22.束の間の休息
船内の酒場に、二人の女の姿があった。
二人はカウンターで肩を並べ、共にグラスを傾けている。
「そう、結局あなたも破れてしまったのね。何年か後だと思っていたのに、想定したよりずっと早かったわね」
「私がそうなるように後押しをしたから、そこはしょうがないわ。そこもあなたと一緒ね」
互いのグラスに酒を注ぎ合い、呷る。
「あなたはずっとゲイングさんの傍に居る事に決めたのね」
「ウェンディの事を見守りたい気持ちも強いからね。あの子はリティ程逞しくはなれないでしょうし、守ってあげられる人は居た方がいいわ――あなたは、時期が来たら離れてしまうの?」
「そうね、そろそろ肉体の衰えも感じ始めた。傭兵稼業を引退するには丁度いい頃合いよ。ウェンディちゃんの様子がある程度落ち着いて、リティが十分な技量を得たら、安住の地を見つけ次第引退するつもり」
「リティちゃんは寂しがるんじゃない?」
「離れたくないとは言っているけれど、あの二人を見続ける事に私が耐えられそうにないわ。あなたはよく耐えられるわね」
「あなたと違って、私はゲイングに勝負をかけて惨敗した。それである程度、気持ちに踏ん切りがついたのでしょうね。二人の傍に居られるなら、それで充分と思えているわ」
「そう……私もしっかり勝負を仕掛ければよかったのかしら……でも、今考えてもそんな勇気はもう出せないわね。あれが私の精一杯だった。勝負を仕掛けられなかったのは自分が弱かったから……仕方がないわ」
ミディアがグラスを呷り、空にする。
そのグラスにデルカが酒を注ぐ。
「酒飲み友達が減ってしまうわね」
「それだけは心残りね。せめて一緒に居る間は、思う存分飲み明かしましょう」
二人がグラスを重ね、甲高い硝子の音が響いた。
****
ミディアの居ない部屋で、寝そべるアインの背中にべったりとリティが寄り添っていた。
「ミディアさんが居ない間くらい、こうしていてもいいですよね」
「居てもべったりと引っ付いている気がするのは気のせいか?」
「……そうでしたか? 無意識で寄り添ってしまうのでしょうか」
「伴侶なんだ、遠慮することはないとは思うがな。偽名も、リティ・ノートに変えなければならないな」
「私、平民の伴侶がどういう扱いなのかを知らないのですけれど、勝手に名乗っていいものなのですか?」
「俺たちみたいな旅の傭兵の素性なんて、自称が全てだ。伴侶になると決めたら、その時から伴侶で構わない。精々、ギルド登録証を書き換える程度だな。そのうち、リティも傭兵ギルドで登録証を作る必要があるだろう」
「式を挙げる、とかはしないのですか?」
「金がかかるからな。裕福でなければそうそう挙げるものじゃない――なんだ? 挙式したいのか?」
「王族だった時の華やかな挙式しか知らない私からしたら、どんな式も見劣りがしてしまう気がします。がっかりするくらいなら、挙げなくても構いません」
アインが少し思案する。
「挙げなくても構わない、ということは挙げたい気持ちはあるということか。だが確かに、式を挙げる程の余裕はないな。いつか挙げられるといいんだが」
リティが微笑みながらアインの背中に頬をくっつける。
「その気持ちだけで充分です。追われる身の私が、目立つ行為は控えた方がいいでしょう?」
「そうだな……スマン」
「アインが謝る必要もありません。仕方のない事です」
アインは己の身体に回されたリティの腕を、優しく撫でていた。
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椅子に座るゲイングの膝の上に、ウェンディが座っている。最近はそこがウェンディの定位置だ。
ウェンディが首から提げたギルド登録証に目を留めたゲイングが、思案していた。
「伴侶と認め合ったなら、ウェンディはウェンディ・ホープランドに改めなければならないな」
ウェンディが無表情で尋ねる。
「それは必要な事なのですか?」
ゲイングが頷く。
「ファーストネームしかないというのは目立つんだ。俺たちは一応、追われる身だ。ファミリーネームはあった方がいい。俺たちみたいな旅の冒険者なら、自称が全てだ。親子でも構わないが、ウェンディはどちらが良い?」
「伴侶でお願いします」
