7.出立準備
「もういっちまうのか? まだ一か月だぞ?!」
ゲイングたちの雇い主、ウェストンがゲイングの部屋で大声を上げた。ゲイングが辞意をウェストンの使用人に伝えたら、部屋まで直接話を聞きに来たのだ。
ゲイングは笑いながら応える。
「最初から、こちらの好きな時に辞めて構わないとあんたは言っただろう? ――嬢ちゃんが移動したがっている。東に向かう船に乗りたいんだとさ。船賃には困らないくらい稼がせて貰った。いい職場だったよ」
「東……テオリーチェ共和国か? そんなところに何をしに行くんだ? あんな辺鄙な所、冒険者の仕事もろくにないぞ?」
ゲイングは肩をすくめた。
「さぁな。嬢ちゃんの考える事は、俺たちにも分からん。だがあの子に付いて行くと決めている。またこの街に立ち寄る事があったら、挨拶ぐらいはさせてもらうよ」
「……あんたは惜しいが、約束は約束だ。また縁があったら会おう。今度は十人分で雇おう」
ゲイングは大きく笑った。
「ははは! いつ移動するかもわからないんだ、そこまで好待遇は受けられないな。だが、この街に滞在する事になったら声だけはかける。その時に席が空いていたら、三人分でまた雇ってくれ」
ウェストンは惜しみながらも、今日までの報酬が入った革袋を置いて部屋を立ち去った。
ゲイングとデルカ、ウェンディは出立の為、荷物をまとめた。
「東、テオリーチェ共和国行きの船でいいんだな?」
ウェンディが頷いた。
「創世神様が、三日後に出航する船に乗れと仰っています。そこで出会いがあると」
「出会いねぇ……もう少し早く教えてはくれないもんかね。それじゃあ乗船券を購入したら、船内で過ごすとするか」
連絡船は到着後、積み荷の搬入出や乗客の出入りの為、一週間ほど停泊する。
その間、船を宿代わりに使う乗客は珍しくなかった。
ゲイングたちも例に漏れず、乗り逃さないように先に乗船するのだ。
****
ある日、アインたちの部屋を訪問する客が現れた。使用人のお仕着せを身に纏った、若い男だ。
「クイン様の使いの者です。すぐにここを引き払ってこちらに来て欲しいと仰っています。付いてきてください」
「わかった、そうしよう――ミディア、聞こえたか?」
「ええ、聞こえてるわ。よかった、あの子の為に上等な部屋を取ったから、これ以上ここに居たら、お金が足りなくなるところだったわ」
アインが苦笑した。
「まったくだな。なんとか間に合った」
アインとミディアは手早く荷物をまとめた――元々、いつでも出立できるようにしてあったのだ。たいして時間はかからなかった。
二人はクインの使いが乗ってきた馬車に乗り、クインの邸宅に到着した。
通された応接間で、二人はソファに座って待つように言われた。
しばらく待って居ると、貴族らしい出で立ちのリティシアが姿を現す。
「アインさん! ミディアさん! お久しぶりです」
再会したリティシアには、笑顔が戻っていた。
その元気な挨拶に、アインが顔を綻ばせた。
「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」
リティシアに続いて、クインも部屋に入ってくる。こちらは変わらず、愛想がない。
「リティシア様も座ってください。話を進めましょう」
アインたちの正面にクイン、その隣にリティシアが腰を下ろした。
早速クインが話を切り出す。
「――まず、現在分かっていることを伝えておきます」
クインが間をおいて、言葉を続ける。
「一つ。ワレンタイン王国のゲイル将軍が謀反を起こし、それを成功させました。王族は皆殺しにされ、生き残っているのはここに居るリティシア様のみです。ゲイル将軍は現在、ゲイル王国を名乗っています」
リティシアの表情が曇ったが、泣き出す様子はなかった。
事前にクインから伝えられていたのだろう。
