9.創世神様のお導き
アインは訳が分からず少女に尋ねる。
「なんだ? その、”創世神様”ってのは」
少女――ウェンディがスッと微笑みを引っ込め、また無表情に戻って応える。
「私が信仰する神様です」
「その、お導きというのは?」
「創世神さまは、必要な時、必要な人を使わしてくださいます」
アインには意味が理解できなかった。
要は「危ないところを助けてもらえたのも神の思し召し」、ということだろうか。アインはそう解釈した。
ウェンディは言葉を続ける。
「後程、改めてお礼をしたいので、お部屋を教えて頂けませんか」
「礼など、さっきの言葉だけで充分だ――だが、何か困ったことがあれば訪ねて来るがいい」
アインは船室番号と大まかな部屋の位置を教え、リティの元に戻った。
ウェンディはしばらくアインを見つめた後、リティにも視線を寄越した。
リティは一瞬怯んだが、引きつった微笑みで返した。
ウェンディはリティにも頭を下げ、そのまま船室へ戻っていった。
「……なんだか、不思議な空気を持った子でしたね」
リティが抱えていた大剣をアインに返しながら呟いた。
「まったくだ。得体が知れないってのは、ああいうのを言うんだろう。だがあの嬢ちゃんが酷い目にあう前で良かった――俺たちも、一旦部屋に戻ろう」
****
ミディアも理解できない顔で話を聞いていた。
「不思議な子に出会ったのね。そんな状況でも無感情で居られるだなんて、普通の子じゃないのは確かよ」
「ですが、一瞬だけ確かに普通に笑顔を見せたんです。信仰心に篤い子なんでしょうね」
リティがミディアに応えた。
アインも、それならいくらかは納得が出来そうな理由だった。いくらか常軌は逸しているが、どんな状況も神の試練として恐れない心を持っているのかもしれないと考えていた。
アインは大剣の手入れをしながら聞いていた。潮風に対する加工はしてあるが、潮を拭き取っておくに越したことはない。
手入れを終えた大剣を、寝床にしまい込んだ――大きすぎて、他に置く場所がないのだ。転がしておくには重量があり、それも危険だった。船が大きく傾いた時、リティやミディアに襲い掛かる凶器となりかねない。
ベルトでベッドに縛り付けて固定し、アインは息をついた。
「これで大丈夫だろう」
アインが呟くと同時に、船室の扉が叩かれた――来客だ。
アインがミディアと顔を見合わせた。互いに来客の予定などなく、戸惑っているのを目を見て理解した後、対応しようとしたミディアを手で制したアインが扉を薄く開けた。
そこにはアインに引けを取らない大男が立っていた。
鍛え上げられた体躯――侮れない男だとアインは直感的に判断した。
男が先に口を開く。
「うちのウェンディが、世話になったらしいな」
ウェンディ――先程甲板で助けた少女が名乗った名前だ。
つまりこの男は、先程の不思議な少女の連れ合いということだ。
アインは曖昧に微笑み、応える。
「なに、大したことじゃない」
「いや、俺からも礼を言わせてくれ。俺はゲイングだ」
男が右手を差し出した。
「アインだ」
扉をもう少し開き、アインも右手を出して握り返す。
それだけで互いがその力量のおおよそを掴んでいた。
――俺と引けを取らない膂力。引き絞った身体。体幹の強さ。真剣にやりあっても互角に持ち込めるかどうか、か。
ゲイングの顔も、同じ感想を得ているようだった。好敵手を見つけた――二人の笑みは、そう物語っていた。
「お楽しみのところ悪いんだけど、私も自己紹介させてもらえる?」
女の声が聞こえ、ゲイングが慌ててその場を譲った。そこにはおそらくミディアと同年代――自分より五歳程度は年下に見える女が立っていた。
「あたしはデルカ。ウェンディの保護者よ」
女は両親ではなく、保護者と名乗った。
訳あり、ということだろう。だがそれはアインたちも似たような立場だった。
保護者ではないが、リティを護衛する為に船に乗っているのだから。
よく見るとデルカと名乗った女の隣には、ウェンディも居た。
変わらず無表情のまま、その金色の瞳をまっすぐアインに向け見上げている。
「それでだな」
ゲイングが話を切り出した。
「今日の礼に、晩飯を奢らせてくれ」
「あー、悪いが俺たちは――」
アインは”ここに居るのは三人だが、隣にも二人いる”と続けようとした。
だがそれを遮るようにゲイングが言葉を続ける。
「心配するな。五人分の飯代くらい、安いもんさ」
アインが訝しみ、猜疑の眼差しでゲイングを見た。
「……何故、五人だと思った?」
彼らが見えているのは三人だけだ。ウェンディが甲板で会ったアインとリティ、そして部屋に居たミディア。残り二人は姿を見せるどころか存在を匂わせた覚えもなかった。
ゲイングが眉をひそめ、困ったようにウェンディを見た――おそらくウェンディが五人組と伝えたのだろう。
ウェンディは無表情のまま、真っ直ぐ見つめてアインに告げる。
