1.邪教の姫
ハイファンタジーカテゴリで惨敗したのでリベンジするつもりが何故か年齢差恋愛譚になってしまった作品です。
短編時は一人称だったものを三人称にして描写を詳細にして裏設定を表に出して後はキャラクターに全部任せたら全然違う話になりました、的なサムシングです。
背景になるイベントは大まかには短編時と同じですが、人物の動きはかなり違ってきています。
主題の彼女が恋愛に目覚めるまで時間がかかりますが、後半は彼女がキッチリ主題になって最後はちゃんとけりをつけます。
10話から少しずつ恋愛臭が漂い始め、12話でターニングポイントが来ます。気長に読んでみてください。
筋骨隆々――その言葉を体で表した剣士が、暗い洞窟の奥に居た。
彼は齢三十に達しようとし、体力と技量が最も充実している――そんな年齢だ。丸太の様に逞しい腕に下げる長剣が、鋭い殺気と共に次の獲物を狙っていた。
既に彼の手によって、白い法衣に身を包んだ者たちが、ものを言えぬ躯と化して地面に伏していた。辺りには血の臭いが立ち込めている。
哀れな次の獲物――やはり、白い法衣に身を包んだ若い男が、背後に居る誰かを庇う様に両手を広げて叫んだ。
「姫! あなたは私が、命に代えてもお守りいたします!」
それは決死の叫びだ。先程まで無残に躯にされていった者たちにも、共通した強い願いがあった。
男は幾度目かの言葉を口に乗せる。
「――そうか。では死ね」
剣士の長剣が鋭い剣閃を描き、男の首を軽々と跳ね飛ばした。
男の首も例に漏れず、ものを言えぬまま弧を描き、血を引いて洞窟の地面に転がっていった。
男の胴体は激しく鮮血をまき散らし、再び辺りに濃密な血の臭いが立ち込めて行く。
その男の身体が地面に倒れ伏すと、その背後から蹲った一人の少女が姿を現した。
匿われていた少女は、鮮血で頭から真っ赤に染まっていた。
元は男たちと同様に白い法衣であっただろう。見事な銀の刺繍も所々にされており、彼らの信じる宗教の印が刻まれているようだった。
剣士が背後に向かって声を投げかける。
「――おいデルカ。こいつが”邪教の姫”ってことでいいのか?」
剣士の背後で一部始終を見守っていた相棒――デルカが応える。
「そうね。人相風体は一致してると思うわ。その白い法衣も、手配書にある通りね」
デルカは肩まである金髪をかき上げて、目を落としていた手配書を剣士に手渡した。
剣士は長剣の血を振り払った後、腰の鞘に納め、手配書を受け取り、松明の薄明かりの中、目を走らせていく。
――年の頃は十二から十四歳、黒く短い髪は肩に達しない程度、金色のような琥珀の瞳を持ち、身長は百五十センチ前後、そしてなにより、邪教の白い法衣。
剣士は手配書と少女と見比べて頷いた。
「特徴はあってるな。さっきの男の言動といい、こいつで間違いなさそうだ」
剣士は改めて蹲っている少女の様子を伺った。
手配書にある通りの幼い少女なのだが、自分を守って殺された男たちの死に際を目の当たりにしても動揺が見られない――いや、感情が見られない。
少女の瞳は、ただ虚ろに地面を映しているだけのようだった。
この年頃の少女が凄惨な殺戮現場に居合わせれば、泣き叫ぶなり、動揺するなりしているはずだと思えた。
――逃亡生活で、心が既に壊れていたか。
剣士に取って、少女の心がどうなっていようと依頼には何の関係もない。興味もない。些末な事だった。依頼内容は生きて身柄を引き渡す事――それだけだ。
「……ま、いいさ。あとはこの娘を引き渡せば、俺たちの受けた依頼は達成だ」
デルカもまた少女には関心を示さずに「そうね」と応えた。だが、「でも急いだほうがいいわ」と続けた。彼女の意識は、もう周囲の魔物を警戒するように気配を伺っている。
辺りには人間の血の臭いが充満している。先ほどの男を含め、剣士はここまで男女問わず十五人ほど殺めた。
辺りに立ち込める血の臭いに魔物が誘われる危険性があるのだ。
剣士はデルカに頷き、少女に振り返り片手を出して語りかける。
「立てるか嬢ちゃん。大人しく付いてくるんだ――わかるか?」
少女の手が剣士に伸ばされ、その手を剣士は掴んで引き上げた。