「二つ。ゲイル王国は我々、バスタッシュ王国に対し宣戦布告をしました」
「宣戦布告?! 何の冗談だ?!」
ワレンタイン王国――いや、現在はゲイルを名乗る王国の戦力は、最大でも五千に満たないとアインは聞いていた。
一方でバスタッシュは五万を下らない戦力を保持ししているはずだった。十倍以上の戦力差だ。
兵士の質も、雲泥の差だ。勝負にすらならないのは明白だった。
こういった情報は、傭兵の間では命に係わる。最前線に居る事が多い傭兵は情報を得やすい。
仲間同士で情報を融通し合うのだ。旅をするアインたちも、常に最新の情報が得られるように努めていた。その中継点もまた、傭兵ギルドの役割だ。
もちろんこれは傭兵仲間だけの情報だ。簡単に外に漏らすようなことはしない。情報を漏らした事が明るみになれば、傭兵の情報網から外されてしまうからだ。
新参者の様に信頼のない者にも伝えられることはない。戦場で共に命を賭して金を稼いできた仲間に対する報酬だった。
その情報精度は、各国の諜報部に匹敵すると言っても過言ではない。
アインは呆然と呟く。
「正気の沙汰じゃないな……」
「ええ、正気の沙汰とは思えません――ですが、この戦力差を覆せる古代遺物があったとしたらどうです?」
アインも、古代遺物の中には戦況を容易に覆せるものすら存在すると聞いたことがあった。
仲間内の噂話なので、実際に見た者が居たわけではない。
――この状況を覆す古代遺物など、在り得るのか?
困惑するアインとミディアを無視して、クインは続ける。
「三つ。ゲイル王国はバスタッシュ王国に対して、リティシア様の引き渡しを要求しています」
リティシアの肩が揺れた。
気丈に振舞っているが、今知らされた事実に動揺しているのが、瞳にもありありと映し出されている。
――やはり、この国に逃げ込んだのが露呈したか。
アインもいつかは露呈すると覚悟して居たとはいえ、どこでしくじったのかを思い返していた。
しかし近衛兵に守られたリティシアがバスタッシュ王国方面に逃げたことが知られていれば、これは避けようがなかったのだと己を納得させた。
「ですが、リティシア様の消息までは追いきれていないようです。バスタッシュ国王も、リティシア様の事は知らぬと返答し、国内を捜索させています。ここにリティシア様が居ることを知っているのは、我々だけです」
クインは紅茶を一口飲み、言葉を続ける。
「私としても、リティシア様を引き渡すつもりはありません。バスタッシュ国王の胸中も、未だ定かではありません。事実を打ち明ける時期ではないでしょう。ですがこのままここに居ても、いつかは見つかってしまいます」
アインがクインに尋ねる。
「どうするつもりだ?」
「リティシア様には髪を切り、名前を偽ってもらいます――旅に耐えられるように」
リティシアは不安気に尋ねる。
「旅、ですか?」
リティシアも初めて聞かされたのだろう。困惑と不安で、憂い顔だ。
一方、クインは落ち着いた態度でリティシアに告げる。
「そう、旅です。ゲイル王国が持つと思われる古代遺物に対抗する為、我々は旅に出なければなりません。東の魔女に会い、彼女の助力を得るのです。リティシア様一人をこの場に残すわけにもいきません。よってリティシア様には、我々に同行してもらいます」
アインが確認のため尋ねる。
「その我々には、俺たちも数に含まれているということでいいんだな?」
「勿論です。あなた方を私とリティシア様の護衛として雇います。新しく護衛を雇うよりも、事情を知っている者の方が都合が良い」
「それは構わないが、ゲイル王国の持つ古代遺物は分かっているということなのか? それはなんとかできるようなものなのか?」
「目星は付いています。東の魔女の助力が必要ですが、彼女が力を貸してくれるならば、なんとか対処できる可能性が高い」
アインが溜息をついた。