ウェンディは即答した。
ゲイングは苦笑をしながら応える。
「オーケー、分かった。バスタッシュ王国で時間が空き次第、登録証を作り替えよう。年齢は問題にさせない。ウェンディが幼くても、俺が変態を見る目で見られるだけだ」
「そんな事、私が許しません。創世神様の名に懸けて、防いでみせます」
「ちょっと待った。なるだけ創世神の名前も出さないように気を付けてくれ。古い神の名前は目立ちそうだ。お前の信仰心を傷つける真似はしたくないが、不要な時は口にしないようにしておいてくれ」
しばらく思案したウェンディが、静かに頷いた。
「――ふぅ。追手が来るとは思えないが、念の為にあまり痕跡を残したくない。とはいえ、俺も技量を隠すような真似は苦手だ。どちらにしても目立つだろうがな――それより、あれ以来、ウェンディはまた表情に乏しくなっちまったな。こうして膝の上に抱いていても、喜んでいるのかそうでないのか分からん」
ウェンディが思案してから、無表情で応える。
「あれ以来、というと伴侶として認めて頂いた時以来ということでしょうか。私は今、こうしている時間を至福に感じています。ですが、女として見られている実感はありません。そのせいではないでしょうか」
ゲイングも思案をした後、そっとウェンディの唇に唇を重ねた。
「身体が子供のお前にしてやれるのは、これが精一杯だ。これ以上は大人に――」
ゲイングは絶句していた。ウェンディの頬が朱に染まり、だらしなく緩んでいたからだ。
無表情からのあまりの落差に呆気に取られていた。
「我慢して居た甲斐がありました。こんなご褒美が頂けるとは思っていませんでした」
「……まさかウェンディ、顔が緩むのを必死に我慢していたのか?」
頬を染め、緩んだ顔のウェンディが静かに頷いた。
「お前の神様は何か言ってないのか?」
「”我慢していると良いことがある”と教えてくださいました」
ゲイングは頭痛を覚え、項垂れた。
子供にこんな悪知恵を授ける最高神の存在が信じられなかった。
「創世神ってのは、本当に最高神なのか?」
ウェンディは緩んだ顔のまま応える。
「それは間違いありません。いつも私の身を案じてくださる慈悲深い神です。今も絶賛、私の恋を応援してくださってます」
あまりに庶民的なその姿に、ゲイングは更なる眩暈を覚えていた。
古き神の威厳がどこかへ吹き飛びそうな気がしていた。
そんな古き神の中でも低位の神だ。強欲の神とやらも思ったより何とかなる気がしてきていた。
だがウェンディが真顔に戻り、言葉を告げる。
「油断してはなりません。古き神は人間が太刀打ちできる存在ではない。それは確かです」
ゲイングも気を引き締め、ウェンディに尋ねる。
「……お前と魔女、二人の力で抑え込めるのか? そんな相手を」
「やってみなければわかりません。創世神様でも、その結果がどうなるのかはわからないと仰っています。例え低位でも神の強い力が未来に与える影響はとても大きく、その先を予見するのが難しいと」
「そうか……神でもわからないか。だが魔女は勝算があると言った。その言葉を信じるしかないな」
****
一か月の船旅が終わり、船がバスタッシュ王国の港町ウェスティンに到着した。
船を降りたルイン、ウェンディ、リティの足元はやはり覚束ない。
ウェンディはゲイングが、リティはアインが支え、ルインは一人で何とか立っていた――この組み合わせになったのは、ウェンディとリティが、伴侶を手放さなかったからだ。ミディアやデルカでは、ルインを支えるには体格が心許なく、クインから「一人で立ちなさい」と言われ頑張っていた。
クインは早速、指示を飛ばす。
「まず、私は情報を集めてきます。皆さんは用事があるなら早めに済ませてください。一週間程で戻ります。その時までに私の家に集まって頂ければ、それまでは自由行動で構いません――マリンダは私の家から出ない様に」
ゲイングとアインが別行動を名乗り出て、ミディアとデルカがマリンダと共にクインに付いて邸宅に戻っていった。
ゲイングがアインに尋ねる。
「そちらの用事も、もしかして登録証か?」
アインが笑って返す。
「お互い伴侶を得たんだ、そうなるだろう?」
それぞれが互いの伴侶を従え、各々のギルドに向かっていった。