「お隣の賢者様と、そのお弟子さんもどうぞご一緒に」
「……何故、そう思った?」
アインはこの船に乗ってから、賢者という単語を使ったことはない。
それはリティやミディアも同じだった。
何故その単語を知っているのか。
困惑するアインの眼差しを真っ直ぐに迷いなく見つめ返し、ウェンディが告げる。
「――創世神様が、そう仰いました」
****
「ゲイング、少し待ってくれ。話を伝えてくる」
アインはそう言い残し、クインの部屋の扉を叩いた。
すぐに扉が開き、中に招かれた。
扉を開けたルインを押しのけ、アインはクインの前に腰を下ろした。
「俺がさきほど甲板で助けた少女なんだが、教えても居ないことを知っていた。俺たちが五人組であることも。クインが賢者であることも。クインはこれをどう思う?」
混乱気味で言葉が足りていないアインを冷静に眺め、クインが尋ねる。
「その少女はどうやってそれを知ったのでしょうか」
「”創世神様がそう言った”んだと」
「創世神……ですか」
クインが思索に耽り始めた。
アインはそれを無視して言葉を続ける。
「それでだ。先ほど助けた礼に、晩飯を馳走したいと、そう言われた――俺たち五人に。どうする?」
「……わかりました。その申し出を受けましょう」
クインの瞳には、好奇心が宿っているようだった。
これからの展開を楽しみにしている空気をクインは纏っていた。
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ゲイングは夕食にはやや早い時間に食堂に行き、十人が座れる個室のテーブルを取った。
片側にゲイングとデルカ、そしてウェンディが腰を下ろす。
反対側にアイン、ミディア、リティ、そしてクインとルインが腰を下ろした。
注文前の水が振舞われ店員が去った後、アインが口火を切った。
「改めて自己紹介をしよう。俺はアイン、隣がミディア、そしてリティだ」
クインがそれに続く。
「私がクイン、隣がルインです」
ゲイングがそれに応じ、順番に指をさしていく。
「ゲイング、とデルカ、あとウェンディだ」
アインに取って意外だったのは、中央にウェンディが座っていた事だ。
ウェンディを挟むようにゲイングとデルカが座っていた。
まるで、三人の主導権を幼いウェンディが握っているかのようだった。
対してこちらはアインが中央に座っていて、隣にクインが座っていた。この一行で主導権を取るとしたら、この二人のいずれかだろう。どちらになるかは状況次第だ。
アインとゲイングは互いに言葉に詰まり、どちらから話を切り出すか悩んでいた。アインが先に言葉を発しようとした身構えた瞬間、クインが先に口を開いた。
「……ウェンディさん。あなたは創世神から、どこまで聞いていますか」
クインの目がウェンディの目を鋭く射貫いた。その鋭い圧に対して、ウェンディは落ち着いて無表情で応えた。
「賢者様が、東の魔女の元へ向かう、と聞いています。その為にテオリーチェに向かうのだと。私たちは、あなた方に会うためにこの船に乗っています」
またも教えていない単語が飛び出てきた事で、アインの困惑が深まっていく。当然”魔女”などという単語も、人がいる場でアインたちが使ったことはない。それを知るのは五人だけの筈だった。
ゲイングも「その為だったのか?!」と驚いている。彼女たちの間ですら意見や目的が共有されていない様で、それがより一層アインの困惑を深めた。
目的も判らず、ウェンディという少女の言葉に従って安くない金を払い、この船に乗ったとでも言うのだろうか。そんな行動は、完全にアインの理解の外だった。
クインが冷静に質問を続ける。
「……それは、創世神から聞いた、で間違いないんですね?」
「はい、創世神様からです」
クインは、鋭さを増した眼差しをふと緩め、溜息をついた。
「――ふぅ。この少女、ウェンディは嘘をついていません。先ほどから嘘検知の魔導術式を使っていますが、今この場で嘘を口にした者は居ませんでした」
衝撃的な告白に、アインが思わずクインに食って掛かった。
「ちょっと待ってくれ、そんなおっかない魔導術式を使うなら、俺たちに事前に教えてくれ」
「こういうものは、黙って使うから効果があるんですよ」
クインは人の悪い笑みで応えた。
正確には、リティは偽名、つまり嘘をついている。
クインはその事を、ウェンディたちに伝える気がない。なのでその事は伏せた。
それはアインたちもすぐに気付き、その件については伏せるように暗黙の同意が取れていた。
クインは笑みを消した後、何かの魔導術式を使いだした。印を結び、魔力を巡らせた直後、周囲から食堂の喧騒が消えた。
「――これ以上のことを他人に聞かれると面倒になるかもしれません。遮音の結界術式を張りました。この席の外に、声が漏れることはありません」
それはつまり、これから聞かれては困るような踏み込んだ話をするという宣言だ。