「可能性、ね――それで、東の魔女とやらはどこに居る?」
「テオリーチェ共和国の北部に魔女の住処があります。ここより南、ウェスティンから船に乗り、テオリーチェに向かいます」
アインが手でクインを制した。
「すまない、俺たちは今までの滞在費で報酬の殆どを使い果たした。つまり、路銀がないんだ。当然、船に乗る事も出来ない」
クインが冷たく笑った。
「リティシア様の為でしょうが、冒険者が宿泊するような部屋ではありませんでしたからね。しかも四人部屋だ。そろそろ限界だろうと思って引き払わせたんですよ。今日からはここで寝泊まりしてください。路銀の心配はいりませんよ。私が経費としてすべて払います」
ミディアが割り込むように切り出した。
「それは構わないけど、護衛の報酬は経費で精算されてなくなった、なんて言われたら私たちが後で路頭に迷うわ。そこはどうなの?」
クインが静かに返答する――その眼差しはやはり、冷たい色が湛えられている。
「傭兵相手にそんなことをしたら、いつ裏切るか分かったものではありません。もちろん経費とは別に、正規の相場で護衛の報酬は払いますよ――破格の待遇だと思いますが、どうしますか」
再び有無を言わせぬ問いに、アインが両手を上げた。
「オーケー、わかった。それで問題ない――ミディアも、それでいいな?」
元々、アインは無報酬でも引き受けるつもりだった。責任を取れというなら取るだけだ。
だが報酬という首輪をつけていない傭兵など、危なっかしくて近くには置けない――それもまた事実だ。
路頭に迷ったら困るというミディアの言い分も正しい。
全員が納得する条件だと、アインは納得した。
ミディアが頷いたのを見届けたクインが言葉を続ける。
「出発は三日後、それまでに私とリティシア様の出立準備を整えます。ここからウェスティンまで馬車で一週間です。そこから海路でテオリーチェに向かい、東の魔女の住処を目指します」
****
リティシアは髪を肩より短い長さで切り、”リティ”と名乗ることにした。
ミディアがリティに声をかける。
「リティシアとリティじゃ、名前が似ていて偽名の意味がないんじゃない?」
リティは、はにかみながら応える。
「突然全く違う名前で呼ばれても反応できませんし、リティなら有り触れた名前です。クイン様も、納得してくださいました」
「その髪型も似合ってるわ。でも、あれだけ長かった髪を切ってしまうのも、少しもったいなかったわね。とても綺麗だったのに」
高位貴族の淑女は長い髪を美しく保つ事に、誇りを持っている事が多い。それが家の豊かさを象徴するのだ。
庶民はそんな余裕などない上に、仕事に邪魔なので、短く切ってしまう事も珍しくない。
リティも最初は、髪を切る事に激しい抵抗を感じているようだった。
だがクインから「髪の毛ならば、あとから魔導術式でいくらでも元に戻せます。安心してください」と言われ、ようやく断髪する決意をした。
「元に戻せるなら、一時的に短くなるくらいは仕方ありません」
それでも名残惜しそうに、リティは短くなった髪の毛を手で撫でていた。
その想いを振り切るかのように、リティが切り出す。
「それより、私の旅の準備はクイン様がすべてやってくださるそうなので、私は手が空いてるんです。ミディアさん、剣術を教えてくださいませんか?」
「剣術?! お姫様のあなたが?」
リティがはにかんで応える。
「ええ、実は私、五年前から剣術を嗜んでいるんです。これでも、そこそこ剣は使えるんです。ですが、実戦で磨き上げられたミディアさんの剣術を教わりたいと思いまして」
「うーん、五年も剣術をやっていたなら、対等の条件の勝負は問題ないでしょうね。そうなると、女が男を相手にする時の戦い方、ぐらいなら教えてあげられるけど」
「是非お願いします!」
その日から、ミディアからリティへ実戦に即した剣術が教えられるようになった。