傭兵ギルドでは無事にリティ・ノートとしてリティの登録が終わった。
「さぁ、これでリティも傭兵の仲間入りだ」
アインがリティの首に登録証を提げてやる。
リティは嬉しそうに登録証を手に取って眺めていた。
「なんだか、ようやく夫婦になった実感が湧きましたね」
「そうだな――さぁ、クインの家に戻ろう」
冒険者ギルドでは、前回と同じ受付の男が驚いていた。
「え?! 夫婦ですか?!」
ウェンディが静かに頷いた。
ゲイングが苦笑を浮かべながら口を開く。
「なんだかんだで、そういうことになった。登録証の書き換えを頼む」
ゲイングに白い目を向ける窓口の男が、静かに手続きを済ませて行く。
周囲からも、ゲイングに白い目を向ける者が少なくない――針の筵である。
何かを言いだしそうなウェンディを宥めつつ、ゲイングは時間が過ぎるのを待って居た。
「ゲイングさん、ウェンディさん、登録証の更新が終わりました」
ゲイングの場合は内部資料をギルドが書き換え、登録証はそのままだ。
ウィンディは古い登録証を返却し、新たにウェンディ・ホープランドとしての登録証をゲイングに首から提げてもらい、しげしげと眺めてはニヤついていた。
窓口の男が興味本位でゲイングに尋ねる。
「リンデゴードでは、こんな小さな子が婚姻できるんですか?」
ゲイングも困ったように応える。
「んー、実際には十五からになるんだが、ウェンディは年齢不詳だ。いつ成人するか分からないんじゃ、婚姻する時期も定まらない。本人が望むなら、形だけでも今から伴侶として扱ってやりたい。それだけなんだ。心配せずとも、身体が成長するまでは手を出したりしないさ」
「それにしたって、ゲイングさんの年齢に対して極端に幼いと思いますよ……よく伴侶にしようと思いましたね」
ゲイングが肩をすくめて応える。
「根負けした、というのが正直なところだ。ああ見えて、ウェンディは一途で情熱的なんだ。何度も思い直すように説得したんだが、自分を絶対に曲げないんだよ。それに絆された俺の負けだ」
「そうですか……ゲイングさんが思ったより良識のある人のようで安心しました。二人の門出に神の祝福を」
「ありがとう」
****
クインの邸宅にゲイングが戻ると、先にアインたちも戻っていた。
リティがウェンディの両手を握り、微笑んだ。
「ホープランド夫人、お帰りなさい!」
「……ノート夫人、ただいま」
二人の既婚女性が手を取り合って喜んでいる。
ウェンディの表情も、どこか面映ゆい。
それを未婚女性二人組が黄昏ながら並んで見ていた。
「いいわね……あの立場」
「仕方ないわ。勝者の権利ですもの」
そんな黄昏ている二人の肩を、マリンダが抱き締めた。
「男なんて掃いて捨てる程いるわよ! そんな黄昏るくらいなら、一緒にお酒を飲みましょう! あなたたち、いける口なんでしょう? クインくんから好きに飲んでいいと言われてるから、飲み放題よ?」
ミディアとデルカは、マリンダに引きずられるように応接間に連れて行かれた。
そのまま酒盛りが始まり、彼女たちは愉しそうに酒を呷っていた。
昼の間は、アインとゲイングは鍛錬で時間を潰し、リティとウェンディは愉しそうに会話を弾ませる。ミディアとデルカ、マリンダは酒盛りを続けた。
夜になるとアインとリティ、ゲイングとウェンディが共に就寝し、マリンダたち三人は引き続き酒盛りを続けていた。
さすがに三日目になるとゲイングが苦言を呈し、未婚女性たちの酒盛りは終わりを告げた。
四日目からはミディアとデルカがリティの訓練を見るようになり、マリンダは一人で酒を呷っていた。
一週間が経過し、クインが邸宅に戻った。
応接間に入ったクインが、鼻を摘まみながら開口一番に告げる。
「……なんですかこの酒の匂いは」
クインがマリンダに対し、応接間で説教を始めた。
「これから神を封印するという大仕事があるのに、酒浸りになる人が居ますか! そんなザマできちんと役目を果たせるんですか?! まずこの臭いを何とかしてください!」
マリンダは微笑みながら魔導術式を発動し、瞬く間に酒気を霧散させた。
「――これでいいかしら? 私は人間の酒程度じゃ酔えないの。でも味は好きなのよ。暇潰しに、このぐらいは大目に見て欲しいわね。それで、情報は得られたの?」
クインは頭を抑えて溜息をついた後、口を開く。