改めてクインがウェンディに問いかける。
「ウェンディさん、あなたは創世神のなんなのですか?」
「わかりません――けれど、創世神様は、いつも私の傍におられます」
アインは困惑の極みだった。
ウェンディという少女を、どこまで信用していいのか分からなかった。危険な存在なのか、そうではないのか。警戒する必要があるのか、ないのか。
そんなアインの困惑した表情を見たゲイングが、アインに語りかける。
「これは他人には言わないで欲しい事なんだが……ウェンディには治癒を与える力がある。致命傷を負っても命を助けられる。そんな力だ。だから、そんなに怯えないでやってくれ。危険な存在ではないんだ」
ウェンディはクインを見つめたまま、ゲイングの言葉を肯定する。
「創世神様が力を貸してくださっている。それだけです。私はただ、祈りを捧げるだけですから」
アインはクインに振り向いたが、クインは首を横に振った――嘘をついてはいない、ということだ。
魔導には詳しくないアインだが、そんな力の存在を聞いたことはなかった。
「なぁクイン。そんな魔導術式、存在するのか?」
「少なくとも私が知る限り、人間が使える魔導の中にはありません。通常、魔導術式で癒せるのは軽傷までです。重傷を通り越して致命傷など、人間業ではありません」
「それはどういうことなんだ? ウェンディが人間じゃないってことになるのか?」
「……つまりウェンディさんは、人の身で神の御業の如き力を振るうことができる、ということです。何故そんなことが可能なのかは、私にもわかりません」
ゲイングが口を挟んだ。
「デルカは、ウェンディに命を救ってもらったんだ。俺はその現場に居た」
アインはようやく、腑に落ちたように呟いた。
「ゲイングは直接、その神の御業を目にしたってことか……その神様の力で、本来知らないはずの俺たちの情報も知ったのか」
直感でアインはゲイングが自分と似た男だと感じていた。嘘は苦手な、不器用な男だ。
その男が実際に神の如き力を見たというのであれば、それは事実なのだろう。
先程ウェンディは、”神が力を貸してくれているだけだ”と言っていた。その言葉通り受け止めるしかない、そういうことだとアインは理解した。
クインがウェンディの目を捕らえ、真っ直ぐ見つめた。
「創世神は、古い神の一柱です。古代遺物が作られた時代に信仰されていた神々の、最高神といわれています」
最高神――多神教における、神々の頂に位置するものだ。
古き神の中で最も力が強く、格が高い神。
そんな存在から力を借りられるという少女。謎は深まるが、彼女たちについて、ある程度理解は広がった。もうウェンディを恐れる気持ちは薄れていた。知る事は恐怖を薄れさせるのに最も有効な手段だ。
クインが言葉を続ける。
「それで、我々の事情をどこまで知っていますか」
ウェンディは静かに首を横に振った。
「……では、我々が東の魔女に会いに行く理由をご存じですか?」
ウェンディは再び、静かに首を横に振った。
どうやら神は、全てをウェンディに教えてくれるわけではないらしい。
「……いいでしょう。ではかいつまんで説明します」
クインが一呼吸置いた――その目は、ずっとウェンディの瞳を捕えている。
「ワレンタイン王国――今ではゲイル王国を名乗っていますが、そこにあると思われる古代遺物に対抗するため、我々は東の魔女に助力を求めに赴く途中です」
クインはここまで、ずっとウェンディの目だけを見て話をしていた。
見極めようとしていただけでなく、ウェンディたちの主導権を彼女が握っていると見抜いていたのだ。
ウェンディがクインに告げる。
「その旅に、私たちも同行させてください」
クインの目が鋭くなった。この旅に迂闊に人を加えるわけにはいかない。彼女たちを更に見極めようとしているのか、同行しようとする彼女を警戒しているのか――おそらく、両方だろう。
「……それは、何故ですか?」
「創世神様が、そう仰ったからです。”ワレンタインで、私の為すべき事がある”、と」
クインが俯いて顎に指をあて、思案を巡らせている。
そうして顔を上げ、ウェンディに頷いた。
「――いいでしょう。同行を許可します」
クインが同行を許可した――彼女たちが危険な存在ではないと、”蒼の賢者”クインが認めた事になる。そしておそらく、この旅で彼女の力が役立つ可能性を高く評価したのだろう。同行させる価値があると。
クインの言葉を聞いたウェンディは、またにこりと微笑んだ。年相応の少女らしい、可憐な笑みだ。
「創世神様のお導きがありました」
ようやくメインキャラがパーティを組みました。
誰が主人公かと言われると困ってしまいますが、視点は主にアインやゲイング、話の焦点はウェンディやリティに当たっていきます。
群像劇という程でもありませんが、彼らがこの物語を動かしていきます。
恋愛パートまであと一息です。