少女は大人しく立ち上がり、返事をするように無言で頷いた。
その周囲を見渡したデルカが、呆れたように口を開く。
「しかし狂った連中ね。追い詰められていたとはいえ、こんな迷宮の中に潜むだなんて。命知らずもいいところよ。」
デルカは肩をすくめていた。常人なら考えついても実行しない――狂気の沙汰だ。
ここは中堅冒険者でもてこずる水準の地下迷宮――その中層付近だ。
並の神経をしていたら、ここに立て籠ろうなどとはしない。人間に追い立てられるか、魔物に追い立てられるかの差でしかないのだ。命の危険がある事に変わりはない。
剣士も呆れたように意見を述べる。
「まぁ、だからこそ盲点だったんだろう。俺たちがいち早く目撃情報にありつけたからよかったが、同業者がやってこないとも限らないしな。さっさと戻るとしよう」
剣士は少女の手を引いて歩き始める。
少女は剣士に手を引かれるまま、その後ろを大人しく付いて行った。
デルカは周囲の魔物を警戒しつつ、二人より先行している。
ここ、リンデゴード島では、邪教は死刑となる。正式に邪教と認定された宗教の信徒を手にかけても、彼らには良心の呵責などない。
自分たちが殺さずとも、捕まれば役人が殺す――そして冒険者である彼らは、人の命を奪う事にも慣れていた。罪人の命を奪うことに、何の躊躇いもない。
こつり、こつりと三人分の足音が洞窟に反響していく。
来た道を辿り、少し開けた場所に出た――この先に、上の階層に続く道がある。
だがデルカが腰を落とし、腰から細剣を抜き放って声を上げる。
「――ゲイング、来てるわよ」
剣士――ゲイングも、既に気配は感じ取っていた。
「ああ、わかってる。デルカは、この嬢ちゃんを頼む」
ゲイングはデルカに少女を引き渡し、長剣を腰の鞘から抜き放った。
そのまま周囲の気配を探る。
――左右から挟み撃ちか。
この少し開けた場所は、五本の通路に繋がっていた。そのうち二本から、魔物の獣臭と殺気が漂ってくる。
この階層付近に出るのはドレムスと呼ばれる、獰猛な熊の獣人だ。鋭い爪と人間を凌駕する腕力を誇る。腕に覚えのあるゲイングと言えど、複数を相手どるのは厄介な相手だった。
――片方ずつ潰すしかあるまい。デルカの腕なら、少しの時間は稼げるはずだ。
決断を下したゲイングが、右手の気配に向かって駆け出していく。
そのまま目の前に現れた獣人に向かって、鋭く長剣を突き入れた――だが獣人は胸に突き刺さった長剣を意に介さず、振り上げた右腕をゲイングに振り下ろした。
ゲイングは素早く長剣を引き抜いて、その場から飛びのき、鋭い爪の斬撃を避けた。
間髪入れずに振り下ろされている獣人の腕を下から切り上げる――獣人の腕は半ばまで切断され、その胴体に一条の斬撃が届いた。
獣人が痛みで怒りの咆哮を上げる――ゲイングは、その隙を逃さず、一度獣人に背中を向けるように回転し、そのまま振り回すように獣人の首筋を目掛けて長剣を横薙ぎに振り切った。
咆哮を上げていた獣人の首は、その形のまま跳ね飛ばされ、地面に転がっていった。
――まず一頭。
ゲイングは獣人が力尽きるのを確認し、荒くなった呼吸を整えていた。
「――ゲイング!」
背後からの呼び声に、慌ててゲイングは振り向いた。
一頭の熊の獣人が、デルカを壁際に追い詰め、その爪で顔を抉らんとしている所だった。
デルカの背後には、手配書の少女が怯える様子もなく立っている。
――そうか、足手まといが居たから、逃げそびれたか。
デルカの腕なら、ドレムス程度はあしらえる。攻撃を捌いて距離を取り、時間を稼いでいる間にゲイングが仕留める――いつもの流れだ。
だが今回は、あの少女が居た。彼女を連れていては、いつもの様に立ち回れなかったのだろう。
今回の依頼は”邪教の姫を生きて捕らえ、連れてくること”だった。彼女が殺されては元も子もない。
ゲイングは慌てて駆け出し、その勢いを乗せて、獣人の背後からその首を横薙ぎに斬り飛ばした――その一瞬前に、獣人の鋭い爪が、デルカの腹を抉っていた。
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ゲイングは出来る限りの応急処置をし、デルカの傍に腰を下ろして様子を見守っていた。