「ええ、必要な分は。全員が集まったらお話します」
間もなく、応接間に全員が顔をそろえる。
一同を見渡したクインが頷き、話を切り出す。
「ではまず、バスタッシュ王国とゲイル王国の戦いですが、戦線は膠着状態が続いています」
アインが尋ねる。
「膠着? 戦力差はどれくらいなんだ?」
「我々が旅立って間もなく、ゲイル王国は五千の兵で攻め込んで来ました。バスタッシュは一万の兵で迎え撃ちましたが、互いに決定打を与えることなく今に至ります」
「ゲイル王は馬鹿なのか? 守備を捨てているように見えるが」
「まともな用兵ではありませんね。まともな人材が居ないのかもしれません。その上でバスタッシュと膠着できていることが驚きですが――もっとも、五千の兵をどう割り振ろうとも力不足。ならば攻めに一点集中というのも、ある意味、理に適ってはいます。神の精兵を前提とした用兵ですがね」
「今、ゲイル側の兵数は何人残っている?」
「三千にまで減っていると聞きますが、そこから減らすことができない様です。その三千が、強欲の神の力を得た精兵と見て間違いがないでしょう。バスタッシュは補充を繰り返して一万前後を維持していますが、このままだと万が一がありえます」
万が一、つまりバスタッシュ王国軍の敗北だ。
「バスタッシュが兵を増員する可能性は?」
「今はそれも検討中のようですが、今動員できるバスタッシュの余剰兵力は二万がいい所でしょう。一万で押しつぶせない三千の兵を、三万の兵で押しつぶせるか、というと疑問ですね」
「ゲイルの兵站はどうなっているんだ? あの国に備蓄などないだろう」
クインの顔が曇る。
「それについては謎に包まれています。彼らは補給どころか、昼夜問わず攻め入ってくるそうです。つまり、睡眠すらしていません」
アインが戦慄して蒼い顔になっている。
「まさか……飲まず食わず眠らずで兵が戦えるとでも?」
クインが肩をすくめた。
「実際に戦って見せています。傷を負っても直ぐに癒えてしまう、という話まであります。無敵の兵士ですね。現地のバスタッシュ王国軍の兵士たちも、士気を保つのがやっとの有様らしいです」
アインは戦場の兵士たちに同情した。
そんな化け物を相手に士気を保てという方が無理だ。
クインが言葉を続ける。
「ですが、これで光明が見えました。ゲイルは戦える兵すべてを前線に投入しています。つまり、城はもぬけの殻です」
「つまり、俺たちは戦場を迂回してゲイル王国に入り、城に侵入することが可能なんだな?」
「城にその無敵の兵が残っていない事を祈るのみ、ですがね」
ゲイングが思案し、クインに尋ねる。
「門を閉じれば、戦場の兵士たちはなんとかなるんだな?」
「普通の人間に戻り、すぐに瓦解するでしょう」
ならば、事態収束の道筋は見えたと言って良い。
ゲイングたちは戦場を迂回してウェンディとマリンダを門の前に連れて行き、神を押し返している間に門を閉じる。
門を閉じれば、交戦中のゲイル王国軍は瓦解し、バスタッシュ王国軍が彼らを滅ぼすだろう。事態はそれで収束だ。
最後の難関は、神を押し返す事のみだ。
クインがリティを見て言葉を続ける。
「そしてリティのことですが、バスタッシュ王はゲイル王国を下した後、領土を併合するつもりのようです。今更リティシア様が見つかっても、ろくな目には会わないでしょう。基本方針通り、このまま素性を偽り、身を潜めるのが良いでしょう。なるだけ早いうちに他国に移る方が安全でしょうが、そこはアインさんやゲイングさんの判断にお任せします」
リティが頷いた。
「今の私は傭兵アイン・ノートの妻、傭兵のリティ・ノートです。ワレンタインの国民には申し訳が立ちませんが、既にリティシア・オイゼス・ワレンタインはこの世に居ません」
クインが微笑み応える。
「私はそれで構わないと思います。あなたが幸福になる事を、亡きご家族も望んでいるはずです」
表情を引き締めたクインが、大きく手を叩いた。
「では、我々は戦場を迂回して城に潜入し、門を閉じます。決行は明後日。それまでに各々、準備を進めておいてください――事態が収束するまで、お酒は禁止します」
マリンダから不平の声が上がったが、クインは聞く耳を持たず応接間から去っていった。




