016 白い水
メイドの言葉で場が騒然となり、伯爵とその娘のユリアンナさんは慌てて応接室から出て行ってしまった。
伯爵夫人に何かあったようだ。
アウレーネさんも出て行くかな?と思ったけど、逡巡するもこの場に留まった。
「あのー、何かあったようですし、気になるようでしたら行ってもいいですよ。私はもうお暇しますので」
「君から目を離す訳にはいかない」
いや、だから私は帰るって言ってるでしょうに。
それにしてもあの慌てようはちょっと気になるよね。
父が懇意にしていた貴族だし、見て見ぬ振りはちょっと出来ない。
とりあえず皆が行った場所を知る必要があるので、周囲を収納索敵で探ってみる。
薄い膜のような私の魔力が周囲へ飛んでいく。
「今何をしたっ!?」
急に剣を抜いて私に向かって構えるアウレーネさん。
そっか、この人魔力に敏感なんだった。
収納索敵は、収納しようとするだけだから微量にしか魔力を使わないけど、それでも周囲に私の魔力が散っていく。
アウレーネさんの方向だけ収納しないように調整すれば良かったかも。
とりあえず伯爵達が向かった場所は特定出来たので、収納索敵を引っ込める。
「ちょっと抑えていた魔力が溢れちゃっただけですよ」
「魔力を抑えるだと?そんな事は宮廷魔導師でもない限り出来る筈が無い。ましてや駆け出しの冒険者にそんな高度な魔力操作が出来るものか。やはり身分を偽って伯爵家に近づいたのだな!」
この人、面倒臭〜。
お嬢様に早く帰って来て貰わないとどんどん暴走して行きそうだ。
早く帰って来てもらう為には、伯爵夫人について調べる必要があるかな。
幸い私の収納は光を収納出来るので、伯爵達が向かった先の部屋の光を収納して私の所で排出すれば遠くの映像も確認できる。
但し、今はこの面倒臭いアウレーネさんがいるので、画面のように映し出す訳にはいかないのよね。
なので私の目にだけ映るように、光を収束しすぎて網膜を焼かないよう調節して排出する。
イメージした通り、私の目にだけ離れた部屋にいる伯爵家の人々が映し出された。
ベッドで横になっているのが恐らく伯爵夫人かな?
その夫人に伯爵が必死に呼びかけている。
伯爵家の娘であるユリアンナさんも涙ながらに呼びかけている。
医者のような格好をした老人が、夫人の容態を見ながら色々やっているが、夫人は苦しそうにもがくばかりで効果は出てないように見えた。
「おい、何とか言ったらどうだ!?」
アウレーネさん、うるさいなぁ……。
音を遮断するには空気の振動を遮断すればいいので、耳に届く空気を収納してみる。
いだだだっ!?耳キーンってなった。
高低差ありすぎるところを急に移動するとなるやつだ。
耳付近の空気を収納して気圧が変わっちゃったのか。
あっ!じゃあ別の空気で代用すればいいじゃん。
私は伯爵達のいる部屋の空気を収納して、代わりに私の耳付近に排出した。
耳の痛みは治まり、副次的効果で伯爵達の会話が聞こえてきた。
『どうにかならないのか!?』
『申し訳ありません。何が原因か分からない上に、急激に病状が悪化して薬を受け付けなくなりました。今血圧を下げる薬を投与したのですが、あまり効果は無く……』
『くっ、病の原因が分からない以上、治せる薬は万能薬しか無いという事か……』
伯爵夫人は何らかの病で伏せっているようだ。
万能薬はとても高価で、オークションなどにも出品されるのは極稀だという。
私の父も母の為に手に入れようとしていたが、結局それは適わなかったとセバルフから聞いた。
なるほど、それで伯爵は万能薬を手に入れる為に贅沢を極力抑えていたから、屋敷も小さめで装飾品も少ないのか。
しかしあの様子ではまだ万能薬を手に入れていないのだろう。
苦しむ夫人を前に呼びかける事しか出来ていない。
と、別室の伯爵家の人々の動向を見ていたら、アウレーネさんが私に剣先を突きつけてきた。
そして何か叫んでいる。聞こえないけど。
あ、剣先が私の鼻先を掠めたから、ちょっと鼻切れちゃったじゃん!
美少女の顔になんてことしてくれてんのよ!
頭にきたので、私に突きつけられている剣に左右から少しずつずらした手刀を当てて、剣を折ってやった。
目を見開いて後ずさるアウレーネさん。
止まってる剣なんて簡単に折れるもんね。
少し血が滲んでビリビリと痛む鼻に、森のダンジョンで収納しておいた白い湖の水を掛けると、あっという間に鼻の傷は治った。
回復効果のある白い水を収納しておいて良かった。
美少女の鼻に傷が残ったら大変だったよ。
それにしても、伯爵夫人を治す方法は何か無いものかな?
万能薬でなくとも、多少なりとも体力が回復するような薬があればいいのに。
……この白い水って体力も回復するかな?
狼も私も傷薬としてしか使ってなかったけど、細胞が回復する効果と考えれば体力回復にも使えるのでは?
とりあえずやるだけやってみるか。
悪化したら困るから、最初はちょっとだけ。
私は伯爵達の部屋で横になって苦しんでいる夫人の口元へ、ほんの少しだけ白い水を排出してみた。
たぶん口に液体が垂らされた夫人本人以外は、気付く事も出来ない筈だ。
白い液が夫人の口に入ると、僅かに嚥下するような動作をした——と共に、夫人の全身から白い光が部屋を照らすように放たれてしまった。