水で傷を洗い落とし、酒で消毒し、包帯を巻く――だがやはり、出血が止まらなかった。腹部深くを抉った傷をこの場で止血する方法など、ゲイングは知らない。
既にデルカの意識は出血により失われていた。顔から生気が抜け落ちて行く。
――助からない、か。
今まで数多くの敵の死を見届けてきた。仕事仲間の死も見届けてきた。だからわかるのだ。致命傷だったと。
これがただの仕事仲間であったなら、ゲイングは迷わずデルカの首を切り落としていただろう――そうすれば、これ以上の苦痛を味わわない。
なのにゲイングは、そんな気にはなれなかった。長く共に過ごした、唯一の”相棒”だった。
――ならば、その命の火が消える瞬間まで、傍で見届けよう。
自分がこんなに感傷的だったことに、ゲイングは驚いていた。そんな心が己にあるとは思っていなかったのだ。
周囲の警戒は続けている。今の所、付近に他の魔物の気配はない。だが長くこの場に居る程危険だ。わかっていても、今すぐにも消えそうな相棒の最期を見届けたい気持ちが勝っていた。
「すまないな嬢ちゃん。こいつが死ぬのを見届けたら、俺が嬢ちゃんを上まで連れて行く。それまで、そこで待っててくれ」
ゲイングはデルカの顔を見つめながら、そう呟いた。
少女は黙って二人の様子を見つめながら、腰を下ろしていた。
「……せめて、こいつの最期くらい看取ってやりたいんだ」
ゲイングのその言葉に、少女が反応する。
「――その人を私が助けたら、あなたは私を助けてくれますか?」
少女が初めて言葉を口にした。
その声は鈴を転がすように高く澄み、迷いも恐れもないものだ。
ゲイングは思わず少女に振り向いて少女の顔を見つめた。
そこには、少女が無表情のまま、その金色の瞳で真っ直ぐゲイングの瞳を見つめている姿があった。
ゲイングはその雰囲気に飲まれている自分を悟りつつも、苛立ち気味に言葉を投げかける。
「馬鹿を言うな! こんな場所で腹部に致命傷を負って、助かる訳がないだろう!」
「私なら助けられます」
少女は迷いのない瞳で断言した。
――助ける? この場で? どうやって?
ゲイングには意味が分からなかった。今すぐ街の医者に連れ込んでも助かるかわからない。それを今この場でなど、それこそ神の施す奇跡でもなければ救えやしない。そう思ったのだ。
「ならば今すぐ彼女の命を助けて見せろ!!」
ゲイングは少女から目をそらしつつ、吐き捨てるように怒鳴りつけた。
少女はその怒鳴り声にも動揺することなく、静かに立ち上がり、ゲイングの横をゆっくりと通り過ぎる。
そのままデルカの傍らに膝をつき、両手を腹部の傷に押し当て、目を瞑って祈りを捧げ始めた。
「創世神様、お力をお貸しください――」
ゲイングはそれを聞いて、余計に腹立たしさに苛まれていた。
「邪教の力、か? そんなもので人間の命を救えりゃ、苦労はしねぇよ」
ゲイングは吐き捨てるように呟いた。
傷を癒す魔導術式がある事は知っている。国教の司祭が、金と引き換えに神の奇跡と称して治療するのだ。だが、こうも深手を負った人間を癒せない事もまた知っていた。
少女が魔導術式を使えるようにも思えなかった。気休めの癒しの魔導術式すら使えないだろう年頃だ。
ゲイングは、既に土気色を帯びつつあるデルカの顔を一瞥した後、再び視線を外し地面を見た。
今まで共に、幾度も修羅場や死線を潜り抜けてきた。それが、まさかこんな場所でヘマをするとは――不覚も良いところだった。
ふと、見つめている地面が白い光に照らされているのにゲイングは気が付いた。
光の発生源へ目をやると、そこには少女が居た。
少女の身体が、白く輝いているのだ。
その光はデルカの身体も包み込み、二人の身体が光を帯びていた。
ゲイングは何が起こっているのか理解できなかった。
ただ茫然と、その様子を眺めていた。
光がデルカの身体に収束し、一際眩しく輝いた後、光は空気に溶けるように消えていった。
ゲイングが腰を浮かせ、デルカの顔を見る――血の気が戻っている!
「デルカ!」
その声に応えるように、デルカが瞑っていた目を開け、ゲイングの瞳を見つめ返した。