相手の力を利用し、受け流し、隙を突く剣術だ。
これは人間よりも力の強い魔獣を相手にする時にも有効な戦術だった。
アインはアインで、日々の鍛錬を続けている。その休憩中に二人の訓練が目に留まったので、腰を下ろして眺めていた。
アインの目から見ても、リティの筋は良い。身体も柔軟で、動かし方も心得ている。
鍛錬をしてる時に会話も聞こえていた。五年も剣術をやっていたというのは、嘘ではないらしい。
ミディアの教える剣術は、リティの体格に合っているようだった。
リティたちも訓練を休憩し、リティが息を切らしながらアインの傍に腰を下ろした。
アインがリティに尋ねる。
「なぁ、なんで姫さんが剣術なんて嗜んでるんだ?」
「昔から身体を動かすのが好きで、剣術に憧れていたんです。十二歳になってようやく許可が下りて、五年間続けていました」
「ってことは今は十七歳か。年頃のお姫様のやることじゃないな」
アインは苦笑を浮かべた。
「家族にもよく言われました」
リティもはにかんで応えた――だがその瞳は、哀しく遠くを見ている。今は亡き家族を思い出したのだろう。
そんな気持ちを振り払うかのように、リティが声を上げた。
「そうだ! アインさん、私の相手をしてくれませんか?」
「俺が? ――止めとけ。相手にならん。やるだけ無駄だ」
リティはきょとんとした顔で尋ねる。
「どういう意味ですか?」
「そのまんまだ。俺と姫さんじゃ身体が違い過ぎる」
リティは眉をひそめて抗議する。
「その”姫さん”というのは止めてください。今はリティですから、そう呼んでください」
「じゃあ――リティ。身体が違い過ぎると、そもそも勝負にすらならない。相対した時点で負けと思え」
リティはアインの腕を両手で掴み、揺さぶり始めた。
「そんなことを言わずに! 一度だけでいいんです! この中でミディアさん以外に剣を使えるのは、アインさんだけですし!」
――まるっきり子供だな。これは、一度思い知らないと引き下がらないか。
アインは溜息をついた後、返事をした。
「オーケーわかった。一度だけだ。それできちんと理解してくれ」
「やった!」
子供が喜ぶように満面の笑みでリティが喜んだ。
アインは苦笑で応えつつ、立ち上がった。
お互いが剣を持ち、向き合う。
リティはクインの邸宅に在った長めの短剣を構えている。
アインも同じく、長めの短剣を右手に下げている。
リティが不思議そうにアインに尋ねる。
「アインさん、いつもと違う武器でもいいんですか?」
「大剣を持ちだしたらリティに怪我をさせかねない。それに、同じ武器の方が”身体が違う”という意味は理解するだろう――俺は剣なら同じように扱える。問題ない。さぁいつでもこい」
言葉の意味は理解できないが、アインの方が遥かに格上だと言う自覚だけはリティにはあった――手は抜けない。全力で挑む!
リティの目が厳しくなり、アインを睨み付けた。
「では、胸をお借りします!」
勢いよくリティが駆け出す――若く俊敏な身体で、あっという間に間合いを詰め、アインに斬りかかった。
アインは微動だにせず、間合いが詰まるまで待っていた。リティが振りかぶり、刃が振り下ろされる――その瞬間にリティの剣を上から剣で叩き落とした。
リティの剣閃は遅くはない――それよりも早く剣を振り上げ、振り下ろしてみせた。その動きは紫電のようにリティの目に映った。
叩きつけられた事に耐える事も出来ず、リティは剣を手放さざるを得なかった。
衝撃で痺れた手を抑え、リティが呆然とアインを見上げた。人間の動きとは思えず、唯々信じられなかった。
「――これが”身体が違う”という意味だ。それは魔獣相手でも変わらない。相対した時点で負けと思え。そんな状況にならない様に動くんだ。技術で何とかなる差じゃない」
言い終わったアインは、剣を地面に突き刺して自己の鍛錬に戻っていった。