当たり前で、この王国の貴族の派閥など冒険者ギルドのそれに比べたら小規模なものだ。
だからこそ、自身の上司が握りつぶしてくれるとは限らないのである。
行動は慎重に。
そしてやるからには徹底的に。
ギルマスは走りながらも、影のように付き従う者に指示を飛ばす。
「妙な魔力を感じた。気付かれたかも知れん。付近に誰かいたら迷わず消せ」
こくりと頷いた影は直ぐに引き返し、周囲を探し始めた。
「伯爵家の手の者か?あるいは街の情報屋といったところか?いずれにしても運が悪かったな。余計な事に首を突っ込まなければ長生き出来たかも知れんのに」
ギルマスは仄暗く笑い、森を駆け抜けた。
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その男は暗殺を生業としていた。
今回の上司は伯爵領の冒険者ギルドのギルマス。
暗殺者を使うのは貴族や上流階級の人間だけなので、別段珍しい事でもない。
金さえ貰えれば依頼主が誰とか、ターゲットが誰とか、関係無く仕事をする。
もっとも、自身が勝てないようなターゲットであれば勿論断る事もあるのだが。
そして今回の依頼は護衛と、必要であれば邪魔な者の排除という内容だった。
ギルマスが手を回していたために、今この領には強い冒険者は居ない。
更に言えば、この伯爵領の私兵は冒険者で言えばせいぜいB級だ。
この暗殺者の男から見れば大した相手ではない。
だからゴブリンの集落周辺にいる者を排除する程度、男にとっては造作も無い事——の筈だった。
東方の隠行に似た不可思議な技を使っていたため、初めは気付く事が出来なかった。
しかし逆にそこに何も無いという違和感を、蓄積された経験が教えてくれた。
そして見つけた。
見つけてしまった。
男を終焉へと誘う悪魔を。
「あれ〜?何でバレちゃったんだろ?」
呑気な声で現れたそれは、子供のような容姿で化物のような魔力を纏っていた。




